軍国主義とアメリカ帝国:日本政策研究所所長チャルマーズ・ジョンソンとの対話 04年1月29日
ハリー・クライスラー
撮影 ジェーン・シェール
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政治学者から大衆に向けて政治を論じる知識人への転身
チャルマーズさん、バークレーにようこそおかえりなさい。
どうもありがとう。お招きいただいて嬉しく思います。
社会科学者から、大衆に向けて政治を論じる知識人へと変わられたことを、どのようにご説明されますか?
まあ余り首尾一貫性は要求しないようにお願いします。ジョン・メイナード・ケインズは、一貫性がないことを非難されて、言っています。「新しい情報を得たときに、私は立場を変えます。 で、あなたは、新しい情報を得たらどうされるのでしょう?」
私は非常に多くの情報を得ました。特に1991年以降と、ソ連崩壊以来。それまで私は冷戦の戦士だったというのが真実です。私はソ連の脅威を信じていました。
それに、ご自身を「槍兵」とさえ言っておられた
「帝国の槍兵と」
「帝国の」ええ、ええ。
それは『アメリカ帝国への復讐』のまえがきですね。ベトナム戦争の間、私はCIA国家評価室の顧問でした。しかし、私が考え方を変えて、こうした物事を見なおすようになった理由は二つあるのです。一つは分析にもとづくもので、もう一つは具体的なものです。一つはソ連の終焉です。平和の配当として、アメリカ合州国から、ずっと多くのものを期待していました。今日のロシアは、どのような点でも、かつてのソビエト連邦とは違うと思っています。ずっと小規模な国です。アメリカ合州国の伝統として、アメリカはもっとずっと徹底的に軍の動員解除をするだろうと期待していました。世界におけるアメリカの役割をもっと真面目に見なおしてもよかったのです。沖縄の様な場所にいる兵隊を帰国させて。そうではなく、アメリカは、東アジア、中南米で、冷戦構造をてこ入れするためにできることなら何でもやったのです。新たな敵を探し出すことが始まりました。これが現在のブッシュ政権内ネオコンのルーツです。私はこれで本当に衝撃をうけました。本当は、冷戦というのは、第二次世界大戦以来機能し続けてきたアメリカ帝国プロジェクトのための、もっとずっと奥深い何かの隠れみのではないのか? そうに違いないと私は考え始めました。
1990年代末に私が『アメリカ帝国への復讐』を書くようになった二つ目の理由は[具体的なものでした]。沖縄県、日本の最南端の県で、日本で最も貧しい県で、プエルトリコに相当する所です。19世紀末に編入されて以来、沖縄は常に日本人によって差別されてきたのです。県知事の太田昌秀氏は元大学教授です。1996年2月に彼が、1995年9月4日、沖縄中央部にあるキャンプ・ハンセンの二人の海兵隊員と一人の水兵が、12歳の少女を誘拐し、殴打し、強姦したという出来事を踏まえて、私が知事の同僚たちに講演をするよう、沖縄に招待してくれたのです。そこでは、安保条約の署名以来アメリカ合州国に対する最大のデモが行われていました。私はそれまで沖縄に行ったことがありませんでした。昔、朝鮮戦争の頃、私が海軍にいた時に、船で当時バックナー・ベイ、今の中城湾に入り、停泊しました。乗船していた他の将校たちは上陸しました。私は双眼鏡で眺めて見て「ここは私には向かない」と思いました。でも船が非常に美しい礁湖に投錨していたので、私は船の周囲を泳ぎました。それで、沖縄の海に入ったことはあるのですが、陸地にはこれまで触れたことがありませんでした。
38の米軍基地が、ハワイ諸島のカウアイよりも小さな島、130万人がひしめいて暮らしているところに、第三海兵師団の基地がありますから... 戦闘機を持って駐留している影響を見て、衝撃を受けたと申し上げなければなりません。アメリカ国外にある唯一の海兵師団です。それで、この問題を研究しはじめたのです。
1995年の強姦に対する反応、例えば、現在は、統合参謀本部議長で、当時駐日米軍司令官だったリチャード・マイヤーズ将軍の反応は、彼等は三つの腐ったリンゴに過ぎない、悲劇的な出来事で、信じがたいほど例外的だというのでした。調査すると、アメリカ軍兵士が沖縄で犯して軍法会議にかけられる性暴力犯罪の数値は、一カ月に二件であることがわかります! これは例外的事件ではありませんでした。子供が極めて幼く、強姦された後、届け出たがらない多くの沖縄女性と異なり、社会規範に完全に服従してはおらず、お返しをしようとしていた事実を除いては。これによって、私が大いに尊敬している「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」という非常に有力な組織が生まれることとなったのです。
沖縄を研究しはじめたのですが、私の最初の感情は、またもや、防御的なアメリカ人帝国主義者として、沖縄は例外的なのだというものでした。あまり人がいかない場所で、報道陣は決してゆきませんし、軍は居心地がいいのです。時間がたつにつれて、こうした種類の基地や世界の他の場所を調べてみて、これが全く例外ではないことがわかったのです。これは典型なのです。あるいは沖縄では他の場所より密集度が多少高い可能性はありますが、環境破壊、性犯罪、飲み屋での喧嘩、飲酒運転、次から次のこうした出来事のすべてが、725の基地(国防省が認めている数値であり、[本当の]数値は実際はこれよりはるかに多い)で起きているのですが、この725の基地はアメリカが他国に置いているものなのです。それがまず警告として『アメリカ帝国への復讐』を、私が書くようになった理由なのです。
しかし、また、それで本書を書かれることにもなったのですね。(表紙を見せる)
私たちの研究所で刊行したものです。
「沖縄: 冷戦の島」ですね。あなたが編集された。沖縄の様々な側面を検討していますね。ここであなた方が主張しておられるのは社会的費用だけが問題なのではなく、ある種民主的な生活を送るための沖縄の人々の権利を侵害していることですね。
ええ、それについては疑問の余地がありません。イラクにおけるアメリカ合州国についての議論で、戦後、日本にデモクラシーをもたらしたというアメリカの素晴らしい[行為]なるものを、まるで、アメリカ人従軍牧師たちが、そうするのが非常にうまかったかとでも言うように、ブッシュや他の連中が、何度も繰り返して語っていることを、私はきわめて不届きなことだと思います。日本をだしにして。連中はいつも沖縄を除外せざるを得なかったことを申し上げなければなりません。というのは、沖縄での戦闘、つまり第二次世界大戦最後の壮大な戦闘から、最もひどかった一つの1972年迄の間、沖縄は全くペンタゴンの植民地として運営されていたのです。この島は安保条約に含まれていなかったのです。沖縄の首長は軍中将でした。ほとんど誰も訪れない隠れ家だったのです。
そして1972年に、沖縄の状態に対する大変な抗議の後、沖縄は日本に返還されて、安保条約のもとに入りました。ニクソンとキッシンジャーが、当時なし遂げた合意は、基地は全く変わらないようにするというもので、基地はいまだに存在しているわけです。本質的に、沖縄は、日本人によって、ごみ廃棄場として使われているのです。日本人は安保条約は欲しいのですが、彼等はアメリカ軍には日本本土のどこにもいて欲しくないのです。それで彼等は、申し上げたように、プエルトリコの等価物に押しつけ、状態が悪化するのです。現在の沖縄県知事、相当保守的な人物である稲嶺氏でさえ、それでも、常にこう言っています。「私たちは火山の山腹で暮らしているのです。地下のマグマの音が聞こえています。噴火の可能性があるのです。噴火すれば、ベルリンの壁の破壊がソ連帝国に対して意味したのと同じ効果を、あなた方の帝国にもたらしますよ。」
おっしゃっていることを要約させていただくと、二つのものごとの間には、シナジーがあったということですね。一つは、冷戦機構は取り壊されなかったというあなたの認識。
その通りです。
そして、あなたの関心が大変に広く、また学識が非常に深いので、あなたがこの地域に対する経済政策についても語っておられること。それで、冷戦終末時点に、朝鮮に対するアメリカの政策に関しても、もう一方では、日本に対するアメリカの政策に関しても、何も修正はありませんでした。しかし沖縄経験のおかげで、あなたは冷戦体制のかなめであった、こうして側面の中を覗くことができたのですね。
うまい表現ですね。一言で言えば、ゴルバチョフは実際にソ連帝国を解体しようと試みたのです。彼は、改革その他の必要性から、帝国が自らを解体しようとした、歴史上例外的な事例です。ロシア人は、1989年迄には、東ヨーロッパの惨めな小国との付き合いよりも、フランスやドイツとの付き合いを望んでいたのです。ソ連内に構築されていた冷戦体制に対する既得権益によって、彼は急に止められました。全く同じ種類の、冷戦による既得権益が、国防省に、軍産複合体に、諜報機関にも存在することを私は発見し始めました。そして、連中は好き放題にやっていたのです。
次のページ: 『アメリカ帝国への復讐』英語原文
Chalmers Johnson Interview:
Conversations with History; Institute of International Studies, UC Berkeley
http://globetrotter.berkeley.edu/people4/CJohnson/cjohnson-con1.html
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参考:2007/04ブログ翻訳記事『復讐の神ネメシス:アメリカ共和国最後の日々』(デモクラシー・ナウ放送の書き起こし)
彼の2003年論文「レイプ・オブ・オキナワ」を是非お読みください。彼の沖縄論も。
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産経「新聞」に下記の記事が書かれたという。新聞や言論人の品格がここまで落ちたことは無念、という以外になし。
鬼畜への手紙という記事を載せている「なごなぐ雑記」ブログがある。おっしゃるとおり。そして下記が、その対象となっている「日本を代表する人物」による文章だ。
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【政論探求】「反基地」勢力が叫ぶいかがわしさ
日米安全保障協議委員会に設置されたSACO(特別行動委員会)が普天間の全面返還、ヘリポート移設を打ち出してから、もう10年が過ぎた。名護市のキャンプ・シュワブへの移設で日米合意が交わされているが、地元の調整は一向に進まない。
それにしても、一部メディアのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。事件は事件、安保は安保、と冷静に切り離し、日米同盟の死活的な重要さに思いをはせてこそジャーナリズムだ。
「住民自決は軍命令」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。
「知らない人についていってはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。
米軍基地が集結する沖縄である。夜の繁華街で米兵から声をかけられ、バイクに乗ってしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。(客員編集委員 花岡信昭)
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〇反戦な家づくり:ハトを刺して米を突く
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