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2008年8月

2008年8月30日 (土)

イラクは主権ある独立植民地?

Jacob G. Hornberger

08年8月26日

ブッシュ大統領とイラク首相ヌリ・アル・マリキとの間で、アメリカ軍がどれだけの期間イラクに駐留するのか、そして、当座の間、占領軍はイラクの法律に制約されるかどうかをめぐって行われている交渉を見ていると、おかしくてたまらない。

私の疑問はこうだ。一体なぜ、こんなことに交渉が必要なのだろう? 私はイラクは今や主権ある独立国家だと思っていた。アメリカ軍が、六年程前にイラクを侵略し、占領して以来ずっと、ブッシュ大統領とアメリカ官僚は、そう語り続けてきたのではなかったか?

そこで、もしもイラクが本当に主権国で独立国であるならば、アメリカ軍の撤退日や、イラクでアメリカ兵士が起こした犯罪行為をどのように処理すべきか等々をめぐり、なぜアメリカ合州国と何かを交渉する必要があるのだろう? なぜイラクは、アメリカ政府に対し、いつイラクから撤退する予定なのか尋ね、イラクにいる限り、アメリカ兵士の行為は、かくかくしかじかの処理をされるべきである、と単純に言ってすませられないのだろう? 主権ある独立国家として、なぜイラクは、イラク国内での、物事の進め方について、アメリカ政府の合意なり承認を必要とするのだろう? アメリカ政府が、アメリカ合州国内で何か行動する前に、外国政府の合意と承認を必要としているだろうか?

ブッシュ大統領とイラクの間の交渉が、真実は、そうでないことを表している。ブッシュ大統領とアメリカ官僚は、イラクのことを、征服した国で、今やアメリカ帝国植民地だと見なしている。これが、なぜ新アメリカ大使館が、バチカン市ほどもの規模の、大使館として世界最大級のものとなる予定なのかという理由だ。これこそが、なぜブッシュの軍隊が、この国を占領している間に、永久軍事基地を建設してきたのかという理由なのだ。

ブッシュの問題は、しかしながら、イラクの官僚は、自国をアメリカ帝国内の属国だとは考えていないということだ。事実、我々FFFは既に何年も指摘し続けているのだが、ブッシュ侵略は、過激派イスラム教徒の大アヤトラ、アリ・アル-シスタニの巧みな政治的な駆け引きの助力を得て、イラクに、過激なイスラム教政権をしつらえるのに成功したのだ。その政権は、ブッシュの大敵イランとさえ協調しており、特にイラクの官僚が、ブッシュは間もなく政治力を失い、テキサス州クロフォードの自分の大農場で芝刈りをする身であるのを知っている以上、アメリカによるイラク永久占領という、ブッシュの願望には同意しそうもない。

Mr. Hornbergerは、Future of Freedom Foundationの創設者で理事長。

記事原文のurl:www.fff.org/blog/jghblog2008-08-26.asp

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Future of Freedom Foundationなる組織も筆者も、どういうものか全く知らない。彼らが何者であれ、この文「イラク」を「日本」に置き換えても、最後を除けばそのまま。

折角なので、話題の「新テロ対策特別措置法」も入れてみた。

日本は主権ある独立植民地なのか?

私の疑問はこうだ。一体なぜ、こんなことに交渉が必要なのだろう? 私は、日本は今や主権ある独立国家だと思っていた。アメリカ軍が、六十三年前に、日本を占領して以来ずっと、歴代大統領とアメリカ官僚は、そう語り続けてきたのではなかったろうか?

そこで、もしも、日本が本当に主権国で独立国であるならば、アメリカ軍の撤退日や、日本でアメリカ兵士が起こした犯罪行為をどのように処理すべきか、新テロ対策特別措置法延長をどうすべきか等々をめぐって、なぜアメリカ合州国と何かを交渉する必要があるのだろう? なぜ日本は、アメリカ政府に対して、いつ日本から撤退する予定なのか尋ね、日本にいる限り、アメリカ兵士の行為は、かくかくしかじか処理されるべきである、新テロ対策特別措置法は期限切れです、と単純に言ってすませられないのだろうか? 主権ある独立国家として、なぜ日本は、日本国内での物事の進め方について、アメリカ政府の合意なり承認を必要とするのだろうか? アメリカ政府は、アメリカ合州国の中で何か行動する前に、外国政府の合意や承認を必要としているだろうか?

ブッシュ大統領と日本との間の交渉は、真実は、そうでないことを表している。ブッシュ大統領とアメリカ官僚は、日本のことを、征服した国で、今やアメリカ帝国植民地だと見なしている。これが、なぜアメリカ大使館が、バチカン市ほどもの規模の、大使館として世界最大級のものなのかという理由だ。これこそが、なぜブッシュの軍隊が、この国を占領している間に、永久軍事基地を建設してきたのかという理由なのだ。

ただし残念な事に、最後の部分はあてはまらず、大幅に変えないといけない。

その政権は、ブッシュの大敵ロシアなどとは決して協調せず、特に日本の官僚が、ブッシュは間もなく政治力を失い、テキサス州クロフォードの自分の大農場で芝刈りをする身であるのを知りながら、アメリカによる日本永久占領という、ブッシュの願望に進んで同意しているのが不思議だ。

08年8月刊ガバン・マコーマック著『属国』(凱風社刊)、イラクならぬ日本の本当の姿を描く名著。翻訳には、日本語版への序「日本はアメリカの属国なのか」が追加されている。この序も、読みごたえがある。

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2008年10月24日追記 日米間の地位協定密約にふれて、天木氏も書いている。

米国駐留に対する日本とイラクの違い

そう、2008年10月24日の各紙は報じている。日本に駐留する米兵の犯罪について、日米間の地位協定では裁判権を日本に認めたにもかかわらず、日本が裁判権を放棄した密約があった事実が、米国立公文書館で公開された文書で明らかにされた。

一方、イラクの安保条約、いまだに難航している。日本とイラク、属国としてトップを競えるが、従順度、金銭貢献度の「金メダル」は断然日本。似非二大政党での政権移行後には、傭兵人身御供も始まる。

日本良い国、強い国、世界に一つの(キリスト教の)神の国の属国

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関連記事翻訳:

アメリカ、軍撤退に関するイラク国民投票に反対

追記:2010/5/25

最後の部分を含め大幅に変えないといけない。

日本は主権ある独立植民地なのか?

私の疑問はこうだ。一体なぜ、こんなことに交渉が必要なのだろう?
私は、日本は今や主権ある独立国家だと思っていた。アメリカ軍が、六十四年前に、日本を占領して以来ずっと、歴代大統領とアメリカ官僚は、そう語り続けて
きたのではなかったろうか?

そこで、もしも、日本が本当に主権国で独立国であるならば、アメリカ軍の沖縄撤退や、日本でアメリカ兵士が起こした犯罪行為をどのように処理すべきかをめぐって、なぜアメリカ合州国と何かを交渉する必要があるのだろう?
なぜ日本は、アメリカ政府に対して、いつ日本から撤退する予定なのか尋ね、日本にいる限り、アメリカ兵士の行為は、かくかくしかじか処理されるべきである、「未来のための変革と再編」は止めましょうと単純に言ってすませられないのだろうか?
主権ある独立国家として、なぜ日本は、日本国内での物事の進め方について、アメリカ政府の合意なり承認を必要とするのだろうか?
アメリカ政府は、アメリカ合州国の中で何か行動する前に、外国政府の合意や承認を必要としているだろうか?

オバマ大統領と日本との間の交渉は、真実は、そうでないことを表している。オバマ大統領とアメリカ官僚は、日本のことを、征服した国で、今やア
メリカ帝国植民地だと見なしている。これが、なぜ東京にあるアメリカ大使館が、大規模の、大使館として世界最大級のものなのかという理由だ。これこ
そが、なぜオバマの軍隊が、この国を占領している間に、永久軍事基地を建設してきたのかという理由なのだ。

その政権が、オバマの大敵ロシアなどとは決して協調せず、日本の官僚がアメリカによる日本・沖縄永久占領という、オバマの願望に進んで同意しているのが不思議
だ。

2008年8月29日 (金)

事実?作り話? なぜチェイニー側近が戦争前にグルジアにいたのか?

James Gerstenzang

08年8月27日 "LA Times"

チェイニーの側近が、戦争開始前にグルジアにいた。グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの軍隊が、反グルジア政府の南オセチア人と、更にはロシア軍との悲惨な戦闘へと至った戦闘を始める直前、ディック・チェイニー副大統領の国家安全保障担当側近は、グルジアで一体何をしていたのだろう?

副大統領府によると、読者が想像されるようなことではない。読者のご想像が、チェイニーがグルジアの軍事作戦に賛同していた、などということを念頭におかれているのであればだが。

確かに、ロシアに立ち向かうという話題であれば、現政権中でチェイニーは強硬論の先導者だ。父ブッシュ大統領政権の間に冷戦が終了した際、ペンタゴンを指揮していたこの人物、モスクワとの対決を再開する覚悟ができていると思われているほどだ。

チェイニー自身は、アメリカ政権の支持を誇示すべく、回想録署名のため、先週、在ワシントン・グルジア大使館を訪問した。

そう、確かに、チェイニーの国家安全保障問題次席補佐官ジョセフ・R・ウッドは、戦争が始まる直前、グルジアにいた。

ただし、副大統領府によれば、彼がそこにいたのは、発表されたばかりの副大統領グルジア訪問の準備をするチームの一員としてだったという。(ホワイト・ハウスが、大統領や副大統領の訪問旅行の前に、準備をしたり、日程を調整したりするために、警備、政策、通信、広報担当者を派遣するのは普通のことだ。)

ホワイト・ハウスは月曜日、チェイニーが、来週レイバー・デー(9月第1月曜)共和党全国大会での演説を済ませ次第、アゼルバイジャン、グルジア、ウクライナとイタリアに急行する予定であると発表した。

つまり、アメリカの安全保障担当職員らが、戦争が始まる数日前にグルジアにいたのは、副大統領府チームとしてだったのだ。

副大統領府によれば、冷戦再開を示唆するものだという見方もある今回の軍事作戦とは、全く無関係である。

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この記事、下記で読んだ。

www.informationclearinghouse.info/article20630.htm

驚いたことに、嘘ではなく、本当に載っている!LA Times記事のurl:

latimesblogs.latimes.com/presidentbush/2008/08/georgia-war.html

LA Times記事には、現時点で、18個のコメントが書かれている。(information clearinghouseでは48個)

いずれも公式発表には懐疑的。是非お読み頂きたい。

宗主国であれ、属国であれ、国こそ違え、商業マスコミより、読者の方が正気なのだろうか。

2008年8月27日 (水)

オバマ、アメリカの支配エリートを安心させるべくバイデンを選択

パトリック・マーチン

2008年8月25日

ジョセフ・バイデン上院議員が、民主党副大統領候補者に選出されたことは、民主党の大統領予備選挙活動の欺まん的性格と、二大政党大統領選挙制度そのものの非民主的性格を強調するものだ。「変化」の主唱者と思われている、民主党大統領候補バラク・オバマが、副大統領候補として、アメリカ帝国主義と大企業の利益に対する折り紙付きの守護者、六期にわたるアメリカ上院議員、ワシントン既成権力集団の常連を選んだのだ。

バイデンが副大統領候補者に選ばれたお披露目に、ここ三日間マスコミの注目がエスカレートし、ついには、土曜日早々のメール・テキストによる発表と、イリノイ州、スプリングフィールドでの出陣式に至った様は、オバマ選挙運動そのものの暗喩だ。彼が大統領候補になったのは、下からの反乱ではなく、インターネット技術や、俗受けのするマーケティング・テクニックを用い、迎合的マスコミの助力を得て、全く従来通りの、アメリカ支配層エリートの要求に調和する政治結果を生み出すため、大衆の感情を操作しようという努力によるものなのだ。

巨大な二政党の一方の中で、副大統領候補者を選出するには、様々な組織勢力間で、複雑なバランスをとる活動が必要だったのは、遠い昔のことだ。民主党の場合には、労働組合幹部、人権団体、議院のリーダーたちや、特に有力な州や都会の政党機関幹部と、相談することが必要だった。

現代、どちらの党もしっかりした大衆的基盤を持っているわけではない。いずれの党も、実際には、たった一つの本当の「支持層」しかない。経済と政治を牛耳り、マスメディアを支配し、その利害で、海外および国内両方の政府政策を決定する金融特権階級だ。選挙人投票数が、わずか三票しかない小さな州の上院議員で、彼自身の大統領候補としての努力は、大衆の支持の欠如から、惨めに失敗したバイデンが選ばれたことは、政治権力集団全体と一般大衆アメリカ人とを隔てている広大な裂け目を強調するものだ。

オバマが、バイデンを選んだということは、秋の選挙運動で、大統領選挙という目的のために、どのような大衆向けの美辞麗句が使われようと、ひたすら支配層エリートの富と特権と、アメリカ帝国主義の地政学-戦略的目標だけが、民主党政権の関心事だということの保証になろう。

支配体制の人

バイデンは、30年間にわたって、政治権力中枢における要人である。彼は、1972年、デラウエア州から初めてアメリカ上院議員として選出されたが、当時はリチャード・ニクソンが大統領で、オバマは11歳だった。以来、彼は七代の政権を通じて、議席を確保してきた。彼は二つの最も重要な上院委員会の委員長を勤めた。最高裁判所を含め、裁判所の就任指名を吟味する法務委員会、および上院外交委員会だが、後者では、バイデンは、2001年から2002年まで、そして民主党が2006年の選挙で上院多数派を再度得た後、再び、委員長を勤めている。バイデンは20年前と、今年再び、大統領選挙に出馬した。

1990年代、ビル・クリントンがホワイト・ハウスの主でいた間、バイデンは、旧ユーゴスラビアに対するアメリカの介入の主な提案者の一人だった。彼は昨年刊行された、彼の大統領選挙運動用自伝の中で、この役割を、海外政策において最も誇りに思う実績だと書いている。1990年代中頃、彼は、セルビアに対抗すべく、ボスニアのイスラム教政権に、アメリカが武器供与をするよう呼びかけ、1999年のコソボ危機時には、セルビアに対するアメリカの直接攻撃を擁護し、志を同じくする共和党上院議員と協力して、セルビアに対して「必要なあらゆる武力」を使う権限をクリントンに与える、マケイン-バイデン・コソボ決議を実現させた。

この立法提案は、イラクに対して戦争を遂行する権限をブッシュに与える2002年の上院決議の模範となっている。そこでは、バイデンは共和党上院議員リチャード・ルーガーと共に提案を提出していた。ブッシュ政権は、それがイラクから大量破壊兵器のみを駆逐することに限定されていた為に、バイデン-ルーガー決議に反対し、民主党が多数派を占める上院で、より広範な戦争決議を採択するよう、まんまと働きかけ、それに対して、バイデンは賛成票を投じた。

国内政策では、バイデンは、冷戦時代にまでルーツをさかのぼる従来型のリベラルだ。彼は、時折、貧者や虐げられた大衆に対する関心、労働組合幹部との親密な関係についての一般大衆に向けた決まり文句と、利益システムに対する手放しの擁護を組み合わせている。他のあらゆる上院議員同様、彼は、自分の州デラウエア州を本拠として活動し、2005年にバンク・オブ・アメリカに買収されるまで最大の独立クレジット・カード発行業者だったMBNAを含めた大企業の利益の「世話をしてきた」。

そういう立場から、バイデンは、MBNAのような企業が活用する、不正で紛らわしいマーケティング戦術によって、いっそう悪化させられている借金の重荷から、労働者階級や中流階級の家族が抜け出すことを更に困難にした、反動的な2005年消費者破産法見直し法案の、民主党議員として最も熱心な支持者の一人だった。2005年の法律は、差し押さえを逃れようとしている行き詰まった自宅所有者の問題を悪化させた。

バイデンは、上院討議の間、この破産法を擁護し、ジョン・ マケインを含む圧倒的大多数の共和党議院と共に、同法案に賛成した。オバマはこの法案に反対し、2008年の選挙運動の間、労働者家族に対する懲罰的な対策だとして、繰り返し攻撃してきた。

MBNA社員は、バイデンの過去二十年にわたる選挙運動において、最大の資金支援者だった。2003年、MBNA社は、この上院議員の法学大学院を卒業したばかりの息子ハンター・バイデンを雇い入れ、あっと言う間に彼を上級副社長に出世させた。(アメリカ上院議員の標準から見れば、彼の父親は裕福ではないが、ハンター・バイデンは今やヘッジ・ファンドの大富豪になっている。)

バイデンは、時折、オバマより、若干リベラルな立場をとってきた 最近では、政府による電話会話と電子メール監視の大規模な拡張を承認し、そのような不法なスパイ行為に過去七年間協力してきた巨大通信企業に、法律的な免責を与える法案(オバマはこれを支持している)に反対した。しかし彼はアメリカ愛国者法の熱烈な支持者であり、今回の民主党大統領予備選挙運動中、彼の論敵からの批判に対して、愛国者法を擁護していた。

バイデンとイラク戦争

オバマ上院議員が、民主党の指名競争で、ヒラリー・クリントンを圧倒した大きな原因は、彼女は2002年10月に、イラク戦争を是認する賛成票を投じたが、一方で、当時はアメリカ上院議員ではなかったオバマは、戦争をするという判断に、口頭で反対していたということによる部分が大きい。政治的経歴上のこの差異は、2005年1月上院議員となってからのオバマ記録は、クリントンのそれと、ほとんど区別しようがないにもかかわらず、反戦気分に訴えるべく、オバマの選挙運動で活用された。

イラクにかかわるバイデンの経歴は、彼が副大統領候補として選出されたことを、いっそうcynical、つまり、彼は大半の民主党上院議員よりもずっと長い間、この戦争の熱心な支持者だったのだから。更に100,000人のアメリカ兵の派兵や、イラクを、かつてのユーゴスラビアの範に習って、恐らくは、支配がより容易であろう、スンナ派、シーア派とクルド族の小国に分割することを含め、戦争に勝つため、劇的な暴力レベルの強化策を彼は支持していた。

2003年3月、アメリカによる、いわれのない侵略を開始する準備段階で、バイデンはブッシュ政権のプロパガンダに同調した。2003年2月のコリン・パウエル国務長官の悪名高い国連安全保障理事会への登場直後、上院外交委員会公聴会でバイデンは、まくしたてた。「私はあなたと知り合いであることを誇りに思います。あなたの立場、あなたの評判、そしてあなたの品位ゆえに、誰よりも良い仕事をなさったと考えています...」今ではパウエルのイラク非難における、あらゆる主要項目が誤っていたことが証明されている。

大量破壊兵器や、アルカイダや9/11攻撃に対するイラクの結びつきにまつわるブッシュ政権の嘘が暴露されると、バイデンは、戦争に対する大衆の支持を維持するための十分な論理的根拠を見つけ損ねた、ブッシュ政権の失敗に対し、ますます懸念を表すようになった。

アメリカ人に対して、戦争を効果的に売り込みそこねた、ブッシュ政権の過ちを嘆き悲しんでいる。2005年6月、ブルッキングス研究所での演説で彼は宣言した。「私はアメリカの大統領がイラクで成功するのを見たいのです...彼の成功はアメリカの成功であり、彼の失敗はアメリカの失敗なのです。」

バイデンは、特に、戦場の現実と食い違う、ペンタゴンやホワイト・ハウスが発表する、イラクではすぐに成功できる、というバラ色の予測に批判的だった。「この食い違いが、悲観的な考え方に油を注ぎ、わが軍隊がその任務を果たせるよう、我々が与えるべき最も重要な武器、つまり、アメリカ人による不屈の支持を浸食しているものと考えます。支持は衰えつつあります。」

世論が決定的に戦争反対であることが判明すると、ようやくバイデンはエスカレーション支持から、アメリカ軍の限定的撤退へと立場を変えた。ワシントン・ポスト紙の2005年後半のあるコラムは、デラウエア州選出古参上院議員の見解と、イリノイ州選出新人上院議員バラク・オバマの見解の収束について触れ、バイデンを「サダム・フセインに対するアメリカの介入に対する、初期からの変わらぬ支持者」と書いていた。

2006年11月に民主党が再び上院の多数派を占めると、バイデンは上院外交委員会の委員長となり、上院民主党が、ブッシュの「増派」政策に降伏する上で、重要な役割を演じた。何百万人もの反戦投票者は、戦争を終わらせようと民主党に票を投じたが、ホワイト・ハウスは逆に戦争をエスカレートさせ、民主党は全く意気地がなく、結局は賛成した。

民主党が多数派を占める上院は、戦争の遂行に対する遠慮がちな制限をブッシュが拒否した後に、意気地なく屈伏し、2007年5月には、イラクとアフガニスタンにおける軍事作戦に対する全額支出の法案を通した。クリントンやオバマを含む、何人かの民主党上院議員が、資金調達法案に、抗議として反対投票すると、バイデンは、軍の安全を傷つけるものだとして、彼らを強く非難した。

この重要な投票から二週間後、バイデンは、戦争を終わらせようとして「我々は毎日、自分の首を折ろうとしている」と主張して、民主党議会の反戦論者を非難した。彼は言った。かなりの数の共和党上院議員が離脱して、ブッシュの拒否権を覆すのに必要な三分の二の多数派ができるか、あるいは民主党の大統領がホワイト・ハウス入りするまで、戦争には終わりなどない。「我々が67票を得られるまでは、あそこにいる軍隊の安全のために資金を拠出する。」と彼は宣言した。

その頃には、民主党大統領候補選はかなり進んでおり、バイデンは、ほとんど支持を得られず、代表人も得られなかったが、政治的には重要な役割を演じた。World Socialist Webサイトは、2007年8月の候補者討論の後、こう記した。「バイデンは、最も嬉々として、反戦感情を公的になじる民主党大統領候補者、という得意の分野を開拓した。」

討論の過程で、バイデンは、迅速に撤退すると脅せば、アメリカ政府は、イラクの政治家たちに、否応なしに、バグダッドに安定した政府を作るよう強いることができようと主張する人々を、攻撃した。彼は「ここにいる人々が生きているうちに、イラク人がまとまり、バグダッドに、国を一つにまとめるような統一政府ができる可能性があるかのようないかなる幻想も」非難した。「そうなことになりはしないのです.... ここにいる人々が生きている間には、そういうことなどおきないのです。」言い換えれば、アメリカ占領を、永遠に続けねばなるまいということだ。

過去数日にわたり、民主党幹部やメディアから、無数の示唆があったが、論争で激しく対立するというバイデンの評判を考えると、彼が選出されたのは、オバマ選挙運動側が、より攻撃的態度に出ることを暗示している。経歴からして、バイデンは、オバマ選挙運動への反戦派評論家に対する「かみつき犬」として登用されたという可能性が極めて高い。

この事実から、ネーションといういわゆる「反戦」誌は、卑劣にも、バイデンを受け入れるに至っている。ワシントンの左翼リベラル雑誌編集者であるジョン・ニコルズは、バイデンを選んだことは「まずまずの結果であり、恐らくは、偉大な副大統領選択の満足すべき結果とさえ言え」、票をオバマの方に呼び戻せる可能性がでたと書いている。

土曜日のスプリングフィールドにおける出陣式に触れ、ニコルズは、まくしたてた。「バイデンが、勢いよく、そう、オバマの選挙演説に欠けていた毒をもって、ジョン・ マケインを追求してくれれば、それはパンチをくらうよりは、パンチを繰り出す用意ができている選挙運動を待っていた軍団にとって、強壮剤となろう。」

この反応は、アメリカ合州国の労働者が直面する政治危機に関する根本的な真実を確認させてくれる。まず、民主党という拘束衣から抜け出ることなしには、アメリカ帝国主義や、その社会の反動化と戦争という計画に対し、真面目な戦いを行うことは不可能だ。

アメリカの支配者エリートにとって、誰が今後四年間、自分たちの全軍最高司令官になるのかを決定する、オバマ-マケインの競争の結果に、労働者は何の利害関係もない。労働階級が直面する課題は、二大政党制度から決別して、社会主義と国際協調主義に基づく、独立した政治運動を立ち上げることだ。

下記も参照:
Leading Democratic
presidential candidates disavow rapid Iraq withdrawal

[August 21, 2007]
Iraq escalation heightens
political crisis in Washington

[January 13, 2007]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/aug2008/bide-a25.shtml

2008年8月25日 (月)

シェーネマン、イラクとグルジア

Robert Dreyfuss投稿

2008年8月21日

The Nation

ロシアとグルジアとの間の戦争に、ちょっとした息抜きがあるとすれば、それはジョン・ マケインの外交政策主席顧問、ランディー・シェーネマンのこの発言だ。「21世紀には、国家は他の国家を侵略しない。」アメリカで、No. 1のイラク侵略論者で、2002年には、ネオコンが考え出した「イラク解放委員会」のトップだったシェーネマンの口から聞かされるとは、お笑いではないか。ひよっとすると、シューネマンは、アメリカのイラク侵略は、前世紀に起きたと考えているのだろう。

しかし、笑っていられないのは、シェーネマンのグルジアとのつながりだ。誰も憤激しないのだろうか? なぜマケインの顧問の、もつれた関係に関する議会調査が行われないのだろう?

マケインの主席顧問が、重複して同時に、南オセチアのロシア陣地に対する無分別な攻撃によって、第一級の、あからさまなアメリカ同盟「ならずもの国家」であることを立派に示したグルジアともつながっていたというのは、笑い事ではない。最も重要なのは、シューネマンがかつて働いていたロビー会社、オライオン・ストラテジーズが、2004年から、シェーネマンが少なくとも公式には、最終的にその会社とのつながりを切る2008年5月15日までの間に、グルジア政府から、少なくとも800,000ドルを受け取っていたことだ。それ以前、2007年1月1日から、2008年5月15日まで、シェーネマンは公式に、グルジアのロビイストとマケインの主席顧問との、両方の給与支払い名簿に載っていた。この間グルジアはオライオンには、290,000ドル、マケインは彼に70,000ドル支払っている。

実に、シェーネマン経由の、素晴らしいイラク-グルジア・コネクションがあるわけだ。オライオン・ストラテジーズの事務所は、ネオコンが考え出し、個人的にマケインとシェーネマンの両方と親しかった、いかさま師アフメド・チャラビが設立した、イラク国民会議、そして、イラク解放委員会と住所が一緒なのだ。これらの組織は皆、一つの、巨大な、戦争を立ち上げる住所にあった。

シューネマンは、彼の会社オライオン・ストラテジーズが、旧ソ連ブロックのメンバー十カ国がイラク侵略を支持するよう仕組んだ際に、これら全てを、一つの大きな束にまとめ上げた。ケン・シルバーステインが、ロサンゼルス・タイムズで報じているところによると、オライオンは「昨年東欧10ヶ国が、アメリカの侵略を是認した」際、最大の成功を収めた。「ヴィリニウス10」として知られているこれらの国は、「ヨーロッパは、サダムの血まみれの政権を終わらせるという責務で、団結している」ことを示したと、当時、シェーネマンは語っていた。「USニューズ・アンド・ワールド・リポートによれば、オライオンはラトビア、マケドニアと、ルーマニアのロビーも請け負っている。

今年4月17日、マケインが、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリと電話会談をしたと言ったのと、まさに同じ日に、シェーネマンのビジネス・パートナー、マイケル・ミッチェルは、グルジアのロビーを請け負う、200,000ドルの別契約に署名した。マケインは、サアカシュヴィリに、契約に署名するようあおったのだろうか? シューネマンとミッチェルは、サアカシュヴィリに、グルジアを支持してくれるよう、マケインにロビーするようあおったのだろうか? ポスト紙は、サアカシュヴィリへの呼びかけに、シェーネマンがマケインを、「準備させた」のだと報道している。これは疑いの余地なく、明白な利益相反であり、これは恐ろしいことに、あるいは、アメリカ合州国を、世界の中でも不安定なあの地域における、もう一つの戦争に引きずり込みかねないものなのだ。

マケインは、シェーネマンのならずもの共和国とのつながりを擁護しただけでなく、タイムズによると、マケイン選挙運動本部は「シェーネマン-グルジアのロビーのつながりは、ロシアのために仕事をしている広告会社によって、記者たちの知るところとなった」と非難した。マケインは勇敢にも、こう語った。「今日、我々は皆グルジア人だ。」しかし、我々全員が、そのために謝礼をもらっているというわけではない。

これまでのところ、民主党全国委員会と、オバマ選挙運動本部の両方が、シェーネマンとのつながりに対し、マケインを非難している。しかし、関係者を喚問し、宣誓供述をさせることができる、直接的な法的な異議申し立て、あるいは議会調査、のいずれにも向かう勢いはなさそうだ。

記事原文のurl:www.thenation.com/blogs/dreyfuss/347062/scheunemann_iraq_and_georgia

2008年8月23日 (土)

いっそNATOを廃絶しては?

Prof. Rodrigue Tremblay

2008年8月20日

thenewamericanempire.com

        [NATOの目標は] ロシアを締め出し、アメリカを呼び入れ、ドイツを弱体化することだ」
初代NATO事務総長、イズメイ卿

        「グルジアの安全保障を評価し、この極めて危険な状況の安定化に貢献するためにNATOがとれる手段を検討する目的で、北大西洋条約機構理事会の会合を即座に招集すべきだ。」
ジョン・ マケイン上院議員(2008年8月8日)

        「もし我々が先制して、ロシアと、グルジアと、協力し、NATOが能力をもち、駐留し、関与できるようにしていれば、恐らくこれ[グルジアによる南オセチア侵略と、それに続くロシアの反撃]を防ぐことができただろう。」 
元上院多数党院内総務で、バラク・オバマ上院議員の顧問、トム・ダシュル(2008年8月17日)

        「公衆の自由に対するあらゆる敵の中で、戦争こそが、おそらくは最も恐れられるべきだろう。なぜなら、それこそが他のすべての根源を、構成し、生み出すものなのだから。」
第四代アメリカ大統領、ジェームズ・マディソン(1751-1836)、

北大西洋条約機構(NATO)は冷戦の遺物の一つだ。西欧諸国に加え、カナダとアメリカ合州国をソ連の侵略から守るための防衛同盟として、NATOは1949年4月4日に創設された。

1991年以後、ソ連帝国は最早存在せず、ロシアは経済的に西欧諸国と協力し、ガスと石油、更にあらゆる種類の商品を供給してきた。これによりヨーロッパの経済的な相互依存が増大し、従って、ヨーロッパ各国の国防軍を超越する、そのような防衛用軍事同盟の必要性は大いに低減した。

しかしアメリカ政府はそういう見方をしていない。アメリカは、ヨーロッパの上位にある保護者かつ世界唯一の超大国という役割を確保していたいのだ。NATOは、その目的のために便利な道具なのだ。しかし、片手にはガソリンの缶を、もう一方の手にはマッチの入った箱を持って、世界中を回り、火災保険を売りつけるふりをする連中に対して、世界は懸念すべきなのかも知れない。

現時点では、アメリカ政府とアメリカ海外政策の重鎮たちは、NATOを、世界中に対するアメリカの海外介入政策にとっての重要な道具とみなしているというのが現実だ。多くのアメリカの政治家は、もはや現実の国連を、世界平和の維持に専念する最高の国際機関として支持しておらず、彼らの目からすれば、アメリカが支配するNATOの方が、それがなければ、違法で、攻撃的な世界中での軍事事業に対する、合法的な隠れ蓑となってくれる、最も魅力的な国連の代替物だ。彼ら、アメリカは安全保障理事会における五つの理事国の一国でありながらも、国連で妥協を強いられるよりは、たとえ重複する一機関となったにせよ、NATOのように小さな組織を完全支配する方を好んでいるわけだ。

これこそが、アメリカ海外政策の融通の利く道具へと一変させるため、NATOを作り直し、新たに方向づけし、拡大しようという提案の背後にある、強固な根拠だ。これは重複する機関には、それなりの意味・役割があるという証明の一つだ。事実、この組織がそもそも最初そのために設立された目的が、もはや存在しない以上、この組織を存続させるために、新たな目的がでっちあげられたのだ。

NATOについて言えば、世界のそれ以外の諸国に対して、アメリカ帝国主導の、強化された、攻撃的な政治、軍事同盟へと作り替えるのが計画だ。計画によれば、NATOは、ワルシャワ条約加盟国のほとんどの国々を含む中東欧地域(ポーランド、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、そしてハンガリー)に拡大するのみならず、多くの旧ソ連共和国(エストニア、リトアニア、ラトビア、グルジア、そしてウクライナ)だけにとどまらず、更には日本、オーストラリア、ニュージーランド、韓国をふくむアジア、および、恐らくは中東のイスラエルも加入を認めるだろう。現在、元々は加盟国が12だったNATOは、加盟国が26もある組織へと急成長した。将来、もしもアメリカが思い通りにできるなら、NATOは加盟国40という組織になりうる。

アメリカ合州国では、共和党も民主党も、古いNATOをこの新しい攻撃的軍事同盟に作り替えることを、世界中で、アメリカと、イスラエルのような、近しい同盟国の権益を増大させるための、良い(ネオコンの)考え方だと見なしている。これは、ネオコンのブッシュ-チェイニー政権のみならず、ジョン・ マケイン上院議員とバラク・オバマ上院議員という、二人の2008年アメリカ大統領候補者についているネオコン顧問たちまでもが、熱心に推進している考え方だ。実際、2008年の大統領候補者は二人とも、熱心な軍事介入主義者なのだが、これは本質的に、二人とも同じネオコン陣営出身の顧問に依存しているためだ。

たとえば、ブッシュ-チェイニーらが、旧ソ連共和国のグルジアに、無鉄砲にもNATO加盟や、アメリカの軍事支援や補給という約束をせいているのが、ワシントンD.C.でアメリカの二大政党が、NATOのことをどう考えているのかを示す好い例だ。第一に、共和党大統領候補ジョン・ マケインは、ネオコンが思いついた、事実上国連を置き換え、それを通して、アメリカ合州国が世界を支配する「民主主義連盟(League of democracy)」をもとに組み立てられる新世界秩序をもくろんでいる。第二に、バラク・オバマ上院議員の立場は、マケイン上院議員の海外政策案とさほど変わらないということだ。実際、オバマ上院議員は、たとえそうすることで、国連を無視しなければならなくとも、地域的危機に対し、「人道的な目的」の為に、アメリカ軍を使用し、多国籍軍事介入することを支持している。従って、もしも彼が大統領になれば、オバマ上院議員が、マケイン上院議員の世界観を採用することに何ら良心の呵責など感じまいことは確実だ。たとえば、いずれの大統領候補も、NATO条約から「第一撃」をしないという条項を削除することをおそらく支持するだろう。どちらの政治家がホワイト・ハウス入りしようと、世界は更に無法になり、更に安全でなくなり、無法のブッシュ-チェイニー政権の元で進歩しなかったのと同様、進歩もしないことが当然と考えるほうが良さそうだ。

しかしながら、NATOにとって、この新たな攻撃的や役割が、果たしてヨーロッパ諸国やカナダの利益になるかどうかは、はっきりしない。特に西欧にとって、ロシア、そしておそらくは中国との冷戦復活に対して、恐れるべきことは無数にある。北大西洋の防衛的軍事組織から、アメリカが率いる世界的な攻撃用軍事組織へというNATOの変質は、世界中で深刻な国際的、地政学的結果をもたらすだろうが、特にヨーロッパへの影響は甚大だ。ヨーロッパは、ロシアに強い経済的関心を抱いている。それなら、なぜロシアのすぐ戸口までNATOを拡張し、ミサイル網をロシアのすぐ隣にまで設置する、軍事的ロシア包囲というブッシュ-チェイニー政権の攻撃的政策に乗るのだろう? ヨーロッパにとっては、ロシアと平和な経済的、政治的関係を築く方が良いのではあるまいか? なぜ次の戦争を準備するのだろう?

カナダについて言えば、ネオコン少数派のハーパー政権の元で、外交問題に関する限り、悲しいことに、事実上の、アメリカ植民地となっているが、それも、この趣旨に関する、カナダ内での真面目な討論も国民投票も無しでだ。カナダが、決してやってはいけないのは、この地雷が敷きつめられた道を更に突き進むことだ。

結論としては、武力外交と砲艦外交への回帰を支持することにより、平和、自由貿易と、世界秩序の基礎としての国際法の実現という人道主義者の考え方は放棄されたもののように見える。これは100年もの逆行だ。

実に遺憾なことだ。

Rodrigue Tremblayはモントリオール大学の経済学名誉教授であり、[email protected]で連絡がとれる。彼は「新アメリカ帝国」 'The New American Empire'の著者。

著者のblog: www.thenewamericanempire.com/blog.

著者のWeb: www.thenewamericanempire.com/

Dr. Tremblayの近刊書"The Code for Global Ethics"については、www.TheCodeForGlobalEthics.com/で確認できる。

記事原文のurl:www.thenewamericanempire.com/blog

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日米安全保障条約の内容をはるかに踏み越えた、在日米軍再編、イラク侵略に協力する空自派兵、アフガニスタン侵略支援のシンボルとしての給油、民主党小沢党首のいうISAF参戦、等々、すべては、このアメリカの世界遠征軍としての、NATOの改変という、アメリカの国連回避政策のもとで進められているのだろう。

マスコミは、小選挙区、二大政党、憲法破壊を推進する一方で「いっそ安保条約を廃棄したら?」と、書くことはありえない東の傀儡国家に暮らす者として、西の傀儡国家グルジアを笑ってはいられない。

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2008年8月21日 (木)

恐ロ病の政治解剖学:なぜ対ロシア冷戦なのか?

Justin Raimondo

2008/8/19

ソ連帝国の崩壊から20年ほど後になって、なぜ、場所もあろうに、ポーランドに迎撃ミサイル基地をおきたがるのかという疑問に対するアメリカの説明など、アメリカ人でさえ信じはしない。この発想、ワシントンによれば、イランからの攻撃という脅威なるものからポーランド人を守るのだという。イランは、まだワルシャワに対するいかなる敵意も示しておらず、実際には、この新システムが迎撃しようとしている類のミサイルをまだ所有していない

「迎撃ミサイル防衛システムは、現在存在していないものに向けられていると聞かされている。控えめに言っても、これが滑稽だとは思われないだろうか?」というプーチンの不愉快そうな対応が、先週、グルジアの南オセチア侵略に対するロシアの反撃で最高潮に達したいらだちの姿を示している。ビル・クリントンがバルカン半島を侵略し、ユーゴスラビアという胴体からコソボを切り取って以来、信じられないほど忍耐強いロシア人は、長年のいやがらせ、侮辱、クレムリンに向けられた、ますますあからさまになった喧嘩腰に、じっと耐えてきた。それでも彼らは西側と通常の関係を保とうと努めていた。転機を迎えたのは、アメリカがグルジアの南オセチア侵略を支持し、国連が認可した平和維持軍の任務についていたかなり多数のロシア兵の殺害を、暗黙のうちに正当化したつい最近のことだ。

イラクにおけるアメリカの大災厄の準備期間中、ロシア指導部がこの戦争へ向かう動きに反対し、国連を使って、イラクのために時間稼ぎをし、この大惨事を合理化した嘘っぱちをあからさまにあざけった時以来、主戦論者はプーチンにつらくあたってきた。2003年春、鳴り物入りの「大量破壊兵器」捜索が、進んで騙された有志連合にとってすら耐えがたい厄介の種となった時、プーチンは、ロンドンでのトニー・ブレアとの記者会見で言い放った。

「二週間たっても大量破壊兵器は発見されていない。問題は、サダム・フセインはどこにいるのかだ? もしも存在したというのなら、その大量破壊兵器は一体どこにあるのだろう? サダム・フセインは、掩蔽壕で、大量破壊兵器の入ったケースに座って、その場所をすっかり吹き飛ばそうとしているのだろうか?」

ブレアは「険しい表情」でその場に立っていたと、ロンドンのタイムズ紙は書いた。なんとも素晴らしい光景だったに違いない。イギリス人の性格を考えれば、それだけでもロシア人指導者を決して許さない理由になるが、プーチンに向けられた西側の敵意は、イラク戦争に先立つものであり、このロシア人指導者の個人的性格に根ざしている。

プーチンの前任者ボリス・エリツィンは、西側にとって楽だった。権力の座にあった大半の期間、常に酔っぱらっていた、かつて二流の共産党政治局員だった人物が、共産主義崩壊の衝撃でいまだに動揺している、危機に見舞われた自国を、奇妙な経済とも呼ぶべき突貫計画に突入させ、予想通りの結果をもたらしたのだ。

「非常に奇妙な世界」とは、思い出して頂きたいが、全ての自然法則がひっくり返しになっており、常識が逆立ちしていて、異なる展開をする世界のことだ。上は下で、右は左で、入札の落札者は、我々が暮らす世界のように一番高い値付けをした入札者でなく、一番安く値付けをした入札者なのだ。

この最後の例は エリツィン政権のもと、彼の指示によって起きたことに、そのままぴったり当てはまる。政府、および/あるいは共産党がかつて所有していた財産の「入札」では、必ずしも一番高い値を付けた人々ではなく、ボリス皇帝の宮廷で最も政治的影響力を持った連中が落札するのだった。エリツィンは、国家の財産を安く、しばしば一番安い値を付けた入札者に売り渡した。入札者が一人しかいないことさえ頻繁にあった。このようにして、旧共産党から旧共産党幹部の子弟たちに、国有財産の管理が手渡され、ビル・ゲーツというよりはアル・カポネの類にずっと近いとは言え、彼らは今や「ビジネスマン」となった。

石油部門、銀行、電力網、アルミニウム、貴金属、自動車のような大物製品といった国家の産業の大半を掌握し、これら「オリガルヒ」と呼ばれるようになった連中が権力の座についた。自分たちの地域や、産業全体にわたる領地を作り上げると、彼らは様々な犯罪組織と手を組み、用心棒軍団を手に入れた。エリツィンが昏睡状態でよろめくようになると、オリガルヒとロシア・マフィアのこの連合は、間もなくクレムリンに匹敵するような、権力の中枢を確立した。エリツィンが自らの不徳による荒廃にとうとう屈した時には、ロシアは混沌状態の中に沈没していた。

ところが、彼は身を引く前に、またもや栄光の瞬間に浴していた。政治家として出世を始める直前の、エリツィンにとって最初の輝ける瞬間は、ロシア議会正面のバリケード上に立って、改革者ミハイル・ゴルバチョフを打倒しようとする、ソ連クーデターを画策した連中は許さないと宣言した時だ。この姿勢のおかげで、アステカ族が突然絶滅して以来、最も急峻な国家の衰微の時期を取り仕切った、鼓吹するばかりの軟弱な指導者ゴルバチョフ退場の後、愛国的、英雄的行動というオーラをもって、彼は大統領の座に押し上げられた。はっきりしたしらふ状態の瞬間に、実際、自国利益に貢献した、プーチンを後継者に指名する出来事をもたらし、エリツィンの経歴が終焉する際もきらりと輝いた。

おそらくこれは、自らの罪を告白し償う、エリツィン流のやりかただったのだろう。なぜなら、プーチンは即座にオリガルヒを攻撃したのだから。またこれは西側の目からすれば、彼の最初の大罪であり、彼をスターリンの生まれ変わりとして誹謗する長きにわたるキャンペーンの始まりだった。

もちろんこれは、ロシアを弱くしておいて、しかるべく言いなりにしておきたい連中が、誰であれクレムリンの強力な指導者に対して実行することだ。アメリカ人顧問の大群に囲まれ、常時酩酊状態にあったエリツィンは、くみしやすい相手だった。プーチンは彼とはほど遠く、そしてそこにこそ、西側政府、特にアメリカとイギリスとそのエリート層が、彼に対して向けるかんしゃくの根源がある。

西側マスコミによって彼らが高く評価されると同じぐらい、オリガルヒは、ロシア国内では憎まれていることが分かっていた。法律が改変され、横領、脅迫、更には殺害という彼らの様々な悪行が、暴露され、告訴される数歩先に、連中は不正に得たほとんどの金を密かに隠した莫大な海外の銀行預金をもって、ロシアから逃亡した。多くがイギリスに亡命したが、彼らは西側に着くやいなや、そこで軟調な不動産価格に、素早く強力な注射をし、ソルジェニーツィンサハロフの衣鉢を継ぐ勇敢な政治的「反体制派」として称賛されている。 過去十年ほどの間、連中は、権力の頂点に自分たちの「正当な」場所を奪還して凱旋することを夢見て、モスクワの体制を転覆することに熱中してきた。冷戦の復活により、過去数年間放送されてきた多くの反ロシア・プロパガンダの黒幕であるこうした連中にとり大いに役立つものが手に入ったのだ。

経済的要素も極めて重要な役割を演じている。主要産油国としての立場によるロシアの突然の復活が、それぞれの経済が、一部の人々がもう一つの大恐慌と呼ぶ奈落へと急落しているアメリカとイギリスを逆上させた。ロシアの繁栄が英米の鼻につき、その反撃として、ロシア嫌いの連中は全く新奇な政治経済学理論を生み出した。それは、環境保護論者ブームやアメリカ支配者層の過激なナショナリズムの副産物だ。国民所得の大部分を石油に依存するあらゆる国は不自然で、本質的に欠点があり、内在的に攻撃的で、西側の安全保障に対する脅威でさえあるという、馬鹿げた発想だ。まさかテキサス州のことを言っているのだとは思わないのだが、産油国はその本性として独裁主義になりやすい、と彼らは主張する。

この新たな経済的誤謬という「非常に奇妙な世界」の「論理」は、石油はどこか他の商品と異なり、他のあらゆるものを超越した、何か特別な地位を持っているという概念に基づいている。しかし、これは明らかに、事実と異なっている。石油は、小麦や、牛の腹肉や、プラチナ同様に、市場動向に支配されており、地理的には、偏在している。石油の生産、配給と販売にまつわる経済的制度は、バナナから、高品質の鋼までに至る他の商品にまつわるものと基本的に異なるものではない。アメリカは、少なくとも過去には、主要な産油国だったし、それがアメリカの経済的、政治的発展をゆがめたり、遅滞させたりはしなかった。全く逆に、石油は、産業的、知的イノベーションの新時代を推進し、個人を土地から解放し、政治的、経済的リベラリズムの新時代を切り開いたのだ。

ところが、我々は、石油は、どんなことがあっても、そのように貴重な商品を委任することなどできない独裁者に対し、力を与える、忌むべきものなのだと説教されるわけだ。これこそが、石油による収益がたっぷりあるプーチンのロシアに対する多くの騒音の背後にあるもので、クレムリンと西側との摩擦の、本当の原因だ。経済的には、まったくのたわごとだが、またもや、大半の戦争プロパガンダ同様、道理にかなっている必要性はないのだ。敵をできるだけ多くの角度から、悪者扱いさえできれば良いのだ。

この「反自由主義の淵源としての石油」理論と合致するのは、ロシアと中国は、彼らの顧客や同盟国と共に、西側のリベラルなデモクラシーに対抗して、イデオロギー的に魅力ある新たな極を形成するという発想だ。これは本格的な「非常に奇妙な世界」流儀の、間違った思い込みだ。

過去百年間程の射程でみてみると、ロシアは、近代でも、最も抑圧的な政権のくびきを投げ捨てて、自由の方向に動いており、一方、西側では、監視国家が、現代生活の現実となり、また、アメリカ合州国憲法として知られている文書は、もはや単なる紙切れのようなものとなり、独裁的支配へと向かっている。中国について言えば、歴史的には、一瞬ともいえない時間の間に、文化大革命から北京オリンピックにまで進歩している

アメリカと、東欧やカフカスのアメリカの同盟諸国は、ロシアの熊をけしかけて、対決状態にもちこもうと決心したもののようで、南オセチアをめぐる危機は始まりにすぎない。永遠とも思われるほど長い間、このコラムで私が警告してきたように、アメリカとロシアとの間の新たな冷戦は、主戦派の関心にとって大切なプロジェクトだが、それが先週あたりに、完全に実を結んだもののように思われる。

主戦派は、新たな敵が見つかるまで決して眠らない。連中は常時、新たな動機を密かに用意している。デモクラシーと良識の名において壊滅せねばならない、またそれに対して西側のあらゆる資源を動員しなければならない新しい「ヒトラー」だ。最新のそうした敵が、プーチンのロシア、とりわけ、今や複合型の怪物、ヒトラーとスターリンの独裁的混合物と見なされているプーチン自身だ。

兵器製造業者が得る利益の激増は別として、冷戦の復活は、かつてのソ連政治問題研究者が、再びワシントンではやりになるということ、またチェコスロバキア共産党の歴史に関して書かれた学位論文の類は無駄ではなかったということも意味する。冷戦というのは、単なる一つの時代ではなく、大物政策通、反共専門家や国内破壊活動者狩りの連中、そして、こうした連中の活動に気前良く資金を提供してくれる軍産複合体などから成り立つ立派な産業でもあるのだ。こうしたネットワーク全体が、1990年代、国際共産主義とともに崩壊したのだったが、反プーチン主義によって、それがよみがえり、たとえ我々が街頭で物売りをする羽目になっても、そうした連中の一部は仕事にありつけるのだ。

西側マスコミは、ここのところひどく立腹しており、プーチンと新たな「独裁的」ロシアを罵っているが、この記述は、事実によって裏切られている。あるアナリストは、海外政策協会(Foreign Policy Association)のブログにこう書いている

「ロシアのマスコミが耐えている、国家による検閲のような、いかなる強制手段もないのに、政府の施政方針にぴったり従おうとする、アメリカ・マスコミの意欲は困ったものだ。昨日見たCNNの報道番組は、サアカシュヴィリがロシアの犯罪を主張する場面の果てしない連続等々、完全な親グルジア報道の一環として、どれも「ロシアの侵略」という構図で描かれていた事実があったとはいえ、CNNには王室に重用された宮廷詩人ウイリアム・ダンバーのような人物はいたためしはない。グルジアは、主要なアメリカ同盟国の一つであり、イラクには三番目に大きな派遣部隊を送っており、戦略的な、石油の豊富な地域にある。基本的に、政府の論点を無批判に普及しているだけの、アメリカ・マスコミによる自己規制は極めて気がかりだ。」

該当サイトで、記事全文をお読みいただきたい。記事は無署名だ。お互いにほとんど関係のない、二つの全く異なる戦争についての記事を、ロシアと西側のマスコミがどのように一つにまとめているのかという内容だ。

ロシアが、間欠的ながら、より自由な方向に進んでおり、我々西側が、自由のより少ない方向に進んでいるので、この両者はどこか途中で出会うことになるのだという議論がある。事実、アメリカとイギリスにおけるマスコミは、本筋から外れるよう、あまりに良く訓練されている一方で、ロシアでは、マスコミは依然として、公式の諸規制に縛られていると主張することも可能だ。公的な検閲など西側では必要ですらない。誰もが何を言うべきか、そしてより重要なことに、何を言ってはいけないかを、知っているからだ。

これは確かに気がかりではあるが、少なくとも、私の視点からすれば、決して驚くべきことではない。9/11以来、いやあの象徴的な出来事の前からでさえ、(煽動的政治家と組んだ)マスコミが、いかなる反対派もいなくなるよう、自分自身ばかりでなく、社会全体までも規制する中、我々はこの方向に導かれてきた。そこで、先週もそうであったように、Antiwar.comの存続という話題に立ち返りたい。

我々は晩夏資金カンパの最中であるが、大変な時期を味わっている。私は決して驚かない。私たちの大半にとり、経済的に厳しいご時世であり、寄付金は、おしなべて減少している。これこそ、ご寄付いただくことがそれほど重要な理由だ。今日にもご寄付願いたい。債権者たちが我々の戸をノックしており、我々が直面する難題は冷戦復活の新時代、益々面倒なものとなってきた。平和への見通しは、今までになく暗く見えるが、事実、これは私たちの仕事と、Webサイト維持の重要性を一層強調するものだ。

単に事実として誤っているのみならず、大いに危険な主戦派の狙いを、社会通念がほとんどの場合に助長している時代の中、それに代替できる意見を私たちはご提供している。アメリカ人に、不干渉主義者の視点から、海外政策の問題をお知らせするという、私たちの課題は、一層重要になっているが、資源不足により、一層の危機にさらされている。私たちは苦戦を強いられている。対等な立場で、ごく少額なりとも、ご協力いただけまいか? 主戦派には無限の資源がある。我々には皆様がおられる。このサイトを維持する上で、アメリカの海外政策にかかわる真実を皆様にお伝えする上で、私たちは皆様からの、課税控除対象の寄付に依存している。

この四半期は、70,000ドルの資金調達が、必須目標だ。それが実現できなければ報道を大幅に削減することが必要になる。ごく単純なことだ。皆様の寄付こそが雲泥の差をもたらしてくれる。本日ご寄付を願いたい。

Justin Raimondo

記事原文のurl:www.antiwar.com/justin/?articleid=13317

2008年8月19日 (火)

FOXニューズに登場したアメリカの少女「グルジア兵から逃げました。ロシア兵にお礼をいいたいです。」

イラクのクエート侵略時に、駐米クェート大使の娘が、「ヤラセ」で現地の少女を演じ「イラク兵が、未熟児保育器から赤ん坊をとりだし、投げて殺した」と言って、イラクに対する憎悪に油を注いだ記憶をお持ちだろうか?

神保哲氏の記事

『幻の大量破壊兵器』はいかに捏造されたか イラクの脅威を誇張し続けたブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する

から引用しよう。

1990年10月10日ワシントンの連邦議会でトム・ラントス(民主党・カリフォルニア州)、ヘンリー・ハイド(共和党・イリノイ州)らの人権派有力議員らが主催する『下院人権議員集会』が開かれていた。
この集会の主人公は15歳のクウェート人少女だった。少女は、身元を明らかにすればクウェートに住む家族がイラクからの報復を受ける恐れがあるとの理由か
ら、「ナイラ」という名前のみが明らかにされていた。そして、「命からがらクウェートから逃げてきた」とされたナイラは、イラク占領下のクウェートで彼女
がボランティアで働いていた首都クウェートシティのアルアダン病院に武装したイラク兵が押し入ってきて、保育器の中にいた未熟児の赤ん坊を保育器から冷た
い床の上に放り出して皆殺しにした、と涙ながらに証言した。
 このナイラ発言以降、先代ブッシュ政権の高官たちはサダム・フセインの残虐性を、そしてイラクのクウェート侵攻の違法性を批判する際に、必ずといってい
いほどこのエピソードを繰り返し引き合いに出した。ブッシュ大統領自身、サダム・フセインを呼ぶ時に「ベビーキラー(赤ん坊殺し)」という表現を好んで
使った。
 この「赤ん坊殺し」のエピソードが、アメリカの世論にどの程度の影響を及ぼしたかを具体的に推し量ることは難しい。しかし、湾岸戦争直後のブッシュ政権
の支持率が89パーセントまで急上昇したのを見ても、ナイラ発言から3ヵ月後には多くのアメリカ人が、この戦争を「大義ある戦争」と受け止めていたことは
容易に推察することができる。
 ところが実はこのナイラという少女は、とんだ食わせ物だった。ナイラの正体は当時のクウェートの駐米大使サウド・ナシール・アル・サバの娘で、ナイラは
アルアダン病院とは縁もゆかりもなかった。しかも、この日のナイラの証言は、クウェート政府が反イラク世論を盛り上げるためにコンサルティング契約を結ん
でいたアメリカのPR会社『ヒル・アンド・ノウルトン』のローリー・フィッツペガド副社長が、直々に指導した名演技だった。そして更に問題なのは、この証言の内容が恐らく、と言うよりもほぼ間違いなく、「真っ赤な嘘」だったのだ。

ところが、この12歳の少女、全くその逆。担当者たちは、同社大本営プロパガンダ方針と逆の内容を放送したかどで降格処分必須だろう。

「ロシア兵からではなく、グルジア兵から逃げたのです。ロシア兵にお礼をいいたいです。」

更に、おばさまも「攻撃したのはサアカシュビリです。」と続けた。

司会者たまらず「コマーシャルです」と気を利かせたが... FOXとしてありえない近来まれな良いニュース。「猿も木から落ちる。きつねもばかしそこねる。」

2008年8月18日 (月)

グルジア大統領サアカシュヴィリの背後にいる人形遣いたち

F. William Engdahl

2008年8月12日

08年8月8日の、南オセチアとアブハジアに対するグルジアの奇襲攻撃をめぐる論議のおかげで、物議を醸しているグルジア大統領と、背後の人形遣いを、じっくり検証することが重要になった。調べてみると、41歳のミヘイル・サーカシュビリは、アメリカとNATOの支配者層のみならず、さらにはイスラエル軍や諜報界の支配者層ともつながった、冷酷で、腐敗した全体主義者なのだ。老いゆくエドウアルド・シュワルナゼを権力から放逐し、アメリカの大学を卒業した36歳の人物を権力の座につけた、2003年11月の有名な「バラ革命」は、アメリカ国務省や、ソロス財団や、ペンタゴンやアメリカの諜報世界とつながる機関が、動かし、資金援助をしていたものなのだ。

エネルギー・パイプラインや、民営化をめぐり、モスクワと取引を始め、もはやワシントンにとってご用済みとなった、旧ソ連の外務大臣エドゥアルド・シュワルナゼが率いる既存政権に対し、最も洗練されたアメリカの体制転覆作戦の一つ、大衆による抗議という雰囲気の外見を盛り上げるのに、民間NGO(非政府組織)を活用して、ミヘイル・サアカシュヴィリは、意図的に政権の座に祭り上げられた。

サアカシュヴィリは、アメリカの海外政策課題に対し、敵対的と見なされる体制を不安定化させるアメリカの新手法の活用として、アメリカが財政支援するNGOを基盤にして進めた、アメリカが仕組んだクーデターによって、政権の座につけられた。2003年11月24日、ウォール・ストリート・ジャーナルは、シュワルナゼ政権の転覆は「アメリカと他の西側諸国の財団によって支援された大量の非政府組織」による作戦のおかげだとはっきり書いた。ジャーナルは更に書いていた。これらNGOが、「若く、英語を話す、親西側改革を切望するインテリの集団を生み出したこと」が、無血クーデターの下地を作る上で助けとなった。

NGOによるクーデター

だがそれだけではない。CIAが支援した同じNGO連を用いたベオグラードでのスロボダン・ミロシェビッチ追放という画策に成功した直後、トビリシに着任した駐グルジア・アメリカ大使リチャード・マイルズによって、こうしたNGOは組織化されていたのだ。秘密諜報工作員と見なされているマイルズが、サアカシュヴィリのクーデターを監督したのだ。

これには、アメリカの億万長者ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー・グルジア財団が関与していた。元CIA長官ジェームズ・ウルジーが理事長で、ワシントンに本拠をおくフリーダム・ハウスも関与していた。1980年代にロナルド・レーガンが「それまでCIAが行ってきたことを、民間で行う」ために、つまりアメリカ政府が、非友好的と見なす政権に対するクーデターのために、創立した機関、全米民主主義基金からの、惜しみない資金援助がからんでいた。

ジョージ・ソロスの財団は、1989年の天安門での学生デモ以来、ロシアや中国や、無数の東欧諸国から退去をしいられていた。ソロスはまたアメリカ国務省と共に、アメリカを本拠とし、グルジアやウクライナの2004年オレンジ革命等々の体制転覆クーデターで、NGO組織全体の宣伝部門の役割を果たしているヒューマン・ライト・ウォッチの資金援助者だ。アナリストの中には、ソロスは、アメリカ国務省、あるいは諜報機関の高位の諜報員で、個人的な財団を隠れ蓑として使っていると考えている人々がいる。

もはや協力的ではなくなったシュワルナゼの後継候補として、アメリカが承認したサアカシュヴィリが率いるグルジア自由協会に、アメリカ国務省は資金援助をした。自由協会は、「クマラ!」という組織を生み出したが、これは「もうたくさんだ!」という意味である。当時のBBC報道によると、「クマラ!」は、サアカシュヴィリが、自ら選んだグルジア人学生活動家達と共に、アメリカが資金援助していた組織、ミロシェビッチを打倒した「オトポル(訳注:反抗という意味)」の活動家たちから学ぶべく、ソロス財団の資金でベオグラードに2003年春に派遣された時、組織されたのだという。彼らは、ジーン・シャープの「戦争の一手段としての非暴力」を講じる、非暴力抵抗ベオグラード・センターで訓練された。(訳注:Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One書評、および田中宇氏の記事を参照)

マフィア的大統領としてのサアカシュヴィリ

2004年1月、グルジア新大統領の地位につくやいなや、サアカシュヴィリは、取り巻き連中や血縁者を政権に押し込み始めた。2005年2月のズラブ・ジワニア首相の死は、依然としてミステリーだ。欠陥のあるガス暖房機による中毒死だとする公式版が、死亡から二週間のうちに、アメリカFBIの捜査官により採用された。グルジアの犯罪組織の殺害、犯罪や、他の社会的腐敗の現象に詳しい人々にとって、これは到底信頼に値するものとは思われていない。ジワニアの死後間もなく、首相府の職員ゲオルギ・ヘラシビリが、上司が死亡した翌日、拳銃自殺したとされる。ジワニア事件の捜査スタッフの長も、後に死亡しているのが見つかっている。

サアカシュヴィリと結びついた大物連中が首相の死に関与していたと伝えられている。ロシア人ジャーナリスト、マリーナ・ペレボズキナは、グルジア人経済学者ギア・クラシビリの発言を引用している。死亡事件の前、クラシビリは、レゾナンス紙に、グルジアの主要ガス・パイプラインの民営化と売却に反対する記事を寄稿していた。首相の死体が発見される十日前、クラシビリが襲われ、編集長は、名前をだすことを拒否した「治安機関」の人物による警告という脅迫に言及した。

パイプライン問題に対する故首相の姿勢が、ジワニア殺害の直接の理由だと信じられている。ジワニアの弟ゲオルギも、ジワニアが死ぬちょっと前に、誰かが兄を殺そうとしているという警告を受けた、とペレボズキナに語っている。アメリカ国務省が、ジワニアを、アメリカ政府「自由のメダル」を受賞するためワシントンに招待した際、サアカシュヴィリは激怒したと伝えられている。サアカシュヴィリは、権力に対するライバルには我慢できないもののようだ。

賢明にも「腐敗に反対」だと自分を売り込んできたサアカシュヴィリは、家族の何人かを政府の儲かる地位に任命し、兄弟の一人をブリティッシ・ペトローリアムや他の多国籍石油会社が後押しするバクー-ジェイハン・(BTC)パイプライン計画の、国内問題担当主席顧問に任命した。

アメリカの支援によって、2004年に権力の地位について以来、サアカシュヴィリは大量逮捕、投獄、拷問という政策をとり、腐敗の度を深めた。サアカシュヴィリは、国会では、ダミーの野党にごくわずかな議席を持たせ、事実上の一党国家を生み出すよう取り仕切り、この公僕は、自分用のチャウシェスク風宮殿をトビリシ郊外に建設している。雑誌シビル・グルジア(2004年3月22日)によると、サアカシュヴィリと多くの閣僚の給料は、2005年まで、ニューヨークを本拠とする通貨投機家ソロスのNGOネットワークと国連開発計画から支払われていたという。

イスラエルとアメリカの軍がグルジア軍を訓練

南オセチアとアブハジアに対する今回の軍事攻撃は、領土紛争には、軍事的解決ではなく、外交的解決を考えるというサアカシュヴィリの約束に反しているが、アメリカとイスラエル軍事「顧問」が後押しをしているのだ。8月10日、グルジアの再統合相、テムール・ヤコブシビリは「グルジア軍訓練におけるイスラエル国防軍の役割を称賛し、陸軍ラジオ放送とのインタビューで、イスラエルは軍事力を誇りにすべきだと語っている、とイスラエルのハーレツ紙は報じている。「イスラエルは、グルジア兵士を訓練したイスラエル軍を、誇りにすべきです」ヤコブシビリは、陸軍ラジオ放送で、グルジアが契約したイスラエルの民間企業について言及し、ヘブライ語でそう語った。」

トビリシ近郊におけるロシア爆撃の目標の一つは、IsraelNN.comによると、「イスラエル専門家が、グルジア軍のために、ジェット戦闘機の機能改良をしているグルジアの軍事工場で…ロシア・ジェット戦闘機は、トビリシ近くにある工場内の滑走路を爆撃したが、そこでイスラエル警備会社Elbitが、グルジアのSU-25ジェット機の機能改良作業にあたっていた。」

イスラエル外務大臣で、今やイスラエル首相の地位を追われたオルメルトの後継者候補、筆頭副首相ツィピ・リヴニは、8月10日に「イスラエルは、グルジア領土の保全を承認する」と宣言しているが、これは南オセチアとアブハジアを専有しようというグルジアの試みを支持することを意味する暗号だ。

グルジアにいるとされる1,000人のイスラエル軍事顧問は孤立してはいない。7月15日、ロイターは以下のような報道をした。「グルジア、ヴァジアニ- 1,000人のアメリカ兵士が、火曜日、グルジアと隣国ロシアとの間の高まる摩擦を背景に、グルジアで「即時対応2008」という名の軍事訓練演習を開始した。二週間の演習は、首都トビリシに近いヴァジアニ軍事基地で行われた。この基地は、この十年間の最初に、ヨーロッパ軍備縮小条約のもとで、ロシア軍が撤退するまでは、ロシア空軍基地だった... グルジアは、アメリカが率いるイラク駐留連合軍を支援し、2,000人強の部隊を派兵しており、ワシントンは、グルジア軍に大使、訓練と装備を提供している。アメリカ合州国は、グルジアの同盟国で、NATO軍事同盟に加盟しようというトビリシの努力を支援して、ロシアを苛立たせてきた。... 「この演習の主目的は、アメリカとグルジア軍の間の協力と協調を強化することである」と、アメリカ陸軍南欧任務部隊司令官ウイリアム・B・ギャレット准将は、記者団に語っている。」

ロシアは、この地域におけるロシアの勢力を維持すべく、あからさまに南オセチアとアブハジア固有の軍隊を支援、訓練している。特に、2004年、アメリカが支援する親NATOのサアカシュヴィリ政権が権力を掌握して以来、ソ連や、ナチス・ドイツや他の国々が、資金や兵器や志願兵を注ぎこみ、第二次世界大戦の前兆となった壊滅的な戦争である、1936-1939年の内戦時スペインと似たような状況へと、カフカスは急速に変わりつつある。

プーチン、ジョージ・W・ブッシュや、多くの世界の指導者たちが、遥か北京にいる時点のオリンピック開会式当日に、実際に戦闘を開始したことに対する、奇妙な脚注として、IsraelNN.comでの、グル・ローネンの報道がある。そこで彼はこう言っている「Nfcによると、南オセチアに対するグルジアの動きは、イスラエルとイランに絡む政治的な思惑がその動機だ。グルジア軍に対する支援を削減するという決定を、イスラエルが再考することを強いるため、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリは、分離派地域に対する支配権を主張することを決断した。」

ローネンは、更にこう付け加えている。「数日前、モスクワが、エルサレムとワシントンに、ロシアは、グルジアに対し、シリアやイランに高度な対空システムを売り渡すという継続的な支援で対応するつもりであることを明らかにして以来、イスラエルはグルジアに対する支援を停止することを決めたと、ロシアとグルジアのマスコミは報じている。」イスラエルは、カスピ海からのバクー-トビリシ-ジェイハン・パイプラインから、石油とガスを入手する計画だ。

本記事執筆の時点では、ロシアのメドベージェフ大統領が、ロシアはグルジアの目標に対する軍事的対応を停止していると宣言したものの、状況は安定とはほど遠い。グルジアをアメリカの地政学的勢力範囲に取り込み、ミヘイル・サーカシビリをめぐる不安定な政権を支援することをワシントンが固執すれば、それは、ロシアというラクダの、背中ではないにせよ、忍耐力を打ち砕く、最後の藁となる可能性がある。

石油パイプライン紛争、あるいは、ロシアのイスラエルに対する挑戦のいずれが、サアカシュヴィリの危険な火遊びの直接の要因であるかはともかく、一触即発状態のグルジアと、その人形遣いたちは、誰もその結果を制御できないようなゲームを始めてしまった可能性があることだけは明らかだ。

記事原文のurl:www.engdahl.oilgeopolitics.net/Geopolitics___Eurasia/Saakashvili/saakashvili.html

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2011/2/19追記:

ネットを活用した市民運動、手放しで賛美する気には毛頭なれない。それぞれの市民運動の背景が重要だろう。カラー革命なるものを実現した市民運動、いずれも、根源はアメリカにあった。資金・思想。

今、アフリカや中東で起きていることは、この工作の最新IT版だろう。インターネットの新たなアプリケーションであるソーシャル・ネットワーク、フェイスブック、ツィッター、そしてグーグル、携帯電話を存分に活用して。

その人形遣いたちが、誰もその結果を制御できないようなゲームを始めてしまった可能性がある

かどうか、まだわからない。結果を制御できないゲームを始めるはずはないだろう。当然、素人にはわからない狙いがあるのだろう。

当然、一の子分の属国においても、同工異曲のソーシャル・ネットワーク反革命市民運動作戦は進行中だろう。名古屋選挙、最初の成功例だったかもしれない。

2008年8月17日 (日)

ワシントンとポーランドのミサイル防衛条約、世界を大戦へ一歩近づける

F. William Engdahl

Global Research

2008年8月15日

8月14日の、アメリカ合州国とポーランド政府間の、ポーランド領土に、アメリカの迎撃ミサイルを配備するという条約の署名は、1962年のキューバ・ミサイル危機以来、核戦争へと向かう、最も危険な動きだ。ポーランドにおけるアメリカのミサイルは、ヨーロッパのNATO加盟諸国をロシアの核攻撃から守るという防衛的な動きどころではなく、軍事戦略家達が指摘するように、ロシアという国家の将来の存在に対する全面的な脅威をもたらすものだ。2007年早々、アメリカの計画が最初に明らかにされて以来、ロシア政府は、このことについて繰り返し警告してきた。ワシントンと合意をしようというロシアによる再三の外交努力にもかかわらず、今やブッシュ政権は、グルジアに於けるアメリカの屈辱的敗北を受けて、ポーランド政府に対し、条約に最終的に署名するよう圧力をかけたのだ。結果は、ヨーロッパも世界も、思いもよらなかったものとなる可能性がある。

8月14日、アメリカの世界ミサイル防衛網の構成要素を設置するという仮条約が、ポーランドの外務審議官アンジェイ・クレーメルとアメリカの交渉責任者ジョン・ルードによって署名された。この条約のもと、チェコ共和国へのレーダー・システムに連動して、ワシントンは10基の迎撃ミサイルを、ポーランドに設置する計画だが、これはイランを含む「ならずもの国家」と彼らが呼ぶ国々からの潜在的攻撃を迎撃するためのものだという、馬鹿馬鹿しい主張をしている。

条約を実現させるため、ワシントンは、ポーランドの防空を強化することに合意した。条約には、両国政府とポーランド議会による承認が必要だ。ポーランド首相ドナルド・トゥスクは、テレビ放送された発言で「カフカスでの出来事が、このような安全保障が不可欠であることを明らかに示している。」と述べた。グルジアでの最近の敵対行為に先立つ数カ月間、米-ポーランド・ミサイル交渉は長引いていた。

ブッシュ ホワイト・ハウスの報道官ドナ・ペリノは「ミサイル防衛は、NATOの集団安全保障に対する多大な貢献だと確信している。」と公式に述べた。当局者は、ポーランドの迎撃ミサイル基地は、2012年までに開設される予定だと語っている。チェコ共和国は、アメリカのレーダー設備を受け入れる条約に7月8日署名している。

この署名によって、ロシアとNATOの間の緊張が激化し、新たな冷戦軍拡競争が本格化することは確実だ。秋に刊行予定の拙著『Full Spectrum Dominance: The National Security State and the Spread of Democracy』中で、詳細にご説明していることをご理解いただくことが大切だ。これは、対抗する二つの勢力の一方が、相手側の領土から90マイル以内に、例え初歩的なものであれ、第一世代対ミサイル迎撃ミサイル網という形で、ミサイル迎撃ミサイルを設置する能力が得られれば、設備を持った側が、核戦力のバランス上、事実上勝利し、相手側に対して、無条件降伏を検討するか、あるいは、2012年以前に、先制核攻撃をしかけるか、いずれかを強いることになるものだ。金曜日、有力なロシア議員達は、条約はヨーロッパの安全保障を損なうと語り、安全保障を確保すべく、ロシアが手段を講じなければならないことを改めて表明した。

ロシア議会の国際問題委員会副委員長アンドレイ・クリモフは、この協定は、ワルシャワの「アメリカに対する忠誠心と、物質的利益の誇示を意図したものである。アメリカにとっては、ロシアにより近い場所を含め世界中に軍駐留を拡張する好機である。NATOにとっては、これは付加的なリスクだ...ドイツやフランスを含む多くのNATO諸国は、この条約には不満だ」と語った。

クリモフはこの条約を冷戦への「後退」と呼んでいる。

ロシアの対応

アメリカが支配するヨーロッパと北米用ミサイル網の一部として、チェコ共和国にレーダーを、北部ポーランドに、10基の迎撃ミサイルを配備することをアメリカは計画しているが、それを公式的には、イランを含む「ならずもの国家」からの潜在的な攻撃に対するものだという、馬鹿馬鹿しい主張のもとで売り込んでいる。昨年春、当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、アメリカに、イランのミサイル発射を監視するには、ずっと良い、イラン国境のアゼルバイジャンにあるロシア・レーダー施設を賃貸使用するという驚くべき案をブッシュ大統領に持ちかけ、このアメリカ・プロパガンダ文句の浅薄さを曝露した。ブッシュ政権は、この申し出をあっさり無視し、彼らの本当の目標が「イランのようなならずもの国家」ではなく、ロシアであることをむき出しにした。ロシアは、rightlyアメリカ・ミサイル網の配備を、自国の国家安全保障に対する脅威だとみなしている。

最新のポーランドの条約で、ロシアは対応を強化。

ロシア当局者は、もしもワシントンが、ヨーロッパ・ミサイル網計画を実現すれば、モスクワは、ベラルーシ共和国とロシア最西端の飛び領土カリーニングラードに、イスカンデール戦術ミサイルと戦略爆撃機を配備する可能性があると、先に述べている。モスクワは、更にポーランドのミサイルを標的にする可能性があると警告した。

ロシアの上級軍事専門家によると、アメリカの中欧ミサイル防衛計画に対抗して、ロシアも軌道弾道ミサイル・システムの導入を議論している。

「アメリカの防空基地を回避し、南極経由でアメリカ領土に到達できる軌道弾道ミサイルを実現する計画を導入する可能性がある」と、元ロシア戦略ミサイル軍幕僚長で、安全保障、国防、法執行研究アカデミーの現副理事長、ヴィクトル・イェシンは語っている。

これまで、アメリカとの冷戦後合意の一部として、関連する条約があったが、ワシントンは、NATOの国境をモスクワの戸口へと一層近づけようとする一方、これらの条約を、「大幅に」無視してきており、START I条約に従って、ソ連は、そのようなミサイルを放棄していた。

オバマも、ミサイル防衛を支持

この協定は、今後、ヨーロッパ諸国を、バラク・オバマの海外政策顧問ズビグニュー・ブレジンスキーが、あからさまに、アメリカの「家臣」と呼んだ国々と、より独立した政策をとる国々とに分裂させるだろう。

民主党のオバマが大統領になれば、近年のこのようなNATOとアメリカ軍の挑発的な動きは逆転するという類のあらゆる幻想は、危険な希望的観測として片づけられるべきだ。オバマの海外政策チームには、父親のズビグニュー・ブレジンスキーに加え、アメリカの現ヨーロッパおよびNATO問題担当国防次官補代理である、ブレジンスキーの息子イアン・ブレジンスキーがいる。イアン・ブレジンスキーは、コソボ独立や、ウクライナとグルジアも含めるNATO拡大だけでなく、アメリカ・ミサイル防衛政策の熱心な支持者なのだ。

F. William Engdahlは、Global Researchの常連寄稿者。F. William Engdahによる、Global Research記事


 

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© Copyright F. William Engdahl, Global Research, 2008

記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=9836 

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2008年8月14日 (木)

グルジア戦争は、ネオコンの大統領選挙用策略か?

Robert Scheer

2008年8月12日

大統領選挙で、相手に不利な情報を選挙直前の10月に流す、おきまりの「オクトバー・サプライズ」が、今回は10月ならぬ8月に試みられ、ロシアという熊の支配から離れて生存しようと苦闘する、大胆で勇敢なグルジアというたわごとが、アメリカ大統領選挙に影響を与えるべく準備された可能性がある。

そうした可能性をはねつける前に、4年間グルジア政府から給料をもらうロビイストをしていたが、共和党大統領候補ジョン・マケインの上級外交政策顧問となった数カ月後の三月に公式ロビー活動を辞めたばかりのランディ・シェーネマンの役割を検討していただきたい。

シェーネマンは、かつてアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)の理事だった時に、イラク戦争を巧妙にしくんだネオコンの一人として良く知られている。マケインの2000年大統領選挙戦で働いた後、アメリカのイラク侵略を擁護したイラク解放委員会(CLI)を率いたのは、シェーネマンだった。

最近のグルジアでの紛争炎上でも、同じような役割を演じていることについて、隠そうとしてもおのずとあらわれる示す徴候がある。親しい友人で、元の雇い主である、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの、南オセチアの分離脱退地域への侵略、つまり、ロシアの反撃をひき起こすことが明らかな侵略を命令するという愚行を、他にどうやって説明できよう? 彼が信頼する、シェーネマンのような影響力あるアメリカ人からの、アメリカ合州国が支援してくれる、といった何らかの保証なしに、サアカシュヴィリが、この危険なエスカレーションをひき起こしたなどとは想像できない。公式にマケインの大統領選挙戦の外交政策を担当する前でさえ、シェーネマンは、こうした諸問題で、長らくマケインを導いていた。

2005年、グルジアの有給ロビイストとして登録する一方、グルジアのNATO加盟を推進する議会決議案の草案作りのため、シェーネマンはマケインと働いていた。一年後、グルジアから給料を貰いながら、シェーネマンはマケインのグルジア出張に同行し、サアカシュヴィリと会見し、彼のロシアのウラジーミル・プーチンに対する好戦的な見方を支持したのだ。

対イラク戦争に至る道筋を再演する形で、共和党候補者の海外政策の姿勢を支配するようになったネオコン結社の中心に、シェーネマンは位置している。この連中は常に、新たな冷戦の種にする外国の敵を探しているのだが、サダム・フセイン体制の崩壊とともに、次第にプーチンのロシアが、その必要条件を満たすようになったわけだ。

そう、これは不愉快に聞こえるかも知れないが、戦争と平和という問題に関する、マケイン選挙戦の設計を評価する上で、最も正確な方法かも知れない。すべてが、この候補者が、ロシア指導者プーチンを悪魔化しているのは、前回のサダムを利用し、アメリカ軍国主義がどうしても必要としている恐ろしい敵によって、油をそそいだものよりも、ずっと壮大な計画であることを示唆している。

戦うべき新たな冷戦があれば、マケインは強そうにみえることになり、一方、民主党大統領候補バラク・オバマの、より慎重な海外政策で筋を通そうとせいている姿は、それと比較すれば、弱く見えよう。一方、マケインが相続した、ブッシュの遺産というイラクの大災厄から、経済破綻にいたるまでの恐ろしい結果は、好都合にも無視されよう。だがネオコンへの資金供給を助けた軍産複合体は、アメリカ以外の世界を全部足したよりも既に大きな軍事予算を、更に増やすための口実を与えられることになるだろう。

ここで機能しているのは、ネオコンの自己達成的予言であり、そこでは、ロシアはかつて大幅に削減した軍隊を増強する敵となり、プーチンは新たなヨシフ・スターリンの妖怪としての役を振り付けられ、古いソ連のイメージを喚起しているのだ。マケインは、再び封じ込めねばならない「失地回復主義者ロシア」と非難した。プーチンは、共産党後のロシアでは、選挙で選ばれた極めて人気の高い指導者だが、彼のDNAの中だけではなく、ロシア人の中には、常に帝国主義が潜んでいるのだと見なされている。

スターリンがグルジア人だったことを忘れるとは、なんとも都合のよいことであり、実際、もしもロシア軍が危機に瀕しているグルジアの都市ゴリを占領したなら、そこの博物館が今でも、ロシア革命を掌握して出世した、ご当地生まれの人物を讃えているのに気がつくことだろう。実際に、火曜日、5発のロシアの爆弾が、ゴリのスターリン広場に投下されたと伝えられている。

共産党後のグルジアは、南オセチアとアブハジアに対し、帝国主義的な狙いをもっていることも言及しておかねばなるまい。コソボのセルビアからの独立を擁護したアメリカ合州国が、今やグルジアが、民族的に反抗的な州地域を侵略するのを無視しているとは、なんとあからさまな矛盾だろう。

大統領選挙戦の間、タフであることをアピールするのを狙うべく、ロシアを悪者化するシェーネマンのネオコン路線を、マケインがこれほど熱心に受け入れるのは、上院議員というものは、年こそとっても、まったく無責任でいられる、ということを思い出させてくれるものなのかも知れない。

記事原文url:www.truthdig.com/report/item/20080812_georgia_war_a_neocon_election_ploy/

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関連翻訳記事:

シェーネマン、イラクとグルジア

いっそNATOを廃絶しては?

恐ロ病の政治解剖学:なぜ対ロシア冷戦なのか?

グルジア大統領サアカシュビリの背後にいる人形遣いたち

ワシントンとポーランドのミサイル条約、世界を大戦に一歩近づける

2008年8月13日 (水)

カフカス-ワシントン、誤算から核戦争の危険を冒す

F. William Engdahl

2008年8月11日

最近のグルジア共和国の軍隊による、南オセチアに対する劇的な軍事攻撃は、世界に冷戦時代の究極的な恐怖を、ロシアとアメリカ合州国との間の誤算による熱核戦争をもたらす方向への大きな一歩だった。カフカスで展開されていることが、アメリカのマスコミでは、驚くほど紛らわしい観点から、モスクワだけが侵略国であるかのごとく報じられている。問題は、ジョージ・W・ブッシュとディック・チェイニーが、ブッシュ・ドクトリン流のNATOの軍事目的を、次期アメリカ大統領に無理やり支持させたいあまりに、頼りないグルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリの後押しをしていたかどうかなのだ。イラクでそうだったように、今回ワシントンが、ひどく誤算した可能性はあるが、今回の場合、核戦争となる可能性があったのだ。

基本的な問題は、7月11日の記事で私が強調したように、グルジア、ワシントンとモスクワの核地政学ポーカー・ゲームだ。実際、1991年のワルシャワ条約解消以来、ソビエト連邦の旧メンバーや旧共和国が、多くの場合、ワシントンによるいつわりの約束で買収されて、敵対する組織、NATOに加盟するよう、次々とまるめこまれてきた。

1991年のワルシャワ条約解消後、NATOの計画的な解消についての議論を始める代わりに、ワシントンは、NATOを、コソボから、ポーランド、トルコ、イラクそしてアフガニスタンに至る軍事基地とリンクした、アメリカの世界的帝国支配用の軍事的手段としか呼べないものへと計画的に変換させた。1999年、旧ワルシャワ条約の構成国、ハンガリー、ポーランドとチェコ共和国がNATOに加盟した。2004年3月、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、そしてスロバキアが後に続いた。今やワシントンは、NATOのEUメンバー、とりわけドイツとフランスに対し、グルジアとウクライナを受け入れる投票をするよう、強力な圧力をかけている。

紛争の起源

グルジアと南オセチアとアブハジアとの間の紛争の起源は以下のようなものだ。まず、南オセチアは、1990年まで、グルジア・ソビエト共和国の自治区を形成しており、ロシア・ソビエト共和国の、そして今のロシア連邦の一自治共和国、北オセチアの同じ少数派民族と、一緒に一つの国家に団結することを目指していた。歴史的に根拠がある、暴虐なグルジアの民族主義に対するオセチア人の恐怖と、当時のグルジアの指導者ズヴィアド・ガムサフルディアのもとでの、人種的少数派に対するグルジア人の憎悪という経験があり、オセチア人が、またもや、グルジアの大統領、ミヘイル・サアカシュヴィリの元で、それを感じているのだ。サアカシュヴィリは、アメリカの経済支援と、2003年12月のバラ革命と呼ばれているアメリカのひそかな体制転覆行動によって、権力の地位につけられた。今やそのバラのトゲによって、流血が起きている。

アブハジアと南オセチアは、まず第一に、伝統的な黒海のリゾート地域であり、第二に、北部にロシアとの国境地帯を持つ、貧窮に陥った人口が希薄な地域で、おのおの固有の言語、文化、歴史を持っている。ソ連が崩壊した際、両地域は、血みどろの紛争で、グルジアからの独立を目指した。1990-1年の南オセチア、1992-4年のアブハジアだ。

1990年12月、ガムサフルディアの元、グルジアは南オセチアが主権を宣言すると、そこに軍隊を派兵した。このグルジアの動きはロシア内務省軍によって打ち破られた。するとグルジアは、南オセチア自治区の廃止と、グルジア本国への併合を宣言した。ロシアとの交渉による停戦で、二つの戦いは終わり、最近作られた独立国家共同体の後援のもとで、平和維持軍が治安を維持している。状況は、キプロスをめぐるものと同様に「氷結した紛争」として固定化した。2005年後半には、グルジアは、武力を使わず、アブハジア人は、暴力を避けて出国した200,000人強のグルジア人の段階的な帰国を認めるという条約に署名した。しかしこの合意は、2006年早々、サアカシュヴィリがアブハジアのコドリ渓谷を奪回するために軍隊を派兵した時に決裂した。以来、サアカシュヴィリは、軍事行動の為の準備を増強していた。

重要なのは、南オセチアに対するロシアの支持だ。ロシアは、グルジアがNATOに加盟するのを好ましく思っていない。更に、オセチア人は、ロシアにとって、カフカスにおける最も古い同盟者であり、多くの戦争でロシア軍に兵士を供給してきた。ロシアは、彼らやアブハジア人を見捨てたいとは思っておらず、ロシアの北カフカスにおける彼らの同胞の間での人種的騒乱に、更に油を注いだ。彼らの大半が長らくロシアのパスポートを保有していた時である、2006年11月の住民投票で、99パーセントの南オセチア人がグルジアからの独立に投票した。これによって、ロシア大統領メドベージェフが、「ロシア国民がどこにいようと、その生命と尊厳を守るための」努力として、金曜日にロシア軍がグルジアに対する反撃を正当化するのを可能となった。」

帝政時代から、ロシアにとって、オセチアはトルコとイランの前線に近い重要な戦略基地だった。グルジアもまたカスピ海からトルコの港ジェイハンへと送り出されている石油にとって重要な通過国であり、テヘランを包囲しようというワシントンの作戦にとって潜在的な基地でもある。

グルジアから見れば、南オセチアとアブハジアは、単純に、いかなる犠牲を払っても回復すべき国土の一部なのだ。NATO指導者たちの約束により、グルジアは同盟関係に引き込まれ、ワシントンによる、これ見よがしの支持宣言によって、二つの地域、南オセチアとアブハジアに対する武力攻勢に着手するまでに、サーカシビリをつけあがらせた。サアカシュヴィリと、おそらくは、ワシントンのディック・チェイニー事務所が、非常に大きな誤算をしたように見える。ロシアは、南オセチアやアブハジアに対する支持を譲る意図は毛頭ないことを明らかにした。

代理戦争

今年の三月、国連安全保障理事会の意志に反し、更には、特にロシアの反対にもかかわらず、ワシントンは旧ユーゴスラビアのコソボ独立承認の先頭にたち、コソボを事実上NATOが支配する領土とし、プーチンは、これに対し、アブハジア、南オセチアと沿ドニエストル共和国、モルドバの親ロシア派分離独立共和国の承認にかかわる、ロシア国会における公聴会で答えた。モスクワは、コソボに対する西側の論理は、敵対的な国家の支配からの独立を目指すこれら少数民族社会にも適用されるべきだと主張した。4月中旬、プーチンは、これら分離独立した共和国を承認する可能性を提案した。それは戦略的なカフカスにおける、将来のロシアそのものをかけた大博打、地政学的チェス・ゲームだった。

サアカシュヴィリは、当時の大統領プーチンに、その決定を覆すよう呼びかけた。彼はプーチンに、西側はグルジアの味方になったと指摘した。4月、ルーマニア、ブカレストでのNATOサミットで、アメリカのブッシュ大統領は、グルジアを、NATO構成員の前触れである、NATOの「メンバーシップ・アクションプラン」に受け入れることを提案した。ワシントンが驚いたことに、ドイツ、フランスとイタリアを含む、NATO加盟国10ヶ国が、彼の計画を支持することを拒否したのだ。

彼らは、アブハジアと南オセチアの争いゆえに、グルジアを受け入れるのは問題だと主張した。彼らは、実際には、グルジアを支援するの気が進まないと言ったのだ。NATO条約の第5条の元では、いかなるNATO加盟国に対する武力攻撃も、全加盟国に対する攻撃と見なさなければならないと命じており、結果的に全NATO加盟諸国の集団的武力を、ヨーロッパが、お天気屋の独裁者サアカシュヴィリが率いるカフカスの小国グルジア共和国をめぐって使用することが必要となり、ロシアとの戦争に直面する可能性が持つことの意味するためだ。つまり、不安定なカフカスが、第三次世界大戦をひき起こす、即発的な引き金となることを意味するわけだ。

ロシアはグルジアを脅迫しているが、グルジアも、アブハジアと南オセチアを脅迫しているのだ。グルジアにとって、ロシアはワニのように見えるだろうが、グルジアはロシアにとって、西側の手先のように見えるのだ。サーカシビリが2003年後半に権力を握って以来、ペンタゴンは、グルジアに駐留して、軍事援助と訓練を行ってきた。現在グルジアで活動しているのはアメリカ軍の要員だけではない。イスラエル諜報筋のオンライン・マガジン、DEBKAファイルによると、2007年、グルジア大統領サアカシュヴィリは「イスラエルの民間警備会社の数百人から最大1,000人と推測される軍事顧問に、グルジア軍に、特別奇襲部隊、空、海、機甲および砲撃作戦の訓練をするよう委託した。軍事顧問たちは、軍事諜報や、中央政権のための治安維持についての教育もしている。トビリシは、兵器、諜報、電子戦システムも、イスラエルから購入している。これら顧問達が、金曜日の南オセチアの首都征服に対するグルジア軍の準備に深く関与していたことは、疑う余地はない。」

Debkaファイルは、更に「モスクワは、エルサレムにグルジアに対する軍事援助を止めるよう再三要求しており、最終的には、二国間関係の危機まで持ち出して脅したと報じている。イスラエルは、トビリシに提供している支援は「防衛的」なものだと言って対応した。イスラエルの情報源は、グルジアにおけるイスラエルの利害は、カスピ海石油パイプラインの地政学とも関係があると付け加えている。「エルサレムは、ロシアのパイプライン・ネットワークではない方法で、カスピ海の石油とガス・パイプラインを、トルコの積み出し港ジェイハンにまでつなげることに強い関心を持っている。イスラエル、トルコ、グルジア、トルクメニスタンとアゼルバイジャンの間で、トルコに、更にそこから、イスラエルの石油基地アシュケロンや、紅海の港エイラトに至るパイプラインに関して、集中的な協議が進行中だという。そこから、スーパタンカーが、ガスと石油をインド洋経由で、極東へと運搬できるのだ。」

これはつまり、南オセチアに対する攻撃は、英-米-イスラエルが率いる勢力と、ロシアとの間の新しい代理戦争における、最初の戦闘なのだ。唯一の疑問は、08年8月8日のグルジアの攻撃に対する、ロシアの反撃の素早さと激しさについて、ワシントンが計算違いをしていたか否かである。

これまでのところ、カフカスにおけるドラマは、衝突のステップごとに、危機の度合いを高めてきている。次のステップは、もはや単にカフカス、あるいはヨーロッパの問題ではすむまい。1914年では「八月の砲声」が、第一次大戦をひき起こした。今回、2008年の八月の砲声は、第三次世界大戦、核のホロコーストという言いようもない恐怖の起爆装置となる可能性があったのだ。

核の優位: より大規模な戦略的な危険

ユーラシアの人里離れた奥地のこの二つの小さな地方をめぐる紛争がどれほど危険なものなのかを、西側の大半の人々は知らずにいる。ほとんど全てのマスコミ報道で触れられていないのは、カフカス紛争の戦略的安全保障という文脈だ。

私の新刊書(ドイツ語)でも、そしてここでも、NATOと、最も直接的には、ワシントンによる開発努力について説明している。軍事戦略家が「核の優位」と呼ぶものを、冷戦終結以来、計画的に追求してきたということだ。わかりやすく言えば、敵対する二つの核大国の一国が、たとえ原始的なものであれ、実戦配備できる対ミサイル防衛を、最初に開発することができれば、敵側の核貯蔵庫からの反撃可能性を劇的に弱めることができ、ミサイル防衛を持っている側が、核戦争に「勝った」ことになる。

これは極めて狂っているように聞こえるだろうが、1990年の父親ブッシュ、クリントン、そして最も攻撃的なジョージ・W・ブッシュに至るまで、過去三代の大統領を通じ、明確なペンタゴンの政策であった。これに、ロシアが、砂の中に、線を深く引いたのだが、それももっともなことだ。グルジアやウクライナを、無理やりにNATOに押し込もうというアメリカの努力は、NATOが文字通り戸口にやってくるという不安をロシアにもたらす、この上なく攻撃的な軍事的な脅威であり、ロシアの国家安全保障にとって受け入れがたいのだ。

これこそが、ルクセンブルグ規模の狭い二地域をめぐる、一見目立たない戦争が、1914のサラエボのような、誤算による新たな核戦争の起爆装置となる可能性を持っている理由だ。そのような戦争の引き金は、南オセチアやアブハジアを併合するというグルジアの要求ではない。むしろ、NATOとそのミサイル防衛を、ロシアの戸口の鼻先まで押しつけようとするアメリカの無理強いこそが、引き金なのだ。

この記事原文のurl:www.engdahl.oilgeopolitics.net/Geopolitics___Eurasia/Caucasus_War/caucasus_war.html

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2008年8月 7日 (木)

広島の嘘は、現代の嘘だ

2008年8月6日

John Pilger

1945年8月6日広島への原子爆弾投下記念日に、あの原爆で吹き飛ばされた都市のほこりから、現代の戦争までに至る「噓の進展」と、差し迫っているイランへの攻撃について、ガーディアンの為の記事で、ジョン・ピルジャーが語っている。

1967年に初めて広島に行った時には、階段に焼きついた影がまだあった。それはくつろいでいる人間の、ほとんど完璧な跡だ。彼女は銀行が開くのを待ちながら、両足を広げ、背を丸め、片手を脇にして、座っていた。1945年8月6日の朝8時半、彼女と彼女のシルエットが花崗岩に焼き付けられた。(訳注:人影の石)私はその影を、一時間あるいは、それ以上の間、見つめていて、やがて川に向かって歩いてゆき、ユキオという男性と会った。彼の胸には、いまだに原子爆弾が投下された時に着ていたシャツの模様が焼き付けられていた。

原爆の荒野のほこりの中、急ごしらえされた掘っ建て小屋に、今でも彼は家族と暮らしている。彼は都市上空の巨大な閃光を説明してくれた。「青みがかった光で、何か電気の短絡のようなものでした。その後、竜巻のような風が吹き、黒い雨が降りました。「私は地上に投げ出されていて、持っていた花の茎だけが残っているのに気がつきました。全てが静止していて、静かで、立ち上がってみると、人々は裸で、無言でした。髪の毛も皮膚も全くない人々もいました。私は自分が死んだに違いないと思いました。」 9年後、再訪して尋ねてみたところ、彼は白血病で亡くなっていた。

原爆の直後、連合軍占領当局は、放射線による病変について触れることを一切禁止し、人々は、原爆の爆発によって亡くなったり、負傷したりしたのだと主張した。それは最初のデマ宣伝だった。「広島の廃墟には放射能はない」とニューヨーク・タイムズの一面は報じたが、これは第一級のデマで、ジャーナリストとしての権利放棄であり、オーストラリア人記者ウィルフレッド・バーチェットが、世紀のスクープ記事によって、これを正したのだ。冒険的な旅を経て、あえて広島にたどりついた、初めての記者として「私はこれを、世界への警告として書く」とバーチェットはデイリー・エクスプレスで報じた。目に見える怪我もないのに、「原爆病」と呼ばれるもので亡くなって行く人々で一杯の病棟を彼は描写した。真実を語ったことで、彼は報道関係者の身分証を取り消され、さらし者にされ、中傷されたが、やがて汚名はそそがれた。

広島と長崎の原子爆弾爆撃は、叙事詩的な規模の犯罪行為だ。それは熟考された大量虐殺であり、内在的に犯罪性を帯びた兵器を解き放ってしまったのだ。この理由から、核兵器の擁護者たちは、究極の「良い戦争」などという神話に逃げ込み、リチャード・ドレイトンが名付けた、連中の「倫理的沐浴」が、西欧が、自らの血まみれの帝国主義的な過去を消し去るだけでなく、常に原爆の陰の元で、60年もの間、飽くことを知らない戦争を推進することを可能にしたのだ。

最も不朽の噓は、原子爆弾は、太平洋での戦争を終結させ、命を救うために投下されたのだというものだ。1946年のアメリカ合州国戦略爆撃調査は結論をだしていた。「たとえ原子爆弾攻撃がなくとも、日本上空の制空権により、無条件降伏をもたらすための十分な圧力を行使することが可能となり、侵攻の必要性を除去している。あらゆる事実の詳細な調査に基づき、更に、生き残った日本人指導者の証言によっても裏付けられている、調査の意見は、... たとえ原子爆弾が投下されずとも、たとえロシアが参戦せずとも、あるいは、例え何ら日本侵攻が計画されたり、もくろまれたりしなくとも、日本は降伏していただろう。」というものだ。

ワシントンの国立公文書館には、1943年という早い時期からの日本の和平工作を示すアメリカ政府文書が保存されている。ひとつたりとも、達成する努力は払われなかった。1945年5月5日に駐日ドイツ大使から送信されアメリカが傍受した電文が、「たとえ条件が厳しいものであれ、降伏」も含め、日本人が必死に講和を求めていたことに対するいかなる疑念をも払拭してくれる。それなのに、アメリカ陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、トルーマン大統領に、アメリカ空軍が、日本を「空襲で破壊しつくしてしまって」、新しい兵器が「実力を発揮」できなくなりはすまいかと「心配している」と言ったのだ。彼は後に「原爆を使わずにすませるためだけの目的で、降伏を実現させるという目的では、いかなる努力もしなかったし、一つとして真面目に検討されはしなかった」ことを認めている。海外政策にかかわる同僚たちは、「ロシア人を原爆で脅し、これみよがしに、尻に敷いておく」のに熱心だった。原爆を開発したマンハッタン計画の責任者レスリー・グローブズ将軍は、こう証言している。「ロシアが我々の敵であることについて、私はなんら幻想をもっておらず、計画はその原理のもとで遂行された。」広島が完全に破壊された翌日、トルーマン大統領は「実験」の「圧倒的大成功」に満足を表明した。

1945年以来、アメリカ合州国は、少なくとも三回、すんでのところで核兵器を使用するところだったと考えられている。連中の偽りの「対テロ戦争」を推進するにあたり、ワシントンとロンドンの現行政府は、非核保有国に対し「先制」核攻撃をする用意があると宣言している。噓の一撃ごとに、深夜の核のハルマゲドンに近づきながら、正当化の噓は益々理不尽になる。イランは現在の「脅威」だ。しかしイランは核兵器を持っておらず、イランが核兵器備蓄を計画しているというデマは、主に、不審をもたれているCIAが支援するイラン人の反体制派集団MEKから出たものだ。サダム・フセインの大量破壊兵器に関する噓が、ワシントンが仕立て上げたイラク国民会議から流されていたのとそっくりだ。

この「かかし」を生み出す上で、西欧マスコミの役割はきわめて重要だった。アメリカの国防情報総覧が、「かなりの確信をもって」イランが2003年に核兵器計画を放棄したと書いている事実は、オーウェルの「1984年」に描かれた「記憶廃棄穴(メモリー・ホール)」の中に廃棄されたままだ。イラン大統領マフムード・アフマディネジャドが、決して「イスラエルを地図から消し去る」という恫喝などしなかったことには興味はないのだ。しかしながら、こうしたマスコミの「事実」というスローガンはそういうものであり、イスラエル議会での、最近の卑屈な演技で、イギリス首相ゴードン・ブラウンはさらにもう一度イランを、脅したと、それとなくほのめかした。

西欧の支配者社会において、本当の脅威には、ほとんど言及されることがないままであり、それゆえ、マスコミも触れないため、この噓の発展は、我々に、1945年以来、最も危険な核危機の一つをもたらしている。中東には、たった一つ、節度のない核保有国があるが、それはイスラエルだ。1986年に英雄的なモルデカイ・ヴァヌヌが、イスラエルが200発もの核弾頭を製造しているという証拠をこっそり国外に持ち出し、世界に警告しようとした。国連決議を無視して、イギリスとアメリカが、1953年にイランのデモクラシーを崩壊させて以来、西欧が冒瀆してきた国と、新たなアメリカ政権がひょっとして、本当にひょっとしてだが、真面目な交渉をするのではないかと恐れ、イスラエルは現在、明らかに、イランを攻撃したくてむずむずしている。

7月18日のニューヨーク・タイムズで、かつてはリベラルと見なされていたが、今やイスラエルの政治、軍事支配層のコンサルタントであるイスラエルの歴史学者ベニー・モリスは、(代案は)「イランが核の荒れ地となることだ」と脅した。これは大量虐殺を意味しよう。ユダヤ人としては、皮肉のきわみだ。

ここで疑問が投げかけられている。善良なドイツ人たちがそうであったように、「我々は知らなかったのだ」と言って、我々は単なる傍観者でいるべきなのだろうか? 我々は、益々、リチャード・フォークが「西欧的価値観と無辜についての前向きのイメージが、脅かされたという風に描かれた、独善的で、一方的な、法律的/道徳的な遮蔽幕が、無制限の暴力というキャンペーンを正当化する」と呼んだものの背後に隠れるのだろうか? 戦犯を捕らえることが、またもや流行しているようだ。ラドヴァン・カラジッチは、裁判にかけられているが、シャロンやオルメルト、ブッシュやブレアはそうなっていない。一体なぜなのか? 広島の記憶が、その答えを求めている。

www.johnpilger.com

記事原文のurl:www.johnpilger.com/page.asp?partid=499

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NHKで08/08/07に放映された番組「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」のカメラマン、Joe O'Donnellの写真は、彼のご子息のwebで見られる。

関連記事翻訳:

ダニエル・エルズバーグによるMade Love, Got Warまえがき:父親は原爆用プルトニウム工場の設計者だった

2008年8月 6日 (水)

ヨーロッパがオバマに夢中になっている理由は何か?

Chris Marsden

2008年7月24日

民主党大統領候補者バラク・オバマの三日間のヨーロッパ訪問をめぐるヨーロッパ・マスコミが生み出している絶賛の波には、非現実的な雰囲気がある。

オバマが今日ベルリンで何十万人もの聴衆に演説する予定のドイツ・マスコミは、オバマに対し、大絶賛だ。デア・シュピーゲルは、この「救世主的要素」が、広範な「新しいアメリカを求める心」によって動機づけられていることに触れている。フランクフルター・ルンドシャウは声高に言う。「リンカーン、ケネディ、オバマ。」ベルリナー・モルゲンポストは、彼のことを「新たなケネディ」と書き、ビルド紙も、「この黒人アメリカ人は、新たなケネディとなった!」と書いて後に続いた。

そのような言説には、特にマスコミのリベラルな部分において、一定の自己欺瞞がある。イギリスのガーディアンの世論調査で、もしもアメリカの大統領選がイギリスで決められるとすれば、オバマは5対1の票差で共和党のジョン・ マケインを打ち破るだろうことが判明している。

同じ新聞の論説記事で、ゲーリー・ヤングは、「オバマニア」現象を、ジョージ・ブッシュによってもたらされた「世界のアメリカ観」に対する「蔓延している、深刻な」ダメージの副産物だと説明している。「大半のヨーロッパ人は、彼を単にブッシュの有望な後継者としてだけでなく、ブッシュの全否定-反ブッシュとみなしている。今の大統領が喧嘩早く、度量が狭く、冷淡で、でくのぼうなのに対し、オバマは、融和的で、世馴れており、好奇心が強く、洗練されている。」

ガーディアンの日曜版姉妹紙、オブザーバーは、オバマ礼賛と同じ論拠を引用したコンスタンツェ・シュテルツェンミュラーの記事を掲載している。

「オバマ大統領はとうとうヨーロッパにやってきた! そう、アメリカ人はまだ彼を選んではいないのだが。我々に関する限り、そんなことは単なる事務手続きの問題だ。我々はとっくの昔に決心したのだ。我々の大統領はバラク・オバマだ。」

しかし、一般国民の中にある、オバマはブッシュ時代という狂気の後、より文明的な政治への回帰なのだという幻想を、マスコミは単にそのまま繰り返しているのだという考え方は誤っている。オバマを「反戦候補」として、あるいは、持たざる人々の声として描き出されたものをそのまま鵜呑みにするような、政治に不案内な連中が相手というわけではない。

新聞は、あらゆる公式な政治場面でオバマへのてこ入れを遂行している。海外政策にかかわるオバマの最近の演説を入念に追い続けてきた編集者やジャーナリストも加わっている。彼等は、アメリカの軍事力と経済力をどのように伝えるかをしっかり把握していて、実力行使をする場合にも、ブッシュよりも単独行動主義の程度が低い人物の背後で、ヨーロッパ列強とアメリカ合州国の間により良い関係を打ち立てる好機だと結論したのだ。

国際社会におけるアメリカ実業界の利益を守ることに尽力するし、またその力があることを、アメリカの実業界に請け合うことに、オバマは過去数週間を使ってきた。

多数の目立つ演説やインタビューで、彼が提案している、就任から16カ月以内イラクの兵員縮小という線表は、絶対に動かせないものであり、また完全撤退の要求ではないことを彼は明らかにしてきた。しかもそれは、アフガニスタンの駐留アメリカ兵員を10,000人も増強し、パキスタンで、国境を越える作戦を開始するという脅しへの呼びかけと結びついている。

これは、合州国がイラクで苦しんでいる大失敗は、アメリカの世界的な立場を損ない、中東のみならず、世界全体を不安定化させることを懸念しているヨーロッパ列強の海外政策の優先順序と基本的に一致する。

ヨーロッパ列強は、アメリカの負担で、他人の不幸を喜んでばかりいるわけにはいかないのだ。冷戦が終わっても、彼等は依然として、合州国を、帝国主義的世界秩序の主要拠点であり、中国やロシアというライバルに対する極めて重要な平衡力と見なしている。オバマ受容は、舵取り役としてマケインよりは安全であり、あるいは、少なくとも合州国を他の国々により巧みに売り込める人物だろうという計算によるところが大きい。

オバマがイラク首相ヌリ・アル・マリキと会った後、政府のスポークスマン、アリ・アル-ダバグは、提案された軍隊撤退の日程を支持した。彼は報道陣にこう語った。「具体的な日程や日にちは言えないが、イラク政府は2010年末が軍隊撤退に適切な時期だと考えている。」

兵員数60,000人におよぼうとする「残留兵力」をイラクに置いておくことは、オバマを試し、困らせるために、彼等が何を発言しようと、マケインと共和党の計画にも、一致している。イギリスのゴードン・ブラウン首相は、条件が許せば、イギリスの残留部隊を、バスラ空港の英軍基地から、2010年の次回総選挙前に撤退させたいと示唆したが、これはブッシュ政権との話し合いなしには話題にするはずがないテーマだ。

オバマの政策は、より明確にイランとの交渉による解決を指向してきている点で、ヨーロッパにとって、マケインより魅力的でもある。ヨーロッパ列強の大半は、イランとの間で起こりうる戦争は、イラクよりも酷い惨事になる可能性が高いと見ている。

ヨーロッパのアメリカ同盟国は、これまでの所、アフガニスタンに自国軍を増派し、進んでリスクを負おうとはしてきていないが、中東や中央アジアの石油埋蔵量を採掘する上で、より大きな分け前を与えるような、多国間協調路線の海外政策に戻ることをオバマが示唆したと、彼等が信じさえすれば、彼等は進んで増派するかも知れない。

オバマに対する賞讃が高まる背後の動機について何らかの疑問があるとすれば、イギリスの大手右派新聞、テレグラフとサンデー・タイムズの論評で、それも雲散霧消するだろう。

テレグラフは、兵員をイラクから撤退させる意図を明言したオバマとブラウンに好意的な社説を書いた。同紙は高らかに言う「本紙は、バース党専制の打倒を支持しており、即時撤退要求については否定的であった。しかし占領は、決して永久なものを意図してはいなかった。

「二年前、同盟軍は内戦を抑えきれておらず、駐留そのものによって激化させていると、バランスが変わりつつあることを指摘した。以来、我々は撤退のための線表を要求してきた。

「ブラウン首相もオバマ議員もイランとアフガニスタンへと焦点を移しつつある。これも歓迎すべきことだ。」

サンデー・タイムズは、ルパート・マードックの会社ニューズ・コープの刊行物なので、オバマに対する態度は特に重い意味がある。7月20日版のこの共和党支援の中枢メディアは、アンドルー・サリバンによる記事、「オバマとマケインは、お互いの戦線を曖昧にしている。」を目玉にしている。

サリバンは、オバマとマケインの間には、更には現在のブッシュ政権との間にさえ、海外政策において、かなりな程度の合意があると主張する。

「誰もが、他の人と同意しているように見えるのに、その事実を頑として受け入れようとしていない」と彼は書いている。

「イランを例にとろう。オバマは、アメリカは、直接、宗教指導者と取引し、核問題について交渉し、テヘランがウラン濃縮を中断することについて、前提条件なしに会談すべきだと主張していることは良く知られている。ほんのわずか前まで、向こう見ずで、融和的なオバマと、決然とした、チャーチルのようなブッシュとの間の、これは明確で重要な差異だと聞かされてきた。

「しかも先週、ブッシュは、高位の国務省職員ウイリアム・バーンズに、テヘランの代表との、イランの核問題についての会合に出席する承認を与えた....

「イラクはどうだろう? オバマの立場は、ずっと、兵員は、迅速に、ただし注意して撤退すべきだ、そして、アメリカ軍は焦点をアフガニスタンとパキスタンに移すべきだ、というものだ。そして、驚くことなかれ、先週ブッシュはアフガニスタンでの任務を強化するため、イラクにいる兵員の撤退を促進することを検討しているのだと聞かされたのだ。おまけに、マケインも、アフガニスタンへの「増派」と称するものを支持する演説をした」

「実際、各人が明らかにするであろう海外政策のスタイルを、最も近い誰かに例えなければならないとすれば、マケインはロナルド・レーガンに、そしてオバマは父親ブッシュ大統領に近いだろう。彼の外交を オバマは常々賞讃しているのだ...これは途方もない差異とはいえまい。」と彼は結論している。

マードック所有の報道機関が、オバマを、1991年の湾岸戦争の設計者、父親ブッシュに近いと表現しているのは、彼の帝国主義的海外政策メッセージが、どれほどはっきり受け止められているかという一つの目安だ。

サンデー・タイムズの同じ版は、もしもヨーロッパ列強がオバマ指揮下のワシントンと、より良好なつきあいを期待するのであれば、支払うべき代償があるはずだ、とも予言している。

サラ・バクスターは、「ヨーロッパは、オバマへの絶賛への返礼として、多少「愛のむち」を貰うことになるかも知れないとコメントしている。既にオバマはNATOに対し、アフガニスタンにより多くの兵員を派兵し、各国軍の使用に対する制限を緩和するよう要求している。彼の最高海外政策顧問スーザン・ライスは、訪問旅行直前に、ブッシュの不人気を利用して、力仕事をアメリカにまかせるような「ただ乗り客」はもはや許さないと警告した。」

オブザーバー紙の、コンスタンツェ・シュテルツェンミュラーの論説は、この点で重要である。彼女は、アメリカ合州国 (GMF)、ドイツ・マーシャル財団ベルリン事務所の所長であり、元ドイツの週刊誌ディー・ツァイトで軍事と国際安全保障問題の編集者だった。GMFは1972年にドイツからの贈与によって設立され、本部はワシントンDCにある。アメリカとヨーロッパの間の関係を促進することを目的としている。

シュテルゼンミュラーは、まず「アメリカとヨーロッパとの関係は、良い方に変化した。今日、太平洋同盟には、落ち着いた、実際的な協力の精神がみなぎっている。我々は多くの価値や関心の上で同意し、しばしば、常にではないにせよ、共通の目的を実現するためには、お互いを必要としているという合理的な認識に基づいている。」と主張する。

共通の自己利益に関するオバマの新たな認識を十分に活用する為には、ヨーロッパは応分の軍事的責任を負わなければならないのだ、と彼女は主張する。

ヨーロッパは既に「バルカン半島における虐殺を終わらせるため、アメリカが介入せざるをえなかった1990年代初期には、(とりわけヨーロッパ自身を含め)誰も予想できなかった程、軍事力による威嚇を背景にした外交が得意になった。9/11攻撃とアフガニスタンの安定化の問題が、自国の安全保障以外のことにも責任があるという自覚を、とうとうヨーロッパに強いたのだ。とはいえ、我々は自分の格に合った場所で戦うという状態からは、まだほど遠い。」

ヨーロッパは「共通のへその緒から、目を引き離して、世界の中における自分の役割と責任を真面目に考えるよう強いられている。対立の蔓延や、世代を超える課題である気候変動、ロシアや中国のような自信に満ちた独裁的大国の勃興といった課題が、アメリカとヨーロッパは、結局は、お互いに、ほぼ何よりも望んでいる相手なのだという洞察を強化してきた。これは自発的な諸国の同盟と呼ぶことさえできる。」と彼女は続けて言う。

「これら全てからして、アメリカの次期大統領は,ヨーロッパの助力と支援を、後々ではなく、間もなく要求することになるだろう。オバマもマケインも、理想主義者なので、ヨーロッパ人が新たに見つけた、グローバルな責任という感覚が、ヨーロッパをして、イエスと言わしめると、期待するだろう。我々はそうすべきか? そう、我々はそうすべきなのだ。我々がそうしなければ、大統領は、独断する現実主義者のままであり続けるだろうから。」

オバマに次期大統領になって欲しいというヨーロッパ列強の願いが実現されようと、されまいと、彼をアメリカと全ての人類に新たな「希望」をもたらす人物として賛美するという馬鹿げた企てを生み出す動機の背後にあるのはこれなのだ。これは、より平和な世界ではなく、合州国とヨーロッパ双方の軍国主義が益々成長を続けるという前兆だ。

下記も参照:

Obama in Iraq underscores his commitment to US militalism

[2008年7月23日]

The Obama candidacy and the new consensus on Afganistan翻訳オバマの立候補とアフガニスタンに関する新たな合意

[2008年7月21日]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/jul2008/obam-j24.shtml

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やがては、あるいは、すでに、日本でも、宗主国アメリカと属国日本の支配層の意見の提灯持ちとして、同じキャンペーンが始まり、継続されるだろう。

下記に引用する、ビル・トッテン氏の2008年08月05日付けコラムOW831にある通り、個人の資質の問題を超えた、国としての本質こそ問われるべきだろう。マスコミなるものによって、それが問われることは永遠にありえないのだが。

題名:No.831 イラン攻撃すれば世界経済破綻l

ブッシュの時代はまもなく終わる。11月の大統領選ではオバマ民主党候補が勝つといわれ、米国の政策に大きな変化がおとずれるだろうという期待論が聞かれる。それは共和党主導の、戦争の時代が終わることへの期待である。

しかしそれは甘い。米国が行ってきた戦争や暴力行為は、アイゼンハワー、ニクソン、レーガン、ブッシュ親子といった歴代の共和党大統領だけでなく、ケネディ、ジョンソン、カーター、クリントンと、民主党の大統領も同じようにやってきたことだからだ。今、イラクやアフガニスタンで行っている、社会基盤を破壊し、民間人をも殺害するという米国政府の残虐さは、政党の違い、保守派やリベラル派の違いではないのである。

もしイランとの戦争が始まれば、米国だけでなく日本も、そして世界の残りの国も、中東の石油へのアクセスを失うだろう。それは米国経済だけでなく、世界経済をも破綻させる事態をまねく。世界の警察どころか世界のならず者は、戦争という究極の暴力行為によって人命も、そしてこの地球の生態系も、すべて破壊しつくそうとしている。その怪物がアメリカ合衆国なのだ。

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