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2015年8月22日 (土)

ロシアのカフカスに目を付ける「イスラム国」

Dmitry NEFEDOV

2015年8月19日 | 00:00

エジプトの主要イスラム教当局、エジプト・ファトワ庁による最新報告によると、「イスラム国」(IS)集団は、カフカス、中央アジアと、インドネシアを新兵採用の為の場所としてみている。

この地域には、イスラム教を進行する人々が多数いる。彼等は知識が乏しく、アラブの説教師が言うことを何でも信じがちだ。集団は、中東における新たな領土獲得という主要な任務を遂行する新兵採用を狙っている。ISは、ソーシャル・ネットワークで、プロパガンダを広める為、ロシア語部隊を設置した。ISは最近、ロシア連邦内の北カフカスに、行政区画(ウィラーヤ)の設置をしたと宣言する挑発的な声明を出した。プロパガンダ部隊は、ロシアや近隣諸国から、イラクやシリアに入り込んでいる過激派のビデオを発表した。「イスラム国」イデオロギーには、社会ネットワークで、人々に語りかけ、神学教育を強化することで対抗しなければならない。これは極めて重要な任務だ。北カフカスのイスラム教宗教的権威は、まさにそれを行っている。彼等は、ファトワを出し、人々を教育し、過激派と戦うためにできる限りのことをしている。

その点で“ソフト・パワー”だけでは不十分だ。地下のテロリスト指導者や活動家に対する特殊作戦が地域で行われていると報じられている。最近、ダゲスタンのウンツクルスキー地方で、そうした作戦の一つが行われた。結果的に、隊員達は、ロシアではテロ組織として禁じられているカフカース首長国の指導者、マゴメド・スレイマノフを殺害した。ムハンマド・ハジ・アブドゥルガフロフや、サイド・アファンディ・アル-チルカウイ等の宗教指導者、現地の過激派指導者、カミル・サイドフと、一味の二人を殺害したかどで彼は告訴されていた。スレイマノフの前にカフカース首長国を率いていた元指導者アリアスハブ・ケベコフは、ブイナクスクで、ロシア連邦保安庁の特殊作戦部隊に殺害された。

ロシア南部の過激派集団は、特別な戦術を駆使している。全く同じ連中が“首長国”や“戦線”をとっかえひっかえして、活動しているのだ。彼らの主な任務は、ある地域を不安定化することだ。それは、シリア国内の過激派が用いる手法や、それほどではないにせよ、アフガニスタンやイラクで活動している過激派の手法と似ている。現在、テロ活動は、ロシアを経済的に押さえつけようとする取り組みを含め、ロシア封じ込めの手段として、ますます頻繁に利用されている。これを行う方法の一つは、北カフカスの共和国諸国に投資し、欧米に代わる、パワー・センターとして活動しようとしている潜在的な貿易、経済パートナーに圧力をかけることだ。

中東の軍事紛争は悪化している。ロシアを出て、シリアやイラクに行った連中の一部が戻りつつある。これは、ロシアを国境沿いの紛争で包囲し、カフカスで、弱点を発見するという戦略に従って活動する連中の権益に役立つ。その為に、連中は、大衆扇動や、ロシアが、対「イスラム国」闘争に、十分真摯に取り組んでいないと非難するという手段に出ている。例えば、アメリカ国務省は、そう語っている。

アメリカが率いる反「イスラム国」連合は、むしろ奇妙な戦争をしている。予期しないことが次々と続く。一方で、アメリカの無人機が、シリアを攻撃し、一方、公式には、この集団は、アメリカ合州国が戦争をしているとされる敵であるにもかかわらず、アメリカ軍とテロ集団の戦士達には緊密なつながりがあると報じられている。例えば、“アメリカのヘリコプターが、西イラクのISテロ集団支配下にある地域に着陸し、何人かのIS司令官達を乗せて、不明の方向に向けて飛び去った”。全く同じ情報源が、サラーフッディーン県の「イスラム国」支配下にある山岳地帯に“アメリカ・ヘリコプターが着陸した”と報じている。アメリカのヘリコプターは「イスラム国」に支配されている地域にしばしば着陸している。今年、アメリカのヘリコプターが、ISテロリストの司令官達を地域から連れ出す為、キルクーク南西にある「イスラム国」が支配する地域ハビジャに飛行した。地域はアメリカの航空保安施設によって、しっかり監視されている。この事実は、インターネットで得られるよう定期的に公開されている画像で確認された。

民間調査会社ストラトフォー情報幹部でCEOのジョージ・フリードマンは、注目に値することを語っている。彼によれば、「イスラム国」は、アメリカ合州国にとって、死活的重要性がある問題ではない。実際、特に、アメリカ特殊部隊が、国際テロを育成する為、実に長年行ってきた取り組みを考えれば、問題などありえない(例えば、著者が、中東、旧ユーゴスラビア、北アフリカや他の場所におけるアメリカ特殊部隊の秘密工作について書いているマイケル・スプリングマンの新刊書も参考になる)。

「イスラム国」の出現は予想を上回っている。元アメリカ国防情報局長官のマイケル・T・フリンは、かつて、ホワイト・ハウスが、シリアで活動している聖戦戦士を支援するという意図的な決定をしたことを明らかにした。

2012年8月、「イスラム国」が脚光を浴びる一年前、サラフィー・ジハード主義者、ムスリム同胞団や、地域におけるアルカイダ支部を含む寄せ集め過激派集団の中で、アメリカが支援するシリア武装反抗勢力が支配的であることは、はっきり分かっていた。中東で、様々な武装反抗勢力 (より正確にはテロ集団)を用いてアメリカが作り出した戦術同盟は、地域におけるアメリカの敵国、シリアやイラン等の国々を弱体化させるのが主目的なのだ。

現在、この不安定化戦術は、ロシアのカフカスにまで広がっている。あれやこれやのテロ集団(カフカース首長国、アルカイダやら、「イスラム国」)に対して、どのようなレッテルが使われるかは重要ではない。彼等は全て、各宗派間で署名した和平協定に違反し、伝統的な宗教の権威を損ない、武力挑発を行う為の、地域で波風を立てることを狙って画策された活動に参画するよう利用されているのだ。元フランス外務大臣ローラン・デュマが証言した様に、恐らく、アラブの春が始まる二年前に、シリアに関して、既に決定が行われていたのと全く同じような決定がなされていたのだ。

記事原文のurl:http://www.strategic-culture.org/news/2015/08/19/islamic-state-eyes-russian-caucasus.html

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「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」という言葉が談話にあったとは知らなかった。読む気力全く起きないので。

ロシアに、わざわざ喧嘩を売る異常な精神構造。宗主国の指示通りというのならわかる。

鉱害と戦った田中正造と大違い。

日清戦争当時は戦争支持派だった田中正造、日露戦争時には、反戦思想を鮮明にしている。軍事予算は、学生の留学に振り向けろともいっている。原発災害がおさまらない中、宗主国侵略戦争に肉弾を提供する愚行。
田中正造、鉱毒被害を放置したまま、戦争推進する愚を批判している。談話などと違い、110年たってもそのまま通じる、実の発言。

田中正造文集(二)谷中の思想 にある明治37年11月26日付け三宅雄二郎宛て書簡の一部を引用しよう。日露戦争は1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日。

戦争の罪悪は論を要せず。然れども真面目の志士が学文上の見解よりして、戦争は必要なりとする事ありとするも、我国の内政の如き、公盗横行の政府にして妄りに忠直の人民を殺すことを敢えてするものの戦争を奨励するに至りて言語道断なり。
現在の形勢、戦争の勝敗よりは寧ろ戦争に死するものよりは寧ろ内地に虐政に死するもの多からん。虐政に死するものもの即ち名誉の戦士なりと云わざるを怪しめり。彼の人為の大加害者あり。鉱毒地の惨状を代表せる谷中村問題の如き同国同胞人に捨てられる、そもそも何んの故なるをしらず。今にして政府は詐術の報告をなして国民を欺きて憚らず。且この窮民を虐待し、甚だしきは出兵者の父母妻子をも政府の毒手を以て殺すものなり。長次男は戦争場に敵に殺され、その父母は我崇敬する政府の毒手に殺さるるとせば、これ一戸中内外二様に死者を生じるなり。但し一般出兵軍人中窮困者あり。然れども未だ政府が手を下して軍人の父母妻子は殺さざるなり。殺さるるもの独り鉱毒地方の貧者のみなるか。
政府中官吏多し。中にはこれを怒る義憤の官吏もあるべきに今は陽にこれを見ず。議員中にこの義憤者あるべきにこれを見る事甚だ稀れなり。学士中この義憤者あるべきに御存じの如くこれまた甚だ稀れなり

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コメント

 日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まると個人的には考えていますが、その背後にはアメリカ領事の影が見えます。「明治維新」の背後にイギリスがいることは広く知られていますが、要するに戦前も戦後も日本は米英の支配下にあったということではないでしょうか?

 個人的なことで恐縮ですが、琉球併合に対して小学校の高学年の時に疑問を抱いたことを覚えています。明治政府は1871年7月に廃藩置県を実施するのですが、その後に琉球藩を設置しているのです。初めてこの記述を目にしたとき、反射的に奇妙だと感じました。順番が逆です。新政府が琉球国を日本領だと認識、あるいは日本領にしたいと最初から思っていたなら、琉球藩を設置してから廃藩置県という順番になるはずです。この政府は琉球国を日本領だとは思っていなかったということでしょう。

 後に知るのですが、1871年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、漁民が殺されたと言われています。これを口実に日本政府は軍隊を台湾へ送り込むのですが、それを教唆した人物がいます。1872年に来日したアメリカ人、厦門の領事を務めていたチャールズ・リ・ジェンダーです。映画『ザ・ラスト・サムライ』のモデルだそうですが、その人物が外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進めたとされています。1874年に日本政府は台湾へ派兵しました。

 1875年に日本政府は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功・・・ということで日本のアジア侵略は始まります。勿論、日露戦争もこの流れの中で起こりました。

 考えてみれば、まだ徳川時代の1863年に長州藩は井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)をイギリスへ送り出しています。その手配をしたのがトーマス・グラバーであり、渡航にはジャーディン・マセソン商会の船が使われています。

 グラバーはジャーディン・マセソン商会が1859年に日本へ送り込んだエージェントであり、同商会はアヘン戦争(1840年から42年)とアロー戦争(1856年から60年)で大儲けした会社でした。

 関東大震災が起こると復興資金の調達にアメリカの巨大金融機関JPモルガンを頼ることになり、それ以降、日本はウォール街の影響下に入ります。そのJPモルガンと最も近い関係にあったのが「新自由主義者」の井上準之助。その金融機関の総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻の親戚だったジョセフ・グルーが1932年から駐日大使になり、戦後はジャパン・ロビーの中心として日本をウォール街にとって都合の良い方向へ導いていきます。いわゆる「右旋回」。

 この支配関係を揺さぶることになったのがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトでしょう。ルーズベルトはJPモルガンをはじめとするウォール街の巨大資本と対立関係にあったのですが、1932年の大統領選で勝利します。そこで、1933年から34年にかけてのウォール街は反ルーズベルトのクーデターを計画、ファシズム体制を築こうとしたとされています。これはスメドレー・バトラー海兵隊少将(退役)の議会証言で明らかにされています。言うまでもなく、この証言は議会の記録に残っているので、誰でも確認できます。

 また、1939年頃、「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成してソ連と戦うという案が米英支配層の内部にあったという話もあります。(Anthony Cave Brown, ““C”: The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)1945年5月、ドイツが降伏した直後にウィンストン・チャーチル英首相はソ連を攻撃しようと考え、「アンシンカブル作戦」が作成されています。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていましたが、これは参謀本部の反対で実現しなかったそうです。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など)

 詳しく書こうとすると長くなるのでやめますが、戦前も戦後も日本はイギリスやアメリカの巨大資本に支配されていたと私は思っています。ただ、この関係の外にいたルーズベルトが大統領だった期間はこの支配関係が揺らいだのではないでしょうか?

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