曽野綾子&石原慎太郎
https://news.yahoo.co.jp/articles/801a7c3c77e1a4e9443e753bba186a1b704178a2?page=1
『余命宣告に狼狽する姿が「死の現実」を突きつけた…石原慎太郎の「男性性」とまったく噛み合わなかった「もう一人の巨頭」
12/28(土) 7:04配信
56
コメント56件
現代ビジネス
PHOTO by Gettyimages
2022年に亡くなった石原慎太郎氏は男性性の権化のような生き様を貫き通しましたが、余命宣告後、死を前にしてあまりにも率直な言葉を残しています。その2年前、「老い本」界の巨頭でもあった石原氏ともう一人の巨頭の対談には、死に向き合う感覚の男女差が明確に現れ出ていました。
【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる「老い本」を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
「ほとんどコント」のような対話
死に対する感覚の男女差がよく現れているのは、曽野綾子と石原慎太郎という老い本界の二巨頭による対談集『死という最後の未来』である。2020年(令和2)に刊行された当時、曽野は89歳、石原は88歳。売れっ子作家として同じ時代を過ごした二人だが、死に対して抱く感覚は、全く異なる。
曽野は、わからないことはわからないままにしておきたい、流されるように生きてきたので、死にも抗うことはしない、と語る。対して石原は、わからないことはとことん追求し、できないことは歯を食いしばってでもできるようにし、自分で自分の運命を切り拓きたいという人。だからこそ、石原は老いることも死ぬことも拒否したいのであり、「ねじ伏せるがごとく、老いを無視する。無視することでがむしゃらに生きたい」し、「貪欲に死の実相を探り尽くしたい」。
曽野は、所有という行為についても、恬淡(てんたん)としている。それまで書いてきた原稿は全て燃やした、と曽野が言うと、「僕は残したいですね」と石原。弟の裕次郎の記念碑の隣に自分の石碑も作り、そこに辞世の句を刻めと子供達に命じているというのだ。
脳梗塞の発症後、ヨットを手放した時の悲哀を、石原は語る。
「自分の人生が引き剥がされるような、何ともいえない悲しみ、せつなさがあったなあ」
という彼の述懐は、なかなか運転をやめてくれない高齢の父親を持つ子供達にとって、参考になるかもしれない。
また曽野は、長生きを望んでなどいないし、六十歳ぐらいからは健康診断も受けていないと語るのに対して石原は、朝起きたらまずタワシで全身をこすり、その後は様々なトレーニングを日々行っているという。
「太陽の季節の男が、今や斜陽の男になって(笑)。自分に鞭(むち)を当てて、しごいていくしかありません」
ということで、両者の感覚はことごとく交わらない。
石原「決してあきらめず心身を鍛え続けていこうと思っていますよ」
曽野「抗わないことに慣れるのも、楽ですよ」
石原「だから慣れたくはないんだ、僕は」
曽野「お気の毒」
という対話は、ほとんどコントである。
「生への執着」を隠さなかった
写真:現代ビジネス
両者が交わらない理由を性差のみに見るのは乱暴だろうが、探求、開拓、所有に対する石原の飽くなき欲求は、男性性の一つの現れだろう。
その後、老いと死に抗い続けた石原は2022年(令和4)に没する。石原の没後、「文藝春秋」2022年4月号には、絶筆となった原稿「死への道程」が掲載された。
そこには、がんが再発してからの、石原の率直な気持ちが記されている。医師から余命3ヵ月と宣告されると、「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。「頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり」という、「死に臨んでの狼狽」の中に著者は立つ。
生きることに貪欲であったからこそ、石原は余命宣告に狼狽(ろうばい)した。その様子は、強い男として石原をイメージする読者に、生と死の現実を突きつける。いつまで生き続けるかわからないことに半ば恐怖を抱き、「そんなに長生きはしたくない」と、死に対して恬淡とした姿勢を示す人が多い時代において、89歳にして見せる石原の生への執着は、生物としての根源を見るかのような、一種の畏怖を読者にもたらすのだ。
原稿の終わりに石原は、
「私として全くの終りの寸前に私の死はあくまでも私自身のものであり誰にもどう奪われるものでありはしない」
と書いた。人生の締めくくりに際して、死をも所有したいという石原の姿勢は、真の意味での“男らしさ”を示している気がしてならない。
*
酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。
先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子
『余命宣告に狼狽する姿が「死の現実」を突きつけた…石原慎太郎の「男性性」とまったく噛み合わなかった「もう一人の巨頭」
12/28(土) 7:04配信
56
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現代ビジネス
PHOTO by Gettyimages
2022年に亡くなった石原慎太郎氏は男性性の権化のような生き様を貫き通しましたが、余命宣告後、死を前にしてあまりにも率直な言葉を残しています。その2年前、「老い本」界の巨頭でもあった石原氏ともう一人の巨頭の対談には、死に向き合う感覚の男女差が明確に現れ出ていました。
【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる「老い本」を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
「ほとんどコント」のような対話
死に対する感覚の男女差がよく現れているのは、曽野綾子と石原慎太郎という老い本界の二巨頭による対談集『死という最後の未来』である。2020年(令和2)に刊行された当時、曽野は89歳、石原は88歳。売れっ子作家として同じ時代を過ごした二人だが、死に対して抱く感覚は、全く異なる。
曽野は、わからないことはわからないままにしておきたい、流されるように生きてきたので、死にも抗うことはしない、と語る。対して石原は、わからないことはとことん追求し、できないことは歯を食いしばってでもできるようにし、自分で自分の運命を切り拓きたいという人。だからこそ、石原は老いることも死ぬことも拒否したいのであり、「ねじ伏せるがごとく、老いを無視する。無視することでがむしゃらに生きたい」し、「貪欲に死の実相を探り尽くしたい」。
曽野は、所有という行為についても、恬淡(てんたん)としている。それまで書いてきた原稿は全て燃やした、と曽野が言うと、「僕は残したいですね」と石原。弟の裕次郎の記念碑の隣に自分の石碑も作り、そこに辞世の句を刻めと子供達に命じているというのだ。
脳梗塞の発症後、ヨットを手放した時の悲哀を、石原は語る。
「自分の人生が引き剥がされるような、何ともいえない悲しみ、せつなさがあったなあ」
という彼の述懐は、なかなか運転をやめてくれない高齢の父親を持つ子供達にとって、参考になるかもしれない。
また曽野は、長生きを望んでなどいないし、六十歳ぐらいからは健康診断も受けていないと語るのに対して石原は、朝起きたらまずタワシで全身をこすり、その後は様々なトレーニングを日々行っているという。
「太陽の季節の男が、今や斜陽の男になって(笑)。自分に鞭(むち)を当てて、しごいていくしかありません」
ということで、両者の感覚はことごとく交わらない。
石原「決してあきらめず心身を鍛え続けていこうと思っていますよ」
曽野「抗わないことに慣れるのも、楽ですよ」
石原「だから慣れたくはないんだ、僕は」
曽野「お気の毒」
という対話は、ほとんどコントである。
「生への執着」を隠さなかった
写真:現代ビジネス
両者が交わらない理由を性差のみに見るのは乱暴だろうが、探求、開拓、所有に対する石原の飽くなき欲求は、男性性の一つの現れだろう。
その後、老いと死に抗い続けた石原は2022年(令和4)に没する。石原の没後、「文藝春秋」2022年4月号には、絶筆となった原稿「死への道程」が掲載された。
そこには、がんが再発してからの、石原の率直な気持ちが記されている。医師から余命3ヵ月と宣告されると、「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。「頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり」という、「死に臨んでの狼狽」の中に著者は立つ。
生きることに貪欲であったからこそ、石原は余命宣告に狼狽(ろうばい)した。その様子は、強い男として石原をイメージする読者に、生と死の現実を突きつける。いつまで生き続けるかわからないことに半ば恐怖を抱き、「そんなに長生きはしたくない」と、死に対して恬淡とした姿勢を示す人が多い時代において、89歳にして見せる石原の生への執着は、生物としての根源を見るかのような、一種の畏怖を読者にもたらすのだ。
原稿の終わりに石原は、
「私として全くの終りの寸前に私の死はあくまでも私自身のものであり誰にもどう奪われるものでありはしない」
と書いた。人生の締めくくりに際して、死をも所有したいという石原の姿勢は、真の意味での“男らしさ”を示している気がしてならない。
*
酒井順子『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)は、「老後資金」「定年クライシス」「人生百年」「一人暮らし」「移住」などさまざまな角度から、老後の不安や欲望を詰め込んだ「老い本」を鮮やかに読み解いていきます。
先人・達人は老境をいかに乗り切ったか?
酒井 順子