はてなキーワード: 定期テストとは
校内選考で選ばれ、正式に承認された人間しか行けません。誰かに枠を譲ってもらったとかダメです。大学は顔と名前を把握してます。
①成績
FランクやDランクの大学は平均評定2.8、3.0、3.2、3.5を条件にしている所が多いです
結論を言うと、1年からコツコツと勉強して定期テストで点数を取る必要があります。
②欠席日数
一般的には高校三年間で遅刻・欠席・早退が10日以内が目安だと言われています。実際は出身校によって異なるので不明
学校によっては、1年間の欠席日数が10日以内。高校3年間の欠席日数が30日以内という条件を設けています。
③活動実績
部活動、生徒会活動、ボランティア活動、資格取得(英検・漢検・TOEIC)が書けますね
④面接
事前にオープンキャンパスに行くと、予行練習になります。あらかじめ、最寄り駅から大学まで歩く時間を計っておきましょう。
先生や家族に面接練習をお願いして練習しましょう。本番までに自分が志望する学科の特徴を理解してください。
面接ではタメ口を使わず、敬語を使いましょう。自身の志望する学科の特徴を理解しないと落ちますよ。
⑤最後に
前提として教え方が悪い(合っていない)可能性は高い。こちらのイライラとかも伝わってると思うし、講師歴2年弱のただのバイトで勉強不足なのもある。それでも今日はさすがに心折れた。
問題が解けないのは仕方ない、3年生のこの時期に1年生で習うことを覚えてないのもこの際構わない。
でも、一対一ですぐ隣でたった30秒前に解説したことが全く入ってないのはどういうこと? ほぼ答え言ったよ? 何で説明する前と全く同じ答えを書いちゃうわけ?? あまりの徒労感と虚無感で数秒固まってしまった。リアルに。
申し訳ないけど本当に何らかの知的な問題か精神的な問題(疲労ストレスとか)があると言ってほしくなるレベル。ほぼ毎日数時間勉強してこれって、学校の授業にも絶対についていけてないし毎日地獄なんじゃないか?
もうどうしたらいいかわからない。一番つらいのは他でもないその子だと思う。正直自分の手に余る。実力も責任も足りてないバイトごときではこの子を合格させられない。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
小中学校の頃いじめにあってた。相手は男子グループで理由は多分転校生で方言が違ったとか汚かったとかそんな感じ。
「〇〇に触った汚ねーバーリヤー」とかいう感じの定番のいじめ。
そして同じ男子グループからもっと酷いいじめを受けてる男子がいた。
覚えてる限りでは掃除用のロッカーに閉じ込められるとか突き飛ばされるとかそんな感じ。
いじめられないためにも基本部活仲間とか友達と一緒にいたし、その子との接点はほぼなかったしあまり記憶がないけど、なんか1回定期テストの成績のことでニヤニヤしながら一方的に「次のテストでは俺が勝つ」みたいなことを言われたのだけは覚えてる。
ここまでが私の記憶なんだけど、成人して久しぶりにその子とあったら相手の記憶としては私もいじめっ子、いやむしろ私がいじめの中心くらいの記憶だった。
その子の言うことには成績を馬鹿にされたり無視されたり暴力ふるう男子グループも私がやらせててニヤニヤしてたらしいけど、まず馬鹿にするほど接点なかったし、男子グループには近寄りたくなかったからつるむはずがない。
確かにいじめの現場は傍観してたけど全員そうだったし、逆に自分がいじめられてる時にかばってもらった記憶もない。
恨み言言われてそんな感じで反論したらその子も狼狽えて「あれ・・・?」みたいになってたからそこで会話は終わってそれから会ってないんだけどどっちの記憶が正しいんだろう。
教師が本番の共通テストで点取れる保証をしてくれるわけじゃないじゃん
目の前の教師が共通テストの問題作るならテストに向けて点数取りに行くけどさ
何の責任無いのに、自分で作った定期テストの勉強しっかりやれだの、何様のつもりで言ってるのか分からなかった。
そんで予備校で身に着けた学力を、教師自身の手柄にしようとするじゃん、それがホントに嫌だった、予備校に金払ってんのこっちだぞって
結局受験のプロである予備校教師の話以外聞かなくなるし、授業中は基本寝てるし、宿題もしなかった。
定期テストは適当に書いて出して30点くらいになってたし、友達も居なかったから高校行く意味が全く無かった。
最終的に学校で教える教師が居ない科目を独学で勉強して共通テスト受けた。
私は別に理系崩れのように読解力が要らないとか言いたいわけではない。
むしろ高校の国語の授業は読解力を上げるのに1ミリも貢献しないか、あるいはあまりにもコスパが悪い構成になっていやしないか、と言いたいのだ。
目覚ましく有意義なのは小学校低学年の仮名のようなごく基本的な文字を覚えることぐらいだと思う。
そして高校にもなると完全にネタが尽きるのか完全に惰性的な授業内容と化している気がする。
「答え」が何で、その「答え」をどう導けばいいのか最後まで解説しない。
自分たちの授業が自分たちが突き付ける試験の成績向上に1ミリも貢献しなさそうなのは、つまり1ミリも読解力を上げるものになってないのは、何かのギャグではないのかと思わされる。
なんというか、完全に、6時間ないし7時間のなかで国語の枠を与えられてしまったので仕方なく尺稼ぎしているようにしか見えないんだよね。
出口の本を見る限り、中学生レベルの読解力が身についても、伸ばす余地と、その伸ばすために有効な読み方について教授できるネタはいくらでもあるはずなんだよね。
けれど実際の授業は現国のキーワードの小テストとその余った時間の尺稼ぎをしているだけ。
もう高校生なんだから単語なんで自分で学べばいい。小テストはしてもいいからどうせ無駄な授業しかしないなら国語に50分も与えなくてよいのではないか。その分他の科目の時間を増やすなりネタがないなら前に複素数平面が増えたように履修内容を増やせばいいのではないか。
そういえば鉄緑会は国語については「中受で培ったことでなんとかなるから乗り切れ」でフォローしないらしいな。
やっぱり「読解力」程度ものは小学校出る時点で完成されているべき、されていて当然のものなのかもしれない。たかが、母国語の解釈法でそんな教えるネタ探したってそりゃ無理が出るって。
それを中学高校以降も教える建前にしてしまっているからおかしなことになっているのかもしれない。
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どうにもうちのエンジニアは自分たちの仕事を定期テストの問題を解くようなものだと思っている節がある
問題文に不備があれば「せんせー!ここ間違ってます!」「なんでまちがってるんですか!ここ重要なんですけど!」「次からはちゃんとしてくださいよ!」って野次ってくる感じ
発注書のミスとか、デザインが明らかに悪いとか、そういうのはエンジニアにもわかるし、やる必要を感じればエンジニアは問題提起とかはするだろう。
一方で、エンジニアの実装のぱっと見でわからない不具合は、営業にもデザイナーにも指摘できない。
エンジニアチーム内でレビューをすり抜けたら納品後に発覚しちゃうのが実態だろう。
けっきょくエンジニア視点だと、他チームに協力しても自分たちの仕事への見返りはなく、一方的な持ち出しになるばかりなので、出し渋るのも仕方ないと思う。
もし可能ならば、
そういう協力をしてあげることで、エンジニアも他チームと優しく向き合ってくれるようになるだろう。
クライアントから「こういうWEBページを作りたい」「このまえ作ってもらったWEBページのここを直したい」といった要望を聞き、これを取りまとめてエンジニアやデザイナーに発注、納品されたものをクライアントに渡すという仕事
で、この仕事をやっていて思うんだけどエンジニアって性格終わってる人多くね?
営業やWEBデザイナーといった他業種にはない独特の性格の悪さがあると思う
「心理的安全性?なにそれ?」ってレベルの言葉遣いをしまくってくる
一体この差はなんなんだろう
一応規定のテンプレートに沿って発注書を作ったんだが受け持った案件がちょっと特殊であることがあとからわかって、仕様を詰められていない箇所があった
お疲れ様です。
(以下箇条書き10数個)
お言葉ですが最終チェックはされましたでしょうか?
これくらいのことを送ってきやがった
名指しで送られてきたものだから新人さんもパニックで「すみませんなんか〇〇さんが怒ってます!」って泣きついてくるし、何ならエンジニアチームに苦手意識を植え付けられた感じだった
流石にあまりにもな文面だったから後ほど個別チャットで「新人さんに対してあの文面はないでしょう「もうちょっと配慮してよ、新人さん怖がるよ」「せっかく入ってきた新人を潰したいのか」って内容をきちんとした丁寧語に直して送信したら、
ご指摘いただいた件ですが、開発部としては営業部の教育には関知できません。
って回答になってない回答を寄こしてきやがる
とにかく話が通じない
ちょっとでも情緒的な事情が入ってくるとこちらをシャットアウトしてくるんだよな
これが仮にデザイナーチームへの発注だったらそんなことはないんだよ
きっとチャットで「すいません〜確認したいことがあるので席伺ってもいいですか?」ってきてから口頭で「いや〜今回作るのって仕様が特殊なのでこのあたりの情報が欲しいんですよね〜」「すみませんがここだけ情報追記お願いできますか?」「新人さんなのにすごいめんどい案件受け持っちゃいましたねw」「追加の情報いただいたら次営業日には仮バージョン上げられます!」「頑張ってくださいね!」くらいのにこやかなコミュニケーションはしてくれただろう
(っていうか過去そうやって似たような案件でフォローしてくれた実績がある)
こんな調子だから社内においてエンジニアチームに対しては割と腫れ物を触るような対応になっている
何なら他部門と若干敵対しているような空気さえ流れているんだよな、同じ会社のメンバーなのに
どうにもうちのエンジニアは自分たちの仕事を定期テストの問題を解くようなものだと思っている節がある
問題文に不備があれば「せんせー!ここ間違ってます!」「なんでまちがってるんですか!ここ重要なんですけど!」「次からはちゃんとしてくださいよ!」って野次ってくる感じ
社会人の仕事ってそもそも問題作成のところから相互に協力し合って解決するものじゃない?違うの?
なんか最近は嫌なことがありすぎてエンジニアの連中を同じ人間とは思えなくなってきてるんだけど
こういうの全体会議の機会とかに指摘したほうがいいのかなぁと悩み始めているよ
【追記】
「10数カ所も指摘されるような発注書作ってるのが悪い!」みたいなこと言ってる人がいたので補足
本文に書いてある通りなんだけど新人さんが請け負った仕事は特別な対応が必要なもので、発注書も特別仕様の物を使わなきゃいけなかった
それを通常の仕様のもので送っちゃったってだけのことなのにネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチその通常の発注書にはなくて特別仕様の発注書にはある項目を指摘してきやがったって次第なわけ
それ特別仕様のやつになります!って普通に優しく言ってくれればいいでしょって話
いずれにせよやっぱりエンジニアって人として性格終わってる人が多いってのが反応を読んでよーくわかったわ
・わざわざ高圧的な物言いをしない
・わざわざ人の神経を逆撫でるようなことを言わない
・人に対して気遣いを持って優しく接する
わりとこれって社会常識というか、人と人とのコミュニケーションにおいて絶対に必要なことだと思うんだけどエンジニアってそういうの欠けてるんだな
どうせ暇だろうとなあなあで話が進み、親戚の事業の食品衛生責任者にさせられそう。
業務として私自身が何かをすることはなく、開業するうえでそういうお飾りが必要らしい。
ビデオを見てネットで簡単なクイズに答えたらその責任者になれるという流れはわかったものの、統失経験者で現発達障害者の私に任せていいものなのか。
普通の人間なら、資格試験で合格点を取れたような人だったら、それ以降も多少は知識が抜けてくるものの、その抜けが個人差を加味しても一定の範囲内に収まるのを見越して合格点を設定しているのだろうとから大丈夫なんだろうと思う。
しかし私の場合ビデオを見てその内容を問う確認テストでその時は合格点だったとしても、一週間でからっきりに元通りとなっていても不思議ではない。
そもそも学校の定期テストに臨む学生の多くはそんなものだろうに、その人たちが成長しただけの社会人の記憶力や学習意欲に対して期待しすぎではないか。
まして私は障害者だ。
何か衛生関係の問題が起こったとき、私に責任を問うのだろうか?障碍者で親族内弱者である立場からなあなあで言いくるめられた私に一体どこまで法的責任を問えるというのだろうか?
(本来後見人がついていてもおかしくない。限定責任とならないのか?)
私が良識で考える限りは事業者であるその親戚の責任の方が重大だと思うのだが……。私なんかに任せてしまうという部分も含めて。
dorawiiより。
自分は、色んなイラストを探すのが好きだった。で、気に入るイラストの条件として、「自分の創作の参考になるか」、もうちょっと下品な部分だと、「自分でもある程度それっぽく再現できそうか」ってのがあった。
しかし、冷静になって思い出してしまった。今まで自分、物事を上達させられたことが無いなと。創作もできるようにならないんだろうなあと。
だから、オタ活が急にできなくなった。先述したイラスト探しをはじめ、ちょっと悪い言い方をするなら創作の素材にするつもりでやっていたからである。
最初のとっつきは寧ろ他人よりちょっと早くて、褒められる。でも、それ以降上達させる方法が分からない。詰むタイミングが早すぎる花海咲季の下位互換みたいな感じである。
怠惰で上達させるほど継続できないってのもあるし、ちょっと継続できても上達のために次なにすればいいのかが全然分からない。PDCAを回す感覚を体感したことがない。
それでいて部活の経験はない。あと、一夜漬けで上辺だけ理解するのは得意だったので、定期テストの成績で指定校推薦を取れてしまった。だから受験勉強もしていない。
そんなんで大学生になったが、大学になると上辺の勉強では対処できないような難解な内容が増えてきて、勉強が追い付かなくなってしまった。
年をまたいで帰省していた。
久しぶりに会っても家族はやっぱりよい人たちだった。
私は病気でおよそまともな精神をしていないが、薬を飲んで生活を整えていれば短時間であれば対外的にまずいところはひた隠しにすることができる。
親にも気を違えそうなことや自分で処置可能な範囲の自殺未遂を繰り返していることは隠している。
金も手間もかけてもらった。都会に産んでもらって、展覧会、ミュージカル、コンサートにだってよく連れていかれたし、家庭教師をつけてもらったりもした。
神童も20過ぎればただの人とは言うし私が神童だったとは言わないが、中学生までは真面目に勉強しなくとも定期テストでは満点付近が取れた。きっと頭もわりと良いほうに産んでもらったのだと思う。今はとても自分の頭を冴えているとは思えないが。
恵まれていると思う。それでも精神は腐っていく。こうなってしまう原因をどうにかなすりつけたくて、両親に対して不満に感じていた部分を並べ立ててみたこともある。無意味だった。家を出てから顔を合わせて、やっぱり彼らは基本的に善人で、私に対しても間違いなくよくしてくれた。
現状、金にもそこまで困っていない。余剰はないが、趣味にも多少の金が回せる。パワハラされたりいじめられたりしているわけでもなく、激務でもない。付き合いの長い彼女とも上手くいっていて目立った不満もない。病気も、運良く合う医者を見つけてだいぶマシになった。書き連ねると改めて恵まれていることがわかる。自虐風の自慢のようにも見える。しかし違う。こんなにも満ち足りているのに、毎日死にたくてたまらない。眠れない。じっとしていたら気が狂いそうになる。そうでない日も死にたい。人と別れてからは何をする気も起きない。私自身にもどうして死にたいのかわからないのに死にたい。
物心がついてから絶えず死にたがり続けている。それを隠すために家族にも数え切れない嘘をついてきた。嘘の食事習慣、嘘の睡眠サイクル、嘘の読書内容、捏造した検索履歴を見せながら取り繕った表情で話をした。
正月からもう何度偽ってしまったかわからなくなった。家族を良い人たちだと再確認して、罪悪感に苛まれながら自宅に戻った。
私はまた1年見苦しく生き残るのだろうか。あといくつ嘘を重ねるのだろうか。
教科書が違うって言っても国定教科書の範囲内だし指導要領の範囲でどれぐらい学力が身についてるか図るのが目的に過ぎないのが公立の定期テスト
どこにでもありそうなほどよく発展した郊外の中学校に通っていた。一学年200人弱いた。
定期テストではほぼ常に満点や満点近くをとっていた(たまに90ちょいのこともある)。順位も1番のことも多かった。
まあトップ層はトップ層で十人ほどで競り合っていただろうことを考えても、俺より確実に学力が低い人が150人はいたはずなのだ。
そんな俺だが高校では数学や英語はちょいできる程度になってしまい、総合すれば並以下の学力になってしまった。
それでも自分よりレベルが高いであろう大学を狙ってしまってとうとう受験直前に統合失調様障害が出て措置入院となり十年ほど経ついまも無職である。
そこで思うのが俺ですら無職なのに俺より馬鹿だったはずのあいつらはどうなってるんだろう?ということ。首吊ってる?
いやいや、階層の再生産というわけで、あいつらのなかには家に遊びに行った間柄のやつも何人もいるが、父親はみな人並みのサラリーマンをしているようだった。零細とか合同みたいなところじゃなかったはずだ。
とすればあいつらもまたそういうサラリーマンになっている可能性が高いはずで…。でも俺より馬鹿で俺はあくまで無職で…。矛盾を感じるんだが?
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大学受験は大失敗し、私立文系Fラン大学(9.5割推薦入学)へ入学した。
当たり前と思うかもしれない。抽象的だから刺さらないかもしれない。
しかしメンタルをやられると、合格=志望校の試験に受かるという結果であることを忘れてしまう。
増田の敗因を挙げるならば、
・指定校推薦を取って遊んでいる友達が羨ましかった(遊びへの我慢)
・模試でいい成績をとる友達と比べては病んでいた(いい成績の人に囲まれて辛い環境の我慢)
・毎日睡眠時間4時間半で勉強していた(睡眠欲に耐える我慢)(10/11追記:嘘っぽいのここか。マジで睡眠欲に耐えてただけなので肝心な勉強は集中できてないということ。通学1時間半かけてたから毎朝6時起きなのに寝るの大体1時半だった。)
というところだ。
1つでも多くの問題を解けるようになることが大切なのに、
履き違えていた。
・遊んでいる友達を羨むのではなく、問題集を1ページ進めてから息抜きする
・人と比べて病むのではなく、1問でも多く問題を解けるように模試を1問解く
・睡眠時間を減らして眠気に耐えるのではく、ある程度寝てから集中して単語5個を覚える
たまに我慢と努力の履き違えをしたまま病むだけ病んで受検失敗した子を数人見た。
遊べないのが辛いなら、遊ぶべきだと思う。
実際に高校の先輩で、二年まで定期テストクラスで下から数番目、夏休みまで部活していたものの、
夏休み明けからは、日曜の午後は一切勉強しないというルールだけを徹底し、某公立大学に合格した先輩もいる。
もう一度伝えるが、受験においては志望校の試験に受かるということがゴールだ。
(人生では受験や大学入学は通過点であるべきだけどね。辛い人は今は考えなくてもいいかも。)
増田が入学した大学は、推薦以外の0.5割は同じ受験失敗組だった。
そのなかの2人と友達になった。
2人がいたので、1年次は傷を舐め合いながら生きていくことができた。
2人は、1年次終わったら休学して地方国公立へ再受験すると言って大学で見なくなった。
連絡が疎遠になってしまったが、2人目は再受験したのかどうかすらわからない。
この前連絡がきたが、今何をしているかは聞けなかった。
その子が言っていた「上ばっか見てるのは辛いから、たまには下を見てああはなりたくないと思うことも必要だよ」という言葉はずっと覚えている。
増田は仮面浪人も編入もせずそのFラン大学を卒業した。意外と大学の授業が面白かったのと、もう二度と苦しい思いをしたくなかったからだ。
大学で割といい成績を取り、教授にもそこそこ気に入られてたため、卒業式の卒業生代表挨拶に選ばれるかもと噂があった。
結局私より成績が良い人が1人いて、その人が代表挨拶だった。同じゼミのAO入学の子だった。最後の最後までプライドをへし折られた。
別に失敗したっていい。
大学名は就活に影響あるけど、ある程度大学での行動でカバーできるし、
何回か就活の面接で話題に出したし、ウケが良かったこともある。
社会人で強靭なメンタルで仕事できているのでこの大学に入ってよかったと思う。
受験の失敗経験を活かし、早めから就活対策して大手メーカーへ運よく就職することができたが、社内の新人賞も後少しのところで落とした。
人生こんなもんですよ。
義務教育中学=私立公立で受験しないと入れないところに入学しなかった場合自動的に籍を置かれる中学、と定義
端的に言えばごくふつうの公立中学のイメージでいいと思うんだけど、この種の中学の定期テストの難易度は全国一律で差がほとんどないはず。
この場合で中学のころタイトルのような得点率だった場合は期待値的に全国上位何パーセントの学力に入る可能性が一番高いのだろうか、という話。
ネットで馬鹿にされたとき俺はたまに「自分は中学でずっと~点だったんだぞ」などと書き名誉回復を図ろうとすることがあるので気になった。これってそもそも恥さらしにしかなってないかもしれないんだよなと。
まあほとんどの義務教育中学で育った子は義務教育中学以外に受験で入って勉強した子の最下位クラスよりも下ではあるのだと思う
でも義務教育中学でもトップ層なら、そんなに偏差値高くない私立公立中学の最下位よりは学力上という期待値も高そうだし、トップ層は模試も受けてそこでそれなりにいい成績とる子からノー勉でも割とできるやつまでそれぞれなはずんだよな。
一体期待値的にどのあたりに落ち着くんだろう?下位40%とかだったらやっぱり恥だよ。
(もっとも中学のころの成績引き合いに出すやつは高校でがた落ちしたりなんかの事情で大学言ってなくて大卒の学歴自体持ってないとかいろいろ察せられたら終わり、そういうあまりにも隙だらけなマウントなんだよな…)
感情のまま書き出しているので文章ぐちゃぐちゃで読みづらいと思う、申し訳ない
この前同伴したお客さんが本当にきつかった
いわゆる弱者男性ってこういうのを指すのか、というくらい清々しいくらいの弱者男性
まず自分が予約取った店なのに一向に先に入ろうとしない
私から誘ったなら私が先に入るべきだけど、こちらはあなたがどんな名前で予約したか知らないからあなたが入ってくれないと困るんだが?
行きましょーと行っても入らずイラついたので私が結局先に入ることに
普通に手でも挙げてすみません〜って声をかければいいのに、店員来ないねと挙動不審なくらいキョロキョロする始末
恥ずかしすぎる、頼むからやめてくれと思いこちらも私が手を挙げて店員さんを呼び、注文も私が済ませた
ここまでであればまだ我慢できたが、食事の時に音を立てて食べる 品がない、ありえない
その上店員さんについてボソボソネチネチと文句をつける 注文してないものが運ばれてきたことに対して奴はボソボソ文句を言い、これどうする?などと私に言った 直接店員さんに何かを言った訳では無いが、こんなもん頼んでないですと言って下げて貰えば良いだけだろ 面と向かって話すことはできないくせに裏でネチネチボソボソ文句を言う態度が心底気に食わなかった
もっと何かあった気がするが食事のときの話はこのくらい このあと私が勤務する店に行った訳だが、彼はここで高校時代の成績(現物)を見せてきた
40すぎの男が20代の女に30年ほど前の成績を見せてイキってる図が本当に惨めで仕方なかった、というよりものすごく引いた
つーか高校時代の定期テストの順位表なり模試の成績なりをまだ取っておいてるのかこいつは。そんなもん捨てるだろ。私に見せるためにせこせこ探したと思うと非常に哀れだった
これを見せる際に「中学時代の成績だと学年1位とかあるから嫌味になっちゃうと思って!」などと言われたが、なぜ私が40すぎのおっさんの中学時代の成績自慢を嫌味に感じなければならないのか甚だ不思議だった(見せてくれた成績はまあ四大行くならこのくらいは普通にあるよね、というくらい普通の成績だった 昔と今では教育内容も変わっていると思うのであくまでも私の物差しで見た主観だが)
私はこいつとこれまで関わってくる中で成績の話や学歴の話など1ミリも出したことは無い 一体何のアピールなのか。
こいつは人を見下しているのだとひしひしと感じ言い様の無い不快感があった
こいつと渋々フレンドになったゲームがあるのだが、それにログインしていないと「〇日ログインしてなかったね!忙しいのかな?」やら「〇時間前にオンラインになってたね!」やらメッセージを飛ばしてくる始末。恐ろしすぎて大好きだったそのゲームも離れがちになってしまった。許せない。早くオンライン非表示の機能を実装してほしい。
この他にも色々と哀れな要素はあるものの、あまりにも多すぎて書き出しきれないのでここまで。
どうしてこんなにコミュニケーション能力が欠如したプライドだけはバカみたいに高いモンスターが出来上がってしまったんだろうか
こいつは実家暮らしで友達もいないようだから、やはり人生の正しい段階で正しく人と関わることが出来ないとこのようになってしまうんだろうか
私も陰キャだが、仲良くしてくれる友達が一定数いて、それなりに辛くも楽しい学生時代を送れたことはとてもありがたいことだと思う