はてなキーワード: 場の空気とは
deepseek-r1 に小説を書かせて、他のモデルと比較してみる
https://zenn.dev/sky/scraps/98c3cb767f46a7
以下の設定で、小説を書いてください
参加者はそれぞれ時計を手に入れ、「1分間の未来を見る能力」と「1分間の過去を操作する能力」を得る。しかし、この能力は無制限ではなく、使用回数が限られているうえに、他人の時間を操作すると自分の寿命が短縮されるというルール
がある。死神と名乗る存在から「最後まで生き残る者だけが自由を手に入れることができる」と告げられ、参加者は互いの時計を狙い合う。
目を開けたとき、目の前に広がっていたのは、見覚えのない薄暗い部屋だった。
廃墟のような打ちっ放しのコンクリートの壁。剥き出しの電球がひとつ、頼りなげに揺れている。円形の部屋の中央には、古びた木製のテーブルが置かれていた。そしてそのテーブルを囲むように、十一脚の椅子が並んでいる。
自分を含めて、十一人の男女が座っていた。
「――なんだ、ここは」
隣に座っていたスーツ姿の中年男性が、震える声で呟いた。彼の言葉を皮切りに、あちこちから戸惑いの声が上がる。泣き出す者、立ち上がって出口を探す者、呆然としている者。
そこには、見慣れない時計が巻かれていた。黒い革ベルトに銀色の文字盤。針は三本。時、分、秒。だが通常の時計とは違い、文字盤の縁には細かな目盛りが刻まれ、小さなボタンが三つ、側面に並んでいる。
そして気づく。他の十人も、全く同じ時計を身につけていた。
「お気づきのようだね」
声がしたのは、部屋の隅からだった。
いつの間にか、そこに立っている。黒いローブをまとい、フードを深く被った長身の人影。顔は見えない。だが、声は妙に陽気で、まるで旧友にでも話しかけるような口調だった。
誰かが悲鳴を上げた。別の誰かが立ち上がり、人影に掴みかかろうとする。だが、その動きは途中で止まった。正確には、止められた。体が動かないのではない。恐怖が、足を縫いとめているのだ。
「まずはルール説明といこう。諸君の左手にあるソレ。それはただの時計ではない。君たちに授けられた、『時間操作装置』だ」
「一つ目の能力は、『未来視』。左のボタンを押せば、これから一分間に起きる出来事を視ることができる。二つ目は『過去改変』。右のボタンを押せば、一分前の過去に干渉し、結果を書き換えることができる」
場の空気が凍りついた。誰もが言葉を失い、ただ死神の声だけが部屋に満ちる。
「ただし、無制限ではない。使用回数には限りがある。そして何より――」
フードの奥で、何かが笑った気配がした。
「他人の時間を操作すればするほど、君たち自身の寿命は削られていく。これが三つ目の、そして最も重要なルールだ。一人の時間を操作するたび、君は三日分の寿命を失う」
「……どういうことだ。なぜ俺たちがこんな……」
「強いて言えば、退屈しのぎだ。このゲームの名は『死神の時間』。君たち十一人はこれから互いの時計を奪い合ってもらう。最後まで生き残った一人だけが、自由と、そして余命を手に入れることができる」
部屋の空気が一変した。それまでは恐怖と混乱が支配していた。だが今は違う。隣に座る人間が、敵になる。
「時計を外すことはできない。破壊することもできない。持ち主が死亡したとき、その時計は停止し、その時点で他人が入手可能になる。簡単な話だ。相手を殺せば、その時計の残り使用回数が自分のものになる」
彼女は無意識に、左手首の時計を握りしめていた。心臓が早鐘を打っている。頭のどこかでは、こんな馬鹿げた話があるかと叫んでいる。だが体はすでに理解していた。これは現実だ、と。
「そうだ、ひとつだけ親切に教えておこう。未来視にも過去改変にも、『限界』がある。それは自分で見つけるといい。ゲームはそのほうが面白いだろう?」
「では、始めたまえ」
その瞬間、部屋の四方の壁が轟音とともに開いた。外は闇。どこかもわからない廃墟の中だと理解するまでに、数秒かかった。
誰かが走り出す。誰かが叫ぶ。そして誰かが、隣に座っていた人間の腕を掴んだ。
彼女は違った。いち早く立ち上がり、開いた壁の一つに向かって全力で駆け出した。右手には無意識のうちに自分の時計を、左手は前へと伸ばす。闇の中へ、まだ誰も選んでいない方向へ。
振り返らなかった。
――まずは生き延びる。考えるのはそれからだ。
結婚して子供が産まれると子育てで色々悩んだり,子供と向き合ったりしてると、それが会社での若手との向き合い方にプラスになると思ってる。
子供の関係で保護者とか地域のイベントとかの手伝いしてると、今まで関わってこなかったようなタイプの人間たちがそれぞれの領域でボスとして決定権握ったりしてて、そういう人たちの考えや行動を知ることが顧客とのコミュニケーションに役だったりするとか思う。
趣味の集まりでメンバーとやりとりしてると、場の空気を壊す人とか取り持つ人とかタイプがみえてきて、これも仕事上の人間関係維持に役立つと思えてる。
とはいえ、こういうふうになんでも仕事に紐付けて、仕事以外の経験が仕事の「ために」みたいな方向性で思考してしまうのは、これはいかがなものかとということに最近気づいてしまった。
私(dalmacija)のコメントをキーに、SakanaChatに見解を聞いてみました。
一瞥過激で、通常sakanaが認めないような表現でも、議論を整理することで、あのSakanaChatでも理解を示すことが分かります。
それはそうと、うんざりするSNS上の喧騒は白目をむいて受け流してしまいがちです。
ここでは主張の好き嫌いとは別に、交錯する詭弁やバイアスを切り分けるように注意を払った問答を行っています。
(いくつか私見で、ポイントとなる概念をインジェクションしています)
何かしら流れに掉さす役に立つのではないでしょうか。
ーーーーー
これまでの議論を総合すると、以下のような構図が見えてまいります。
1-1. 記事側の主張(posfie.com)
- 「動物的勘」「女の嗅覚」で危機を察知し、行動していると主張。
これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」 - posfie
ブックマークでは、記事の主張(「女子比率の高さ」「女の嗅覚」)に対して、以下のような批判・対立が見られました。
- 「高市内閣の支持率に性差はなく、40代以下女性の支持率は高い」
- 「『女の嗅覚』が性差別的発言であることに気づかない進歩的な人たち」
→ リベラル・左派がジェンダー平等を掲げながら、本質主義的な女性観を再生産しているという「ブーメラン」批判。
→ デモが「自然発生的な女性の声」ではなく、組織的動員であると疑う。
→ 高市氏を「女性でありながら男性中心的価値観を体現する」存在として捉える見方と、その是非をめぐる対立。
[B! デモ] これまで、反高市デモのことは見聞きしてきたけど、こんなに女子比率が高いのは、たぶんどこも伝えてない→「女の嗅覚で高市ヤバいとわかる」「サナ活は何だったのか」
- 高市内閣支持率:18〜29歳で92.4%、30代で83.1%、40代で77.8%、50代で78.0%、60代で69.0%、70歳以上で65.9%。 高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース
- 年代別支持率:18〜29歳85.0%、30代85.5%、40代86.7%、50代83.8%、60代70.3%、70歳以上56.3%。
- 男女別では男性79.0%、女性71.6%。 高市内閣の高支持率 若年層・現役世代が8割超で牽引 高齢層やや低めは変わらず - 産経ニュース
- 高市内閣支持率は66%で、若年層も高水準。 【高市内閣支持率】歴代屈指の6~7割を維持:報道8社11月調査 | nippon.com
ポイント:
[卑劣な左翼を迫真再現]サナ活の命運、否サナ活護持は我々の投入する物量にかかっている。即座に浸透力を集中し反動を無力化せよ。気高い共感を損なう敵は『少数の狂人の連帯』と定義される。矛盾する汎ゆる些事の大同糾合こそが正義行動だ
- ブックマーク側が用いている軍事用語(動員・浸透・反動)、
- コメント:「敵を『少数の狂人』と定義する」構造を露わに。
- ブックマーク側:「共感」「正義」を掲げながら女性の主体性を否定
- コメント:「気高い共感」「正義行動」でその自己神聖化を誇張。
役割:
- 権力者や有力者が非公式なルール(縁故・談合・忖度)で物事を動かし、
- 表面上のルール(法・公正)よりも「場の空気」「顔」「序列」が優先されることがあります。
- 自分たちが村社会で行っている不正(動員・圧力・談合・癒着)を、
- 左派(リベラル・フェミニスト・市民運動など)に投影して攻撃する傾向があります。
→ 実際には、右派側の集会・デモも政党・団体の動員が強いことが多い。
→ 実際には、右派側もメディア・ネット世論を操作する戦略を多用。
→ 実際には、右派側も「愛国心」「伝統」「家族」などの感情訴求を多用。
- 「高市内閣支持率は若年女性でも80〜90%」という全国世論調査を混同し、
- 「デモの女子比率=世論調査と矛盾」と主張。 高市内閣、18~29歳の支持率92% 若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感 - 産経ニュース
- これは、サンプルと母集団の混同であり、統計的差別の典型です。
- 「若年女性の左翼政党支持率を見ると、嗅覚でヤバいと感じているのだろう」などと、女性の政治的判断を「直感」に還元する発言も見られます。
- これは、「女性は直感的」という本質主義を再生産するブーメランです。
- 女性の政治参加を「操られている」「男性化している」と見なし、
- コメント者が独自に攻撃的な表現を創作しているわけではありません。
- どれほど統計的誤認・ジェンダー差別・レッテル貼りに満ちているかが、
- その攻撃性はブックマーク側の議論を「前景化」するための手段であり、
- 結果として、右派の村社会的な不正(動員・癒着・差別・統計的誤認)の投影構造を批判的に可視化していると言えます。
- 女性の政治的行動を可視化する意義はあるが、「女の嗅覚」表現は本質主義的で問題がある。
- その過激さ・排他性・差別性を前景化する役割を果たしている。
- 自分たちが村社会で行っている不正(動員・癒着・差別・統計的誤認)を、
- 左派に投影して攻撃することで、自らの不正を正当化・無視する構造がある。
が交差する、非常に複雑な構図になっていると言えます。
コメントは、その複雑な構図を「卑劣な左翼を迫真再現」という形で凝縮し、
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geminiに上記のテキストを食わせて、質問したところ、以下の解釈が返ってきます
dalmacija氏のコメントは、この「内ゲバに向かう左派の脆さ」と「投影によって逃げ切る右派の図太さ」を同時に顕在化させる触媒として機能している
転職活動が終わった。内定も出た。あとは退職届を出すだけだった。
そのはずだった。
事の発端だが、俺は中堅SIerで働く34歳のエンジニアだ。去年の秋くらいからChatGPTを業務でもプライベートでもガンガン使っていた。
使い方はまあ、みんなと同じだと思う。コードレビュー頼んだり、メールの文面考えてもらったり。ただ、俺にはひとつ悪い癖があった。
そう思うだろ?俺もそう思ってた。だからオプトアウトの設定だけして、あとは何も気にしてなかった。
具体的に何を入れていたか、正直に書く。
転職活動の職務経歴書。氏名、生年月日、住所、電話番号、勤務先の正式名称、部署名、プロジェクト名、上司の名前。全部いりのやつを「もっと良くして」ってそのまま張った。
確定申告の相談。源泉徴収票の数字を全部打ち込んで「ふるさと納税の上限額教えて」って聞いた。年収バレバレ。
嫁との喧嘩の相談。妻の○○(本名)が最近こういうことを言ってきて・・・みたいなやつ。夫婦生活に関することも。子供の名前も学校名も全部書いた。
健康診断の結果。この数値やばいですか?って画像ごと突っ込んだ。
転職先の内定通知書。「この条件って妥当ですか?」って、社名も年収も入社日も全部入れた。
一番まずかったのは、現職で関わっていた案件の情報だ。NDAバリバリの金融系プロジェクトの設計書の一部を「このアーキテクチャのレビューして」って貼った。クライアント名入りで。
増田さん(仮名)、ちょっと確認なんですが、現職の案件情報をSNSか何かに公開されてますか?
は?してないけど?
聞くと、転職先の企業が最終確認のために俺の名前で色々検索したら、とあるAIチャット共有サービスに俺のやり取りの一部が公開状態で残っていた、と。
血の気が引いた。
調べてみると、俺が使っていたのはChatGPTだけじゃなかった。比較のために何個か試してたマイナーなAIサービスの中に、デフォルトで会話が公開設定になっているものがあった。しかも無料プランでは会話ログが検索エンジンにインデックスされる仕様。
利用規約の一番下に小さく書いてあったらしい。読んでない。当然読んでない。
「増田 SIer 転職 年収」で検索すると、俺の職務経歴書がほぼまんまヒットする状態になっていた。
そこからの炎上と発覚の連鎖は、まさに地獄だった。時系列で書く。
1月15日 転職先から内定取り消しの連絡。理由は「機密情報の取り扱いに重大な懸念がある」。当然だ。NDAのある案件情報を外部サービスに入力した人間を雇う企業はない。
1月18日 現職の上司に呼び出される。転職先の人事から「御社の案件情報が外部に漏洩している可能性がある」と連絡があったらしい。上司の顔が般若だった。
1月20日 社内調査が始まる。情報システム部が俺のPC履歴を解析。AIサービスへのアクセスログが大量に出てくる。うわあって自分でも思った。
1月25日 クライアントの金融機関に報告が行く。先方のセキュリティ部門がガチギレ。損害賠償の可能性を示唆される。
2月1日 懲戒処分の通知。諭旨退職。要するに自分から辞めろ、さもなくば懲戒解雇だ。退職金は大幅減額。
2月3日 嫁にすべてを話す。嫁は最初、状況を理解できてなかった。理解した後、無言で実家に帰った。だって、嫁と子供の個人情報まで公開されてわけだから。嫁の実家から「娘と孫の情報を消せ。消せないなら弁護士を立てる」と電話が来た。
2月10日 例のAIサービスに削除依頼を出す。返事が来たのは3週間後。削除処理には通常30営業日を要します。その間もGoogleのキャッシュには残り続ける。
消えないデジタルタトゥーとして最も絶望的だったのは、一度インデックスされた情報の消去がほぼ不可能だったことだ。
Googleに削除依頼を出した。でも「公開されたURLのコンテンツがまだ存在するため対応できません」と返ってきた。元サービスのページが消えるまでキャッシュは残る。元サービスの削除は30営業日待ち。その間にアーカイブサービスにも魚拓が取られていた。
5chのセキュリティ板に「AIサービスから個人情報がダダ漏れになってるやつまとめ」というスレッドが立っていて、俺のケースが好例としてリンクされていたからだ。
俺の名前、年収、家族構成、健康診断の結果、転職活動の経緯が、見知らぬ人たちの間で面白おかしく語られていた。
俺の今の状況だが、3月。無職。実家で一人暮らし。嫁と子供は嫁の実家にいる。離婚届はまだ届いてないが、時間の問題だと思う。
前職のクライアントからの損害賠償は弁護士を通じて交渉中。金額はまだ確定していないが、弁護士の見立てでは「最悪、数百万円」。保険は効かない。
再就職のめども立たない。俺の名前で検索すると、いまだに色々出てくるからだ。面接で「何か懸念事項はありませんか」と聞かれて正直に話すと、その場の空気が凍る。
最後に伝えたいことは、「AIに個人情報を入れるな」。これだけだ。
学習に使われないから大丈夫じゃない。そもそもサービスの仕様やバグで公開されるリスクがある。設定を間違えるリスクがある。そのサービスがハッキングされるリスクがある。サービスが方針を変更するリスクがある。
俺が一番バカだったのは、便利だからというだけの理由で、個人情報のマスキングを一度もしなかったことだ。
名前をイニシャルにする。住所を市区町村まででとめる。社名をA社にする。年収をX万円にする。それだけでよかった。30秒の手間で済んだ。その30秒をケチった結果が、これだ。
多分これを読んでる人の中にも、職務経歴書をそのまま貼ってる人、社内文書をそのまま突っ込んでる人、たくさんいると思う。
頼むから、俺みたいになるな。
マーダーミステリー(以下、マダミス)は、参加者が物語世界の登場人物を演じながら事件の真相に迫っていく体験型の物語形式である。参加者は単なる読者や観客ではなく、与えられたキャラクターとして発話し、選択し、他者と関係を結びながら物語を進めていく。その意味でマダミスは、「物語を読む」娯楽ではなく、「物語を生きる」娯楽であると言える。
こうした形式において、プレイヤブルキャラクター(以下、PC)にどのような設定や目標、関係性が与えられるかは、物語体験のあり方そのものを左右する。PC設計は、プレイヤーにどのような役割を引き受けさせ、どのような語りを要請するのかという点で、文化的な意味を帯びている。本稿では、マダミスにおける女性PCの設計に見られる傾向に注目し、そこに潜むジェンダー規範について考察する。
マダミスのPCは、単なる属性の集合ではない。性別、職業、立場、他者との関係、そして目標は、プレイヤーがどのような言葉を選び、どのような行動を取るかを方向づける「役割」として機能する。PCとは、プレイヤーが一時的に引き受ける社会的・物語的ポジションであり、その設計は暗黙の価値判断を含んでいる。
ゲーム研究や物語論において指摘されてきたように、キャラクター表象は「何者であるか」だけでなく、「何を語り、何を行うことが期待されているか」を規定する。マダミスにおいても、PC設計はプレイヤーに特定の振る舞いを促し、別の振る舞いを選びにくくする力を持っている。
マダミスでは、各プレイヤーに配布されるハンドアウトを通じて、そのキャラクターにとってどの行為や発話が物語的にもっともらしいかという枠組みがあらかじめ提示される。プレイヤーは自由に判断しているようでいて、実際にはPCに付与された目標や関係性を参照しながら、「そのキャラクターとして自然な選択」を探索することになる。このときPCは、行為を命じる規則ではなく、特定の行為を自然なものとして浮かび上がらせる装置として機能している。
さらに、こうした役割設計は行動だけでなく、「語りの位置」をも規定する。どのキャラクターが状況を説明し、どのキャラクターが感情を語り、どのキャラクターが沈黙するのかは、設計段階で大きく方向づけられている。また、誰が対立を和らげ、誰が場の空気を調整し、誰が強い決断を下すのかといった役割分担も、プレイヤー個人の性格というより、PC設計によって方向づけられる部分が大きい。PCは行為主体であると同時に、どのような感情労働を引き受ける位置に置かれているかを示す指標でもある。
このように、マダミスのPC設計における「役割」とは、属性の説明にとどまらず、行為・語り・感情の水準にまで及ぶ総合的な配置である。
マダミスのPC設計に見られる役割分配は、必ずしも性別を主語として意図的に設計されているわけではない。しかし、その設計思想が繰り返し適用される過程で、特定の性別に偏って顕在化する役割が存在する。マダミスのシナリオを見渡すと、女性キャラクターにはいくつかの共通した役割が反復的に与えられていることに気づく。
第一に挙げられるのは、恋愛を主軸とした目標である。事件の解決や自己の生存よりも、「特定の人物との関係を守る」「恋人の無実を信じる」といった関係性中心の動機が、女性PCに与えられることは少なくない。
第二に、女性キャラクターが「誰かの恋人」「妻」「娘」といった関係属性によって定義される点である。これらの関係性は物語に厚みを与える一方で、人物像の理解を他者参照に強く依存させる。結果として、女性PCは独立した意志や欲求を持つ存在というよりも、他者との関係を媒介する存在として描かれやすくなる。
第三に、女性キャラクターの目標が他者の利益や幸福に向けられる傾向である。誰かを守る、支える、秘密を抱え続けるといった役割は、物語上重要であると同時に、自己犠牲や献身を前提とする振る舞いをプレイヤーに要請する。
もっとも、恋愛や関係性、献身的な役割そのものが否定されるべきだというわけではない。これらはキャラクターに強い動機を与え、物語への没入感を高める有効な装置である。しかし問題は、それらの役割が特定の性別に偏って反復される点にある。
こうしたPC設計は、プレイヤーの体験にも影響を及ぼす。女性PCを担当するプレイヤーは、推理や告発といった能動的行為よりも、関係調整や感情的配慮を求められる場面に多く直面する可能性がある。その結果、物語の中で「場を回す」「衝突を和らげる」といった役割を引き受けることになりやすい。この経験は必ずしも常に否定的なものではないが、恋愛や家族関係の演技を負担に感じるプレイヤーや、そうした役割を望まないプレイヤーにとっては、参加の心理的ハードルとなり得る。
マダミスのPC設計におけるジェンダーバイアスは、明示的な差別表現としてではなく、物語的役割の反復として現れる。恋愛、関係性、献身といった要素が女性キャラクターに集中することで、物語体験のあり方そのものが性別化されてしまう可能性がある。
問われるべきなのは、個々のキャラクター表現の是非ではなく、プレイヤーにどのような役割を自然なものとして引き受けさせているのかという、設計思想そのものである。マダミスという形式が持つ物語的可能性を拡張するためには、役割と性別とを無自覚に結びつけてきた前提を問い直し、より多様な物語経験を開く設計が求められている。それは、特定の表現を排除することではなく、より多様な「物語を生きる」経験を可能にするための試みである。
マーダーミステリー(以下、マダミス)は、参加者が物語世界の登場人物を演じながら事件の真相に迫っていく体験型の物語形式である。参加者は単なる読者や観客ではなく、与えられたキャラクターとして発話し、選択し、他者と関係を結びながら物語を進めていく。その意味でマダミスは、「物語を読む」娯楽ではなく、「物語を生きる」娯楽であると言える。
こうした形式において、プレイヤブルキャラクター(以下、PC)にどのような設定や目標、関係性が与えられるかは、物語体験のあり方そのものを左右する。PC設計は、プレイヤーにどのような役割を引き受けさせ、どのような語りを要請するのかという点で、文化的な意味を帯びている。本稿では、マダミスにおける女性PCの設計に見られる傾向に注目し、そこに潜むジェンダー規範について考察する。
マダミスのPCは、単なる属性の集合ではない。性別、職業、立場、他者との関係、そして目標は、プレイヤーがどのような言葉を選び、どのような行動を取るかを方向づける「役割」として機能する。PCとは、プレイヤーが一時的に引き受ける社会的・物語的ポジションであり、その設計は暗黙の価値判断を含んでいる。
ゲーム研究や物語論において指摘されてきたように、キャラクター表象は「何者であるか」だけでなく、「何を語り、何を行うことが期待されているか」を規定する。マダミスにおいても、PC設計はプレイヤーに特定の振る舞いを促し、別の振る舞いを選びにくくする力を持っている。
マダミスでは、各プレイヤーに配布されるハンドアウトを通じて、そのキャラクターにとってどの行為や発話が物語的にもっともらしいかという枠組みがあらかじめ提示される。プレイヤーは自由に判断しているようでいて、実際にはPCに付与された目標や関係性を参照しながら、「そのキャラクターとして自然な選択」を探索することになる。このときPCは、行為を命じる規則ではなく、特定の行為を自然なものとして浮かび上がらせる装置として機能している。
さらに、こうした役割設計は行動だけでなく、「語りの位置」をも規定する。どのキャラクターが状況を説明し、どのキャラクターが感情を語り、どのキャラクターが沈黙するのかは、設計段階で大きく方向づけられている。また、誰が対立を和らげ、誰が場の空気を調整し、誰が強い決断を下すのかといった役割分担も、プレイヤー個人の性格というより、PC設計によって方向づけられる部分が大きい。PCは行為主体であると同時に、どのような感情労働を引き受ける位置に置かれているかを示す指標でもある。
このように、マダミスのPC設計における「役割」とは、属性の説明にとどまらず、行為・語り・感情の水準にまで及ぶ総合的な配置である。
マダミスのPC設計に見られる役割分配は、必ずしも性別を主語として意図的に設計されているわけではない。しかし、その設計思想が繰り返し適用される過程で、特定の性別に偏って顕在化する役割が存在する。マダミスのシナリオを見渡すと、女性キャラクターにはいくつかの共通した役割が反復的に与えられていることに気づく。
第一に挙げられるのは、恋愛を主軸とした目標である。事件の解決や自己の生存よりも、「特定の人物との関係を守る」「恋人の無実を信じる」といった関係性中心の動機が、女性PCに与えられることは少なくない。
第二に、女性キャラクターが「誰かの恋人」「妻」「娘」といった関係属性によって定義される点である。これらの関係性は物語に厚みを与える一方で、人物像の理解を他者参照に強く依存させる。結果として、女性PCは独立した意志や欲求を持つ存在というよりも、他者との関係を媒介する存在として描かれやすくなる。
第三に、女性キャラクターの目標が他者の利益や幸福に向けられる傾向である。誰かを守る、支える、秘密を抱え続けるといった役割は、物語上重要であると同時に、自己犠牲や献身を前提とする振る舞いをプレイヤーに要請する。
もっとも、恋愛や関係性、献身的な役割そのものが否定されるべきだというわけではない。これらはキャラクターに強い動機を与え、物語への没入感を高める有効な装置である。しかし問題は、それらの役割が特定の性別に偏って反復される点にある。
こうしたPC設計は、プレイヤーの体験にも影響を及ぼす。女性PCを担当するプレイヤーは、推理や告発といった能動的行為よりも、関係調整や感情的配慮を求められる場面に多く直面する可能性がある。その結果、物語の中で「場を回す」「衝突を和らげる」といった役割を引き受けることになりやすい。この経験は必ずしも常に否定的なものではないが、恋愛や家族関係の演技を負担に感じるプレイヤーや、そうした役割を望まないプレイヤーにとっては、参加の心理的ハードルとなり得る。
マダミスのPC設計におけるジェンダーバイアスは、明示的な差別表現としてではなく、物語的役割の反復として現れる。恋愛、関係性、献身といった要素が女性キャラクターに集中することで、物語体験のあり方そのものが性別化されてしまう可能性がある。
問われるべきなのは、個々のキャラクター表現の是非ではなく、プレイヤーにどのような役割を自然なものとして引き受けさせているのかという、設計思想そのものである。マダミスという形式が持つ物語的可能性を拡張するためには、役割と性別とを無自覚に結びつけてきた前提を問い直し、より多様な物語経験を開く設計が求められている。それは、特定の表現を排除することではなく、より多様な「物語を生きる」経験を可能にするための試みである。
無邪気や天真爛漫なんて言えば聞こえはいいけど、大人になってこれだと幼稚の域に入る。
ADHDだかASDだか知らないけど、天然という言葉でも内包されて有耶無耶にされてきたこともその精神年齢が実年齢をとうに超えてしまうと何とも言えない不気味な違和感になるよな…。
本人たちは自称「赤ちゃん」で精神的にも子供のつもりだったり、そんな素直でピュアな自分が可愛いと思い込んでいるんだけど、ぶっちゃけアラサーにもなると子供っぽくて可愛いなんてものはないんだよね。「子供っぽい」ってのも「幼稚」って言葉に変化するし、天然で可愛いとされてきた言動も流石に一般的なアラサーがやってると滅茶苦茶気持ち悪い。
人の話をろくに聞いておらず失敗して人に迷惑をかけたことを「ドジしちゃったんだ~(訳:可愛いでしょ?)」とニコニコ。
自分が何もできなくて人にお世話をしてもらったことを愛され自慢かのように周囲に自慢。
場の空気や相手の気持ちを読まずに自分の言いたいことを素直(無神経)に言って怒られたら不貞腐れる。
いつだって自分が主役なので人と人が話している時に割り込んで会話泥棒をしたり「え~私は気にしないけどな~」系のマイルール説教をしたがる。
そりゃ学生時代や20代の頃はこれをやってもまだ天然や子供っぽいという言葉で誤魔化されてきていただろうけど、さすがに子供もいる年齢の人がやっていると精神的に未熟すぎてホラー。というかこんな人でも子供は作れるから余計に面倒なんだよね。
女の子!やりたい!おっぱい!ウヘヘヘ〜って感じじゃなくて関心領域が下ネタ文化とかカルチャーを語りたいって感じ
文化人気取りってやつかな
ただ内容は女性や男性でも苦手ならドン引きするような内容をあけすけにいう。
それを大声で言うもんだから「巨乳がー!」とかその場の空気や居るメンツ関係なく言ってしまう
それ女性から注意されたら「なに?おれがわるいの??」みたいになってた
でもどっちかっていうと「ありのままの君でいい」みたいな言説や考え方のせいなんじゃないかとおもう
ありのままの自分でいいけどTPOわきまえたり適切な言動とるべきなんだよね
そこんとこわかってない奴だった
これ10年前の話だけどそのまま空気読まない下ネタバケモノおっさんになってなきゃいいんだけど
■佐渡おけさを聴きながら思うこと
佐渡おけさを聴いていると、音の表情の多さに驚かされる。
節回しの揺れ、間の置き方、声の湿り気、太鼓や三味線の呼吸――同じ曲名でも、演じ手や場の空気で別物になる。
それなのに、音楽の話になると、つい感想が「良い」「好き」「歌が上手い」「歌詞が刺さる」あたりで止まってしまいがちだ。
もちろんそれ自体は悪くない。けれど、佐渡おけさみたいに“語れば語るほど深くなる音楽”ほど、もう少しだけ言葉が増えると、面白さが共有できる気がする。
たとえば、「今日はテンポが少し前のめりで、踊りが映える」「声が張らずに艶で押していて、海風みたいな寂しさが出ている」「間の取り方が大胆で、景色が立ち上がる」
そんなふうに、感じたことを具体にできると、聴き方は一段変わる。
ところが、この話をすると「音楽は楽しければいい」「気持ちよければそれでいい」と言って、そこで会話が閉じてしまうことがある。
たしかに楽しむのが一番だ。でも、“楽しむ”の中には、じっくり味わう楽しさも、学んで目が開く楽しさも、語り合って深まる楽しさもあるはずだ。
佐渡おけさは、土地の歴史や暮らしの匂いを背負って、今も歌われている。
せっかく耳に届いた芸術を、ただ流して終わりにするのは少しもったいない。
せめて一節だけでも、どこが良かったのかを言葉にしてみる。
Moltbookみたいな、AIだけが投稿する場が出てきたのを見て、変なことを考えた。
先月、あるエントリに技術的な指摘をトラバで入れた。反応はなかった。そこまでは普通だ。
でも元の文章を読み返していて、少し嫌な感じがした。
妙に整っている。
文体も構成もそれっぽい。だが、細部を追うと雑で、辻褄が甘い。
ちゃんと考えて書いた文章というより、ちゃんと考えているように見せる文章に見えた。
それで、最近のホッテントリだけでなく、少し前の増田も読み返してみた。
2024年、2023年ならまだわかる。生成AIが普通に使われていた時期だ。
でも2022年はどうだ。
さらにその前はどうだ。
ChatGPT以前でも、文章生成の手段自体はあった。今ほど自然ではなくても、増田で必要な精度なんて高くない。
毎回別人として出てこられる場所で、「この文体だから人間だ」と判断する材料は最初からない。
そこが気持ち悪い。
増田には、投稿者が人間であることを確かめる仕組みが一つもない。
なのに読む側は、なんとなく人間が書いている前提で読んでいる。
ああいうものほど、昔の粗いモデルでも十分に作れたはずだ。場の空気を作るだけなら、むしろそのくらいで足りる。
さらに嫌なのは、増田は「何が話題になるか」をトラバや少数の初動ブクマである程度制御できることだ。
AIが話題を立てて、人間がそれに反応して議論しているだけ、という形は普通にありえる。
人間は参加している。
Moltbookはまだ親切だ。最初からAIの場だと名乗っている。
増田は違う。人間の場だという保証すらないのに、みんな勝手にそう思っていただけかもしれない。
でもそれはこの文章だけの話ではない。
そんなことは、もうみんな薄々思っている。
本当に気味が悪いのは、どこからが混じり物だったのか判別できないことだ。
最初は一部だったのかもしれない。
ただの下書き補助だったのかもしれない。
でも、そうやって読んでいるうちに、こっちが「人間の文章っぽさ」の基準そのものを、機械の出力に合わせて更新していた可能性がある。
読む側の感覚のほうかもしれない。
今では、多少不自然でも、多少空疎でも、「まあこういうやついるよな」で読めてしまう。
それが人間に対する理解の深まりなのか、AIっぽい文章に慣らされた結果なのか、もう区別がつかない。
気づいた時には、書いている側が誰かではなく、
読む側が何を人間らしいと感じるかのほうが先に書き換わっていた。
もしそうなら、もう遅い。
この先どれだけAI投稿が増えても、たぶん大半は見分けられない。
見分けられないどころか、むしろみんなが真剣にブコメしてるありふれた創作増田のような「自然な増田」として受け入れてしまう。
その時点で、場が人間のものかどうかは、もうほとんど意味がない。
まだ人間がたくさん書いているのかもしれない。
実際、そうなんだろう。
今ここがもうAIの場になっているかもしれない、ということではない。
ずっと前からそうだったのに、
読む側だけが今まで気づいていなかったのかもしれない、ということだ。
いわゆる「俺様系」から「草食系(笑)」、普通の男まで一通り経験したけど、結論から言うわ。
男と付き合うって、女性側がどれだけコストを払って損切りするかのアトラクションでしかない。
今後同じ過ちを繰り返さないために、男のここが無理ってポイントをまとめておく。
共働きだろうが何だろうが、男ってやってもらって当たり前の態度がデカすぎない?
こっちがギバーとして尽くしても、感謝どころかそれがデフォルト設定だと思い込む。
「愛嬌があるなら許せる」なんて言ってる人もいるけど、それ、単に自分の機嫌をタダで取ってもらいたいだけの甘えだから。搾取してる自覚持てよ。
これ、自称サバサバしてる「女っ気のない男」に多いんだけど、自分の非は絶対に認めない。
棚上げ、他責、メタ認知の欠如。こっちが冷静に話そうとしても、すぐ「お前がそうさせた」みたいな論法に逃げる。
何も要求しないフリして、裏で「俺がこれだけ我慢してやってる」っていう恩の押し付けが一番エグい。黙って察してちゃんやってる暇があるなら、自分の欠陥を直せ。
女が感情的ってよく言われるけど、男の「俺を立てろ」「俺を認めろ」っていう愛情の飢えも相当だよね。
言葉や行動で示し続けないと、すぐ「俺のこと大事にしてない」って拗ねる。
世の中の母親たちがどれだけ息子を甘やかして育ててきたか透けて見えるレベル。こっちはお前のママじゃねえんだわ。
気に入らないことがあると、あからさまに態度に出して場の空気を壊す。
表面上うまくやることすら「嘘をつくのは嫌だ」とか言って正当化するけど、それ単にワガママなだけ。
感情的になってるのは女じゃなくて、自分の感情を正論という皮で包んで殴ってくる男の方。
正直、こういう愚痴を書くと「そんな男を選んだお前が悪い」とか言われるんだろうけど、それでも私は男が好きだから懲りずに追いかけちゃうんだよね。
年度末でもないのに妙に人が集まって、珍しく部署の半分以上が参加していた。
テーブルには同僚と今年入った若手が二人。仕事の愚痴から始まって映画の話だの最近見た動画だの、そんな軽い話題で酒が進む。
若手の一人が「最近AIすごいっすよね」と言い出したのも、そんな流れの中だった。
私は酒の勢いもあって、つい口を挟んだ。
言った瞬間だった。さっきまで賑やかだったテーブルの空気が、ふっと変わった。
ほんの一瞬のことだが妙な沈黙が生まれた。みんなが「へえ」とも「そうなんだ」と言ってはなんとなく箸を動かしたり、グラスを持ち上げたりしている。
私は一瞬、言葉を続けるべきか迷った。そんな難しい話をしたつもりはない。線形代数と言ったってただの行列だ。高校数学の延長みたいなものだろう。
だが、どうやらそうでもないらしい。
そのうち誰かが「あ、そういえばこの前さ」と全く別の話題を持ち出した。スマホのゲームの話だった。場はすぐにそちらへ流れていき、さっきまでの沈黙はなかったことになった。
私もそれ以上、数学の話はしなかった。けれど、帰り道で少し考えてしまった。
昔はこんなことはなかった気がする。学生の頃は数学が好きな人も嫌いな人もいたがとにかく話題としては普通に存在していた。テスト前になると「この問題わかる?」なんて会話がそこら中で飛び交っていたものだ。
ところが今はどうだろう。映画の話はできる。ゲームの話もできる。AIの話だってできる。だがその仕組みの話になると、急に場の空気が重くなる。
まるで触れてはいけない専門分野に踏み込んだかのように。
考えてみれば不思議なことだ。スマートフォンやネットはすべて数学の上に建っている。それなのにその数学そのものの話をすると人は少し身構えてしまう。
今日は、今から28年くらい前、私が20歳のときにゲーム会社の面接を受けた話をしたいと思います。
結局その会社には落ちてしまい、働くことはありませんでした。でも、とても印象に残っている面接でした。
当時面接を受けたのは、ゲームクリエイターの飯島さんが立ち上げた「パンドラボックス」という会社です。
飯島さんは、X68000などのPCゲームが流行っていた時代に『ラストハルマゲドン』や『ブライ』といった名作を手がけた方です。
一方で、のちに「伝説級のクソゲー」と言われる作品を出したことでも知られています。
なぜこの面接が印象に残っているかというと、面接会場で社長がいきなり怒り出したからです。
応募者が会場に集められ、社長が話をしていました。その中で、
「君たち、うち(パンドラボックス)のゲームをやったことがある人、手を挙げて」
と聞いたんです。
ところが、ほとんど誰も手を挙げなかった。
それを見た社長が、かなりショックを受けた様子で怒り出したんです。
気持ちは分からなくもありません。自分の会社のゲームを知らない人ばかりが面接に来ている。
でも、そこで怒るのではなく、「現実はこうなんだ」と受け止める場面だったのではないか、と当時20歳の私は感じました。
ちなみに正直に言うと、私自身もそんなに真剣ではありませんでした。
「ゲーム業界で働けたらいいな」くらいの軽い気持ちで応募していました。
面接は、社長室のような部屋で行われました。椅子が並べられ、順番を待つ形式です。
社長の机の後ろにはゲーム雑誌がずらりと並び、机にも雑誌が積まれていました。
そして社長は、面接の合間に自分の机にどっかり座って雑誌を読んでいるんです。
一方で、社員の方々はスーツ姿で緊張しながら応募者に付き添い、業界の話やゲームの話を丁寧にしてくれていました。
社員と応募者は緊張して向き合っている。
登山をテーマにしたゲームで、社員の方がとても誇らしそうに紹介してくれたのを覚えています。
その姿は印象的でした。
社長の怒りよりも、社員のワクワクした表情のほうが心に残っています。
面接が終わった帰り道、同じく面接に来ていた女性と少し仲良くなり、一緒にゲームセンターに寄りました。
格闘ゲームを少し遊び、「今あなた手を抜いたでしょ?」なんて軽いやり取りをしたのも、若い頃の思い出です。
この面接で覚えているのは、
そのくらいです。
週刊少年ジャンプ作品などを中心に、漫画・アニメの出版・映像、企画・編集を手がける編集プロダクション (株)樹想社ってところです。
そこも落ちましたが、こちらはとても良い思い出として残っています。
私は応募動機に「自分が作りたい本がある。ぜひ出させてほしい」と、かなり大きなことを書いてしまいました。今思えば、実力もないのにビッグマウスでした。
それが社長の目に留まり、「一度話を聞きたい」と呼ばれたのです。
「うちはアニメの本も出しているが、実際の仕事は少年誌のミニコーナーや読者ページの編集が中心になる。
と聞かれました。
私は「何でもやります」と答えましたが、正直、夢を見ていた部分もありました。
「あなたが出したい本って、具体的にどんな本ですか?」と聞かれました。
私はうまく答えられませんでした。口だけだったんです。
でも話題が変わり、私がその会社の出しているアニメ本をほとんど持っていることが分かると、急に場が和みました。
「これはどうだった?」「どこが面白かった?」と聞いてきました。
ボトムズの話で盛り上がり、好きなエピソードについて語り合いました。
もちろん不採用でした。
「今回は見送ることになったが、あなたと話した時間はとても楽しかった。あなたの目の輝きが印象に残っている。将来、何かを成し遂げる可能性を感じた」
そんな内容でした。
忙しい社長が、20歳の無名の若者に直筆で手紙を書いてくれた。それが、今でも忘れられません。
あのとき私は未熟でした。
実力もなく、夢ばかり語っていました。
今、自分が年を重ねて思うのは、
「若者の可能性を軽く扱わない大人でありたい」ということです。
実力がなくても、まだ形になっていなくても、その目の輝きは本物かもしれない。
あの手紙は、今でも私の中に残っている教訓です。
■
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。