はてなキーワード: 元素記号とは
私は元増田を愚かとも言ってないし勝利宣言もしてないんだけどな...
元素記号うんぬんの話は水平リーベで終わってるって意見への言及ね。
ポケモン1000時間やる時間で科学を学ぶのは素晴らしいと思うよ。科学面白いし記憶にも残ると思う。
元の文脈は、興味のあるものののメタファー(ゲームキャラクター)と興味のないもののメタファー(偉人)を覚えるコストが同程度のものとして語られていたから、その言説へのアンサーを述べたつもりだった。
ポケモンを1000時間やる時間で、科学についての様々な知識を学ぶことで元素の地図を脳内に作り上げればいいのにという話であって、元素記号表をひたすら見て色なんて元増田には書かれてない。
自分にとって都合のいい形で相手をただの愚かなものだというレッテルを貼って勝利宣言をする、オタク達が長年続けてきた最もくだらん自己弁護の仕方だな。
元々はオタクの側が有害図書排除運動などでやられてきたことへのカウンターだったが、いまやそういった被害者面を出来るような社会情勢なんて何にもない中で、かつて自分たちがやられていた卑怯な戦法を自分たちが一方的にやるだけになった。
そこにはもう何の正義もないのに、オタクたちは「先輩もこうやってきた。オタクが実を守るための正しいやり方なんだ」と言い張り続ける。
愚かだよ。
頭の悪いヤンキーと同じことをしていることに気づくことも出来ない脳無し達が1日中テレビゲームや動画視聴にばかり時間を使っているんだから、賢くなりようもないか。
少し前のもので悪いんだが、この↓まとめや、まとめについていたブクマを見ていて思った。
https://togetter.com/li/2151341
勉強が得意だった人は、いや特に得意だった人じゃなくてもいいんだ、お前らは大人になっても、学生時代にかつて勉強したことを覚えているか?
俺は高校生はおろか中学生のころに習ったことさえ今はほとんど覚えていない。
まあ俺の場合、中高生だった頃からわからないものや覚えられないものはそのまんまでやり過ごしてきたのであんまり参考にはならないと思う。
(いわゆる旧帝大に引っ掛かってる大学を出てるんだが、受験における英語と国語が抜群に得意だったので、そこで10割近く稼いであとは勘(運)、って方式で生きてこれてしまった)
学校の先生とか、塾講師とか、よくわからないが現在も業務でつかう内容以外の仕事をしてるお前ら、中学で習ったことを覚えてるか?
俺の場合は具体的に以下の単元がさっぱりわからない(単元はネットでざっくり調べた)。
・円錐の体積の求め方(おぼえてない)
・因数分解のやり方(当時からわからなかったので勘で書いてた)
・南北朝(っていつ頃だっけ?)
・◯◯文化みたいなやつ(飛鳥文化しか覚えてないので、選択式なら「なんか江戸っぽいな」とか勘で選ぶ)
・電力と電圧と電流?の関係(どれがなにでどうなるのかまったくわからん)
・元素記号(スイヘーリーベー…なんだっけ?それぞれが何を示してるのかも忘れた)
・細胞のつくり(核とミトコンドリアと葉緑体はわかる。あとは忘れた)
いつの間にか浸透したメダルを噛むポージングの背景というか由来について、よくわかってない人がけっこういるみたいなのでメモしておく。
金(きん)と金(かね)が紛らわしいので、以下、金(きん)は元素記号で Au と書く。
今は管理通貨といって中央銀行の刷った紙きれ一枚が1万円の価値を持っていたりするけれど、おおむかし、世の中が金本位制だった頃は Au そのものが通貨だったんだ。ヨーロッパでも、日本でも。
金貨1枚は(当たり前だけど)同じ重さの Au と同じ価値を持っていたわけ。
ということは、混ぜものをして原価の安いニセ金貨を造って儲けようとたくらむ悪人が出てくるし、実際にそういう粗悪な贋金貨が市中に出回ることになる。
そこで、もっとも簡易な贋金鑑別法として「噛む」というのがあったのよ。
Au は純度が高ければ高いほど軟らかく、混ぜものをすると硬くなっていく。
噛んで歯型がつくほど軟らかければ、それはたしかに純度の高い Au だね、ということ。
洋画でも邦画でも、テレビの時代劇でもよく出てくるしぐさで、純度の確認であると同時に、「これは本物だろうな?」と相手との取引に警戒を抱いていることの表現だったりもするわけ。
ひるがえって、アスリートがメダルを噛むポーズだけれども、こうした文化的背景を踏まえると、最初にこれをやった人は「このメダル、本当に Au なのかしら?」というユーモアでやったんだと思う。首にかけられた金メダルの純度を疑うというジョーク。
あるいは、「夢じゃないか?」と自分のほっぺたをつねるように、メダルを噛んでそれが本当に Au であることを確認することで、「まだ現実と思えない、夢見心地である自分」みたいなものを表現したのかもしれない。
いずれにしても冴えた、粋なやりかただと思う。
で、そもそも、噛んで純度を確認するのは Au くらいである。
銀は高純度でも十分に硬くて純度を歯で確認することはできそうにないし、銅についてはよくわからないけれど、贋金を造ったり、いちいち純度を確認したりするほど価値の高い金属でもない。
つまり、かじってニッコリのポーズが意味を持つのは本来は金メダルだけなのである。カメラマンが銀メダルや銅メダルの選手にメダルをかじるポーズをねだるのは非常に不自然なのだ。噛んだって何もわからないのだから。
アルゼンチンあるじゃないすか
銀なんスよ
ラテン語のargentum(アルゲントゥム)から来てるらしい
で、アルゼンチンの有名な川あるじゃないすか
ラプラタ川ですね
銀なんスよ
素敵じゃないすか?これ………
ちなみにですよ、イタリア語だと銀はargento(アルジェント)らしいんですよ
ってことはですよ、イタリア人はたぶんアルゼンチンって名前をみて、ある程度銀を連想してんですよね 羨ましい限りだ
逆にですよ、アルゼンチン人はどうなんでしょうね、コレ
ラプラタ川はもう、ガッツリ銀じゃないすか 言うなれば「銀川」ですよ あるいは「銀河」か?
でも、argentum系の銀関係語彙ってたぶんスペイン語には残ってないんすよ
ってことは、たぶん、アルヘンティーナって言われても、そんなにピンとはこない
これって面白くないですか
まあさすがに自分とこの国の名前の由来くらいは知ってるだろうし、ラテン語も多少はやるだろうからピンときてる可能性もあるんだけども、それはそれとしてですよ
銀の国に銀の川が流れてて、でも、どっちも銀だ!って直感的にわかる人はたぶんあんまりいないんすよ
素敵じゃないですか?
実際俺は素敵だと思う
「元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない」と橋下徹氏が語ったことについて、話題だ。橋下氏は「最低限学ばなきゃいけないこと」以外の例としてこれらを挙げており、「(学ぶかどうかは)選択制でいいと思う」としている。
ソース:https://abematimes.com/posts/5496054
これに対してネット(主にTwitter)では、「あれにも使うしこれにも使う。お前の人生で使ってこなかっただけだろう」と非難轟々。
同氏は同じ場で「勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と語ったそうだが、まずは自分以外の人たちが元素記号や三角関数をどのように使っているのか、インターネットで調べてから発言すべきだったといえる。
まあ、数学の学習指導要領の中でも例えば複素数平面や合同式あたりは入ったり外れたりしているので、そういう意味では「何が学習指導要領として重要か」という議論はあってもいいだろう(氏は複素数平面も合同式も使ったことがないかもしれないが)。
つまり、インターネットでろくに調べもせずに元素記号や三角関数を「いらない教養」として発言してしまったこと自体が橋下氏の失敗であることに他ならないのだが、その辺には目をつむって最大限良い方向に気持ちを汲み取ってあげると、氏は「教養とかいろいろあるけどさ、いろんな子がいるんだしみんなに画一的な教育じゃなくてその子の特性を伸ばせる教育作ろうよ」と言いたかったのだと思う。
そう取れるのは、話の前段で乙武氏が「型破りな子を伸ばせる人材として、今までの教員免許の枠組み以外から教員を一部採用するべきだ」(意訳)と主張しているからだ。
乙武氏は新しい採用方法を取るべき理由について、「(現システムでは)免許を取る人はめちゃくちゃ真面目な人ばかりで、レールの上を歩くような人しか教員になれない」から、型破りな子を伸ばせないとしている。
つまり乙武氏は、教員免許を取る教養がなくても教師として教えることができてもいいんじゃないかと主張している。
その上で、大学で教員免許を取る過程も踏めない人が常勤教師として「型破りな子たち」(学校に何人いるんだ)に義務教育で何を教えるのだろうか。きっと元素記号や三角関数よりも大事な新しい単元があるのだろうから、ぜひ乙武氏には具体的な案を提示してもらいたい。さぞ義務教育期間にやるべき大切なことなんだろう。
そもそも、乙武氏の「教員免許を取るためには、大学で相当な数の授業を取らなければいけない。その時点で、何かにのめり込んだり、旅に行きまくったような人たちは厳しい」という発言自体が、教養を放り投げると未来の職業の選択肢が狭まるという当たり前の事実を映していて香ばしい。
教員へのモチベーションがあるのなら、旅に明け暮れて30代になろうが、その後大学に入って勉学に励めば教員免許は取れる。
強いて問題を挙げるなら、その後の教員採用試験に合格するか、そして職場がイレギュラーな人材を受け入れられるかどうかという方ではないだろうか。
てか、現状でも大学教員に免許はないし、教養を付けた型破りな子は大学で良い先生に巡り会えれば良い方向に伸びるんじゃないんですかね、知らんけど。
「この世界の片隅に」はという映画(原作も含め)は時代考証のレベルを超え、(考現学というのかな?)
生活習慣や風俗、文化、地理、建物、看板、放送局のアナウンス、雑踏に響く声、当時の気象
ヴァーチャルリアリティー映画。昭和時代を描いたアニメだけど。
2時間と6分、昭和10年から20年までの広島や呉で暮らしていたような錯覚を覚えるようなVR感覚である。ヘッドマウントディスプレイ感覚。
このようにありとあらゆる情報(テキストというか記号やイメージ)をぶち込んでいくと
「3次元でも360度映像でもないのに、人間はVR感覚を味わう」という、新たな発明をしたので、ノーベル賞級の何かだと思う。
従来の作品では主人公は「特別で有徴」の人物だが、この物語の主人公はほんとうに「普通の女性であり無徴」である。
名前は「すず」。元素記号でいえば Snなんだよな。つまり主人公ではない。「すずさんはモブ」なんだよ。呉や広島で暮らしていた人の一部なんだ。
(逆に言えばそのことで、あの時代の呉や広島に暮らしていた人たち・・・それどころか戦前のありふれた日本人全員が主人公になりうるという効果)。
どこまで「片隅でありふれたもの」を精密に描こうとしていたのか、作者の執念が伝わる。呉の家も片隅にあるし。
戦前戦中という「過剰に語られてすぎてブラックボックス化していた世界」の壁を破壊し、
「思い出すための橋を渡した」という意味で、とんでもなく価値のある偉業だと思う。
戦争のことは置いておいても、
昭和の時代、あの日本家屋で、記憶の奥底にある、あの家で「我々の父祖はどういう気持ちで日々を過ごし、何に勤しみ、何を守り、何を失い、どんな生活をしていたか」
「どういう気持ちで結婚したか」というものはもはや思い出せなくなってきている。あの手触りや匂い。30代の自分の物心つく頃のギリギリ覚えてるあの感覚。
これだけなんだよほんと、
はじめて「ああ、これが戦前、これが私の祖母!これが私の祖父!」と思えたのは。
もう消えてしまった記憶を「やっと思い出した!」という気持ちが強い。実際あの日本の町並みや人々の生活は消えてしまった。思い出せるはずがないのに
、ほんと時代的にギリギリのところで、「記憶も記録も感覚もハードディスクごとフォーマットされる寸前のところ」で思い出した感じ。
ほんとこれは偉業だし、日本人の歴史意識…というか「民族のアイデンティティー」のレベルで重要な作品になるんじゃないかと思う。
ツッコミどころ満載だが一番のツッコミどころは「2. 熱中できることを探す」だね
子どもは好奇心の塊でふとしたことがきっかけで一つのことに全力で取り組み…っていうのは幻想で
たいてい学校行かないような社会性ないガキは家でネットとかゲームとか下らないことやって時間潰すんだよ
実のある熱中なんてのとは程遠い毎日を送りながら後戻り出来なくなるんだよ
増田がどんな人生送ってるのか知らないからただの想像、及びいちゃもんになるけど多分学校行ってても似たような人生歩めてると思うよ
学校行きながら会社をおこしたり、宇宙飛行士になったり、新興宗教の教祖になったり、ホームラン王になったり、ハリウッド女優になったりしてる人がいるなかで
多分そういう職業的なことじゃなく「大事なことに気づけた」「視野が広くなった」「考え方が柔軟になった」的なことなんだろうけど
親からしたら子供が学校いかないっていまだにそういう気持ちになるんだなと思った。
俺はいま30代だけど、小学校高学年から中学卒業まで学校いかず、
一つ知って欲しいのは不登校で学校いってなくても、今はみんな社会人でまともに暮らしてるということ。
30代になって周りを見渡すと、学校いっててもいってなくても大して変わらない。
その時の知り合いで無職もいるけど、比率的には20人に1人ぐらいかな。
1. 恥に思う必要はない
学校というレールにはまらなくてもまともな社会人にはなれるから、学校へいかないという決断をした子供の意思を尊重してあげてほしい。
2. 熱中できることを探す
学校に行かないということは時間がたっぷりできるわけで、その時間を別のことに熱中させれば圧倒的にその分野で強くなる。
漫画を描くでも、絵を描くでも、歌でもギターでもいいと思う。毎日朝から夜までやってたらうまくなる。
興味を押し付けてもうまくいかないと思うが、なにか興味を持つ分野があればそこを後押ししてあげればいい。
たまに舞台みるとか、アートみるとか、プロレスみるとか、熱中するチャンスを与えてあげるのがいいと思う。
これがないと困ることが多いのではないかと思う。
ルートの計算も方程式も元素記号もわからないけど、学校へ行っていたらできない人生を歩めてる。
ちなみに歴史や現代文などはテレビみたり本読んだりで習得できるので問題にはならない。見たり読んだりする時間は大量にあるので。