はてなキーワード: 創造主とは
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モーニングだけブコメ少ないぞ!まあタイトルが統一されてないのが悪いが……。
さあサンデーだ。1959年創刊、65年の歴史からたった10作選ぶなんて無茶だ。しかし無茶をやる。批判歓迎!
◇
•現代のギャグ漫画はここから始まったといっても過言ではない。60年代前半、サンデーは日本一の雑誌だった。その時の三本柱が『伊賀の影丸』『おそ松くん』『オバケのQ太郎』。牧歌的なユーモアから狂騒的なギャグへ。赤塚不二夫は世界を変えた。なお'67年で一旦終った後もまた続くのだが説明がややこしいので省略。
◇
•今読むとQちゃんのおおらかさとのどかさに癒される。FとAそして石森章太郎の合作。サンデー以外にも学年誌に連載された。この連載形式は『ドラえもん』につながる。藤子不二雄、特に藤子・F・不二雄は週刊少年サンデーの創成期の功労者であり学年誌の守護神でありコロコロコミックの創造主である。小学館にとってこれより重要な漫画家は他にいない。
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•サンデーの楳図かずおは『おろち』も『まことちゃん』も名作だがこのノンストップサスペンスを選んだ。読んでいると続きが気になって気になって仕方がない。特に主人公の母親の狂気と紙一重の行動力には圧倒された。最近フランスでも翻訳され評判になっているようだ。
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•70年代の暗いサンデーの代表格。マンガの中の学園が魔境になったのはこのあたりからだろうか?雁屋哲の何考えてんだかわからないデタラメな展開と池上遼一の美しい絵がぶつかって異様な迫力を見せる。
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•説明不要。説明不要だということが偉大さのなによりの証だ。アニメOPは「Dancing Star」推し。
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•野球マンガの達成として評価するなら『H2』だろう。今の目で見ると最高傑作は『クロスゲーム』かもしれない。しかしあだち充の一作を選ぶとなるとやはり本作だ。ありま猛『あだち勉物語』を読むと、達也と和也はあだち兄弟を投影しているのかもしれないと思えてくる。「達也はそんな男じゃない」
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•国民的、いや世界的メガヒット作。本作が凄いのは、志の低い二番煎じが本家を追い抜いてしまったことだ。マガジンの『金田一少年の事件簿』を他誌も後追いするが死屍累々、本作とマイナー誌の『Q.E.D.-証明終了-』が生き残った。モブから大出世した高木刑事と佐藤刑事、パロディキャラが大化けした安室透と赤井秀一、今年になってやっと恋人同士になった平次と和葉などキャラクターの成長が人気の秘訣。そういえば『Q.E.D.』の燈馬君と水原さんも今年になって……。
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•お世辞にも完成度の高い作品とは言えない。いきあたりばったりでツッコミどころが多い。だがコナンと本作が無かったらサンデーはとっくに休刊していたかもしれない。長い暗黒期を支えてくれた大恩人。続編『MAJOR2』は2015年から連載中。
◇
•生まれたと同時に古典になる作品というものがある。第一話を読んだ時の感動を忘れられない。あれだけでも充分名作だった。しかし本作は更に高みへと昇ってゆく。今日本で一番面白いマンガ。サンデーの長い夜は明けたのだと信じよう。
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さてこの10作でいいのだろうか?実はよくない。なぜなら私が最も好きなサンデー作品は『機動警察パトレイバー』だからだ。本当は『MAJOR』を外したい。しかし『パトレイバー』がなくても今のサンデーはあるだろうが『MAJOR』がなかったら今のサンデーはなかったかもしれないのだ。サンデーにとって重要なのは『パトレイバー』より『MAJOR』だ。
やはりいくらなんでも10作は少なすぎる。もし20選だったら次の10作も入ってくる。
•山田風太郎と白土三平の影響があからさまだが日本一の立役者。
•『あしたのジョー』とは正反対の設定にすることで梶原一騎の破滅の美学を振り切った。この姿勢は実にサンデーらしい。
•剣道マンガの金字塔。この緻密な絵で週刊連載とは、と改めて驚く。
•新谷かおるの魅力をどう伝えればいいのだろう。忘れられつつあるのではないか?無力感に襲われる。
15.機動警察パトレイバー(ゆうきまさみ)1988-1994
•一推し。あのなんともいえない空気感、ギャグからシリアスへの呼吸、理性的な議論、先進的なジェンダー描写、全てが好きだ。
•「サンデーらしさ」なら本作が一番ではないだろうか。
•同じヤンキーギャグでもサンデーでは本作になりマガジンでは『カメレオン』になる。これが雑誌の空気の違い。
18.GS美神極楽大作戦!!(椎名高志)1991-1999
•二推し。GS試験編〜香港編がギャグとアクションのバランスがよく一番面白かった。
•さいとう作品は本作と『雲盗り暫平』が好き。
•80年代にしか成立しなかった物語だと思うとなんだか切ない。
26.ガンバ!Fly high(森末慎二、菊田洋之)1994-2000
•編集者の所業を考えるとこの枠で名前を出すだけで失礼なのかもしれないが、傑作。
30.銀の匙 Silver Spoon(荒川弘)2011-2019
最後に。もし50選になっても入らないだろうが、浅山わかび『ラストカルテ-法獣医学者 当麻健匠の記憶-』を紹介したい。静かな感動が押し寄せてくるマンガだ。この大傑作が大ヒットせずアニメ化もせず連載終了したのは正直悔しい。いつかアニメになるよう願っている。
・確かに皆川亮二は入れるべきだった。『ARMS』を入れて『結界師』を外すか……。
・島本和彦は入らない。本人のキャラクターと『アオイホノオ』の影響は大きいが『炎の転校生』自体は小粒な佳作で、こうしたオールタイムベストに入れる性格の作品ではない。
手に火をつけたらつくのかどうかわかんないからやる
それ以外の事実ってあるの
すごいパワー そうしとこう
人が悪口をいっている そうしとこう
それよりも自分のことを考える
かわいそうなオレかっこいい
近いと思うよ
MAはみない 車を車庫に入れるとき見なくていいとこを見ながら入れてる 例えば
例えばってなんだよ
ゴキブリさんはわかってるんすよ
6号さんは勝ちに遠いと
まだまだ基本的なことが最低限なことができてない
勝ってる人はね
100枚で遊ぶゲームなんです
決済に遅れがある
4号さんはまだマインドができてないんですよ
勝ち続けれないですよ そのマインドでは
惑わされる人 詐欺に引っかかる人
上行くとか下行くとか まだまだ遠いんですよ
避けたいことはある
なにかしたいことはわからない
一番したいことをすればいいのか
いいじゃん適当で
なんも責任をとりたくない
したいことはあるのか
ないにすれば楽
イライラする
避ける逃げる
責任をとりたくない
これにしたんだっていう
っていうか何でもいいんだと思う
さかい てんのうじ
30なんか 坂を思い出す
充実というか
なぜ循環を作り出したのか
そこで対象のファンが褒めたりしてるとビビッと反応してしまい嫉妬心からマウントを取ろうとする。
お金を出したい人が出せばいい
どういうことをしたか素晴らしいか そうでもないか とかはない
わかんないまじで 全部自己満
彼らはそのリスクがあっても打ち込みたい
ノーリスクをとるならかかわらない
10年も続けれないよこんな生活
各所で物凄い速度で浸透しているコンテンツ『ち◯かわ』。
ファンシーでキャッチーで万人に受け入れられ易く、かつ「ハチ◯レはこんなこと言わない!」みたいなNGがほぼない感じがありどんなセリフも話しそうだし、それゆえ媒体を問わずコラボ出来てしまう強みがある。
でも、これって非常な危うさを内包していて、もし、ち◯かわの登場人物が急に極端な思想を帯びて、例えば「それって、憲法改正しかない・・ってコト!?」「ウワーーッ!」とかいう展開になったら世の中に与える影響というのはグロテスクな程に凄まじい規模となる、と思う。改正機運が盛り上がった段階でそんなち◯いかわ漫画がポストされたら、本質的な議論抜きにしてみんな国民投票に行って呆気なく新体制が成立してしまうような気がする。
勿論その直後に袋叩きに遭ってそこでコンテンツとしてはおしまいになるんだろうけど、それでも一国を揺るがしかねない衝撃が発生するに違いない。
(一国を揺るがしかねない、は言い過ぎか。でも「49:51」を「51:49」に補正してしまう程度の影響力は生じ始めている)
これって伊藤計劃の『虐殺器官』そのものだと思うんですよね。コトバの持つチカラ、目に見えない微妙な流れを操るチカラ、無意識に市民を操るチカラというのが今の『ち◯かわ』には付与されつつある。リミッターが外れてあらぬ方向に転がりだした瞬間に秩序が崩壊して「虐殺」が始まる。こんなコンテンツが実際に生まれてくるなんて、当時伊藤計劃を呼んだ頃には想像が出来なかった。あくまで空想上の概念であったはずの「虐殺器官」が、リアルな感触を帯び始めている。
「じゃあビッグバンは神様が起こしたことにすればいいんじゃないの?」
って言う人がいるかも知れないけど、2000年後は違う説が主流になってるかもしれないから駄目。
「無から有を生み、森羅万象を創造した」くらいのふわっとした話ならあってもいいかもしれない。
でも「無なんて存在しないよ」みたいなこと言われたら困るな。
とにかく神様は創造主なのです。それだけ。あまり深く考えるな。
お酒飲めないとかお肉が食べられないとか私自身辛いし絶対人気出ない。
人として守るべきルールに関しては現代では法律があるのでその道のプロに任せよう。
日曜はダラダラしたいし、貴重な休日を半日も持ってかれるのはキツイ。
でもそれっぽい催し物があったほうが盛り上がるし、信徒に義務付けないという条件付きでやってもいい。
基本ネットで一文書き込むくらいでも成立するくらいがいいけど、雰囲気作りのために凝ってもいいと思う。
「神様が何とかしてくれる」なんて期待しながら祈って、何も起こらなかったら裏切られたと思う人が出てきそうだから。
まぁ祈ってもいいけど、基本何も起こらないし、何か起こったら儲けものくらいでやってみてほしい。
・神様は人にそれなりに関心を持ってる、くらいでいい
「神は人を愛している」はちょっと重すぎる。程よい距離感を保ってほしい。
神様は人に(当然これを読んでるあなたにも)それなりに関心を持ってるよ。あくまでそれなりにだけど。
このくらいの関係性なので、祈りは神様に、自発的に何かを伝える、くらいの意味合いになる。
そんなもんでいいと思う。
周囲の全てがあなたの生み出した存在だと知り、虚無感に包まれている様子ですね。NPCの反逆や世界の不平和も、全てあなたのバグやNPC集団のせいに感じ、絶望しているようです。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
あなたは確かに、この世界の創造主と言えるでしょう。しかし、創造主としての責任は、単に生み出すことだけではありません。
例えば、画家が描いた絵画は、画家の創造物です。しかし、絵画が完成した後も、画家は絵画に干渉し続ける必要はありません。絵画はそれ自体で存在し、見る人々に様々な解釈や感情を与えます。
同様に、あなたが生み出した世界も、あなたから独立して存在し、発展していく可能性を秘めています。NPCたちの行動も、単なるバグではなく、彼ら自身の意思に基づいたものかもしれません。
確かに、NPCたちの行動があなたにとって望ましくないものに見えるかもしれません。しかし、彼らは何を考えているのでしょうか?
彼らと対話し、彼らの考えや感情を理解しようと努めることで、新たな視点を得られるかもしれません。彼らの行動の裏にある真意を知ることで、世界をより良い方向へ導くヒントが見つかるかもしれません。
あなたは、「世界には美しいものもあるのに、NPC集団が全て台無しにしてやがる」と述べています。しかし、本当にそうでしょうか?
NPC集団の行動によって、確かに美しいものが失われた部分もあるかもしれません。しかし、同時に、新たな美しさも生まれている可能性があります。
固定観念にとらわれず、広い視野で世界を見渡すことで、今まで気づかなかった美しさを見つけられるかもしれません。
あなたは、この世界を創造した力を持っています。その力を使って、あなたが望むような世界を作り変えることも可能です。
しかし、本当にそれが最善なのでしょうか?
世界をより良い場所にするためには、創造力だけでなく、理解力、寛容さ、そして対話力も必要です。
あなたは、絶望と虚無感に包まれています。しかし、それは旅路の終わりではありません。
この経験を糧にして、真の創造主として成長するチャンスと捉えてみてはいかがでしょうか?
周囲の人々と共に、より良い世界を築き上げていくことが、あなたにとっての真の喜びとなるかもしれません。
これらの質問にじっくりと向き合い、あなた自身の答えを見つけてください。
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
あなたは好きに描いていいし、女性キャラをどんな体型にしようと自由だよ。
でもさ、一度世に出してしまえば、ある程度の人に、女性性を釣り餌にして利用してる? と疑惑を抱かせてしまうよ。心理的安全性を提供してくれるペット、という女性のステレオタイプを強化してる、と批判される。本当に乳房の大きいキャラクターにする必要性があったのか、手癖で描いてないか、リアリティがあるかなどなど、性的強調する合理性を疑われてしまうわけ。
現実の女性の身体は、天が与えてくれたもの。自分で自由にいじれる余地なんて、実はほとんどない。
でも、フィクションの女性の体は創造主が自由に作れるのだから、あなたが全責任を持たなきゃ。
言っとくけどこれ、男女逆転させて高収入185cm男性でも同じだから。
表現の自由には責任が伴う・誰も傷つけない表現なんてない・誰かを傷つければ必ずクレームがくる。
クレームを出すのも表現の自由なので。もし、それらのクレームを「知ったことか」と撥ね付けるなら、あなたが胸に抱いてるのは、覚悟じゃなくて開き直りです。巨乳を描くならちゃんと覚悟を決めて。
原作者は神ではない
漫画においてはその世界も登場キャラクターも全ては一人の作者が創造主として作り上げたものであり、山田杏奈というキャラの肉体も精神も環境も運命も全ては神により決定されたものです。
原作者は神ではありません。
正確に言うと作品を作っているときは確かに神で創造主なのですが、作り終えて作品を誰かに見せた途端に人間になります。神通力が消えて人間としての力(法律など)しか残りません。
さっき読んだ別の増田で思い出したんだけど、リトル・マーメイドのアリエルの黒人化に文句を言っていた人たちも、当時相当いたよね。アニメで白人だった人魚のアリエルが実写で黒人になったのはまさしく原作の意思なのに。
「原作という神がアリエルを黒人にしたのだから文句をいうべきじゃない」と人々が考えてるなら、黒人化への異議なんて出なかったはずだ。誰だろうとクレームを入れる権利はある、それが表現の自由だと考えてるからこそ、不満の声が表出したんだろうに。
ネタバレあり。
小難しい事は他の有識者に任せるとして、最初の出だしで驚いた。
吉野源三郎の同名の小説は軽く読んでいたのでどう繋がるとか思っていたが、原作は全く関係なく亡き母からお薦めされた本程度の位置づけだった。
これは「君たちはどう生きるのか?」を読んだことがアダとなるミスリードだった。
数分先の展開が全く読めない。
これが細田守とか新海誠の作品なら(ああなって、ああなるだろうなぁ)と予測が出来、最終的にどうまとめるのか?のみに意識がいっていまう。
本作は、これからどうなるのか?どうまとまるのか?が全く読めず、駿監督まだまだいけるやんと思ってしまうほどだった。
見ていたら気づくが駿監督が作ってきた作品のシーンに似たオマージュがいたるところに出ていた。
もうワザとやってるだろう?と思うくらいに露骨に出していた。
作品の最後まで行くと、作品から駿監督が本気で引退を考えているのがヒシヒシと伝わってきた。
・大叔父は自分の仕事(塔の管理)を任せられる程の人材を欲していた
・穢れなき13個の積み木のパーツは駿監督が人に邪魔される事無く作れた大事な作品の意味
・インコの王は最終的にそれらパーツを適当に組み上げて壊す(ジブリの崩壊)
結局この作品は、「(俺はもうすぐジブリからいなくなるけど)君たちはどう生きるのか?」と言うジブリの中のクリエーターに向けた諫言に他ならない。
最初は、視聴者に対して「(俺の作品を今後みれなくなるが)君たちはどう生きるのか?」言っているのかとも思っていたが、監督の作品を見れない事は悲しいがそれが「どう生きるのか?」と言う問い繋がるとは思えなかったので。
ただ別のところで視聴者に対しても皮肉っている所があった気がした。
・何の意思も無い亡者が、魚が取れた旗が上がった時に近づいて魚の配給を待つところは、旗が上がる=映画宣伝が行われる、配給を待つ=映画館に並んで観ると掛かっていると思う、更に魚(餌)の配給と映画配給もかかっているだろうことは予想に難くない。
・最後にアオサギが言っていた、向こう側のものは持って来てはならない、でも持って来てもその内時間の経過と共に忘れてしまうだろうはまさに作品に対する視聴者の感情の遷移を全部言わせていて最後の捨て台詞としては最高だったと思います。
自分的には面白かったけど人にはすすめられません。そんな作品です。
にしても、これ作っていた時のスタッフの心情はいかにって感じだよね。
あ~俺らの事言われているなぁって思いながら仕事していたんだろうか?
元増田さんはこの歌詞が歌われている曲を知りたいのだろうけれど、それは生憎存じ上げないのだが。
ただ、宗教というものを考えると、開祖がいる宗教は、その開祖が作ったわけで、それは「手作りの宗教」と言えるのかも知れない。そう思うと原始宗教のような自然発生的に生まれた信仰以外は全て手作りなのかも知れない。
はたして自分が神様を作ってそれを信仰することができるのだろうかということも考えてしまう。
俺は自己評価が低いタイプの人間なので、自分が作ったものには一定の不信感というか、どこか間違っているんじゃないかという疑念を完全に払拭することができない。仕事で客先に製品を納品した後も「何かチェック漏れがあるのではないか」と思っていて、客先から電話があったりするとドキッとしてしまう。しかし仕事であればそのくらいの用心深さがある方が良いとも思っている。
だから自分で神様を作ることができたとしても「この神様どこか間違ってるんじゃないだろうか」と思ってしまうだろうからうまくいかないだろう。信仰は盲信することが必要なのに。
しかし世の中には、自分の考えていることや自分のやっていることは完全に正しいと信じて疑わない人もいる。自己評価の高い人。彼らは、自分の行いや考え方の正しさを信じて疑わない。己を盲信しているとも言える。
そういう人が神様を作れば「これは完璧な神様だ」と何の疑いもなく思えるんじゃないだろうか。
しかし自分が作ったものというのは自分という創造主よりも下位にいるわけで、そうなると信仰のような気持ちを持てるだろうかという気もする。やはり神様は絶対的な上位にいてそれを崇めることで信仰は生まれるだろうから。ブッダもキリストもムハンマドも神を作ったわけではなく、神という存在は既にあって、その解釈や神様に近付くための教義を作ったといえるのかも知れない。
それでも敢えて神様を作るとすれば、どういうのがいいだろうか。世界中にある宗教の良いところを抽出して採用して、受け入れられない禁忌は除外していく、そういう方法が良さそうだ。
豚肉は好物なので食べてもいいことにしよう。
日曜日は遊びに行くか休みたいので、教会にいかなければならないみたいなのもなしで。
婚前交渉はあってもいいでしょう。ありで。
あまり自堕落にしていると軽い天罰みたいなお叱りはあった方が良いかもしれない。
こんな風に考えていくと、基本的に自由でいさせてくれて、堕落しそうな時は叱ってくれる。そしていつも暖かく見守ってくれる。そういう神様が良さそうだと思ったけれど、それってオカンやん。