トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月31日 (土)

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

Democracy Now!

 

2006年11月24日金曜日放送分記事翻訳

 

ハワード・ジン「歴史の効用と対テロ戦争」を語る(政府は嘘をつくものです。)

 

 ハワード・ジンは我が国において最も著名な歴史学者の一人だ。彼の古典的作品「民衆のアメリカ史」は、我々のアメリカ史に対する考え方を変えた。25年前に最初に刊行された本は百万部以上売れ、毎年販売部数が伸びるという出版界の事件になっている。[以下に文字おこし原稿あり]

 

 第二次世界大戦で、爆撃手として軍務についた後、ハワード・ジンは生涯にわたる反体制派の平和活動家となった。過去40年間にわたって、彼は公民権運動や社会的公正の為の多くの闘争で活動している。

 

 歴史的に黒人女性の大学であるスペルマン・カレッジで教えていたが、学生達の為に立ち上がった業務命令違反のかどで解雇された。最近彼は、卒業式の演説をするため、同大学から招かれた。

 

 ハワード・ジンは沢山の本を書いており、ボストン大学名誉教授である。彼は最近ウイスコンシンのマディソンで講演し、Lifetime Contribution to Critical Scholarshipに対するヘブン・センター賞を受賞した。彼の講義「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」をお送りする。

 

ハワード・ジン:

 マディソンはとても特別な場所です。ここにやってくる度に特別な感情を抱きます。私は違う国にいるように感じています。それで今は嬉しく思っています。アメリカの政治に愛想をつかして、どこかよその国に移住する人もいます。いいえ。マディソンに来てください。

 

 そこで、私はまずお礼を申し上げることになっています。皆さんがどなたであれ、おいで頂いて嬉しく思います。照明が私を目覚めさせようとまぶしく照らしています。

 

 さて、皆さんは何か占領された国に暮らしているように感じられませんか?朝目が覚めた時に、そういう感じがすることが良くあります。「占領された国に暮らしているのだ。エイリアンたちの小さな集団がこの国を乗っ取って、自分たちのしたい放題のことをしようとしており、実際そうしているのだ。」と私は考えるのです。つまり彼らは私にとってはエイリアンなのです。メキシコの国境を越えてやってくる人々は私にとってエイリアンではありません。そうです。アメリカで暮らすためにやってきたイスラーム教徒は、私にとってエイリアンではありません。つい最近の移民の権利を訴える素晴らしいデモで、例えば「いかなる人間も、エイリアン(外国人)ではない。」というプラカードをご覧になったでしょう。私はこれは本当だと思います。ワシントンの連中を除いてですが。

 

 彼らがこの国を乗っ取ったのです。彼らが政策を乗っ取ったのです。彼らは我々を二つの悲惨な戦争に引きずり込んだのです。我が国にとって悲惨であり、中東の人々にとってはさらに悲惨です。そして、連中はこの国の富を吸い上げ、それを金持ちに与えています。多国籍企業に与えています。ハリバートンに与え、武器メーカーに与えています。彼らは環境を破壊しています。しかも連中は10,000発の核兵器を握って離しません。それなのに、イランが十年すると核兵器を一つ持つようになるかも知れないという事実を、我々に心配させたいわけです。全く、どこまでおかしくなっているのでしょう?

 

 そこで問題は、一体どうしてこういうことが起きるような羽目になったのでしょう?連中はどうやって好き勝手ができたのでしょう?連中は国民の意志に従ってはいません。つまり、彼らは、戦争を始めた直後の極めて短い時間の間に国民の意思を創り出したのです。政府なら武力紛争が始まった直後にそれができるのですが、戦争ヒステリーの雰囲気を創り出せるようにしたのです。そこでしばらくの間は、アメリカ国民の心を掴んでいたのです。それはもはや真実ではありません。アメリカ国民は何が起きているのか理解し始め、ワシントンの政策に反対するようになりましたが、もちろん連中は依然としてあそこにいます。連中は依然として権力を握っています。疑問は、ですから、連中がいかにしてまんまとこれをやってのけられたのかということです。

 

 それで、疑問に答えようと、ナチス・ドイツの歴史をちょっと調べてみました。いえ我々がナチス・ドイツというわけではありませんが、誰からでも、人の歴史からも教訓は得られます。この場合、私はヘルマン・ゲーリングの思想に興味があったのです。ご存じかもしれませんが、ヒットラーの副司令官で、ドイツ空軍のトップでした。第二次世界大戦が終わった時に、ナチス指導者がニュルンベルクで裁判にかけられた際に、ヘルマン・ゲーリングもナチス政権の他の指導者達と一緒に刑務所に入れられました。そしてニュルンベルク裁判の被告に面接する仕事を与えられた心理学者が彼を訪問したのです。

 

 それでこの心理学者は記録をとり、実際、戦争から数年後に「ニュルンベルク日記」という本を書きました。自分が書いたことを本に書いています。ヘルマン・ゲーリングとの会話を記録したのです。彼はゲーリングに、ヒットラー、ナチスがドイツ人を一体どうやってあのように馬鹿げた戦争と侵略の破滅的な政策を支持するようにできたのか尋ねたのです?で、手元にそのノートがたまたまあるのですが。我々はいつも言うのですね。「たまたま、これが手元にありまして。」

 

 ゲーリングは言っています。「もちろん国民は戦争を望んではいない。なぜ畑にいる貧しいまぬけが、自分の命を戦争にさらそうなどと望むだろう?だが、結局、政策を決定するのは国家指導者だ。国民はいつでも指導者達の命令に従わせることができる。連中に、我々は攻撃されているのだと言って、平和主義者は愛国心に欠けると非難するだけで良いのだ。これはどこの国でも同様に機能する。」

 

 私には最後の行が興味深いものでした。「これはどこの国でも同様に機能する。」つまり、ここで、彼らはナチスです。あれはファシスト体制です。アメリカはデモクラシーです。けれども、自分の国を何制度と呼ぼうと、これはどこの国でも同様に機能するのです。自分の国を全体主義国家と呼ぼうと、あるいは自国をデモクラシーと呼ぼうと、同じように機能するのです。つまり、国家指導者達は国民を、丸め込んだり、無理強いしたり、唆したりして戦争をさせることができるのです。国民を脅かし、国民が危険な状態にあると言い、もしも支持しなければ、非愛国的と見なされるぞと国民を脅迫し、無理強いして。そして、これが9/11直後にこの国で本当に起きたことなのです。これがブッシュがイラクの大量破壊兵器という妖怪をよみがえらせた直後に起きて、しばらくの間アメリカ国民がこれを支持するようにさせたわけです。

 

 けれども問題は、どうやって連中がまんまとそれをやりおおせたかです?新聞はどうでしょう?テレビはどうでしょう?政府がしていることを暴くのは新聞の仕事ではありませんか?テレビの仕事ではありませんか?ジャーナリズムの仕事ではありませんか?ジャーナリスト達はI・F・ストーンからは学ばないのでしょうか?「ひとつだけ覚えておくように」と彼はジャーナリズムを勉強している若者に言いました。「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものです。」ところがマスコミはそれには注意を払わなかったのでしょう。マスコミは支持したのです。彼らは大量破壊兵器というアイデアを喜んで受け入れたのです。覚えておいででしょう。コーリン・パウエルがイラク戦争開始の直前に国連に登場し、彼によればイラクが所有するのだといううんざりするほど大量の武器を国連で説明し、大変な詳細まであげたのです。この弾筒がいくつあるか、これが何トンあるか、云々と。そして翌日、新聞報道は称賛で輝いていました。彼らは、質問してみるという、自分たちの仕事をしなかったのです。彼らは尋ねるという自分たちの仕事をしなかったのです。「どこに?あなたの証拠は何ですか?どこからそうした諜報情報を入手したのですか?誰と話をしましたか?あなたの情報源は何ですか?」

 

 大学の新入生として皆さんは学ばれたのではありませんか?「おい、君の典拠は何だ?脚注はどこにある?」そうではないのです。マスコミはただ、ワシントン・ポストはこう書いたのです。「イラクが大量破壊兵器を所有していることを疑うことができる人がいるだろうと想像するのは困難だ。」そしてニューヨーク・タイムズは、ご存じのように、ひたすら我を忘れてコーリン・パウエルを称賛したのです。もちろん、これはみな本当でないことがわかりました。全て嘘だったことがわかりました。しかし報道機関はその職務を果たさなかったのです。その結果、テレビを見ているアメリカ人、新聞を読んでいるアメリカ人には、代替の情報源は無く、代替の意見はなく、何がおきてるかについて代替の批判的分析はありませんでした。

 

 そこで質問です。新聞で読んだものをなぜいまだに国民は信じているのでしょう、テレビで見たものをなぜ国民は信じるのでしょう?そこで私は、それは歴史の喪失とどこか関係があると主張したいのです、そう、スタッズ・ターケルが「国家的健忘症」と名付けた歴史を忘れているのか、それともまずい歴史を学ばなかったのか、皆さんが教わっている類の歴史の勉強のせいです。コロンブスは英雄だった。テディー・ルーズベルトは英雄だ。アンドリュー・ジャクソンは英雄だ。大統領や将軍や実業家だったあらゆる人々。彼らは偉大だ。彼らはアメリカを偉大にした人々だ。そしてアメリカは世界において常に良いことを行ってきた。そしてアメリカにも、もちろんちょっとした問題はあった。例えば、奴隷制度のようなものが。しかしアメリカはそれを克服した、等々。いいえ、そういう類の歴史ではありません。

 

 アメリカ国民がもし本当に歴史を知れば、アメリカ国民がもし歴史を学べば、もし教育機関がその職務を遂行していれば、もしもマスコミが国民に歴史的大局観を提供するという自分たちの職務を果たせば、そうすれば国民は理解するでしょう。大統領がマイクの前に立って、あれやこれやの理由、自由の為にあるいはデモクラシーの為に、あるいは我々が危機にあるので等々の理由から、我々は戦争を始めなければならないと言った時に、もしも国民が多少の歴史知識を持っていれば、大統領達が一体何度国民に、あれやこれやの理由で我々は戦争を始めなければならないと宣言したか知っていたはずです。人々はポルク大統領かこう言ったことを知っていたはずです。「我々はメキシコに対する戦争を進めなければならない。なぜなら、国境でおきた事件があったためで、我々の名誉が戦うことを要求しているのだ。」

 

 もしも多少の歴史を知っていれば、マッキンリー大統領がどうやって国民をスペインとキューバに対する戦争に引きずり込んだかを知っていたはずです。「我々はキューバ人をスペインの支配から解放するのだ。」と言いながら。そして実際そこにはごくわずかの真実はありました。アメリカは戦争を始め、スペインに対して戦い、我々はスペインをキューバから追い出しました。我々は彼らをスペインからは解放しましたが、我々から解放してはいないのです。そこで、スペインが追い出されて、ユナイテッド・フルーツが入り込み、やがてはアメリカの銀行や、アメリカ企業は入りました。

 

 それで、もしも人々が自分たちの歴史を知れば、思い出せたはずだと思います。アメリカ陸軍が既にフィリピンにおり、そしてアメリカ海軍が既にフィリピンにいる時にマッキンリー大統領が何と言ったか、そして偉大なヒーロー大統領の一人セオドア・ルーズベルトが、戦争をしたくてたまらずにいたことを。マッキンリーがどこにフィリピンがあるのか知らなかったことを知っていたでしょう。ただ今では大統領達は頻繁に事前に要点を教えて貰って、どこに何があるか教えてもらっています。ジョージ・ブッシュは「ここがイラクだ。」と言いました。リンドン・ジョンソンは「ここがトンキン湾だ。」と言いました。連中は事前の教育が必要なのです。

 

 皆は分かっていたはずなのです。大統領が、もしも皆が歴史を知っていれば、マッキンリー大統領が「我々はフィリピンに入って、フィリピン人を文明化し、キリスト教化する。」と言ったことを。そしてもしも彼らが自国の歴史を知っていれば、もしも歴史本が、大半のページをわずか三ヶ月しか続かなかった米西戦争にさくかわりに、歴史の本が二十世紀初期フィリピンにおける戦争について多少ページをさいていれば。何と七年も続いた血まみれの戦争で、住民の虐殺や、皆殺しを行ったフィリピン戦争については、事実上ほとんどページをさいていません。そういう歴史は本に載らないのです。アメリカはフィリピン人を文明化しキリスト教化して、我々の支配を確立したのです。

 

 皆分かっていたはずです。大統領が「私たちは中東にデモクラシーをもたらすつもりだ」と言うのを聞けば、一体何度アメリカが侵略した他国にデモクラシーを押しつけたか分かるはずなのです。皆、チリにデモクラシーをもたらしたかどうか分かっていたでしょう。チリで民主的に選出された政府を、アメリカは1973年に転覆させたのです。アメリカがまたもや民主的に選出された政府を転覆した時に、アメリカがどのようにしてグアテマラにデモクラシーをもたらしたかを皆が知っていたはずなのです。そう、アメリカは民主的選挙が好きで、アメリカは自由選挙が好きです。ただそれはよその政府がおかしな方向に行かない時に限ります。おかしな方向にゆくと、アメリカは陸軍かCIAか秘密工作員を送り込んでその政府を転覆するのです。

 

 もしも国民がそうい歴史を知っていたら、瞬間たりともブッシュ大統領を決して信じたりはしなかったでしょう。彼が、あれこれの理由と自由とデモクラシーの為に、そしてイラクは脅威なのだから、我々はイラクを攻める、と言ったときに。当局が皆に言う物事に対して懐疑的になるには多少の歴史的な理解が必要なのです。

 

 皆さんが歴史を知れば、I・F・ストーンが言ったように政府は嘘をつくものだということが分かります。ストーンは言いました。政府は常に嘘をつくものなのです。もちろん、アメリカ政府だけではありません。それが政府というものの本性なのです。そう、連中は嘘をつかざるをえないのです。概して、政府というものは自分たちが支配する社会の人々を代表してはいないのです。政府は人々を代表してはおらず、また、政府は人々の利害に反して行動するので、権力を握り続けるための唯一の方法は、人々に嘘をつくということなのです。もしも政府が国民に真実を告げれば、政府は長くは続きません。ですから歴史は、偽りを理解し、政府が何を言おうと、それを慌てて信じ込むのではなく、懐疑的になることの手助けになります。

 

 もしも多少の歴史を知っていれば、恐らくはもっとより基本的なことを理解できるはずなのです。この戦争に嘘をついたり、この侵略に嘘をついたり、あの干渉に嘘をついたりという問題よりも、もっと基本的なこと、もしもみんなが多少の歴史を知っていれば。ある種社会の基本的事実、我が国の社会を含め、政府の利害と国民の利害は同じではないことを理解できるはずなのです。

 

 これを知っておくことはきわめて重要です。我々全員が共通の利害を持っていると政府は必死で説得しようとするからです。もしも政府が「国益」という言葉を使う場合には、国益などありません。あるのは、彼らの利害と我々の利害です。国家の治安とは誰の治安でしょう?国防とは、一体誰の防衛でしょう?こうした言葉や文句は全て私たちを「素晴らしい大きなきずな」に囲い込もうとして使われているのです。わが国の指導者の人々は我々の利害を心に留めておいてくれると思いこむように。これを理解することはとても重要です。とんでもない、連中は我々の利害など気にかけてはいません。

 

 イラクに出征する若者が話すのを聞く機会がおありでしょう。若者がベトナムに出征する時に同じことを聞いたのを思い出します。記者が若者の所にいって言うのです。「ねえ、あなた、あなたは出征してゆきますが、それをどう考えていて、なぜそうするのです?」すると若者は答えます。「お国のために行くのです。」違います。彼は彼の国の為に行くのではありません。そして彼女は彼女の国の為に行くのではありません。戦争に赴く人々は彼らの国の為に戦っているのではありません。ちがうのです。彼らは自分たちの国に対して何も良い行いをしてはいません。彼らは自分たちの家族に対して何も良い行いをしてはいません。彼らは現地の人々に対しても何も良い行いはしていません。ともかく彼らは、彼らの国のためにそうしているのではありません。彼らは、それを彼らの政府のためにしているのです。彼らはそれをブッシュのためにしているのです。こういう言い方の方がより正確でしょう。「私はジョージ・ブッシュの為に戦うべく、出征するのです。私はチェニーの為に戦うべく、出征するのです。私はラムズフェルドの為に戦うべく、出征するのです。私はハリバートンの為に戦うべく、出征するのです。」そうなのです。こういう言い方の方が真実を語っています。

 

 ですから、実際、この国の歴史を知るには、アメリカ国内では、最初から、権力を握っている人々と普通の人々の間に利害の衝突があったことを知るべきなのです。私たちは、イギリスに対してアメリカ革命を戦った一つの幸せな大家族だったのではありません。思い出します。学校では、彼らは愛国者で、バレー・フォージやバンカー・ヒル、その他で我々全員がともに働き、英国兵士やイギリス人に対して戦った、等々というように思われたのです。決してそんなことはなかったのです。統一された国ではなかったのです。

 

 ワシントンは将軍達を南部に送らざるを得ませんでした。若者に対して武力を行使して軍務につかせたのです。独立軍の兵士はワシントンに対して反乱したのです。将校に対して。陸軍には階級紛争があったからです。独立戦争以前の植民地の至る所で階級紛争があったのと同じように。そう、軍隊を知っている人なら誰でも、軍隊にいったことがある人ならだれでも、軍隊というのは階級社会であることを知っています。兵卒がいて、将校がいます。そして独立戦争では、兵卒は靴を貰えず、衣服も貰えず、食料も貰えず、給料も貰っていなかったのです。一方将校は華麗な生活をしていたのです。それで、彼らは反乱したのです。何千人もです。

 

 そういうことを学校の歴史で学んだという記憶はありません。なぜなら神話があるからです。いわく、アメリカは、一つの幸福な大家族だ。黒人奴隷も含めてでしょうか?私たちが彼らから、一マイル、一マイルと、じわじわ土地を奪い取った先住アメリカ人を含めてでしょうか?私たちは一つの幸福な大家族でしょうか?そうしたこと全てから取り残されていた女性達は。そうではありません。基本的な事実を理解することは非常に重要です。国を運営する人々と私たちとでは、我々の利害は同じではありません。

 

 ですから、歴史は理解に有効なのです。他の国民と同じ国民だということを理解するのに。幼い頃からずっと教え込まれているような、アメリカは世界で最も優れている、アメリカはナンバー・ワンだ、アメリカは最高だ、というわけではないことを理解するのに。これは、社会科学におけるアメリカ例外主義と呼ばれるものです。アメリカ合衆国は、国家というものの法則の例外だ。つまり、国家というものの一般法則は、国家はかなり悪辣なものだというのです。だがアメリカ合衆国、我が国は正しい。アメリカは世界の中で善を行っていると。

 

 そう遠くない昔、私はラジオ番組に出ました。インタビューされたのです。普通の商業放送局でした。普通の商業放送局にでてインタビューされるのは好きです。局の連中は、誰を呼んでいるのか良く知らないからです。そこで彼が言ったのです。「ジン教授、アメリカは、概して、世界の中で、世のため人のためになる力だったと思われませんか?」「いや、いや、いや。」なぜこう尋ねないのでしょう。「大英帝国はアフリカでは世のため人のためになる力だったと思いますか。ベルギー人はコンゴで世のため人のためになる力でしたか。あるいはフランスはインドシナで世のため人のためになる力でしたか?海兵隊を中米に何度も何度も派遣した時に、アメリカ合衆国は、世のため人のためになる力だったと思われますか」そうではありません。

 

 けれども、アメリカにはご存じの別の認識があるのです。アメリカは違うというのが。我が国は偉大だ、と。まあ、アメリカには確かに偉大な点があるでしょうが、それはアメリカが他国にしたことではありません。アメリカが黒人にしたことではありません。アメリカが先住アメリカ人にしたことではありません。彼らが組合を組織し、反抗して立ち上がるまで12時間労働に苦しんだこの国の労働者にアメリカがしたことではありません。そうではないのです。我々は自分に正直でなければなりません。

 

 これは実行するのはとても難しいことです。自分自身に対して正直になることは。皆「私は忠誠を誓います」等というよう育てられているのです。「全員のための自由と公正」「アメリカに神の恩寵がありますように」なぜ我々なのでしょう?なぜ神はアメリカに恩寵を与えるのでしょう?なぜ神はアメリカだけを恩寵を与えようと選び出すのでしょう?ねえ。なぜ「皆に神の恩寵がありますように」ではないのでしょう?もしも実際、私たちが育てられていれば、もしも我々がアメリカの歴史を理解するように育てられていれば、アメリカも他の国民と同じだ、ただしアメリカはより大きく、より多くの銃砲と爆弾があるので、もっと暴力が行えるのだということが分かるはずなのです。他の帝国がそこまではできなかったことを、アメリカはできるのです。アメリカ人は豊かです。そう、アメリカ人の全員がというわけではありません。アメリカ人の一部がそうなのですよね?しかし、我々は正直でなければなりません。

 

 人々がアルコール中毒者更生会に入会するのは、立ち上がって、自分自身について素直になるためではありませんか?帝国主義者更生会という名前の組織を立ち上げる必要があるかも知れません。この国の指導者達が、その会の全国網テレビ放送にでて言うのです。「そう、皆さんに本当の事をお話しする時期ですね。」そうなれば、私はそうなるとは期待していませんが、そうなれば爽快でしょう。

 

 そして、もし我々がこの歴史を知っていれば、人々が他の人々に対してひどいことをするようにどうヒステリーを作り上げるのか、恐れさせられたがゆえに、人々に自分たち自身の利害と反対の行動をさせるための方法として、恐怖がどれだけ頻繁に利用されたのかを理解できるでしょう。南部における大半のリンチの動機になったのは恐怖とヒステリーだったのではありませんか?黒人への恐怖、黒人に対するヒステリーが、白人に我が国の歴史の中行われたことの中でも最も残虐なことをさせたのではありませんか?現代でもそうではありませんか?恐怖が、イスラーム教徒に対する恐怖、単にテロリストに対してだけでなく、一般的に?もちろんテロリストへの恐怖、特にイスラーム教徒に対する恐怖もありますね。アメリカ国民に繰り返して吹き込んだ非常に醜い感情で、一種のヒステリーを創り出し、それが、政府が国民を支配し、彼らが次々と起こす戦争に我々を送りこめるようにし、脅かして、また次の戦争にというわけです。

 

 もし我々が多少の歴史を知っていれば、冷戦に伴ったヒステリー、共産主義に対するヒステリーのことを理解できるでしょう。共産主義が存在しなかったわけではないのです、テロリズムが存在しているのと同様に。共産主義が問題なのではありません。共産主義は存在しました。そしてソ連がありました。ソ連は自国民に対して圧政的で、東ヨーロッパを支配していました。けれどもソ連の脅威にたいする極端な誇張があり、それ昂じて、いや彼らは東ヨーロッパにいるというだけではないのだ。彼らは西ヨーロッパを侵略しようとしているのだ、となったのです。

 

 ついでながら、その証拠は何もありません。近年、ソ連専門家だったCIAアナリスト達が人前に現れて、ソ連が西ヨーロッパを侵略するつもりだという証拠は何も無かったと言っています。しかしそれに対抗してNATOが組織されました。それに対抗してアメリカ合衆国は膨大な核の兵器庫を築き上げたのです。

 

 ソ連はいつもアメリカ合衆国より遅れていました。政府はソ連を脅威だといって持ち上げましたが、結局の所、誰が最初に原子爆弾を手に入れたのでしょう?誰よりも原子爆弾を沢山もっているのは誰でしょう?日本の二つの都会に暮らす普通の人々の上に原子爆弾を実際に落とした唯一の国はどこでしたか?ですから、だれが原子爆弾を使うのでしょう。原子爆弾を溜め込んでいるアメリカが、死にものぐるいで追いつこうとしている国々に対するヒステリーを創り出したのです。もちろんイランは決して追いつきません。北朝鮮も決して追いつきません。ソ連は追いつこうとしました。けれども、この妖怪のような脅威を創り出すことによって何兆ドルものこの国の富を軍事予算に費やしたのです。

 

 共産主義に対するヒステリーは高まるあまり、生徒が机の下に隠れたりすることだけを言っているのではありません。なぜならソ連は原子爆弾を投下しようとしていたのですから。ソ連が原子爆弾を投下しようとしていたという証拠は何もなかったのです。ついでながら、統合参謀本部が、アメリカ政府首脳部の連中が、実に様々な時に、予防戦争を、ソ連に核兵器を投下することを提案したという証拠があります。しかし、アメリカは、非常に不気味で、どこにでもあるような脅威を創り出したので、子供達は、そう、机の下に隠れたのです。そしてまた、世界のどこであれ、アメリカ合衆国の気に入らないことが起きると、それが世界共産主義者の脅威の一部になりました。

 

 それで、共産主義と対処する為なら、ラテン・アメリカのどこの国でも、我々の好きな国に押し入れたのです。共産主義者の脅威があったがゆえに、アメリカは陸軍をベトナムに派遣し、結果として数百万人の人々が亡くなったのです。ベトナムが世界における共産主義者の脅威の象徴になっていたためです。考えてみれば、既に共産主義の北と反共の南に分割されていたベトナムが、この小さな国の半分が共産主義者になるのを恐れることがどれだけ馬鹿らしいことか。すぐ北では10億人の人々が共産主義になっていたのです。これはどうも奇怪です。

 

 けれども、恐怖とヒステリーを創り出せば、奇怪な考え方がまかり通るようになるのです。そして今我々は、もちろん現在の状況は、テロリズムという厄介なものに直面しているわけです。のべつ幕なしのジョージ・ブッシュや彼の閣僚の演説、ひっきりなしに連中が使う言葉「テロリズム」と「テロ」を考えてください。あれはアメリカ国民を脅かすために彼らが創り出した呪文です。

 

 その効き目も薄れてきたと私は思います。多少の理解が始まったように思います。それが、世論が戦争反対になったという事実の背景です。国民はもはやアメリカがテロリズムを打ち負かすためにイラクで戦っているとは信じていません。なぜなら証拠がそれほど圧倒的に出てきて、大手マスコミでさえ報道するようになっているからです。国家情報評価がそうです。政府自身の諜報機関がイラクでの戦争がテロリスト集団を成長させる原因になって、中東のイスラーム教徒集団の好戦性と急進主義を増していると言っているのです。

 

 しかし、国民に、自分たちの利害に反することをさせるための、自分たちの若い子供達を戦争に送り出す羽目になるようなことをさせるための、戦争という目的の為に、国家の富の枯渇を引き起こし、大金持ちをさらに富ませるためのことをさせるための企みとして、テロリズムが共産主義に置き換わったのです。テロリズムについて、誰かがテロリズムに対する戦争の話をするとき、連中が用語の上で矛盾していることを悟るのはさほど難しいことではありません。もしも戦争そのものがテロリズムだったら、どうやってテロリズムに対する戦争を起こすことができるでしょう?なぜなら、テロリズムにテロリズムで対応しているので、世界のテロリズムを増やすだけだからです。

 

 そして、もちろん、政府が戦争をすることで行えるテロリズムは、アルカイダやらあれこれもろもろの集団のテロリズムより、遙かに遙かに大きな規模なのです。政府はとてつもなく大規模なテロリストなのです。アメリカ合衆国は、アフガニスタンに対して、イラクに対して、ずっとテロリズムを行っており、今や彼らはそのテロリズムを中東の他地域にも広げると脅しているのです。

 

 そして、恐怖とヒステリー利用の歴史や、冷戦と反共ヒステリーの歴史は、今我々が経験していることに対して人々に注意を喚起するのに非常に役立ちます。つまり、イランの場合、例えば、けしからぬことですが、マスコミはイラン核兵器でひどい役割を果たしています。彼らは核兵器を欲している。彼らは核兵器を持っているとは言っていません。彼らは核兵器を欲している。私もそうです。核兵器をほしがるのは簡単です。膨大な軍事力をもった国に向かい合っていて、そうした膨大な軍事力をもった国の軍事力にはとうで対抗できそうもないような小国は、アメリカ合衆国がとった戦略の真似をしているのです。アメリカ合衆国は言いました。「我々は抑止力を持たねばならない。」「なぜアメリカは10,000基もの核兵器を持っているのだろう?」と尋ねた場合、一体何回これを聞きましたか。「我々は抑止力を持たねばならない」そう、彼らも抑止力が欲しいのです。核兵器一基をですね。

 

 イラクはそういう状況にありませんでした。ご存じでしょう。コンドリーサ・ライスの発言を。「キノコ雲」我々は広島と長崎の上にキノコ雲を創り出した唯一の国なのです。イラクはキノコ雲を創り出せる立場にありませんでした。中東と核兵器のあらゆる専門家が言っていました。イラクが核兵器を開発するには5から10年かかる。それなのにアメリカは核兵器に対するヒステリーを創り出していたのです。

 

 今アメリカは同じ事をイランにしているのです。そして国連の国際原子力機関はイランの核兵器の危険性について語っている議会報告と真っ向から矛盾しています。もう何度も何度もイランで査察した国際機関は言っています。彼らはアメリカ国民に、ある種中途半端な教育をしてくれています。つまり政府は言っています。政府は「連中はウランを濃縮している。」という言い回しを使います。これは気味が悪いですね。「彼らはウランを濃縮しているのだ」と。本当のところそれがどういう意味か私は知りませんが、ぞっとします。国際原子力機関の報告を読むと、たしかに、彼らはやっているのです。彼らはウランを3.5%まで濃縮したのです。核兵器を一つ作る為には、彼らはそれを90%まで濃縮しなければならないのです。彼らは一発の核兵器を開発するところかさえ、遙かに遙かに遠いところにいるのですが、「濃縮ウラン」という言葉が、何度も何度も繰り返されるのです。

 

 ですから、そう、我々は多少の歴史的な知識が必要なのです。イラクを思い出してみてください、ベトナムをめぐるヒステリーを思い出してください。「わー、共産主義者が南ベトナムを占領するかもしれない!」それからどうなるのでしょう?サンフランシスコまでわずかあと一歩。とんでもない。レーガンがニカラグアのコントラを支持していた時、彼が言っていたのを覚えておられる方もいるでしょう。「ニカラグアがどこにあるかご存じでしょう?連中がテキサスにやってくるまでにさほどはかかりません。」私はそれはおかしいと思いました。私は考えたのです。一体なぜニカラグア人がテキサスに来たいと思うだろう?これは別にテキサスを中傷しているわけではありませんが、仮に連中がテキサスに来たとして、それから何をするのでしょう?ユナイテッド・エアラインのワシントン便に乗るのでしょうか。彼らは何をするのでしょう?けれども、起きているものごとに対する自覚を、ヒステリーがどれほど完ぺきに損なってしまうかを理解するには、こうした歴史の一部を知ることが本当に極めて重要なのです。

 

 少し違うお話をしたいと思います。残り時間がどれほどか心配になってきました。どれだけ長くお話したのでしょう。まあ本音は、どれだけお話したのか心配などしていません。気にしていません。時計を見ては時間を気にしているふりをしているだけでして。何時に話を始めたのか覚えていないので、どれだけの時間お話したのかわかりませんが。

 

 ともかく、どこかの時点でイラクにおける戦争は終わります。どこかの時点でアメリカ合衆国はベトナムでしたことを、イラクでもするのです。「我々は決して去らない。我々は決して去りはしない。我々は勝利する。我々は最後まで頑張る。我々は急いで逃げたりはしない。」といっておいた後で。ある時点で、アメリカ合衆国はイラクから大急ぎで逃げ出すしかなくなるのです。連中がそうすることになるのは、この国の中で反対する感情が益々、益々強くなってゆくからです。そして益々多くの兵士がイラクから帰国して「二度と戻らないぞ」と言うからです。彼らが、イラクへの軍隊補給を益々難しくするからです。若者の両親達がますます「私たちの若者をベクテルやハリバートンの為の戦争に送ることを許すつもりはない。そんなことをするつもりはない。」と発言するようになるからです。ある時点で、そう、ある時点で、政府が今してはならないと言っていることを私たちはすることになります。つまり大急ぎで逃げ出すのです。

 

 大急ぎで逃げ出す必要はありません。歩き去る。泳ぎ去る。とにかく、出来る限り早く去ることです。あそこでアメリカは何もいいことをしているわけではないのですから。アメリカは状況を良くする助けをしてはいません。アメリカは平和をもたらしてはいません。アメリカはデモクラシーをもたらしてはいません。アメリカは安定をもたらしてはいません。アメリカがもたらしているのは、暴力と混沌です。アメリカはそうしたこと全てを引き起こし、人々が日々亡くなっています。民主党の指導者が「さあ、2000年5月14日なり何年何月何日なりまでには撤退すべきだと思う」という時。よろしいですか。その日まで、毎日より多くの人々が死に、より多くの人々が手足を失い、目が見えなくなるのです。ですからそれは耐え難いことです。そこで、我々は出来る限りのことをしなければなりません。

 

 ベトナムの場合には、ある時点で政府が戦争を続けられないことに気がついたのです。GIがベトナムから帰国して戦争に反対しました。政府は彼らを予備役将校訓練団に参加させることはできませんでした。余りに多くの人々がカナダに逃げました。余りに多くの人々が徴兵書類に署名をしようとしなかったのです。最後は、徴兵制を廃止しなければならなくなったのです。政府は国民の支持を失いつつあったのです。政府は軍の支持を失いつつあったのです。ある時点で。

 

 これに似た何かがおきるでしょう。私たちが、それがなるべく早く起きるようにできれば、もちろんその方がいいのです。我々が多くの高校に行けば行くほど、これは極めて実務的なことですが、ごく実務的なことで、誰でも出来ることですが、それは地方の高校に行って、両親達全員に、高校の全生徒に自分たちの情報を軍徴兵官に渡す必要は無いことをしっかり理解してもらうことです。お分かりですね。益々多くの人々のチームが軍徴兵官のプロパガンダに反論するようになるのです。

 

 連中が苦労していることを知っています。連中は軍の新兵補充で自暴自棄になりつつあります。出来る限りのことをやっています。もちろん、連中は力を集中しています。連中は軍徴兵官を最も貧しい高校に派遣しているのです。なぜなら労働者階級の子供達こそが最も勧誘に弱いことを、一番生活に困っていて、教育が必要で、技術が必要で等々ということを知っているからです。それで連中は労働者階級を餌食にしようとしているのです。ユージン・デブスは言っています。ユージン・デブスを引用させていただければ、ただユージン・デブスは第一次世界大戦の時の演説で発言して、それで彼は監獄に送られたのですが。「常に支配階級が戦争を始めてきた。常に労働階級が戦争を戦ってきた」そしてもちろん、それは常に真実です。そこで我々はどこかの時点でイラクを脱出するのです。

 

 一つご提案したいのです。私たちはイラクよりも先のことを、いやイランよりも先のことを考えなければなりません。この戦争やら、あの戦争やら、その次の戦争やらに反対して苦労したいとは思いません。無限に連続した反戦運動をしたくはないのです。疲れることですから。それで戦争そのものの廃絶について、考え、話し、教育する必要があるわけです。

 

 先日私は、理髪師と話をしていました。私たちはいつも世界政治の話をしているのです。彼が政治的には実に気まぐれなのです。大半の理髪師同様に。彼は言いました。彼はこう言ったのです。「ハワードさん、ねえ、あなたと私は多くの点で意見が合いませんが、一つだけ一致することがありますね。戦争は何も解決しない。」私は思いました。「そうだ」人々がそれを理解するのは困難なことではありません。

 

 そこでもまた、歴史が役に立ちます。我々には、戦争の、その次の戦争の、そのまた次の戦争の歴史があります。それで何が解決できたでしょう?戦争が何を果たしたでしょう?第二次世界大戦、「良い戦争」、私が志願した戦争で、私が爆弾を落とした戦争でさえ。戦争の後で私は手紙を貰いました。将軍の将軍であるマーシャル将軍から、私個人にあてられ、他の1600万人の兵士にあてられた手紙を、そこで彼は書いていました。「我々は」戦争に勝った。新しい世界になるだろう。」さて、もちろん、新しい世界になどなりませんでした。新しい世界にはならなかったのです。戦争のその次の戦争のそのまた次の戦争です。

 

 ある種の考え方があります。あの戦争が終わったときに、私が志願した戦争、私が熱心な爆撃手だった戦争、あの戦争で、ある考えが、戦争末期に次第に、戦争についての考え方が育ちました。つまり、戦争はそれに関与する全員を腐敗させる、というものです。戦争はそれに関与する全員を汚染するのです。我々も始めは善玉なのです。第二次世界大戦の時のように。相手は悪玉です。彼らはファシストでした。それ以上悪いものがあるでしょうか?それで、相手は悪玉で、我々は善玉なのです。戦争が進むにつれ、善玉が悪玉のように振る舞い始めます。この現象はペロポネソス戦争にまでさかのぼることができます。善玉のアテナ人、悪玉のスパルタ人にさかのぼれます。そしてしばらくすると、アテナ人がスパルタ人のように冷酷で凶暴になるのです。

 

 そして我々も第二次世界大戦でそうなりました。ヒットラーが残虐行為をした後、我々は自分たちで残虐行為をしました。ご存じのように、我々は日本で600,000人の民間人を殺害しました。我々はドイツでも恐らく同数の民間人を殺害したでしょう。これらの人々はヒットラーではありませんでした。彼らは東条ではありませんでした。そうではなかったのです。ごく普通の人々です。略奪する国家にすんでいる私たちのような一般の人間で、彼らは略奪する国に住んでいたのです。それがなんであれ、取り込まれてしまっていて、恐ろしくて自由に発言できなかったのです。それでともかく私は結論に至ったのです。そう、戦争は皆を汚染するのです。

 

 戦争は、これは記憶すべき大切なことです。我々が独裁者に対する戦争をする時には。アメリカの主張の一つはこうでした。「我々はサダム・フセインを追い出しに行く」それはもちろん、たわごとでした。政府は気になどしていません。わが政府はサダム・フセインがイラク国民に暴政を行っていることを気にかけたでしょうか?アメリカは彼がイラク国民に暴政を行うのを手伝ったのです。アメリカは彼がクルド人に毒ガスを使うのを助けたのです。アメリカは、彼が大量破壊兵器を蓄積するのを手伝ったのです、本当に。

 

 我々が戦争で殺害する犠牲者は、圧制者の犠牲者なのです。私たちがドイツで殺した人々はヒットラーの犠牲者でした。私たちが日本で殺したのは日本帝国陸軍の犠牲者でした。そして戦争で亡くなる人々は、益々軍人ではない人々になっています。戦争における民間人対軍人の死亡率の比率変化をご存じでしょうか。第一次世界大戦では、軍人10人の死亡に対して、民間人1人の死亡でした。第二次世界大戦では、50-50で、半数が軍人で、半数が民間人でした。ベトナムでは、70%が民間人で30%が軍人でした。それ以降の戦争では、それはおよそ80%から85%が民間人です。

 

 数年前、私はイタリア人でギーノ・ストラーダという名の軍医と知り合いになりました。彼は10年から15年、世界中で戦争犠牲者を手術してきたのです。彼はそれについての本を書きました。「グリーン・パロッツ(緑のオウム):軍医の日記」です。イラクやアフガニスタンや至る所で彼が手術をしたあらゆる患者の中で、そのうち85%は民間人で、三分の一が子供だと彼は書いています。もしもあなたが理解すれば、そして、もしも国民が理解すれば、もしもこういう認識についての話をみなさんが広げれば、戦争について政府が皆さんに何と語ろうと、脅威が何であれ、目標がデモクラシーやら自由やらのなんであれ、なぜアメリカは戦争をしなければならないのかと連中が言うとき。それはいつでも子供達に対する戦争なのです。膨大な人数で亡くなるのは子供達なのです。

 

 ですから、戦争は、そう、アインシュタインが第一次世界大戦の後でこう言っています。「戦争を人間化することは不可能だ。廃絶することだけが可能だ。」戦争は廃絶されるべきです。そしてそれは大胆な計画だというのは分かっています。それは分かっていますが、私たちはそうすべきなのです。たとえ大胆な計画でも、それは実現されるべきなのです。皆さんはその行動を始めなければなりません。1830年代のこの国の奴隷制度の終焉も、実に大胆な計画でした。それでも皆が頑張ったので、30年かかりましたが、奴隷制度は廃止されました。私たちは同じようなことを何度も実現できるのです。ですから我々には沢山の仕事があります。我々にはやるべきことが山ほどあるのです。

 

 歴史から我々が学べることの一つは、歴史というのは、首脳陣が我々に対して押しつけられるものことの歴史だけではありません。歴史はまたレジスタンスの歴史でもあります。何十年も圧政に耐えたが最終的には立ち上がって独裁者を打倒した人民の歴史です。これを私たちは様々な国々で起きるのを目にしています、意外なことの連続です。完全に支配していたように見えた支配者が、ある日彼らが目覚めると突然、市街には何百万人もの人々がいて、支配者は荷造りをして、去るのです。これがフィリピンで、イエメンで、いたるところで、ネパールでも起きました。市街に何百万人もの人々がいて、支配者は立ち去らざるを得なかったのです。そうです、これが私たちがこの国で目指していることなのです。

 

 我々がすること全てが大切です。私たちがする、あらゆるささやかなこと、私たちが張るあらゆるピケライン、我々が書くあらゆる手紙、我々が参加するあらゆる市民的不服従の行動、誰か兵士採用担当者に私たちが話しかけること、誰か両親に私たちが話しかけること、誰か兵士に私たちが話しかけること、あらゆる若者に私たちが話しかけること、教室の中で我々がするあらゆること、教室の外ですること、違う世界になるように我々がすること全てが大切なのです。たとえその時点では無駄なように思えても。そういう方法によって変化がおきるからです。何百万人もの人がささやかなことをすると変化が起きるのです。歴史のある時点で、こうしたことが一つにまとまり、そして何か良いこと、何か重要なことが起きるのです。

 

 ご静聴有り難う。

 

記事原文のurl:www.democracynow.org/article.pl?sid=06/11/24/1442258

--------

 文中の太字は訳者による。

 

 「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものです。」は、「ひとつだけ覚えておくように。政府は陰謀をたくらむものなのです。」と言い換えられまいか?

 

 諸国の政府が戦争を起こすために仕組んだ数々の陰謀への言及は、それが暴露されるまでは、それを仕組んだ体制側からは「陰謀論」と呼ばれる。

 

 いわゆる「陰謀論」のすべてが正しいなどとは思わないが、体制側から「陰謀論」とレッテルを貼り付けられた主張を、体制とその提灯持ちの商業マスコミの言うがままに、すべて排除していては、彼らの思うつぼ。いつになっても、我々は体制の餌食だろう。

 

 ジンの言う通り、歴史を学べば、そのあたり、誰にでもわかりそうなものだ。

 

2012/3/19追記:

 

 素晴らしい本、堤未果著『政府は必ず嘘をつく-アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』の題名、偶然、この記事の中の言葉と同じ典拠のようだ。素晴らしい新書にあやかって、この記事のアクセスも増えれば素晴らしいと願っている。

 

2012/5/4追記:

 

 上記の本に関する素晴らしいインタビューがWebにある。是非ご一読を。そして本のご購入を。

 

 貧困大国アメリカのようにならないために政治をあきらめてはならない


『政府は必ず嘘をつく─アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』堤未果インタビュー 2012-04-18 22:37

トップページ | 2007年4月 »

お勧め

  • IWJ
    岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

カテゴリー

ブックマーク

最近のトラックバック

無料ブログはココログ