Cesar Uco、Bill Van Auken
2010年10月29日
アメリカ支配者集団の最も著名な新聞二紙の社説欄が、最近のチリにおける33人の鉱山労働者の救助は、自由市場資本主義の勝利だと、早合点にも主張している。
この件について最も挑発的なのは、10月14日に論説ページ副編集長ダニエル・ハニンガーによる“資本主義が鉱山労働者を救った”と題するコラム記事を掲載したウオール・ストリート・ジャーナルだ。
ワシントン・ポストも、翌日これに続き、“チリ鉱山の救援活動、成功記録の最後をしめくくる”という題名の論説を載せた。
二つの記事の明らかな狙いは、チリのアタカマ砂漠の地下700メートルに、ほぼ70日間閉じ込められた33人の救出作業の成功を巡る世界的な陶酔状態を、イデオロギー的な目的と階級的権益のために利用することだ。
鉱山労働者の窮状を、チリ大統領セバスチャン・ピニェラを司会役にした「のぞき見テレビ」番組の一種のように扱った、チリの出来事にかかわったマスコミ報道に内在していた暗黙の了解を、二つの論説記事が詳しく説明している。鉱山労働者の状況や、彼等を救助するために導入された驚くべき技術的快挙は紛れもないドラマではあるが、そもそも彼等が地下に閉じ込められるにいたった事情は、ほぼ完全に無視されている。
ポスト紙によると、救援の成功は“ [チリ]が、20年間中南米で最も自由な国としてやってきたことに対する報奨”だとしている。同紙の社説は“チリが…自由市場と自由貿易を、隣国諸国よりもはるかに本格的に受け入れてきたことが、必ずしも十分には認知されていない”と認めている。
社説は更に、“閉じ込められた人々を救援するという政治的にリスクが大きい目標を目指すことを、即座に約束した“成功した起業家”セバスチャン・ピニェラ大統領の政権を称賛した。” (おそらくは、ピニェラの、個人的資産を、何十億ドルも貯め込むのに“リスクをいとわない精神”が救援活動のための重要な資産となったのだろう。) “世界に対して、チリが開放的で、起業家精神を奉じているおかげで、効果的に最先端技術を導入することが出来たのだ”とポスト紙は続けている。
ウオール・ストリート・ジャーナルは遠慮せずに語っている。“これは言うべきだ。チリ鉱山労働者救援は、自由市場資本主義にとっての大勝利だと”いうのが同紙コラムの書き出しだ。
筆者は“このような主張をするのは不作法に見えるかも知れない”と認めながらも“現代は不作法時代で、リスクは高いのだ”と付け加えて、自らの主張を正当化している。
更に、コラム記事は言いたい本音を詳しく書いている。公式失業率は10パーセント近くに高まり、資本主義に対する敵意は増大している。“我々は経済的に困難な時代に生きている”とジャーナル紙のヘニンガーは語り“今後は、どの経済学が有効で、どの経済学が有効でないかを理解することが必要だ。”
彼の主張でヘニンガーが依拠する薄弱な根拠は、鉱山労働者に到達するまでの岩に穴を穿つのに使われた、ペンシルバニアの私企業が開発した“センター・ロック社のドリル・ビット”だ。利益という動機だけが、そのような技術を生み出せたのだと推定しているのだ。
もしもチリ鉱山労働者の救出が、資本主義体制の功績だというのなら、そもそも彼等を地下深く閉じ込められたままにし、当初は死んだものとしてあきらめた原因は、一体どのような経済体制だったのだろう?というのが、分かりきった疑問だ。
それを言うなら、昨年、31人のチリ鉱山労働者を死に至らしめ、世界中で12,000件以上の鉱山災害をひき起こした体制は、いったい何だったのだろう?
質問そのものが答えだ。資本主義、安全コストを削減し、鉱山労働者や他の労働者の生命を危機に曝すことで、利潤を最大化するという冷酷な動因に基づく制度だ。
ジャーナル紙もポスト紙も“自由市場資本主義”と“起業家精神”が、鉱山労働者の救出における中心的な要素だと主張する一方で、救出作戦が実は1971年に、チリ社会党出身の大統領サルバドール・アジェンデが、私企業だったものを国有化してできた、チリ国営銅採掘企業コデルコが、指揮し、大半の資金を出したものであることを、両紙は都合良く無視している。鉱山労働者が、長期にわたる試練を、元気に生き続けられるようにするための主要な助言は、アメリカ政府の航空宇宙局NASAによるものだった。
鉱山労働者の生存にとって、より重要だったのは鉱山労働者自身の行動だった。資本主義自由市場における弱肉強食の個人主義とは、著しく対照的で、対立する強力な団結と集産主義が、彼らの行動の特徴だ。
最初のドリルが彼等に到達するまでの17日間彼等が、生き延びることを可能にした飢餓的な割当量公平な分配は過去強いられていただけではない。彼等が救助されて以来、このやり方を続け、本の出版その他で得るもの全てを等しく分け合うことを彼等は誓い合っている。
鉱山労働者自身に関する限り、資本主義がチリ鉱山の災害において果たした役割には何の不思議なこともなかったのだ。
“人は我々を英雄だというが、そうではない。我々は英雄ではない。我々は犠牲者だ”鉱山労働者の一人、フランクリン・ロボスは、チリの日刊紙エル・メルクリオにそう語った。“我々は自分達の命のために戦ったにすぎない。我々には家族がいるからだ。我々は、安全には金をかけない実業家の犠牲者だ…何百万ドルも稼ぎながら、貧しい人々の苦悩を考えようとはしない実業家の犠牲者なのだ。”
サン・ホセ鉱山の場合、この評価には議論の余地がない。この施設は、チリの私有中規模鉱として典型的な実績つまり、長年にわたり死亡や重傷をもたらす事故の連続に悩まされていたが、所有者が超搾取によって莫大な利益を得るのを、政府は見て見ぬふりをしてきたのだ。
“サン・ホセは悪夢だ”別の鉱山労働者がマスコミに語っている。“あそこは危険です。私は知っているし、皆が知っています。あそこの唯一の標語は、生産性です。”
8月の鉱山災害事故の直後、鉱山労働者達は、換気孔から脱出しようとしたのだが、恐ろしいことに、政府の安全規定によって要求されている梯子は存在していないことを発見したのだった。
チリが“起業家精神”と“自由市場資本主義”を信奉していることが、労働現場の安全性にかかわる法規が極めて弱体化した一因だ。国中にちらばる4,000以上の鉱山を監督するのに、政府は16人の検査官しか雇っていない。チリは、国際労働機関(ILO)の鉱山安全衛生勧告への署名を拒否している世界でもわずかな国の一つだ。
元チリのプロサッカー・チームの選手だったロボスは、エル・メルクリオ紙のインタビューで、冷淡にこう付け加えている。“我々の大多数は、会社は我々を放置したままにすると思っていました。我々救出するよりも、死ぬにまかせた方が安上がりでしょう。”
同様に、鉱山労働者の現場監督、ルイス・ウルスアは、彼等に対する救援活動の存在を伝えるドリルが近づいてくる最初の兆しを思い起こして語っている。“音を聞いた時…我々は彼等は鉱山で仕事をしているのだと思いました。”言い換えれば、銅の価格が50年ぶりの高値となっているので、鉱山所有者は、彼らの命を救おうとするのではなく、貴重な金属を掘り出そうとしているのだと鉱山労働者達は思い込んだのだ。
これが、ジャーナル紙とポスト紙によって褒めたたえられている“自由市場”と資本主義の起業家精神の、労働者階級に対する厳しい現実だ。
ポスト紙もジャーナル紙も、チリが一体どのようにして中南米で“最も自由な国”となり、“自由市場”にとって、天国となったのかについて論じる気は毛頭無い。
ピニェラ大統領と与党は、1973年9月11日、CIAが支援したクーデターで権力を掌握し 、1990年までチリを強権的に支配したアウグスト・ピノチェト将軍の独裁政治の政治的後継者だ。しかし、セバスチャン・ピニェラと、ピノチェト政権のつながりは、独裁政治の始めにまでさかのぼる。1970年代に、チリの現大統領はクレジット・カード事業で元の財産を築いたのだ。
ピノチェトは、良くこう言っていた。“木の葉一枚とて、私が動かさない限りこの国では動かない。”ピニェラは、何万人ものチリ労働者、学生や知識人が、裁判もなしに、虐殺され、拷問され、投獄され、国外亡命を強いられるという状況の中、ピノチェトのお墨付きを得て財産をなしたのだ。この時期、現大統領の兄は、鉱山相をつとめ、民営化と規制緩和政策を導入し、条件過去十年間だけでも、約373人のチリ鉱山労働者を奪うという環境を生み出したのだ。
資本主義を擁護するニューヨークとワシントンの社説筆者達は、鉱山労働者とその家族達は嫌というほど知っているこの歴史を、遠慮なく飛ばしてしまっている。
現場監督のルイス・ウルスアは、NASA等から“天性の指導者”として称賛された。彼の母親は、マスコミに、息子は“非常に規律正しく”、“六人兄弟のボス”なのだから、自分は全く驚いていないと語っていた。
鉱山災害同様、これも彼に押しつけられた役割だった。子供時代、鉱山労働者の組合指導者で共産党党員だった彼の父親は、1973年のクーデター直後に行方不明になった。次に、組合指導者で、青年社会主義者中央委員会メンバーだった義父が、“死のキャラバン”として知られている軍暗殺部隊によって拉致、殺害され、集団墓地に放り込まれた。
過去“20年間”にわたり、“中南米で最も自由な国”チリでは、ピノチェト・クーデター後の年月に行方不明になった近親者の遺体を見つけ出そうと、何百人もの女性たち、母親や妻が、数えきれない日々、アタカマ砂漠の砂をシャベルで掘り起こしてきた。
あの鉱山がある町、コピアポの名前、エスペランサ(スペイン語で希望という意味)とあだ名をつけられたテント村は、救出劇のおかげで今や世界的に有名だが、アタカマには、閉じ込められた鉱山労働者の家族を含め、チリ労働者階級は決してわすれようもない名前の場所が他にある。犠牲者達が墓標もない墓に埋葬されたラ・セレナ、クーデター直後に埋められた人の亡骸が1990年に発見された、強制収容所として使われていたピサグアだ。カラマでも、1973年10月に虐殺された13人の亡骸が、やはり1990年に見つかった。
多くの人々にとり、鉱山労働者の行方不明、そして救助という出来事は、資本主義市場を擁護する軍隊によって殺害された別の鉱山労働者達の亡骸を、同じ土地から掘り出した痛ましい記憶を呼び戻させた。
こうした文脈からして、チリ鉱山の災害を、自由市場資本主義用の広告に活用しようとするワシントン・ポストとウオール・ストリート・ジャーナルによる、一見して妄想的な企みは悪意ある性格のものだ。資本主義の深刻な危機と、世界中の労働者階級による戦いの高まりが、いわゆるチリの経済的奇跡を生み出すのに使われた残虐な手法の利用を、金融支配者層が再度、目論む環境を生み出しつつあるのだ。
記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/oct2010/chil-o29.shtml
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33人の鉱山労働者の救出のドラマ、アメリカで本になったり、映画になったりするらしい。
貧乏人の小生、そうした作品を購入する財力も、時間も気力もない。
アジェンデ政権に対する武力クーデターの深層を描いた本や、映画が新たにでるなら、無理をしてでも、購入したいと思う。映画『戒厳令』のチリ版や、『戒厳令下チリ潜入記』復刊なら。
アフガニスタン戦争、イラク戦争、いずれも、全くのいいがかりからアメリカが始めた違法な侵略戦争だ。
日本でも、郵政破壊、貯金奪取は、アメリカがしかけた企みだった。思いやり予算という、世界のならずものテロ国家へのみかじめ料、もちろん、仕分け対象にはならない。
グローバル・スタンダードという名目が通じない場合には、武力を使って、自国資本に都合よく相手の政権を変えるのがアメリカのいつもの手法。
そして、話題のTPP、素人には全くわけがわからない。
素人なりの判断基準は単純。
TPPの基本構想、アメリカが考えたものであれば、まゆつばだろう。
アメリカから独立した機構が考えだした構想なら、一考の余地はあるだろう。
民主党、農業を完全に抹殺するつもりだろうか?宗主国の命令なら実施するだろう。
大本営広報部属国マスコミに、TPPについての客観的解説を求めるのは、木によって魚を求むの類。褒めないわけがない。頭がおかしくなるので、極力解説は読まないことにしている。それで、いっそうわからない。
宗主国の大手紙ワシントン・ポストとウオール・ストリート・ジャーナルの低劣さをみれば、宗主国を超えることは許されない属国大手紙のレベル、想像がつくというもの。
今日のJR中吊りで見た雑誌広告記事に驚いた。
果たして、沖縄の「ゆいレール」やバスにも、同じ広告をだしているのだろうか?
「沖縄には米軍も自衛隊も必要だ」
宗主国命令を実施する組織としての傀儡二大政党。それを支持する不幸な国民と宗教。
日本国民、総「茶会」?
ところで、「奸首相」という表記を見た。昔からあるのだろうが、座布団十枚!
マスコミが一斉に流す「ドラマチックな美談、本質は、とんでもない巨悪を誤魔化す、無花果の葉」ということが多いだろう。チリでも、そして、日本でも。
2010/12/14追記:毎日にTPP参加批判の素晴らしい記事が掲載されている。嬉しい誤算。
こうした正論を無視し、属国与・野党連合は亡国政策を推進するだろう。それが役目だ。
TPP参加は誤り 日本の米作・畜産は規模拡大政策では存立し得ない
◇伊東光晴(いとう・みつはる=京都大学名誉教授)
2012/7/12追記:上記のリンクを辿ると、見事に記事は消滅している。ジョージ・オーウェルの名作『1984年』の主人公、ウインストンは、政府に不都合な情報を削除、改編する係だ。不都合な記事はメモリー・ホールへと捨て去る。そこで、ネットに残されている、まともな国民の方のサイトの記事を以下にコピーさせていただく。不正コピー防止法案の本当の狙いは、もちろん、こうした、ネット上の正しい行為の排除を狙ったものであることは確実だ。
毎日2010.12.13
日本の農業はどうなるのか。国際競争にさらされた時、生き残ることはできるのか。その危惧感は、今も昔も変わらない。
並木正吉さんが『農村は変わる』(岩波新書)を書いたのは1960年であった。専業農家の大幅な減少を、後継者の数を予測し、これほど美事に将来を言いあてたものはない。兼業農家の激増である。
専業農家が耕作規模を拡大して所得をあげ、兼業農家が農外収入を加えることによって、豊かな生活を維持できるのであれば問題はない。事実、戦前をとって
も、婿が地元の小学校の先生というような農家は豊かだった。こうした兼業農家は、ある意味で理想でもあった。米作の機械化はこの兼業を容易にした。
だが、兼業農家が売る農産物も、専業農家が売るものも、外国からの安い農産物におされ、市場から消えだしたならば、問題は別である。極端な場合を考えるならば、兼業農家は、自分たちが食べるだけのものを耕作し、専業農家はいなくなる状況である。
事実、「ウルグアイ・ラウンド農業合意」(93年12月)直前であったが、「世界農業モデル」を使い、米について、関税のない世界で競争が価格だけで行
われると仮定したうえで、日本の米作の将来を予測した。その結果は、イン・ザ・ロングランでは日本の米作は当時の4割に減り、自分の家で食べる米だけが作
られるという結果なのである。米作専業農家は存立の余地がない。
これが、同じように成り立たなくなる畜産・乳製品を加え、農産物の自由化に危惧感を持つ理由である。日本の農業は野菜、果物だけになるのか。
◇自然的条件の決定的な違い
あらためて書くまでもなく、農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。100ヘクタールの耕地が5つあり、その1つが5年に1度水田とな
り、他が休耕したり、牧草がまかれ、放牧され、有機質が土に戻されたりするという恵まれた条件下のオーストラリアの水田耕作と、日本や中国の零細性の農業
とは決定的に違う。オーストラリアの水田耕作の拡大を制約しているのは水不足であるが、日本の零細農業とこの種の大規模機械化農業とは、農民の意欲や努力
をはるかにこえた自然条件にもとづくコスト差が発生する。アメリカの水田耕作は、このオーストラリアの水田よりも大規模である。
もちろん、耕作規模の広さだけが競争力ではない。タイの米作がアメリカのそれに競争できるのは労務費の安さである。だが農業所得の向上を政策目標とする
ならば、所得の向上とともに、やがて競争力は失われてゆくことになる。わが国の葉タバコは戦後も輸出されていた。それが高度成長にともなう農業賃金の上昇
によって、その地位を失ったのと同じである。
もしも、こうした自然条件の違いを無視して、市場競争にゆだねたならば、条件の劣る地域は、産業として成り立たなくなるのが当然である。
確かに、経済合理性を重視し、現実の国際政治を無視すれば、競争劣位の農業を縮小して、優位の産業に特化するのもひとつの政策である。
しかし、基本的な食糧を生産していない大国が存在しうるかどうかは--レアアースについての中国の輸出制限が大問題になっている時、また弱肉強食下の国
際政治の下で--明白であろう。現実の国際政治を考えると、経済効果性をこえ、農業の存立をはからなければならないのである。
ここで現実にたちかえれば、2つのことに注意を向けざるをえない。
第1は、アメリカを含め、強力な農業基盤を持っている国ですら、農業保護の政策がうたれていることである。かつて書いたように、恵まれた自然条件のうえに、輸出支援の政府補助を受けたアメリカの綿花が、額に汗して働くインド、エジプト、ブラジルの綿花に競争を挑んでいくのである。
ウルグアイ・ラウンドでの米欧の対立が、この輸出をめぐる補助政策にあったことは、忘れてはならない。こうしたことにくらべるならば、自国農業を保護する日本の政策は、2次、3次の問題にすぎない。
◇アメリカの政策は自国の利益中心
第2は、アメリカの政策である。アメリカは、戦後世界の貿易ルールを決めるガット(関税及び貿易に関する一般協定)を作った国である。にもかかわ
らず批准せず、他国にはガットの規定に従うことを求め、自らがガット違反で攻撃されると、批准していないというダブルスタンダードで逃れ、農産物について
はガット25条のウェーバー条項(自由化義務の免除)を55年に取得し、自らは輸入農産物の制限措置をとった。
この55年という戦後の時期、ガットの内国民待遇(ガット第3条--自国の人、物、企業に与えるものと同じ権利を他国の人、物、企業に与えるというも
の。俗に自由化原則といわれる)という考えは、主として工業製品に適用され、農産物のように、自然的条件の大きな違いのあるものは、関税で調整すればすむ
問題であるというのが当初の考えであった。ガットの対象とするのは工業製品で、農産物は事実上対象外だったのである。
だが、アメリカが国際競争において強者の地位から落ちるにつれて、アメリカは、内国民待遇の原則を相互主義に変えだした。日本はアメリカにならい、農産物の関税を下げるべきである、等々である。
そして、ガットに代わるWTO(世界貿易機関)が交叉的報復措置を認めると、ガットとは反対に、アメリカ議会は直ちに批准した。農業分野での保護主義が相手国にあれば、工業製品分野で報復を行うことができる。これが交叉的報復措置であり、これがアメリカの経済外交の武器となると考えたからである。わが国の財界は、これに怯え、農業を犠牲にする道を選びだしたのである。
◇ウルグアイ・ラウンドでの日本の失敗
ウルグアイ・ラウンド農業合意で、わが国は大きな政策上の誤りをおかした、と私は思っている。それは当時、経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部参事官としてパリにいた篠原孝(その2)・現民主党議員がよく知っているところである。ミニマム・アクセス(関税を認める代わりに最低限の輸入量の義務づけ)要求に、項目変更で対抗すればよかったのである。
米とか小麦とかトウモロコシとかに細分せず、「穀類」とするならば、大量の小麦、トウモロコシの輸入をしている日本は、米のミニマム・アクセスを行わな
くてよいという主張である。米は世界市場では、わずかな、とるにたらぬ貿易商品であり、多国間交渉というウルグアイ・ラウンドの場で問題になるものではな
かった。だがアメリカは、クリントン大統領の選挙区アーカンソー州の米を日本に輸出したがっていたのである。当時、ガットの責任者が来日し、日本で米問題
が大問題になっているのに驚いていた。現状を続けるつもりだったからである。
米が国内で過剰なのに、輸入を義務づけられ、現在、1200万人が1年間に食べる量の米を加工用として輸入している。明らかに選んだ方策は愚挙である。対米従属外交のもたらしたもの以外ではない。
◇TPPか、東アジア共同体か
それから17年、問題はさらに飛躍した。2010年11月の上旬から横浜で開かれた環太平洋経済連携協定(TPP)の会議である。TPPはまず4カ国
(シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイ)で発足し、ついで参加を表明したのは、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアで、
日本は協議を開始し、中国、カナダ、フィリピンが会議に参加予定と報じられた。本当に中国が加わるかどうかはわからない。
一見、TPPは地域的にもバラバラで、EUのように地域的なまとまりのうえに共同体に進む可能性はない。また、EUのように、アメリカを中心とする経済
圏に対抗する経済圏でもない。その点で、故森嶋通夫ロンドン大学教授にはじまり、谷口誠元国連大使・OECD事務局次長が提唱している東アジア共同体でも
ない。
谷口氏はその著書『東アジア共同体』(岩波新書)で次のように書いている。「私は日本が21世紀において、躍進するアジアと共に、そしてアジアの中核と
して歩むことを切に希望する。そして21世紀に日本がさらなるアジアの発展と安定に貢献し、同時に日本自身が発展し、安全を確保するための道でもある。そ
のためには、これまでの安易な対米一辺倒の外交姿勢を改め、対欧州外交も視野に入れ、より自主的な、多角的な外交を展開していかなければならない」と。
対米対等外交を主張する政治家ならば、東アジア共同体を選ぶだろう。こと農業についてみれば、零細農という点で日本と同じ中国があり、そのうえでの協調政策が考えられることになろう。他方、TPPは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカという畜産国、大農法の農産物輸出国が並んでおり、その発端は農業と関係のないシンガポールが主導したのである。しかもそれはすべての関税引き下げ、いや全廃をはかろうというものなのである。零細農をかかえる中国がTPPに加わるはずがない。
日本への工業製品の輸入はほとんど無税である。関税全廃でも怖いものなしであろう。他方、相手国の全廃は望むところ。日本経団連がTPP参加に全面的賛成の理由である。だが農業は関税で生きつづけている。米、肉、乳製品等である。どうなるのか。
菅首相は、突如、外国に向かって、日本は第2の開国であるとして、TPPへの参加、つまり関税引き下げを宣言した。突如という点で、参議院選時の消費税
引き上げ宣言と同じである。菅内閣による「新成長戦略」が、経団連の意向を受けた経済産業省的発想であったように、これも同省の発想であろう。特定官庁の
考えに、他省が反対しないようにする手段が、政治主導の名の下で閣議決定するという手法であることも、同様である。日本農業はどうなるのか。
農家・農業対策を別にうつと菅首相はいう。泥縄で「農業構造改革推進本部」を作り、農政を改善するのだ、と。新聞報道によれば、それは生産性の向上、規
模拡大である。農水省は、民主党の主張である戸別所得補償方式(平均価格と平均コストの差を補償するというもの--これは国際ルールで認められている)を
前面に出したうえで、菅首相におもねり、専業農家中心の規模の拡大をこれに加えている。
ウルグアイ・ラウンド農業合意の時、自民党はこうした専業農家の規模拡大という考えで6兆円を投じたが、効果なく、受益者は農家ではなく、主として建設業者だった。
自民党の石破茂政調会長は、民主党の戸別所得補償方式に反対することを明言し、あいかわらず従来の路線である専業農家支援強化の政策を主張している(『朝日新聞』10年11月11日付)。
◇対抗力としての国内フェアトレード
私は11月のはじめ、宮城県の大崎市の、文字どおり米どころの農村を見ることができた。見渡すかぎりの水田--そこで説明をしてくれた農業耕作のリー
ダーが、5町歩(約5ヘクタール)の米を作る兼業農家だった。米作5町歩ではやっていけません、という答えなのである。私がこの地で知った米作専業農家
は、約10町歩を耕す人1人であった。専業米作者がどれだけいるのか。
日本が構造改善で規模を拡大しても、前述したアメリカの米作とは競争にならない。自然的条件の差はいかんともしがたいのである。土地制約性のない農業な
らば問題はない。現在日本の鶏卵の小売値は、中国より安いのである。土地制約性を無視し、構造改善とか、生産性を上げるとかいう考えは、現実の政策として
は力を持たないのである。
専業農家比率が高いのは、果樹、野菜を除けば畜産である。もし関税が全廃されたなら、日本の畜産は崩壊するだろう。商品として残るのは、米にしろ肉にしろ、高品質のものと、果物・野菜栽培農家であろう。
規制緩和し、農業以外からの参入によって日本農業を再生する、と口にする人もいる。例外的な野菜栽培工場を除くならば、それは画に描いた餅である。歴史をみれば、かつて農業も工業のように大型機械化し、資本主義化が進むと考えた時期もアメリカにはあった。しかしアメリカの歴史が示したのは、最適なのは、大型家族農経営だということであった。資本主義的経営が根づかなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。
農業において、資本主義の発展があるものとして、これに対抗しようとしたソビエトの農業集団化、それに基づくコルホーズ・ソフホーズが失敗したのも、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。規制緩和論の、農業以外からの資本の導入を……は、イデオロギー以外の何物でもない。
政策のひとつとしては、経済産業省や経団連の主張のように、農業を海外との自由な競争にゆだね、崩壊するものは崩壊させ、日本の産業を比較優位に移すこ
ともありうる。だが、国際政治の現実においては、ある程度の食糧の自給がないならば、対抗力を失い、他国に従属せざるを得なくなる。シンガポールのような
農業がなきに等しい国に、大国は存在しないのである。TPPを主導したのは、このシンガポールであることを忘れてはならない。
さらにいうならば、農業保護を行っていない先進国はない。
国際政治の現実をみれば、農業保護政策は行われなければならない。問題はその内容である。戸別所得補償方式は、その成否を決める実施方法に難しさがある。加えて参議院での少数与党の現状では、それが賛成を得ることは難しい。いや、TPPそれ自身が議会を通らないだろう。
可能なのは、日本農業に大きな打撃を与えない国との間の2国間協定で、TPPにならい、関税をゼロに向けていくというものである。それのみが現実的であろう。
問題なのは、時間をかけて国内農業を戸別所得補償で整備し、これを定着させ、そのうえでTPPへの参加を表明するのではなく、突然第2の開国を口にし、これから国内農業政策をさぐるという菅首相の政治手法である。それは、矛をまじえた後にあわてて鎧を着ようというようなものである。このような首相の下では政権交代のメリットは生まれず、次の選挙で民主党は大敗するに違いない。
前述した11月の宮城県訪問で、私は地元のおいしいご飯をいただいた。その米は、市価(60キロ=1万3000円)より高い2万400円で、鳴子温泉のホテルや仙台駅の駅弁屋が契約して買いとっているという。しかも生産費と価格との差は、地元の農業振興の資金にしている。私はこれを国内フェアトレードと呼んだ。
日本の農業関係者は、日本の政治家には期待できないかもしれないことを覚悟し、自分たちで自らを守る体制を作らなければならない。生産者と消費者を縦につなぐ組織の構築である。
ガルブレイスは、経済の調整メカニズムに競争を加え、「対抗力(countervailing power)」を対置した。市場原理主義にもとづく競争
原理に対して、対抗力による国内フェアトレードである。そしてそれは、やがて拡大され、アメリカの市場原理主義に対抗する、国際的ルールになっていかなけ
ればならない。
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