① 雨宮昭一 「占領と改革―シリーズ日本近現代史〈7〉」
レビュー紹介
「歴史や過去について[if]をもちだし、現実とは異なったであろう過程を推理して歴史の可能性を探求することはつきものである。著者はまず、敗戦後の日本において、アメリカの占領政策がなければ現在のような自由や権利が保障された民主的な日本になりえなかったという一種の「自虐史観」を、アメリカが都合よく意図的につくりあげた「無条件降伏のサクセスストーリー」とよんで不快だと言い批判している。このサクセスストーリーが冷戦後のアメリカの覇権を正当化する材料に使われてしまうのであると。よって、たとえアメリカが直接に占領政策を実施しなくても、日本人が自力で似たような戦後改革を成しえたのではないかという[if]の可能性を探る歴史的思考を提唱して、戦争末期の総力戦と戦後体制に説得力のあるつながりを見出している。
戦時中の政治家は、決して右翼的国粋的な一枚岩ではなく、「国防国家派」「社会国民主義派」「自由主義派」「反動派」の四つの体制が存在していた。そして総力戦体制により、社会の平等化、近代化が進んだが、その流れを批判していた自由主義派が、東条が首相を辞任した後に力をもち、敗戦後も主流派になる。また、実は戦後改革の大きな柱であった女性参政権、農地改革、労働者の地位向上といった協同主義的なものもこの総力戦に構想があって、起源としてさかのぼれる。軍国主義教育も、満州事変より強化されたのであり、戦後は占領軍の改革によらずとも、以前の平常時に復帰したのではないかという。このように占領軍による改革、または戦前、戦後という断絶した枠を使わなくても、戦時中から戦後改革につながる源流をみてとれるというわけである。
ただ、昭和天皇がいわゆる「人間宣言」においてもちだした五箇条のご誓文は、現御神ではなかった明治天皇や大正天皇像に帰するためというよりか、低下していた自らの権威を再び世に示し地位を正当化するためだと思われる。
著者の論を進めてみるといくつか疑問が浮かび上がる。それは、占領軍が行った武装解除と公職追放がなくても、自発的に敗戦の責任を負う者がどれほど現れたのか、占領軍の権威がなくてもスムーズに政治家が社会を改革できたのか、国民はどの程度改革の支持にまわったのかといったという疑問。それは自ら戦争をどう総括するのかにつながるものである。しかし著者の主張するように、「日本の専制・封建主義」対「アメリカの自由主義」という従来の枠からの脱却は確かに必要であると思った。そしてそれは、日本国憲法、五十五年体制、冷戦後の日本の政治に対して複数の角度から迫れる視点を与えてくれるものでもあると思う。」
レビュー紹介
「歴史や過去について[if]をもちだし、現実とは異なったであろう過程を推理して歴史の可能性を探求することはつきものである。著者はまず、敗戦後の日本において、アメリカの占領政策がなければ現在のような自由や権利が保障された民主的な日本になりえなかったという一種の「自虐史観」を、アメリカが都合よく意図的につくりあげた「無条件降伏のサクセスストーリー」とよんで不快だと言い批判している。このサクセスストーリーが冷戦後のアメリカの覇権を正当化する材料に使われてしまうのであると。よって、たとえアメリカが直接に占領政策を実施しなくても、日本人が自力で似たような戦後改革を成しえたのではないかという[if]の可能性を探る歴史的思考を提唱して、戦争末期の総力戦と戦後体制に説得力のあるつながりを見出している。
戦時中の政治家は、決して右翼的国粋的な一枚岩ではなく、「国防国家派」「社会国民主義派」「自由主義派」「反動派」の四つの体制が存在していた。そして総力戦体制により、社会の平等化、近代化が進んだが、その流れを批判していた自由主義派が、東条が首相を辞任した後に力をもち、敗戦後も主流派になる。また、実は戦後改革の大きな柱であった女性参政権、農地改革、労働者の地位向上といった協同主義的なものもこの総力戦に構想があって、起源としてさかのぼれる。軍国主義教育も、満州事変より強化されたのであり、戦後は占領軍の改革によらずとも、以前の平常時に復帰したのではないかという。このように占領軍による改革、または戦前、戦後という断絶した枠を使わなくても、戦時中から戦後改革につながる源流をみてとれるというわけである。
ただ、昭和天皇がいわゆる「人間宣言」においてもちだした五箇条のご誓文は、現御神ではなかった明治天皇や大正天皇像に帰するためというよりか、低下していた自らの権威を再び世に示し地位を正当化するためだと思われる。
著者の論を進めてみるといくつか疑問が浮かび上がる。それは、占領軍が行った武装解除と公職追放がなくても、自発的に敗戦の責任を負う者がどれほど現れたのか、占領軍の権威がなくてもスムーズに政治家が社会を改革できたのか、国民はどの程度改革の支持にまわったのかといったという疑問。それは自ら戦争をどう総括するのかにつながるものである。しかし著者の主張するように、「日本の専制・封建主義」対「アメリカの自由主義」という従来の枠からの脱却は確かに必要であると思った。そしてそれは、日本国憲法、五十五年体制、冷戦後の日本の政治に対して複数の角度から迫れる視点を与えてくれるものでもあると思う。」