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「和平論者」から「戦争亡者」「戦争中毒」へ。ウクライナ大統領ゼレンスキーの転落

<記事原文 寺島先生推薦>

From peacemaker to warmonger: Tragic downfall of Ukraine's Volodymyr Zelensky
(平和実現者から戦争亡者へ。ウクライナのヴォロデミル・ゼレンスキー大統領の転落)

The president of Ukraine came to power calling for peace, but continued his predecessor's militaristic policies
ウクライナ大統領は平和を求めて大統領の座に就いたが、最終的には前任者の好戦主義を引き継いでしまった。

出典:RT 

2022年1月25日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月24日



ウクライナのドンバスのウクライナ軍の前線を訪問中のヴォロデミル・ゼレンスキー大統領

 2019年にウクライナでは本当に素晴らしいことが起こった。伝統的に事実上2つの対等の勢力に分割されてきたウクライナ国民が連帯して同じ大統領を選んだのだ。得票率73.22%を獲得したのは第95街区事務所所属の有名な喜劇俳優ヴォロデミル・ゼレンスキーだった。芸能人を大統領に選んだというウクライナ国民が見せた態度から分かったことは、ウクライナ国民は政治屋たちにうんざりしていたことだ。それと最も重要なことは、ドンバス地方の平和を求めていたという点だ。

 前任者のペトロ・ポロシェンコはウクライナ東部の内戦に関わっていたのだが、芸能人のゼレンスキーは新顔で、けばけばしいしがらみもあまりなく、掲げる諸政策もわかりやすく、人々に「この人物は平和実現者だ」と説得できる力があった。しかし、ウクライナにはこんな諺がある。「思い描いていたようにはいきませんよ」。大統領の座に就くや、「優しい道化師」は正真正銘の戦争亡者へと姿を変え、ある点においてはポロシェンコを凌ぐほどである。どうして、なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?


代替者であるという幻想

 大統領候補者だったゼレンスキーは選挙運動を華々しい政治ショーとして展開した。自身の演技力を駆使し、芸能界の仲間たちにも手助けしてもらった。「僕はあなたの敵ではありません。あなたが出した判決です」。ポロシェンコとの討論中に、この台詞をプロとして培ってきた技法を駆使した語り口でゼレンスキーは発したのだ。そしてこの台詞こそがウクライナ国民に深く響き、熱い気持ちを呼び起こさせたのだ。政界の垢に全く染まっていない新しい大統領候補者のゼレンスキーが公約に掲げたのは、プロシェンコなど腐敗した政治家たちの処刑と、国会議員たちの免責の剥奪と、ドンバス地域の戦闘の終結だった。ゼレンスキーが選挙運動の公約で灯したのは、老害支配層が排除されることで、既存の政治体制が終わるのではないかという期待だった。

 ウクライナ国民にはそのような公約がすべて上手くいくのではないかという期待をもつ理由があったのだ。その理由とは、ゼレンスキーはユダヤ人で、 出身地は伝統的に親ロシア地域であるウクライナ南東地域で、母語がロシア語だったからだった。だからゼレンスキーの受け止められ方は、「戦争亡者や、外国人嫌いや、宗教的過激派に反対する人物だ」というものだった。人々は、ゼレンスキーはポロシェンコの「軍、言語、信念」という三位一体政策を否定するだろうと考えていた。有権者たちはだれか信頼できる人を求めていて、ゼレンスキーがその役割を果たすだろうと考えていたのだ。

 ゼレンスキーが平和実現者であるという伝説がさらに喧伝されたインタビューがあった。それは2019年にまだ大統領候補者だったときに行われたものだ。この先機会があれば、ロシアのウラジミール・プーチン大統領にどんな言葉をかけるかと聞かれたゼレンスキーはこう即答した。「とにかく何よりも、まずは射撃を中止したいです」と。この台詞が、先述のプロシェンコに対して発した「私はあなたが下した判決です」発言と同じくらい重要で、象徴的な台詞となった。これらの台詞以外の台詞を、有権者たちはもはや必要とはしなかった。

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 しかし同月の下旬、この「平和実現者」はミンスク平和合意計画に従う気がないと主張した。「この同意は複雑なものではありません」とゼレンスキーは語り、さらに言葉を続けほのめかしたのは、この同意は機能しておらず、合意の過程で他諸国の介入を求めるべきだという点だった。さらにゼレンスキーはドンバスの紛争に関わった人々の恩赦を拒絶したが、これはミンスク合意に反することだった。「この人々は私たちの同胞を殺害したのです。どういう意味か分かりますか?もちろん私は殺人をしたりはしません。私たちを支配しようとするいかなるものにも私は反対します。我が国は独立国です。許されるわけがありません。完全な恩赦の要求などできるわけがないのです。そんなことを許す人など誰もいません!」とゼレンスキーは語った。

 ウクライナ国民から支持を得ていたゼレンスキーによるもう一つの公約は、「ウクライナ語にウクライナ国語としての機能を持たせる」という法律を改定することだった。この法律はペトロ・プロシェンコが大統領任期の晩期に制定したものだった。「ウクライナ大統領になれた暁には、この法律の研究と分析を行い、この法律が憲法に定められた権利と符号するか、さらにはウクライナ国民の利益に繋がるかの確認を行います。その結果次第では、ウクライナ大統領としての権限で、憲法に規定されている通り、ウクライナ国民の利益に沿う中味になるよう行動を起こします」とゼレンスキーは語っていた。しかし状況はそれ以来何も変わっていない。ウクライナの公用語政策が、ロシア語話者たちの利益を阻害する状況が続いている。2022年1月には、さらなる制限が課され、ウクライナ国内のすべての出版社はウクライナ語で出版されなければならなくなった。この制限により、ウクライナ国内のロシア語紙のほとんどが効率的に非合法化されることになった。

 大統領職に就くや、ゼレンスキーの話しぶりは前任者のポロシェンコとずっと似通ってくるようになり始めた。国民からの大きな信頼と指示を得ることで、ゼレンスキーは大統領になれたというのに、だ。ゼレンスキーの政党「国民の僕(しもべ)」党は、国政選挙においてわずかな得票差で薄票の勝利を収めていた。その結果ウクライナの法律下では、大統領と党員たちは他党と連立を組まなくても単独で権力を享受できることになった。そのため同党はウクライナの国政を自分たちの思うままに進めることができた。他方、同党はウクライナの現状の究極的な責任を問われる立場となった。



 新しくウクライナの指導者となったゼレンスキーは、世界各国からも友好的に受け入れられた。ロシア政府もその例外ではなかった。ゼレンスキーのポロシェンコ型の声明の繰り返し―好戦的な口調、「ロシアによる侵略」という言葉の度重なる使用、ドンバスやクリミアのウクライナへの返還要求、制裁をかけることでロシアに対しての制裁圧力を増すようNATO諸国に対して行っていた働きかけなど―にもかかわらず、新しくウクライナの大統領となったゼレンスキーとロシアのウラジミール・プーチン大統領との間で初めて電話対談があったのは、はやくも2019年7月のことだった。この電話により囚人交換の手続きは早められることになった。しかしこの電話が、ゼレンスキーが「平和実現者」として行った最後の行動だった。


ゼレンスキーはミンスク合意2を反故に

 ウクライナの政権交代を受けて、2016年以来行われてきた ノルマンディー・フォーマット(和平に向けた話し合い)が再開された。ノルマンディー・フォーマットの第4回会議に向かう際、ドイツの放送局ドイチェ・ヴェレ局のインタビューにゼレンスキーはこう答えていた。「ご存じの通り、私はミンスク合意には署名しませんでしたし、私の政権の誰も署名していません。ただし、ミンスク合意の全てを完璧に実現することを規定する文書の作成に向けて歩み寄り、最終的には平和を実現しようという心づもりはあります。」と。ノルマンディー・フォーマットの第4回会議の準備中に、このフォーマットの参加諸国はフランク=ヴァルター・シュタインマイアー(Frank-Walter Steinmeier)が提起し、採用された2016年の規定に戻すことが決まっていた。ドイツの シュタインマイアーが提起していたその提案の中には、ウクライナが一時的にドネツクとルガンスク両地方の特別自治政権を認める法律を制定することも含まれていた。その法律は、この両地域での地方選挙をうけた後一時的に効力を持つものであり、いずれは恒久的に効力をもつ法律だとされていた。ただしその選挙がOSCE(欧州安全保証協力機構)により公正で自由であると確認されるという条件がついていた。このような経過が2019年12月9日にパリで開催されたノルマンディー・方式で参加者により再確認された。

 しかしゼレンスキーはこの同意に固執するつもりがないことが後に判明した。2019年10月1日、この会議の2ヶ月前に、ゼレンスキーはこう語っていた。「外国勢力の存在がある限りは、選挙を行う気はありません。軍が駐留している状況での選挙は許可しません。軍が存在するのであれば、どんな軍でもです、選挙はありえません」。つまりウクライナ側がシュタインマイアーの提起に署名したのは形式上のことだけで、そのノルマンディー・方式に参加するための資格をえるためだけが目的だったのだ。

 ウクライナ大統領としてのゼレンスキーの第一歩は、十分監視されるべきものだった。重要な点は、ゼレンスキーがドンバス地域の紛争を解決しようというすべての公約を投げ捨てたのはいつで、そしてそれをどのように行ったのかを正確につかむことだ。ミンスク合意が署名されたのはずっと前のことで、様々な多くの憶測が生み出されたため、一般の人々はますます混乱するだけで、この合意の何が本当で、何が偽りかがわからなくなっている。さらにはどのような行為が合意違反で、ゼレンスキーがその合意をどう反故にしてきたのかもわかりにくくなっているのだ。



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 ではいくつかの事実確認から始めてみよう。ミンスク議定書は2015年2月12日に作成され、国際連合安全保障理事会決議2022により承認されたものだ。 この議定書は、8年間継続しているドンバス問題の平和的解決に向けて取られるべき手順を規定している。この文書によれば、撤退(ウクライナ軍の撤退のこと。ウクライナ軍は新しい両自称共和国を代表する唯一の軍であるため)当日に、地方選挙を行うかどうかの話し合いが開始されることになっていた。そしてその選挙開催のよりどころとされるのは、ウクライナの国内法である「ドネツクとルガンスク両地域での内部自治政府の命令に関する法律」だとされた。その戦況についての討論は、ドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)両共和国の代表で行われるものとされていた。その法律によれば、両地域には使用言語の自決権も保障され、当該地方の自治政府の諸機関の代表者たちが、当該地方の検察当局や、裁判所の要職に就くことや、自警団の設置、ロシアとの越境協力体制の構築も認められることになっていた。

 文書の第5条が求めていたのは、罪人たちの釈放や恩赦の保証であり、第6条が規定していたのは、戦争犯罪人の釈放と交換についてだった。ウクライナ政府が紛争地域における国境を完全に掌握する権利を復活させることは、第9条の規定によりこの文書から外され、その秩序の回復は、地方選挙が実施され、地方分権が認められる憲法改正が実施されてはじめて行われるとされていた。

 わかりやすく単純な規定と言える。しかしこの会議の共同記者会見中にゼレンスキーは、「私たちは決して憲法を改正した上でのウクライナの連邦化には同意しません。ウクライナ国内の自治政府に外国勢力が影響を与えることは受け入れられません。ウクライナは独立国家であり、自国の政策は自国で選びます」と語り、ミンスク合意2を基本的には受け入れなかった。

 「平和実現者」たるゼレンスキーのはずなのに、ペトロ・プロシェンコ前大統領と全く同じことをしたのだ。つまり文書に書かれている手続きの順番を変えたのだ。「国境の掌握が先で、選挙はその次」だとしたのだ。さらに、ファイナンシャル・タイムズ(英経済紙)の取材に対して、ゼレンスキーはドンバスの代表者との話し合いを持つことを拒絶し、こう語った。「私はテロリストたちと話し合う気はありません。私の立場ではそれはありえません」と。さらにゼレンスキーは2020年10月に議会で行っていた恩赦要求についてこう振り返った。「”恩赦”などというひどい言葉が全ての人にあてはまるわけではありませんし、そんな言葉で罪人が犯した罪の責任が消えるわけはありません。我が国の何百万もの国民たちの手が血で汚れているわけではないのですから」


平和主義ではなく軍国主義に向かうゼレンスキー

 大統領に選出されてすぐにゼレンスキーは、世界中を行脚しウクライナにもっと武器を送ってもらおうとした。中でもゼレンスキーが交渉したのは、カナダドイツと米国だった。ウクライナがこれらの諸国から受け取った軍事支援は2014年から2021年の間で25億米ドルに上る。さらにウクライナがNATO加盟を求める態度は執拗さを増し続けている。

 ゼレンスキー支配下で、社会の軍国化が奨励され、好戦的な表現が大衆の支持を集めるようになった。ウクライナで最近採用された国家保安戦略が要求しているのは、ロシアと実践的な戦闘態勢を取ることだ。必要に応じて自国を防衛するだけではない。例えば、ロシアとロシアの近隣国の国境で紛争が起こった場合や、ロシアがベラルーシを衛星国として配下に置こうとした場合も想定に入れている。ウクライナの外交戦略も同様に好戦的で、「ロシアとの戦闘」をアフリカにおいてさえ求めている。

 それと同時にゼレンスキー政権はウクライナの軍事化を継続しており、これはアルバニアのエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha 1908-1985 )政権と匹敵するような風潮だった。ウクライナの防衛省が拠り所としている法律は、「国をあげての祖国解放運動の基本法」により、各州や90万人以上の人口をもつ各都市の住民は、地域防衛旅団を作るよう強制され、13万人ごとに一旅団を作成することが目標とされていた。この旅団は交戦地域外に配置されたが、大統領はこれらの旅団に別の任務を課すつもりかもしれない。

女性たちもこの法令から逃れられなかった。現在国防省は今年の終わりまでに18歳から60歳までの全ての女性を軍事記録に登録させたがっている。妊娠中であったり子沢山の母親であっても、だ。2023年からは、「軍事義務」を無視した女性たちは、その女性たちの雇用主たちとともに罰金を課されることになる。ウクライナ大統領府のホームページには国民から何度もある嘆願書があげられている。その嘆願書は、1994年10月14日にウクライナ政府が(軍事行為に関わってはならないと)認定した職業一覧を再認定するよることを求めるもので、3万7千人以上の人々がその嘆願書にデジタル署名している

 他にゼレンスキーが力を入れていることは、諸外国からの流入者たちにウクライナ国籍を認めることだ。これらの流入者たちはドンバスでの戦闘行為に参加しているが、このことは軍事紛争において傭兵を登用することを禁じた国際法違反であることが疑われている。さらにこのような行為はウクライナと近隣諸国にとって大きな危険を招くことにもなっている。というのも犯罪者と思しき外国の人々を合法的に入国させることになるからだ。例えば自分が犯した罪を隠すためにウクライナ国籍のパスポートを入手しようとするテロリストたちが出てこないとは限らないのだ。



 ゼレンスキーが大統領職に就いてからドンバスでの激しい紛争の数は急増している。国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告によると、紛争地域での休戦協定の違反行為の数は2021年2月1日から2021年7月31日のあいだで相当数に上っており、62名の一般市民が亡くなっている。この数はその前の6ヶ月間と比べて51%増加している。国連の別の報告によると、 休戦協定違反行為の件数は369% 増加しているとのことだ。2021年2月1日から2021年7月31日のあいだで、OHCHRは27件の砲撃による被害を確認しており、うち22件(81%)は、ドンバスの民兵の統制地域で、残り5件(19%)がウクライナ政府の統制地域で発生しているとのことだ。つまりウクライナ軍は自称両共和国の施設の砲撃を依然として続けており、多くの犠牲者を出していることが国連による数値で明らかにされているということだ。 そして忘れないでおきたいことは、このような行為が起こったのは、最近の好戦的な狂気の発現や、「ロシアによる侵略だ」というハッキリとしない言いがかりについて人々からの嘆きの声が噴出する前からのことだったという点だ。ロシアのマリア・ザハロワ(Maria Zakharova )外務省報道官は最近こう語っている。「(ドンバスの紛争地域で)悲劇的な様相が最近ますます見られるようになっています。本当に悲しいことです。短期間の小休止の後、毎日の平均砲撃事件の件数は、先月や、去年とさえ比べても高い数値になっています。」

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 ドンバスの市民たちの苦しみのことをOSCE(欧州安全保障協力機構) の監視の目が見逃すことはなかった。ルガンスクのゾロトイエ5地区に訪問中、「人道活動団体」の調整係であるシャルロッタ・レランダー(Charlotta Relander) 氏は砲撃が日常的に起こっていることに驚愕していた。「私がこの地で目にしたことは本当に恐ろしいことです。こんな事が起こっていることさえ知りませんでしたし、ここは大きな学校ではないですか。本当にたくさんの生徒たちがこの学校を頼りにして、ここに通って勉強しているのです。そしてもちろん、学校のような建造物を標的にするべきではありません。学校は市民のための建物なのですから。」と同氏は語っている。

 「ロシアによる侵攻」が予想されることや、ロシア軍がウクライナ国境に明らかに大挙集結していることはメディアで見出しになり続けているのに、ウクライナ側が軍を国境付近の広範囲にわたる地域に集めていることについて気にかけて発言しようとするメディアは皆無のようだ。その範囲は反ウクライナ政府側の何倍もの範囲になっているのだが。このことはドネツク人民共和国のデニス・プシーリン元首か報告している。

 現在西側はウクライナに武器を注入し続けている。2022年1月18日(火)、ウクライナ軍は小型の対戦車ミサイル一式を受け取った。米国大統領府はバルト海沿岸諸国が米国製の対戦車及び対空防空体制をウクライナに送ることを了承しただけではなく、米国自らもウクライナにミル17輸送用ヘリコプターを5機供給する心づもりのようだと、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は報じている。カナダは自国大使館防衛という名目で200人の強靭な特殊部隊を配置している。英国は自国から30名以上からなる特殊作戦旅団 を派遣している。これは既にウクライナ入りして、ウクライナの特殊部隊の訓練を行っている英軍対外軍事教官団に加えての投入になる。報道によると、その中にはCIAの工作員たちも入り込んでいるようだ。


ゼレンスキーが変節した諸理由

 ゼレンスキーの話に戻ってなぜゼレンスキーがウクライナに平和をもたらす好機を逃したのかを追跡してみよう。芸能人としての才能があるところからすれば、ゼレンスキーは聴衆の意向を読むのに長けている。そのおかげで「平和をもたらす」という口先
だけの話を持ち出すことで権力の座につくことができたのだ。ただしその平和の話は大統領になるやいなや反故にされてしまったのだが。

 公正さを保つために付け加えるが、ドンバスとの和平協定を投げ捨てようというある種の企みは以前から存在していた。ドネツク生まれのセルゲイ・シボホ(Sergey Sivokho)は、ウクライナ国家安全保障・国防会議の会長の顧問をつとめていた人物だが、「和解と団結のための国家プラットフォーム」という組織を立ち上げた。のちにこの組織はウクライナ国内で一時的に占領されている地域の再統合にむけた原則についての法案を提案した。この法案の成立はまだ道半ばであったが、ミンスク合意が規定していた恩赦を完全に認め、ドンバスに自分たちの言語政策の決定権を付与する内容だったことに対しては反動が生じた。 ネオナチ勢力からも、ゼレンスキー自身の政党からも.ゼレンスキー大統領を「大きな反逆行為を行い、ロシア側に屈服している 」と非難する声が上がった。いっぽうジボホはアゾフ大隊の兵士たちから攻撃を受けた。このアゾフ大隊は米国内でさえネオナチ組織であると認識されている大隊だ。

 権力の拠り所を自前で持てていないゼレンスキーは最も安易な道をとることに決めた。というのも自称両共和国と少しでも交渉しようとすれば過激派勢力から大きな怒りを買うことになるからだ。これらの過激派勢力はなんの咎めも受けずに大統領府の攻撃を実行できることが実証済みだったからだ。

 極右過激派からの圧力のせいで、ゼレンスキー外交や内政の政策は影響を受けた。例えば、ゼレンスキー大統領は言語や教育に関する差別的な法律を改訂するという公約を決して守ろうとはしていない。政治専門家のギャザー・スティア(Gabor Stier)の指摘によると、ウクライナ国内のハンガリー人たちの利益を保護する上で大きな問題が生じているとのことだ。スティア氏によると、「ゼレンスキーは国家主義者たちを恐れて、この内政問題を実施することに関してほとんど自分の意見を通す余地がなくなっている」とのことだ。

 現在、ウクライナ至上主義の強行はウクライナ国内でのゼレンスキーに対する支持率を失わせているだけではなく、海外からの批判も受けている。2021年12月下旬の時点でゼレンスキーの支持率は2019年時の輝かしい数値から暴落していまや24%にまで落ち込んでいる。ウクライナは未だに欧州評議会議員総会(PACE)の決議を受諾していない。この決議は、ウクライナの国内法が欧州諸国の基準に到達することを求めたものだ。たしかにウクライナのこれらの法律が成立したのはゼレンスキーが大統領職に就く前のことだ。しかし例えば、ウクライナの先住民族に対する法律については、ゼレンスキー政権になってから起草されたものだ。

 2019年12月、ヴェネチア委員会は、少数民族や少数言語に対するウクライナの政策を批判する意見書を出している。この意見書は、「中等教育段階においてある階層が形成されている。具体的には先住民族(ウクライナ人)が、EUの公式言語の中の言葉を話している国内の少数民族よりも、優位に扱われると思われる政策が採られている。さらにEUの公式言語の中のある言語話者民族が国内の別の少数諸民族よりも優位に扱われている」という現状を強調していた。



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 ヴェネチア委員会がウクライナのこのような政策を差別的であると捉えているにもかかわらず、国内に130以上の民族が存在するウクライナが少数民族だと認めているのは、先住民族であるクリミア・タタール人とカライ人とクリムチャク人だけであり、ロシア人や、ポーランド人、ハンガリー人、ユダヤ人などより規模の大きい民族の何千もの人々のことは無視されている。ゼレンスキーが野党やメディアを封鎖している理由は自身の支持率が低下していることが理由なのかもしれない。ウクライナ国家安全保障防衛会議を通じて、ゼレンスキーはTV局の封鎖を開始し、ウクライナ国民に対する制裁を課し始めた。その中には記者のアナトリー・シャリー(Anatoly Shariy)やイゴール・グジバ(Igor Guzhva)もいる。このことが国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)の目に触れない訳にはいかなかった。同事務所は第32番報告で以下のような報告を出している。「当OHCHRは、タラス・コザック(Taras Kozaki )国会議員個人に対してと、同議員が所有する8つの企業に課された制裁について懸念している。この諸企業に課された制裁により、テレビ局である112ウクライナ局や、ZIK局や、NewsOne局が閉鎖されることになった。このことは表現の自由という観点からすれば国際基準には達していないといえる」と。この報告に対してもウクライナは注意を払わず、シャリー氏やグジバ氏に対する制裁を開始し、モスコフスキー・コムソモレット局や、ヴェドモスティ局や、ナッシュ局など多くのメディアに制裁を課したのは、この報告が出された後のことだった。

 国連はさらにウクライナ大統領が法の支配の原則を攻撃していることに対しても非難の声を上げている。先述の報告書において、OHCHRはこう記載していた。「ウクライナにおいて立憲主義が危機に瀕しているという懸念は残存している。このことは憲法裁判所の2名の裁判官が停職処分を受けたのち解雇され刑事訴追されたことに関する懸念である。このような行為はウクライナにおける司法の独立や法の支配の原則を脅かすものである」と。これらの件に関わる最近の最も激しい事件は、ゼレンスキーの前任者であるペトロ・プロシェンコに有罪判決を出そうという企てだった。罪状はドンバス地方の石炭を購入したことによる大逆罪だとのことだった。ウクライナ当局の考えでは、ドンバス地方はウクライナ国内の一部であるとされているのに、 プロシェンコにいったい何の罪があるというのだろうか?南アフリカから購入せずに、自国内で石炭を購入したという罪なのか?それとも、プロシェンコの人気がゼレンスキーの次に高いという罪なのだろうか?



 今年(2022年)初旬に、別の野党の指導者であるヴィクトル・メドベチュク(Viktor Medvedchuk)が逮捕されたが、罪状はクリミアと取引をしたという反逆罪だとされた。プロシェンコと同様にメドベチュクの政党である「野党プラットフォーム生活党」はゼレンスキーの政党よりも高い得票率を得ていた。その後メドベチュクが訴追されたのだ。さらにメドベチュクの主張によると、自身に起こったことには政治的意図が明白にあるとのことだ。8月にメドべチュクの弁護士であるリナット・クズミン( Rinat Kuzmin)が明らかにしたところによると、メドベチュクは欧州人権裁判所に自身の権利に関する嘆願書を提出したとのことだ。具体的には、「公平な裁判を受ける権利、自由の権利、身の安全を保障する権利」についてだ。

 今のところ、ゼレンスキーは民主主義の基準を逸脱する形で権力者の地位に留まろうとしているようだが、そんなことをしても効果はなさそうである。近年のウクライナの政治史を振り返ってみよう。ゼレンスキーと同じ様な政策を追求していたヴィクトル・ユシチェンコは、2004年に51.99%の得票率を得て当選したが、2010年の大統領選では再選を果たせず得票率はたった5.45%という惨敗だった。2014年に54.7% の得票率を得たポロシェンコも、その次の大統領選での得票率はたったの24.45% だった。ゼレンスキーの現在の支持率からみれば、ゼレンスキーも同じ様な道程を辿りそうだ。

 アルバート・アインシュタインの格言に以下のようなものがある。「狂気とは、同じ事を繰り返しながら、異なる結果を期待することである」。この格言がゼレンスキーの耳に届き、この紛争の解決に向かうべく、軍事行動に向かう狂気に焚き付けられることなく、戦争を止める方向に進むことができるだろうか? 国内の少数派の権利を保証し、政治腐敗を食い止め、法の下での秩序を打ち立て、経済の発展を成し遂げることができるだろうか?

著者: Olga Sukharevskaya。 ウクライナ出身の元外交官。モスクワを本拠地とする法律専門家であり作家。
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