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2015年8月14日 (金)

西暦460年のローマ状態 解決不能

Paul Rosenberg

2015年8月11日
"FREEMANSPERSPECTIVE "

次のアメリカ大統領選挙時期がやってきたが、政治という下水に、時間と資金を注ぎ込み、永遠に敗北し続けようと、多数の人々が列に並んでいる。

この体制は直しようがない。「以上終わり」だ。西暦460年のローマと同じなのだ。支配者連中は、ローマと同様、ウソつきか、精神異常か、酔っぱらいか(今日では麻薬中毒)… その三つ全てなのだ。

“ローマ帝国崩壊”は、もちろん我々が学校で学ぶものより遥かに複雑だったが、長年衰退してゆく中、ローマは終始、改革して、救おうとする善意の人々で満ちていた。そして、ちなみに、中でも、ローマ体制をなんとか維持しようと懸命に頑張った人々がゴート人だった。彼等はローマを機能させ続けようと懸命に努力したが… 彼等も失敗した。

これについてはっきりさせておこう。支配階層が、ある点を越えてしまうと、改心させることは不可能になる。現代の欧米は、その点を越えてしまったと私は考えている。

    • 中央銀行連中が独占権を簡単に明け渡す等と我々は本当に信じているのだろうか?
    • 何百兆ドルもの債務が何の影響もなしに精算できると本気で期待しているのだろうか?
    • 政治家連中が権力を手放し、我々を虐待したことを謝罪するなどと本当に信じているのだろうか?
    • 議会を我が物にしている大企業が、自分達が豊かになれるゲームを放棄するなどと、我々は本気で考えているのだろうか?
    • “おや、不法な捜索や押収を禁止する合衆国憲法修正第4条は実に明快で、我々がしているあらゆることは違反している… だからここにいる全員全員首で、最後に出る人は明かりを消してください”とNSAが言うだろうなど誰が真面目に信じているだろう?
    • 軍産複合体が戦争奨励をやめたり、商業マスコミが国家称賛をやめたり、地方の保安官が警官を凶暴なけだものに訓練していることをわびたりするなどと信じている人などいるだろうか?
  • 公教育制度が、全ての費用を支払ってくれる国への称賛をやめるだろうなどと、本当に信じているのだろうか?

 

まだ延々続けられるが、言いたい事は明らかだと思う。この体制は、本格的に改革することを決して許さないのだ。この体制を直そうとするのは、ずっと前に亡くなった遺骸を生き返らせようとするようなものだ。

欧米を支配している体制は崩壊する。

より広範な欧米文明が崩壊するかどうかは我々次第だ。我々は文明を内在化させているだろうか? それとも、これは全て我々がたどってきたパターンにすぎないのだろうか?

多少の補強

この状況を評価するのは、率直に周囲を見回すだけで十分だと思う。ここで“悲観論者”役を演じるつもりはないが、多少の補強もあって良いだろう。そこで、西暦460年より少し前に、ローマ帝国で暮らしていたサルビアンという名の人物の文章から引用することにしよう。

経費が実感できなかったので、誰も国家支出について考えず、誰も国家損失について考えなかった。国家自体も、既に入手がほとんど困難になっていたものを、いかにして散財するかを追い求めてていた。既に限界を超えた富の山は、つまらないことにまで溢れ出ていた。

どこかで聞いたように思われないだろうか? サルビアンはこう続けている。

現在の状況について、一体何が言えるだろう? かつての豊穣は去ってしまった。以前の資源は消え去った。我々は既に貧困にあえいでいるのに、我々は浪費をやめようとしない。

サルビアンから、更に引用しよう。

国家が余りに酷い時代に遭遇しているので、不道徳にならない限り、人は安全ではいられない。

この最後の文章を念頭において、ジョン・コーザイン、ロイス・ラーナーや、ヒラリー・クリントンをお考え願いたい。

次に、ジュリアン・アサンジ、エドワード・スノーデンやチェルシー・マニングをお考え願いたい。

6人のうち一体誰が真実を語っているだろう? 彼らのうち一体誰がウソをついているだろう? 自らの行為で苦難を味わっているのは誰だろう? 味わっていないのは誰だろう?

未成年の少女達を追いかけることに没頭しているイギリスのエリート連中はどうだろう? 連中は一体いつ獄に送られるのだろう?

我々は、こうした体制が、正義と何か関係があるふりをし続けるべきなのだろうか? ある時点で、それは、ばつの悪いことになるのではあるまいか?

前にも書いたが、1960年代当時、私の周囲は、体制を改革し、生活を良くしようと尽力する善意の人々に満ちていた。そして現在、彼等が解決しようと献身したのと全く同じ問題が現代の問題だ。戦争、貧困、福祉、人種差別や、警察の蛮行、全く同じリストだ!

50年間の彼らの努力は全く無駄だったのだ。我々は無駄な作業を続けるべきだろうか? 何も達成できないことを称賛するのは、ある時点で、ばかげたことになるのではあるまいか?

たとえ…

この最後の点を明らかにすることが極めて重要だろうと思う。

たとえ、この体制が、あと一世紀崩壊しないにせよ、この体制内で行うことは全て無駄になる。

地球上の良識ある人々は、この蛮行よりも遥かに良い目にあうのに相応しい。

つい先頃、この考えを意識しながら、友人にこう書いた。

てっぺんから一番下まで腐れきっているので、“適切な時期”を待っている体制内“善玉”がいるなど私はもはや信じない。もうおしまいだ。

私は参加しない。私は連中を見放した。連中の政治には、決してエネルギーを浪費しない。人類にはもっと良い運命があるはずだから、良いものを建設する上で、自分の役割を果たすつもりだ。

この体制が最後に崩壊する際、私は決し涙は流さない。それはむしろ解放だ。

今後、私は新しいことを築き上げるが、過去のものからは絶縁する。

友人は、良い人物で、同意してくれた。

世界の善良で生産的な人々には、彼らのあらゆる動きを支配しようとする虐待的な支配者連中より、ずっとまともなものがふさわしく、しかも我々には十分それが可能だ。だが、現体制の権力者からの許可を待つのはやめるべきだ。連中が、連中の許可を得ずに行動することを許すことは決してない。

我々は自ら決断し、何かより良いものを作り始めなければならない。我々にはそれが可能で、この体制は、我々の努力に値しないのだ。

今や、始める好機だ。

Paul Rosenberg - www.freemansperspective.com

記事原文のurl:http://www.freemansperspective.com/wont-be-fixed/

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世界史にもうといので、ローマの滅亡といわれてもよくわからないが、属国民としては、宗主国、そういう状態にあって欲しいものだと思う。

記事に対するコメントで日本に触れているものがある。下記のような意味。ご参考まで。

東に位置する西欧たる日本は、枯れ葉の様に崩壊しつつある。

Paul Craig Roberts氏の記事『トランプを大統領に』冒頭に、ジェラルド・セレンテの言葉が引用されている。

トレンド・ジャーナルの今号で、ジェラルド・セレンテは、8人のアメリカ大統領候候補者達(彼が発行した時点の)を、“うそつき、腰抜け、変人と、ばか者”と表現した。

民を殺す国・日本 足尾鉱毒事件からフクシマへ』大庭健著 筑摩選書をよみ終えた。日本支配層の「構造的な無責任」 題名の足尾鉱毒事件から、フクシマにとどまらず、原発再稼動、TPP、戦争法案にいたるまで、しっかり続いている、と思う。

202ページ

国家による共同体の破壊

足尾は、国家による諸共同体の権能の、こうした吸い上げの極致でもある。その際立った象徴が、国家による堤防の破壊である。谷中村は、もともと川が氾濫しやすい沃土地帯に堤防をめぐらせてできた村落であり、堤防の護岸は、村民の絶対的ともいえる義務であった。ところが足尾の鉱毒で上流の山が禿山となって以来、村はしばしば大洪水に襲われ、一九〇二(明治三五)年には二度の洪水で堤防が決壊する。しかし県つまり内務省は、復旧工事を行わずに全村耕作不能の状態を放置し、やむなく村民は自力で水留めを行う。県は、翌春になって村民の要請によって工事にとりかかるが、「誰が見てもおざなり」で、堤防は工事途上のまま流失し、その翌年に再び復旧に着手するが、今度は、あろうことか従前からの護岸を削りとってしまう。
堤防が決壊に瀕した時には、真夜中であれ人手を出して共同で護岸にあたることは、村落で生きるかぎり、いわば絶対的な義務であった。しかし国家は、そのようにして村人が仮留めした堤防を守るどころか、むしろ削りとって、村落を氾濫に任せたのである。これはまさに、国家による共同体の破壊が行き着くところまで行った、極め付きの光景である。
 しかも、うんざりさせられることに、話はこれだけでは終わらない。時あたかも日露戦争直後であり、国家は、国民に兵役を要求した代わりに、戦死者には「名誉の戦死」という称号を、遺族にはなにがしかの弔慰金を与えた。谷中村からも五十数名が徴兵されたのだが、そのうちの一人の戦死者遺族に対して、国は、立ち退きの合意書に署名しないかぎり弔慰金を支払わない、という挙に出たのである。
洪水にさらされた村落共同体では、村のために護岸に協力するのが、いわば絶対的な義務であったが、あたかもその義務の延長上であるかのように、農民兵士は「お国のために」、見も知らぬ外国へ出征した。しかし、その堤防は国家によって削られ、あまつさえ召集されて戦死しても、国家の意のままに退去しないかぎり、支払われるべき弔慰金も支払われない。古河鉱山という一営利企業は「強兵」のための「富源」だとする国の政策によって、村落共同体はここまでの犠牲を強いられる。明治の日本は、ときには徹底的に村落共同体を掘り崩すことをつうじて、国民国家になりえたのだった。

TPPで農業から、医療に到るまで、国の全てを宗主国大企業にさしあげ、福島原発事故をさしおいて、戦争法案で、被害者家族をも、侵略戦争に出征させるであろうこの国、100年たっても構造は変わらない。満州を企画経営した祖父と、国丸ごとを宗主国の満州にした孫の違いはあるけれど。

日露戦争に徴兵され、出征時、そうした理不尽な扱いを弾劾する、出征見送り人への「答辞」を読み上げた神原勘之丞がいる。 (リンク先、ウクライナのISIL: ユーラシアに解き放たれたアメリカの“混乱の手先”の末尾に、その答辞を掲載した。)

神原勘之丞の末娘による講演「谷中村から移住した父神原勘之丞と私の戦争体験」は、8/30第43回渡良瀬川鉱害シンポジウム 10:00 野木町エニスホール大ホール『田中正造と野木の人々』の午後の部。

上記記事の筆者の決断、具体的に、どういうことなのか良くわからない。それは、『民を殺す国・日本 足尾鉱毒事件からフクシマへ』の著者の対策も同様。誠実であれば、簡単に提示できるわけがない。

255ページにはこうある。

見殺しにされる可能性に由来する不安を和らげ、レミングさながらの集団自滅を防ぐには、少なくともその勢いを弱めるには、どうしたらいいのだろうか。私には一般論として語れるような確たる提案はない。それでもしかし、これまでの考察から言えることは、こうである。原子力ムラを典型とする官産政学の複合体の独走を製肘し、その独走を支えてきた国家教の威圧に屈しないためには、国家-国民という縦の統合関係とは異質な、社会における水平的なコミュニケーションと連帯が不可欠である。

談話に屈しないためには、国家-国民という縦の統合関係とは異質な、社会における水平的なコミュニケーションと連帯が不可欠である。

下記はそうしたコミュニケーションと連帯の例だろうか?

8月5日(水)の山田正彦氏・内田聖子氏のハワイTPP閣僚会談緊急報告会の様子が映像アーカイブで見られる。大本営広報部とは全く違う報告。1時間53分。
https://www.youtube.com/watch?v=f75RdsNKo1k

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