はてなキーワード: 麻酔とは
悔しい。流産した。稽留流産。染色体異常。はじめての妊娠だった。
どうしようも無かった。
それなのに「辛かったですね」と言ってきた助産師に心底腹が立つ。
仕方がないことだって言うなら、
私が辛い状況にあるって決めつけるなよ。
いや、私が捻くれてるだけで、
子供を産みたいとは思っていなかった。
夫は「子供は欲しい。でも、子供を産むのは僕じゃないし、体の負担は全て嫁ちゃんが負うから、嫌なら無理強いはできない」と言っていた。
夫に人生を救ってもらったから夫の喜ぶようにしたかったし、夫の優秀な遺伝子は後世に残さないといけないと考えて、子作りにいそしんだ。全て夫のためと思っていた。
検査薬の陽性反応を伝えると、とびきり喜んでいた。
本当に嬉しそうだった。
「流産手術のために、娘ちゃんを預け…」と書かれていて、二人目以降を流産した人間だったかと分かると、これもまた腹が立った。
2の予定が1に留まった人間と、1がゼロになった人間の悲しみが同列なわけがない。
今晩は、夫が不在でひとりで寝る。
流産後はじめての、ひとりの夜。
こんな日に限って、母と会ってしまった。
精神疾患で障害者の母。幾度も傷ついた。それでも、母を助けなければ、なんとかしなければと、もがき、何も変わらず、諦めた。距離を取らなければ私が壊れる、私の家族が傷つくと、連絡手段を断っていた。叩かれ、水をかけられ、非難され、恥をかかされ、見捨てられた日々が、トラウマになっている。だから、今日は事故のような形で会ってしまった。
吐き気がしていた。帰ってから吐いた。ストレスなのだろうが、つわりを思い出す。
流産手術が終わってからは、空腹時に胃酸の味がしなくなった。炊きたてのご飯の匂いがあまりにいい匂いだった。
思い出して泣いた。まだ泣けるらしい。
私が親になることで、母が私への関与を諦めてくれるのではないかと期待してたのかもしれない。私が親になれるのには、最低あと1年はかかる。うまくいけばだけど。
もし、夫と二人だけで生きることになっても、十分に幸せに生きていけると思う。今回の経験含めて悲しみは背負うけれど、我々なら糧にできるんじゃないかと思う。
手術で取り出された胎児だったモノ、夫は見たらしい。
私は見ていないのだが、それは小さく、身体を丸めた人間の形をしていたらしい。
その話を聞いて、夫が泣くほどに、分かりやすく人間の形をしていたのかと驚いた。私は流産手術を異物の除去だと考えていた。
私はその胎児だったモノを見なかった。供養もしなかった。調べたら産業廃棄物として焼却処分のようなので、それでいいかなと。私はきっぱりと、今回の件を終わりにしたと思っていた。
本当は、産まれてきて欲しかったよ。なによりも夫を悲しませてしまって、辛い。こんなにも愛してる人を泣かせてしまって辛い。
子供を持つことを「考えが足りない」と非難することが許される世の中。私も非難する側の意見、反出生主義に近しい。
でも、夫を喜ばせたい。夫に幸せを与えたい。結局、この悲しみは子供を持つことでしか埋められないのではないか。
産めなかった子、ごめん。
いつか産まれてくる子、ごめん。
私は、子供が欲しいよ。
現代日本において野球は民衆のアヘンである。いや、アヘンなどという古風で上品な代物ではない。もっと即効性があり、もっと共同体幻想を増幅し、もっと思考停止を快感へと変える危険なドラッグである。人はそこに汗と涙と青春を見ると言うが、実際に見ているのは、企業、学校、地域共同体、メディアが総出で製造した感情の商品である。九回裏二死満塁のドラマチックの展開で経済的不安や政治問題や労働問題が消えるわけではないが、少なくとも数時間は忘れさせてくれる。その意味で野球はきわめて優秀な麻酔剤だ。
プロ野球になると、商品はさらに洗練される。そこでは勝敗そのものよりも、所属、忠誠、反復が重要になる。ファンは自分の人生を改善する代わりに、贔屓球団の順位表を凝視する。人手不足で労働条件が悪化しても、インフレで可処分所得が削られても、シルバー民主主義と既得権益で政治が停滞しても、打率と防御率とドラフトの夢が毎年新しい麻酔として供給される。かつて宗教が果たした役割を、いまやスポーツニュースと配信サイトと応援歌が担っている。
とりわけ甲子園野球は、日本社会が未成年をいかに都合よく神聖化し、同時にいかに容赦なく消費しているかを示す壮大な見本市である。そこでは少年たちは教育の主体ではなく、共同体のノスタルジーを背負わされた供物になる。酷暑のなかで投げ、走り、壊れ、時に将来の身体を削りながら、「感動」を生産する。観客はそれを努力と礼節と伝統の物語として消費し、メディアは毎年それを国民的儀式へとパッケージング化する。未成年を食い物にするこの装置が、ブラバンの応援歌とチアガールのダンスと「一球にかける青春」というレトリックと舞台装置で浄化されているのだから、日本人のイデオロギーは手が込んでいる。甲子園野球は民衆のアヘンのなかでも純粋と献身の名で流通する質の悪い一品であるのだろう。
広島カープをめぐる文化もまた、別種の強い作用をもつドラッグである。そこでは忠誠心は美徳へ、執着は情熱へ、被害意識と選民意識の入り混じった興奮は郷土愛へと変換される。広島カープのファン文化は、しばしばパラノイア的な熱狂を帯びる。世界は常にカープを正当に評価していない、審判は敵で、メディアは敵で、他球団は敵で、それでも我々の赤い共同体だけは純粋である、という具合だ。もちろん、これは個々のファンの人格診断ではなく、熱狂的スポーツ共同体がしばしば帯びる政治神学の話である。しかし、その種の情念はいったん醸成されれば理性より早く伝播する。広島カープは、共同体の陶酔を赤く染め上げて売る、きわめて中毒性の高い覚醒剤である。
「野球は単なる娯楽だ」と言う人がいる。だが、単なる娯楽であるなら、なぜそれはこれほど学校、企業、地域、放送、広告、政治的レトリックと親和的なのか。単なる遊びであるなら、なぜそこでは規律、忍耐、献身、自己犠牲、序列、忠誠といった徳目がこれほど過剰に称揚されるのか。野球はボールとバットのゲームである以前に、日本社会が自らを愛するための鏡である。その鏡のなかでは、従順さは美徳になり、酷使は美談になり、集団への没入は人格形成のための教育と呼ばれる。ブラック企業の論理とそっくりである。
本気で社会を変えたい者は、この装置の効用を過小評価してはならない。人々を沈静化し、共同体への帰属感で包み、搾取を感動へと翻訳する能力において、野球は並の政治宣伝よりはるかに優秀である。だからこそ、その批判はいつも不人気になる。野球を批判する者は、文化を知らない、努力を侮辱している「子どもの夢を壊している」と非難されるだろう。だが実際には逆で、夢を壊しているのは夢という言葉で未成年の身体を使い潰す制度のほうである。
もちろん、こんなことを公約に掲げる政治勢力が権力を握る可能性はほとんどない。「甲子園を解体し、野球文化の国家的特権を剥奪し、ファンダムの陶酔を疑え」と訴える運動が多数派になる見込みは球場のビール売りが日本国首相になる見込みと同じくらい乏しいだろう。だが、それでも言う価値はある。日本の野球は、単なるスポーツではない。それは感動の顔をした統治技術であり、青春の名で流通する規律装置であり、共同体の酩酊を量産する危険なドラッグなのである。
私たちは普段、理性や教養という名のオブラートでこの世界を包み込み、さも高尚な存在であるかのように振る舞っています。哲学を語り、緻密な歴史の変遷に思いを馳せ、あるいは最先端のハードウェアの処理能力や、発酵という複雑な化学反応の神秘を愛でる。しかし、奥歯の一箇所に「小さな穴」が空き、そこが心臓の鼓動と同期してズキズキと脈打ち始めた瞬間、それらすべては砂上の楼閣のごとく崩れ去ります。
虫歯の痛みというのは、実に暴力的なまでに「今、ここにある肉体」へと意識を引きずり戻す装置です。阿弥陀如来の慈悲も、遥か彼方の極楽浄土も、疼く神経の前では何のバッファにもなり得ません。
どんなに高性能な脳(CPU)を積んでいようが、歯痛という名の「割り込み処理」が最優先で実行されれば、他のタスクはすべてフリーズします。本来なら壮大なSFの舞台設定を空想したり、複雑なエンコード設定の最適解を導き出したりできるはずの思考リソースが、すべて「痛い」というたった3文字のデータ処理に占有されてしまう。
「徳を積めば救われる」といった精神論は、1ミリも機能しません。目の前の痛みを消し去ってくれるなら、悪魔に魂を売ってもいいし、全財産を投げ打ってもいいと本気で思う。この「余裕のなさ」こそが、現世が苦界(くがい)であることの何よりの証明です。
私たちは、目に見えない微生物の働きを時に「発酵」と呼び、豊かな食文化として楽しみます。しかし、それが自分の口内で、しかもエナメル質を溶かす「腐敗」として機能したとき、途端にそれらは許しがたい外敵へと変貌します。
歴史を紐解けば、麻酔も満足になかった江戸時代、人々はこの痛みにどう耐えていたのかと戦慄します。当時の記録にある「歯痛に効くまじない」や「祈祷」が、いかに切実で、そしていかに無力だったか。現代の私たちは、高性能なドリルと局所麻酔という「文明の利器」を手にしていますが、それでも治療を待つ間の絶望感だけは、数百年前の先祖と同期しているような気がしてなりません。
もしこの世に「極楽浄土」があるとすれば、それは蓮の花が咲き誇る池のほとりではなく、「歯科医院の待合室で自分の名前を呼ばれた瞬間」、あるいは「麻酔が効き始めて、あの忌々しい拍動が嘘のように消えた瞬間」にこそ現れるのではないでしょうか。
痛みが消えた瞬間の、あの天にも昇るような開放感。それこそが、私たちが現世で味わえる唯一、かつ最大の「救い」です。皮肉なことに、私たちは健康なときにはその平穏を「当たり前」として無視し、激痛に苛まれて初めて、何事もない日常がいかに完成された浄土であったかに気づかされます。
「極楽浄土なんてない」というあなたの言葉は、虚無主義ではなく、あまりにも切実なリアリズムの叫びです。
今はただ、その「現世の地獄」を鎮めるための魔法(ロキソニンか、さもなくば腕の良い歯科医)が、一刻も早くあなたに届くことを願ってやみません。
治療が終わったら、その時はまた、美味しいものを美味しく食べられる「本来の浄土」を存分に謳歌してください。
その痛み、冷やしすぎると逆に血行が悪くなって痛むこともあるので、どうかお大事に。
一番クラシックな論点だと思われる。厚労省とかも問題視してるのはこの論点だろう。
この論点は、保険医療に医者が足りないので、医学部を増員したのに、その増員分がマンマ美容に流れてしまったという主張がなされてる。
実際、その通りなんだけど。
この論点においては、保険医療は逆に、新専門医制度を槍玉に挙げられて、「専門医制度を改悪したからこうなった」という反論もよくみる。
実際、専門医制度の改革は、過半数の医者が大反対したのに、押し切られた。
なぜ、そんな改悪があったのかというと、利権を持ってる医者、特に医局の長老が、医局の力を取り戻すために、専門医制度で若手を絞りたいからだった。
あまり知られていないが、専門医制度に乗ったら、かなり低い給料で、しかも責任も重く、奴隷労働が待ってる。普通の超ブラックなんか霞むレベルのブラック。
1日20時間365日休みなしなどでも「ホワイト」と言われるくらいの、超苛烈な勤務を、上司にさからわないでやり過ごす数年間が待っている。
さらに、都会で専門医制度に乗っても、一定の期間は、田舎に飛ばされる。拒否権は無い。
しかし、専門医制度がキツくなり、特に東京などの都会での就職が絞られたりした結果、
「都会で高給を得られる美容に行った方がはるかにいい」となってしまった。
男性でも、初期研修医の時点で絞られた人は、美容に流れてしまってもおかしくないと思う。
はっきり言って、手術は、センスと経験が物を言う。特に、手技系は大事だ。
もちろん、専門医課程で、高度な火傷だとか、指が多くで生まれてくる場合の指の切除とか、口唇口蓋裂という鼻と口が繋がって生まれてきた場合の手術とか。
そういう、コスメティックじゃない手術は、経験してないのが直美だと思う。
しかし、二重形成とか、鼻形成とか、そればっかりやってる医者の方が、あまり経験ない医者より上手いのは自明だと思われる。
特に、美容のセンスがある女性の場合は、手術だけでなくどういうデザインにすべきかのセンスが違うと思われる。
また、若い時のみずみずしいセンスの方が、患者の要求を理解できて、手技にも繋げられるんじゃないかと思う。
一方で、医学としての手技という観点から見ると、術前のリスク把握や、術中の麻酔の管理、術後のケア、生涯にわたる合併症のフォローなどは、保険医療の医者だと気になる。
一般的な外科医は、そのようなリスクに関する教育が非常に強い。
しかし、そのような教育も、あくまで、成功例のクオリティとのトレードオフだろう。
若い医者が美容のセンスがあるという論点から差し引いたら、プラマイゼロか、下手したらマイナスの可能性もある。
正直、一番多いんじゃなかろうか。
こういう、くだらない感情論で直美を叩いてる医者は恥ずかしい。
医者が金稼ぐほど、政治的な発言力も増えるんだから、保険診療で絞られて発言ができなくなったら終わりなのがわからないのか。
「保険診療が絞られるんなら、美容に行ってやるぞ」というのは、交渉でいうBATNA (代替手段)だ。
保険医療しかできないとみられたら、厚労省も国民も、医者をイジメまくる。
保険医療が頑張ってるのに〜国民も厚労省も財務省もいじめる〜ってアホか。だったら、美容医療応援した方が、保険医療のためじゃないの?
「医師会は開業医グループだから、勤務医の意見が反映されない」とかと同じようなアホさ。
開業医という対抗策があるから、国も医療費削減に無茶できないわけで。勤務医のイグジットがなくなって、勤務医だけになったら、そりゃ終わるよ。
そういうのもわからないレベルの医者が多いのが本当に恥ずかしい。
でも、脱毛とかは最近の若い人には当たり前だし、美容脱毛とかで行く医者はいてもいいんじゃない。
あと、海外ではコスメティックで稼いでる国がある。トルコの植毛とか、韓国の整形とか。
日本が海外からお金取れるような美容医療を作るのは、産業政策的にはいいんじゃないか。
あと、若くて美しい男女が、スタートアップみたいに盛り上げていくのも、いいんじゃないの。
ゲストハウスのオーナーが女性客に薬盛って本人たちも知らないうちに昏睡レイプした事件の話を聞いて思ったけど、
既婚者か彼氏持ちで、夫か彼氏の子だと疑いもせず思い込んだら、
それでDNA鑑定されたら「俺の子じゃなかった!浮気したな!」って身に覚えないのに責められて慰謝料取られて…地獄じゃん
DNA鑑定で親子関係が否定される=女が浮気して托卵した、ってみんな信じてるけど、そうとは限らないよね?
それ以外にも、麻酔医が女性を昏睡レイプして女性が妊娠したことで発覚した事件あったし
あと、フランスでは妻が夫に昏睡させられて夫が手配したたくさんの男にレイプされてた事件あったじゃん
クロ現で、日本でも妻を眠らせてネットで知り合った他人に抱かせる夫がいるって取り上げられてたじゃん
それで妊娠して出産したら、そしてもし夫が離婚したくなったら、
DNA鑑定して妻を浮気女に仕立て上げて慰謝料取って離婚することもできるじゃん
これ、妻からしたら詰んでるよね?
税や社会保険料に加えて、私たちは、物価上昇でお金の価値が下がり増税のような効果が表れる「インフレ税」を負担している――。そんな議論が注目される。国家財政の収支改善は、こうした負担増が関係するのか。どんな弊害があるのか。(大内悟史)
■今回の論考 中園善行「消費減税の裏にある『インフレ増税』の罠(わな)」(世界3月号)/推薦した論壇委員 吉弘憲介・桃山学院大教授=経済・財政
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「金利のない」経済から「金利のある」経済へ――。失われた数十年を経て日本経済は大きな転換期を迎えている。
インフレ下での低金利政策で、国の債務は目減りし、利払いの負担は抑えられる。ただ、通貨の価値が下がり、円安による物価上昇で労働者や年金生活者の暮らしは悪化する。政府は物価上昇で税収が増え、増税せずに増税効果が得られる。こうした国と家計の関係を「インフレ税」と呼ぶ議論がある。現に近年、日本の税収は増えている。
マクロ経済学が専門の中園善行・横浜市立大教授は「政治的に不人気な増税や歳出削減を避け、専門家以外に目に見えにくい形で広く薄く国民に負担を課す。政治家にとって都合がいい経済政策が家計を圧迫し、経済状況の本格的な改善は遠のくばかり」と懸念する。
中園さんいわく、1970年代の2度の石油危機(オイルショック)に伴う「狂乱物価」以降、「インフレ局面が何度かあったが、そのつど円高や原油高による物価上昇を企業が吸収し、コスト削減を含む生産性向上や利幅縮小により価格転嫁を抑えてきた」。だが今回は、原油高・資源高と並行して異例の円安が進行している。「輸出企業の業績は好調でも賃金の上昇が物価上昇に追いつかず、この数十年つらい状況が続いた家計はさらに厳しい。いわば往復びんたを何度もくらっている状態だ」という。
確かに、株価や不動産価格が上がっても暮らしが豊かになった実感がない人は多い。中園さんは「高所得で資産を保有する『持つ者』と、給与や年金に頼る『持たざる者』の分断が広がっている」と指摘し、「こうした『経済のK字構造』の拡大は超低金利政策が一因だ」と批判する。
インフレを抑えようと利上げを目指す日本銀行は「政治の論理」の制約を受ける。低金利のまま巨額の公的債務の利払い費を抑えたい。国債の金利を上回るインフレにより、巨額の公的債務を実質目減りさせたい――。こうした政治の意図が作用し、「目に見えにくい負担が円で稼ぎ、円で消費・貯蓄する私たちに課されている」。
戦後の米英仏は80年代にかけて、インフレにより世界大戦で抱えた債務削減を進めた。だが、こうした「金融抑圧」的な手法に頼れば「資本家は恩恵を得ても、労働者の所得は削られる」。
フォード米大統領は74年、インフレを「公共の最大の敵」と呼んだ。人々の生活水準が下がり、将来を悲観して支出を控えるようになるからだ。「こうした状況から抜け出すには、将来的に日銀の追加利上げが欠かせない」と中園さんは見る。
「超低金利の麻酔が切れた後にさらに麻酔を追加するのか。増税や金利正常化により財政を再建し、通貨の価値を取り戻すのか」。減税や「インフレ税」に頼らない経済政策が求められる。
◆オピニオン面で毎月掲載する「論壇時評」のため、論壇委員会が開かれています。委員が推薦する論考を1本選んで、詳しく紹介します。
*
ほぼ毎日夢を見る
夢を見ている最中に起きるので、直前まで見ていた夢をほぼハッキリ覚えている
ほぼ悪い夢で良い展開がない
学生時代なんてとっくの昔に終わったのに、小中高の(あまり好きじゃなかった・嫌いだった)クラスメイトや部活の知人が出てきて、私が嫌な思いをする
学校に遅刻する!体操着忘れた!練習が十分じゃないのに本番になってしまった!テスト範囲の勉強が一切わからない!みたいな焦り・どうしようという不安が基本
この前の朝は「クラスのいじめっ子の彼女にそうとは知らずに軽口を叩いてしまい、いじめっ子に土下座して泣きながら謝る夢」を見た
今日の昼寝は「舞台上で楽器の演奏をする際に自分だけ練習不足でオロオロして、皆は完璧に楽しそうにできている夢」を見た
まあこういう夢を見るだけならましなんだけど、体が現実に直結することがある
例えば夢の中で嫌なことをされて「やめて!やめてってば!」と必死で振り払う瞬間に目が覚めると、起きていることに気づかずそのまま「やめて!」と夢の続きを現実で叫んでしまう
夢の中で病気になって苦しくて咳き込んだり嘔吐したりしているときに目が覚めると、その続きで咳き込んだりオエエと喉が締まって吐きそうになって最悪の寝起きになる
トイレの夢もよく見るけど、排泄だけは何故か起きない
ちなみにトイレの夢は漏れそうなのに便器が血や排泄物でめっちゃ汚い、用の足し方が不明な形の便器、
トイレの施設そのものが汚い、みたいな感じで、素直に排泄できたことがないので、脳がストッパーとして機能しているのかもしれない
胃カメラで麻酔使った時に医者に「心地良い夢を見る方が多いです」と言われたのに、隣の部屋に騒音がうるさい住人が引っ越してくる夢を見た
これは学生時代の夢ではなく結婚して旦那と一緒に住んでいる現在の設定の夢だったので珍しく、新鮮ではあった
学生時代の夢を見る原因はわかってる
当時しんどくて不登校になったこともあり、記憶力はいいので当時のことをよく覚えていて、未だにフラッシュバックして叫んでしまうほどだ(フルリモートなので仕事中に叫べてしまう)
そんなしょっちゅう思い出してしまうんだから夢にも色濃く出てくる
そしてなぜだか忘れていた端役のクラスメイトも夢に出てくる→余計に思い出す→もっと夢に出るのループだ
現実が不幸というわけではない。仕事も大きな悩みはなく、理解のある優しい旦那がいる
旦那には「精神科とか行けば?」と言われるが、「悪夢を見るんです」って言ったら「悪夢を見ない薬」を出されるのか?夢ごときで病院なんか行っていいのか?と思ってしまう
ふふ、増田くん。立派な長文ご苦労さま。熱、こじらせてるのはオタクだけじゃなくて君もよ?「大人はこうあるべき」って説教で酔えるなら、それも十分な麻酔。まあ、可愛いものだけど。
熱狂は悪じゃないわ。取り扱い注意の燃料よ。問題は、現実での前進と交換してまで燃やしてないかどうか。そこで足が止まるなら、ただの逃避。歩を進める助燃剤にできるなら、大人の遊び方。
処方箋、置いておくわね。できるなら撫でてあげる。できないなら、せめて黙ってやり直し。
ねえ、増田くん。「守る誰か」がまだはっきりしないなら、まずは未来の君を守りなさい。睡眠を削らず、財布を空にせず、仕事の締切を落とさず、そのうえで語る。これが大人のたしなみよ。
どうしても胸がざわつくなら、もう一度だけ観て、ノートに三行。ネットで殴り合うのはやめて、私の前でだけ吐き出しなさい。画面の向こうで暴れる子は、嫌いよ。現実でちゃんと勝ってから、また語りにいらっしゃい。いい子。
『超かぐや姫』が配信されて何日も経つが、インターネットの熱狂は終わっていない。
今ネットでは、本作を絶賛するオタクと合わなかったオタクが「感性の劣化だ」「コンテクストが読めないだけだ」「中身がない」と、日々見苦しい言い争いを繰り広げている。
自分は公開数日後に話題になっているのを知り、「エンタメ作品としてよく出来てるな」と思ったくらいだった。
それから数週間。
インターネットが異常な熱狂に包まれ、オタクたちが長文で苦言を呈し、果ては人格攻撃のような言い争いにまで発展しているのを見ていると、こんな状態に陥っている同世代たちに、
強い違和感を禁じ得ないのだ。
なぜか?
「超かぐや姫に熱狂し、何週間もインターネットで言及し続け、インプレッションとエンゲージメントを生成するだけの自動装置と化している、20後半〜30代のお前」に対してだ。
若者がどうこうなんて話をするつもりはない。
今、この作品に熱狂して我を忘れている「いい大人」の君の話がしたい。
なあ、今幸せですか。
君の同年代には、仕事で結果を出して役職を得たり、重要なポジションを任されている人がいるだろう。仕事で大成功はしていなくても、結婚して、子供を育てている人がいるだろう。
みんな、これまでの大人がそうしてきたように「大事な誰かを守る役割」を引き継いで、必死に現実を頑張ってるよな。
誰かを守るために現実で戦っている人間は、たかが娯楽一つにそう長く足を止めたりしないんだよ。
たまの余暇に楽しむことはあっても、それはただのリフレッシュで、すぐに自分の現実に戻っていくんだ。
お前はどうだ。
刺激的なエンターテイメントの強い光に目を灼かれて、同じコンテンツのことを延々と話し続け、インターネットで二次創作を漁り、キャラ妄想でお人形遊び。
その耽溺を妨げる冷笑やネガティブな意見はシャットアウトするか、長文で論破して視界から追い出す。
「ただ楽しんでるだけ」って言うかもしれないけど、本当に満たされている人間は、フィクションの評価一つでそこまでムキになって他人に噛み付いたりしないんだよ。
10代の若者が、一つの作品に寝食を忘れて没頭し、熱狂するのはいいんだよ。
その圧倒的な熱量は、感受性を豊かにし、大人になってからの自分を支える「価値観の軸」や「血肉」に育っていくという明確な意味があるからだ。
でもな、お前らはそうじゃないだろ。
もう感受性の成長期なんて、とっくに終わってるんだよ。
いい歳して、未だに10代と同じように無邪気なふりをしてコンテンツを貪って、何か新しい自分が形成されるとでも思ってるのか?
それはもう「自己形成」なんかじゃなくて、単なる「現実からの逃避」と「残された人生の浪費」でしかない。
あの頃は良かったなって、日々楽しくニコニコやってたなって、そう思う気持ちは痛いほどわかる。でも、いつまでも子供部屋に引きこもってないで、前を向いて生きなきゃダメなんだよ。
何一つ自分の身にならない娯楽への逃避が必要な時もある。現実は辛いから、そうやって休息を取ることで活力を回復できることもある。
でもさ、そこで足を止め続けてたら、どんどん周りから置いていかれちゃうぞ。
本当はわかってるんだろ。こんなことをしていても自分の人生は何一つ良くならないし、幸せにはなれないって。
でも現実が苦しいから、それを忘れさせてくれる強い劇薬のようなコンテンツに耽溺することでしか、もう日々をやり過ごせないんだよな。
お前の心が「もう早く殺してくれ」って悲鳴を上げているのが、俺には聞こえるよ。
お前は悪くない。お前の人生がそうなってしまったのは、世の中の構造のせいもあるし、運の巡り合わせも多分にある。自己責任だとか努力不足だなんて言わない。
そうやって誰も守らず、自分のちっぽけな幸福感だけを防衛しながら、日々を食い潰して緩やかに死んでいくのも、お前の自由だ。
でもさ、こんなに一つのフィクションが大人たちを狂わせているのを見ると、俺はたまらなく悲しくなるんだよ。
現実の痛みを和らげるために、虚構に熱狂して麻酔を打つことしかできない奴らが、この国にはあまりにも多すぎる。
どうかしてるよ、この世の中。