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2010年11月

2010年11月29日 (月)

クリスマス・ツリー爆破テロ策謀で、FBIに仕立てられた無知なカモ

Kurt Nimmo

Infowars.com

2010年11月27日

連中は我々の自由のみならず、クリスマス・ツリーをも憎んでいるのだ。あるいは少なくとも、それがオレゴンのFBIと警官が皆にそう信じさせようとしていることだ。

連中は、我々の自由のみならず、クリスマス・ツリーをも憎んでいるのだ。

“米連邦検事事務所によれば、FBIは、金曜の晩、ポートランドのパイオニア・コートハウス・スクエアで、例年の市のツリー点灯式前に、爆撃テロの企みを阻止した”と、オレゴニアン紙は報じている。“コーバリスの男が、爆弾を爆破させる狙いで、サウスウエスト・ヤムヒル・ストリートとシックスス・アベニューの広場の角までライトバンで乗り付け、爆弾を爆破しようと試みた。”

19歳のソマリア生まれの米国人、モハメド・オスマン・モハムドは、FBIに多少手助けしてもらっていた。“逮捕は、長期間にわたる秘密作戦の集大成であり、その間、モハムドは、彼の爆弾テロ策謀とされるものを作りあげながら、何ヶ月も監視されていた。”

今やお馴染みのパターンの繰り返しで、FBIは、モハムドに、自分たちは爆弾を作っているのだと語ったのだ。彼等は、はるばるオレゴン州、リンカーン・カウンティの辺鄙な場所まで旅行し、来るクリマス・ツリー攻撃の実験として、バックパックに隠された爆発物を爆破した。彼が自分の間の抜けた行為を説明するビデオを撮影すると決めた際、FBIは熱心に、この鈍いカモを支援した。

モハムドとFBI工作員は、ポートランドで会う事に合意し、そこでモハムドは、FBI工作員に、オンライン・マガジンのジハド・リコレクションズに掲載された、アメリカの異教徒やら、クリスマスでどんちゃん騒ぎをする様々な連中やらに対する聖戦を唱導する記事は自分が書いた、と語ったとされている。

FBIに煽られたモハムドの精神障害的な妄想は、自分の下着に点火し、デトロイト上空で、旅客機をあっと言わせるやり方で墜落させようと計画したといわれるナイジェリア人、ウマル・ファルーク・ ウブドゥルムタラブのせいとされるクリスマス当日の爆破未遂事件を彷彿とさせる。

FBIの供述書によれば、モハムドの馬鹿げた爆弾策謀は、2009年8月に、彼がテロ活動に関与しているという、見知らぬ海外の友人から電子メールを貰って始まった。2009年12月、得たいの知れない友人がパキスタンの辺境州に居た間、モハムドと友人は、モハムドがパキスタンに旅をして、激しい聖戦に参加する可能性について論じていた。

パキスタンの諜報機関ISIは、CIAの監督のもと、ジハド・テロリスト集団を生み出し、運営していることで悪名高い。2009年末、ISI長官のアフマド・シュジャ・パシャ将軍は、CIAのボス、レオン・E・パネッタに、彼の巨大スパイ機関が、パキスタンで、テロ集団とされるものの創出と運用に関与しているという“いくつか極めて機密な動かぬ証拠”をつきつけた。“一部の札付き過激派集団や、彼等が過去数週間、数ヶ月間に遂行したテロ活動に対し、アメリカが秘密に支援している事例にまつわる証拠がパネッタに突きつけられた”と、ザヒド・マリクは、パキスタンのオブザーバー紙に書いている。

イスラム教徒テロリストの元型を作り出すというCIAの企みは、ソ連-アフガニスタン戦争後、 カーター政権時代、当時の国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーによって始められた、CIAによる秘密計画の一環である数十億ドルの企みとして浮上した。CIA工作員オサマ・ビン・ラディン、別名ティム・オスマンは、今後現われる、あらゆるイスラム教徒テロリストや、異常な自爆テロ犯のお手本として機能するだろう。モハムドのミドルネームが、オスマンだというのは興味深いことだ。

モハムドは、携帯電話のボタンを押す瞬間まで何が起きているかわかっていなかった。彼は、それでポートランドのクリマス・ツリーが吹き飛び、異教徒を殺害できると思っていたのだが、そうではなく、警官を呼び込んでしまった。“検事達によると、取り押さえられた後、‘アッラーフ・アクバル!’つまりアラビア語で‘神は偉大なり!’と叫びながら、モハムドは工作員や警官を蹴ろうとした”とインデペンデント・オンラインは報じている。

“アメリカに帰化したコーバリス在住のモハムドは、大量破壊兵器を使おうとしたかどで起訴されており、最高刑は終身刑だ。出廷は月曜日に予定されている。彼にまつわるいくつかの詳細情報は、金曜遅く入手可能になった。”

“脅威は実に現実的でした”オレゴンのFBI捜査官アーサー・バリザンは語っている。“我々の捜査で、モハムドは極めて大規模に攻撃を進めようと固く決めていたことがわかっています。”

多数の人々に重傷を負わせたり、殺害したりしようと、固く決意している錯乱して頭のいかれた連中には事欠かない。とはいえ、テロという詐欺を極力長く引き延ばしておきたいと固く決めている政府にとって、特に役立つ連中は極めて稀だ。グローバル対テロ戦争という仕組みの、 見え透いたまねごとを動かし続けておくには、カモや間抜けが、絶えず必要だ。

しかも特別なカモが必要だ。対大魔王戦争の上で、クリマス・ツリーを爆破することに、論理的な意味があると考える聖戦戦士がパキスタンにはいると信じ込むという思い違いができるタマが。FBI捜査官が、イスラム教徒テロリストであり、アル・カーイダとして知られている荒唐無稽なものが、実際、グローバルなテロ組織であり、ムジャヒディン・データ・ベースの名称から名付けられた策略ではないと信じ込むほどの、とんまが。

記事原文のurl:www.infowars.com/clueless-patsy-set-up-by-fbi-in-christmas-tree-bombing-plot/

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これから強化されるためだろう、TSA(米運輸保安局)によるボディ・スキャナーやらセクハラまがいの?身体検査やらに対する批判記事が目立つ。

たとえば同じinformarsに激烈なタイトルで、Paul Cleig Roberts著の11月24日記事がある。

TSA Gestapo Empire 話題には、トラック爆弾も登場している。

democracy.nowにも、下記レポートがある。(ただし、まだ英語)

空港で新たに採用される運輸保安局(TSA)のボディスキャンと厳しいボディチェックに全国で非難の嵐

当然この施策、属国にも及ぶだろう。宗主国のように批判があがるか否かは別の話。

2010年11月27日 (土)

プーチン、ドルを見限り、ユーロを支持

プーチン - ユーロは世界の準備通貨であるべきだ

ロシアとドイツは経済協力を劇的に強化すべきだ。それがベルリンで開かれたビジネスのフォーラムに出席したドイツの一流実業家達へのロシアのウラジーミル・プーチン首相のメッセージだった。

ビデオは2010年11月26日に投稿

 

プーチン: ロシアはいつの日かユーロに参加するだろう

Louise Armitstead

2010年11月26日

"The Telegraph"

ウラジーミル・プーチンは、ロシアがいつの日かユーロ圏に加わり、世界の準備通貨としての米ドルをしのぐような通貨を生み出す"可能性は大いにある"と語った。

ドイツにおける会議での演説で、アンゲラ・メルケル首相との会談の為に訪独中のロシア首相は、現在の国家債務危機にもかかわらず、ユーロは安定化し、強くなると確信していると語った。

彼はいった。"はい、問題はあります。しかし欧州中央銀行とヨーロッパ経済の主要政府による経済政策により...ユーロの安定性は保証されるだろうと確信しています。"

彼はこう付け加えた。"ポルトガル、ギリシャ、アイルランドに問題があり、ユーロが多少ぐらついているのは知っています。全体的に見て、ユーロは、信頼できる良い通貨であり、準備通貨としての地位、役割を占めるべきです。"

将来のユーロ圏におけるロシアの役割について質問されて、プーチン首相は答えた。"いつの日か、ロシアがヨーロッパとの共通通貨圏に入ると想像できるかですか? ええ、大いに可能性はあります。"

同じ会合で演説したドイツ銀行最高経営責任者のヨゼフ・アッカーマンは、プーチン首相への同意を表明し、ロシアがヨーロッパの共通通貨に加わることは想像できると述べた。

プーチン首相は、過去十年間、ドルに依存してきたが、ドルが世界経済を不安定にしている現状では、バランスが取り戻される必要があると述べた。"世界唯一の準備通貨としての、ドルの過剰な独占から、我々は脱皮すべきだ"と彼は語った。

しかし、ロシア首相は、エネルギー供給・流通の透明度を高めることを意図したヨーロッパの法規には批判的だった。エネルギー市場自由化を目指す、欧州連合の"Third Energy Package"は、投資を妨げる、下品な"泥棒"だと彼は主張した。この政策はロシア国営の巨大ガス会社ガスプロムのヨーロッパ資産価値を切り下げる、とモスクワは主張している。

プーチン首相は述べた。"ヨーロッパと北米の、我々のパートナーから良くこう言われます。'もしも、文明国のグローバルな家族の一員になりたければ、上品にふるまわねばならない。'それなら、これは一体どういうことでしょう? 我が同僚諸氏は基本原則を忘れたのでしょうか?"

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article26917.htm

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時事ドットコムに、下記の関連記事がある。

ロシア、来年にもWTO加盟=プーチン首相が見通し

また、「中露が自国通貨決済で合意、米ドルの立場を脅かす」という記事によれば、両国、貿易決済にドルではなく、自国通貨を使うことに合意したという。

2010年11月25日 (木)

チャルマーズ・ジョンソン氏の冥福をお祈りする

"チャルマーズ・ジョンソン氏が亡くなった。スティーヴ・クレマンズは、ワシントン・ノートに、彼への長い賛辞を書いている。アメリカ帝国に対する優れた評論家になる前に、彼には長い経歴があるが、彼が私の世代の人々に良く知られているのは、この批判ゆえにだ。彼と彼の主張は惜しまれよう。" ダニエル・ラリソン

"現在のアメリカ合州国は、北米で最も見事な滝の上流、ナイアガラ河を行く観光船のようなものだ" とジョンソンは警告した。"乗客のごくわずかの人々には背景のわずかなシューという音が聞こえ始め、メガネが、空中のかすかなもやで曇るのが見え、河の流れが多少速くなったのに気がついている。だが岸に向かうには、もう余りに遅すぎることには、誰も気がついていないようだ。中国、オスマン帝国、ハプスブルグ帝国、ドイツ帝国、ナチス、大日本帝国、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルや、前世紀のソ連帝国同様、我々は巨大な滝の淵に近づきつつあり、まさに滝に落ちようとしているのだ。"

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『アメリカ帝国への報復』(邦訳題名)、『アメリカ帝国の悲劇』(邦訳題名)と、『ネメシス: アメリカ帝国最後の日々』(邦訳無し)の著者のチャルマーズ・ジョンソンは、文字通り、アメリカの覇権という概念について本を書いた。元海軍将校で、元C.I.A顧問だった。

この独占インタビューを見れば、なぜ帝国建設という慣行が、決して過去のものでないのかが分かるだろう。アメリカ合州国が地球中に軍事力を拡げ続ける中、我々一人一人がその結果に苦悩しているのだ。

チャルマーズ・ジョンソン、アメリカの覇権を語る

Chalmers Johnson on American Hegemony

Speaking Freely - Chalmers Johnson on American Hegemony on Vimeo.

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article26897.htm

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チャルマーズ・ジョンソン氏が11/20に亡くなった。

おりしも、彼が非常に気にかけていた沖縄の、知事選挙直前。

彼の「アメリカ軍はなぜいまだに沖縄にいるのか?」、1997年4月の記事だ。

上記インタビュービデオ、リンクが切れているようだ。例えばhttp://videosift.com/video/Chalmers-Johnson-on-American-Hegemonyをご覧頂きたい。

今年春には、下記文章を書いておられた。

元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言
「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」
独占インタビュー チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所(JPRI)所長

「米軍基地など不要」という当たり前の世論が高まる中の沖縄知事選直前に、またしても、なんとも好都合な朝鮮半島紛争。これで、流れを変えるのが、黒幕の狙いだろうと、と勘繰りたくなる絶好のタイミング。

韓国は実弾を使って(地図を見れば、北朝鮮の近くで)「演習」していた、と英語版Yahoo記事にはあった。日本の報道では、当然ながら、この話ほとんどみかけない。

余りに絶妙なタイミング!同じく、今年亡くなったハワード・ジン氏の下記講演もお読みいただきたい。

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

2010年11月22日 (月)

もしもNATOがアフガニスタンで敗北したらどうなるだろう?

Eric S. Margolis

2010年11月17日

www.ericmargolis.com

61年の歴史をもつ協定、世界で最も強力な軍事同盟NATOが、戦った唯一の戦争に敗北しかねないというのは驚くべきことに思える。兵士、重爆撃機、戦車、攻撃型ヘリコプター、多数の傭兵や、電子機器が、軽武装のアフガニスタン農民や山地部族民の連中に打ち負かされつつあるのだ。

今週末のリスボンにおいて、NATOの加盟国28ヶ国は、アメリカ合州国、カナダとヨーロッパにおける世論が、この戦争に反対し続ける中、アフガニスタン戦争を巡り、深刻化する不一致に直面する。

バラク・オバマ大統領は彼がアメリカ外交政策の全責任者ではないことを、またもや痛々しく示してしまった。来年7月一部の米兵をアフガニスタンから撤退させ始めるという彼の約束は鉄面皮にも、嘲笑的な程に、アメリカの将軍達によって否定され、議会によみがえった共和党によって強烈に反対された。まず誰も大統領の撤退期日を信じていない。

オバマはベンヤミン・ネタニヤフ首相にひれ伏したばかりだ。アメリカの先進的なF-35ステルス戦闘機、国連投票の約束、イスラエルが使用するためのアメリカの兵器備蓄額を10億ドルに増やすといった、ワシントンからの何十億ドルものワイロと引き換えに、短期で形ばかりの入植地建設凍結をするよう、彼はイスラエルの指導者に懇願したのだ。アメリカ大統領がここまでひどくこびへつらうのは稀なことだ。

イスラエルは、オバマの賄賂を受け取る可能性が高いが、それも更に多くのワイロと、イスラエルに干渉するなという警告として、一体誰が本当にアメリカの中東政策を運営しているのかを示すべく、オバマが更にこびへつらうせずには済むまい。イスラエルによるヨルダン川西岸の植民地化に異議を唱えた最後のアメリカ大統領、ジョージ・H・W・ブッシュは、大統領を一期務めた後、1992年に失脚させられた。

オバマはアフガニスタン戦争から抜け出したがっているように見える。月に75億ドルかかる戦争に更に30,000人の兵士を派兵するという、彼の最後の賭けは、今のところ待ち望まれる決定的勝利をもたらし損ねている。だが、ペンタゴン、軍需業界と共和党を含む強力な戦争支持派集団が、戦争を段階的に縮小しようという、オバマの弱体化した企みを阻止している。

アフガニスタン戦争を支持した、アメリカ、カナダとヨーロッパの政治家達は、この戦争が、人命と資金の膨大な浪費であることを認めるのを恐れている。彼らの政治的経歴は、不安定な状態にある。

ワシントンの最も従順な同盟国という、イギリスのトニー・ブレアの役割を継ごうとしているカナダ首相は、900人のカナダ兵士は、彼が決めた撤退期限の後も、"訓練"という名目で、アフガニスタンに駐留し続けると発表した。

これはもちろん、アフガニスタン傀儡政権を権力につけておくため、永久駐屯地として居座り続けることの新たな婉曲表現だ。"訓練"というのは、イラク駐留アメリカ軍と同様、実際には、いにしえのイギリス支配用の現地人兵士を、白人将校指揮下に置くことを意味している。

アフガニスタン戦争の継続に反対したり、この戦争を正当化する多くの嘘を暴露したりした、カナダ人ジャーナリストは、皮肉にも、アフガニスタンでは、"民主主義"のために戦っているのだと主張するハーパー政府の圧力のもと、所属する新聞社から追放された。

アメリカが、更なる戦争と借金に突き進む中、ヨーロッパの同盟諸国は、アル・カイダ基地を壊滅するための限定的"政治的行動"であったはずのこの戦争にうんざりしている。

それどころか、ヨーロッパは、アフガニスタンのパシュトゥーン族に対する全面戦争に入り、19世紀の植民地"宣撫"という不吉な記憶がよみがえった。

フランスの新国防相アラン・ジュペは、あからさまに、アフガニスタン戦争はNATOにとっての"罠"だと発言し、出口戦略を要求している。彼は実に正しい。

対照的に、イギリス軍参謀総長サー・デヴィッド・リチャーズ大将は、"NATOは、今や30から40年の役割を計画する必要がある。"と警告した 要するに永久占領だ。少なくとも帝国主義陣営にとっては、それが結論だろう。中央アジアの資源が本当の理由だ。

アメリカが就かせたアフガニスタン大統領ハミド・カルザイは、重大な民間人死傷者を生み出し続けている軍事作戦と夜襲を縮小するよう、アメリカに要求している。ワシントンは、カルザイは精神的に不安定なのだと反撃している。彼は、ワシントンがふさわしいパシュトゥーン族の後釜を見つけ次第、打倒されるべく運命づけられている。

アフガニスタン侵略に対するアメリカの根拠は、アル・カイダを壊滅させることだった。しかし、CIA長官レオン・パネッタは、アフガニスタンに残っているアル・カイダ隊員は、せいぜい50人程度にすぎないことを最近認めている。残りのわずか数百人は何年も前にパキスタンに逃亡している。

すると、110,000人の米軍兵士と40,000人のNATO兵士は、アフガニスタンで一体何をしているのだろう? 国造りでないことは確かだ。大半の報道が、アメリカ侵略以前より、アフガニスタンの悲惨な貧困は悪化していることを示している。

リスボンにおいて、陳腐な言葉やら模造の楽観主義が満ちる中、巨大な米軍ブルドーザー、破壊チームや砲兵隊が、パシュトゥーン族の本拠地カンダハル周辺にあるアフガニスタン人住宅地の広大な一帯を跡形もなくすのに多忙を極めている。2006年、手に負えないイラクの都市ファルージャを壊滅させるため、米海兵隊が同様な冷酷な作戦を遂行した。

アメリカは、アフガニスタンとイラクで、占領したヨルダン川西岸に対してイスラエルが用いているのと同じ、懲罰戦術を用いている。懲罰の為の標的暗殺、暗殺部隊と、射撃できる範囲を拡げるための建物や地域全体の破壊だ。実際、アメリカ軍は、そうした作戦において、イスラエル人顧問に指導されていることが多い。

カンダハルの大部分の破壊は、アメリカの挫折感と戦争に敗北しつつあるという意識が高まっている印だ。アメリカの現地総督デービッド・ペトレイアス大将が語った狙いである現地人の心を、これによって掌握することなど、まずできまい。

彼以外のペンタゴン連中と同様、ペトレイアスは、強力なアメリカ軍は、アフガニスタンの部族民に敗北してはならないと固く決めている。敗北の屈辱は到底耐えがたいのだ。アフガニスタンにおける敗北は、世界の軍事支出の50%を消費する巨大怪獣リバイアサン、膨張したアメリカ軍の大幅削減という要求を招きかねない。

ワシントンのいわゆる国家安全保障権力集団(イギリスでは、彼らは"帝国主義者"と呼ばれている)アフガニスタンで失敗すれば、NATO同盟そのものを弱体化させかねないと恐れているのだ。

断続的で、骨を折りながらとは言え、ヨーロッパは世界の列強としてゆっくりと再浮上しつつある。北アジアで、同じ役割を果たしてきた日米安全保障条約と同様、NATOは、1940年代末以来、アメリカが西欧を地政学的に支配する為の主要な手段であり続けてきた。

アメリカと、気乗りのしない同盟諸国とが、アフガニスタン戦争で敗北すれば、同盟の意義に対する疑問を呼び、ヨーロッパが、アメリカの支配から独立した統合軍を構築するのを加速する可能性が高い。そうなれば西欧に対するアメリカ支配が終わってしまおう。

それが、アフガニスタン問題が、ワシントンの右翼をひどく狼狽させる理由だ。1989年のアフガニスタンにおけるソ連軍の敗北でソ連帝国の崩壊が始まった。アメリカ統治を、同じ運命が待ち受けているのだろうか?

記事原文のurl:www.ericmargolis.com/political_commentaries/what-if-nato-is-defeated-in-afghanistan.aspx

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とうとう、この国の軍隊、医官、看護官をISAFに派遣する。現地傀儡軍・医療関連隊員育成のための教育訓練が目的だという。既に武官は駐在しているから「参戦」強化だろう。

マスコミやら野党側という触れこみの共同体・自民党、もっぱら法相の辞任やら、暴力装置発言ばかり書く。日本の暴力装置「参戦」強化については全く語らない。

国会論戦での元アナウンサー議員の辞任問題追求も、ひたすらむなしい茶番にしか思えない。アフガン参戦強化問題を追求してくれれば、あるいは一票、投じないでもないが。

「アフガン 自衛隊派遣」で調べたところ、2010年11月18日(木)しんぶん赤旗記事があった。一部を引用させて頂こう。

「どんな法的根拠で派遣するのか」と質問しました。

ISAFがタリバン掃討を行っている軍事部隊であり、ISAFの文書に、派遣された医官の行う活動が「戦場での初期治療」と明記されていることをあげ、「戦闘行為と密接に結びついたものだ。憲法に違反する」と批判しました。

多くのNATO加盟国がうんざりする中、北アジアで、同じ役割を果たしてきた日米安全保障条約に束縛され、一周遅れで参戦の度合いを高める、不思議に忠実な属国日本。かくして多くのブロガーの皆様が期待される豪腕政治家氏のISAF派兵の意思は着実に貫徹されつつある。

中村哲医師たちのような完全丸腰の民間支援以外すべきでないだろうに。

貧しい家計の一助、スーパー・チラシが読みたいばかりに講読している新聞、今日の夕刊題字下に、こういう文章があって、びっくり。

しょせん我々はこの程度の大臣しか持てない国民なのか。こちらが自虐の淵に落ちそうだ。

「大本営広報部のあなた方にだけには、そんなことを言われたくない」と思うものだ。

しょせん我々はこの程度のマスコミしか持てない国民だ。こちらはとうに永遠の自虐の淵に落ちている。

2010年11月19日 (金)

NATOの"新"戦略概念:旧ユーゴスラビアは舞台稽古の場だった

Zivadin Jovanovic

Global Research, November 17, 2010

Belgrade Forum for a World of Equals

2010-11-16

11年前の(旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の)セルビアは、リスボン会議において公式に承認される予定の、いわゆるNATO戦略・新概念の実験台で、最初の犠牲者だった、ことをNATOリスボン・サミットを前に想起する必要がある。

NATO加盟諸国の指導者達は、何よりまず、自らの領土を超えて、事実上、世界中で、軍事行動を企てることを"自ら再認する"ことが予想される。

特定の地域、特定の国家において、経済、エネルギー、貿易、航路等、NATOの権益が脅かされているのだと、彼等が主張さえすれば良い。NATOは国連安全保障理事会の承認を求めることはしない。NATOは勝手に行動するのだ。NATOは、自ら国連、全欧安保協力機構(OSCE)や他の全ての国際機関よりも上位のものとして振る舞うのだ。負担と課題を欧州連合とで分け合うことが新たなNATOの戦略概念の柱石だ。

この概念は、1999年に(旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の)セルビアで公然とテストされた。“NATOは、遠征作戦を行うという要求に対し、今や十年以上の経験を有している”と、最近リスボン・サミットで採用される予定の21世紀NATO戦略の背景を説明して、ミシェル・フルールノアは語った。“十年を超える経験”の中には、1995年のボスニアやヘルツェゴビナにおける内戦へのNATO介入、2001年のアフガニスタン占領や、2003年のイラク占領も含まれよう。

こうした米-NATO“遠征作戦”の結果は一体何だっただろう? 何という人命損失、不安定化、治安悪化、財政的、経済的後退、そして永続する貧困、犯罪増加という点で、何という損失だろう?

幸にも?米-NATO“遠征作戦”の犠牲となったバルカン半島諸国、アフガニスタン、イラクや他の地域は、今日、かつてより安定化し、経済的に進んだだろうか?

他の地域や他の例はさておき、セルビアに対する72日間の継続的軍事侵略の間、NATOは、何千人もの死者をもたらし、約10.000人が負傷したが、その三分の二は一般市民だったことを思い起こそう。経済は完全に破壊され、劣化ウラン兵器の使用によって、環境は汚染された。数十万人の人々が退去させられた。今日ですら、ベオグラードの中心部の建物には、廃墟のままのものがあり、コソボやメトヒヤから避難した200,000人以上のセルビア人は家に戻れずにいる。

NATO諸国は、セルビアからの、コソボとメトヒヤの一方的で違法な離脱(2008年)を支持した。ある意味、彼等は、1999年の攻撃後、自らが作り出した違法な国家構造の承認へと進んだのだ。

1990年代、多くのNATO諸国はテロリストのKLAを資金援助し、訓練し、武器を与えていた。その見返りに、NATOが侵略した際、KLAはその地上部隊となった。現在NATOは元KLAのテロリスト分子で構成される違法なコソボとメトヒヤの違法な軍隊に武器を与え、訓練し、資金を与えている。アメリカ、イギリス、ドイツとトルコがこのプロセスを率いている。

コソボとメトヒヤが、多くの国々によって、"NATOスタン"、つまりNATOの属国、あるいは麻薬国家と見なされているのも不思議ではない。

この関連で、コソボの“ボンドスティール”米軍基地は、ヨーロッパ最大の米軍基地。約9.000人のNATO兵士が、現在も依然としてコソボを占領しており、この地方は、様々な国際的な犯罪組織と組んで、アフガニスタンから中、北欧に至る、ヘロイン輸送ルートを守る麻薬マフィアにとっての避難場所であり続けている。

NATO侵略や、コソボとメトヒヤの一方的な分離の影響として、この地域は不安定化し、社会・経済的緊張が高まっている。

2010年10月末、セルビア、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(マケドニア)、ギリシャと、モンテネグロのアルバニア人の“代表”が、“自然なアルバニア”を樹立するという協同プロジェクトを正式に立ち上げるべく、ティラナに集まった。何らかの理由で、彼等は"大アルバニア”という言い方はしなかった。すべてのアルバニア人を、一つの国に!というのが標語だった。この集会の前、首相本人を含むアルバニアのお偉方達が、すべてのアルバニア人の統一を訴えたことを想起すべきだ。元欧州安全保障協力機構のコソボ検証団(KVM)のトップで、アメリカ大使のウイリアム・ウォーカーが、2010年11月始めに、コソボのアルバニア人には、アルバニアと合体する権利があるという声明を出した。結局のところ、バルカン半島内の国境を引き直そうという、あからさまな主張が存在しているのだ。

1999年のNATOによるセルビア攻撃や、NATOの戦略全般が、分離主義の台頭、軍事介入の正当化、国連の役割の弱体化、国際法の無視をもたらした。

NATOは、バルカン半島諸国におけるいかなる問題も解決してはおらず、解決できたはずもない。そうではなく、NATOは、バルカン半島諸国を、延々と不安定さが続く地域にしてしまった。アフガニスタン、パキスタン、イラクについても同じことが言える。一体これが、21世紀に、ヨーロッパや世界が、NATOに期待する役割なのだろうか?

Zivadin Jovanovicによる、Global Research記事


 

ご支援に熱く感謝いたします。


免責条項:本記事の見解は、著者のみが責任を負うものであり、必ずしもCentre for Research on Globalizationの見解を反映するものではありません。

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記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=21963

ノーベル賞授賞式に、どの国が欠席するかということが話題になっている。こうした犯罪的な侵略戦争を世界的に推進しているヨーロッパの国がくださる「平和賞」、本当に素晴らしいものなどとは、決して思わない。植民地・属国、あるいは宗主国の、彼等の侵略戦争にとっては好都合な主要人物、という「お墨付き」だと理解している。

日本の勲章とて同じこと。まあ「絶対に何も貰えない貧乏人のひがみ」と言えば、その通り。

ビデオ流出を受け、国会討論で、「日比谷焼き討ち」が話題にされた。この西欧、アメリカの侵略同盟であるNATOの、準?メンバーとして、暴力実力装置が、実戦参加するのも遠いことではあるまい。

そのうち、どこかで戦争をした功績で、外相がノーベル平和賞をもらっても驚かない。

日本、ジブチに大軍事基地を建設: 日本のメディアが報じる

2010年11月15日、月曜日

民主党が率いる政府は"東アフリカのソマリア沖海域での海賊を反撃すべく"ジブチに、自衛隊初めての海外基地となる、大規模な軍事施設を建設中だと「赤旗」は報じた。

日本共産党の新聞によれば、この情報は、日本共産党の衆議院議員、赤嶺政賢氏が提出した質問趣意書に対する、政府の答弁書で、11月2日に明らかになったという。

2009年6月、政府は、二機のP3C哨戒機と150人の海上自衛隊隊員からなる、海上自衛隊部隊をジブチに派兵した。2008年に派遣された二隻の駆逐艦と共に、部隊はアデン湾における対海賊任務に参加している。同紙によると、作戦のための足場として、現在、海上自衛隊部隊は、ジブチ国際空港に隣接する米軍基地を使用している。

「赤旗」は更に"ジブチ政府と土地貸借契約を調印した後、日本政府は、7月に作戦用新基地として、国際空港の北西部地域に、海上自衛隊施設建設を開始した。"と書いている。

政府回答には"47億円の税金を使用して、政府は、住居、整備用格納庫と、事務棟を含む12ヘクタールの施設を建設する計画である。この施設には、飛行機三機を収容できる航空機用エプロンもあり、2011年3月に完成する。"とある。

赤嶺議員は、ジブチで現在建設中である海上自衛隊の新たな施設は“れっきとした軍事基地”だとして批判し、“そのような施設を構築することで、自衛隊は戦後初めて、海外における恒久基地を得ることが可能になる。これは日本国憲法順守の上で極めて重要な問題だ。”と語っている。

彼はまた、多くの国々が軍隊をソマリアに派兵しているとは言え、海賊活動は増加しており、“軍隊は海賊に対する解決策にはならない。”と指摘し、政府がジブチから自衛隊部隊を撤退させるよう要求している

PanOrient News

記事原文のurl:www.panorientnews.com/en/news.php?k=542

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人は、かすみを食べていきるわけにはゆかない。多忙のあまり、翻訳時間がとれず、更新が止まっていた。

元は、今月始めのしんぶん赤旗の記事だろうか。自衛隊、ジブチに恒久「基地」
こうして英語記事になれば、日本人は知らずとも、世界の人々は知るだろう。

これに関する記事、以前に翻訳している。「ソマリア」という、くくりで。

素人がどう考えても、たとえば白鵬連勝ストップより、はるかに大きな問題と思えるが、不思議(いや当然)なことに、大本営商業マスコミには全く載らない。

憲法を破壊し、暴力実力装置が、宗主国の侵略戦争に傭兵として自由に参加できるようになるのが夢であり、命令なのだ。

自国の領土に他国の軍事基地があるのを、「出ていってくれ」というのであれば、「他国にも軍事基地は作らない」のが、独立した国家の正気な人間の辻褄のあう行動だろうに。

属国(の人間)は、宗主国の永久基地があっても、文句は言わない。

属国は、その属国民が仕事もなく困っているのに、えたいの知れない「海賊」なるものの退治に、宗主国の命令で、宗主国の侵略作戦に一緒に携わることを優先する。海外基地建設は、宗主国へのみかじめ料おもいやり予算同様、決して、事業仕分け対象にならない。

衝突事件も映像漏洩も大きな枠組みでみれば、戦争開始のための人心掌握・混乱・洗脳作戦の一つ、『海猿』も『坂の上の雲』も『龍馬伝』も心理作戦だろうと疑いたくなる。

911テロといい、海賊といい、実力装置やら、その装備、つまり殺人システムを開発し、売る、死の商人企業にとって、なんとも有り難く、便利なものに見える。ありがた過ぎる。

追記:2010/11/22 happlylife様から、基地建設経費の間違いについて、ご指摘頂いたので訂正した。happlylife様に、お礼を申しあげる。

編集者、校正者無しの翻訳、多々誤りがあるはず。他の方々も、気づかれた場合には、お手数でも、知らせて頂ければ有り難い。

2010年11月10日 (水)

幻の左翼

Chris Hedges

2010年11月2日

"Truthdig"

アメリカの左翼というものは幻だ。バラク・オバマに、社会主義者というレッテルを貼るために右翼が捻り出し、自分たちの自己満足と不活発さを正当化するのに、リベラル層が利用しているのだ。この幻が、大企業権力に対する注意を逸らせてしまう。この幻が、国民の投票で、影響を与えることができる民主的な制度、政治綱領や国会議員の仕事という神話を永続させてしまう。これが、世界を巧妙に、左右に分裂したままに保つのだ。幻の左翼が、都合のよいスケープゴートとして機能している。右派は、モラルの低下と経済的混乱を、幻の左翼のせいにする。リベラル層は、“中庸”を呼びかけるのに、これを活用している。我々が馬鹿げたことを語って無為に過ごしている間も、大企業権力の機関は、本性を隠し、非情に、吟味もされずに、楽しく、国家をむさぼっている。

アメリカ政治における先鋭的左翼の消滅は、破滅的だ。左翼は、かつては戦闘的な無政府主義や共産主義の労働組合、独立した、反体制的な新聞雑誌、社会運動や企業の後援者の紐付きではない政治家達を擁していた。だが、共産主義者に対する長期にわたる魔女狩り、脱工業化と、グローバリゼーションなるもののユートピア的展望に支持を表明しなかった人々の沈黙の結果として、左翼が消滅したことは、大企業による新封建主義へと、我々が次第に落ち込むのを押しとどめる反対勢力が皆無であることを意味している。この厳しい現実は、とはいえ、心地よいものとは言えない。そこで、マスコミを支配する大企業は、幻の左翼をひねりだしたのだ。連中は、アメリカの瓦解を、この幻のせいにしている。そして、連中は我々に、ばかげたことを語らせるようにしているのだ。

幻の左翼が、今週末、ワシントンのモールで、中心的な役割を担った。幻の左翼は、自身のラリーで、怒りと恐怖を吹き込む避雷針として活用したグレン・ベックのために、立派に活躍した。そして、幻の左翼は、米国国旗色の衣装を着た群衆に語りかけたコメディアンのジョン・スチュワートやスティーヴン・コルベアにとっても、同様に有用であることが証明された。二人のコメディアンは、むしろ無気力と表現する方が適切な「中庸」を擁護するため、リベラル層がいつもしているように、幻の左翼を喚起した。右翼が狂っていて、左翼が狂っているなら、と議論は進む。我々中庸派が妥当なのだ。我々は愛想よくしよう。エクソンやゴールドマン・サックスが、略奪的な銀行や軍需産業と共に、国のはらわたを食いちぎり、人身保護法を含む我々の権利は破棄されてしまったかも知れないが、怒ってはいけない。辛辣になってはいけない。左翼のいかれポンチのようになってはいけない。

“アメリカの憲法を積極的に打倒しようとしているマルクス主義者やら、自分たち自身以外の、他人の人間性は決して認めない人種差別主義者や同性愛恐怖症の人々と、一体どうして協力などするでしょう?”スチュワートは尋ねた。“わが国がどれだけ脆弱か? 破滅の瀬戸際にあるか?対立する憎悪によって分裂させられ、物事をなし遂げるために協力しあえないのは、なんとも残念だ、我々は日々聞かされている。だが本当のところ、我々はそうしているのだ。我々は、物事をなし遂げるために、日々協力をしている。ここ[ワシントン]、あるいは、ケーブルTVそのものに、我々が存在していないのにすぎない。”

集会は、現実味や中味の欠けた政治的メッセージを打ち出した。選挙による政治は、企業献金とロビイストによって買収されてしまっていることや、投票を通して、何とかアメリカをデモクラシーに戻すことができるのだという素朴な信仰は、情緒的カタルシス優先で、無視されてしまった。右翼は憎悪する。リベラル派は笑う。そして国は人質になっている。

ワシントンのナショナル・モールで開催された、Rally to Restore Sanity(健全さを取り戻す集会)は、リベラル層終焉に対する悲しい脚注の一つだった。催しは、ボーイスカウトのジャンボリーと同じくらい人畜無害のものだった。ティー・パーティ運動を支持した人々が表現した痛みや苦悩が、現実であるばかりでなく、正当なものでもあることを認めずに、ティー・パーティ支持者をからかった。支持者達が、リベラル層、特に、企業から金を貰って、労働者階級に背を向けた民主党によって、売り払われてしまったことを受け入れず、共和党を占拠すべく、道徳の沼地から立ち上がった連中を、物笑いの種にした。

憎むのに十分な理由を持った何千万人ものアメリカ人がいるので、フォックス・ニューズのベックと、彼の極右仲間は、憎悪を動員用のエネルギーとして活用できる。そうした人々は、法人国家を運営するエリート達、二大政党、テレビという公的な場を与えられている連中を含め、職が消滅し、賃金が低下し、失業保険が底を突く中、中庸を説き続けるリベラル派擁護者に裏切られている。リベラル層は、中庸という効能の無いセリフを言い続ける限り、右翼の反発に油を注ぎ続けるのだ。リベラル層が、この怒りを自らのものとした時、民主党を含め、権力の確固たる制度に対して、立ち上がった時にのみ初めて、我々は共和党の過激派を阻止するという希望が抱けるだろう。

ウオール街による国庫の略奪、我々の市民的自由の抑圧、何百万件もの詐欺的な差し押さえ、長期的失業、医療費による破産、中東での果てしない戦争と、決して返済など不可能な、数兆ドルに上る債務が、内部崩壊というホッブズ的世界へと我々を押しやりつつある。愛想よく、中庸でいても、役にはたたない。アメリカ合州国を、新封建主義という制度に作り替えることに専心している企業勢力が存在しているのだ。こうした大企業勢力は、おかしなプラカードや、米国旗色服装をした漫画のヒーロー、キャプテン・アメリカのような格好をしたコメディアンやら愛想の良い言葉で押しとどめられることはない。

リベラル層は、道徳的、政治的に束縛されずにい続けるために、政治の中心で暮らしたいと願っているのだ。右翼同様に馬鹿げていて、矮小化された幻の左翼が存在している限り、リベラル層は関与せずにいられるのだ。もしもリベラル層が、我々国民から権力が奪い取られてしまった敗北を認めれば、そして、もしも行動する意思があれば、政治制度の外側で、運動を立ち上げることを強いられるだろう。わが沈滞した民主国家にかろうじて残されたものを救い出そうという試みとしては、リベラル層が、市民的不服従を含む抵抗行動をすることが必要になろう。しかし、この種の政治活動は、莫大な金がかかり、困難で、魂を企業権益に売り渡してしまって、破綻した体制派リベラルにとっては、到底受け入れがたい。そこで幻の左翼が、長らくアメリカに生き続けるというわけだ。

アメリカの政治は見世物に堕している。芸能産業のもう一つの形態なのだ。テレビによってしっかり教え込まれた、ワシントンの集会の群衆は、カメラの前で、それなりの演技するよう仕込まれていた。“家賃は余りに高すぎる(The Rent is Too Damn High)”“本当の愛国者は、意見の違いを乗り越えられる”あるいは“俺は自慰し、投票する”といった類のポスターは、現在の政治論議の空虚さと、テレビのねじけた認識論を反映していた。集会では、もっぱらテレビの不毛な図像と言語で語られていた。集会は、無意味な政治的敬けんさ、音楽とジョークに満ちていた。あらゆるテレビのバラエティ番組と変わらなかった。政治綱領ではなく、有名人連中が売り込まれていた。そしてこれこそが見世物社会の本質だ。

理論家のギー・ドゥボールが指摘したように、現代の見世物は、宣撫工作と非政治化のための強力な手段だ。見ている連中を麻痺させ、自分たちの生活を支配している勢力と、彼等の関係を断ち切ってしまう“永久アヘン戦争”だ。見世物は、怒りを幻に向けて、搾取と不正の犯人どもから、そらせてしまう。見世物は高揚感を作り出す。見世物は、参加者達が、見世物そのものと政治行動とを混同するのを可能にする。

ケーブルテレビ局のコメディー・セントラルの有名人や、フォックス・テレビのくずのような対談番組の司会者連中は、皆ご同業だ。連中はエンタテイナーだ。連中は、想像上の左翼や右翼に関するテレビ番組で、行きつ戻りつの果てしないおしゃべりを推進する空虚で、感情満載の話題を提供する。これは全国規模のパンチとジュディのドタバタ人形劇だ。だが騙されてはならない。政治番組ではないのだ。娯楽番組だ。見世物だ。放送されている、あらゆる国民的論争は、同じ空虚なゴシップ、同じ馬鹿げた些事、同じ有名人達の一巻の終わりやら、同じ奇妙な振る舞いによって動かされている。見せ方こそ、色々とひねってはある。しかし、そういうものは、いずれも理想や真実とは無縁だ。そういうものは、いずれも参考になりはしない。感情を満足させるだけだ。我々が、知識を得て、物事について意見を持つ方向を混乱させるのだ。結局は、このたわごとを提供する連中にとって、視聴率と広告という形での金を巡るゲームに過ぎない。ベックもコルベアもスチュアートも皆同じご主人に使えているのだ。そして、その主人というのは私たちではない。

毎週月曜日にTruthdigに寄稿しているChris Hedgesは、新刊“Death of Liberal Class”の著者である。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/the_phantom_left_20101031/

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話題の集会、素人が遠くから眺めていると、さっぱりわからない。

「幻の左翼」の効用と、最後の結論部分、つまり、宗主国も属国も、等しく同じ空虚なテレビ番組ばかりが大活躍していることは良くわかる。

小生、国会の「論戦」やら「事業仕分け」も、娯楽・洗脳番組だと思って眺め、洗脳されている。

「日教組」、というより日本の「労働組合」を連想した。

2010年11月 1日 (月)

資本主義とチリ鉱山労働者

Cesar Uco、Bill Van Auken

2010年10月29日

アメリカ支配者集団の最も著名な新聞二紙の社説欄が、最近のチリにおける33人の鉱山労働者の救助は、自由市場資本主義の勝利だと、早合点にも主張している。

この件について最も挑発的なのは、10月14日に論説ページ副編集長ダニエル・ハニンガーによる“資本主義が鉱山労働者を救った”と題するコラム記事を掲載したウオール・ストリート・ジャーナルだ。

ワシントン・ポストも、翌日これに続き、“チリ鉱山の救援活動、成功記録の最後をしめくくる”という題名の論説を載せた。

二つの記事の明らかな狙いは、チリのアタカマ砂漠の地下700メートルに、ほぼ70日間閉じ込められた33人の救出作業の成功を巡る世界的な陶酔状態を、イデオロギー的な目的と階級的権益のために利用することだ。

鉱山労働者の窮状を、チリ大統領セバスチャン・ピニェラを司会役にした「のぞき見テレビ」番組の一種のように扱った、チリの出来事にかかわったマスコミ報道に内在していた暗黙の了解を、二つの論説記事が詳しく説明している。鉱山労働者の状況や、彼等を救助するために導入された驚くべき技術的快挙は紛れもないドラマではあるが、そもそも彼等が地下に閉じ込められるにいたった事情は、ほぼ完全に無視されている。

ポスト紙によると、救援の成功は“ [チリ]が、20年間中南米で最も自由な国としてやってきたことに対する報奨”だとしている。同紙の社説は“チリが…自由市場と自由貿易を、隣国諸国よりもはるかに本格的に受け入れてきたことが、必ずしも十分には認知されていない”と認めている。

社説は更に、“閉じ込められた人々を救援するという政治的にリスクが大きい目標を目指すことを、即座に約束した“成功した起業家”セバスチャン・ピニェラ大統領の政権を称賛した。” (おそらくは、ピニェラの、個人的資産を、何十億ドルも貯め込むのに“リスクをいとわない精神”が救援活動のための重要な資産となったのだろう。) “世界に対して、チリが開放的で、起業家精神を奉じているおかげで、効果的に最先端技術を導入することが出来たのだ”とポスト紙は続けている。

ウオール・ストリート・ジャーナルは遠慮せずに語っている。“これは言うべきだ。チリ鉱山労働者救援は、自由市場資本主義にとっての大勝利だと”いうのが同紙コラムの書き出しだ。

筆者は“このような主張をするのは不作法に見えるかも知れない”と認めながらも“現代は不作法時代で、リスクは高いのだ”と付け加えて、自らの主張を正当化している。

更に、コラム記事は言いたい本音を詳しく書いている。公式失業率は10パーセント近くに高まり、資本主義に対する敵意は増大している。“我々は経済的に困難な時代に生きている”とジャーナル紙のヘニンガーは語り“今後は、どの経済学が有効で、どの経済学が有効でないかを理解することが必要だ。”

彼の主張でヘニンガーが依拠する薄弱な根拠は、鉱山労働者に到達するまでの岩に穴を穿つのに使われた、ペンシルバニアの私企業が開発した“センター・ロック社のドリル・ビット”だ。利益という動機だけが、そのような技術を生み出せたのだと推定しているのだ。

もしもチリ鉱山労働者の救出が、資本主義体制の功績だというのなら、そもそも彼等を地下深く閉じ込められたままにし、当初は死んだものとしてあきらめた原因は、一体どのような経済体制だったのだろう?というのが、分かりきった疑問だ。

それを言うなら、昨年、31人のチリ鉱山労働者を死に至らしめ、世界中で12,000件以上の鉱山災害をひき起こした体制は、いったい何だったのだろう?

質問そのものが答えだ。資本主義、安全コストを削減し、鉱山労働者や他の労働者の生命を危機に曝すことで、利潤を最大化するという冷酷な動因に基づく制度だ。

ジャーナル紙もポスト紙も“自由市場資本主義”と“起業家精神”が、鉱山労働者の救出における中心的な要素だと主張する一方で、救出作戦が実は1971年に、チリ社会党出身の大統領サルバドール・アジェンデが、私企業だったものを国有化してできた、チリ国営銅採掘企業コデルコが、指揮し、大半の資金を出したものであることを、両紙は都合良く無視している。鉱山労働者が、長期にわたる試練を、元気に生き続けられるようにするための主要な助言は、アメリカ政府の航空宇宙局NASAによるものだった。

鉱山労働者の生存にとって、より重要だったのは鉱山労働者自身の行動だった。資本主義自由市場における弱肉強食の個人主義とは、著しく対照的で、対立する強力な団結と集産主義が、彼らの行動の特徴だ。

最初のドリルが彼等に到達するまでの17日間彼等が、生き延びることを可能にした飢餓的な割当量公平な分配は過去強いられていただけではない。彼等が救助されて以来、このやり方を続け、本の出版その他で得るもの全てを等しく分け合うことを彼等は誓い合っている。

鉱山労働者自身に関する限り、資本主義がチリ鉱山の災害において果たした役割には何の不思議なこともなかったのだ。

“人は我々を英雄だというが、そうではない。我々は英雄ではない。我々は犠牲者だ”鉱山労働者の一人、フランクリン・ロボスは、チリの日刊紙エル・メルクリオにそう語った。“我々は自分達の命のために戦ったにすぎない。我々には家族がいるからだ。我々は、安全には金をかけない実業家の犠牲者だ…何百万ドルも稼ぎながら、貧しい人々の苦悩を考えようとはしない実業家の犠牲者なのだ。”

サン・ホセ鉱山の場合、この評価には議論の余地がない。この施設は、チリの私有中規模鉱として典型的な実績つまり、長年にわたり死亡や重傷をもたらす事故の連続に悩まされていたが、所有者が超搾取によって莫大な利益を得るのを、政府は見て見ぬふりをしてきたのだ。

“サン・ホセは悪夢だ”別の鉱山労働者がマスコミに語っている。“あそこは危険です。私は知っているし、皆が知っています。あそこの唯一の標語は、生産性です。”

8月の鉱山災害事故の直後、鉱山労働者達は、換気孔から脱出しようとしたのだが、恐ろしいことに、政府の安全規定によって要求されている梯子は存在していないことを発見したのだった。

チリが“起業家精神”と“自由市場資本主義”を信奉していることが、労働現場の安全性にかかわる法規が極めて弱体化した一因だ。国中にちらばる4,000以上の鉱山を監督するのに、政府は16人の検査官しか雇っていない。チリは、国際労働機関(ILO)の鉱山安全衛生勧告への署名を拒否している世界でもわずかな国の一つだ。

元チリのプロサッカー・チームの選手だったロボスは、エル・メルクリオ紙のインタビューで、冷淡にこう付け加えている。“我々の大多数は、会社は我々を放置したままにすると思っていました。我々救出するよりも、死ぬにまかせた方が安上がりでしょう。”

同様に、鉱山労働者の現場監督、ルイス・ウルスアは、彼等に対する救援活動の存在を伝えるドリルが近づいてくる最初の兆しを思い起こして語っている。“音を聞いた時…我々は彼等は鉱山で仕事をしているのだと思いました。”言い換えれば、銅の価格が50年ぶりの高値となっているので、鉱山所有者は、彼らの命を救おうとするのではなく、貴重な金属を掘り出そうとしているのだと鉱山労働者達は思い込んだのだ。

これが、ジャーナル紙とポスト紙によって褒めたたえられている“自由市場”と資本主義の起業家精神の、労働者階級に対する厳しい現実だ。

ポスト紙もジャーナル紙も、チリが一体どのようにして中南米で“最も自由な国”となり、“自由市場”にとって、天国となったのかについて論じる気は毛頭無い。

ピニェラ大統領と与党は、1973年9月11日、CIAが支援したクーデターで権力を掌握し 、1990年までチリを強権的に支配したアウグスト・ピノチェト将軍の独裁政治の政治的後継者だ。しかし、セバスチャン・ピニェラと、ピノチェト政権のつながりは、独裁政治の始めにまでさかのぼる。1970年代に、チリの現大統領はクレジット・カード事業で元の財産を築いたのだ。

ピノチェトは、良くこう言っていた。“木の葉一枚とて、私が動かさない限りこの国では動かない。”ピニェラは、何万人ものチリ労働者、学生や知識人が、裁判もなしに、虐殺され、拷問され、投獄され、国外亡命を強いられるという状況の中、ピノチェトのお墨付きを得て財産をなしたのだ。この時期、現大統領の兄は、鉱山相をつとめ、民営化と規制緩和政策を導入し、条件過去十年間だけでも、約373人のチリ鉱山労働者を奪うという環境を生み出したのだ。

資本主義を擁護するニューヨークとワシントンの社説筆者達は、鉱山労働者とその家族達は嫌というほど知っているこの歴史を、遠慮なく飛ばしてしまっている。

現場監督のルイス・ウルスアは、NASA等から“天性の指導者”として称賛された。彼の母親は、マスコミに、息子は“非常に規律正しく”、“六人兄弟のボス”なのだから、自分は全く驚いていないと語っていた。

鉱山災害同様、これも彼に押しつけられた役割だった。子供時代、鉱山労働者の組合指導者で共産党党員だった彼の父親は、1973年のクーデター直後に行方不明になった。次に、組合指導者で、青年社会主義者中央委員会メンバーだった義父が、“死のキャラバン”として知られている軍暗殺部隊によって拉致、殺害され、集団墓地に放り込まれた。

過去“20年間”にわたり、“中南米で最も自由な国”チリでは、ピノチェト・クーデター後の年月に行方不明になった近親者の遺体を見つけ出そうと、何百人もの女性たち、母親や妻が、数えきれない日々、アタカマ砂漠の砂をシャベルで掘り起こしてきた。

あの鉱山がある町、コピアポの名前、エスペランサ(スペイン語で希望という意味)とあだ名をつけられたテント村は、救出劇のおかげで今や世界的に有名だが、アタカマには、閉じ込められた鉱山労働者の家族を含め、チリ労働者階級は決してわすれようもない名前の場所が他にある。犠牲者達が墓標もない墓に埋葬されたラ・セレナ、クーデター直後に埋められた人の亡骸が1990年に発見された、強制収容所として使われていたピサグアだ。カラマでも、1973年10月に虐殺された13人の亡骸が、やはり1990年に見つかった。

多くの人々にとり、鉱山労働者の行方不明、そして救助という出来事は、資本主義市場を擁護する軍隊によって殺害された別の鉱山労働者達の亡骸を、同じ土地から掘り出した痛ましい記憶を呼び戻させた。

こうした文脈からして、チリ鉱山の災害を、自由市場資本主義用の広告に活用しようとするワシントン・ポストとウオール・ストリート・ジャーナルによる、一見して妄想的な企みは悪意ある性格のものだ。資本主義の深刻な危機と、世界中の労働者階級による戦いの高まりが、いわゆるチリの経済的奇跡を生み出すのに使われた残虐な手法の利用を、金融支配者層が再度、目論む環境を生み出しつつあるのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/oct2010/chil-o29.shtml

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33人の鉱山労働者の救出のドラマ、アメリカで本になったり、映画になったりするらしい。

貧乏人の小生、そうした作品を購入する財力も、時間も気力もない。

アジェンデ政権に対する武力クーデターの深層を描いた本や、映画が新たにでるなら、無理をしてでも、購入したいと思う。映画『戒厳令』のチリ版や、『戒厳令下チリ潜入記』復刊なら。

アフガニスタン戦争、イラク戦争、いずれも、全くのいいがかりからアメリカが始めた違法な侵略戦争だ。

日本でも、郵政破壊、貯金奪取は、アメリカがしかけた企みだった。思いやり予算という、世界のならずものテロ国家へのみかじめ料、もちろん、仕分け対象にはならない。

グローバル・スタンダードという名目が通じない場合には、武力を使って、自国資本に都合よく相手の政権を変えるのがアメリカのいつもの手法。

そして、話題のTPP、素人には全くわけがわからない。

素人なりの判断基準は単純。

TPPの基本構想、アメリカが考えたものであれば、まゆつばだろう。

アメリカから独立した機構が考えだした構想なら、一考の余地はあるだろう。

民主党、農業を完全に抹殺するつもりだろうか?宗主国の命令なら実施するだろう。

大本営広報部属国マスコミに、TPPについての客観的解説を求めるのは、木によって魚を求むの類。褒めないわけがない。頭がおかしくなるので、極力解説は読まないことにしている。それで、いっそうわからない。

宗主国の大手紙ワシントン・ポストとウオール・ストリート・ジャーナルの低劣さをみれば、宗主国を超えることは許されない属国大手紙のレベル、想像がつくというもの。

今日のJR中吊りで見た雑誌広告記事に驚いた。

果たして、沖縄の「ゆいレール」やバスにも、同じ広告をだしているのだろうか?

「沖縄には米軍も自衛隊も必要だ」

宗主国命令を実施する組織としての傀儡二大政党。それを支持する不幸な国民と宗教。

日本国民、総「茶会」?

ところで、「奸首相」という表記を見た。昔からあるのだろうが、座布団十枚!

マスコミが一斉に流す「ドラマチックな美談、本質は、とんでもない巨悪を誤魔化す、無花果の葉」ということが多いだろう。チリでも、そして、日本でも。

2010/12/14追記:毎日にTPP参加批判の素晴らしい記事が掲載されている。嬉しい誤算。

こうした正論を無視し、属国与・野党連合は亡国政策を推進するだろう。それが役目だ。

TPP参加は誤り 日本の米作・畜産は規模拡大政策では存立し得ない

 ◇伊東光晴(いとう・みつはる=京都大学名誉教授)

2012/7/12追記:上記のリンクを辿ると、見事に記事は消滅している。ジョージ・オーウェルの名作『1984年』の主人公、ウインストンは、政府に不都合な情報を削除、改編する係だ。不都合な記事はメモリー・ホールへと捨て去る。そこで、ネットに残されている、まともな国民の方のサイトの記事を以下にコピーさせていただく。不正コピー防止法案の本当の狙いは、もちろん、こうした、ネット上の正しい行為の排除を狙ったものであることは確実だ。

毎日2010.12.13

 日本の農業はどうなるのか。国際競争にさらされた時、生き残ることはできるのか。その危惧感は、今も昔も変わらない。

 並木正吉さんが『農村は変わる』(岩波新書)を書いたのは1960年であった。専業農家の大幅な減少を、後継者の数を予測し、これほど美事に将来を言いあてたものはない。兼業農家の激増である。

 専業農家が耕作規模を拡大して所得をあげ、兼業農家が農外収入を加えることによって、豊かな生活を維持できるのであれば問題はない。事実、戦前をとって
も、婿が地元の小学校の先生というような農家は豊かだった。こうした兼業農家は、ある意味で理想でもあった。米作の機械化はこの兼業を容易にした。

 だが、兼業農家が売る農産物も、専業農家が売るものも、外国からの安い農産物におされ、市場から消えだしたならば、問題は別である。極端な場合を考えるならば、兼業農家は、自分たちが食べるだけのものを耕作し、専業農家はいなくなる状況である。

 事実、「ウルグアイ・ラウンド農業合意」(93年12月)直前であったが、「世界農業モデル」を使い、米について、関税のない世界で競争が価格だけで行
われると仮定したうえで、日本の米作の将来を予測した。その結果は、イン・ザ・ロングランでは日本の米作は当時の4割に減り、自分の家で食べる米だけが作
られるという結果なのである。米作専業農家は存立の余地がない。

 これが、同じように成り立たなくなる畜産・乳製品を加え、農産物の自由化に危惧感を持つ理由である。日本の農業は野菜、果物だけになるのか。

 ◇自然的条件の決定的な違い

 あらためて書くまでもなく、農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。100ヘクタールの耕地が5つあり、その1つが5年に1度水田とな
り、他が休耕したり、牧草がまかれ、放牧され、有機質が土に戻されたりするという恵まれた条件下のオーストラリアの水田耕作と、日本や中国の零細性の農業
とは決定的に違う。オーストラリアの水田耕作の拡大を制約しているのは水不足であるが、日本の零細農業とこの種の大規模機械化農業とは、農民の意欲や努力
をはるかにこえた自然条件にもとづくコスト差が発生する。アメリカの水田耕作は、このオーストラリアの水田よりも大規模である。

 もちろん、耕作規模の広さだけが競争力ではない。タイの米作がアメリカのそれに競争できるのは労務費の安さである。だが農業所得の向上を政策目標とする
ならば、所得の向上とともに、やがて競争力は失われてゆくことになる。わが国の葉タバコは戦後も輸出されていた。それが高度成長にともなう農業賃金の上昇
によって、その地位を失ったのと同じである。

 もしも、こうした自然条件の違いを無視して、市場競争にゆだねたならば、条件の劣る地域は、産業として成り立たなくなるのが当然である。

 確かに、経済合理性を重視し、現実の国際政治を無視すれば、競争劣位の農業を縮小して、優位の産業に特化するのもひとつの政策である。

 しかし、基本的な食糧を生産していない大国が存在しうるかどうかは--レアアースについての中国の輸出制限が大問題になっている時、また弱肉強食下の国
際政治の下で--明白であろう。現実の国際政治を考えると、経済効果性をこえ、農業の存立をはからなければならないのである。

 ここで現実にたちかえれば、2つのことに注意を向けざるをえない。

 第1は、アメリカを含め、強力な農業基盤を持っている国ですら、農業保護の政策がうたれていることである。かつて書いたように、恵まれた自然条件のうえに、輸出支援の政府補助を受けたアメリカの綿花が、額に汗して働くインド、エジプト、ブラジルの綿花に競争を挑んでいくのである。

 ウルグアイ・ラウンドでの米欧の対立が、この輸出をめぐる補助政策にあったことは、忘れてはならない。こうしたことにくらべるならば、自国農業を保護する日本の政策は、2次、3次の問題にすぎない。

 ◇アメリカの政策は自国の利益中心

 第2は、アメリカの政策である。アメリカは、戦後世界の貿易ルールを決めるガット(関税及び貿易に関する一般協定)を作った国である。にもかかわ
らず批准せず、他国にはガットの規定に従うことを求め、自らがガット違反で攻撃されると、批准していないというダブルスタンダードで逃れ、農産物について
はガット25条のウェーバー条項(自由化義務の免除)を55年に取得し、自らは輸入農産物の制限措置をとった


 この55年という戦後の時期、ガットの内国民待遇(ガット第3条--自国の人、物、企業に与えるものと同じ権利を他国の人、物、企業に与えるというも
の。俗に自由化原則といわれる)という考えは、主として工業製品に適用され、農産物のように、自然的条件の大きな違いのあるものは、関税で調整すればすむ
問題であるというのが当初の考えであった。ガットの対象とするのは工業製品で、農産物は事実上対象外だったのである。

 だが、アメリカが国際競争において強者の地位から落ちるにつれて、アメリカは、内国民待遇の原則を相互主義に変えだした。日本はアメリカにならい、農産物の関税を下げるべきである、等々である。

 そして、ガットに代わるWTO(世界貿易機関)が交叉的報復措置を認めると、ガットとは反対に、アメリカ議会は直ちに批准した。農業分野での保護主義が相手国にあれば、工業製品分野で報復を行うことができる。これが交叉的報復措置であり、これがアメリカの経済外交の武器となると考えたからである。わが国の財界は、これに怯え、農業を犠牲にする道を選びだしたのである。

 ◇ウルグアイ・ラウンドでの日本の失敗

 ウルグアイ・ラウンド農業合意で、わが国は大きな政策上の誤りをおかした、と私は思っている。それは当時、経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部参事官としてパリにいた篠原孝その2)・現民主党議員がよく知っているところである。ミニマム・アクセス(関税を認める代わりに最低限の輸入量の義務づけ)要求に、項目変更で対抗すればよかったのである。

 米とか小麦とかトウモロコシとかに細分せず、「穀類」とするならば、大量の小麦、トウモロコシの輸入をしている日本は、米のミニマム・アクセスを行わな
くてよいという主張である。米は世界市場では、わずかな、とるにたらぬ貿易商品であり、多国間交渉というウルグアイ・ラウンドの場で問題になるものではな
かった。だがアメリカは、クリントン大統領の選挙区アーカンソー州の米を日本に輸出したがっていたのである。当時、ガットの責任者が来日し、日本で米問題
が大問題になっているのに驚いていた。現状を続けるつもりだったからである。

 米が国内で過剰なのに、輸入を義務づけられ、現在、1200万人が1年間に食べる量の米を加工用として輸入している。明らかに選んだ方策は愚挙である。対米従属外交のもたらしたもの以外ではない。

 ◇TPPか、東アジア共同体か

 それから17年、問題はさらに飛躍した。2010年11月の上旬から横浜で開かれた環太平洋経済連携協定(TPP)の会議である。TPPはまず4カ国
(シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイ)で発足し、ついで参加を表明したのは、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアで、
日本は協議を開始し、中国、カナダ、フィリピンが会議に参加予定と報じられた。本当に中国が加わるかどうかはわからない。

 一見、TPPは地域的にもバラバラで、EUのように地域的なまとまりのうえに共同体に進む可能性はない。また、EUのように、アメリカを中心とする経済
圏に対抗する経済圏でもない。その点で、故森嶋通夫ロンドン大学教授にはじまり、谷口誠元国連大使・OECD事務局次長が提唱している東アジア共同体でも
ない。

 谷口氏はその著書『東アジア共同体』(岩波新書)で次のように書いている。「私は日本が21世紀において、躍進するアジアと共に、そしてアジアの中核と
して歩むことを切に希望する。そして21世紀に日本がさらなるアジアの発展と安定に貢献し、同時に日本自身が発展し、安全を確保するための道でもある。そ
のためには、これまでの安易な対米一辺倒の外交姿勢を改め、対欧州外交も視野に入れ、より自主的な、多角的な外交を展開していかなければならない」と。

 対米対等外交を主張する政治家ならば、東アジア共同体を選ぶだろう。こと農業についてみれば、零細農という点で日本と同じ中国があり、そのうえでの協調政策が考えられることになろう。他方、TPPは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカという畜産国、大農法の農産物輸出国が並んでおり、その発端は農業と関係のないシンガポールが主導したのである。しかもそれはすべての関税引き下げ、いや全廃をはかろうというものなのである。零細農をかかえる中国がTPPに加わるはずがない。

 日本への工業製品の輸入はほとんど無税である。関税全廃でも怖いものなしであろう。他方、相手国の全廃は望むところ。日本経団連がTPP参加に全面的賛成の理由である。だが農業は関税で生きつづけている。米、肉、乳製品等である。どうなるのか。

 菅首相は、突如、外国に向かって、日本は第2の開国であるとして、TPPへの参加、つまり関税引き下げを宣言した。突如という点で、参議院選時の消費税
引き上げ宣言と同じである。菅内閣による「新成長戦略」が、経団連の意向を受けた経済産業省的発想であったように、これも同省の発想であろう。特定官庁の
考えに、他省が反対しないようにする手段が、政治主導の名の下で閣議決定するという手法であることも、同様である。日本農業はどうなるのか。

 農家・農業対策を別にうつと菅首相はいう。泥縄で「農業構造改革推進本部」を作り、農政を改善するのだ、と。新聞報道によれば、それは生産性の向上、規
模拡大である。農水省は、民主党の主張である戸別所得補償方式(平均価格と平均コストの差を補償するというもの--これは国際ルールで認められている)を
前面に出したうえで、菅首相におもねり、専業農家中心の規模の拡大をこれに加えている。

 ウルグアイ・ラウンド農業合意の時、自民党はこうした専業農家の規模拡大という考えで6兆円を投じたが、効果なく、受益者は農家ではなく、主として建設業者だった。

 自民党の石破茂政調会長は、民主党の戸別所得補償方式に反対することを明言し、あいかわらず従来の路線である専業農家支援強化の政策を主張している(『朝日新聞』10年11月11日付)。

 ◇対抗力としての国内フェアトレード

 私は11月のはじめ、宮城県の大崎市の、文字どおり米どころの農村を見ることができた。見渡すかぎりの水田--そこで説明をしてくれた農業耕作のリー
ダーが、5町歩(約5ヘクタール)の米を作る兼業農家だった。米作5町歩ではやっていけません、という答えなのである。私がこの地で知った米作専業農家
は、約10町歩を耕す人1人であった。専業米作者がどれだけいるのか。

 日本が構造改善で規模を拡大しても、前述したアメリカの米作とは競争にならない。自然的条件の差はいかんともしがたいのである。土地制約性のない農業な
らば問題はない。現在日本の鶏卵の小売値は、中国より安いのである。土地制約性を無視し、構造改善とか、生産性を上げるとかいう考えは、現実の政策として
は力を持たないのである。

 専業農家比率が高いのは、果樹、野菜を除けば畜産である。もし関税が全廃されたなら、日本の畜産は崩壊するだろう。商品として残るのは、米にしろ肉にしろ、高品質のものと、果物・野菜栽培農家であろう。

 規制緩和し、農業以外からの参入によって日本農業を再生する、と口にする人もいる。例外的な野菜栽培工場を除くならば、それは画に描いた餅である。歴史をみれば、かつて農業も工業のように大型機械化し、資本主義化が進むと考えた時期もアメリカにはあった。しかしアメリカの歴史が示したのは、最適なのは、大型家族農経営だということであった。資本主義的経営が根づかなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。

 農業において、資本主義の発展があるものとして、これに対抗しようとしたソビエトの農業集団化、それに基づくコルホーズ・ソフホーズが失敗したのも、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。規制緩和論の、農業以外からの資本の導入を……は、イデオロギー以外の何物でもない

 政策のひとつとしては、経済産業省や経団連の主張のように、農業を海外との自由な競争にゆだね、崩壊するものは崩壊させ、日本の産業を比較優位に移すこ
ともありうる。だが、国際政治の現実においては、ある程度の食糧の自給がないならば、対抗力を失い、他国に従属せざるを得なくなる。シンガポールのような
農業がなきに等しい国に、大国は存在しないのである。TPPを主導したのは、このシンガポールであることを忘れてはならない。

 さらにいうならば、農業保護を行っていない先進国はない

 国際政治の現実をみれば、農業保護政策は行われなければならない。問題はその内容である。戸別所得補償方式は、その成否を決める実施方法に難しさがある。加えて参議院での少数与党の現状では、それが賛成を得ることは難しい。いや、TPPそれ自身が議会を通らないだろう。

 可能なのは、日本農業に大きな打撃を与えない国との間の2国間協定で、TPPにならい、関税をゼロに向けていくというものである。それのみが現実的であろう。

 問題なのは、時間をかけて国内農業を戸別所得補償で整備し、これを定着させ、そのうえでTPPへの参加を表明するのではなく、突然第2の開国を口にし、これから国内農業政策をさぐるという菅首相の政治手法である。それは、矛をまじえた後にあわてて鎧を着ようというようなものである。このような首相の下では政権交代のメリットは生まれず、次の選挙で民主党は大敗するに違いない

 前述した11月の宮城県訪問で、私は地元のおいしいご飯をいただいた。その米は、市価(60キロ=1万3000円)より高い2万400円で、鳴子温泉のホテルや仙台駅の駅弁屋が契約して買いとっているという。しかも生産費と価格との差は、地元の農業振興の資金にしている。私はこれを国内フェアトレードと呼んだ。

 日本の農業関係者は、日本の政治家には期待できないかもしれないことを覚悟し、自分たちで自らを守る体制を作らなければならない。生産者と消費者を縦につなぐ組織の構築である。

 ガルブレイスは、経済の調整メカニズムに競争を加え、「対抗力(countervailing power)」を対置した。市場原理主義にもとづく競争
原理に対して、対抗力による国内フェアトレードである。そしてそれは、やがて拡大され、アメリカの市場原理主義に対抗する、国際的ルールになっていかなけ
ればならない。

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