① 侵略戦争について
自衛のための戦争でない戦争はない。そういう意味では、侵略戦争も自衛戦争。他方、過去において強者が弱者を収奪し支配した。国家を破壊し併合したことも事実。
その場合、弱者としてみれば、取り返しがつかない被害を被っている。それをどう議論するかが重要。それを侵略というか言わないか?
もう一点、時代は変わっていく。変わった地点から見て、あの時代は間違っていたかどうかを振り返る。当時も、将来を考えて行動したはず。大東亜共栄圏構想なども同じ。間違っていたなら認める。あの時代はやむを得なかっただけでは済まない。
②村上春樹氏について
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東京の世田谷文学館で昨年の秋に開催された連続講座の記録。5人の論者が村上春樹について語っている。そのうち、藤井省三と加藤典洋の二人が村上春樹と中国の関係に言及している。村上春樹は9月26日、尖閣諸島をめぐる問題について朝日新聞にコメントを寄せたばかりということもあって、いろいろ考えさせられた。
藤井は、中国での村上春樹の受容のされ方について論じており、村上春樹は、中国絡みの作品に限って何度も書き換えを行っているという重要な指摘をしている。さらに、十数年前に台湾の新聞社のインタビューで「僕は神戸の人間で、中国人は僕にとってはたいへん自然なものでした。僕の父は戦争中に徴兵されて中国大陸に行きました。中国は僕の人生における重要な記号です」と語っていることも紹介されている。
また、加藤典洋は、村上春樹の短編小説を徹底的に読み込むことから見えてくるものについて論じている。特に、村上春樹の短編小説第一作である『中国行きのスロウ・ボート』に注目している。ここでも村上春樹はアメリカの雑誌のインタビューを受けて、自分は中華料理を食べられないが、それは徴兵で中国に渡った父親の体験が影響している、と答えていることが紹介されている。また、『中国行きのスロウ・ボート』と同じモチーフが2004年の長編小説『アフターダーク』でも繰り返されていることも指摘している。その上で、加藤は「村上春樹は、中国に対して罪責感ないし良心の呵責ということを強く感じていた。村上春樹が、作家人生の最初の短編に、中国人とのすれ違いの思い出を書いたということは、日本(人)は中国に対していまなお謝るべきところをしっかり謝りきっていない、そのことが自分には耐えられないほど、苦しい、ということかもしれない」と、踏み込んだ発言をしている。
今回の尖閣諸島問題についての「安酒に酔うことなく、魂の行き来する道筋を塞いではならない」という村上春樹のメッセージは、エルサレム講演などとは異なり、自らが手を挙げて発言した「寄稿」という形であるだけに、村上春樹本人にとって、止むに止まれぬ思いが込められていたことを痛感させられる。私たち日本人もこの言葉を噛みしめるとともに、村上春樹の思いが中国の人々にも届くことを祈りたい。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9%E3%81%AE%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%9F-%E8%8F%85%E9%87%8E-%E6%98%AD%E6%AD%A3/dp/4582835805/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1372573484&sr=8-5&keywords=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9%E3%80%80%E8%AA%AD%E3%81%BF%E6%96%B9
③ 今までの日本の社会造りは、暗黙の合意による部分が返って効果的に機能し、何とでも解釈可能であいまいでよかった。
しかし、世界の社会構造全体が、日々変化し、複雑化し、且つ危機への迅速な対応が必須の時代になってくるとそういうわけにはいかない。
先日の原発、爆発で放射能が飛散した。総理が状況を全く把握できていない。当てずっぽうに、避難区域は爆発箇所から5キロだ10キロだとやっている。ところが放射能が風に流されて濃度が高くなっている方へ非難した住民も多かった。
実際、文部科学省には、100億円をかけた放射能の飛散地域の濃度を計測するシステム(SPEEDIー 環境防災ネット)があったが総理も誰もSPEEDIの存在を知らなかった。
以上の経過の中で東電は原発事故は手に負えない。放棄し原発から撤退したいと申し出ていたといわれる。そこで、菅総理が、そんなことをすれば、主権放棄になり外国の管理下に置かれる。そんな行為が許されると思うのかと、東電本店へ乗り込んだ行動につき「東電への指示命令権の根拠法律もないままに、考えもなしに違法な権限行使をしたと総理を責める者もいた。
批判者側は、「何もせず、ただ傍観しておればよかった」ということだ。
菅元総理の感想は、「日本の国土のうち30%が今後80年間使えない。被災者は5000万人に達するという最悪の事態を覚悟したときに、圧力容器の底が抜けたことで爆発がまぬがれた。抜けなかったらどうなったかわからない。単なる幸運だったというしかない。」というもの。行き当たりばったりで物事を掘り下げることがない。
官邸を文系が占めるか理系が占めるかも議論になったらしい。
どちらでもよいが何が求められているかが重要。そうしたときにタレントの若者を集めて得票を競う。
バカにされるだけの価値がある住民ということか!
最高責任者を始め、誰もが責任を負えないシステムと、誰もが責任を負う必要がない社会造り。
同じ事態が生じれば、また、同じことをやるだろう。
その時、命を失ったものはどう報われるのか?
日本の将来を俯瞰したときに今までのようなわけにはいかない。
国民一人一人に、高度な情報選択収集力、判断力が求められてくる。統治機構として、権限と責任の明確化が求められる。必要な情報開示も必要でしょう。それで初めて法治国家が成立します。
地方自治法242条の2の主権行使につき、日本の全体の約1.5%~2%を、私が行っています。
今までの官僚指導がどういうものだったか、実態を皆さんは知らなければならないでしょう。
自衛のための戦争でない戦争はない。そういう意味では、侵略戦争も自衛戦争。他方、過去において強者が弱者を収奪し支配した。国家を破壊し併合したことも事実。
その場合、弱者としてみれば、取り返しがつかない被害を被っている。それをどう議論するかが重要。それを侵略というか言わないか?
もう一点、時代は変わっていく。変わった地点から見て、あの時代は間違っていたかどうかを振り返る。当時も、将来を考えて行動したはず。大東亜共栄圏構想なども同じ。間違っていたなら認める。あの時代はやむを得なかっただけでは済まない。
②村上春樹氏について
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東京の世田谷文学館で昨年の秋に開催された連続講座の記録。5人の論者が村上春樹について語っている。そのうち、藤井省三と加藤典洋の二人が村上春樹と中国の関係に言及している。村上春樹は9月26日、尖閣諸島をめぐる問題について朝日新聞にコメントを寄せたばかりということもあって、いろいろ考えさせられた。
藤井は、中国での村上春樹の受容のされ方について論じており、村上春樹は、中国絡みの作品に限って何度も書き換えを行っているという重要な指摘をしている。さらに、十数年前に台湾の新聞社のインタビューで「僕は神戸の人間で、中国人は僕にとってはたいへん自然なものでした。僕の父は戦争中に徴兵されて中国大陸に行きました。中国は僕の人生における重要な記号です」と語っていることも紹介されている。
また、加藤典洋は、村上春樹の短編小説を徹底的に読み込むことから見えてくるものについて論じている。特に、村上春樹の短編小説第一作である『中国行きのスロウ・ボート』に注目している。ここでも村上春樹はアメリカの雑誌のインタビューを受けて、自分は中華料理を食べられないが、それは徴兵で中国に渡った父親の体験が影響している、と答えていることが紹介されている。また、『中国行きのスロウ・ボート』と同じモチーフが2004年の長編小説『アフターダーク』でも繰り返されていることも指摘している。その上で、加藤は「村上春樹は、中国に対して罪責感ないし良心の呵責ということを強く感じていた。村上春樹が、作家人生の最初の短編に、中国人とのすれ違いの思い出を書いたということは、日本(人)は中国に対していまなお謝るべきところをしっかり謝りきっていない、そのことが自分には耐えられないほど、苦しい、ということかもしれない」と、踏み込んだ発言をしている。
今回の尖閣諸島問題についての「安酒に酔うことなく、魂の行き来する道筋を塞いではならない」という村上春樹のメッセージは、エルサレム講演などとは異なり、自らが手を挙げて発言した「寄稿」という形であるだけに、村上春樹本人にとって、止むに止まれぬ思いが込められていたことを痛感させられる。私たち日本人もこの言葉を噛みしめるとともに、村上春樹の思いが中国の人々にも届くことを祈りたい。
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③ 今までの日本の社会造りは、暗黙の合意による部分が返って効果的に機能し、何とでも解釈可能であいまいでよかった。
しかし、世界の社会構造全体が、日々変化し、複雑化し、且つ危機への迅速な対応が必須の時代になってくるとそういうわけにはいかない。
先日の原発、爆発で放射能が飛散した。総理が状況を全く把握できていない。当てずっぽうに、避難区域は爆発箇所から5キロだ10キロだとやっている。ところが放射能が風に流されて濃度が高くなっている方へ非難した住民も多かった。
実際、文部科学省には、100億円をかけた放射能の飛散地域の濃度を計測するシステム(SPEEDIー 環境防災ネット)があったが総理も誰もSPEEDIの存在を知らなかった。
以上の経過の中で東電は原発事故は手に負えない。放棄し原発から撤退したいと申し出ていたといわれる。そこで、菅総理が、そんなことをすれば、主権放棄になり外国の管理下に置かれる。そんな行為が許されると思うのかと、東電本店へ乗り込んだ行動につき「東電への指示命令権の根拠法律もないままに、考えもなしに違法な権限行使をしたと総理を責める者もいた。
批判者側は、「何もせず、ただ傍観しておればよかった」ということだ。
菅元総理の感想は、「日本の国土のうち30%が今後80年間使えない。被災者は5000万人に達するという最悪の事態を覚悟したときに、圧力容器の底が抜けたことで爆発がまぬがれた。抜けなかったらどうなったかわからない。単なる幸運だったというしかない。」というもの。行き当たりばったりで物事を掘り下げることがない。
官邸を文系が占めるか理系が占めるかも議論になったらしい。
どちらでもよいが何が求められているかが重要。そうしたときにタレントの若者を集めて得票を競う。
バカにされるだけの価値がある住民ということか!
最高責任者を始め、誰もが責任を負えないシステムと、誰もが責任を負う必要がない社会造り。
同じ事態が生じれば、また、同じことをやるだろう。
その時、命を失ったものはどう報われるのか?
日本の将来を俯瞰したときに今までのようなわけにはいかない。
国民一人一人に、高度な情報選択収集力、判断力が求められてくる。統治機構として、権限と責任の明確化が求められる。必要な情報開示も必要でしょう。それで初めて法治国家が成立します。
地方自治法242条の2の主権行使につき、日本の全体の約1.5%~2%を、私が行っています。
今までの官僚指導がどういうものだったか、実態を皆さんは知らなければならないでしょう。