ダライ・ラマの聖なる僧衣の背後
マイケル・バックマン
2007-05-23
ジャーナリストがダライ・ラマに挑戦することはほとんどない。
その理由には、彼が非常に魅力的で、人を惹きつけるからだということもある。彼に関わる報道記事の大半は、くすくす笑いや巧みなたとえ話を難しい答えの代用品にしている人物を軽やかに描きだすのみだ。だが彼は、恐らく自分自身を政府の首長として、現在、中国国民である何百万人もの人々の、広範な自治を求めている人物だ。従って、彼を政界の実力者として責任を持った人物としてとらえて当然だろう。
単なる宗教指導者というだけではなく、1959年に亡命した際、彼はチベット政府の首長だった。チベット政府は、貴族的で、縁故主義の僧侶たちによって運営される国家機構で、税を徴収し、反体制派を投獄し、拷問し、あらゆる全ての通常の政治的陰謀に関与していた。(ダライ・ラマの父親は、1946年にクーデター陰謀の結果、殺害されたことはほぼ確実だ)
亡命政府はインドで設立され、少なくとも1970年代まで、CIAから年間170万ドルを得ていた。
彼がそれで1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマの非暴力支持という公的姿勢にもかかわらず、この資金は中国に対するゲリラ作戦の対価だった。
ダライ・ラマ自身1950年代末から1974年までCIAの給料を貰っており、月に15,000ドル(年間180,000ドル)受け取っていたと言われている。
資金は彼に個人的に支払われたが、彼はその全てあるいは大半をチベット亡命政府の活動に使っていた。主としてニューヨークとジュネーブの事務所の資金と、国際的なロビー活動のためだ。
現在の亡命政府の財源詳細は、明瞭とはほど遠い。構造的に、亡命政府は、7つの省といくつかの特別部局で構成されている。公益信託、出版社、インドとネパールのホテル、アメリカとオーストラリアの手工芸品販売会社などがあり、全て亡命政府大蔵省の元に組織化されている。
政府は全部で24事業の運営に関与していたが、そのような商業活動は適切ではないことから、撤退することを2003年に決定した。
数年前、私は、ダライ・ラマの大蔵省に予算の詳細を質問した。それに対し、当時、約2200万ドルの歳入があり、様々な厚生、教育、宗教、文化プログラムに使われていると答えた。
最大の項目は政治に関する支出で、700万ドルだ。次に大きな金額は行政で、450万ドルだ。ほぼ200万ドルが亡命政府の海外拠点運営に割り当てられていた。
亡命政府が行っていると主張しているものに対し、こうした金額はかなり少なめに思える。
寄付金がどのように予算に組み込まれるのかは明らかではない。寄付金は年間数百万ドルにのぼると思われるが、ダライ・ラマの大蔵省は、それについて具体的な受取り証や、資金源は提示しなかった。
確かに、国外居住しているチベット人の間には、構造的汚職や、ダライ・ラマの名において集められたお金の乱用について、数多くの噂がある。
多くの寄付は、ニューヨークに本部があるチベット財団、1981年にチベット難民とアメリカ国民によって創設された組織を通して流れ込む。財団は様々な計画に年間300万ドルを費やす、数百万ドル規模の組織にまで成長した。
その資金の一部は、アメリカ国務省の難民計画局(Bureau for Refugee Programs)から出ている。
多くのアジアの政治家同様、ダライ・ラマは至って身びいきが激しく、自分の家族たちを多くの重職に任命している。近年、チベット亡命政府の最高行政府、つまり内閣であるカシャグ・メンバー6人のうち3人は、ダライ・ラマの身近な肉親だ。
彼の兄はカシャグの議長であり、治安大臣である。彼はまた、1960年代には、CIAが支援するチベット・コントラ活動の長だった。
義理の妹は、亡命政府の計画審議会会長と厚生大臣をつとめた。
妹は、厚生、文部大臣であり、彼女の夫は亡命政府の情報・外務大臣だった。
彼等の娘はチベット亡命国会の議員だ。弟はダライ・ラマ個人事務所の上級職員をつとめた、また彼の妻は文部大臣をつとめた。
義理の弟の二人目の妻は、北部ヨーロッパ・チベット亡命政府代表で、チベット亡命政府の国際関係部門の長だ。こうした全ての立場によって、ダライ・ラマ一家は、亡命政府を代表して集められた何百万ドルにアクセスすることができる。
ダライ・ラマは今や有名かも知れないが、彼について良く知る人はほとんどいない。例えば、広く流布している思い込みと異なり、彼は菜食主義ではない。彼は肉も食べる。肝炎に由来する肝臓の合併症後、医師の助言で、そうしている(と彼は主張する)。私も数人の医師に尋ねてみたが、痛んだ肝臓には肉が必要、あるいは望ましいことに同意した医師は一人もいなかった。
チベット内部のチベット人に対して、ダライ・ラマは一体何を実際に達成したのだろう?
もしも、彼の目標がチベットの独立、あるいはより近年では、自治の拡大であれば、彼は惨めな失敗者だ。
彼は、チベットを世界中で第一面の話題にして来たが、一体何が目的だろう? 主な業績は、彼が有名人になれたということのようだ。彼がおとなしくしていれば、中国によって拷問され、殺害され、全般的に抑圧されるチベット人の数も少なかったろう。
ともあれ、今のダライ・ラマは72歳だ。彼の後継者、つまり生まれ変わりの子供が指名されようが、意味のある役を演じるようになるまでには長年かかるだろう。中国に関する限り、オーストラリアのジョン・ハワードやケビン・ラッドが現ダライ・ラマと会見しようが、しまいが、これは自ら対処すべき問題の一つであることは確実だ。
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本記事原文 the age web
先に、Globalresearchが題名、冒頭部分に追記した文章を翻訳した。その文章がGlobalresearchから削除されたことについて、他のblog文章の貼り付けらしきコメントがあった。それで翻訳文章を一度保留した。
一方、著者原文は、そのままオリジナルのwebに掲載されている。そこでGlobalresearchで追記された部分を削除、オリジナルのwebの原文に対応するものとし、公開する。
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中国のチベット独立運動弾圧に抗議して、派手なパフォーマンスを繰り広げ、突然有名になった組織、「国境なき記者団」ちょっと調べるだけで、そのうさんくささ、それを全く責めないマスコミのインチキさの背景がわかる。
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