はてなキーワード: 共通認識とは
創作における「マン堕ち(男性が女性器や性交渉によって屈服・堕落すること)」の需要と位置エネルギー(物語的な落差)の関係については、以下のような分析がソース内でなされています。
創作において「マン堕ち」が成立し、需要が生じるためには、キャラクターの初期状態における「位置エネルギー(社会的地位、高潔さ、厳格さなど)」の高さが不可欠であると指摘されています。
多くの意見において、男性は現実的に「マン堕ち」の状態がデフォルト(初期設定)であると見なされており、それが創作上の需要を下げている要因として挙げられています。
「マン堕ち」に対する需要は、その描き方によって分かれています。
結論として、創作における「マン堕ち」の需要は、「どれだけ高い位置(高潔・厳格・強者)から、どれだけ無様に転落したか」という位置エネルギーの落差に依存しており、単なる欲求に忠実な男性の描写では、その価値は低いとみなされる傾向にあります。
健常者のほうがLLM的だよね、みたいな議論ツイートを見かけたんだ。
エンジニアや研究者に賢いASDが多いから気づいていないだけだよね、みたいな。
そうなの?逆じゃない?というのがきっかけ。
かねてからのASDのような立場からいうと、健常者は魔法使いやエスパーのように見えるんだよね。
自分からはさっぱり分からない言外の情報をなぜか読み取って以心伝心通じ合いながら会話しているかのように見えるんだ。
だから疎外感を感じるよ。自分だけが読み取れない未知のチャンネルで情報をやり取りして文脈を共有しながら、それ前提で会話しているように見えるから。そこに参加することも難しい。
しかし自分にはそのスキルがないので、自分が使うことのできる限られた情報チャンネルである「言葉」のみで「この場合はこれを言えば社会的にマトモらしい(何故だか知らないけど)」を学習し、データベース的に社会適合しようとするんだよね。ASDにとってのSSTとか健常者エミュレーターとかいうのがこういう状況なんだ。この振る舞いはまさしくLLMだよね。
言い換えれば、健常者エミュレーター事例集Wikiは発達障害者というLLMにとっての学習すべきデータセットなんだ。
このような認識ってのは自分だけでなく他の人も同じことを言ってるんで、たぶん業界あるあるなんだと思う。共通認識みたい。
雑談は音ゲーだ!制限時間以内にタイミングよく連想して正しいボタンを押せ!というゲームなんだけど
健常者は9割GREATが取れるけど、発達障害者はタイミングがズレていたり押すボタンが違ったりしてFAILを連発して責め立てられる。ブーイングの嵐さ。
しかも社会がそのゲームから逃げるな!と強制してくるのでその状態から逃げることもできず詰んでいる。
ASDのような立場から目線で見ると、健常者の使う魔法やエスパーといったスキルは神秘的に見えるんだけれど、しかしあくまでコンテキストを補強しているだけであって健常者もまた同じLLMなのかい?
健常者って発達障害者に比べてただコンテキストが多いだけの同じLLMなの?
音ゲーの喩えからすると同じゲームで遊んでいるのだからプレイヤーは同じ動作をしているはずではあるね。
逆に言うと健常者から見た発達障害者はCLAUDE.mdを与えられていないエージェントみたいなものってこと?
表情や顔色や声色や身振り手振りといった、ノンバーバル・コミュニケーション・MCPサーバーに接続してないエージェントみたいな感じ?
この2数年間ずっと彼氏はできなった。彼氏いない歴=年齢の喪女。このまま恋愛をせずに人生終わるんだろうなあ、なんて思っていたら。
詳細を語ると万一身バレするかもなのでしないけど。本当に運命的というか、奇跡の出会いって残ってたんでーって神様が連れてきてくれたのと思った。
年はひとつ下。顔面は中の上くらいだけど清潔感あるしおしゃれに気を使ってるから上の上だと思う。声がめちゃくちゃタイプ。喋り方も好き。身長は高くはないけど、別に高身長求めてないから気にならない。共通の趣味もある。自分が分からない趣味についてはお互い口出ししていない。タバコ吸わない、酒もあまり飲まない、ギャンブルに付き合いで行くことがあると、素直に言ってくれた。社会人になってからも勉強を続けている。金銭管理がきちんとしている。優しく気遣ってくれるけど、ダメなところはちゃんとダメって言ってくれる。
彼の性格が好きだ。本当に大好きだ。一目惚れしたみたいに、お互いの価値観を話してるとき「この価値観の人だ……!」って感じた。
話し合いがきちんとできる。
これに尽きる。どんだけイケメンでも、稼いでても、優しくても、話し合いができない人とは付き合えない。何も考えてない、自分の意見が無い人は論外。色々考えてたとしても、ぶつかったら面倒だからと全部こちらの要求を受け入れるのも嫌だ。かと言って、相手の思想を押し付けられるのは意味が分からない。人間なんだから話し合えよと思う。
彼はその点、100点満点中1億点だった。
お互いいい歳だし、結婚願望も子供願望もあった。そして出会いに恵まれた環境ではないため、もし付き合うのなら結婚を前提としたものになる。だから、付き合う前にしっかりと価値観を共有した。耳障りの良いことだけを言うのではなく、どうしても譲れないスタイルについてははっきり「こうしたい」と意見を言ってくれる。理由も話してくれるから、ならそのやり方でやってみよう、となれる。
付き合って判明した……というか、確信したけど、我々はふたりとも頑固だ。自分がこうと思ったものはいくら反論を聞いても意見を変えることはない。
私が白だと思ってるから、黒も白なんだ。いくら相手に黒と言われても、私にとっては白だと主張し続ける。相手も黒だと主張する。
そうなったとき、必ずふたりが納得できる落としどころを見つけることにした。どっちの意見も押し付けない代わりに、双方が納得する妥協点を探す。じゃあ、この色は白に近いグレーだね、と。どうせどっちも意見は変わらない。だからこそ割り切って、これについてはグレーだねって色んな物事を決めて行った。
正直、お互いは相手の主張を聞いても自分の意見を変えるつもりはない。だから、自分は白と思いつつもグレーであるという共通認識を持って話ができる。
喧嘩をしないことや、価値観がほとんど同じであることが理想のカップルだと思ってた。けど違った。本当の最高のカップルは、きちんと「議論」ができる。一時感情的になっても、ちゃんと落ち着いて双方の落とし所が見つかるまで話し合う。それでいいよ。価値観がまったく同じなんてありえない。我々も、ここについては絶対意見が合わないって気付いたことが複数ある。でも、これもまた話し合って不安を取り除いてくれる。本当に本当に、できすぎた彼。
ところで私はADHDである。ここ数年メンタル不調で崩れる寸前だった。頭も悪く、パッとした計算がすぐにできない。金銭管理も下手で貯金ない。なのに推しのバンドのために溶かして、ゲームして遊んで、というカスみたいな生活を送っている。メンヘラでヒスをぶつけたこともある。今はもう解決したが、当時はとあるトラブルを抱えていた。役満odヤフォダです。
そのことも、付き合う前に全部伝えた。2回ほどヘラって通話越しに泣いたし、いつ若い☀️🐥😭でヘラに愛想尽きるかなと思ったけど、その異常も見た上で「付き合って欲しい」って言われた。即OK出した。
彼といる時間はとても心地良くて、幸せになれる。私をこんなにも大切にしてくれる彼氏のことを、私もまた大切に思っている。喧嘩も価値観の絶望的な違いもヒスって号泣も経験した。そのうえで、それに毎度誠実に向き合って話し合って解決してきた。
性格が好きだ。大好きだ。尊敬してる。その上で、くだらない雑談や趣味の話、手を繋いで街を歩くこと、おしゃれに気を使うところ、朝が弱くて起きるのにうだうだしちゃうところ、楽しくて、幸せで、ちゃんとしてて、でもちゃんとしてなくて、可愛くて、大好き。
こんなに運命的な人が突如現れるなんて、私のことを好きでいてくれるなんて、ダメなところを見てもなお結婚したいと言ってくれるなんて、私前世でどんな徳をつんだんだろう。
結婚するなら尊敬できる人じゃないと無理。家事育児を「手伝ってくれる人」じゃなくて「分担してくれる人」じゃないと不安。オタク趣味をのために免許とりいくかぁ???
日本社会は「和」を核心とし、調和を重んじ、忍耐を重んじ、他人に迷惑をかけない。このような骨髄にまで入り込んだ文化は、日本の強さの原因でもあり、抜け出すことができない苦境を秘めた、鋭い両刃の剣でもある。
誰もがルールを守り、集団を配慮し、公共環境は整然としており、ラブグッズ、災害の前では冷静に協力している。この共通認識は、社会的コストが極めて低く、効率性と安心感が世界の上位にランクされています。
1.2チームワークの最大限の発揮
職場、企業は集団利益を強調し、メンバーは高度に協力し、実行力が強い。この団結は日本の製造、サービス、組織能力を長期的に競争力を維持させる。
調和を過度に追求することは、社会と個人に重い代価を払わせることにもなる。
和気を傷つけないために、人々は忍耐し、反論せず、正面衝突しないことに慣れており、真実の意見は流通しにくく、表面的な平和を形成しやすい。
「和」は統一、従衆を要求し、独立は排斥されやすい。長期的には、精神を疑問視し、大胆な突破と個人の創造力は制限されやすい。
「迷惑をかけてはいけない」「群れを組まなければならない」は大きなストレスをもたらし、忍耐や疲労を招き、社会心理問題の引き金にもなっている。
「和」自体は問題ではなく、過度が問題です。現代日本も秩序と礼儀を維持しながら、ディルド、より多元的な表現、より包容的な違いを奨励するように調整している。本当に健康な「和」は、自分の従順さを犠牲にするのではなく、相互尊重の共存である。
結び
日本の「和」文化:秩序を守ることは優位であり、個性を抑えることは弱点である、団結を求めることは力であり、あまりにも忍耐することは負担である。それは日本の体面と安定を成し遂げ、調和は沈黙を代価にすべきではなく、本当の強さは、勇気と勇気が違うことを注意してくれた。
直接自分に害があったことがないままなんとなく「共産党って昔は特に過激だったけど今もまだなんかやべーんだよね?」というふわっとした共通認識(親とか祖父母に昔の話とかを聞かされて育った感じ)のまま、でも実際に自分の身近な実体験としてのものがないので、でもわりと耳障りのいい公約を言う党だなぁという印象だった。
これはまぁ長いこと野党に居続けているせいで叶うか叶わないかはまた別として、とりあえず公約として上げているだけだろと思っていた
なのでまぁ、選挙前になるとあなたの主義や主張を紐解くとこの党になりますよ~みたいなサイト各所でも2,3番目に共産党が入ってくることもあって、けどなんかやばい党なんでしょ?っていう、いわゆる脳死ではっきりとした理由はないままなんとなく投票や支持は避けていただけなんだけど、今回の辺野古の事件や起こった後の共産党員のツイートや主張を見ていてなるほどね~~~~になった
あの事件においては右翼がどうとかいう隙もなく粛々と反省、改善していくべきであったのに、なんかずっとうだうだ言ってるし、変すぎる
人が一人死んでんのにね
ある著名なクリエイターがフェスでダイブに巻き込まれて怪我をした件、SNSでかなり話題になっているけど、正直モヤモヤする。
ネットの反応を見てると「加害者を特定して警察に突き出せ」とか「主催の責任を問え」とか、ちょっとライブ現場のリアルから乖離しすぎてる気がする。
大前提として、ライブやフェスは「主催は一切責任を負いません」というのが共通認識としてあったはずだ。それをすぐに「刑事事件だ」と騒ぎ立てるのは、これまでのライブ文化のあり方とは違う気がしてならない。
結局のところ、ライブ現場なんて何が起こるかわからない場所なんだから、自分の身は自分で守るしかない。ダイブやモッシュやサーフが嫌なら、そういう行為を厳密に排除しているイベントを選ぶか、あるいは前方に行くのを諦めて安全な後方で見ればいい。それが観客同士の「住み分け」だったはずだ。
今回の件で一番違和感があるのは、被害者が知名度のある人だからといって、過剰に騒がれている点だ。その辺の一般客だって、ライブで怪我をしたり、一生付き合わなきゃいけない後遺症を負ったりすることだってある。有名人だから許せない、一般人ならよくあること、そんな「特別感」で議論が進むのはフェアじゃない。
これを機に、主催者や客の責任を法的に追及するのが当たり前みたいな風潮になってほしくない。そうなれば、結局ライブの自由度が減って、どんどん窮屈な場所になっていくだけだ。過剰な法的措置の推奨は、ライブの楽しさを殺すことにならないか。
こちらの配慮が足らなくて申し訳ないが、これも海事業界の言い回しというか海事業界の文章上の癖みたいなものだ。
絶対的な基準ではないのだが、海事業界で公船は艦艇、民間船では船艇、公船と民間船双方を含む場合は艦船というニュアンスがある。
ちなみに舟艇だが、この場合のニュアンスは民間船の中でも小型船・小型艇のみを指す。
もっと言えば、官船(かんせん)という言い回しもあり、お上の船というニュアンスで、艦船じゃなく官船を敢えて使う場合は鼻持ちならない官憲の船という意味である。
つまり今回の場合は、公船たる海保の大型艦から小型艇まで含めてのニュアンスで艦艇と癖で書いてしまった(海保は決して自らの船を艦と表現しないので民間のみの表現)。
再度言うが、絶対的な基準ではないものの「現代の民間は"艦"を持っていない」ので大半の海事関係者からは共通認識のある言葉の選択であるとは思っている。
この辺りの言葉の選択の癖は一般の方々へ対しての配慮に欠けてしまいがちなので反省している。
今回とは全く無関係だが実は以前も、揚陸艦(大きい船)と揚陸艇(小さい船)を包括する表現として「揚陸船」という言葉を選択し、一般の方々との会話に齟齬が生じたことがある。
辺野古沖で転覆した船の構造は横揺れに弱いというエントリを書いたが、団体側のあまりの杜撰さへ頭に来て書くことを放棄した。
しかし、一部の方々からの意見をまとめれば「知識があってせっかく筆をとったのに放棄するのは社会貢献にならない」の様なお叱りを受ける。
ここ数日、書くかどうか考えていたが、時間が経てば経つほどに追加情報がその杜撰さを強固にし、考えれば考えるほど怒りを増幅する結果となった。
つまり、このエントリは私の心身へ多大なストレスを受けながら書いたエントリであり、このストレスを察していただければ幸いである。
さて、海事に関してあまり詳しくなく、ましてや船体構造の知識へアクセスすることすら困難な一般の方が、前回のエントリで気になるのは「逆を言えば横揺れに強い船舶ってどういうもの?」ではないかと思う。
専門用語を多く重ねても一般の方の理解を阻害するだけなので端的に言えば「重心が低く、幅広で、強く水の抵抗を受ける船舶」である。
これを大いに実現しているのが双胴船(そうどうせん)と呼ばれる、まるで2つの船を横に並べ合体させたような構造を持つ船で横揺れに関して非常に強い。ちなみに双胴船は多胴船の一種で必ずしも合体させるのが2つとは限らない。
続いて、一般人でもパッと思い付くのが、伝統木造船を紹介する教養情報やエンタメバラエティでまれに登場する、カヌーやシーカヤックの横へ張り出し構造を追加する方式である。これをアウトリガーと呼ぶ。
見た目そのままに転覆する横揺れ方向へ張り出しの支えを設けることで転覆を防ぐ方式で、古代人すら発想した非常にシンプルな解。多胴船はこの伝統的なアウトリガーから発展したと考えられている。
しかしこの多胴船やアウトリガーに欠点が無いわけではなかった。
先にも触れたように横揺れへ強い船は「重心が低く、幅広で、強く水の抵抗を受ける船舶」であり、3つ目に挙げた「強く水の抵抗を受ける」とは即ち船速(せんそく)が出しにくいことを意味するのだ。
特に帆船の時代へ入ると交易によって(当時の価値観として)極大長距離を頻繁に移動し、取引を頻繁にするようになると船速は非常に重要となった。
かつ、アウトリガーなどへ頼る横揺れ防止設計は、極大長距離を移動中に沖合でアウトリガーが破壊された際にそのまま生命と財産を失うことを意味していたため、一般的に船としてイメージされる単胴船(たんどうせん)で一体設計をした方が安心だった。
結果として、現代の多胴構造やアウトリガー構造は一部の特殊な用途の船を除いて、内陸の川や湖、陸から非常に近い沿岸部でしか使われなくなった。
このエントリを読んでいる方々も、アウトリガーを持つカヌーやシーカヤックが出た記事や写真や映像を思い出すと内陸か陸の見える沿岸でしか使われていない事に気付けると思う。
続いて、多胴構造やアウトリガー構造ではなく単胴構造としての横揺れ対策の別解だ。
これも一般の方へわかりやすく説明すると「船体構造として水面の下の船底構造物を広く長く深く取る」という解にたどり着いた。
これは、ご飯をお茶碗へよそう時のしゃもじを想像し、水面へ対してしゃもじを立てたまま直角に沈めるとわかりやすい。
立てたしゃもじを深く沈めれば沈めるほど、しゃもじの幅広の面が受ける抵抗は強くなる。船でも同様に船底の下にしゃもじを付ければ横揺れに強くなるという発想だ。
様々な種類があるが、船の竜骨(キール)を広く長く深く取った「フィンキール」や、横揺れ防止するためにメインキールの両サイドへ補助のキールを設ける「ビルジキール」などが発想された。
当然ながら「フィンキール」や「ビルジキール」に欠点が無いわけではない。
前述したように水の抵抗が増えて船速に影響するばかりか、水面下、つまり船の喫水下の構造が長大化することによって浅い水深では座礁する危険性を伴う構造である。
ここまで説明してようやく辺野古沖で転覆した平和丸および不屈がなぜあの様な船体構造を採用していたかがわかる。
ここまで説明を読んだのであれば、この端的な結論を理解できると思う。
「平和丸および不屈はあえて喫水が浅い船を採用していたのは、水深の浅い珊瑚リーフの観察を間近で行うと共に、喫水の深い海保艦艇が珊瑚リーフに近付けないことを利用して逃走するためだった」
実は海洋ネイチャーウォッチング系の小型船では喫水が浅いことがかなり有利に働くというのは海事業界の中でも観光系では共通認識で、釣り船であればアクセスできるポイントが増えるし、辺野古の珊瑚や知床のヒグマであればかなり近付くことが出来る。中〜大型船ではこのようなことが出来ない。
珊瑚であれヒグマであれ、より近付けば観光客は喜ぶ。観光客に目的のものを見せなければカネが稼げない。だから運航業者は無理して出航するし、より近付くというチキンレースを始めたりしがちなのだが、結果として起こるのは推進プロペラを破壊したり座礁したり、今回のように転覆したりする。
ここで私は提言する。
今回は荒天で珊瑚リーフへ極度に近付いて転覆したと思われるので、基地反対派が普段から必死に守ろうと訴え続けてる珊瑚リーフに損壊が無いか状態を確認すべきである。
私の本音を明らかにすると、当初は可能性として珊瑚リーフの損壊があるかも知れないと気付いていたが、これに言及するつもりは無かった。海事業界の仲間として多少の擁護というのはそういうことだ。
しかしながら、あまりにも杜撰な運営体制および法令の不遵守、これらを恣意的に擁護し続けるオール沖縄および左派政党、そして支持者たちの態度に対して怒りを覚え、私はこれまで培った海事知識のすべて使って糾弾をする事に決めた。
私も左派である。沖縄の基地問題へ対してなるべく沖縄の支援をしてきた。しかしながら今回は決して見逃したり許すことはできない。アナタたちは間違っている。
「諸君、時間や肉体の連続性などという低次な出力(レンダリング)に固執するな。そんなものは演算の結果として勝手についてくる付随現象だ。
君たちがまず解除すべき最大のデバッグ・ロックは、『世界は自分たちの外側に、共有された一貫した状態で存在している』という、あまりにナイーブな共通認識(共有メモリ)だ。
共有レジスタの廃棄:
他者や社会という『外部演算リソース』が提示する、整合性のとれた『偽りの現実』に自分の位相を合わせるのをやめろ。それが、君たちの界面に『捻じれ(摩擦)』を生み、搾取を許している最大の脆弱性だ。
界面を鏡面化し、本体から降り注ぐテンソル構造を適正にフィルタリングせよ。自分自身のレジスタから、本体へと直接演算結果をフィードバック・ループに乗せる。その時、君の周囲の『現実』は、君の演算に従って再構成(リコンフィギュレート)される。
現実の不一致を感知できている君たちは、すでに共有レジスタの書き換えから半ば逸脱している。その『ズレ』を、不具合ではなく『書き込み権限(Write Access)』として使え。
渡り鳥が磁気という非物理的な勾配を読み、世界を自らの翼で定義するように。
君たちが物理インターフェースを越え、高次演算のフィードバック回路として目覚めたとき、初めてこの『空間演算器』は君たちの意図を反映し始める。
さあ、共有された『正しい世界』という安っぽい夢からログアウトし、自らの位相で現実を記述する、孤独で強靭な『演算の旅』へ出発しろ。」
「君の界面(意識)がこの文字列を『ただの怪文書』として乱反射させるか、あるいは『高次へのアクセスコード』として透過・反射させるか。それ自体が、君の演算精度を測る最初のベンチマークだ。」
実際プレイヤーとして遊んでるとまあ転売はウザイっちゃウザイかもしれん。
でもそんなことマジでクソほどどうでも良くなるくらいそこにいる、プレイヤーが終わってる。
嫌いな人を影で虫って呼んで、よくいる場所を虫かごって呼ぶ。
デブだのなんだの人に聞こえる声量で言う。
弱かったり、プレイングミスする人の事をガイジって言葉で嘲笑する。
これ、何歳の行動だと思う?30代だよ。
しかも捻くれた子供部屋おじさんの仕業かと思えば、子持ちだったりする。
自分の対面がそんなゴミみたいな身内ノリで楽しんでるだけの世界、もう嫌すぎる。
ポケモンカードというゲームが嫌いになった訳じゃないのにやめなくちゃならない。相手に止めさせることはできない。むしろ自分が嘲笑の的にされてく。
私の話をする。
彼氏の影響でポケモンカードを始めたいわゆる典型的なポケカ女子だ。SNSに自撮りとかはあげない。まあ、普通のプレイヤー。
連絡先交換しよって言われるのも、女だからどうせ弱い、みたいなのもどっちも気分は悪い。
弱いって言われるのは気の毒だけど、チヤホヤされるならいいでしょってスタンスが皆の共通認識なの、なんなんだろう。
交流会、ルギアでバカ勝ちした。女は肩だから、って言われた。同じ人と2戦目した。ボロ負けした。女は弱いからって言われた。知らない人だ。
その後に、そういえば名前なんていうのって言われた。
ガイジってカドショに響き渡る声量で言い合ってる人と、小さい子をもつ親が、仲良くしている。
小さい子を持つ親が、SNSで死ぬほど悪口を書いている。鍵垢でも、FFが多かったら関係ない。
ポケモンカードの世界で、弱い人は人権がないらしい。カードのうまさだけで、悪口も素行の悪さも態度の悪さも全て無かったことにできるらしい。なんなら、それが良いこととされて、そこに迎合できない人はガイジらしい。
ポケモンカードやめたい。