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戦勝記念日に。第二次世界大戦の勝利について、最後の考察をしよう

<記事原文>

For Victory Day: It’s Time to Think About Finally Winning WWII

 

Dissident Voice 2020年5月9日

 

マシュー・J・L・アーレット

 

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2020年5月30日

 
 75年前、ドイツが、連合国に降伏して第二次世界大戦の惨劇はついに終わった。

  今日、世界が75回目の戦勝記念日を祝う中で、これを最後にキッパリと、あの戦争の勝利について非常に真剣に考えてみようではないか。

 この言い方に困惑したのなら、後を読み進める前に、ちょっと腰をかけて、深呼吸してみるのもいいかもしれない。読者の皆さんは、今からの12分間で、多分少し怖くなるような嫌な事実に出会うだろう。実は、連合国が第二次世界大戦の勝者ではなかったのだ。

  待ってくれ。私を誤解しないでほしい。私は永遠に、あの暗黒時代にファシスト機関を倒すために命を捧げた尊い魂たちに感謝している。しかし、実際に起こったことは、ある何かが1945年5月9日に解決したのではなく、20世紀後半の新しいファシズムにつながっているのだ、さらには、今の世界が直面しているグローバル銀行家たちの独裁という新しく生まれた危機にも。

  これは私の強い思いだが、冷静な目でこの問題と向き合う勇気がもてた時始めて、命を捧げて、彼らの子たち、孫たち、もっと広くいえば人類のための平和を勝ち取ってくれた我々の祖先を正しく尊敬できるのだ。

第二次世界大戦の汚れた真実

  回りくどい言い方はしないで、ハッキリ言おう。
アドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニは決して「人の支配を受けていなかった」わけではない。

 二人が率いていた機関は、決して彼らの独立した支配下にあったわけではなかったし、二人が世界を支配しようとした資金のために利用していた金融機関もイタリアやドイツの銀行ではなかった。二人が石油化学やゴムや計算技術に使っていたテクノロジーも、ドイツやイタリア由来ではなかった。さらに多くの人を民族浄化という恐怖におとしいれたドイツの優生学という政治科学的イデオロギーは、ドイツの人たちの頭の中やドイツの機関で考えられたものではない。

  もし1920年代から1940年代にかけて、以下のような投資家や実業家たちのネットワークがなかったら、すなわち、ロックフェラー、ウォーバーグ、モンダギュー・ノーマン、オズボーン、 モルガン、ハリマン、ダラスたちのネットワークがなかったら、第一次世界大戦後の体制の中で起こった経済危機の「解決策」として、ファシズム体制が可能だったということはなかったと言っていいだろう。このことを立証するために、あのプレスコット・ブッシュュ[1895-1972 アメリカの政治家・実業家。41代米国大統領は次男、43代の米国大統領は孫にあたる]の奇異な顛末を、わかりやすい入口として考えてみよう。

  世界に災害を引き起こした二人の米国大統領を生んだ(もしトランプが、2016年にジェブ・ブッシュをかろうじて倒していなかったら、3人になっていた)あのブッシュ王朝の家長プレスコットは、仕事仲間のアヴェレル・ハリマンン[1891-1986、米国の政治家・実業家]と弟のE・ローランド・ハリマンとともに、ナチスに資金を提供したことで名を成した。(弟の方は、エール大学に在学中に、プレスコットを秘密結社“スカル・アンド・ボーンズ”[訳注1]に引き込んだ人物だ)。ブラウン・ブラザーズ・ハリマン社の共同経営者として、プレスコットは、1932年にドイツ国民が反ファシスト派のクルト・フォン・シュライヒャーを首相に選び、支持を失い破産しそうだったナチ党をなんとか存続させるための貴重なローンを提供しただけではなく、ユニオン・バンキング・コーポレーション銀行の経営者として「敵国との取引法」のもとで1942年に有罪にさえなっている!

  そうなのだ。1992年に発刊された『認可されていないジョージ・ブッシュの伝記』に書かれていた通り、米国が第2次世界大戦に参戦する11ヶ月後に、自然の流れとして、連邦政府は米国内のナチ系の銀行の経営を調査したのだが、その際、政府は、なぜプレスコットが、フリッツ・ティッセンのオランダ貿易出荷銀行と深く結びついた銀行の経営を続けているのを不信に思った。ティッセンのことを知らない方のために付け加えるが、彼はドイツ産業界で有名な大物で、『私はヒトラーに金を払った』という本を書いた人物だ。その銀行は、「ドイツ鉄鋼業組合の製鉄所」という名のドイツの企業連合と結びついていた。その連合は、ナチスドイツの銑鉄の50.8%、ユニバーサル鋼板の41.4%、亜鉛メッキ鋼の38.5%、パイプの45.5%、爆薬の35%を扱っていた。権利確定命令248に基づき、 米国連邦政府は 1942年10月22日にプレスコットの財産をすべて押収した

  米国・ドイツ間の鋼鉄連合体はより広範な事業の一部に過ぎない。というのもロックフェラーのスタンダード・オイル社がヤング・プラン[第一次世界大戦の賠償を緩和する新たな賠償方式]に基づいて1929年にIGファルベン(世界で4番目に大きい会社)と新しい国際カルテルを形成したのだ。オーウェン・ヤングはJPモルガンの代理人で、ゼネラル・エレクトリック社の会長で、1928年にドイツの債務返済計画を制定し、国際決済銀行(BIS)[訳注2]を設立し、ロンドン市とウォール街の代理人として、実業家たちや金融業者たちの国際カルテルを形成した。これらのカルテルの中で最大のものは、ヘンリー・フォードのドイツでの事業をIGファルベン社、デュポン産業、イギリスのシェル社、ロックフェラーのスタンダード・オイル社と合併させたことだ。1928年のカルテル協定により、スタンダード・オイル社は、石炭から合成ガソリンを作成するためのすべての特許と技術をIGファルベン社に提供することが可能になり、1934年には、ドイツはわずか30万トンの天然石油しか生産できなかったが、第2次世界大戦中は、なんと650万トン(全体の85%)も生産することができた!この特許や技術移転が行われなかった場合、第2次世界大戦を特徴づけた近代化された武器による戦闘は決して起こらなかっただろう。

  ヤング・プランが始まる2年前、JPモルガンは、イタリアで新しく開かれたムッソリーニのファシスト政権に1億ドルの融資をすでに行っており、ウォール街によるイタリア作戦では、民主党のキングメーカーであったトーマス・ラモントが、ドイツにおけるプレスコット・ブッシュの役割を果たしていた。ムッソリーニの企業ファシズムのブランドを愛したのはJPモルガンだけではない。タイムマガジン社のヘンリー・ルースも、悪びれることなく、ドゥーチェ(イタリアの支配者につく称号)の称号を冠したムッソリーニを、タイム誌の表紙に、1923年から1943年の間に8回掲載し、「アメリカ経済の奇跡的解決策」として、執拗にファシズムを宣伝した。(彼は他の2つの雑誌、フォーチュン誌とライフ誌でもムッソリーニを取り上げた)。多くの米国人が1929年に始まった長くてつらい大不況のトラウマをまだ抱えていた。その絶望的な米国人の多くは、米国でファシズムが、テーブルに食料を並べてくれて、仕事を見つける手助けをしてくれるだろうという有害な考え方をますます持つようになった。
 
ブラウン・ブラザーズ・ハリマン社について一言

 ブッシュのナチ系銀行ユニオン・バンキング・コーポレーション銀行は、少し前に行われた1931年のモンダギュー・ノーマン一族の銀行(ブラウン・ブラザーズ銀行)とハリマン社所有の銀行との合併が生んだものだった。ブッシュとモンダギュー・ノーマンたちは、1920年から1940年まで、イングランド銀行[イギリスの中央銀行]の総裁で、イギリス=ドイツ連盟のトップであり、ドイツのヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁で1934年から1937年まで経済相をつとめた)を操っていた。ノーマンはまた、第2次大戦中ずっと、1930年に創設された国際決済銀行(BIS)の重役であり続けた。

中央銀行の中の中央銀行

 国際決済銀行(BIS)はヤング・プランに基づいて設立され、名目上は第一次世界大戦からの借金返済のメカニズムとしてシャハトによって運営されていたが、スイスに本拠を置く「中央銀行の中の中央銀行」たる国際決済銀行(BIS)が、ナチ機関に資金を提供する国際金融機関にとって主要なメカニズムだった。国際決済銀行(BIS)がモンターギュ・ノーマンの全面的な支配下にあったという事実は、オランダの中央銀行のヨハン・ベイエンが次のように述べたことで明らかになった。「ノーマンの権威は圧倒的でした。中央銀行教会の主導者として、彼は中央銀行員を一種の金銭宗教の司祭にしたのです。実際、国際決済銀行(BIS)は彼の創作物でした。」

 理事会の創設メンバーには、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーの民間中央銀行と、3つのアメリカの民間銀行(JPモルガン、シカゴ第1銀行、ニューヨーク第1銀行)が含まれていた。その3つの米国の銀行は戦後合併し、現在シティグループおよびJPモルガンチェース社として知られている。

 創立時の規則では、国際決済銀行(BIS)や役員やスタッフはすべての国内法から免責され、スイス当局でさえ敷地に入ることが許可されていなかた。

 この件については 、2013年の著書『バーゼルの塔:世界を支配した秘密銀行の影の歴史』が、大きく伝えている。

優生学について

  第二次世界大戦までの準備期間や大戦中のナチスへの支援は、金融や産業力に対するものだけにとどまらず、第三帝国が統治する際に使用した科学的イデオロギー、すなわち優生学にも行われた。(優生学の別名は、社会ダーウィン主義の科学。1世紀前のトーマス・ハクスリー[1825-1895英国の生物学者。ダーウィンの進化論を擁護]のXクラブブ[19世紀後半にイングランドで自然淘汰説を支持した9人の学者のダイニングクラブ]の準会員であったハーバート・スペンサーとダーウィンのいとこフランシス・ゴルトンが発展させた科学だ)。1932年、ニューヨーク市は、第3回優生学会議をウィリアム・ドレイパーJrとハリマン家の後援のもと開催した。(ウイリアム・ドレイパーJr は、JPモルガン銀行家で、ゼネラル・モーターズ社の重役であり、ディロンリード社等の重要人物だった)。この会議には、優生学に基づく法律がうまく適用されている米国で学ぶために、世界のトップの優生学者が集まった。この会議は、セオドア・ルーズベルトの熱烈な後援の下で1907年に始まった。「科学」という立派な看板に隠れて、高尚な科学の使徒たたちは、新時代の「管理された人間の進化」について話し合っていた。そして、そしてそれはすぐに、世界中の科学的独裁主義のもとであれば、可能となるだろう。

 会議での講演で、英国のファシストであるフェアフィールド・オズボーンは、優生学について次のように述べている

 「(優生学は)、適者生存と増殖を助け、奨励します。間接的に、それは不適合者の増加をチェックし、低下させます。後者については、米国だけでも、何百万人もの人々が国の進歩を止める網や錨として行動していることは広く認識されています…非常に有能な人々が失業している場合もありますが、大量の失業者は、能力の低い人々の中から出ています。先に仕事をやめさせられているのは、そんな能力の低い人達です。そして、本当に非常に能力のあるごく少数の人々は、依然としてやめさせられてはいません。なぜなら、彼らは、代わりがきかない人たちだからです。自然界では、不適合な個人は次第に姿を消しますが、文明世界においては、我々はこういった不適合な人達をコミュニティ内に置いています。それは、景気がよいときには、全ての人が就職できるようにと思っているからです。これが、人間文明が、自然界に逆らって不適合な人たちを生き残らせることを奨励しているもう一つの例です。」

 大恐慌の暗黒の日々は、執拗で無知な人達にとってはいい時代だった。というのも、優生学に基づく法律がカナダの2つの州で適用され、米国やカナダでも広がり、米国の30州が不適合者に不妊処置を行うという優生学に基づく法律を制定したからだ。優生学が順調に成功したのは、ロックフェラー財団と科学雑誌ネーチャー誌(1865年にT・H・ハクスリーのXクラブによって作成された)による巨額の財政支援が大きかった。ロックフェラー財団は、ドイツの優生学、特に人種改良学の新星ヨーゼフ・メンゲレに資金を提供し続けていた。

 ナチスというフランケンシュタインは切り捨てられた

 1935年1月29日のヒトラーとの会談について、円卓の司令官であるロージアン卿は、新世界秩序のアーリア共同指揮に関するフューラーのビジョンを次のように述べている。

 「ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、スカンジナビア…は、国民が中国やインドなどの国の工業化を支援することを妨げると合意すべきです。アジアの農業国で製造業の設立を促進することは自殺行為です。」

 この件について、もっといろいろ言いたいことはあるが、ファシスト・マシーンは、ロンドンのフランケンシュタイン博士が望んだ方法に完全には振る舞わなかったということだ。というのも、ヒトラーは、自分の軍隊組織の強力さがあれば、ドイツが「新世界秩序」のリーダーになれると気がつき始めたのだ。ロンドンにいるアングロ系のご主人様のためのただの下っ端の第二奏者に甘んじるのではなくて。多くのロンドンとウォール街の少数独裁者たちは、この新しい現実に対応する準備をし、これまでの計画をとりやめ、ドイツと戦うことを決めた。

 国王エドワード8世を1936年に退位させたのは、彼が親ナチであったのが真の理由だったが、話をスキャンダルにすり替えてしまった。さらに、1940年、首相の座は、穏健派のネヴィル・チェンバレンからウィンストン・チャーチルに置き換えられた。ウィンストン・チャーチル卿は、生涯通して人種差別主義者であり、優生学者であり、ムッソリーニの崇拝者でさえあったが、彼は誰よりもイギリス帝国主義信奉者だった。もし帝国の名声が脅かされた場合、あらゆる手段を講じてでも戦う意思があった。そして、実際、彼はそうした。

ファシストVSフランクリン・ルーズベルト

 アメリカ国内でも、ファシスト支持派のウォール街は、1932年に反ファシスト大統領フランクリン・ルーズベルト大統領が選出された日からずっと彼との戦いに負け続けていた。1933年 2月の暗殺未遂が失敗しただけでなく、1934年のクーデター計画も、愛国心の強い将軍スメドレー・ダーリントン・バトラーによって妨害された。さらに悪いことに、彼らは、ドイツやフランス、イタリアとともに新世界秩序を望んでおり、米国を参戦させないよう努力してきたのだが、これもポシャりそうになっていた。私が最近の記事『銀行家の独裁政権を粉砕する方法』で概説したとおり、1933~1939年の間に、フランクリン・ルーズベルト(以下FDR)は銀行部門に抜本的な改革を課し、国際決済銀行の下で世界的な銀行家の独裁体制を築こうとする大きな試みを阻止し、ニューディール政策[大恐慌の不況の克服を目指したルーズベルト大統領の一連の社会経済政策]の下で広範な回復に着手した。

 1941年までに、日本の真珠湾攻撃は米国人の精神をあまりにも激しく二極化させたため、第2次世界大戦への米国の参戦に抵抗すること(それは、ウォール街のアメリカ自由連盟が力を入れてきたことだったのだが)は、政治的自殺行為となってしまった。ウォール街の協調組織は、FDRによる1938年の力強いスピーチで強く非難された。その演説は、国会にファシズムの本質を思い出させるものだった。

 「何よりもまず抑えておくべき真実は、『民間組織が民主主義国家そのものよりも強くなることを国民が許すならば、民主主義の自由が侵される』ということだ。それこそが、ファシズムの本質なのだ。政府を個人やあるグループや他の力のある民間組織が所有することだ。今、我々がいる世界では、史上比べることができないくらい、民間組織への権力集中がはびこっている。そして、民間組織へ権力が集中することにより、民間企業の経済効果は深刻なくらい破壊されている。というのも、経済効果というものは、労働者と資本家に雇用を提供し、国民全体の所得や収入のより公平な分配を保証することで生まれるものだからだ。」

 米国が第二次世界大戦に参戦したことが、ファシスト機関を破壊する決定的な要因となったのは事実だ。しかし、フランクリン・ルーベルトやヘンリー・ウォレス[33代米国副大統領1941-1945]、さらには米国・カナダ・ヨーロッパ・中国・ロシアなど世界各地にいたFDRの考えに共感する人達が描いていた夢は実現しなかった。その夢とは、大規模な開発や各国の相互利益の追究という考えの元で世界が運営されるという夢だ。

 FDRの同盟者であるハリー・デクスター・ホワイト[1892-1948米国の官僚]が、1944年7月のブレトンウッズ会議[訳注3]において、国際決済銀行を閉鎖しようとする論戦を主導したのだが、国際決済銀行を解散し、その帳簿を監査しようというホワイトの決議は決して実行されなかった。IMFの最初の専門理事になることになっていたホワイトは、反帝国主義の新しい金融システムを作成しようというFDRの仕組みを擁護した。いっぽう、フェビアン協会[1884年に結成された、漸進的な社会改革を主張する英国の社会主義者の団体]のリーダーであり、熱心な優生学者であったジョン・メイナード・ケインズは、ホワイトのやり方ではなく、国際決済銀行を擁護し、バンコールという名の世界通貨を使ったやり方で大戦後のシステムの見直しを行うことを強く推し進めた。それは、イングランド銀行と国際決済銀行が管理するシステムだった。


戦後の世界におけるファシストの復活

 1945年末までに、トルーマンドクトリンと英米の「特別な関係」がFDRの反植民地主義のビジョンに取って代わり、反共産主義の魔女狩りは米国をFBI監視下のファシスト警察国家に変えた。ロシアに友好的な誰もが破壊の標的にされたが、自分が標的にされていると最初に感じたのは、FDRの親友であるヘンリー・ウォレスとハリー・デクスター・ホワイトであった。ホワイトは、1948年に、ウォレスを大統領候補にしようという活動のさなかに亡くなった。これにより、反植民地主義者たちがIMFを運営することには、終止符が打たれた。

 第二次世界大戦後の数十年、世界にファシズムをもたらしたまさにその投資家たちは、戦後そのまま元のさやに戻り、IMFや世界銀行などFDRのブレトン・ウッズ体制下の機関に侵入し、そのような機関を、開発するための機関から奴隷化するための機関に変えてしまった。そのプロセスは、2004年のジョン・パーキンズ著 『経済的ヒットマンの告白』で完全に明らかにされた。

 帝国の古い貴族を代表するヨーロッパの銀行家一族たちは、大戦後罰せられることもなく、西側諸国による征服を続けた。1971年までに、パーキンズが「経済的ヒットマン」の代表者として描いたジョージ・シュルツは、金本位制からUSドルによる管理通貨制度への移行を画策し、米国行政予算局の局長に就任したが、同年、新しいグローバル時代到来を告げるべく、ロスチャイルドのインターアルファグループ銀行が設立された。この1971年のドル価値の浮上が、消費主義、ポスト産業主義、規制緩和という新しい視点の先駆けになったのだ。かつて生産的だった西側諸国は、投機的な「何が真実か分からない」もので詰まったかごのようになってしまい、カジノやバブルや風任せの理論が、農産業の代わりになると説得させられたのだ。

そして今、ファシズムに対する勝利を祝っている2020年。

 1945年の英雄たちの子供や孫たちは、1500兆ドルという架空の資本が、世界的な超インフレの中で爆発するかもしれないという史上最大の金融崩壊の危機に直面している。この危機は、1923年にワイマール共和国を破壊した危機と似ているが、今回は世界規模だ。1945年に閉鎖されるべきだった国際決済銀行[訳注2]は、こんにち、金融安定理事会[国際金融システムの安定確保を追求する国際機関。金融安定化フォーラム(FSF)を改組・拡充して2009年に発足]を統制し、ひいては世界のデリバティブ取引[訳注4]を規制している。このデリバティブ取引こそが、大量破壊兵器となり、世界中をより混乱させる引き金になっている。そんな混乱は、ヒトラーには思いも浮かばなかっただろう。

 今日の救いの恵みは、フランクリン・ルーズベルトの反ファシズム精神が、現代の反帝国主義者であるウラジミール・プーチンや習近平、そして21世紀のニューディール政策の下で団結している国々の体制の中で生きていることだ。その団結は、「一帯一路[訳注5]政策」と呼ばれるようになっている。

 プレスコットの孫ジェブ(あるいは、血はつながっていないが、プレスコットの考えを受け継ぐ孫娘ヒラリー)が現時点で米国大統領の地位についていたなら、私は、今この文章を書いてはいなかっただろう。きっと第三次世界大戦がすでに勃発していたはずだろうから。しかし、トランプ大統領が、約4年間、影の政府からの転覆攻撃を無事に乗り切り、ロシアと中国との積極的な同盟関係を繰り返し求めてきたおかげで、チャンスはまだ残されている。今この瞬間に必要な緊急措置を講じるチャンスは。FDRが常に意図し、第二次世界大戦で勝利したあのやり方で。


訳注

(1)スカル・アンド・ボーンズ:アメリカの名門校、イェール大学の学生による排他的な社交クラブ。ラッセル商会創立者のウィリアム・ハンティントン・ラッセルらが1832年に創設。構成員同士の交流を深め、卒業後社会的・経済的な成功を収めることを目的とする。主に白人・プロテスタントのエリート層からなる組織。毎年新入生の中から選抜された10数名が加入し、外部非公開の集会に参加する。メンバーは「ボーンズマン」と呼ばれ、歴代の大統領や政府要職者、産業界のリーダーにも同クラブの出身者が多い。略称S&B。(出典:デジタル大辞泉プラス)

(2)国際決済銀行: 1930年、スイスのバーゼルに設立された、主要国の共同出資による国際銀行。設立当初は第一次大戦後のドイツの賠償支払いを円滑に処理することを主な目的とした。現在は出資国の中央銀行間の協力を促進し、金融政策・国際通貨問題などに関する討議・決定を行っている。日本からは日銀総裁、理事などが参加。(出典:デジタル大辞泉)

(3)ブレトンウッズ会議: 1944年7月、連合国44カ国が米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで会議を開き、第2次大戦後の新たな国際経済システムに関する協定を結んだ。国際通貨基金(IMF)と世界銀行の創設が柱で、IMF加盟国には緊急時の借り入れができる引き出し権が与えられ、為替は固定相場制が基本になった。協定に至る交渉では、英国のケインズが国際通貨バンコールの創設などを提案したが、最終的には米国案を中心に協定が成立。関税と貿易に関する一般協定(GATT)とともに、戦後の国際経済体制の基礎になった。IMFの特別引き出し権(SDR)は69年に設けられた。71年に米ニクソン政権が金とドルの交換を停止したことで、IMF・GATT体制は実質的に崩壊。主要国通貨の為替は変動相場制へ移行した。(出典:2008-11-03 朝日新聞 朝刊 3総合)

(4)デリバティブ取引: 株式、債券、金利、為替など原資産となる金融商品から派生した金融派生商品(デリバティブ)を対象とした取引。主なものに、先物取引(将来売買する商品の売買条件をあらかじめ決めておく取引)、オプション取引(将来商品を売買する権利をあらかじめ購入する取引)、スワップ取引(金利や通貨などをあらかじめ約束した条件で交換する取引)がある。原資産の取引より少ない投資金額で大きな取引ができること、投資商品の価格が値下がりした場合にも収益が得られることが主な特徴で、リスク回避や効率的な資産運用の手段として活用されている。(出典:知恵蔵ミニ 朝日新聞出版)

(5)一帯一路: 陸路と海路で中国と各大陸を結ぶ「シルクロード経済圏構想」。沿線国の道路や鉄道、港湾、通信などのインフラ整備を中心に中国が支援する。中国政府によると、4月現在、126カ国と29の国際組織が協力文書に署名した。 (出典:2019-04-27 朝日新聞 朝刊 2総合)
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