はてなキーワード: 信仰心とは
権力者たちに「より高き力」について考えさせることを本業とするその男は、信仰心のある礼儀正しい南部の紳士として許される限りの怒りを露わにした
dorawiiより
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英文:
The guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power got about as ticked off as a polite Southern gentleman of faith is allowed to get.
The guy ... got about as ticked off as ... is allowed to get.
つまり、
「その男は、かなり腹を立てた」
「ただし、信仰深い礼儀正しい南部紳士として許される限界いっぱいまで」
という構造です。
[1] 主語
The guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power
主語の中心は、
The guy
です。
whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power
これは、
「その人の実際の有給の仕事が、権力者たちに“より高次の力”について考えさせようとすることである」
という意味です。
whose は the guy を受けていて、
whose actual paid job
という意味です。
his actual paid job is to try to ...
彼の実際の仕事は〜しようとすることだ
と考えると分かりやすいです。
[2] try to get those in power to think about a higher power
ここが少し皮肉っぽい部分です。
those in power
権力の座にある人々
権力者たち
get A to do
Aに〜させる
なので、
get those in power to think about a higher power
権力者たちに、より高次の力について考えさせる
a higher power は普通、「神」「超越的存在」「人間を超えた力」のような意味です。
ここでは、
those in power
と
a higher power
より高い権力/神
がかけられています。
つまり「政治的・世俗的な権力者に、神のようなもっと高い権威を意識させるのが仕事の人」というニュアンスです。おそらく牧師、聖職者、チャプレン、宗教指導者のような人物を指しています。
[3] 動詞部分
got about as ticked off as ...
腹を立てた
ムカついた
怒った
という意味です。
ticked off は angry / annoyed に近いですが、やや口語的です。
だいたい〜と同じくらい
ほぼ〜な限度まで
[4] 比較の後半
as a polite Southern gentleman of faith is allowed to get
a polite Southern gentleman of faith
Southern はアメリカ南部の、という意味です。アメリカ南部には、礼儀正しさ・信仰心・穏やかな紳士性といった文化的イメージがあります。
〜になることを許されている
という意味です。
つまり、
「信仰深く礼儀正しい南部紳士としては、これ以上怒れないというくらい怒った」
ということです。
直訳:
その実際の有給の仕事が、権力の座にある人々に、より高次の力について考えさせようとすることであるその男は、信仰深い礼儀正しい南部紳士に許される限りにおいて、ほぼ最大限に腹を立てた。
意訳:
権力者たちに神の存在を意識させるのが仕事のその男は、信仰深く礼儀正しい南部紳士として許されるギリギリまで、かなり怒っていた。
権力者に「神の前での謙虚さ」を説くのが本業のその人物は、礼儀正しい南部の信仰人としては限界いっぱいと言えるほど、怒りをあらわにしていた。
さらにくだけると:
政治家たちに「神を忘れるな」と説くのが仕事のその人が、南部の信仰深い紳士として許される範囲では、ほぼ最大級にブチ切れていた。
「その限度いっぱいまで怒った」
というユーモラスな表現です。
※これはChatGPTによる解説です。
ヌミノーゼ(Numinose)とはドイツの神学者ルドルフ・オットーが定義した概念である。オットーは「聖なるもの」のうち合理的な理解にかなう部分を除けた概念をヌミノーゼと呼んだ。
概説
オットーは『聖なるもの』(1917年、邦訳 岩波文庫)の中で、真・善・美の理想を求めるカント的理性宗教に対して、非合理的かつ直接的な経験こそが「聖なるもの」であると述べた。これを、ラテン語で「神威」を意味する"numen"から取った"das Numinose"という造語で規定した。神への信仰心、超自然現象、聖なるもの、宗教上神聖なものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。
畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体の内面から特殊な感情が沸き起こるものである
絶対他者の存在を感じさせ、人間が本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである
オットーは『聖なるもの』でヌミノーゼを二つの切り口に分けて説明している。それは戦慄的な神秘(Mysterium tremendum)と魅力的な神秘(Mysterium fascinans)の二つの面である。たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノーゼは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのものを議論の俎上に載せるのではなく、それが人間の感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。
ホームレスの振りして誰かが助けてくれたらその人に大金をプレゼントするみたいなドッキリ。
アメリカの見てたら助けようとする人もだいたい苦労人だったり家がない人だったり自分も全然お金ないんだけど
だから痛みが分かるのか数ドルでもなにかしら助けようとしてくれるんだけど
それだけじゃなくてもうひとつ特徴があってそれは必ず神に祈りをささげてる。
神を信じてるからあなたにも救いがある私があなたに会ったのも神の意思だみたいなこといって
あなたを助けることは神の意思、教えなんだ一緒に祈ろうみたなことを言ってる。
例えば悪い新興宗教にハマって、お金を吸い取られて、周りにも迷惑をかけるようなことがあったらそれは幸せではない。
世界をよくするとは思えないし、本人は幸せなつもりでもそれは独りよがりでしかない。
じゃあそういうのじゃない宗教ならどうなんだろう。
信じる神がいることで善き人であろうとする、そうやって生きようとすること。
信じる神がいるから辛いことにも耐えられる。いや、辛いことがありすぎるから信じる神が必要、どちらが先かみたいな話。
幼いころに母親と妹をいっぺんに亡くした。
父親は自分を見失ってしまい、子供だった俺ともう一人の妹は親戚の家でしばらく過ごした。
半年くらいして父親とまた暮らし始めたとき父はイエス・キリストを信じるようになっていた。
日曜には教会に通わされて教会の他の子供たちと遊んだり聖書をアニメにしたやつを見たりした。
俺は全然意味が分からないし、田舎にある仏壇のほうがどっちかっていうとしっくりきた。
俺だけがついていけなかった。
そうやって父と妹はクリスチャンになった。
「あんときな藁にもすがる思いなのになにに祈ればいいかわからんかった」
「だから神様がほしくてそれがたまたまキリストだった。仏とかじゃなかったのは俺もよくわからん」
「それで俺まで死なずにすんだと思った。お前らのことももちろんあったけど、それくらいギリギリだった」
「だから助けてくれたっていうのがあって、そっから真剣に向き合うようになった」
だけど、祈る先が欲しいと思う。
しんどいときに、これはあなたが与えた試練なんですねって言い聞かせたい。
日本には良い宗教観があると思う。八百万の神。万物に宿る神々。
素敵な考え方だとずっと思ってきた。
「あの人」と呼べることは依存性を高めてくれる。
あの人に祈ろう、あの人に祈りが通じること、それが具体的にイメージできるとき、強い力を生むのだと思う。
祈る神がいたら心が楽になるだろうか。
父ももういないし妹に聞いてみたらいつからでもいいのと言われた
わかんない、お父さんのついでになっただけだし、そんなに良い信者だとは思わない
だけどお祈りしてるときの雰囲気、神聖な落ち着いた感じ、あれで心が落ち着くってのはある。
確かに、神を本気で信じてるかどうかは置いとくとして、お祈りしてるときの神妙なムードは、心を落ち着かせるものがあると思う。
俺は死んだ母を神様の代わりにしてきたなと気づいた。
母が見たら悲しむぞ、と思うのは神様は見てるぞ、と同じ意味だ。
違いはそれを知らない人と共有できるかできないかだ。
心がいよいよ苦しくなったら100億年ぶりに教会に行ってみようかな。
(1)古典的自由主義いわゆるリバタリアンが減税を主張するのは「小さな政府」なので当たり前
(2)では大きな政府のいわゆる「リベラル」が減税を主張するのか
A 「リベラル」といっても、元々は共産主義の後継者。共産主義国に基本税金は無い(税金相当のものは多少ある)。国営化でみんな公務員になるんだから、自由主義国で必要な財源に相当するものは、最初から引いた上で国家から給料が支払われる。よって給与額と手取り額は同じ。高所得者からたくさん取るのではなく、最初から高所得者の存在しない世界。
B 高所得者・大企業から税金ふんだくれば良い。この場合高所得者以外は全員「弱者」とでも考えてるのかもしれん。金持ちにだって限界はある。どれだけ税金ふんだくれば財政維持できるとかあんまり考えて無さそうだが
C 無駄な予算を削れば良い。かつての民主党の政策。だが「無駄」といっても「無駄」で無かったりで大して削れず。福祉予算は年々増える一方。でも「削れるはずだ」という信仰心。
マスコミや一部の世論では「宗教法人は税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます。
しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理が存在することがわかります。
今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題の正論を解説します。
1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り
まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります。現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています。
• 収益事業への課税: 物品販売や不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業」から生じた所得には法人税がかかっています。
• 個人への所得税: 宗教法人の代表者や職員が受け取る給与(俸給)には、一般のサラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています。
• 消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています。
つまり、「坊主丸儲け」という批判は、事実を無視した感情論に過ぎないのです。
2. 宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み
最も大切なのは、宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性の尊重」です。この条文は、国家権力が安易に宗教活動へ介入することを禁じています。
【宗教法人法 第84条】
「この法律の規定中、宗教法人の管理運営に関する規定は、当該宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」
信者が支払う「お布施(布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。
もしお布施に課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定の宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。
資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教非課税こそが世界の常識」**であるという点です。
アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付は所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家の提供する行政サービスよりもはるかに深い次元で社会を支えていると認められているからです。
一部の論者は「課税が原則で、非課税は例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。
憲法が保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来の原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。
特に、宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易に類推解釈(法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。
小鮒将人(M.KOBUNA)
@light77
·
私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…
聖アントニウスはしばしば悪魔の誘惑にさらされて、その信仰心を試された。
空想的な魔物や魔女が登場する「聖アントニウスの誘惑」はネーデルラントにおいて頻繁に取り上げられた主題のひとつである。
本作品では廃墟となった建築物の壁面を背にして、画面の中央下部に祈りを捧げる聖アントニウスが描かれている。
鳥、魚、人体、動物の骨などを自由に合成して創造された魔物たちに取り囲まれた聖人は、白い服で着飾った女性を緊張の面持ちで見つめている。
この女性は愛欲の象徴であり、聖人を誘惑しようとグラスを差し出しているのである。よく見ると彼女の足は鳥の鉤爪をしている。
聖人の左背後では、悪魔の化身である角のはえた遣り手婆が彼女を指さしている。
https://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1991-0002.html
まさに、ハサウェイの苦悩と一致する・・
救いようがない、と言ってしまえばそれまでだが、この国には「強い言葉」と「分かりやすい敵」さえ用意されれば、思考停止してホイホイついていく層が一定数存在する。
一見すると、自民党の保守派と、新興のポピュリズム政党という別物に見えるかもしれない。だが、その支持層の根っこにあるメンタリティは驚くほど似通っている。今回はその「騙されるメカニズム」を、あえて彼らをこき下ろす視点で言語化してみたい。
高市支持者も参政党信者も、共通して「複雑な現実」に耐えられない。
世の中は白か黒かでは割り切れないし、外交も経済もグレーゾーンの中でギリギリの調整を続けるしかない。だが、彼らの知能ではその「曖昧さ」がストレスで仕方がないのだ。
だから、「日本を守る!」と叫ぶ高市早苗や、「日本を取り戻す!」と叫ぶ参政党のような、威勢だけはいいスローガンに飛びつく。中身が空っぽでも構わない。彼らにとって重要なのは、具体的な政策の実現可能性ではなく、「自分たちが正義の側に立っている」という高揚感だけだからだ。
参政党の支持層を見れば明らかだが、彼らは基本的に「自分たちは何か大きな力に搾取されている」という被害者意識を持っている。
オーガニック信仰、反ワクチン、そして「小麦は毒」といった極端な健康志向。これらはすべて「隠された真実に気づいた賢い私」という優越感をくすぐるための装置だ。
高市支持層も同様だ。「反日勢力が日本をダメにしている」というストーリーを信じ込み、自分たちこそが真の愛国者だと勘違いしている。どちらも、社会に対するルサンチマン(怨恨)を、「愛国」や「目覚め」というオブラートに包んで正当化しているに過ぎない。
高市早苗が総裁選で負ければ「党員票では勝っていた、これは陰謀だ」と騒ぎ立て、参政党がトンデモ科学を流布しても「マスコミは真実を報道しない」と耳を塞ぐ。
論理で説得しようとしても無駄だ。彼らにとっての事実は「自分が信じたいこと」だけであり、不都合なデータはすべて「敵のプロパガンダ」として処理される。この自己完結した閉鎖的な回路こそが、彼らがカルト的に結束する最大の要因だろう。
結局のところ、彼らは自分の頭で考えることを放棄した「精神的な弱者」なのだ。
誰かに強い口調で「こっちが正解だ」と断言してほしい。複雑な世界を単純な物語に書き換えてほしい。そんな幼児的な願望が、高市早苗という「強い母」や、参政党という「教祖」を生み出している。
バカがバカである所以は、自分が騙されていることに死ぬまで気づかないことにある。彼らは今日もネットの海で、自分たちだけの真実を貪り食い、意気揚々と破滅への道を歩んでいるのだろう。まあ、勝手にしてくれという話だが、巻き込まれるこっちはたまったものではない。
創価学会の方から「20万円の仏壇(家具調仏壇やコンパクトな仏壇)」についての提案を繰り返し受けるのには、主に宗教的な考え方と、入会へのハードルを下げるための配慮という2つの側面があると考えられます。
かつて、伝統的な仏壇は数十万〜数百万円することも珍しくありませんでした。そのため、「信心を始める=高い買い物が必要」という心理的な壁を感じる人が少なくありません。
本質は「本尊」にある: 創価学会の教義では、大切なのは箱(仏壇)の豪華さではなく、中に入る「御本尊」への信仰心であるとされています。
「20万円程度からでも十分立派なものが用意できる」と伝えることで、経済的な負担を心配している相手を安心させようとする意図があります。
現代の住宅事情(アパートやマンション)に合わせ、場所を取らない小型の仏壇が推奨される傾向にあります。
いわゆる「家具調仏壇」や「ブック型仏壇」などは20万円前後で手に入るものが多く、それらを具体例として挙げている可能性があります。
学会員にとって、知人に信心を勧める(折伏)際、相手が「お金がかかるから無理」と断るのを防ぎたいという心理が働きます。
「20万円なら、趣味や家電を買うのと同じ感覚で始められるのでは?」という、彼らなりの親切心やハードルの低さのアピールとして繰り返されている側面があります。
創価学会では、仏壇は「仏壇店(学会員向けの専門ショップ)」で購入することが一般的です。20万円という数字は、そうしたショップで扱っているエントリーモデルの相場を指しているのでしょう。
キリスト教においては、神は世界を創造した後に姿を隠した(またはその存在が不可視のもの)とされる。
姿を隠したと見なす場合、その理由は「人間の自由意志を成立させるとため」や「信仰を成熟させるため」とされる。
もし全能の神が、常に圧倒的な姿で目の前に現れていたなら、ちっぽけな人間にとって信仰は「選択」ではなく「強制」になってしまう。
そして、その神が姿を現さない世界では、不安や疑いが大きくなり、信徒はその信仰を試される。
神の沈黙は、人間の自主性や信仰心を育むための粋な計らいということになる。
しかし、神の似姿である我々には、それ以外の理由を推察することができる。
キリスト教における解釈は、あまりにも人間側に寄った理由であり、神の物語の余白を無理やり「伏線」として、自分たちに都合の良い試練を考察したと見える。
神の都合で考えると、最も納得ができる理由がある。
神は「飽きた」のだ。
ハイパー・ワールド・クリエイターであり、プロデューサー兼デザイナー兼エンジニアである神は、新規案件にあたり自らをアサインされ、だいたい5営業日くらいで世界を構築された後、ほっと一息つきにコーヒースタンドへ向かった。
その途中に、早くも次のアイデアを閃かれた。
次のことを考え出すと、今の仕事には手がつかない…
どうせこの後は、せっかくの創造性を削っていくようなレビューとフィードバックが待っているだけだ。
今回のコンセプトはそもそも、いわば「運用の自動化」である。世界に訪れる困難(エラーやトラブル)も、配置された人間(小人さん)と教会(システム)が、自動で検知して修復できるはずなのだ。
サンクトペテルブルクの、インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)という会社をご存知だろうか。この通称「トロール工場」は、2016年米大統領選で一躍有名になった、ネット工作組織である。
ノーヴァヤ・ガゼータ紙によれば、地元サンクトペテルブルク国立大学の現役学生や卒業生などが(笑)1シフト120人の三交代制で勤務し、政府系運営者の指示に沿って、ニュース記事に一人当たり一日100件ほどコメントを書いていた。
米国主要メディアのリストが渡され、それらのウェブサイトコメント欄での議論の成り行きを大まかに把握した後、トロールはその議論に加わり、巧みに誘導して炎上させる。
例えば、「同性愛者の話題では、同性愛を禁じる宗教の視点をもちこみ、信仰心が強い層を刺激するコメントをする。同様に、黒人差別問題では、時に急進リベラル、時に急進保守になったり、双方の立場を演じ分けて炎上させる。」
紹介文にネタバレあり
・連載中
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888930318
異世界に転生した少年が前世から持ち越したのは恨み、憎しみ、飢え、渇きのみ。
暴力が支配するこの世界でどれだけの戦場を駆け巡れば恨みや憎しみは消え去るのか。
どれだけの敵を殺せば飢えや渇きは癒やされるのか。
人類全員に読んでほしいので何回でも紹介する。
5ちゃんねるのWEB小説感想スレにてループする話題「なぜこれが書籍化しないのか?」において常にトップに上がる作品が満を持して書籍化。
もし読んでみて「つまらなかった」「時間を無駄にした」と思ったら、スベったブコメにカラースターを進呈するのでこっそり知らせてほしい。
・連載中
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885436251
債権奴隷に落ちた少年は借金返済のため冒険者となって迷宮で一攫千金を目指す。
力がなく戦士になれず、信仰心が低いので僧侶になれず、不器用なので盗賊になれず、学校で学べば誰でもなれる魔法使いで迷宮に挑む。
一度は書籍化したものの1巻打ち切りにあい、出版社を変え6年後に再刊行を果たし「このライトノベルがすごい!2026」第8位に輝く。
扱いの軽い命、がめつい教会、疲れの取れない宿屋、ボッタクリの店、そうウィザードリィだ。
読者感想欄でもWizネタで盛り上がるのでプレイヤーなら2割増しで楽しめるが、知らなくても2割引きにはならないので是非読んでほしい。
血と汗にまみれ、汚泥にまみれ、吐瀉物にまみれ、魔物の臓物にまみれ、拷問をする仲間、思いやりと人情のある敵、罪悪感と後悔、苦い後味、うらやましくないハーレム、そんな小説が好みならおすすめ。
コミカライズは商業とpixivのファンメイド(原作者公認)があるが、pixivの方が面白い気がする。
・連載中
https://kakuyomu.jp/works/16816927862215511326
少年が見る夢は正夢なのかそれとも過去の巻き戻しなのか、それとも他人の人生なのか。
母と妹を守る為、見た夢に従って動き出した少年は大きな運命に飲み込まれていく。
その夢は本当に少年を正しい道に導いているのか。
ただ母と妹を守りたかっただけなのに。
陰謀や権謀術数に否応なく巻き込まれていくのでスカッとする展開も少なめ。
主人公の恋愛要素もないし(同年代の異性が登場するのは妹を除けば180話以降)チートもない。
少年同士の友情や騎士の絆がメインなので、女性向けかもしれないが勿論男性が読んでも非常に面白い。
思ったよりも評価ポイントが伸びないのは4サイトものマルチ投稿のせいだろうか。
・連載中
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886644108
いじめを苦に自ら命を絶とうとした少年は地獄のような異世界に転移する。
それから数十年後、全ての力を手に入れた少年は自殺する瞬間に戻り、今度は自分をいじめたクラスメイト達を異世界に引きずり込む。
流行が2周3周した結果「勇者は善、魔王は悪」どころか「追放側が有能、追い出された方が無能」「主人公がざまぁされる」といった作品もあるが「いじめっ子(正確には傍観者)がいじめられっ子に復讐する」という作品は非常に珍しいのではないだろうか。
その試みが100%うまくいってるとは言い難いが、他にはない味わいなので読んでみてほしい。
・連載中
https://kakuyomu.jp/works/16816927859769787769
作者の前作『カルマの塔』が合わなかった為、食わず嫌いで長い間読まなかった。
文章に癖があり、特に会話文や固有名詞に理解しにくい箇所は多々あるが、それを乗り越えられれば。
読者コメントにネタバレが多く、初回は感想欄は開かないほうが良い。
・完結済
https://ncode.syosetu.com/n4809dw/
作者らしい安定感で期待を裏切らない作品。
リゼロに代表される「死に戻りスキル」が主人公ではなくそばにいる人物が所持していたら……?
現在コミカライズ版のWEB広告が出ているが、これですらエロ漫画風に切り取られてしまうのか…。
・第1部完結 第2部連載中
https://ncode.syosetu.com/n1132dk/
集団転移は非常に難しく、主人公一人が突出化して周りがモブになるか、早々に離脱して別の道を歩む作品が多い。
しかしこれは41人を濃淡はあれどきっちり描ききった作品で、退場後も主人公に影響を与えていく。
クラスメイト同士での殺し合いも多々あり、グロい表現も多く読者感想欄でも忌避感を示すコメントもあるので万人にすすめることはできないが、興味があれば読んでみてほしい。
・完結済 続編連載中
https://ncode.syosetu.com/n5363hf/
よくある異世界転移ものだが、とにかく「処刑人」ラング(51歳)が魅力たっぷりで、この人物一点突破でおすすめしたい作品。若者と年配のバディが好きなら読んでみてほしい。
・完結済
https://ncode.syosetu.com/n7679cq/
どうやらこの世界は終わるらしい。
上記の作品群はまだ甘い?もっとダークでハードなものが読みたい?
ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」、がオススメ。
ハイトによれば、左の人が不寛容なことが多いというより、右=保守のほうが寛容な人が多くなりやすい。(右が軍国主義者の意味で無いことに注意)
ざっくり言えば、左の人に、重視する価値観を聞くと「人権」、以上終わり。一つの理想を目指すのがリベラル。
しかし保守の人に重視する価値観を聞くと、「安心安全」「伝統」「信仰心」「道徳」「治安」「国家安全保障」など、多様な軸になる。だって今まで通りにすることが保守だから。
これによって包摂する対象は、社会において、保守のほうが多くなる。
軸が多いので、含まれる人も多くなるわけ。