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はてなキーワード: 内地とは

2025-11-10

Youtube中国は実は3億人しかいない」

おもろいわ

 

前提

2020年国勢調査時点で「約14億1,177万8,724人(2020年11月1日時点、内地のみ)」(約14.12億)と報じられています

 

実際の疑惑

医学人口学者の 易富賢(Yi Fuxian)氏などが、「公式発表の人口出生率実態よりも水増しされている可能性がある」と指摘している

 

デマ

実は10億人しかいない

実は7億人しかいない

実は6億人しかいない

実は5億人しかいない

実は3.2億人しかいない

 

本件の面白いのは、デマ日本ゴシップだけじゃなく、世界的なゴシップエコーチェンバーしてるということ

海外ソース誤読とかじゃなく、ちゃん国際的陰謀論をやってるw

2025-10-30

猟師の孫

「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」

孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。

後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。

老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。

老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である

この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマ樹木へ爪で傷を付け自身縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。

「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父マーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。

いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。

馬ほどの体格を持つとは言え、素人からするとたか草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。

実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカヒグマキタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆ヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。

その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である

「奥義は下段」

孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。

祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。

「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。

「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。

後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。

特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。

これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ

「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである

孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。

遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。

奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマ祖父体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音であるパンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマ体当たり回避たかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。

ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父ヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。

体当たりは分が悪いと悟ったヒグマ祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである

三足となったヒグマは再び必死体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たり回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマ祖父の動きを視線しか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。

短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。

ヒグマメートル100キロ、2m超のヒグマ200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。

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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。

私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。

では、行ってきます

2025-10-17

ドルエイジ・サラリーマン職業能力衰退現象に関する学術考察

日本型雇用システムにおける構造矛盾個人的危機の複合分析

序論

「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」

anond:20251017145418

この実体験的証言は、現代日本のミドルエイ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システム構造特性組織社会学的要因、認知心理学メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。

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1. 理論フレームワーク:ミドルエイジ・クライシスの多層構造

1.1 日本型雇用システム制度的制約

労働政策研究・研修機構2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代経済環境変化に適応できない構造矛盾として現れている。

特に重要なのは年功序列終身雇用相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後労働者既存スキルセットでの成功体験依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。​

1.2 「42.5歳の壁」現象実証根拠

パーソル総合研究所2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さら同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。​

この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターン現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価分散が大きいことから、年齢自体自動的能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている​

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2. パフォーマンス低下の多次元的要因分析

2.1 認知機能組織適応の複合的衰退

パーソル総合研究所2022)は、ミドルシニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップ特定している:​

1. 意欲のギャップ役職定年などで肩書を失って意欲が落ちる

2. 期待のギャップ:期待される業務理想とする業務に差がある

3. 成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある

4. 時代ギャップ:今の時代適応できずにいる

5. 評価ギャップ自己評価会社から評価に差がある

これらのギャップ相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。​

2.2 スキル陳腐化のメカニズム

橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキルケア科学技術分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキル市場価値の急速な減衰を示している。​

特に定年や家族理由健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。​

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3. 組織内地位変化と心理的影響

3.1 役割曖昧性とアイデンティティ危機

労働政策研究・研修機構2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。​

3.2 世代間格差の拡大

パーソル総合研究所2023)の調査では、ミドルシニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。​

興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向因果関係存在示唆されている。​

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4. 制度的・構造的要因の学術分析

4.1 内部労働市場理論限界

梅崎・藤本2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システム特定人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。

4.2 労働市場の二重構造

厚生労働省2013)の分析では、日本的雇用システム課題として正規雇用非正規雇用二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢限定されている。

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5. 実証データに基づく現象定量

5.1 パフォーマンス低下の統計的証拠

パーソル総合研究所2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割果たしている」「担当業務責任果たしている」「仕事パフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。​

5.2 学習効果年収への影響

研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドルシニア正社員比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的能力開発の経済効果定量的に示している。

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6. 組織的・社会的対応策の理論的基盤

6.1 人的資本理論の応用

Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。

6.2 組織学習理論適用

Argyris and Schön(1978)のダブルループ学習理論観点から、ミドルシニア層の活性化には既存の行動パターン価値観の根本的な見直し必要である。パーソル総合研究所2022)が指摘するように、「管理職気合根性指導しろ」とは言えず、心理学などのロジック考慮したコミュニケーション必要である。​

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7. 社会経済インプリケーション

7.1 人口動態変化との相互作用

内閣府2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベル競争力低下に直結する。OECD2023)の報告書でも、中高年労働者パフォーマンス維持が先進国共通課題として位置づけられている。

7.2 労働政策への示唆

労働政策研究・研修機構2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在仕事関連)と「リスキリング」(転職キャリアチェンジ関連)の体系的な区別重要性を指摘している。前者が71.1%後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応偏重した能力開発の現状を示している。jil+1

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結論:複合的危機への統合対応フレームワーク

本稿の分析により、45歳前後サラリーマン経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:

6. 制度的要因日本型雇用システム構造矛盾

7. 認知的要因スキル陳腐化と学習性無力感

8. 組織的要因役割曖昧性とアイデンティティ危機

9. 社会的要因世代間格差技術変化への適応困難

10. 経済的要因:人的資本価値減衰と労働市場の二重構造

冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人怠惰能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。

効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的制度設計の同時実施必要である特に重要なのは個人自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である

将来の研究課題として、AIデジタル技術の急速な発展がミドルエイ労働者に与える影響の定量分析、および効果的な介入プログラム実証評価が挙げられる。

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参考文献

  • Becker, G. S. (1964). _Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis_. Chicago: University of Chicago Press.

  • Milgrom, P., & Roberts, J. (1992). _Economics, Organization and Management_. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.

  • Seligman, M. E. P. (1972). Learned helplessness: Annual review of medicine. _Annual Review of Medicine_, 23, 407-412.

2025-09-17

ドラマ若者たち」 1966年版 感想

ドラマ若者たち1966年版 FODでみた

親を亡くした五人兄弟、弟妹を育ててきた長男主人公兄弟キャラが立っていて面白い

当時の社会がこうだったのかと驚くことも多い

まず、戦後が濃厚で、格差というより階級の溝が深く、生まれ育ちから這い上がるのは大学に行くことが唯一の手段

死ぬ気で勉強しろ」 「一生競争だ」 

東大浪人自殺したり受験生が心を病むと、周囲は「これで競争相手が減った」 という殺伐ぶり

だが、東大に行く=人より上になるため、で

何を勉強したいのか、人より上に行って社会でどうしたいのか、がすっぽ抜けていて、とにかく「金」 「社会承認」 それ以外を考える視野がない感じ

バブル平成初期の「金はある、じゃあそれでどうしよう」 という時代からジリ貧に下がって令和またそこにきているようではある

女性結婚以外の選択肢が与えられていないから、相手の将来性に対して大変シビア

お金遣いや生活態度にも厳しい

大学出なら4年のところをあなた11年かかる。あなた学歴がどうしても気になる」

と冷静に言われフラれる田中邦衛長男)、ぐうの音も出ない。つらい

ただ、殺伐としてはいるが、「ひねくれたりすねてはいけない。我らには未来がある。遠いところに、歯を食いしばって、未来を作る」 という、理由のない希望はあって

がむしゃらに生きていくしかないんだ、という明るさもあって、それは右肩上がり昭和にあって衰退していく令和にないものだな、と思う

なぜないのかといえば、昭和から平成にかけて大人たちがつくってきた「未来」が希望や明るさどころかめちゃくちゃだったせいもある

それはやっぱり学歴競争手段で、他者との比較、金以外の幸福の土台になる教育思考蔑ろにした歴史が続いているためでもある

例えば、また日本が豊かになって人々が豊かになったとして、社会幸福度が上がるかといえばそうでもないのでは、と思う

バブルから平成日本人、金があっても人と比べることをやめられず、結局内面幸福度が低い人が大勢いた、というのは当時の作品なんかを見てて感じる

また、男性収入が増えれば結婚できる(その分女性専業主婦低賃金)という退化発想が今あるけど、

結局上澄みは一部なんだから比較から逃れられない

「○○さんに比べてあなたダメ」 「お父さんみたいになっちゃダメよ」と妻から息子に言われていた過去がまた蘇るだけ

まだ米軍占領され日本返還されていない沖縄に対する内地の冷たい放置犠牲を払わせて知らんぷり、という当時の状況も描かれていた

沖縄母親に捨てられた子どものようなものなんです。なんで、と思うけど、慕うのをやめられない。いつか振り向いてくれるって」 

沖縄から東京大学にきた青年言葉に今も繋がってんだこれ…と思ってしまった

2025-08-27

はてなブックマーク嫌い

とりあえず眺めるけど、なんていうか邪悪な決めつけマウントでバズりたいみたいなTogetterのひどい記事とかなんかジェンダーとかオキナワとかそんんなのばっかり。オキナ記事ブクマしている人達ほとんどはどうせ内地エアコンの効いた部屋にいるんでしょ。あとアイヌとか水平社とかの話はしないのね。たぶん受けないからなんだろうな。痴漢ニュースひたすらブクマしている人達は一体なんなんだろう。痴漢評論プロ

2025-08-24

沖縄尚学が優勝して街から人がいなくなったみたいなの。

地元のああいホモジニアス空気が耐えられなくて内地にいるので、やっぱ沖縄帰れない気がした。

大和魂最強、死んで帰ってこい。みたいなナショナリズムと地続きなんよ。

そういうのやめろって教育してたんじゃないのか。そういう欺瞞的な部分、帝国陸軍からつながってるんじゃないのか。

おめでとう!

2025-08-16

卑怯日本人

満蒙開拓団のいちグループ敗戦引揚げの際にソ連軍とある取引をした。

現地民の襲撃からの護衛と引き換えに若い娘たちを「性接待」に差し出したのだ。

https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/ann2.html

同胞の命のために否も応もなく人身御供となった娘たちは、内地引揚げた後も“穢れた”ものとして偏見さらされたという。

ブクマカ連の奇妙な反応なんだけど、一様に日本人非難している。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/ann2.html

「娘らを差し出した日本人が悪い」

ソ連兵より日本人が悪い

犠牲になった女性らを非難するのはおかしい」

手放しで同意できるのは3つ目だけだ。その筋違い白眼視というのがどのくらい事実なのか、誰も何も言わなくても尊厳を踏みにじられた当事者がそうと感じずにはいられなかったのか、そのあたりはよくわからない。

命惜しさに女性人身御供差し出した判断を我々が安全から非難することはできない。これを非難するのはつまり誇りのために死ね」という思想である

そして最も醜悪なのは言うまでもなくソ連軍である正規軍が行動を起こす上で女を要求するってあたまおかしいだろ。どこが「悪くない」んだ?

でもいま我々は知っている。ロシア人は平気でそういう事をやる。

一番悪いやつのことは見て見ぬふりをして、叩きやすいところを叩く。あれぇ?これって人身御供女性非難したクソ日本人メンタリティのものじゃないか

なるほどね。こういう奴らが

2025-07-15

台湾の成長は日本のおかげ」論を否定する

 日本台湾植民地として支配したけれど「良いこと」もした――こんな語りの広がりに懸念を抱いた経済研究者平井健介さんが、日本による台湾統治歴史概観する本を出しました。戦後台湾経済成長を果たしたのは「日本のおかげ」だと言えるのでしょうか。平井さんにじっくり聞きました。

 ――日本台湾統治歴史を概説した近著を執筆したのは、学生が「俗説」に染まりやすい現状を憂えたからだったそうですね。

 「植民地歴史の授業を大学担当していると『日本のおかげで今の台湾韓国はあるんですよね』と無邪気に語りかけてくる学生にたまに出会うのです」

 「『台湾統治日本は良いこともしたのですよね』『だから台湾親日なのですよね』もよく聞くパターンです。植民地統治歴史に興味を持った学生ほど、そうした俗説にまず触れてしまう状況を、少しでも変えたいと思いました」

 ――学生たちは、どういうところでそうした説に触れているのでしょう。

 「授業で簡単アンケートをしたら、ユーチューブネット記事で見聞きしたとの回答が主でした」

 ――日本台湾支配の始まり明治期でしたね。

 「ええ。1895年に、日清戦争勝利した戦果として台湾領有しました。いわゆる植民地化です」

 ――著書では、経済を中心にして当時の歴史概観しましたね。なぜですか。

 「日本台湾統治した最大の目的は、現地にある様々な資源の開発・利用だったからです。つまり目的経済だったのです」

 ――日本はどのように台湾開発を進めたのですか。

 「大きく3期に分けられます。(1)台湾を利用して内地経済問題解決しようとした1910年代までの『対日開発』時代、(2)産業の高度化を進めようとした30年代前半までの『総合開発』時代、(3)戦争体制の構築を目的とした敗戦までの『軍事開発』時代です」

 ――対日開発とは?

 「経済後進国だった明治期の日本にとって、貿易赤字を減らすことが重要課題でした。綿花に次ぐ輸入品だった砂糖を、台湾で『国産化』しようとしたのです。台湾内地の食料原料基地に変える政策です」

 「内地資本進出を促す形で近代的な製糖業を興し、製品の大半を内地に送ることで一時は砂糖の『自給』も達成しています

 「ただし、そこだけを見て『日本は良いこともした』と言うのは一面的です。確かに経済的なパイは拡大したけれど、誰がそのパイを手に入れたかという問題別にあるからです」

 「現地の統治機関である台湾総督府は、農民たちの生産したサトウキビ特定の製糖工場しか出荷できないよう制限しました。製糖工場が原料を独占的に低価格で確保できる体制を作るためです。内地資本進出が促され、砂糖生産量というパイは増えましたが、農民から収奪を基盤にした生産だったのです」

 ――その後の総合開発と軍事開発はどうでしたか

 「総合開発は、電源開発の停滞などもあって成功しませんでした。軍事開発では工業化が目指されましたが、工業化に対する日本政府の否定的方針戦局悪化に伴う物資不足によって、実現できませんでした」

 ――総じて、台湾開発はどうだったのでしょう。

 「日本にとっては、ほとんど財政負担なく食料原料基地化できたという点で『成功』でしょう。しかし、そうであるがゆえに、台湾開発は農業中心型の経済の高度化にとどまり工業化産業構造の転換には至りませんでした」

 「加えて大事事実は、いずれも台湾住民の機会拡大や地位向上のための開発ではなかったことです」

 ――戦後台湾経済成長は、どう評価しますか。

 「サトウキビ農業や製糖業が台湾経済の中心だったのは1950年代までであり、それ以降の台湾の成長は戦後移植された繊維や電子機器によるものです」

 「戦後台湾経済成長を果たしたのは、米国が構築した自由貿易体制のもとで、台湾の人々が外資技術の導入を積極的に進めたことなどによるものです。日本統治時代遺産が果たした役割限定的です」

 ――台湾日本は良いこともしたのでは?と学生から質問されたら、どう答えているのですか。

 「当初はあれこれ説明していましたが、今は『台湾人になったつもりで授業を受けてみて、自分自身でその答えを見つけてください』と答えています

 「重要なのは学説に基づく歴史に触れたり学んだりする機会を持つことです。台湾の人々は学校日本統治期の歴史を、日本の人々以上にしっかり勉強しています。もし次世代日本人が、自分たちの国が何をしたのかを知らず俗説を信じたまま台湾の人々と交流したら、理解し合える関係性を築けるでしょうか」

 台湾の成長は「日本のおかげ」か 住民のためではなかった植民地支配 - 朝日新聞

2025-07-12

飯が不味くて退職する人

北海道から内地(本州のこと)へ就職していった人達の中で体感2割くらいだが「飯が不味くて耐えられなくて仕事辞めて地元に帰った」という奴がいる。

自分就職東京に来てそのまま10年くらい居着いているが言いたいことはわかる。

かに不味い飯が存在する。フラっと入った店の飯がマズいとか、美味しいが価格に見合わない(高すぎる)ことが少なからずある。

北海道にいた時はマズい店に当たることなんてほぼなかった。価格妥当か割安に感じることのほうが多かった。

立地と営業時間けが取り柄で味が二の次の店がやっていけるんだから都会ってスゴい。

個人的に一番しんどいのは居酒屋に行って出てくるビールがぬるいこと。

当然店にもよるがグラスが冷凍庫キンキンに冷やされていない店があることが驚きだった。

グラスは冷やすのが当然だと思っていたらそうじゃない……

グラスを冷やしている&食事レベルも高い店を探すのが本当にハードルが高くてつらかった…

それでもまだ関東はマシなほうで金を積めばまともな飯が出てくる確率はぐっと上がる。

どうしようもないと聞いたのは愛知

どこに行っても味噌がつきまとう。メシマズで帰った連中の半分は愛知仕事をしていた。

自分もたまに名古屋に行くことがあるが飯を食う時についてきた味噌汁を飲むと閉口する。もはや災害

特にグルメ舌なんかじゃないのに外食レベルが低すぎて自炊スキルが上がってしまった。

去年入ってきた新卒北海道出身の奴も「飯がマズいっす…ラーメンくらいしか食うもんないっす…」と若干元気ない感じなので割と皆この問題にぶち当たってるんじゃないかなと思った。

2025-05-29

1年たったら動物のえさ 〜やっかいどう米と揶揄された北海道米〜

国民民主党の玉木代表が「1年たったら動物のえさ」と備蓄米揶揄したことが大きな波紋を呼んでいる。

「1年たったら動物のえさ」進次郎農相アピールの「1800円備蓄米」を国民・玉木代表がチクリ

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0f159b761a2bf8ba7fb1ae28f02cb1ab529ff9f

やっかいどう米

戦後から1980年代にかけて広く国民から家畜の餌」「豚も食わない」「猫も避ける猫またぎ」などと揶揄された米産地があった、北海道である

この当時の恨みつらみは北海道JA全農を超える加盟者数を誇るホクレン農業協同組合連合会現在でも語り継ぐほどに北海道米のイメージは非常に低かった。

GREEN WEB | ゆめぴりか

https://www.hokuren.or.jp/_greenweb_/?post_type=studies&p=1564

北海道では「赤毛」や「坊主1号」が栽培され、独自品種の「ゆきひかり」が開発されるなどしたが、北海道選択される栽培品種はとにかく寒冷に強く収量が多い品種が求められ、味は二の次とされたこともあり、いくら低価格であっても食卓主食として多くの国民は買わず、収穫の多くは家畜飼料として用いられた。

しかし、その価格の安さは戦後から多くの貧困家庭特に母子家庭主食として高い支持を集めていたのも事実だった。この当時の貧困家庭北海道米に助けられたと思っている家庭は少なくないだろう。

けれど、その「貧困家庭の米」という事実ブランドイメージ低下に拍車をかけた。貧困家庭以外に安くても売れない北海道米は飼料消費としても余ってしまった収量は破棄しているほどに一億総中流となっていく時代北海道米は売れなかった。

きらら397誕生

1988年、そんな北海道米に新品種生まれる。これまでの寒冷に強い、収量が多いという良さをそのままに食味が著しく大幅に改善された「きらら397」が開発されたのだ。

しかし、この「きらら397」が開発されても直ぐに販売量が伸びたわけではなく、これまでの悪いイメージ払拭する事へ非常に苦労した。貧困家庭からは美味しくなったと大絶賛されたもの中流以上の家庭からは食べもせずにどうせ不味いと考えられてしまっていたのだった。

そんなやっかいどう米に転機が訪れる。牛丼店を中心として全国の飲食チェーンが「きらら397」を採用し始めたのだ。

このエントリを読んでいる諸氏も「あの当時の吉野家で食べた牛丼」と今の吉野家牛丼が何か違う、家庭で食べるいつもの米と吉野家で食べる何か違う米と気付いてる者も居るかも知れないが、それは広く一般家庭に売れるようになる前の「きらら397」だった。

飲食チェーンが北海道米「きらら397」を採用していることが世間にも徐々に広まっていくと「意外と北海道米も悪くない」として一般家庭でも広く食べられるようになる。

このエピソードは「牛丼を変えたコメ北海道きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)」でも触れられており、内地(北海道外を指す北海道方言)を見返してやろうと頑張った北海道農家の皆さんの努力垣間見ることが出来る。

牛丼を変えたコメ北海道きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)

https://www.shinchosha.co.jp/book/610082/

バリエーションかになった北海道

きらら397」以降、北海道米の新品種開発は急速に進み、前述した「きらら397から更に食味を改良した1996年の「ほしのゆめ」、更に収量を改良した2001年の「ななつぼし」、更に耐冷性を改良した2003年の「ふっくりんこ」、前述の「ふっくりんこ」とは別系統の低アミロース極良食味認定を受けた2003年の「おぼろづき」、そして前述の「おぼろづき」並の極良食味でありながら「おぼろづき」以上に収量を改良した2008年の「ゆめぴりか」が登場するに至った。

「おぼろづき」および「ゆめぴりか」は驚愕すべきことに盲検試験によって日本国内では定番である特定米産地(迷惑かける影響を考慮して特定米産地は筆者の意思隠蔽しました。ご了承ください。)のコシヒカリの食味に勝ると試験結果が出ており、北海道米が北海道外の米を超えられることを証明した品種となった。

寒冷地栽培可能で量が取れて安くて美味い北海道時代が到来したのである

品種ゆめぴりか」の育成と今後の北海道育種

https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010781573

今も残る北海道米の悪印象

国民民主党の玉木代表がなぜ米へ対して「1年たったら動物のえさ」と表現してしまたかと言えば、彼の記憶の中には確かに一部産地の美味しくない米が家畜飼料として使われていた過去、何なら余った分は廃棄していた、豚も食わない米が存在していたことを頭の片隅で覚えていたからだろう。

しか解釈を誤ってはならない。玉木代表からこそこういう印象を持ったのではなく北海道外にはまだまだ北海道米へ対して悪印象を持つ国民大勢居るのだ。しっかりとした学術的なデータで食味の良さが示されようとも極々ありふれた一般国民の多くが北海道米を忌避し続けているのが現状なのだ

1993年平成の米騒動の際にタイ王国から有り難くも拠出されたタイ米へ対して恥を知らぬ言動を取ったのは極々ありふれた一般国民であったが、その性根は未だ変わっておらず、反省しておらず、その一雫たまたま国民民主党代表玉木雄一郎であったにすぎない。未だに「猫またぎ」だと思っているのだ。

このエントリ最後まで読み、腹を立てたのであるならば2025年令和の米騒動収束した後に北海道米を食べてみて欲しい。

「その喧嘩買ってやらァ!」という意気込みで食べてみて欲しい。食ったら言わせてみせるさ「意外と北海道米も悪くない」と。

2025-05-28

anond:20250526192006

内地言うくらいなら内地に合わせろよと思わんでもない

2025-05-27

anond:20250527100046

ちなみにアキアジというのシロサケだが

日本語サケというのには他にサクラマスカラフトマスマスノスケ、ベニザケなどがあるが

どのサケのこと?

どれも通常は冷凍したものが出されるけれども

そしてそれらは内地()寿司屋で出るノルウェーサーモンとは別物だけど

食べて気がつかなかったのかい

2025-05-26

自分勝手な話だけどさ、生鮭(生サーモン)にマヨネーズやめろや!!!

道産子のみんな信じられるか?

内地の連中はアキアジの刺し身や寿司マヨネーズ付けるんだぞ?????????

同僚に連れられてさ内地回転寿司チェーンに行ってサーモン寿司を頼んだらマヨネーズ最初から乗ってんの!!!

えっつまり内地じゃザンギ(唐揚げ)にレモン汁を勝手にかけて出すのがマナーなんですか??????

最初からサーモンマヨネーズ乗せるってそういうことだよな?????????

おいおいおい……サーモンマヨネーズってさぁ、サーモンの味を殺してんだろ!!!!!!!!!

なに?道産子喧嘩売ってるんだべか?アキアジ道産子ソウルフードっしょ!なにしてくれちゃってんだべかぁ??????

初めて見たときまりの衝撃に身体がなんまら震え食べさ!!!!!はああぁぁあぁぁぁぁああああ??????ってなったっしょ!!!!!

信じらんねぇっしょ・・・内地さ来て1番のカルチャーショックすぎるべさ・・・

マジで内地の人ってアキアジへ当たり前のようにマヨネーズ付けて食ってるんだべか・・・

絶対に間違ってんべ・・・おかしいっしょや・・・

2025-03-23

anond:20250321023338

日本軍武装解除を行うために、中国本土から蔣介石主席率いる中華民国国民政府中国国民党の官僚軍人らが同地へ進駐し、「失地回復」という名目台湾行政を引き継いでいた。

台湾の人たちは中国本土から来た官僚軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。中国本土から来た官僚軍人は、当時の日中戦争国共内戦の影響で質が悪く、強姦強盗殺人を犯す者も多かったが、その犯人処罰されぬことがしばしばあった。

"Chinese Exploit Formosa Worse Than Japs Did"(日本人よりも過酷台湾搾取する中国人)(ザ・ワシントンデイリーニュース

たとえ罰せられる場合でも、犯人の籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国官僚らによって接収横領され、中国上海市の国際市場競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的物価は高騰、インフレーションによって企業倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

日本統治時代台湾経済は、日本内地地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本統治体験した台湾人にとって、治安の悪化役人の著しい汚職軍人兵士などの狼藉さら経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。当時の台湾人はこれらの状況を「犬(日本人)去りて、豚(中華民国人)来たる」(狗去豬來)と呼んで揶揄した。

anond:20250322200443

天浜線…金指においしそうなピザ屋があるよね

内地鉄道路線がまだいっぱいあっていいな

続き待ってる

2024-12-08

内地とか外地とか

沖縄北海道、あとたまに他の島嶼部の人って本州内地っていうよね

沖縄ちょっと前までアメリカだったしその時代の人も生きてるからまだ、まあわかる

でも今どきその辺の地域外地って呼ぶ人間なんていないし それで今も差別されてます精神的に)みたいな顔されたらやってらんねーよ

構造とか制度が不十分なところはもちろんあるのでそれについて政治活動などするのは当然だと思うが それ以外の部分で自分から卑下して卑下して差別してますよね?って言われたって不快なだけだわ

2024-11-16

anond:20241116222849

トイレ危険地帯 小さい専門店ばかりのエリア住宅地

東京都区内は小規模な公園と併設されてる公衆トイレが多々ある(ランダムに2km弱四方区画を選んだ場合数か所から十数か所はトイレがヒットする。1km四方とか小さくするとゼロ地域もあったりするが)ので、そんなに危険じゃない

金と手間に余裕があるなら、江東区タクシーセンターに行って都内交通内地図を買えば詳細な位置を知ることもできる

2024-11-02

バカ「ABEMAは赤字を垂れ流してるだけの部門!こんなのやってるなんて本当にバカ!」→ABEMA黒字

バカ「ABEMAでは未だに赤字を垂れ流してるだけの部門がある!あんなのさっさと辞めるべきなのに本当にバカ」→それぞれの分野で着々と業界内地位を確立

マジでバカって自分の間違いを認めないよね。

一時的赤字を出しても最終的に大きなシノギに食い込めた奴が勝つの大金持ちのマネーゲーム

貧乏人のマネーゲーム借金したら負けでローリスク・ローリターンを必死に漁るのが基本だけど、これを金持ちマネーゲームに当てはめようとしちゃうのが本当にバカ

2024-10-28

anond:20241028093347

裏金でこれだけやられたのに、安倍派がバックの高市になってて温情差配してたら、もっと死んでた可能性とか考えんの

現時点で安倍派半壊してるから高市は党内地盤を再構築しないといけないし、どちらにしろ安倍派バックな時点でなかば詰んでたともいえる

しばらくは大人しくしとくしかないな

2024-10-18

離島に行ったら友達できた

社会人2年目で仕事で2ヶ月間離島研修してきました。

今まで友達が少ない人生だったけど、そこでは友達できたので、どうすれば友達出来るのか分かった気がするので離島でのことを書いてみる。

まず仕事についての説明。全国からはじめましての同学年が3〜5人ほど離島に1〜2ヶ月派遣されて、その間は皆同じアパートに住むことになる。仕事裁量権内地ではペーペーでも離島では立派な戦力にカウントされる。(業種は伏せるが同業はこれだけでも増田仕事分からんじゃないかな)。

1日のスケジュールとして、平日は仕事終われば大体皆んなでご飯食べたり飲んだりする。離島では基本娯楽がないし皆んな友達がいないから、ほとんど団体行動になる。そこで仕事愚痴とか悩みとか言い合ったりする。皆んな、ペーぺーなのに戦力扱いだからやりがいもあるけど苦悩もある。

休みの日は海に行ったり遠くの店までドライブしたりする。車は職場貸し出しだからそこでも一緒に行動になる。

そんなこんなでしてたら嫌でも仲良くなった。お互い相手がいない状況で、慣れない環境でだと感情を共有しやすくなるんだと思った。

この感情を共有する、ってのを明確に感じたエピソードがあった。

一つは夜行性ウサギを見に夜に山までドライブしたこと。そこではウサギもみれたが、それ以上に星が綺麗だった。離島からどこでも星は綺麗だったが、それが山となると別格だった。誰かが「今日のことは一生の思い出になるんだな」って言った。皆んなが頷いていた。

もう一つはダイビングして海岸沿いをドライブしたこと。まっすぐな道路で爽快だった。

他にも色々思い出はあったが、明確に感情を共有してるなと感じたのこれらのエピソード

感情を共有する、当たり前だけどそれを実感できた体験でした。本来なら学生時代経験するんだろうけど、増田離島研修という特殊環境下で社会人でも経験できました。

この経験もっと早くにしたかった気もするけど、今後の人生に活かしていきたいなと思った。

2024-09-16

anond:20240914232547

獣医レベルが低いのかについて、少しだけいわせてほしい。

一つ目は、飼い主の負担額の問題

ヒトだと、高額医療費制度があるので、医療費負担額が月に20万を超えることはない。所得が低ければ10万くらいだ。お金がなくて医療を受けられないというケースはほとんどない。植物状態でずっと入院でも、食事と寝る所と着るものとがついて、年金でお釣りがくる。親族100人中99人は延命を望むのは、下賎な話、家計を圧迫しないからというのは大きい。後期高齢者は2割負担、つまり保険適用無しで考えると5倍の医療費がかかってる。高額医療費の上限に届いてる場合、それ以上。窓口で負担してないから忘れているだけ。簡単に言えば、ヒトの終末医療には、延命する手段があれば、年間に100万でも1000万でもかけて当然。じゃあ、動物医療に年間1000万出せる人がどれだけいるのか。100万だって二の足を踏むと思う。50万だって厳しいと思う。

二つ目は、獣医医院側の経営的な問題

基本的獣医診療科が分業化されてないので、ヒトでいうところの総合診療科しかない。CTを使わない脳外科はないだろうけど、総合診療科CTを抱えられるか。例えばCT2000万からだが、2000万の機器を年に何回使うのか。年に3回くらいの頻度だとしたら、撮影請求20万としても10年で600万の売上にしかならない。もちろん20万なんて請求はできない。高額な医療機器の導入はできない。

これらが結びついて、医療レベル問題

卵が先か鶏が先かだけど、レベルが低いから高額な高度医療がないのか、高額な高度医療がないかレベルが低いままなのか。

そもそも心臓の手術も脳の手術が概念すらほとんどない。心電図CTが読めても、予後不良健康かの2択が9割。治せない病気とほっといても治る病気かを調べるための検査なら、検査意味がない。

心臓や脳の手術が技術的に絶対にできないのか?と聞かれたら、もちろんヒトの医療動物実験での結果の積み重ねなので、犬や猫どころかマウスだって成功たから、ヒトでその手術を行ってる。適正がある人に訓練さえすれば、ペットの手術も理論的には出来ないわけではない。が、獣医学部のカリキュラムにはおそらくない。現在獣医脳外科や心臓血管外科の授業がどれほどあるか知っている人がいたら、教えてほしい。

じゃあ、医療レベルが低いか尊敬できない、安楽死を進めるくらい医療倫理レベルが低いか尊敬できないは乱暴

獣医レベル医師より低いか尊敬できないというのは、ジャングルの奥地の部族の村でトイレットペーパーもないなんて不潔と叫ぶようなもの。紙がなければ紙以外で拭くしかない。文化的に劣ってるとか、精神的に劣ってるとかいってはならないと思う。ドクターコトー診療所のように、高度医療を身につけたスーパードクター僻地にきて大活躍、なんてことは夢物語聴診器一本で診断できることは限られて、仮に診断できてもなにもできない。ドクターコトーならヘリ内地病院に送れるが、獣医だと送る先の病院がない。

もちろん、手で肛門をふけといわれても、虫を食えといわれても、無理なように、ヒトの医療を知る人にとっては、安楽死が受け入れられないのは当然のこと。生理的に受け入れられないのであれば、離婚もやむなしだと思う。

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