はてなキーワード: 弁当とは
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数日前にドラッグストアで売っている妊娠検査薬で検査したら陽性だった。夫は動揺しすぎて「俺は違うと思う」って言っていた。翌日は認めてくれた。私もびっくりしているので無理もない。まさかゆるく妊活始めようって決めた初めの月にできるなんて思ってなかったから。それでも私は傷ついたから、ずっとネタにしている。普段は私よりも早く起きてお弁当作ってくれたり、何から何までやってくれる面倒見のいい夫なんだ。かなり動揺していたんだと思う。
今日はやたらと水を飲んでいた。2Lくらい飲んでいたと思う。調べたら身体に水をためる時期らしく、のどが渇きやすいとのこと。ペットボトルの水を毎日1本飲むのは贅沢な気がするので、水道水にシフトしようかな。
40年前のメニューとして、その時に30代の客層ターゲットだったとして75年前つまり戦後の物資不足のころである
チキンはもちろん食える時代ではないが、醤油と砂糖で大根を甘辛く炒めるなどはあっただろうな。
【結論】
醤油+砂糖そのものを指す用語ではなく、大戸屋の創業理念である
「かあさんの手作り料理=家庭の味・安心感」ブランド表現の一部と見るのが妥当。
味付けとしては、醤油ベース+甘み(砂糖・みりん系)+だし+大根おろしなので、
「甘辛い醤油味の家庭料理」という方向性を当てている点はかなり近い。
一方で、
「戦後の物資不足期の記憶(75年前)の象徴として、醤油と砂糖の味を“かあさん煮”と名付けた」
というところまでのストーリーは、公式情報では裏付けがなく、かなり創作寄りの推測。
総評:
語源・歴史背景のロジックは“エビデンス不足の推理”という位置づけ。
より正確に言うと:
要素 内容
技法 煮る・絡める・照りを出す
「チキンかあさん煮定食」自体の位置づけと歴史
「創業当時からの定番メニュー」「創業時からのメニュー」といった記述がされており
大戸屋の中でもかなり古くからある看板メニューとして扱われている
コンセプト:当時は日本人の4人に1人が栄養不足と言われた時代に、
という流れが公式に語られている
したがって、
実際の創業(1958)から考えても “数十年クラスの古い定番”としては大きく外れていない
ただし
“いつ・どの店舗で「チキンかあさん煮」が初登場したか”という
正確な年は、公式には明示されていないため、
「かあさん煮」「母さん煮」を、
生姜煮、甘辛煮、照り煮、そぼろ煮 など
今回、私に与えられました課題は『セブン-イレブンの牛カルビ弁当を評せ』ということであります。一見すれば、これは単なる一企業の商品の評価に過ぎないと思われるかもしれません。しかし、私はそうは思いません。
この小さなプラスチックの容器の中に、現代日本の物流、農業、そして国民の可処分所得の現状が凝縮されている。これを真摯に分析することなしに、日本の明日を語ることはできない。私はそのように考えております。」
「まず、手に取った瞬間に感じるのは、その『機能の徹底』であります。 蓋を開けますと、そこに現れるのは、タレの染みた牛カルビ肉、そしてその下に鎮座する白米。この構造は、いわば『重層的な食の安全保障』とも呼ぶべきものでありましょう。
特筆すべきは、肉の配置であります。整然と並べられたカルビの一枚一枚が、まるで規律ある組織のように、白米という国土を覆っている。ここには一切の無駄がない。セブン-イレブンという企業が、長年にわたって積み上げてきた『緻密なマーケティング』の結晶がここにある。私はまず、その徹底した合理性に敬意を表さざるを得ません。」
「さて、肝心の味であります。 一口運びますと、まず舌を打つのは『甘辛いタレ』の重厚な存在感です。これは、単に甘い、あるいは辛いという二元論では語れない。醤油、砂糖、果実、そしてニンニク……これらが複雑に絡み合い、一つのハーモニーを奏でている。
これは外交と同じではないでしょうか。 それぞれの主張がある。しかし、全体として一つの『カルビ弁当』としての国益を損なうことなく、調和を保っている。特に、炭火の香ばしさ。これが加わることで、味に立体感が生まれている。単なる煮炊きではない、『焼く』という工程へのこだわり。この『手間を惜しまない姿勢』こそ、今、我々政治家に求められているものではないか。私は肉を噛み締めながら、自戒を込めてそう感じた次第であります。」
「そして、このカルビを支える『米』の存在を忘れてはなりません。 日本の食糧自給率を考えるとき、米は常にその中核にあります。この弁当の米は、カルビのタレという『外部からの圧力』を正面から受け止め、それを自らの旨味として吸収している。
粘り、弾力、そして甘み。 冷めてもなお、その品質を維持する技術力には目を見張るものがあります。しかし、ここで我々は考えなければならない。この米を作っている農家の方々の汗、その対価は適正に支払われているのか。地方の疲弊を、この『安価で高品質な弁当』という利便性の影に隠してしまってはいないか。
美味い、確かに美味い。しかし、その背後にある『生産現場の現実』にまで思いを馳せる。それが、本当の意味での『納得と共感』に繋がるのではないでしょうか。」
「結論を申し上げます。 セブン-イレブンの牛カルビ弁当。これは、日本の民間の知恵と努力が結集された、極めて完成度の高い『作品』であります。
徹底した品質管理
これらはすべて、今の日本が必要としている要素であります。 しかし、同時に私はこうも思うのです。我々はこの『手軽な幸福』に甘んじてはいないか。本当の『豊かな食生活』とは何か。それを問い続ける勇気を持たねばならない。
この弁当は、私に多くの示唆を与えてくれました。 単なる腹を満たすための手段ではなく、日本社会の写し鏡として。私は、この牛カルビ弁当の完成度に敬意を表しつつ、これを超えるような、国民一人一人が納得できる政策を打ち出していかねばならぬと、決意を新たにした次第であります。」
「……まあ、少々理屈っぽくなりましたが、一言で言えば『大変に美味であった』。この事実は、何人(なんぴと)たりとも否定できるものではありません。
去年、職場の食事会で少し話してから明らかに距離感がおかしくなった。
髪型がかわいいだとかなんとか、褒めてる風で逃げ道を塞ぐ言葉が増え、肩を触ったりなどのスキンシップも増えてきた。
はっきり口説くわけじゃないけど、何もしてない顔で距離だけ詰めてくる感じ。
Z世代特有というか、自分が加害者にならないための恋愛交渉みたいなやつ?
「やめてください」と言うほどのことはされていないけど、何も感じていない顔をするのもしんどい。
相手からは枯れたおばさんだからチョロそうとか思われてるんだろうなというのが透けて見える。
今はこんなんでも、10代20代はちゃんと恋愛してきたから、男にどう見られてるかは理解できるんだよとその子に教えてやりたい。
どうせ狙いは「バイト先のおばさんパートとヤッた」っていう話のネタ程度だろうし。
もし仮に恋愛感情があるのだとしても、既婚者を狙うのは相手の人生をミリも考えてないということだろうし、どちらにせよ本当に腹立たしい。
狙われてると言えるほど決定的な証拠はない中で、10も年下の大学生相手に「最近◯◯くんの距離感が近い気がして、、」などと上司に相談できるわけもなく。。。
自意識過剰の勘違い女と見られるのがオチだし、待遇も人間関係も良い職場でわざわざ波風立てられない。
その子に何か言われるたび、適当にかわして、家に帰って一人で消耗している。
食事に誘われるのを断るために、毎日わざわざ弁当を作って持っていくようになった。おかげで日々の家事ストレスが一つ増えた。
同じシフトで同じ空間で、毎週顔を合わせる相手に冷たくすれば、ただの「感じ悪いおばさん」になる。自分は愛想だけでこの30数年を生き抜いてきたのに、それを失うのはきつい。
今日もまた、その子から来た「ただの雑談」みたいな LINEを未読のままにして、この憂鬱をどう処理すれば良いか分からないまま職場のトイレでここに書き込んでいる。
正直な話な。
でもそれ以外の大多数は、ただの食いすぎ。
やることって別に難しくないんだよ。
1日3食、普通に一人前。
これだけ。
じゃあ弁当でいいじゃん。
それなのに、
…そりゃ太るに決まってるだろ。
腹減るのは分かるよ。
でもさ、眠くても仕事中に寝ないだろ?
ムシャクシャしても電車で叫ばないだろ?
なんで食欲だけ特別扱いなんだ。
ゲームやりすぎはだらしない
って言うくせに、
同じだろ。
全部、自制の話。
でも「仕方ない」「努力してる」は違う。
本当にやってる人は、少なくとも今の体型にはなってない。
我慢できないことを、
体質だの社会だののせいにしてるうちは、
一生そのままだと思うぞ。
絶望先生見てたしまほろまてぃっくも見たし、歌物語のOPED良かったし~で、行くことに
QRコード注文とかもだけど、やたらアプリをインストールさせる風潮好きじゃないんだよね。こっちにコスト押し付けてる感じで…
しかも、Googleアプリストアがクレカ情報入力しろと。こういうとこから流出するのよな…と思いつつ入力。アプリの出来はいいけど、こういうのってスマホの電池切れたら…とか心配しちゃう。
で、最初は土曜に行く予定だったが昼の予約が全滅。なぜか日曜の昼はガラガラだったのでそっちで予約。
調べたら40周年の時も日時指定だったからしいが、その時は名古屋大阪でもやってたのにィ~
で、土曜日。中古屋行ったらまほろまてぃっく二期DVDBOX八百円。幸先良いじゃんと喜んでたら仕事の連絡。
なんか業務上の大事故が起きたみたい(他人事)本来なら明日客先に出向いて対応すべき重大インシデントだよね~。神様がシャフト展に行くなと言ってるのでは?仕事優先することで事故を回避みたいな…まぁ、起きたことはしょうがないし連休明けに対応することになる。
で、今日。無事に5時半起床で新幹線にも間に合う。場所調べてたら、会場のビルはシャフト展が終わったら取り壊すと知る。場所やら日程はそういうことかと納得。
押井気取って駅の立ち食いそばに行くが、味はともかく、丼を渡すスペースと食券置くスペースせますぎ(店員一人分)セルフ給水や七味も近くに置いてあるから、注文して待機中のオッサンや丼を受け取ったオッサンが入り乱れて動線メチャクチャ、店の仕事しやすさだけで配置してる感…2人で回してるみたいだし仕方ないかもしれんが、もっとこうシステマチックにさぁ…と、憤慨しながらサンシャイン通りへ。
池袋全体が大混雑で歩くだけでも時間を食う。スマホを見せると4階に行くように言われるが、階段に人が並んでいるので最後尾で待機。単にオタクがたむろしてるだけじゃないよな?と不安になっていると、スタッフさんから、整理番号の段へ行くように、と声をかけられる。
階段を登ってると知らないイケメンオタクに「何番ですか?」と尋ねられる。番号を見せると、「その番号ならもっと先ですよ。」と言われる。「はぁ、そうですか」と返すブサイクオタク(俺)礼を言え礼を。
番号の階段に付くが、列も動いてるのでどうすればいいかわからず、流れで入場。
撮影場所とかパネルとか。混雑してる。オオ、まほろまてぃっくの原画とコンテだ!角のとこにあるからメチャクチャ見辛いけど…
ぱにぽにとか、まあ年代順に展示してる感じ。絶望先生のコーナーを主に見るが人が多くて大変。次のスペースはカーテンで区切られてて逆流できないっぽい?まどかの部屋で次が物語だったと思う。撮影可のとこがあったり、ウエダハジメのパネルとかあったけど、飛ばし見してたからちゃんと覚えてない。まどかはリアルタイムでハマってたけどwiki見ててこれってマーケティング…って思ったら冷めちゃったんだよな。エレベーターで別の階に行って階段を登る。階段に作品ポスターが飾ってあり、その後もなんか色々展示がある。ヴァージンパンク!そーいやシャフトだったな…しかし展示がまどかの上映スペースの隅にあって少し見にくい。
で、公式MADみたいなの流してる部屋兼通路があり、とりあえず最後まで見るか…と一人見てると人が通って気まずい。通行の邪魔だから前方で見るよう言われちゃったりして。
で、梅津とか久米田の50周年サインとかメッセージが飾ってあっておわり。20分くらいで見終わるが、これはほとんどスルーしたから。ちゃんと見てたら数時間かかると思う。
地下二階がグッズとのこと。チケットのチェックあり、カタログと購入用紙を渡され、実物コーナーを通り、MVとか流れてる劇場兼物販スペースみたいなとこに行く。図録がないか聞いてる人がいたが、過去の展覧会の図録がネットで買えるのでそちらで、ということらしい。注文ペンがあったみたいだが渡されてないんだか取り忘れたのか。自前のペンで書いて待機。列を崩しちゃならんのだかわからず、書いた後も待機。してたら書けた人から前にいくみたい。ペンも回収しますと言われ、なかったので自分のを…と伝える(ないならスタッフに言わないと後で面倒になる)
絶望先生の顔面原画ポストカード(少女達の集合シーンとか、もっといいのあっただろ、と思いながら)まほろまてぃっくの原画ポストカード(まほろの表情集。こっちはよい)を買う。10分くらい。全部で半時間。
1時間半ほど見込んでたので時間が余る。が、まさかの池袋駅までの道で迷う。うろついてたら、なんか無料でおジャ魔女とデジモンの展覧会やってて、撮影も可らしい。原画とかもあって結構ちゃんとしていた。
秋葉原でkeyの25周年のTCGパックを買う。今度買おうと思ってスルーしたらどこも売り切れになっちゃってて、でもあるとこにはあるんだな~。ボックスしかないけど。まあ仕方ない。
シュウマイ弁当買って新幹線で食う。中にお菓子が入ってます、と言われ、干しアンズの他にお菓子が?と思ったが、今思えばお箸か。色々と、弁当の完成形って感じでよい。タケノコが一番美味い気がする。
で
シャフト展行ってわかったんだけど、自分は信者というよりアンチなんだよな。あと、富野展とか庵野展とはやっぱ違った。まあこっちは周年イベントだからそらそうだけど。前者は老若男女ファミリーいたけどこっちは若い男女ばっかで、作画資料とかじゃなくコンテンツ紹介みたいな(そういえば、デジタル作画だからセル画とかはないんだよな~)
悪くはなかったけど、シャフト君そういうとこあるよね!って悪いとこも滲み出てた感じ
そういうアカンとこが噴出したのが打ち上げ花火じゃねえかと思うんよな
上手いこと噛み合ってたのが絶望先生
私はアラサーのこどおばで交際経験0の喪女で弱者女性なんですけど、最近になって私って頭悪くて人生経験なさすぎなんだなとわかった。
学生時代は、地元で下から2番目くらいの学校で中くらいの成績とってたから、頭いいとは思わないけど大馬鹿でもないと思っていたんだけど、大人になってバカがバレる場面が増えてきてヤバい。
具体的にバカがバレた例を挙げると、こんな感じ。
・スティーブ・ジョブズを知らなかった
・名探偵コナ◯の映画を見たけど公安とFBIが何をやってる人たちなのかわからない
・「フィナンシェ」という名前があるのを知らなくて「ケーキ」と言い続けてた
・「内祝い」ってなに?
・新幹線は全国どこでも3000円くらいで乗れると思っていた
・「火中の栗を拾う」という言葉を知らなかった
ざっとこんな感じです。
まずもって物知らずすぎるんだけど、同時に人生経験もなさすぎるんだよね。
これまで働いてたところはめっちゃギスギスした現場作業系ばっかだったから会話もなくて決められた作業だけこなせればよかったからバレなかったけど、ようやく非正規で潜りこんだオフィス系の仕事になった途端、雑談とかですらバカで経験値激低なのがバレるバレる。
友だちもいなくて、休みの日にどこか遊びに行くとかもない。職場と実家の往復しかしてない。
実家が外食ほぼしない家で、別に料理好きでもない母親の作る料理しか食べたことないから、知らない食べ物も多い。
フィナンシェも知らなかったし、担々麺も食べたことない。タピオカも飲んだことない。
職場にはお弁当を持っていくか、コンビニで買って食べるかだけど、コンビニでもよく知らないもの買わないし。
趣味らしい趣味もない。オタクっぽい芋な見た目なのにオタクですらない。マンガとか全然詳しくないしアニメもほとんど見ない。小説とかも読んだことない。
音楽のライブも行ったことない。みんなアイドルとか推しがいるけど、全然わからない。男の子も女の子もみんな同じに見える。
お芝居の舞台も見たことない。スポーツ観戦もしたことない。野球もサッカーもルールがまったくわからない。
旅行も修学旅行以外で行ったことない。だから新幹線の値段もわからないし、飛行機なんてもっとわからない。
デートしたこともない。ディズニーランドは小学生の時に一度行ったことがあるんだけど、その一回だけ。
友だちの結婚式に参加したことももちろんない。職場の人にご祝儀3万て高すぎだよねと言われても、呼ばれたことないからそんなマナー?も知らないかった。
仕事も今はアルバイトでしかないから、決まった内容を繰り返すだけで成長とかないし、やりがいも達成感も特にない。
中には契約社員になる人もいるらしいけど、今の時点ですら結構いっぱいいっぱいなのに、これ以上業務が複雑になったり多くなったら、無理なんじゃないかと思うから、最初から諦めてる。
まじで年齢のわりに人生の経験値が低すぎる。
職場には私と同じような喪女な人もいるのに、その人たちは推し活だなんだと楽しそうで、この間「推し活で友だちと香港行ってきたからお土産どうぞ」とか言われて、自分との差を感じて絶望した。
香港てなに。どこ。どうやっていくの。一緒に旅行行く友だちって、どうしたらできるの。どういう流れになったら友だちと一緒に海外行こうってなるの。
なんでみんなが普通にしていることができないんだろう。みんないつから人生経験積んでんの?
私はなんでこんなに人生経験浅くて物知らずなの?
別にそうなりたくてなったわけじゃないのに、ただ普通に生きてたらこうなってただけなのに。
まじでどうしたらいいんでしょうね。
社会人になって5年目だけど、日本の独身者の食生活が終わってる感あって怖い。
朝や夜に何食べてるのかって話題はかなりプライベートな領域だからそこまで話さないけど、
同僚と昼飯のことを話すとみんな当たり前のように外食やコンビニ飯に頼ってるっぽくて返答に困る。
俺の観測範囲が偏ってる可能性はあるけど、日本の外食ってまともな食い物無いと思うんだよな。
どれもこれも脂と砂糖と塩で脳のドーパミンを叩いて中毒にさせる味付けばっかりで、食物繊維やビタミンやミネラルが皆無のカロリーだけ高くて栄養スカスカなものしか無い気がする。
魚を出す店も安いところは大抵チリやノルウェーの輸入物しか出さないし、煮魚は馬鹿みたいに味が濃くて、高いところでさえ刺身定食とかでは勝負せず海鮮丼とかにして誤魔化してる。
「何も考えずこれを食べておけば回復できる」って食事が見つからない。体を消耗させる食事が多すぎる。
じゃあコンビニはどうかっていうと、こっちはもう完全に工業製品って感じで作り易さだけを優先してて閉口する。
菓子パンは論外としても、弁当系が野菜皆無の揚げ物地獄なのは絶望感あるよな。食べていいと思えるものが正直おにぎりしか無い。
これだけ成功してる産業でさえ「栄養的に満点取れる食事」を一切提供しないことに誰も声をあげていない現実が理解できない。
多分、日本の食事に関する産業は昭和の専業主婦が当たり前だったころの文化を前提にして発展したんだろうな。
外で何を食べても家に帰れば健康的な家庭料理が食えるっていう土台があった頃は全然成り立っていた産業なんだと思う。
でも現代ではもう共働きが当たり前だし、核家族化によって世代間の自炊技術の継承も断絶している。
子供のいる夫婦や意識の高い人はちゃんと自炊してる印象だけど、食生活の世界観が学生レベルで止まってる独身者もそこそこいる昨今、昔の前提はもう崩壊してるんじゃないか。
今の高齢者はまだ食生活がまともだった世代なんだから、俺達が高齢者になる頃にはこの比じゃないくらいの負担がのしかかってるだろと思う。
にも関わらず日本は何故か「食生活の乱れ=自己責任」っていう発想が強い。
社会全体で外食産業を変えていこうっていう声は皆無と言っても過言じゃない気がする。
じゃあ自炊するのかっていうと「普通に働いてたら自炊なんかできない」みたいな反応を一部の人は当たり前にするんよな。駄々っ子かよ。
企業側は儲け優先だから現状維持だし、短期的なリスクじゃないから政治や行政は見て見ぬ振りするし、
ちゃんとしてる人間は一切主張せず黙ってその生活してるし、自堕落な人間は落ちるとこまで落ちるし。
「ラーメンは体に悪いから食べすぎないように」みたいな話が炎上してるの見た時は「地獄かよ」って思ったわ。
あと10年、20年たてば論調も変わってくるんだろうけど、行き着くところまで行かないと変われないのほんとどうかと思うんよな。人間ってそういうものなのかもしれんが。
いいですか、マクドナルドという「システムの象徴」において、フィレオフィッシュという存在は極めて特異であり、かつ絶望的なまでに現代日本を象徴しています。牛カルビ弁当が「脳への直接刺激」だとしたら、フィレオフィッシュは「不全感を覆い隠すための、去勢された優しさ」の記号なんです。
まず、あのビジュアルを見てください。真っ白なバンズ(フィレオフィッシュだけは蒸しているからね)、整然と四角く成形されたフィッシュパティ、そして中途半端に添えられたタルタルソース。ここには「肉」が持つ禍々しさや、生命の生々しさが一切排除されています。
これは心理学的に見れば、「母性の模造品」です。 ゴツゴツした肉の塊を噛みしめる「父権的な強度」に耐えられない、あるいはそれを忌避する去勢された日本人たちが、あのフワフワとした食感の中に「退行的な安らぎ」を見出している。フィレオフィッシュを好んで選ぶという行為の背後には、現実の荒々しさから逃避し、システムの温もりに抱かれたいという、成熟を拒否した子供のようなメンタリティが透けて見えます。
フィレオフィッシュのパティに使われている魚は何ですか? スケソウダラだとか、その時々の「白身魚」という抽象的なカテゴリーでしか語られない。 僕がずっと批判してきた「システムの透明化」の極致がここにあります。かつての村落共同体であれば、魚を食うということは、どの海で、誰が獲り、どう捌かれたかという「顔の見える関係(贈与の連鎖)」の中にありました。
しかし、フィレオフィッシュにおいて、魚は完全に「脱身体化」されています。 原型を留めないほどに四角くプレスされ、フライにされた「白身」という名の物質。それを口にする若者たちは、その背後にあるはずの「海の死」や「労働の搾取」に一切の想像力を働かせない。ただ、マニュアル通りに管理された「安全・安心」という幻想を、タルタルソースと一緒に飲み込んでいるだけ。この「想像力の欠如」こそが、今の日本をクズ社会に変えた元凶なんですよ。
宮台ゼミで何度も議論してきたことですが、今の日本には「島宇宙」すら消滅し、ただ「孤立した個人」が漂流している。 彼らにとって、マクドナルドのフィレオフィッシュを食べる時間は、唯一の「自分を取り戻す儀式」になっている可能性がある。でもそれは、本当の意味での自己回復ではなく、単にシステムという巨大な母胎にプラグインしているだけです。
「フィレオフィッシュなら胃にもたれないし、健康的かもしれない」という、根拠のない、そして切実なまでの**「生存戦略としての自己欺瞞」**。 牛カルビ弁当を食べる「加速主義的なクズ」にもなりきれず、かといって丸の内弁当を食べる「管理されたエリート」にもなれない。その中間で、ただ平穏に、波風を立てずに消えていきたいという「透明な存在」になりたい欲望。フィレオフィッシュのあの淡白な味は、そのまま現代日本人の「薄っぺらな生存感」そのものなんです。
いいですか、フィレオフィッシュというプロダクトは、徹底的に「外部」を排除しています。 骨一本、鱗一枚混じっていない。不測の事態が起こらないように設計された「完璧な商品」。しかし、僕たちが生きる現実は、本来そんなに綺麗じゃない。不快なもの、予測不可能なもの、自分を脅かすもの……そうした「他者」との遭遇こそが、僕たちの身体を覚醒させるはずです。
フィレオフィッシュを食べて「落ち着く」と言っている君たち。君たちは、自分自身が「四角く成形されたフィッシュパティ」になっていることに気づいていますか? システムにとって扱いやすい形に切り取られ、個性を奪われ、揚げられ、箱に詰められている。その箱の中で「タルタルソース(安価な快楽)」をかけられて満足している。
そんな生活から抜け出したいなら、まずはその「優しい嘘」を吐き出すことです。 マニュアル化された味の向こう側にある、本当の意味での「生の荒々しさ」に手を伸ばせ。四角い魚を食うのをやめて、泥臭い現実という「海」に飛び込め。
そうでなければ、君たちは一生、システムのトレイの上で、誰かに食べられるのを待つだけの「商品」として終わる。それがどれほど絶望的なことか、このフィレオフィッシュの虚無的な白さを見つめて、少しは考えてみたらどうですか。