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ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。

<記事原文 寺島先生推薦>

The US-Nazi Connection Since World War II: From Inspiring the Third Reich to Supporting the Neo-Nazis of Ukraine - Global ResearchGlobal Research - Centre for Research on Globalization

第二次世界大戦以降の米国とナチスのつながり:第三帝国への鼓吹からウクライナのネオナチへの支援まで

筆者:ティモシー・アレクサンダー・グズマン(Timothy Alexander Guzman)

出典:Global Research

2022年10月20日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年11月10日



 ワシントン、ロンドン、ブリュッセル、テルアビブのマフィアは、彼らの「一極世界秩序」という計画を維持するためには何でもする。実際、彼らは最悪の敵と協力してでも、残された力を保持することに必死になっている。古来からの有名な諺に「敵の敵は味方」というのがあるが、今日もその言葉が当てはまるのだろう。なぜなら、ワシントン、CIA、軍産複合体、モサド、NATOは、イスラム国(ISIS)、アルカイダ、その他のグループを含む有名なテロリストを支援して自分たちが認めていない政府、とりわけ中東の政府を、転覆させてきたからだ。

 しかし、彼らがかつて敵であったテロリストを支援したのは、シリアやリビアに対する政権交代戦争から始まったのではない。敵を支援するという発想は第二次世界大戦中と戦後に、アメリカ政府が新しい敵であるソ連に対抗するためにウクライナのナチスを採用したことから始まっている。戦時中、アメリカやヨーロッパの同盟国と共にナチスと戦ったソビエトが新たな脅威と見なされたことを考えると、何とも奇妙な展開である。ワシントンとマフィアの仲間たちは、当時はナチスを利用し、今度は聖戦テロリストを世界支配のための戦争に利用している。長期的にどんな犠牲があっても彼らはそうするのだ。

 では、ナチスとはそもそも、いったい何者で、なぜワシントンは彼らを勧誘することに関心を持ったのだろうか? まず第一に、ナチスの構成員はアメリカ政府が興味を持ついくつかの科学技術分野に関与していたからだ。それは、後にあらゆる戦争兵器の製造や将来の軍事作戦のための心理作戦に活用することになるのだが、詳細については後で述べることにする。

 しかし、ナチスは極右のファシズム思想に従っていた。それは超国家主義の原則と一致する権威主義的な思想であり、無政府主義、共産主義、民主主義、共和主義、社会主義など、自分たちの権力の上昇を脅かすと見なされる政治形態を否定する。そして、これは正気の沙汰とは思えないが、ナチスは科学的人種主義、あるいは優生学と呼べるものを用いた。人間の遺伝子プール(給源)を操作して、ある集団を劣等とみなされる人々と優位とみなされる人々の間に分けたのだ。それから、第三帝国内に蔓延していた反ユダヤ主義という要素もある。ナチズムは、超国家主義者という人物像に合致しない人に対して大量虐殺、拷問、強制不妊手術、反対派の投獄、国外追放、その他の残虐行為を行った。とりわけ、彼らが要求するような人種的資質を備えていない場合はそういった被害を被った。

 ファシズムの歴史を振り返ると、そのルーツはヨーロッパにある。ルイ・ナポレオン・ボナパルト(別名ナポレオン3世)が1848年から1852年まで鉄拳でフランスを支配したとき、フランスはファシスト/ナチの国家としての要素を備えていた。


アメリカによる赤い野蛮人退治はアドルフ・ヒトラーにヒントに与えていた

 1933年1月30日、ドイツの首相に就任したアドルフ・ヒトラーは、ファシズム政策を率先して実行に移したが、そのときはヒトラーの同盟国であるイタリアのムッソリーニや日本の裕仁も、同様の政策をとっていた。

 では、このようなイデオロギーは何からヒントを得たのだろうか。ナチスはどこからその着想を思いついたのだろうか。

 アドルフ・ヒトラーが、アメリカの短い歴史の中で採用した特定の集団に対する対処法を賞賛していたことは周知の事実である。その対処法とは、アフリカ系アメリカ人に対するジム・クロウ法から、アメリカ・インディアン戦争で先住民が送られた捕虜収容所である。

 ジョン・トーランドの「アドルフ・ヒトラー:決定版伝記」には次のように書かれている。

(以下引用)
 「ヒトラーの強制収容所の概念と大量殺戮の実用性は、イギリスとアメリカの歴史の研究に負うところが大きかったと、ヒトラーは主張している」「彼は南アフリカのボーア人の囚人の収容所と米国西部の原住民の収容所を賞賛した。そしてしばしば側近に、アメリカが捕虜にしても手懐けることができなかった赤い野蛮人を絶滅させた効率性―それは飢餓と一方的な戦闘によるものだったが―を賞賛していた」
(引用はここまで)

 では、「強制収容所」という考え方はいつから施行されたのだろうか。それは、アメリカ大統領で民主党だったアンドリュー・ジャクソンの時代である。彼は1830年にできたインディアン移送法の一環として「移民収容所」を導入した。何万人もの先住民が強制的に「収容所」と呼ばれる場所に入れられた。それには、セミノール族、チェロキー族、チョクトー族、マスコギー族などの部族が含まれていた。主にアメリカ南部の部族国家で、アラバマ州やテネシー州が含まれていた。

 米国の統治モデルがナチスドイツに影響を与えたもう一つの要素は、ジム・クロウ法である。 法律学者で『ヒトラーが手本にしたアメリカ的手法:米国とナチ人種法の成立』の著者であるジェイムズ・Q・ホイットマンは、ナチスがアメリカの人種法をどのように見ていたかについて、紹介文を書いている。

(以下引用)
 冒頭、グルトナー法務大臣はアメリカの人種法に関するメモを提示した。これはこの会合のために同省の職員が入念に作成したものだった。参加者は議論の過程で何度もアメリカの人種差別法制のモデルに立ち返った。とりわけ驚くべきことだったのは、出席していた最も急進的なナチスがアメリカの方法は自分たちにとって最も役立つ教訓だと熱烈に支持していたことだった。後述するように、ナチがアメリカの人種法に関わっていた記録は、この記録だけではない。1920 年代後半から 1930 年代前半にかけて、多くのナチス、とりわけヒトラー自身は、アメリカの人種差別的立法を真摯に受け止めていた。実際、ヒトラーは『我が闘争』の中で、アメリカを、ニュルンベルク法が意図したような健全な人種差別秩序の構築に向けて前進した「一つの国家」にほかならない、と賞賛している。

 私の目的は、ニュルンベルク法制定時にナチがアメリカの人種法からヒントを得ようとした、この無視された歴史を記録し、それがナチスドイツについて、人種差別の現代史について、そして特にアメリカについて何を語っているかを問うことである。
(引用はここまで)

 アメリカから着想を得た人種法は、1935年9月15日に成立したニュルンベルク法によってドイツ社会に押しつけられた。ナチスは、アメリカの人種法を、最終的に非市民となったユダヤ人など、さまざまな集団に対して実施できる適切な政策であると考えた。というのも、その人種法は、アメリカ先住民、フィリピン人、アフリカ系アメリカ人などが、たとえアメリカやその植民地地域に住んでいたとしても、彼らを非市民とみなしたからだ。また、アメリカの人種法の中でナチスが関心を持った箇所がある。それは、アメリカの約30の州で異人種間の結婚を禁止する混血禁止法で、アメリカでこの法律を破ったものは厳しい刑事罰を受けることになっていた。


ペーパークリップ作戦:第二次大戦後、米国政府はなぜナチスを起用したのか?

 ロシアがウクライナに侵攻して以来、核戦争の噂は以前にも増して広まっている。ウクライナの俳優、失礼、つまり大統領のヴォロディミル・ゼレンスキーは、ロシアが核兵器を使うのを阻止するために「予防攻撃」を呼びかけたが、その後すぐにその主張を撤回した。しかし彼は、予防措置のために西側がロシアに核兵器をぶつけることを呼びかけた。ただ、彼の口から出たその言葉も極めて危険な言辞だった。核兵器といえば、そもそも弾道ミサイルに核爆弾を搭載することを提案したのは誰だったかご存じか? それは、第二次世界大戦中にアメリカ政府に雇われたナチスのロケット科学者から生まれた考えだった。当初の計画は、「ウラン計画」(Uranprojekt)と呼ばれていた。兵器や原子炉を製造するための核技術を開発する目的だったからだ。



 第二次世界大戦末期、アメリカの情報機関と軍産複合体は、ロケット科学、航空力学、化学兵器、医学など様々な分野の専門家である1600人以上のナチスの科学者とその家族をドイツから密かに移送し、ペーパークリップ作戦と呼ばれるものを行った。米軍のために働くナチスもいて、ソビエトが世界を征服するのではないかという恐怖とパニックを引き起こす情報概要を作成したが、これは誇張されすぎていた。しかし、アメリカ政府が最も恐れていたのは「オソアビアヒム*作戦」であった。その作戦は、ソ連が、ドイツ・ソ連占領地区(SBZ)とベルリンのソ連支配地区で2,500人以上の元ナチスの科学者や技術者を募集することで、兵器開発などの分野でアメリカ政府より一歩先に進もうという作戦だった。
*「防衛と航空化学建設への援助のための協会」 ロシア語。

 アメリカのナチス科学者に関する重要な歴史的事実の一つは、ナチス党員であり、ナチスドイツの準軍事部隊の主要部門であるアルゲマイネSS(一般親衛隊)の一員であったヴェルナー・フォン・ブラウン(フルネーム:ヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フォンブラウン男爵)が採用されたことである。フォン・ブラウンは、ロケット技術開発の責任者でもあり、アメリカにおけるロケットと宇宙技術の先駆者とみなされている。彼はアポロ宇宙船を月へ打ち上げるのに役立ったとされる超大型ロケット「サターンV」の設計責任者でもあった。

 その中にはサリンガスや、VX(神経ガス)、そしてもちろんベトナム戦争で最も使用された生物兵器であるエージェント・オレンジ(枯れ葉剤)などの危険な戦争兵器が含まれている。つまり、アメリカ政府はナチスの科学者を雇い、大量破壊兵器を作る知識を得て、それ以来、世界中のさまざまな人々に被害を与えてきたのだ。ベトナム戦争の間、アメリカ軍はエージェント・オレンジをベトナムの人々に撒き散らし、300万人以上に先天性欠損症やその他の健康関連の問題を今日まで引き起こしている。ナチスの科学者たちは、戦争のための高度な兵器を開発することに関しては、まさに邪悪な天才であり、それは米軍と情報機関がもっぱら関心を寄せていたもので、それは昔も今も怖いことだ。


アメリカの創り出したフランケンシュタイン:ウクライナのネオナチ

 歴史の貴重な教訓から分かるように、アメリカ政府とCIAは1946年以来ウクライナのナチを支援し訓練してきた。CIAは東ヨーロッパなどでOUN-B(ネオナチのウクライナ民族主義者組織)と共に「背後から攻める(Stay Behind)」作戦を組織した。ウクライナ民族主義者を支援し、ソ連領ウクライナを不安定にするために派遣した。そしてそこで、特殊部隊を使ってソ連高官の暗殺、インフラの破壊、テロ行為などの作戦を密かに行ってきた。

 アメリカ政府とCIAの工作員の歴史を見ると、ウクライナの戦犯ステファン・バンデラを支援してソ連領ウクライナを不安定にするウクライナ地下運動を進めたので、CIAとその政策調整室(OPC)と特殊作戦室(OSO)はOUN-Bと秘密作戦を計画して、ソ連勢力圏内の心理戦のために反ソ連のウクライナ反乱軍(UPA)に支援を提供したのである。 CIAは、冷戦時代にナチスに協力したウクライナ民族主義者との関わりについて歴史的な記録を公表している。ケビン・C・ラフナー著「冷戦期の盟友:CIAとウクライナ民族主義者の関係の起源」では、「CIAがどのようにウクライナ人やその他の人々との接触を再び確立し拡大したか、そして彼らをどのように共産主義者に対して秘密行動をさせたり、あるいは赤軍戦線の背後でゲリラ、破壊活動、レジスタンス指導者として働かせる戦時資産として活用したか」を詳述している。歴史的な説明はさらに進んで、「多くの移民グループによる、時に残忍な面もある、戦争の記録は、彼らがCIAにとってより重要になるにつれて曖昧になった」と述べている。

 それからずっと後になるが、2013年11月には、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が、EUとの自由貿易協定を拒否し、政治的・経済的関係を持つ代わりに、ロシアやユーラシア経済連合との関係を緊密にすることを決定したことに対して、ユーロマイダンと呼ばれる大規模な抗議デモが行われた。そして2014年2月、ウクライナの首都キエフでマイダン革命と呼ばれるデモ隊と政府の治安部隊との激しい衝突が起こり、民主的に選ばれた大統領ヴィクトール・ヤヌコヴィッチに対するクーデターが発生した。その後すぐにロシア・ウクライナ戦争が始まり、ネオナチに影響を受けたアゾフ大隊が誕生し、彼らはロシアのあらゆるものに対する抵抗勢力となったのである。

 今年1月22日、主流メディアの一角を占めるYahoo Newsは、「CIAが訓練したウクライナの準軍事組織は、ロシアが侵攻した場合に中心的役割を担うかもしれない」と題する記事を掲載し、CIAが2015年からウクライナ軍を密かに訓練していたことを基本的に認めた。

 秘密訓練プログラムはオバマ政権によって立案された。ロシアが2014年にクリミアへ進攻し、併合した後のことだった。その訓練は、CIAの地上支部―現在は地上部として正式に知られている―で働く準軍人によって執り行われた。その後、トランプ政権下で拡大し、バイデン政権でさらに増強されたと、政府の同僚と連絡を取っている元諜報部高官は述べている。

 Yahoo Newsによると、その匿名の元情報機関高官は「もしロシアが侵攻してきたら、彼ら(CIA訓練プログラムの卒業生)はあなた方の民兵、反乱軍のリーダーになる」「我々は彼らをこれまで8年間も訓練してきたのだから、実に優秀な戦士だ。このCIAプログラムが重要な影響を与える可能性があるのはそのところだ」と述べている。したがって、過激化したネオナチと呼べる人々が実際はどれほどいたのかについては疑問を持たざるを得ない。

 2018年、ロイター通信社はジョシュ・コーエンによる解説「ウクライナのネオナチ問題」を掲載し、ナチが国家民兵の隊列を埋めているウクライナの問題を解説した。コーエンによれば、1月28日にキエフで行われた、いわゆる「国民民兵」の隊員600人によるデモは、新しく結成された超民族主義勢力が「秩序を確立するために武力を行使する」と誓うものだったが、このことは、ネオナチの脅威を物語っている、ということだ。コーエンは、国民民兵はナチス系のアゾフ大隊から隊員を集めていると付け加えた。

(以下引用)
 国民民兵の隊員の多くは、30余りの民間資金による「ボランティア大隊」の一つであるアゾフ運動出身者である。彼らは戦争初期にロシアの代理人である分離主義者からウクライナの領土を守るために正規軍を助けている。アゾフはナチス時代の象徴を使い、ネオナチを隊員に勧誘しているが、フォーリン・アフェアーズ誌の最近の記事では、アゾフは他のボランティア民兵と同様にウクライナ軍に統合されて「抑制」されていると指摘して、この勢力がもたらすかもしれない危険性を軽視している。民兵がもはや戦場を支配していないのは事実だが、キエフが今心配しなければならないのは国内戦線である。
(引用はここまで)

 「プーチンがクリミアを占領した」というコーエンの文章は、明らかに主流メディアの言説に従っている。実際には、ロシア語を話すクリミアの人々が、ロシア連邦との再統合を住民投票で決めたのだ。しかし、コーエンの功績は、アゾフ大隊と右翼団体がロシアに支援された分離主義者と戦ったので、高い評価を受けたという事実に触れていることである。コーエンはアゾフ大隊が子供たちの訓練所を持っていたことについても言及している。

(以下引用)
 4年前にロシアのプーチン大統領がクリミアを占領し、ウクライナ軍の老朽化が露呈したとき、アゾフや右翼民兵がその隙間に入り、ロシアが支援する分離主義者を撃退し、その間にウクライナの正規軍は再編成された。その結果、多くのウクライナ人は民兵を感謝と賞賛の念を持って見守り続けているが、民兵の中でもより過激な勢力は、不寛容で非自由なイデオロギーを推進し、長期的にはウクライナを危険にさらすことになる。クリミア危機以降、民兵はウクライナ軍に正式に統合されたが、完全統合に抵抗するものもいる。例えば、アゾフは独自の子供向け訓練キャンプを運営しており、その人事部門は正規軍からアゾフへの転属を希望する新兵を指導している。
(引用はここまで)

 コーエンの主張はウクライナにネオナチがいることを暴露しているが、西側体制と主流メディアの筋書にしたがって、「ウクライナはファシストの巣窟だというクレムリンの主張は嘘だ。ウクライナの前回の議会選挙では極右政党の選挙結果が悪く、キエフでの国民民兵のデモにウクライナ人は警戒感を持っている」と述べている。しかしこれはすべて嘘である。コーエンの発言は嘘で、かつ矛盾している。彼は記事の冒頭で「国民民兵の隊員はアゾフ運動から集められた」と書きながら、一方で「アゾフはウクライナ軍に統合されることで『抑制』されたので心配ない」とも書いている。彼の間違った情報源はまず『Foreign Affairs』誌あたりだろう。これはアメリカの政治体制のお気に入りである外交問題評議会が所有している出版物である。

 では、アメリカ政府、軍産複合体、CIAは、現在進行中の対ロシア戦争でウクライナのネオナチを支援しているのだろうか? その答えはもう明らかだ。


Timothy Alexander Guzmanは自身のブログサイト、Silent Crow Newsで執筆しており、この記事の原文はここに掲載されている。彼はGlobal Researchに定期的に寄稿している。

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