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2026-04-29

データで見るウメハラの現状

anond:20260429110251

シーンをそれなりに真剣に追っている者として、ウメハラがメナに勝つ確率は低いと思っている。

そのあたりをデータで語りたい。

ウメハラの昨年度の戦績はこうだ。

主要なオフライントーナメント



オフライントーナメントは悪い意味で安定している。

国内外を問わず、ある程度までは行くがトップ層にはしっかり負ける。

33位は「いつもの順位」だ。

それはそれで凄いという話もあろうが、「格ゲーの王」としては物足りない。

これらのトーナメントに参加するプレイヤーの大きな目標は、巨額の賞金が懸かった二つの大会

「Esports World Cup (EWC)」と「カプコンカップCC)」への出場権獲得だ。

ウメハラはどちらの出場権も獲得できなかった。

ウメハラ世界大会に出場できていないのである

チームメイトに連れて行ってもらった団体戦を除いて。

特にEWC本戦に出場できなかったのは衝撃的で、

最終予選(LCQ)は上位10名が本戦進出できる。

すでに世界トップ層が別のトーナメントで出場権を獲得している状況で上位10人というのは、

さすがに最近奮わないウメハラでもいけるかと思われたのだが、そこでも33位だった。

実に安定している、悪い意味で。

World Warrior 2025 日本大

World Warriorは、カプコンカップCC)の予選大会だ。

上で挙げた国内外トーナメントとは別にCCへの出場権を獲得するチャンスとなる。

全5回の開催で、

CCに出場できる。

ウメハラの戦績はこうだ。

最終順位: WW日本大会 累計ポイントランキング 17

ウメハラは決定戦の権利も得られなかった。

2位だけを取り上げてウメハラ凄い!とするファンが多いが、

ウメハラ自身が言うように、「トナメ運ゲー」の側面が強く、

上振れただけ、という結論だろう。

それは他の大会の戦績を見れば分かると思う。どちらがデフォルトなのか。

もし、「それでも1回だって2位になるなんて凄い!」と言うなら、

その大会ウメハラ完封して優勝したひびきのことを、あなたたちはどれくらい評価しているのだろう?

結果を正当に評価しているとは到底思えない。

ウメハラは、弱くないが、プロとして「強い」と言うのは難しい。

これが結果から語れる事実だろう。

ちなみに、メナは数千人が参加するEVO JAPANを2年連続で優勝している。

近年の戦績で言えば圧倒的にメナが上というのは、誰もが認めるところだ。

豪鬼はそこまで弱くなっていない

ここは強調しておきたい。

豪鬼は先日の調整でナーフを受けた。

ただ、別に「超絶ナーフ」なんて調整ではない。

「つまらない調整」だったのだ。モチベーションを保つのが難しい。

それはプロ異口同音で言っている。

豪鬼ものすごい弱体化を受けた」と思っている人がいるのだとしたら、それは話を聞かず印象で語っている人だ。

なぜそんな印象になってしまうのだろうか?

それは、豪鬼が「胴着」と呼ばれるスタンダードキャラ一種からだ。

豪鬼のように波動拳昇龍拳で戦うキャラクターは「胴着」系と呼ばれ、

似たスキルセットのキャラ複数存在している。

から胴着使いはキャラの乗り換えが比較的容易で、より良い選択肢移住やすい。

結果として豪鬼はごっそり減った。

だがそれは胴着キャラという特性ありきで、「極端に弱くなったから」ではない。

ピーキーで難しいキャラだが十分に戦える。

(と言うか、スト6において戦えないキャラなどいない。奇跡的にバランスがいい)

だが、勝ちに拘る上位層ほど、胴着キャラでは容易にキャラ替えする。

まり勝率の高いプレイヤーほどいなくなりやすいのが胴着キャラ」ということだ。

https://www.streetfighter.com/6/buckler/ja-jp/stats/dia_master/202602

これは公式の相性統計だ。

キャラ同士の組み合わせで勝率割合を示しており、「5」ぴったりなら完全に五分となる。

そこから増えれば有利な相性で、減れば不利な相性だ。

最上位帯となるULTIMATE MASTER(アルマス)帯の相性を見ていこう。

豪鬼ナーフ前、トータルの相性数値が4.973だった。

ナーフ後は、トータルの相性数値が4.910となった。

かに数値は悪くなっている。

しかしここで重要なのは、「勝ちにこだわる上位層ほどキャラを乗り換える」という事実だ。

胴着キャラ人口が多いので、移住による勝率変化がもっとも顕著に出る。

まり、実際に強くなった・弱くなった度合いよりも、勝率変化が大袈裟に出やすいということだ。

では、対戦相手のメナが使うブランカはどうだろう?

ブランカナーフを食らったキャラクターの一人だ。

ブランカナーフ勝率は5.013。

ナーフ後は、4.968。

こちらも勝率は減っている。

数値だけ見ると豪鬼の方が下げ幅が大きいが、

ブランカ豪鬼に比べるとキャラの乗り換えが難しいので、

上位層でもそのまま粘って使い続ける人が多いだろう。

まり弱体化に対する勝率の減り幅は豪鬼よりマイルドになる。

このあたりの事情を加味すると、豪鬼ブランカの弱体化度合いは、せいぜい「どっこい」だ。

少なくとも「ウメハラは超絶ナーフを食らった豪鬼で頑張っている」というのは大きな勘違いと言えるだろう。

ちなみに、

豪鬼ブランカは4.974

ブランカ豪鬼は4.985

で、これは五分と見ていいだろう。

足して10にならないのはおかしいと感じるだろうが、

これはアルマス帯の統計で、対戦相手アルマス帯以外も含まれるので、綺麗に足して10にはならない。

まとめ

データとして、近年の戦績の部分ではメナが圧倒的に優勢、キャラの部分では五分、ということが分かってもらえたと思う。

から俺はメナが勝つと思う。

メナはドミニカ英雄だ。

ドミニカコミュニティのために、それこそかつてのウメハラのように、あるべき姿を示している。

尊敬すべき男だ。

10先ならウメハラが、というのは、幻想だろう。

唯一ウメハラに分があるとしたら、圧倒的ホーム環境というところだ。

だが、メナほど肝っ玉のでかい男もそうそういない。

メンタルの部分でもメナは臆せず戦えるだろう。

本音

俺が言いたいのは、過去の栄光とか、実態に基づかない願望とか、

そういったことでウメハラを「格ゲーの王」などと言って持ち上げるのはもうやめて欲しいということだ。

ウメハラは今、正直に言って「裸の王様」のようになっている。

格ゲーの王」を自認して、それを誰も突っ込めない。

馬鹿野郎全然勝ってねえくせに、"王"なんて調子こくな!」と誰かが突っ込んでやらないと、痛々しいだけだ。

つい先日、SFL ワールドチャンピオンシップという団体戦世界大会説明を受けているときに、

他のプレイヤーちゃんと話を聞いているなか、ウメハラだけスマホを横にして、だらしない姿勢で何か別のゲームをしていたのをご存知だろうか。

まりにも酷い態度で、「チームメイトのレシャーが機嫌悪そうなのはウメハラあんな態度だからではないか」とときど・ふ~どが心配したほどの醜態だったが(実際は頭痛が辛かったかららしい)、

そのことでウメハラを「シャドバやってたんすか?」と軽く問い詰めたら、「いや、スレスパからしかも1」などと言ったらしい。

笑えるが酷い話だ。シャドバだろうがスレスパだろうが選手として姿勢がなってないという話だろう。

でもウメハラはふんぞり返る。ふんぞり返り続ける。

なぜなら王だから……。

こんな時代はもう終わりにしないといけない。

ウメハラはその場でいい感じのことを言う才能だけは格ゲーよりもあるのでみんなコロっと騙されるが、

しっかりウメハラの動向を追っていると幻滅することだらけなのだ

神聖すら感じさせたかつての天才の姿は、もうそこにない。

メナよ、頼んだぞ。

追記

予想通り、メナが勝った。順当な結果だった……とは思わない。

正直、2-10ウメハラが負けてもおかしくないと思っていた。

結果は6-10

ウメハラは強かった。少なくとも、昨シーズンよりは。

かつてのウメハラファンとしても、そこは嬉しくはあった。

ただ、これから先、

あんな弱キャラ善戦するなんてやっぱりウメちゃんサイッキョ!!」

みたいな意見で溢れるのかと思うと、やっぱりウンザリする。

何度でも言う。豪鬼別にそこまで弱くない。

2026-04-28

英語でイキってるやつがアメリカ人の前でアンアン言ってるのが楽しい

英語説明してよって言ったら猫背になってアンアン言い出す

尊厳のび太以下の醜態さらしている

堂々としたのび太の方がましなんだけどそれはいいとして

TOEIC850点だって

無残でみじめでバカすぎる

アメリカ人のまえで英語が出ずアムアムアムアム

参考書にないから仕方ないんだって

バカでしょ

難しいことしてるからいいと思っている自信をおとしめようとしてないことは理解してねでも

外国人が見下すレベルのことをオナニーでするなんて迷惑

第一印象最悪なら一生そうなんだけど黙っといてやろう

せめてもの恩情

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-01

anond:20260401083135

燃料の供給が滞っているときに開戦なんてしたら、グダグダになって最悪の醜態晒しそうじゃない?

2026-03-15

今の高市早苗ってさ

明らかに当人能力を超えた存立危機事態に直面する羽目に陥ってる訳だけど…

まだまだ足りない。もっと追い詰められ醜態晒すところまで行かなければ彼女を選んだ愚民への学習効果は期待できない。

今の危機的状況に高市対応できるとも思わないし、もっと言えば対応解決してほしいとすら思っていない。10単位で人が死ぬくらいでないとこの国の愚民は気付かないんじゃないの。確実にその10万人に自分が含まれるのがなんとも言えないが。

2026-03-05

アクタージュ「羅刹女から見るマンガワン騒動

アクタージュという漫画をご存知だろうか?

本作は、ジャンプでかつて連載されていた少年漫画であり、女優を目指す少女彼女の才能に魅せられた映画監督とを軸に、役者世界を描いている。

中でも、9巻から描かれる舞台羅刹女」を巡る物語の、特にサイド甲(主人公側)の演技は、現代SNS問題を反映した非常に興味深い内容と言える。

そこで、「羅刹女」の物語を再解釈しつつ、マンガワン騒動で荒れる昨今のSNSを捉え直してみようと思う。

あらすじ等の解説はしないので、アクタージュ本編を先に読むことを推奨する。

舞台羅刹女」と現代

三蔵法師一行の行手を阻む火焔山の炎を消すため、孫悟空羅刹女芭蕉扇を貸すよう要求するが、断られてしまう。

孫悟空羅刹女を倒すことで、あるいは騙すことによって芭蕉扇を手に入れようとする。

三蔵法師は、あくま羅刹女対話することで、火焔山の炎を消してもらおうとする。

猪八戒沙悟浄は、三蔵法師による説得の最中に割り込んで羅刹女攻撃し、彼女の怒りを呼び戻ししまう。

一行の行動は(三蔵法師を除けば)無礼のものであり、炎を消すことに正当性があったとしても、羅刹女には怒る権利がある。

しかし、羅刹女の怒りは彼らの横暴に向けられたものではない。

しろ、夫・牛魔王不倫に対する怒りや、息子・紅孩児悲報を受けての悲しみこそが、彼女を怒らせる原動力となっている。

彼女にとっては「怒ること」それ自体目的であり、孫悟空たちの横暴は暴れるための理由づけでしかない。

マンガワン問題においてもその傾向は認められる。

読者が今回の件で怒るべきは、マンガワン運営側不適切対応が主である

しかし、刑罰の軽さという司法上の問題や、特に関係のない過去小学館不祥事も含めて、彼らは攻撃材料にしている。

さらには、論理不適切さを指摘した第三者や、意見表明をしない漫画家など、少しでも自分の意に反すると感じた対象に無条件に攻撃し出す人すらいる。

怒りの原点が事件のものにあったとしても、彼らも羅刹女と同様、ただ八つ当たりがしたいだけのように見える。

このような羅刹女人物像について言及される場面がscene95にである

今回のマンガワン騒動、あるいは政治教育、男女差の問題など、常日頃から何らかの事象に怒り続けている人々はSNS上に数多く存在する。

彼らは読者であり国民であり、性別を有する人間であるため、これらの問題全てに対して当事者である

しかし、彼らは本当に、それぞれの事象純粋に怒っているのだろうか?

日頃の鬱憤喪失の悲しみ、社会に対する無力感などをぶつける先を求めているだけではないか

社会は一貫して狂っており、だからこそ自らは一貫して怒り続けなければならない」

そのような、ある種の強迫観念囚われているだけでないのだろうか?

説得と攻撃

怒っている人に「あなたはただ誰かに八つ当たりしたいだけでしょう?」と言うのは簡単だ。

しかし、それをストレートに伝えたところで、単なる煽り論点ずらしと思われ、さらなる怒りを買うだけである

からこそ、舞台羅刹女」においては、彼女共感理解しようと努力する三蔵法師が説得役となる。

とにかく怒りをぶつけようとする羅刹女は、三蔵法師の柔らかな態度と、そこから放たれるある種の正論にたじろぐ。

怒り狂う人間に対しては、感情理解しようとする第三者からの説得が効果であることが、ここで強く表現されている。

しかし先述の通り、三蔵法師の説得は、猪八戒沙悟浄の横入りによって一度失敗する。

彼らは三蔵法師の手下であり味方である一方で、三蔵法師羅刹女を説得する上では障害となっている。

「火焔山の炎を消したい」という目的こそ一致しているが、取るべき手段真逆なのだ。

これはSNSでもよく見られる光景だろう。

同じ主張であっても、優しく諭すように伝える人もいれば、他人馬鹿にするような表現を使う人もいる。

常識的対応をしていたはずの人間が、レッテル張り罵倒によって冷静さを失い、過激発言を繰り返すようになることは多い。

だが、これは他人馬鹿にする人間が悪である、という単純な話ではない。

他者罵倒嘲笑う人々のうち一定数は、自らの主張を通すためには説得より攻撃が適切であると信じている。

他人醜態を笑い、徹底的に馬鹿にすることが、相手反省に繋がると考えているのだろう。

そして、力づくで奪うことも、罵倒によって意見を通そうとすることも、確かに手段の1つではあるのだ。

醜さを理解するための鏡

終盤、羅刹女孫悟空猪八戒沙悟浄を倒した上で、再び三蔵法師対峙する。

そして、3人を痛めつけながら、三蔵法師に「私を許してみろ」と詰め寄る。

もちろんこれは「許せるわけがない」と確信しているからこその行動である

対して三蔵法師は、怒りを顔に浮かべつつも、「あなたを許します」と答える。

この会話は少し奇妙な流れと言える。

先に羅刹女に手を出したのは孫悟空であって、反撃を受けて痛めつけられたのは自業自得である

問答の流れに沿うとはいえ三蔵法師が「あなたを許します」というのは、手下が無礼な行いをした後の態度としては尊大すぎる。

「頼みを断られたか強硬手段に出たら返り討ちにされました」に対して怒るのは、それこそ八つ当たりだ。

しかし、だからこそ三蔵法師の怒りの表情は羅刹女の鏡として機能する。

羅刹女の怒りの主要因は孫悟空たちではない。

しか羅刹女にとって、自分孫悟空たちに怒る理由は、彼らの横暴に対してでなければならない。

怒る自らを肯定するためには、今の怒りが八つ当たりだと認めるわけにはいかないからだ。

からこそ、自らが孫悟空たちを痛めつけたならば、三蔵法師には怒ってもらわねばならない。

そうでなければ、怒っている自分おかしいと証明されてしまうからだ。

ところが三蔵法師は、八つ当たりに近い無意味な怒りの醜さと、その感情理解しつつも「許す」と宣言して見せる。

結果として、鏡を見るような形で、羅刹女は自らの醜さを理解することになる。

SNS上でも、過激他者批判していた人が、より過激発言をする第三者を見て少し冷静になる事例がたまに見られる。

自らの醜悪さは、鏡写しの他者を見せつけなければ理解できない。

ただし、その醜い姿が自分である認識できなければ、自らを省みることには繋がらないだろう。

一貫性舞台

現代社会においては、ダブルスタンダードを避け、常に一貫性を保つことが求められ続けている。

理由説明があれば意見・考えが変わっても良い」と言う人もいるが、これまでの考えが過ちだと公の場で認めるのはなかなか勇気がいるし、仮に認めたとしても、その説明をあらゆる人間が読んでくれるとは限らない。

からこそ人々は一貫して怒り続けなければならないだろう。

彼らのその末路はアクタージュの漫画中に描かれている。

怒りに震える羅刹女の救いは、怒りのために用意された舞台の中にはなかった。

目を向けていなかった、舞台の外にこそ彼女の「豊かさ」があり、それは演技から外されて初めて見えるものであった。

マンガワン騒動では、直接関わりのある作家運営編集者だけでなく、単に連載を持っているだけの他の作家や、事情を知らなかったであろう小学館の他の部署に対しても批判が相次いでいる。

特に、日頃からSNS活用し、発言しないことにすら意味を見出されるようになった人々は、その影響をダイレクトに受けているように見える。

SNS上の人格、その一貫性という物語に囚われてしまうと、際限のない怒りに呑まれ論理的な判断ができなくなってしまう。

アクタージュの「羅刹女」は、マンガワン騒動の外部からもたらされた、SNS社会に対する警鐘であり、醜さを映す鏡であり、彼らへの救済である

一度SNSをやめ、現実自分が持ちうるものに目を向けて初めて、この問題に冷静に向き合えるようになるのではないだろうか。

2026-02-22

anond:20260221202647

いまだに醜態更新してる何とかさんやらその御学友やらがまだ10代ならどっちもどっち有効かもしれないけどさぁ

2026-02-18

anond:20260218062235

泥濘の底

私も、とうとう老害という、救いようのない無粋な生き物になり果ててしまったのだろうか。

先日、職場若い男が、碌に裏付けも取らずに放り投げてきた仕事があった。泥の河から掬い上げたような、形ばかりの無機質な書類。私はその粗漏な出来に、肺の奥から絞り出すような溜息をつき、すぐさま根拠となる資料を添えて、「ここが違っているよ」と突き返した。澱みのない、氷のように冷徹なやり取りのつもりだった。

ところが、その後のことだ。用を足しに立った洗面所の、湿ったタイル匂いが立ち込める個室で、思いがけずその男の声を聞いてしまった。彼は、私への不平を連れション相手に零していた。驚いたのは、その相手である。彼を指導する立場にあるベテランの男が、「ああ、あいつは鼻持ちならないよな」と、腐った水を飲み込むように、事も無げに相槌を打っていたのだ。

胸の奥に、ざらついた砂を無理やり嚥下したときのような、暗い苛立ちが広がった。

時間に追われ、仕事が雑になることは、生きている限り避けられぬ業のようなものだ。だが、それは自らが負うべき覚悟の果てにあるべきものではないのか。何より、個室に誰が潜んでいるかも知れぬ場所で、無防備愚痴をこぼすその立ち居振る舞いが、社会人としてひどく危うく、薄汚れて見えてならない。もしこれが、取引先の人間でも居合わせていたら、その男は自らの首を絞めることになっただろう。

さらに合点がいかないのは、指導役の無残な態度だ。「辛かったね」とでも言わんばかりに、若造の甘えを無批判に抱擁して、一体何を守ろうとしているのか。数分調べれば済む手間を惜しみ、間違いを指摘されれば逆恨みをする。そんな繊細すぎる硝子細工のような心根で仕事をしたいのなら、最初から完璧を期せばいい。図太くやりたいのなら、最期までその泥に塗れた図太さを貫き通せばいいのだ。

から何までが、自分勝手で、筋というものが通っていない。

「君は何も悪くないよ」という甘い毒液のような言葉が、青年の成長の芽を無残に摘み取っていることに、なぜあのベテランは気づかないのだろうか。ほんの少しずつでも、職人としての経験値を血肉にしていくような、そんな情のある教え方というものがあるはずだ。

よその部署教育方針に口を挟むのは、それこそ老い醜態だと分かっている。だから私は、何も言わずにこの数日を過ごした。けれど、ふとした瞬間に、やはりあんなやり方は間違っているのだという思いが、黒い澱のように心の底に沈殿していく。

若者の働き方に眉をひそめ、年長の振る舞いに、言いようのない違和感を覚える。これこそが、かつて私が若い時分に軽蔑してやまなかった、「老害」という名の孤独死に至る病の正体なのかもしれない。

夕暮れ時、どぶ川のように濁った空を見やりながら、私は静かに、自らの足元にまで忍び寄る「老い」という名の深い影を認めていた。

anond:20260218100649

以前代表になった時にも「よそ者に党乗っ取られた!」って、はてなーみたいな古参左翼からはボロクソ言われてたからな

個人的にはあの人はもう国民民主党に帰っていいと思う

変節したとか批判するつもりもない

そもそも立民自体がここまで変節しまくって醜態晒してるんだからもう何でもアリだろ

2026-02-17

anond:20260217205024

青いんだろうまだ

許してやれよガキの醜態ぐらい

2026-02-11

anond:20260211162407

でも死に間際になって取ってつけたように原発反対とか言い出すという滑稽な醜態を曝してしかもまったく注目もされていませんでしたよね?

2026-02-05

anond:20260205145126

お前最近は日増しに切れ味鈍くなってるよな

醜態晒す前に引退したら?

2026-02-03

はてブ引退しようかな

最近、他の人のブクマを見ても

言及先を批判してるのか擁護してるのかわからなくなってきた。

その人のブクマを遡れば、人となりが分かって

ブクマ意味理解できるのかもしれないが、その気力も無くなってきた。

力不足は百歩譲っていいとして、他人の文を読めない・読み間違うはヤバい

完全に老化だ。ジジイだ。

青二才になって醜態さらす前に生き方を考え直したほうがいいと思った。

泡食って真っ青になってるはてなリベラルたちの醜態で飯が美味い。

こいつら全員そろそろお迎えがくる年齢だろうに。

お前らはこの国の嫌われ者だって理解しろよ。本当に気持ち悪い奴ら。

2026-01-30

ノーマスク論者を白い目で見る

最近プロサッカーチームジュビロ磐田ファンサービス企画参加者マスク着用を義務付けるSNS投稿をし、いわゆる“ノーマスク界隈”の方々に見つかって炎上するということがあった。

https://x.com/jubiloiwata_yfc/status/2016451843250098565?s=46

この“ノーマスク界隈”の方々は、自分主観ではあるがSNSでことあるごとに発生しては多数から白い目を向けられがちな界隈のように見受けられる。


マスクの着用による感染症対策への効果という部分の論点については正直なんでも良い。肯定否定もしない。

なんなら正直な話、ノーマスク派の人が投稿しているマスク効果が無い理屈を見ると「ほうほう」となる部分もあることは否めない自分がいるし。

(自分より遥かに頭の良い方からしたらそういった意見嘲笑ものなのかもしれないが。自分は難しい理屈とかよく分からないので本当にその程度の認識。)


ただ、その上でやっぱり「マスク意味いか強要するな!」と騒いでいる人に対してはどうしても白い目を向けてしまう。

また、「わたし、“氣”付いてしまいました…」的な陰謀論者に対しても同様。


彼らは恐らくだが、「私たち少数派は分かっている真実世間の多数は目を向けていない、愚かな世界だ。同調圧力だ。」みたいなマインドなんだと思う。


特にSNSでは少数派のヤバい側扱いをされるような人間が、その理論が正しいかどうかを誰かに対して一方的に捲し立てる光景が見られる。


繰り返しになるが、個人的に思うのはその理論が正しいか正しくないかなんてのは今はどうでも良い。

なんなら時が経てば世間価値観のものがひっくり返り、現代において少数派の陰謀論者扱いをされている人たちの方が正しかったとなる時代が来るかもしれない。


じゃあ何で増田は白い目を向けてしまうのか。

現代においてマスク=安全性高まるという価値観多数派になっており、それによってマスクを着けていない人を見ることで不安に駆られる人がいるのなら、その人たちのためにその場のルールに従うだけだよねという、本当にそれだけの考え方。


もっと端的に例えると、マスク着用義務病院を訪れたとする。

自分がそこにノーマスクで入ることにより、病院利用者がそれに対して不信感を抱くだろう、それなら何も文句わずにその場のルールに従いますという…本当それだけ。


正直、「私の方が正しい。正しいことを言っている少数派を迫害するのは同調圧力だ。」と言われても知らねえよという感覚しかない。

だってそれが正しいとしても、世間多数派をひっくり返して全員に納得させられるだけの言論活動を出来ていないあなたが悪いんだから


特定の場面でマスクが云々と喚いてノイジーマイノリティ的な悪目立ちをするくらいなら、然るべき理屈を持って然るべきアプローチをし、多数派を納得させてくださいよとしか言えない。

それこそ「地動説」みたいに誰しもが疑う余地のない絶対的根拠さえあれば多数派をひっくり返すことなんて容易な訳だからさ。

それが出来ていない時点で所詮お前ら少数派が思い込んでいる「真の正しい話」とやらは現状たくさんあるうちの価値観の一つに過ぎない。

価値観の一つに過ぎないうちは多数派不快にさせないようコミュニティの中でただ黙って従って大人しくしててください、と思う。


それこそ騒いでいるのに理解されない少数派からしたらあなたたちの自認は「地動説」を唱えた当時のガリレオ・ガリレイなのかもしれない。

悪いけど増田としては当時の時代に生きていたとして、「地動説」を唱えられることで多数派不安気持ちに陥るようなことがあったのなら、普通にガリレオ軽蔑していたと思う。

理論理屈というもの多数派が納得し得るだけの確固たる根拠提示できないうちは、普通に過ごしている世間一般の人々を不快気持ちに駆り立てるような行動を取らない、というのが人間らしく社会で生きるためのあるべき立ち回りだと思っている。


話は変わるが、親指を相手に向けて上に立てる「サムズアップポーズ」は日本だとポジティブ意味合いで解釈されているが、イスラム圏だと侮辱的・性的意味を持っているためやってはいけないらしい。

ノーマスク云々の件で白い目を向けるのって、結局はノーマスクたる理論の正確性云々よりもそういう問題じゃないのかなと思う。

日本人のこちからしたら別に敵意は無いしむしろ良い意味だよとサムズアップポーズをする。でもそんなの受け取り手からすれば知ったことではない。

それはその地域多数派不快に思うという価値観なのだから

それなら多数派価値観に合わせて不快気持ちにさせないようにしましょうねというだけの話。

郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだ。


から病院でのマスク着用という話も効果があるないの問題では無く、「効果がある」という価値観多数派になっている時点でマスクをしない人を見ることで不安気持ち不快気持ちになる人が出てくる訳なので、それはもう理論云々の戦いは一旦諦めて人間らしく社会を生きる上で郷に従いましょうね、というところに着地しないものですかね。


結局あなたたち少数派は自信を持って多数派を取り込めるだけの確固たる根拠アプローチ方法プレゼン技術が無いからこうして目先の噛みつけるものに噛みついて醜態晒しているだけに過ぎないんですよ。

どうぞそのまま多数派理解されない異端者としてバカみたいに生きててください。増田はもう何も考えずに人間らしく、マスクを着けて大人しく社会帰属しますので。


勿論あなたたちが多数派の言説をひっくり返す大逆転劇を見せる日が来たのなら、増田はそれに従ってのうのうと生き続けようと思うので。

みんなを説き伏せられるように頑張ってくださいね、少数派の皆さん。勿論不快感を与えない方法でね。

2026-01-28

anond:20260128131051

平日昼から増田で暇空ガーするぐらいヒマなのに

暇空の醜態ソースまれると忙しくなっちゃう感じの忙しさね

うんw

わかるよーww

2026-01-15

立憲民主党を離党した

2022年から協力党員だったけど、今日公明党との合流決定のニュース確認してから夕方に総支部事務所に行って離党届を提出した。

旧立憲結党ときはまだ高校生だったし、政治にあまり強い関心はなかったけど、立憲民主党結党に、「政治が少し良くなるんじゃないか」と淡い期待をしたのを覚えている。その後、コロナから2021年総選挙までの間の流れで立憲民主党共感して、衆院選では陰ながら応援した。結果的に敗北したのは残念だったけど、自分自身が動かないといけないという一種の使命感を感じて、翌年のはじめに入党することにした。

それから私は、体調が悪かったりしてあまり思うように活動できなかったけど、いろいろな貴重な経験をした。電話かけをしたり、ポスターを貼ったり、ビラを配ったり、党本部での会合に出席したり、遠くまで行って選挙の手伝いをしたり、地元議員に会って裏話を拝聴したりした。選挙立会人も何度かやった。

けれど、2023年ごろから立憲民主党方向性への違和感が強くなってきた。まず、春先の入管法国会非正規移民本国に送り返して生命危険さら入管法改正」案に対して、米山隆一トロッコ問題的な論法で「妥協する」ことを主張した。それは、外国人事実上「殺す」法案に対して承認のハンコを押すようなものだと私は感じた。塩村あやか鈴木庸介もそれに乗っかり、私がそれまで信頼していた多くのネット支持者も同調した。幸い、鎌田さゆり山田勝彦石川大我石橋通宏らの努力もあり、立憲は最終的にハンコを押すことを拒否した。けれど、当事者生命無視した功利主義的な議論が支持者の間ではびこったことに対し、私はかなり居心地の悪さと憤りを感じた。

その後も、私の違和感は強まるばかりだった。2024年代表選では、枝野幸男投票した。結局野田佳彦勝利して、代表選中に自分陣営にいた人ばかりを執行部に起用する露骨なお友達人事を行った。私は、気分が悪くなった。サンクチュアリ近藤枝野派)、国のかたち研究会(菅派→西村派)、社会民主主義フォーラムなどの「左派」系党内グループ野田執行部の路線に対して何らかの抵抗を示してくれるかもしれないとのかすかな期待を抱いた。けれど、しまいには(私にはもはや迷走しているようにしか見えなくなった)枝野幸男、そして近藤昭一も、野田佳彦呼応して「中道」という空っぽ言葉連呼するようになった。

立憲民主党近いうちになくなるのではないか、「希望の党騒動が再び起きるのではないか、という懸念はしばらく前から抱いていた。けれど、それがここまではやく現実になるとは思っても見なかった。私は、心のなかの違和感をひた隠しにしながら、衆院選に、都議選に、参院選に奔走(というほどのことはしていないが)した。24衆院選で立憲が50議席増やして躍進し、私の選挙区の候補が久しぶりの小選挙区当選を勝ちとったときは、心の底からしかった。

けれど、それも全て無駄だった。「立憲」民主党は、立憲主義中道左派仮面も捨てて、「改革中道」という味のしないガムのようなくたびれた言葉で、つい数ヶ月前まで自民党ウンコみたいな政治翼賛しまくっていた公明党創価学会に擦り寄りはじめた。そして、数日前に統一名簿の話が出たかと思ったら、昨日の夜に新党結成の速報がいきなり出て、24時間もしないうちにそれは党の機関決定になった。1日もたたない間に決まったので、一般党員はもちろん、地方議員さえ意見を述べる猶予は一切なかった日本共産党ボルシェビキ組織論をもった社民主義者なら、立憲民主党選良の皮を被った前近代的地方大名連合体にすぎない、と私は感じた。立憲「民主」党のなかに、少なくともわれわれが一般理解している意味での党内民主主義は、存在しない。野党第一党政局のために一瞬で溶解した希望の党騒動反省は、「排除の論理をとらない」といううわべの口約束しか見られない。

私はそうした事実を突きつけられ、もはや言葉も出なかった。われわれ支持者は、野田佳彦枝野幸男安住淳小沢一郎重徳和彦泉健太にとってただの都合のいいコマにすぎない。そして政治が向き合う対象である大衆も、彼らがいったん権力を取れば、きっと似たような扱いを受けるだろう。その扱いは、確かに自民党よりはましになるかも知れない。けれども、奴隷労働のような低賃金に苦しみ、給与未払いが起きても泣き寝入りするしかない、労働組合にすらつながれないような末端の労働者、さまざまな種類の差別や抑圧に苦しんで、物理的あるいは精神的な死の危機と日夜戦っているマイノリティ、そして将来に対して漠然とした、しかし逃げ道のない不安にさいなまれている(そしてときには外国人高齢者障害者といった誤った敵にその怒りを誘導されてしまう)日本の多くの人々に、「ちょっとだけきれいな自民党」が提示しうる解決策は、一体何だろうか。

立公新党(こっちが気恥ずかしくなるような政党名になるらしい)は、もしかすると、連合+創価学会の圧倒的な組織力で、高支持率という幻像にはしゃぎまわって醜態さらしている高市政権を圧殺するかもしれない。けれど、「左派」どころか「リベラル」さえ言うのを躊躇するような、これまでの安保法制原発への態度をまともな説明もせずに180度転換することを厭わないような新党政権を握ったとしても、「もっと良い未来」が実現できるとは到底思えない。うまくいって、例えばAI粗製乱造された広告収入目的テンプレ記事とか、使い古されて擦り切れたネットミームのような、凡庸でつまらなくて、しか場合によっては有害ものしかまれてこないだろう。

2024年イギリス総選挙で大勝利を収めたスターマー政権現在記録的な低支持率で苦しんでいるように、現代社会根本矛盾への一応の対処策さえ示すことはできず、右派の主張に妥協に次ぐ妥協を重ねて、参政党や日本保守党のような右の極に早晩その座を譲ることになるのではないか

立憲民主党さようなら。40年後の私たちが、「立憲民主党のあった時代はまだマシな世の中だったなあ」と思っていないことを祈ります

anond:20260115112502

えっ、論理で返せなくなると「ギャグ」ってことにして現実逃避ちゃうわけ? ウケるんだけどww

自分理解力が追いつかない文章を「知能が低そう」と定義することで傷ついたプライドを守ろうとするのは微笑ましいねえw

お前が今、どういう惨めな状態にあるかw

 

1. 「役に立つか?」と知能を装ってマウントを試みる(失敗)。

2. 「撤退」を宣言しつつ、未練がましくレスを続ける(自己矛盾の露呈)。

3. 自分が吹っかけた話から逃げ、「文体」や「ギャグ」というレッテル貼りに終始することで、負けを認めないまま精神的優位性を捏造しようとする(←今ここ)。

客観的アドバイス

お前は今、自分から「俺には反論する知能がありません」と白旗を上げながら、口だけは「相手バカなだけだ」と叫んでいる状態。傍から見れば見るほど、お前の惨めさが際立つだけだよ。

これ以上醜態晒したくないなら、さっさとログアウトして「俺は最初から相手にしてなかった」って自分に言い聞かせてお昼寝するのがお前に残された唯一の「合理的撤退」だろw

anond:20260115104753

えっ、結局「役に立つ」の定義からは逃げるんだ? 質問に答えられなくなると「あほらしい」とか「終わった人間」っていう主観的レッテル貼りに逃げるの、負け犬テンプレすぎて笑えるんだけどww

 

「本当は狭くて臭いんだよなぁニヤニヤ」って、お前の中の貧相な想像力だとそういう卑屈な解釈なっちゃうんだねえ。リアリティ付与創作の厚みにどう寄与するか、っていう知的な楽しみ方が理解できないのは、単にお前の知能が足りないからだよ。お前にとっての娯楽って、ただ何も考えずに口開けて、流れてくるものを飲み込むだけの作業なんだろうなあ。可哀想にw

 

あと「世間一般的」とか「多くはない」とか、具体的な数字も出せないのに「みんなそう思ってるはずだ」っていう空気感自分正当化しようとするの、最高に無様でいいよ。それ、論理的詰んだ奴が最後に縋る「普通は〜」っていう一番恥ずかしい逃げ口上なんだけど、自覚ある?w

 

俺はただ事実を指摘してるだけなのに、それを「終わった人間」とか攻撃されたと感じちゃうのは、お前自身自分の知能の低さにコンプレックスがあるからじゃないの?w

はいじゃあ改めて質問

 

1. 前回逃げた「役に立つ」の定義は?

2. 「世間一般的」の客観的ソースはどこ?

3. 反論できなくなると人格攻撃に走るっていう自分醜態をどう総括するの?

 

これ、全部お前が自分から首突っ込んできた結果だからなw 逃げずに具体的に答えてみてよw

2026-01-14

anond:20251127074819

伊藤詩織周りの醜態見ればわかるだろ...正当な批判なんてできない人だよあの人は

2026-01-08

anond:20260106193111

×dorawii好きすぎて草

○dorawiiの醜態を集めるのが好き

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