はてなキーワード: 同人とは
私は二次創作漫画を描き同人誌をイベントで頒布したりしている。東京は勿論、地方開催、個人主催、webオンリーなど様々なイベントに年に3回ほどサークル参加している。
しかし同人誌の在庫はなかなか減らず、新刊を作っては在庫を増やすばかりだ。それはきっと私がマイナージャンルのBLを描いているからだと思う。
どのくらいマイナーなのかというと、全年齢向けで健全な二次創作をしている者もいればBLを描いている者、夢小説を書く者もいるのだが各1名ずつしかいない。そしてその二次創作を熱心に読んでいるのも私たちくらいしかいないっぽいのだ。
支部の検索数は作品名でようやく二桁になる程度。しかし大半は別ジャンルでその作品のパロディ絵である。世代であれば分かるかもしれない程度には人気でアニメ化もされているがジャンル自体古く、公式からの動きは20年以上無い。
イベントに参加すれば立ち読みすらされない。よく聞く通り過ぎ様に笑われる……なんてことも無いままイベントが終わることがある。
そんなマイナージャンルに沼ったことにより淋しかったり傷付いたりすることもある。そんな哀しさを他マイナージャンルのオタクもしているハズと思いX、note、vlogなどで『マイナーカプ』『マイナージャンル』と文字を入れ同じ気持ちを分かち合おうとする時がある。
しかし読んでいると意外と「マイナージャンルはコミケだとよく出るよ!」「何十部刷って完売しました!」「参加者の皆さまとお話ができ楽しかったです。」などとてもエンジョイしているようなものも目にする。そしてそういうものを見る度、「あなたは本当にマイナーなの……?」と思う。
実はそういったマイナージャンル同人作家の言葉を信じコミケに参加したことがある。結果は1部しか出なかった。さらに買ってくれた長年コミケに来ていそうな参加者が「このジャンルの同人誌初めて見ました!」と言った。イベント参加時は買ってくれて、そのジャンルが好きな創作者以外のオタクに会えてとてつもなく嬉しかったが帰りの電車で「このジャンルの同人誌、私のしかないの?」とジワジワと悲しくなった。
マイナーと言っても『作品自体がマイナー』『人気作だが同人ではマイナー』『昔は同人でも人気だったが今はサークル1つなのでマイナーと呼んでる』と段階があると思う。
マイナージャンルで同人イベント参加レポやまとめを作る際は、どういったジャンルで過去現在どの程度のマイナーなのかを教えてほしい。
うむ
例えば唯一非商業系出身で今オタクコンテンツといえば中韓ソシャゲという中で
唯一国産で互角に渡り合ってる程ロングヒットメーカーの型月の菌糸類なんかがそうだな
旧コンパイルが潰れてからその才能を信じて食わせてた人たちのおかげで、結果月姫で花開いた
例としてはかなり希少例ではあるけど、元増田が言ってるヤマグチノボルも正式デビューは28歳の遅咲きだしな
「オタク界隈に反社会的・下層階級的属性を持つ人物が増えているのではないか」という指摘には、一部共感できる側面がある。
一方で、そこにはかなり飛躍した推論も含まれていると感じる。
つまり「もともと恵まれた層が築き上げたオタク文化に、社会的に報われない層が入り込み、格差に耐えられず暴発する」という構図は、一部の傾向を捉えているかもしれない。
たしかに、90年代後半から2000年代初頭のオタク文化、特にエロゲーやアニメ、ラノベの創作物を牽引した作り手の多くは、中産階級以上の家庭出身だった。
実際に、時間的・経済的余裕が必要な創作活動には、ある程度の「実家の下支え」が必要だったのは事実だ。
また、90年代の同人文化やPCゲーム開発にも、設備投資とスキルの習得という高いハードルが存在していた。
しかし、インターネットとスマートフォンの普及によって、こうした文化は広く一般層にも行き渡るようになった。
今では、貧困層や社会的に孤立した人々でもアクセスできる環境が整っている。
そこに「異世界転生」や「俺TUEEE」のような物語が刺さりやすいのも理解できる。
投稿者が指摘するように、これらのコンテンツが「幻想」を提供し、それが壊れたときに怒りや暴力へ転じる。
これは一部にはある現象だ。
しかし、それがすぐに事件化につながるというのは、過度な一般化である。
京アニ放火事件の青葉真司を例にしても、彼の犯行には精神疾患や生活苦、社会的孤立といった複数の要因が確認されている。
文化は「きっかけ」にはなり得ても、「原因」ではない可能性が高い。
また、プロレタリア文学の例――たとえば小林多喜二『蟹工船』のような作品は、もっと直接的に階級闘争を描いていた。
だが、それは現実と向き合うものであり、怒りを政治的な運動や集団行動へと昇華させていた。
現代のオタク文化は、「現実との闘争」ではなくむしろ「現実からの逃避」を描くものが多い。
そこには連帯も革命もなく、「自分だけが選ばれる」という個人幻想がある。
それが自己肯定感につながることもあるが、時に現実とのギャップで苦しむ人も出てくる。
その幻想が壊れたとき、孤立した人間が暴発する危険性は否定できない。
ただし、そうした人々を「文化の外に出て行け」と切り捨てるのは短絡的だ。
彼らにとって、その文化こそが最後の“居場所”であることもあるからだ。
本当に問うべきは、こうした人々がなぜオタク文化にしがみつくしかない状況にあるのかという点である。
孤立や困窮に対して、社会が支援やつながりを提供できていない現状こそが、問題の核心ではないか。
文化を悪者にするのではなく、それを必要とする人たちの背後にある社会的現実に、もっと目を向けるべきだ。
オタク文化に惹かれる人々の多様さを認めつつ、彼らが孤立せずに生きられる仕組みを作ることが、より本質的な解決につながるだろう。
Supported by ChatGPT 4o
2025-2026
・🇺🇸AI Agentの普及が加速するが、期待ほど万能ではない現実が判明(失望が起きる)
・🇺🇸企業のAI導入率が70%を超えるが、多くは限定的な用途に留まる
・🇺🇸マルチモーダルAI(音声・映像・テキスト統合)が本格化し、人との自然な対話が普通に
2026-2027
・🇺🇸オフィスワーカーの5人に1人が業務内容の大幅変更を経験
・🇺🇸予約代行AI
2027-2029
・🇺🇸教育システムがAI前提に大幅変更、従来の暗記型学習が淘汰
・🇺🇸事務仕事の完全AI化が達成される起業が現れる(日本では+2年)
・🇯🇵人口減少とAI導入が同時進行し、労働市場の構造が根本変化
2028-2029
2029-2030
・「AI使えない人」と「AI使いこなす人」の格差が社会問題化
・人間同士の直接コミュニケーション能力が希少価値に
by ChatGPT,Gemini,Claude
クラファン特典の先行体験版やったけど、シナリオはおもしろそう
ただ、裁判パートが、前半までとはいえかなりロンパそのものなので、
商業展開バリバリやってて、それはどうなのって気もしないでもない
とはいえ、シナリオライター主導のゲームってことで、たぶんあるだろうどんでん返しギミックも含めて、シナリオには本当に期待している
作画のベクトルというのは時代に影響されるものでしかないと思ってて、ガンダムも見てはいないけど鉄血とか水星とかのへんのキャラデザは普通に今風のだと思う。同人イラスト知識でしかないけど。
作風は別に萌えオタクとは言ったが萌えアニメしか見ないわけじゃないし、ロボットものならアルドノア・ゼロとか、リアル系ならOBSOLETEとか好きだし。
青春部活ものならラブライブ、バディものならタイバニも好きだからサンライズとの相性も悪いわけじゃないだろう。
昭和の大手IPを作り上げた人間が作ってる昭和遺伝子系(と俺が勝手に分類してる)ものの中でも、ガッチャマンクラウズとかSSSSシリーズとかの作品性はかなり刺さった。
でもエヴァは最初の数話でなんか引き込まれなくて離脱したし、ガンダムもエヴァも30年オタクとしてネットの海彷徨ってると名言もあらかた知ってるし、どういう作品なのかも目に入ってくる言説だけでだいたい輪郭は想像できて、わざわざ触れる気がしなくなる。
昭和遺伝子系で触って良かったなというアニメは、漫画原作だけどジョジョくらいだろうか。まあそれも、ネットで語ってる人らの記憶力には全然かなわなくて「そんなキャラいたなぁ…いたっけ?」「そこ面白がるんだ」みたいなことばかりだが。
まあだから、俺が昭和臭くて敬遠したくなるなぁというセンサーが働く部分は絵柄じゃなくて、にじみ出てくるアクのような成分に対してなんだろう。
同人界って不思議だ。ものすごく技巧のある書き手が無視されていたり、逆に「なんで?」って思うような作品がバズっていたり。大抵は、マーケティングが下手だったり、上手いけど取っ付きづらい、いわゆる孤高の同人作家とか高尚様っぽい文だったりする。声のでかい人に拾われて囃し立てられがちだけれど,結構性格が捻くれててボロが出て周りから人が離れてったり,徹底的に受け身だったりでそういう人はすぐ別のジャンルでまた「神同人字書き」として高尚様をする。でも私は、それとは別の種類の「沼」に落ちた。ほんと、今考えてもなんだ、あの人。
ある同人作家がいる。おんなじジャンルの二次創作同人の字書きだ。当然ではあるが名前は伏せる。
フォロワーは多くない。字書きの能力というか,絵のうまさ的な文のうまさ?は正直、他の上手い人の方が文法的には整っている。その人の作品は中学生でも読めそうで、使ってる言葉も難しくない。たまに言葉の使い方を間違えている。誤字脱字報告すらマシュマロには来ていないみたいだ。どんなのでも欲しいって言ってる割に指摘してもらえてない。
粗を探せば「どこにでもいる中小字書きだよね」って感じだ。でも、その人の小説は幻想的で面白い。蟲師みたいなストーリーの面白さと儚さがある。時々、ニッチな性癖小説とか死ネタとか、これ読む人によっては地雷だろ……ってものを上げている。実際,タグだらけで支部に投稿されたそれらをごめん無理だわってリプライでフォロワーが読めなくてごめんとわざわざ送っているのも見た。
でも私にはそのすべてが刺さった。よもや私の妄想が具現化したんか?つーくらい好み。
その人の小説はト書きのような台詞というか、実際リズムが良くてキャラが言ってるんじゃないか?ってくらい特徴を掴んでいる。自分でも違和感がないかどうか口にだして読んだり,「頭の中にキャラを住まわせて、キャラがちゃんと台詞として読んでくれるかどうか」を検証したりしてるらしい。なんだそれ。夢女大歓喜じゃない?と思ったけど夢書きさんではないし、そもそも腐女子だから愛を囁くのは夢女じゃなくて推しカプの片割れだけど。
「頭にキャラを住まわせて」って部分,自分にはできないというか病気では?と思ったりもするけど,その人は独特な世界観を作るし,実際キャラ作りが上手い。私の中の推しキャラたちと遜色ない台詞使いや性格をしている。キャラのの解釈一致がすごいんだと思う。違和感がないんだ。そんでストーリーが私からは出てこない突飛なものたち。
成人向け描写もよく書く。それに付随した特殊性癖のニッチもニッチなやつ。読みながら「うわうわうわ」って声が出るくらいには生々しくてグロも怖い感じに書く。体験してんじゃないか?みたいな描写のうまさ。前に手術したときの体験を使ったみたいに言ってたけど,作中は内臓引き摺り出されて口から血のあぶくが出てたりしたから「お前死んでないよなそれ痛みで?」て若干心配になった。想像力猛々しいというか、本能で書いてるんだと思う。
私なんかは読めるけど、それが「うわ」だけで終わらないのがすごい。めっちゃ引き込まれる。前に同人女の感情で綾城さんの小説を初めて読んだ七瀬が「絶望的なまでに
」って書いてたけど,私にとってその人の文ってまさしくそんな感じだ。そこまでバッドエンド寄りではないけど、バッドエンド?メリバ的な感じ。地の文も詩みたいで綺麗な言葉遣いだけど、映像で浮かんでくるみたいで読み続けてしまう。たぶん想像力の密度がすごいんだと思う。体験していないはずなのに、読んでいると体験しているような感覚になる。私ほどその人の文でこんなに共感して、追体験してるのも他にいないんじゃないかって思ってる。そのくらい感覚が似通ってる。私,いい読者だなー!なんて思いつつせっせとマシュマロやらに感想認めたりDM送ったりする。
その人は言葉の選び方もセンスがある。わかりやすい。でも馬鹿っぽくない。たまに読み返して「この単語よく拾ったな」って驚くことがある。文章のクライマックスに合わせて怒涛に文章を畳み掛けてくるようなリズムもあって、あっここ見せ場だってわかる。理屈じゃなくて脳に直接入ってくる。たぶん本能的なんだろう。意識してるのかしてないのか知らないけど、センスの暴力みたいに刺さってくる。
書いてる小説がニッチだからか、あんまり話してる人がいるようには見えない。たまに鍵垢で盛り上がってるっぽいけど、それもジャンルが斜陽に入ってからは見てない。
あの人は別に、無口で孤高な作家じゃない。むしろ全然逆だ。明るいし、コミュ力お化けだし、承認欲求もまっすぐで、かつては他の作家とよく絡んで、交流して、楽しそうにしている。
作品も書いてるものにしては反応も多いし、人気もある。誰にも気づかれずに、みたいな悲劇性は一切ない。自分から宣伝してるし。
いや、その人の作品大好きな身ではあるけれど「すげーー!このネタを人に勧める!!?」みたいなことも平気でしてたりするからすごい。でも苦手そうな人にはちゃんとワンクッション置いたりというか、配慮もすごい。気配りも鬼か?って思う。
私の作品自体は、あの人に「読まれたことはある」。でもそれは成人向けの一部だけ。たまたまエロ読みたい気分でヒットしたんだろう。
ただ、普段のストーリーは、興味を持たれていない。私の渾身の小説、ブクマが伸びていたやつを読んだりはしてない。気に入った作品はブクマしているから、単純に好みじゃなかったんだろう。
でも読まれなくたってその人の小説やらネタツイートは好きだから,ツイートを追っていいねは飛ばしてる。
あーー、なんで私この人じゃないんかな。この人の小説書いてるのが私だったらよかったのにな。それか絵描きでこの人好みの作家だったら、もう少し交流持てたんだろうか。全然興味持たれてないから自分から交流しに行けない。辛いよ。
同人界って不思議だ。ものすごく技巧のある書き手が無視されていたり、逆に「なんで?」って思うような作品がバズっていたり。大抵は、マーケティングが下手だったり、上手いけど取っ付きづらい、いわゆる孤高の同人作家とか高尚様っぽい文だったりする。声のでかい人に拾われて囃し立てられがちだけれど,結構性格が捻くれててボロが出て周りから人が離れてったり,徹底的に受け身だったりでそういう人はすぐ別のジャンルでまた「神同人字書き」として高尚様をする。でも私は、それとは別の種類の「沼」に落ちた。ほんと、今考えてもなんだ、あの人。
ある同人作家がいる。おんなじジャンルの二次創作同人の字書きだ。当然ではあるが名前は伏せる。
フォロワーは多くない。字書きの能力というか,絵のうまさ的な文のうまさ?は正直、他の上手い人の方が文法的には整っている。その人の作品は中学生でも読めそうで、使ってる言葉も難しくない。たまに言葉の使い方を間違えている。誤字脱字報告すらマシュマロには来ていないみたいだ。どんなのでも欲しいって言ってる割に指摘してもらえてない。
粗を探せば「どこにでもいる中小字書きだよね」って感じだ。でも、その人の小説は幻想的で面白い。蟲師みたいなストーリーの面白さと儚さがある。時々、ニッチな性癖小説とか死ネタとか、これ読む人によっては地雷だろ……ってものを上げている。実際,タグだらけで支部に投稿されたそれらをごめん無理だわってリプライでフォロワーが読めなくてごめんとわざわざ送っているのも見た。
でも私にはそのすべてが刺さった。よもや私の妄想が具現化したんか?つーくらい好み。
その人の小説はト書きのような台詞というか、実際リズムが良くてキャラが言ってるんじゃないか?ってくらい特徴を掴んでいる。自分でも違和感がないかどうか口にだして読んだり,「頭の中にキャラを住まわせて、キャラがちゃんと台詞として読んでくれるかどうか」を検証したりしてるらしい。なんだそれ。夢女大歓喜じゃない?と思ったけど夢書きさんではないし、そもそも腐女子だから愛を囁くのは夢女じゃなくて推しカプの片割れだけど。
「頭にキャラを住まわせて」って部分,自分にはできないというか病気では?と思ったりもするけど,その人は独特な世界観を作るし,実際キャラ作りが上手い。私の中の推しキャラたちと遜色ない台詞使いや性格をしている。キャラのの解釈一致がすごいんだと思う。違和感がないんだ。そんでストーリーが私からは出てこない突飛なものたち。
成人向け描写もよく書く。それに付随した特殊性癖のニッチもニッチなやつ。読みながら「うわうわうわ」って声が出るくらいには生々しくてグロも怖い感じに書く。体験してんじゃないか?みたいな描写のうまさ。前に手術したときの体験を使ったみたいに言ってたけど,作中は内臓引き摺り出されて口から血のあぶくが出てたりしたから「お前死んでないよなそれ痛みで?」て若干心配になった。想像力猛々しいというか、本能で書いてるんだと思う。
私なんかは読めるけど、それが「うわ」だけで終わらないのがすごい。めっちゃ引き込まれる。前に同人女の感情で綾城さんの小説を初めて読んだ七瀬が「絶望的なまでに
」って書いてたけど,私にとってその人の文ってまさしくそんな感じだ。そこまでバッドエンド寄りではないけど、バッドエンド?メリバ的な感じ。地の文も詩みたいで綺麗な言葉遣いだけど、映像で浮かんでくるみたいで読み続けてしまう。たぶん想像力の密度がすごいんだと思う。体験していないはずなのに、読んでいると体験しているような感覚になる。私ほどその人の文でこんなに共感して、追体験してるのも他にいないんじゃないかって思ってる。そのくらい感覚が似通ってる。私,いい読者だなー!なんて思いつつせっせとマシュマロやらに感想認めたりDM送ったりする。
その人は言葉の選び方もセンスがある。わかりやすい。でも馬鹿っぽくない。たまに読み返して「この単語よく拾ったな」って驚くことがある。文章のクライマックスに合わせて怒涛に文章を畳み掛けてくるようなリズムもあって、あっここ見せ場だってわかる。理屈じゃなくて脳に直接入ってくる。たぶん本能的なんだろう。意識してるのかしてないのか知らないけど、センスの暴力みたいに刺さってくる。
書いてる小説がニッチだからか、あんまり話してる人がいるようには見えない。たまに鍵垢で盛り上がってるっぽいけど、それもジャンルが斜陽に入ってからは見てない。
あの人は別に、無口で孤高な作家じゃない。むしろ全然逆だ。明るいし、コミュ力お化けだし、承認欲求もまっすぐで、かつては他の作家とよく絡んで、交流して、楽しそうにしている。
作品も書いてるものにしては反応も多いし、人気もある。誰にも気づかれずに、みたいな悲劇性は一切ない。自分から宣伝してるし。
いや、その人の作品大好きな身ではあるけれど「すげーー!このネタを人に勧める!!?」みたいなことも平気でしてたりするからすごい。でも苦手そうな人にはちゃんとワンクッション置いたりというか、配慮もすごい。気配りも鬼か?って思う。
私の作品自体は、あの人に「読まれたことはある」。でもそれは成人向けの一部だけ。たまたまエロ読みたい気分でヒットしたんだろう。
ただ、普段のストーリーは、興味を持たれていない。私の渾身の小説、ブクマが伸びていたやつを読んだりはしてない。気に入った作品はブクマしているから、単純に好みじゃなかったんだろう。
でも読まれなくたってその人の小説やらネタツイートは好きだから,ツイートを追っていいねは飛ばしてる。
あーー、なんで私この人じゃないんかな。この人の小説書いてるのが私だったらよかったのにな。それか絵描きでこの人好みの作家だったら、もう少し交流持てたんだろうか。全然興味持たれてないから自分から交流しに行けない。辛いよ。
んー。わかる。(長くて途中で読むのやめたけど)
同人は趣味だから他者の評価は気にせず描きたいものを描きたいように描くけど、わたしが辿り着きたいと思ってる原作の読み込み力、理解力、解釈力と、それを活用して1つの作品を仕上げるシナリオ力と文章力、表現力、そして出来上がったもののエンタメ力に出会うと凄い悔しいし、自分が劣っている事実に耐えられなくなる。
(プロの小説家でもないのだから、わたしより優れた作家がいるのは当然なんだけどね。同人の世界にはセミプロだっているわけだし)
私は同人文字書きの端くれで、私が追っている彼女も小説を書く二次創作同人作家。
私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。
と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。
私は、彼女が嫌いだ。
嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理で彼女のことを追っている。
なぜ嫌いなのか。
理由は普遍的かつ単純で、私は彼女に嫉妬しているから彼女のことが嫌いなのだ。
いや正確には、彼女の作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。
読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。
彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯が通っていて、その感情を軸に人間というものが瑞々しくそこに描写されている。
自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。
そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。
それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。
そうであれば私も素直に彼女の作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。
彼女の作品に一切の隙がなければ、他人の作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。
これなら私の方が、と思わせる、粗探しをさせるだけの隙が見えてしまった。
たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体や単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、
状況説明を台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。
それでも、それなのに、とにかく彼女の作品は「読みやすい」の一言に尽きた。
自分の文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女の作品にはなく、自分の文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行の簡潔な表現で読者に納得させてしまう。
私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。
「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。
彼女の作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。
そんなふうに散らかった情緒を自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。
私は彼女の投稿するすべての作品をブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。
彼女の作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在を彼女に知られてしまうのが嫌だった。
それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかったから。
彼女のツイッターにしてもそうだ。私は彼女のツイッターを非公開リストにいれて観覧している。
私が彼女をフォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。
彼女がツイッターに投稿する作品にいいねやRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。
負けたくなかった。
彼女の作品が好きだけど、彼女の作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。
キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。
しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやすい文章ということでもあり、そのまま共感や感情移入のしやすさでもあった。
つまり彼女は、ちゃんと小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女は小説が上手い。
多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。
彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。
『負けたくない』
彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介で私を惨めにさせる。
私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観が彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。
私は彼女に負けたくないが、
彼女は私のことを知らない。
最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまり私なのだ。
少し話を変える。
私は彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。
お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者の存在を作家に幻視させることが可能なツールだと私は思っている。
そして私も書き手の端くれだから、アマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的な匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。
だから私は、匿名メッセージから彼女の純粋な信者を装い何通ものコメントを送った。
あるときは彼女の作品のおかげでこのジャンルとCPにハマった新規ファン、
あるときは昔から彼女の作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。
それから創作のルーツについての質問や、彼女の作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、
すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。
それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。
私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく「小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。
彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。
うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。
この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。
彼女が小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。
私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことは辛いことだ。
書くという行為がこちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれからも小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。
なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語の主人公だ。
大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女の作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、
そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情だけが重くなってどうしようもなくなる。
私がこれほど彼女の作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。
彼女はツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。
私は彼女のブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女のブクマ一覧に私の作品があがることはない。
もしかすると、同じジャンルにいるから名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。
それでも、「私を知って!」とこちらから声をあげることはできない。
だって彼女は一度も、私に「私を見て!」と言ったことはないから。
やっぱり心では、私は彼女に認められたいのだ。
私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ちが根底にある。
そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。
……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。
好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。
好きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。
彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やったあ」と思うし、
逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。
途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。
彼女の作品にブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、
私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。
創作に関するマイナス感情やネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。
これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。
いっそ、彼女の作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。
彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。
もう無茶苦茶だ。
そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見が一般的で、健康的なのは分かっている。
だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。
私は彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。
だからその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女の言動を追いかける。
楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。
馬鹿みたいだな。
分かっていてやめられないんだから救いもない。
きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。
彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。
そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。
何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日も明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。
すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。
めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。
そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。
私はずっと、それを迷っている。
かつての高度な交通網・通信網が十分に保守できず、地方では故障した基地局や新幹線車両を“掘り起こして”部材を転売する個人業者が台頭。半導体を取り出す「都市鉱山」ビジネスがスラムの定番職業に。
百歳人口密度世界一となり、海外の医療・老年学スタートアップがフィールドワーク目的で村ごと受託運営。老人ホームが“生きた博物館”として見学料を取る逆輸入モデル。
電力・通信を自前でまかなうオタク技術者がクラウドファンディングで“町内向けミニ発電所”を量産。コミケのノウハウをインフラ構築に転用し、自治体より早くサービスを復旧。政府が後追いで許認可を出す「公→私」逆転現象。
光熱費高騰で煮炊きが贅沢に。魚粉を超圧縮した“出汁キューブ”が主食扱いになり、食卓は湯に溶かすだけの流動食化。結果として味覚の微差を競うオタク層がガストロノミーを牽引し、“お湯割り職人”が登場。
ネット速度が不安定になる中、テキストベース+8bit音声のみの軽量メタバースが復権。昭和レトロなドット世界が若者の主ステージとなり、「現実はハードだがオンラインは8kbpsで優しい」という逆転。
輸入労働者と高齢日本人が意思疎通するため、ひらがな+簡体字+絵文字を混ぜた即席言語が広がる。やがてインドネシアやフィリピンに伝播し“コンビニピジン”として逆輸出。
中央税収が細り、巨大企業が道路補修や水道維持を肩代わり。結果としてトヨタ藩・ソニー藩・楽天藩など“企業領国”が自治権を持つ。住民は「どの藩に所属するか」を就職ではなく“帰属”として選択。
正規軍維持が難しくなり、個人オーナーのドローンをスマートコントラクトで束ねたバーチャル傭兵団が離島防衛を請け負う。トークン配当で機体を共有保有する“戦争版NFT”が出現。
高層マンション維持費が出せず、上層階が無人化。1–10階は低所得者が占拠、20階以上はクリエイターが格安アトリエとして使用。エレベーター運賃が電動キックボード並みに課金制に。
公教育が縮み塾も淘汰される一方、オープンソースLLMを使った“寺子屋AI”を町内で共同運営。江戸時代さながらの私設学習所にハイテクが融合し、学習の地域格差がむしろ縮小。
海外スタジオが費用を持ち、日本で食えなくなったマンガ家を国外アトリエに“流刑”する制度を創設。現地産業振興と日本マンガ存続を同時に図る“負けて勝つ”クールジャパン2.0。
国家保険崩壊後、外国製新薬のフェーズⅢ治験が日本全土で実施。高齢者が参加して医療費を浮かせる“治験ツアー”が一般化し、治験成績優秀者には「ゴールド被験者カード」が発行。
鎌倉大仏の譲渡担保で港湾を改修、浮世絵一括担保で衛星を打ち上げるなど、美術品がデジタル資産化され国際市場を回遊。やがてDAOが国宝を分割所有する“分散保護”へ。
災害多発と公的補償低下を受け、自宅をリビングシェルター化した住民が“被災シェアリング”の株式を発行。豪雨で止まった地域に対し、家ごと貸し出し配当を得る“寡占シェルター市場”が発展。
「町が無人になる瞬間」をYouTuberが24時間中継し、スーパーチャットで遺跡保存費を賄う。人口ゼロ記念セレモニーが国際的イベントに──“負の達成感”をコンテンツ化する逆転思考。
ろじゃミさんの件でもそうだが
にじもさんじも
大きさの問題なのか
スーパーなどの公共の場に性的にデフォルメされたおっぱいだから嫌悪感を感じるのか
ブコメを読む限りでは爆乳の持ち主をカミングアウトしつつこれまでどんな不快な経験をしてきたのかを語りつつHATE感情をぶちまけ
そうだから公共の場に爆乳が見えないようにしてくれと訴えている
そう考えると大きなおっぱいに劣情を抱く私ってなんだろう
筆者は腐向け文化に疎く、オメガバースに関しても各種webページで調べた程度の知識です。そのため、文章中に各種誤りがある可能性がございます。申し訳ありませんが、その旨をご認識の上で本文はお読みいただけますよう、お願い申し上げます。
また、本文は特定の人物同士の関係性を深く掘り下げる意図は含んでおらず、あくまで思考実験としての範疇を出ない領域となります。そのため逆カプなどの解釈違いが発生する可能性がございますが、そういったものを擁する・排する目的はございません。こちらもあらかじめご了承ください。
改めてとなりますが、最初に記してあるよう「なんでも許せる人」となっております。あらゆる解釈に対し否定・批判の意図は一切含んでいないということを踏まえた上でお読みください。叩かないで…!ゆるして…!
オメガバースとは、主に二次創作に用いられる架空の性別と社会構造を持つ設定である。登場人物はアルファ・ベータ・オメガの三性に分類され、オメガは性別に関係なく妊娠が可能であり、発情期(ヒート)といった独自の生理現象を持つ。番(つがい)と呼ばれる運命的な絆や、支配・被支配の関係性が描かれやすく、特にBL作品で人気を集めているが、近年は異性愛や百合にも広がっている。
結論から述べるが、マチュが「アルファ」であり、ニャアンが「よくできたベータ」、シュウジとガンダム・クアックス(以下クアックス)が「オメガ」である。
まず、六話までの話を通じ、それぞれのポジションは現状こうなっていると予想する
これらの要素から、ジークアクスという物語は、オメガの側を求めるアルファと、気の利かないベータの三角関係の物語であると考える。
シュウジだけ、またはジークアクスだけをオメガとしないのはなぜか?
シュウジの隣に居られれば良いというわけでもなく、ジークアクスに乗れれば良いというわけでもなく、「シュウジのマヴ(=ジークアクスに乗った、パイロットとしてのパートナー)」というポジションに居られるということが、彼女たちにとってのオメガであると考える。
オメガサイコミュを持つ、「特別なモビルスーツ」である。現状、このオメガサイコミュを機動させられたのはマチュ、ニャアンの2名のみである。エグザべにできず彼女たちにできたのは「感情の強さ(覚悟の差、とも言える)」の違いではないかと考える。ここはアルファ・オメガというよりもティーンエイジであることが大きい。
現状、シュウジのマヴという「居場所のオメガ」を構築する最大の要素=戦闘力であり、「てシュウジとともに戦いの中でキラキラを追いかける」という行動をするために絶対不可欠なものである。それゆえに、これもまたアルファを狂わせる一つの要素として、オメガではないかと捉えている。
アルファとオメガだけが通じあえる共通言語が「キラキラ」であると考える。いわゆる「アルファを引き付けるフェロモン」であり、オメガを追いかける理由こそが本作におけるニュータイプ性=キラキラを見られる感受性ではないかと考えている。
「キラキラ」は現状、ニュータイプならびにそれに近しいものにしか感じ取ることのできない要素であり、常人には理解できない。この特別性もまたオメガバースとしての特異性ではないかと思う。
恵まれた家庭に生まれ、両親(現状母親しか姿は見えないが)の期待を一身に受けて育った一方で、先天的ニュータイプ性から地軸とのズレやコロニーの閉塞感というものを感じており、「自由」というものへの強い憧れがある(本編中、「宇宙って、自由ですか」と発言もある)
進路に関しても、おそらく彼女自身に「ほんとうにやりたいこと」などないのだろうが、回りや親からのすすめもあり、焦りやいらだちというものを感じていたのではないかと思われる
その最中に出会ってしまった、マチュとクアックスという「オメガ」によって、彼女の人生は大きく狂わされ、そしてまたそのオメガに強く執着を示しているように思える
戦争難民であり、両親も(おそらく)居ない。軍警と過去にやり合ったりしていることから、おそらく身分は存在するのだろうが、相当に迫害されているものと思われる。ただし、こうした出自に対して彼女自身は驚くほどに落ち着いているように見られ、受け入れているか諦めているかのどちらかではないかと考えられる。
また、ニャアンが見たものは「キラキラ」ではないのか?という点についてだが、諸説あると思うが本文(6話終了時点・7話開始前)では「キラキラではない」と定義する。あくまで高い感情の昂りによりそれに類似するものを見た、ないし入口に到達した程度であり、ニュータイプとして覚醒したとはいいづらいのではないかと思っている
マチュは「私の居場所を奪わないで!」と本編で叫んだことから、自由な場所を強く切望している。だが、5話でニャアンが取った行動は、マチュからは侵略的な行いに見えた。ニャアンはおそらく、みんなの居場所を守りたいという気持ちだけだったのではないかと思う。
そしてシュウジはおそらく「なにも考えていない」。ガンダムが言っているように、彼は求められるがままに動いているにすぎないのだ。
このいびつな三角関係が7話、そしてそれ以降でどうなるかで、このオメガバース論がどうなるかが決定づけられると考える
「赤いガンダムって型番アルファで、ガンダム・クアックスって型番オメガなんだぜ。あれ、なんかアルファとオメガって同人文化であったよな」というだけの出発点です。知人に話したところ、オメガバースの知識による補強を受け、上記のような結論に至りました。笑ってください。
ここがおかしい!とかあそこが間違ってる!とかあれば、各自で激論を展開していただいて構いません。なぜなら、この話事態があまりにも荒唐無稽な与太話なのですから…