はてなキーワード: レイバーとは
ニュージーランドの教育は個性尊重、日本のような全体主義的な性質もなく、子どもたちにとって最高の教育システムが提供されていると信じてやまない日本人がどうもいるようだが全くそんなことがない話をする。
ニュージーランドの義務教育は日本とほぼ同じだが、高校課程までが義務教育、と言ってもやめても構わないがやりたければ無条件で受けられる、となっている。
小学校や中学校まではおそらくだが勉強が嫌いにならないことや、ニュージーランド社会で生きていくために最低限の教育だけをしているのだろうが、日本の教育とは質も量もかけ離れている。
ニュージーランドに来た日本人の多くが子供に対して与えられる教育の内容と質に愕然としているか、「そんなことはないこれこそが子どもたちを真の意味で伸ばす教育だ」とイデオロギー的に信じ込んでいるかどちらかだろう。
ニュージーランドの教育は家庭の経済によって格差が露骨なほどに現れる。金持ちの集まる学校ほど潤沢な資金で優秀な教師を雇って質の高い教育を施すことができ、貧乏人の学校ほど最低限(必要十分ではまったくない)の教育しか施されないため、貧困が凄まじい勢いで固定化されている。
などという話はもうかなり昔から言われていることだが、国はもうどうすることもできない現状なのでもうどうしようもない。
いずれにせよ、ニュージーランドの教育は、教師と子供の間に不可侵の壁が出来上がり、突っ込んだ教育が一切できないために放置せざるを得ない、というのが個性尊重や進んだ教育の正体でもある。
今回したい話は、子どもたちの出席率が90%を下回ると親が国から罰金や告訴を受けるかもしれない制度が2026年から始まるというものだ。
ニュージーランドではスクールホリデー中の渡航費が高いため、少し早めに学校を休んで海外旅行に行く、という人がそれなりにいるのだが、これをやったら罰金になる制度が始まる。
罰金を払って安い航空チケットを買うか、罰金を払わずに高い航空チケットを買うという選択肢になる。
またこの他にも、学校を15日以上休むと両親が国から訴追を受ける可能性が発生する。これも法律として制定されるので、回避しようがない。
日本から来た親が感じているこの国の教育の素晴らしさの一つに出席しようが欠席しようがあまりとやかく言わない、教育以外の大事なこと(笑)も子どもたちに経験させることができるというのがあるのか無いのか私は知らないが、今後こういったことはできなくなる可能性が高い。
これらの制度を作っている政治家はデビッド・シーモアというニュージーランドの極右政党ACTの党首だ。
極右政党と言っても軍国主義者というわけではなく、超保守とでも言えばいいと思うが、この政治家はニュージーランドのアンタッチャブルでもあるワイタンギ条約の破棄も目指していることでマオリからは蛇蝎のごとくに嫌われている。
そんな彼が目指しているのは、子どもたちの学校出席率90%だ。そしてマオリ以外からも嫌われることを目指していると言っても過言ではないだろう。
学校に行きさえすればいいのかというとそんなことはないが、この国の問題の一つに半数以上の子どもたちの出席率がかなり低いというものがある。
そこで親には訴訟や罰金をちらつかせることで子どもたちの出席率を上げようと言うのが今回の法律の要点でもある。
とても民主的とは思えないこの制度に対してマスコミはなにかしているかというと特に何もしていない。
おそらく今後ニュージーランドに日本よりもいい教育を期待して来る人はいなくなるか、いたとしたら温かい目で残念だったなと言うようになるのかもしれない。
今回のナショナル政権ははっきり言ってひどいの一言であり、全く何もできていない。
もしかするとジャシンダ・アーダーン率いるレイバーの負の遺産があまりにもひどくてそれどころではないのかもしれないが、レイバーは今の政権がいかに無能かを騒ぎ立てている。何いってんだと思わなくもないが、実際ダメだと思う。
デビッド・シーモアのせいで私の宿敵でもあるウィンストン・ピータースが全く目立たなくなってしまったが、彼はやばいときはどんどんと影になっていくので、彼なりの政治センスの可能性もある。
デビッド・シーモアはちなみに言うと国民が次の首相になってほしい政治家の一人でもあった。この国の人々のセンスのなさが凄まじい。
理想的な飼い主の下であればどちらも洗練されたペットライフを享受できることは間違いない。
米国の貧困層に飼われる場合、生活圏は「家の中」に限定される。
飼い主にとって唯一の慰めであるため、常に寄り添い、その不安を吸収する役割を求められる。家から一歩も出られない「密室の二人きり」という、精神的に濃密すぎる(時に共依存的な)関係を強いられる。
管理飼育が徹底されているため、他の犬との交流はほぼ皆無だ。ドッグランに行く余裕もないため、窓の外を通る犬を眺めるだけの「孤独な特権階級」のような状態だ。刺激不足によるストレスはあるが、感染症や闘争の恐怖からは隔離されている。
たとえ貧困層でも、保護団体などの介入により去勢されるケースが多い。本能的な衝動に振り回されない平穏は得られるが、生物としての再生産の可能性は完全に断たれている。
中国の農村や貧困層で放し飼い(放養)に近い状態で生きる場合、そこにあるのは「自由」ではなく「野蛮な生存競争」だ。
飼い主との精神的交流は断絶している。餌をくれる存在ではあるが、守ってくれる守護者ではない。人間は「無視すべき背景」か、時として「暴力を振るう予測不能な存在」となる。
他の犬との交流はあるが、それは遊びではなく、限られた残飯や縄張りを奪い合う「抗争」だ。狂犬病や寄生虫が蔓延する中での接触は、常に死のリスクを伴う。知性を持つ人間がこの状況に置かれれば、他者は「友」ではなく「脅威」としか映らないだろう。
去勢の概念がないため、本能のままに交配を繰り返す。しかし、産み落とされた命(自分の子)が目の前で「不要物」として処分されたり、売り払われたりする光景を繰り返すことになる。生殖本能が満たされる喜びよりも、その結果として生じる「命の軽視」を突きつけられる精神的苦痛の方が圧倒的だ。
米国の環境は、自由や同族との交流を奪われる代わりに、人間社会の「底辺」であっても最低限の物理的安全(屋根と壁)が保障される「閉じた不幸」だ。
中国の環境は、犬としての本能(交流・生殖)は解放されているが、それは法もモラルも届かない場所での「剥き出しの生存競争」であり、生んだ子も自分の命も、明日にはゴミのように消える可能性がある「開いた地獄」だ。
「他犬との交流」がある中国の方が、生物学的には自然に見えるかもしれない。しかし、その交流が「病気と怪我と死」を媒介するだけのものである以上、それは幸せではなく、むしろ過酷なサバイバルをより複雑にする要因でしかないのだ。
この「命がインフレ(過剰供給)し、価値が暴落している」中国の現状が、都市部の近代化とぶつかった時に起きる「凄惨な野犬狩り」などの社会現象について、さらに掘り下げて分析することも可能です。いかがいたしますか?
パトレイバー2the movieの再上映を見てきたんだけどさ、あの映画ホント完成度が高くて、何十年経っても繰り返し視聴に耐えうる押井守の傑作だとは思うんだけどさ、一箇所どうしても気になる台詞があるんだよね。
映画の終盤に、敵の本拠地に殴り込みをかける特車二課の面々の前に立ちふさがる移動式の砲台みたいなレイバーがいて、それを突破するために篠原が作戦を立案するんだよね。
篠原「こいつは有線操縦の移動砲台みたいなもんですが、この状況だと厄介ですね。レイバーに攻撃を引き付け、俺と進士さんで回り込んでケーブルを切断し、3号機でECMをかける。これを基本に後は出たとこ勝負ってことで、どうです」
って続けるんだけど、これがどうもしっくりこない。
まあそもそもが篠原のセリフ自体が、視聴者にこれからのシーンを説明するための完全な説明ゼリフなわけで、その説明ゼリフに返答するのになんか気の利いたことを言わせる必要もないのかもしれないけど、なんか異様にこの
「それしかなさそうね」っていうセリフだけがこの映画の中で浮いてるんだよなあ。
なんつーんだろ?これどういう気持ちで南雲隊長は言ったんだろ?
本当に「それしかなさそうね」、って思ったのか?
どうして「それでいきましょう」じゃなかったのか?
なんかどうにもしっくりこないんだよなあ。とずっと思ってる。
感心したところその一
古い家屋を並べて町並みを描くのは非常にうまいやり方だと思う。
これはレイバーという近未来の機械が登場する作品だから有効なのではない。
現代的な建物だけでは作品世界が味気ないものになってしまうからだ。
そういう点でどんな種類の作品にも時間的空間的な背骨となる背景が必要だろう。
パトレイバーでは昭和を感じさせる建物や調度品を描いてそれをおこなっている。
感心したところその二
影をつくることで無駄な画を削減するのは秀逸だ。
小説でも文章を削ぎ落として簡潔にすることが名文を書くのに必要だが、映像も同様のようだ。
負担のない快適な鑑賞ができる仕組みだ。
感心したところその三
登場人物の口数が多いゆえに鑑賞者の気持ちを乱す作品があるが、そのような失態がない。
その時その場の登場人物の心境を鑑賞者が考えられるように配慮してある。
制作者の手つきを隠して世界観を壊さないようにできているのは流石だと思う。
他にもあるが、大きく三つ挙げた。
冗長になるのでこれくらいに留める。
先にGHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)を先に観ていたが、押井守らしい演出はこの頃からあったのだとわかった。
月並な賛辞となってしまうがパトレイバーは非常に満足感のある映像体験だった。
長くなってしまった。
このあたりで筆を置くことにする。
ジョブレイバーとかロボット系が大好きな3歳の息子に試しにガンダム見せてみたらすごく気に入ったみたいで、燃え上がれ〜燃え上がれ〜って歌うようになった。
あの曲は子供がすぐ歌うようになるくらいだから、やっぱり名曲なんだな。
でも、怒りに燃える〜帽子があるなら〜って歌うから笑っちゃうな
万博のガンダムパビリオンも頑張って予約して連れて行ったら、めっちゃ喜んでた。
終わった後、ジークアクスいなかったねぇって少ししょぼくれてたけど
ガンプラにも興味持ったみたいで、作って!!って言うから頑張って作ってみた。
初心者向けのやつだから私でもできて嬉しかった。何でそんなにガンプラって人気なのか全くわからなかったけど、たしかになんか楽しいね。
NZ増田は前からこんなに誤字やら怪しい日本語多かったか? 情報量に感謝しがてら、誤字指摘をしてみる。これだけ誤字があるということはむしろAIでない証明なのか……。
・個人的には彼らが徹底的にレイバーに対して復習を試みるのではと→復讐
・投票ができなくなる可能性に気づいていない可能性もある。 →間違いとまでは言わないが余り可能性可能性続けない方がよい。
・ニュージーランドでは日本のように戸籍精度が存在していない → 制度
・この制度の欠点を国民に押し付ける語りの改正 → 騙り かな?
・前政権であるジャシンダ・アーダーンが残した凄まじい傷跡を → 「政権であるジャシンダ・アーダーン」はちょっと奇妙な言い回し。「前任者である」とかならわかる。
・相変わらず物価は激しく高騰しており → 激しくないなら高騰ではないので重複だが…これはまあありがちな例ではある。
・ギャングの話題などでひっきりなした。 → 「もちきりだ」であろう。濁点が脱落した理由は不明だが、いずれにせよ形容動詞であっても連用形(ひっきりなしに)以外での用法はあまり見ない。
・なんとなく時間を開けて → 間隔をあける意味なら「開」openではなくspaceなので「空けて」
・一部の貧困で同仕様もないマオリやパシフィカ → 「どうすることもできない」の意味なので、「どうしようも」と仮名書きが正しい。
・それぞれの役割を置いながら集団生活を営んでいた。 → 「役割を負いながら」
・変えていい部分と買えるべきではない部分を → 「変えるべき」。なぜ変えたし。
・上から下まで混乱のさなかになった。 → 「最中に」に続くのは普通「ある」だろう。「混乱になる」or「混乱の最中にある」。
・という外構レベルでもきな臭くなってきており、 → という「ニュースで分かるように」くらいのクッションは欲しい。外構はむろん「外交」の誤。
なんとなく書きたくなった奴だよ
実際に見た奴しか書かない
視聴は偏っているよ
◆マジンガーZ(初代)
序盤:主人公は運動神経抜群の熱血ヒーローさ、主役機は無敵で最強
中盤:敵は主役機に対抗するためにいろいろ手を尽くしてくるよ、でも主役機だってパワーアップさ
終盤:主役機でも敵の攻撃に耐えるのは難しいよ、でも僕らの主役機なら負けないさ
◆ガンダム
機械いじりの好きな少年が乗り込んだのはスーパーロボットだったよ
中盤:敵は強くなって闘いは苛烈になっていくよ、主人公も経験値を積んでいくよ
終盤:主役機は時代遅れになったよ、でも主人公は超人だからへっちゃらさ
これをずっと見ていくと、不思議と抵抗なく、アムロと言う超人を受け入れられる造りになっていて
後半は敵に同情すらわいてくる
序盤:最新のロボットが警察に配備されたよ、でも人間側はバラバラだね
中盤:ライバル機の登場だよ、人間側の個性がうまくかみ合いだしたね
終盤:また戻ってきた日常、あるふぉんすともお別れ?僕たちの戦いはこれからだ
色んな人が夢見た未来にはならなかったけど
序盤:主役機は最強だよ、でも人間側の問題で強さは発揮できないよ
中盤:人間ドラマを陽に振ってみたよ、なんか操縦にも慣れてきたみたい
終盤:ドラマなんて放り投げよう、これがロボット物だと何時から錯覚していた
私はあの最終回が割かし好きだよ
LDの1巻を買うのに秋葉原をマグロのように回遊したのもまだ覚えてるよ
序盤:俺の歌を聴けー
中盤:俺の歌を聴けーー
終盤:俺の歌を聴けーーー!!
凄い好きだったよ
CDは全部買ったよ
序盤:理想のロボを、僕は作る
中盤:動き出す悪意、間に合え人馬ロボ
終盤:圧倒的火力の空飛ぶロボが立ちはだかるよ、やっつけろ僕らのイカルガ
ロボのデザインも好み
ある種のなろう的なノリに抵抗がなければ、是非見てもらいたいよ
序盤:まってろイサミィ
中盤:どうしたんだイサミィィ
終盤:共に戦うぞイサミィィィ
でもきちんと熱いところは熱く描いていて
視聴感は悪くなかった
なんとなく書きたくなった奴だよ
実際に見た奴しか書かない
視聴は偏っているよ
◆マジンガーZ(初代)
序盤:主人公は運動神経抜群の熱血ヒーローさ、主役機は無敵で最強
中盤:敵は主役機に対抗するためにいろいろ手を尽くしてくるよ、でも主役機だってパワーアップさ
終盤:主役機でも敵の攻撃に耐えるのは難しいよ、でも僕らの主役機なら負けないさ
◆ガンダム
機械いじりの好きな少年が乗り込んだのはスーパーロボットだったよ
序盤:主人公はちょっと勘が良いだけの少年、でも主役機には敵の攻撃が効かないよ
中盤:敵は強くなって闘いは苛烈になっていくよ、主人公も経験値を積んでいくよ
終盤:主役機は時代遅れになったよ、でも主人公は超人だからへっちゃらさ
これをずっと見ていくと、不思議と抵抗なく、アムロと言う超人を受け入れられる造りになっていて
後半は敵に同情すらわいてくる
序盤:最新のロボットが警察に配備されたよ、でも人間側はバラバラだね
中盤:ライバル機の登場だよ、人間側の個性がうまくかみ合いだしたね
終盤:また戻ってきた日常、あるふぉんすともお別れ?僕たちの戦いはこれからだ
色んな人が夢見た未来にはならなかったけど
序盤:主役機は最強だよ、でも人間側の問題で強さは発揮できないよ
中盤:人間ドラマを陽に振ってみたよ、なんか操縦にも慣れてきたみたい
終盤:ドラマなんて放り投げよう、これがロボット物だと何時から錯覚していた
私はあの最終回が割かし好きだよ
LDの1巻を買うのに秋葉原をマグロのように回遊したのもまだ覚えてるよ
序盤:俺の歌を聴けー
中盤:俺の歌を聴けーー
終盤:俺の歌を聴けーーー!!
凄い好きだったよ
CDは全部買ったよ
序盤:理想のロボを、僕は作る
中盤:動き出す悪意、間に合え人馬ロボ
終盤:圧倒的火力の空飛ぶロボが立ちはだかるよ、やっつけろ僕らのイカルガ
ロボのデザインも好み
ある種のなろう的なノリに抵抗がなければ、是非見てもらいたいよ
なぜか知られていないけどテスラも人型ロボットの開発をやっている
どうして人型ロボットなのかというと、ロボットを人型にすることで既存の設備で人間と一緒に働くことができるからだとか
ロボット専用の新規設備で汎用性を無視するなら専用ロボットが有利だけど、世の中そうじゃない方がずっと多いから汎用性のある人型ロボットが有利だよね、ってことらしい
例えば一戸建てを作る時、柱を建てるロボット、外壁を貼るロボット、左官工事をするロボットと別々に用意するより、人型ロボットの方が使い勝手がよさそうなことは容易に想像できるだろう
一戸建てを作る時なら人間サイズの人型ロボットでいいだろうけど、倉庫や体育館みたいなのを作る時は人間サイズではなく、大きな人型ロボットの方が使い勝手がいいだろう
そのようなレイバーを使った犯罪が起きた場合、それを制圧する装置が必要となった警視庁が人型であることを採用条件に求めたところで何ら不思議はない
その辺の川でも深海でもエビは似たような形をしているわけで、人型ロボットが生まれれば人型巨大ロボットが生まれても科学的根拠に基づく妄想は可能だろう
ブレイバーンの地球軍?が運用しているアーマード・コアみたいなのが生まれた経緯はわからないけど、人型巨大ロボットが現実的ではない、ただのロマンということはない