渡邉恒雄『靖国神社に対する見解
『靖国神社に対する見解
渡邉は、内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対している事で知られ、「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである」[58]、「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力で、それを倒す」[59] と述べ、靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者追悼施設を建設すべきと主張している(後述)[60]。また「内務班で受けた暴力をいまでも許せない、だから首相の靖国参拝には反対だ」[61] と本音を語っている。ただし、極東国際軍事裁判の判決が絶対的正義ではない、とも述べている[62]。
2001年から2006年に靖国神社を参拝した、当時の内閣総理大臣である小泉純一郎を「愚かな総理大臣」と辛辣に批判しており、小泉が自身の靖国参拝は「心」の問題だと語っていた事に対しては、日本遺族会が選挙における票田になっていることを挙げた上で、小泉が自由民主党総裁選挙の際、遺族会に向けて、自身が首相に就任すれば靖国神社を参拝することを約束していたとして、「私はそれは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている」と主張している[63]。2006年、ニューヨーク・タイムズのインタビューに対して、渡邉は「(小泉純一郎は)歴史も哲学も知らず、勉強もせず教養も全くない」とまで述べた。渡邉は「小泉首相が『靖国参拝のどこが誤っているのか』『靖国を批判する国は韓国、中国しかない』と愚かな発言をするのは無知から始まったこと」とも述べた[64]。
旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、大日本帝国陸軍・海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては「今でも許せない軍の非人間的作戦」[注釈 7] としているほか、アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては「前線の将兵に対する鬼畜の行為」と怒りを露わにし、戦陣訓を作成したとされる当時の首相兼摂陸軍大臣の東條英機を批判している。渡邊は東條について「最大最悪の責任者が東條英機であることはまちがいない」[65]、「「東條っていうのは、ヒトラーと同じ」と批判し、靖国神社を参拝した中曽根康弘にも自分は東條を「断じて許すことができない」[66]と中曽根が東條が合祀されている靖国を参拝したことを本人に直接抗議している。「「渡邉曰く「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」[67]、「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」[68]。
昭和天皇の戦争責任について、「昭和天皇は戦争責任を取って少なくとも終戦後に退位すべきであった」という意見で石原慎太郎、中曽根康弘と一致していたという[69]。
靖国神社の遊就館に対しては、真珠湾攻撃などの日本が勝利を勝ち取った写真が展示されているため、「非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない」と主張している。また、自民党幹事長だった加藤紘一が遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語ったとも述べている[70]。
2005年、読売新聞社は渡邉の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された[58]。渡邉は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している[71]。また朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記にも「読んでほしい」と述べている[72]。
社会民主党は2006年9月7日午後、東京都内で「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を開き、渡邉と意見交換し、渡邉は「世界各国に無名戦士の墓があり、国賓が来た時に訪問する国も多い。日本でこれに該当するのは千鳥ケ淵墓苑だ」と主張し、同墓苑に隣接する公務員宿舎などを廃止して墓苑を拡充、無宗教の追悼施設にする事を提案した。党首(当時)の福島瑞穂は「社民党の考え方と共通点が大変多く、とても参考になった」と応じた[73]。
尊敬している中国人政治家は鄧小平と述べ、渡邉が鄧小平に日本の対中侵略戦争の責任問題についてどう見ているのかと尋ねたところ、鄧小平は侵略戦争を起こしたのは大日本帝国政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明し、渡邉はこの言葉を聞いた後「親中派」となった、と言う[59]。ただし、2005年の中国における反日活動では「中国の反日暴動は、中国政府の統治能力と国民の文明開化度が日本より半世紀遅れていることを示すもので、いたずらに興奮するのは無益だが、あの暴挙については、日本国政府は厳しく抗議して、損害賠償を求め、国の威信を保たねばならない」と中国側を批判していた[74]。
2013年末に、その当時の内閣総理大臣である安倍晋三が靖国神社を参拝した事に対して、幹部たちとの会合で、「あれにはオレも失望した」と漏らしている[75]。2007年には「安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね」と述べている[76]。
2023年1月に渡辺は戦争と歴史認識の問題について、具体的な提言を行っている。靖国神社参拝問題については、「侵略した加害国と侵略された被害国の政治的なシンボル」となっているとして、A級戦犯の分祀がなされない限り政治的権力者は公式参拝すべきでないと述べている[77]。ただし、渡邊は元将兵や戦没者の遺族が亡き戦友や家族を想って靖国神社を参拝することまでは否定しておらず、理解を示している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%81%92%E9%9B%84
渡邉は、内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対している事で知られ、「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである」[58]、「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力で、それを倒す」[59] と述べ、靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者追悼施設を建設すべきと主張している(後述)[60]。また「内務班で受けた暴力をいまでも許せない、だから首相の靖国参拝には反対だ」[61] と本音を語っている。ただし、極東国際軍事裁判の判決が絶対的正義ではない、とも述べている[62]。
2001年から2006年に靖国神社を参拝した、当時の内閣総理大臣である小泉純一郎を「愚かな総理大臣」と辛辣に批判しており、小泉が自身の靖国参拝は「心」の問題だと語っていた事に対しては、日本遺族会が選挙における票田になっていることを挙げた上で、小泉が自由民主党総裁選挙の際、遺族会に向けて、自身が首相に就任すれば靖国神社を参拝することを約束していたとして、「私はそれは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている」と主張している[63]。2006年、ニューヨーク・タイムズのインタビューに対して、渡邉は「(小泉純一郎は)歴史も哲学も知らず、勉強もせず教養も全くない」とまで述べた。渡邉は「小泉首相が『靖国参拝のどこが誤っているのか』『靖国を批判する国は韓国、中国しかない』と愚かな発言をするのは無知から始まったこと」とも述べた[64]。
旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、大日本帝国陸軍・海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては「今でも許せない軍の非人間的作戦」[注釈 7] としているほか、アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては「前線の将兵に対する鬼畜の行為」と怒りを露わにし、戦陣訓を作成したとされる当時の首相兼摂陸軍大臣の東條英機を批判している。渡邊は東條について「最大最悪の責任者が東條英機であることはまちがいない」[65]、「「東條っていうのは、ヒトラーと同じ」と批判し、靖国神社を参拝した中曽根康弘にも自分は東條を「断じて許すことができない」[66]と中曽根が東條が合祀されている靖国を参拝したことを本人に直接抗議している。「「渡邉曰く「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」[67]、「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」[68]。
昭和天皇の戦争責任について、「昭和天皇は戦争責任を取って少なくとも終戦後に退位すべきであった」という意見で石原慎太郎、中曽根康弘と一致していたという[69]。
靖国神社の遊就館に対しては、真珠湾攻撃などの日本が勝利を勝ち取った写真が展示されているため、「非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない」と主張している。また、自民党幹事長だった加藤紘一が遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語ったとも述べている[70]。
2005年、読売新聞社は渡邉の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された[58]。渡邉は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している[71]。また朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記にも「読んでほしい」と述べている[72]。
社会民主党は2006年9月7日午後、東京都内で「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を開き、渡邉と意見交換し、渡邉は「世界各国に無名戦士の墓があり、国賓が来た時に訪問する国も多い。日本でこれに該当するのは千鳥ケ淵墓苑だ」と主張し、同墓苑に隣接する公務員宿舎などを廃止して墓苑を拡充、無宗教の追悼施設にする事を提案した。党首(当時)の福島瑞穂は「社民党の考え方と共通点が大変多く、とても参考になった」と応じた[73]。
尊敬している中国人政治家は鄧小平と述べ、渡邉が鄧小平に日本の対中侵略戦争の責任問題についてどう見ているのかと尋ねたところ、鄧小平は侵略戦争を起こしたのは大日本帝国政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明し、渡邉はこの言葉を聞いた後「親中派」となった、と言う[59]。ただし、2005年の中国における反日活動では「中国の反日暴動は、中国政府の統治能力と国民の文明開化度が日本より半世紀遅れていることを示すもので、いたずらに興奮するのは無益だが、あの暴挙については、日本国政府は厳しく抗議して、損害賠償を求め、国の威信を保たねばならない」と中国側を批判していた[74]。
2013年末に、その当時の内閣総理大臣である安倍晋三が靖国神社を参拝した事に対して、幹部たちとの会合で、「あれにはオレも失望した」と漏らしている[75]。2007年には「安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね」と述べている[76]。
2023年1月に渡辺は戦争と歴史認識の問題について、具体的な提言を行っている。靖国神社参拝問題については、「侵略した加害国と侵略された被害国の政治的なシンボル」となっているとして、A級戦犯の分祀がなされない限り政治的権力者は公式参拝すべきでないと述べている[77]。ただし、渡邊は元将兵や戦没者の遺族が亡き戦友や家族を想って靖国神社を参拝することまでは否定しておらず、理解を示している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%81%92%E9%9B%84