はてなキーワード: 物心とは
どうしてそう思うかというと、しゃがむ時にかかとを地面につけようとすると、後ろに転がってしまう。体育の教員には、かかとが堅いと嗤われた。
それだけではない。
堅い椅子に座ると座面に恥骨やクリトリスが圧迫される感覚があって、流石にこれは違うのではないか?とほんのり思うようになったのだ。
しかし反り腰の概念の無かったわたしは、わたしの性器は人と違う形をしているのか?と成長するにつれ、不安を感じるようになった。セックスの知識が増えるにしたがって、わたしは将来セックスが正常にできるのか?という不安が性欲の強いわたしに常に付きまとった。
そこから反り腰という概念にたどり着くまで、長い時間がかかった。
ここ数年、糖尿病改善のためにダイエットをしていて、その一環でリングフィットアドベンチャーやフィットボクシングをプレイしている。
特にフィットボクシングのプレイ中、右膝や右股関節に違和感を感じるようになった。
痛みでもないが、傷んだら嫌だなあと思って、インスタを参考にストレッチやヨガを毎日やっている。
インスタで大量に流れるヨガやバレエ、ピラティスや整体のインストラクターの動画を見ていると、それぞれ表現は微妙に違うものの、反り腰改善のすすめが流れてくる。
足が痩せるということは、足を使えるようになるということか?
試しにフィットボクシングの最中、主観的には腰を丸めて骨盤をかなり後ろに倒して中腰でプレイすることを試している。
すると今まで使ってなかった腹筋に効く。大腿の筋肉に効く。右膝や右股関節の違和感も確実に軽減している。
座るときにも腰を丸めることを心がけてみると、クリトリスが当たらない。腹筋が使われている。
わたしは子供の頃から歩くのが遅かったのも、もしかして反り腰のせい?
わたしはもしかして、反り腰のせいで五十年以上の人生を損していたのか?
どうして誰も教えてくれなかったんだろう…。
BeRealの「2分間投稿縛り」という仕様の問題だとか、Xをやっている人間の方が情報の取捨選択に長けているだとか、色々と語られているが
まず、この手の「閉鎖的・特権的な空間」を可視化するSNSのルーツを辿れば、前略プロフィールやmixiに行き着く。
あくまで身内向けのコミュニティでありながら、個人情報や写真を共有して悦に浸る場所だ。
その後、インスタのストーリーズのように「一定時間で消える」機能が一般化したが、20年ほど前の「2ちゃんねる」や「mixi」が玉石混交だった時代とは、ユーザーの前提が根本的に違う。
かつて、クラス単位でこうしたツールを使い倒していたのは、昭和の最後~平成一桁生まれの世代だ。
完全に個人的な肌感覚だが、この世代の「まともな人間」は、FBやTwitterを一度は触ってみるものの、リスクを察知して早々に身を引いている。
今回、おそらくそれなりの大学を出て、それなりの組織に属する人間たちが立て続けに不祥事を起こしている背景には、売り手市場による「質の低下」もあるだろう。
だが、彼女たちの行動原理を推測すると、より根深い問題が見えてくる。
BeRealには「2分以内に投稿しなければならない」というルールがある。
別に真っ暗な画面を撮って上げれば回避できるはずなのに、彼女たちはそれをしない。
それをしないのは、彼女たちの中に「クランの掟」への忠誠心があるからだ。
それと同時に、「今の自分は特別な場所にいる」という優越感を、無意識のうちにグループ内で示したいという承認欲求が、理性を上回ってしまう。
これに拍車をかけたのが、コロナ禍による物理的な社会的摩擦の減少と、過剰なまでのハラスメント教育。
本来、人間は人前で叱られたり、恥をかいたりすることで「公共」と「私的」の境界線を学ぶ。
最近めっきり聞かなくなったが、それがかつて「TPO(時間、場所、場合)」と呼ばれていたものだ。
過剰に保護され、現実の社会摩擦に晒される経験を奪われた彼女たちは、「社会から自分がどう見られるか」という客観的な視点を養う機会を永遠に失ってしまった。
※永遠に、とは言いすぎかもしれないが、もう彼女たちにそれを教えてくれるお節介な人間は軒並み消えている上に、おそらく彼女たちは忠告を聞き入れるつもりがない。
彼女たちにとって、人生は常に誰かに見られていることがデフォルトだ。自宅、通勤中、そして勤務中。
本来、気を張っているべき「オン」の時間に、SNSという「オフ」の感覚が溶け込んでくることに、何の抵抗も抱かない。
ブラウザ経由でネットに触れ、2ch、mixi世代の洗礼を受けた「90年前後生まれ」と、
物心ついた時からスマホが身体の一部だった「2000年前後生まれ以降」の間には、マリアナ海溝よりも深い溝があるように思う。
とまあAI生成の適当な考察を並べてみたが、これはリテラシー教育でどうにかなるレベルではない気がする。
ある意味、氷河期世代よりもかわいそうな世代なのかもしれない。
だって、子供の頃に経験しておくべき摩擦で学ぶことは、一体誰にどうやって教わる?
炎上して怒られてからじゃないと学べないのなら、そんな人間怖くて採用できないでしょ。
本人はたったスマホで撮影しただけ、何が悪いの?という感覚でいて、OJT、課長、支店長は飛ばされちゃうのにね。
動画で取られている同期か先輩社員見た?「辞めてよ~笑」って感じで叱ってもくれてないじゃんね。
新入社員が入るたびに、爆弾持たされた~という感覚で一生懸命、優しく、辞めないように根気よく説明・教育できる?
というより、たぶん教育でどうにかなるような問題じゃないんだ、これは。
だって情報リテラシーや社内規定や社会規範なんかより、SNSという謎のクランの掟や承認欲求を満たすことの方が優先順位が高いんだから。
約40年前の東京、とあるフィリピンパブで働くアラフォーバツイチピーナにアラフィフ既婚子持ち男が手を出した。
その結果生まれたのが俺だ。
父親には会ったことがない。物心ついた頃から、あいつはクソだという話を母から聞き続けていたので、まあ浮気してるしクソ野郎はクソ野郎なんだろう。
まぁ我ながらよく死ななかったなとしか思わない。
思春期のころは毎日毎日、生まれる前堕ろしてくれりゃ良かったのにと世界を恨んでいたが働き始めたらどうでも良くなったな。
母はもう死んだ。父も多分死んでる。
気持ち悪い親のもとに生まれてしまったやつもあんまり悩むなよ。どうせ親はしょーもない人間だしそのうち死んでまうから気にすんな。
我々の世代だと、物心付いてから成人するまでが概ね1980年代〜1990年代だ。
その頃の社会は今よりずっとリベラルで国際協調主義で、学校教育でもマスコミの風説でも日本の戦争責任を問う空気が存在した。
その中でも旭日旗はかつての大日本帝国の植民地主義を象徴するものとして、厳しい目で見られてきた。
国旗・国歌法が制定されたのは1999年。これは旭日旗ではなく日章旗(日の丸)を国旗として定めるものであったが、これですら議論はあった。
同い年なら知っている筈なんだが……。
なのに「突然」なんて認識が出てくるのが謎過ぎる。
寧ろ今世紀に入ってから、社会の右傾化が進んで肯定する人が増えた印象だ。
椎名林檎の年齢ならば、そうではない時代を知っている筈なんだが。
椎名林檎「ほんの20年前に敗戦した雰囲気」に違和感。「旭日旗が突然、問題視された」主張で、見落としている“もう一つの深い事情”とは?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_69d5ee3be4b06b69686db9c3
聞く所によると椎名林檎は上級国民のお嬢様らしい。今の日本の富裕層の多くは、麻生氏のように戦前から続く支配階層の出だ。そういう家柄だと、自然と大日本帝国に親和性を持ち、太平洋戦争を正当化するような環境で育つであろう事は想像に難くない。親の教育や、進学先の学校もそういう思想を持つ所であった可能性は高い。
自分のように底辺庶民として生まれ、公立小中高でありきたりな教育を受け、テレビや新聞を見て育った人間とは、歴史認識にも価値観にも大きな隔たりがあるのだろう。
俺が地方公務員になりたいと思った動機は、ただ他人を助けたいという想いからでした。
ド田舎の農家の次男坊として生まれたものの、歳の離れた兄が本当にダメな人で、俺が物心がついたころには家業は傾いていました。父は単身赴任で出稼ぎにいき、母は兄の件で心を病んでしまいました。
幼い俺は世間知らずの餓鬼で、漠然と自分の家と貧しいのはわかっていても、これが普通なのかなあとぼんやり考えていました。クラスでは隅っこ寄りでしたが、不良みたいな感じではなかったかな。
父親も母親も兄弟も家にはおらず、幼い自分のそばには祖母がいました。おばあちゃんの豚丼、玉ねぎが焦げて苦くて油っぽかったなあ。フライパンが焦げるからってたくさんサラダ油いれるから…
世間的には、これはネグレクトと呼ぶようです。どうやらおかしいんだと理解したのは就職してからでした。たしかに家で寂しいと思うことは多かったですね。
幼い頃の俺はかまってちゃんで、独り言が多くて、不潔だけど、それでもそこそこ運動神経もよく、見た目も頭脳もそれほど悪くはなかった。だから、友達でいてくれた人はちゃんといました。 みんなに感謝しています。
たまに彼らの背中を思い出して、「ああ、俺ってあんなにすごい勉強ができて性格も良くて、いい同級生に恵まれたのに、こんなに彼らと距離がついてしまったんだ」と泣くことがあります。せめて友達には胸を張って誇れる人生にしたかったのに。
俺が公務員になろうと思ったのは、「俺みたいに悲しい思いをしてる人を助けられたらいいな」というふんわりした想いからでした。貧乏な生活も嫌でしたし、友達も俺の長所は優しいことだと言ってくれていましたから。
ありがとう、家庭環境が良くなかった俺の心の支えは君たちだった。俺、男なのにメンヘラでごめんな。
運良く採用拡大期に地方公務員試験を突破できました。そりゃあまあ努力もしたけど、マクロ的には運が良かったんだと思います。
けど、就職してからも努力不足もあり、よくなかったなあと思います。新卒一年目は右も左もわからず、上司には迷惑をかけました。新卒二年目で上司がうつ病で離脱してかなりつらかったですね。三年目、優しい人だと思ってた先輩がうつ病を理由に退職しました。周りの上司が彼に対して罵詈雑言を吐いていたのをみて、どうかしていると思いました。
大人に対して「きっと優しくてすごい人たちが外にはたくさんいるはずだ」とぼんやり幻想を持っていましたが、そんなものはすぐに打ち砕かれたのです。管理責任を問われたから、弱った人に陰口を叩く。なんて醜いんだろう。人間はみんな弱くて醜いんだと思わされました。
そして、誰でもない俺自身もまたそういう「醜い大人」になる未来が想像できてしまいました。理想と現実には大きなギャップがあったんです。
そこから紆余曲折あって、犯罪被害を受けたり、他人を助けたい想いを抱えたまま他人を見捨てたり、犯罪者扱いされたり、職場で役割が変わったら無能すぎて辞めたり、実績を残せてうかれたり、命を助けたり、父親が死んだり、いろいろなことがありました。なんだか傷だらけでぼろぼろです。これが普通なのかな? たぶん違うんだろうな。
メンタル弱いのはずっとコンプレックスでしたが、メンヘラだからこそ自分の弱さを克服しようとがんばれた部分があったと思います。それに、これだけ悪い境遇だからこそつらい境遇や、良くない環境に置かれた人の気持ちがほんのすこしだけわかっているつもりです。
いま30歳を間近にして、自分の願いが何なのかをまた問い直しています。うまくいかないことばかりの人生。俺は、どうなりたいんだろう?
以前、俺のことを悲劇のヒーローと形容した人がいます。事実だからこそ傷つきました。
けど、俺に降りかかった不幸はありふれた悲劇なんです。きっと能登半島地震や東日本大震災では、俺以上に辛い思いをした人がいるでしょう。俺はヒーローではなく、誰の心にもある道徳心や思い出、信念を捨てずに保った凡庸な大人なんです。
大人になると道徳や倫理観をゴミ箱に捨てる人がたくさんいますが、俺はまだ大事だと思っています。いい歳してどうなんだとか、まあ、それはそうなんですけどね…
悲劇のヒーローで終わりたくないなあ、と思っています。けど、善い人ではいたい。少なくとも視界に映る善良な人達が、みんなそれなりに幸せでいてほしい。そのためにがんばります。弱者になってしまえば目の前で困ってる人を助けることすらできないから、がんばるんです。
それをメサイアコンプレックスやアダルトチルドレン由来のものだと、既存の概念にあてはめて理解するのは簡単なことです。あるいはそれが運命だと言う人もいるかもしれません。
けれども、だからこそ、俺はその宿命のようなものに抗おうと思っています。この大きな挫折を乗り越えられたらきっと、また歩けるんだと。そして、まだ生きてる身内のためにがんばろうと。そう思うことで、まだぎりぎり生きていけそうです。
×みんな
○ごくごく一部
もっふもっふさん
うちの職場の人(約90人)にアンケート取ったところ8割の人はワイプは要らないと応えました。
2割は気にしてないってだけで。気にしてないのはかなり若い層のみ。
昭和生まれは昔の番組を知ってるから余計な字幕や余計な効果音、ここぞと言う時に突然入るCM、CM前のタレントの驚きの表情、誰が出ててるのかしばらく隠して引っ張る、といった手法は昔はなかったですから。
90人中8割が言ってるということを一般論として言うのは統計学的にはギリギリ妥当の範囲内なのかな?
dorawiiより
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雑文です。
厳しい且つ建設的な意見は歓迎ですが、誹謗中傷は受け付けてません。
■MBTIでいうINTJ
■チー牛。年に数回だけコンタクト着用
■175cm/80kg
■趣味: 某ソシャゲ(但し最近鬱気味なのであんまやってない)
↓↓↓↓↓以下本文↓↓↓↓↓
最近本当に本当に凄く死にたい気分なので、気を紛らわす為に本文を書いている。
理由はタイトルの通りで、恋愛経験ゼロである事実にとてつもなく大きいコンプレックスを持っているから。
物心ついた頃から生粋の陰キャで、クラスでも当然陰キャ集団の中にいた訳だけど、
年齢が進むにつれてかつて仲間だった連中もいつの間にか彼女作ってDT捨てていて、
いつの間にか俺だけ取り残されていた感じ。
私だって全く何もやっていない訳ではないので、
やったことを記す。
具体的な額は覚えてないが、男女で相当会費の差があったやつ。
一応それなりに会話はしたし、LINEも交換したけど、
LINEの返事が返ってこない為、成果得られず。
●高級ソープ
DTは捨てている。
これについては自分の中で答えがあって、多分本当に深く関係を築けてて、愛している人とじゃないと
こういう行為って楽しめないんだと思う。
深く関係を築けてて愛している人とやったことないから分からんけど。
夜に一緒に飲むとこまではいけたものの、そっから先に進めなかった。
(後程、片方は好きな男性が、もう片方は既に彼氏がいたことを知った)
こんなところか。
出来ることは一通りやったつもり。
他にあるとすれば、街コン、新たに趣味始めて人脈増やす とかか?
新たに趣味~~は3点目のソシャゲと同じ結末にしかならないと思っている。
地方に移住した関係上(?)、最近精神的にかなり孤立していて、
ましてや恋人などできる気配すらもない状況で、
話し相手がいないもんだからAIとひたすら会話のラリーを重ねたりもしているけど、
この先どうすればいいのか、何をモチベにして生きてけばいいのか、本当に分からない。
何を間違ってしまったのか?
幸せになるための分岐はいくつもあったはずなのに、それら全て間違ったということか?
非常に厳しい親に勉強を押し付けられたお陰でそれなりの学歴と社歴を手にしたはいいが、
本当に分からん。
とりあえず、お先真っ暗すぎるので誰か道標を与えてほしい。
じゃないと今にも自〇してしまいそう。
文章は以上です。推敲とか全くしてないので誤字脱字矛盾点ありそうだけど、
そこは許してください。
面白かったのを(たぶん)30挙げる
the lines of my hand
美しい星
あなたはここで、息ができるの?
生命とは何か
姫君を喰う話
化け者心中
噺は生きている
「爆心地」の芸術
陰花な被写体
人さまざま
数学的な宇宙は丸パクリみたいなのがブルーバックスから出ているので、内容的にはそれでも
江戸の極楽とんぼは「筆満可勢」という江戸時代に書かれた日記みたいな随筆みたいなのを解説した本で、「筆満可勢」の内容が面白いのにあまり知られていないので
the lines of my handと陰花な被写体は写真集
陰花な被写体は篠山紀信らしさが溢れていて、篠山紀信には珍しくギャラリーでの展示もした写真(篠山紀信は写真は雑誌などで消費するもので展示するのを嫌っていた)
花宵道中と化物心中はどちらもデビュー作で、デビュー作でこんなに書けるんだって驚きから
花宵道中は映像化しているけど、化け者心中も映像化して欲しい、化け者心中の蝉谷めぐ実の見えるか保己一も凄い
毛沢東語録はいわゆる赤本だけど、実際に読んでみると結構面白いし、読まないと当時の空気感に触れられない気がする
31年か…。人の物心がつくのを七歳前後だとすると、いま三十代後半くらいまでの人にとっては知識として知っている事件ではあっても、空気ごと知っている事件ではないのだと思う。
事件が起きた1995年3月20日の朝は当時付き合っていた彼女の家にいた。前の晩から泊まってて、リビングのソファで寝転んでたんだけど、つけっぱなしのテレビで速報が流れて、相当やばいことが起こったらしいとわかった。いまみたいにスマホで全部同時に流れてくる時代じゃないから、テレビのテンションがそのまま部屋の空気になるんだよな。
当時のオウム真理教というのは危険な何かというよりも異様な何かで、もっと正確に言うと、異様なんだけどテレビが半分おもしろがって消費していた何か、だった。変なポーズをして、変な歌を歌って、選挙にも出て、空中浮揚がどうこう言って、教祖の麻原彰晃はどこからどう見ても汚らしいデブのおっさんなのに、信者はみんな同じ方向を向いて彼を崇拝している。明らかにおかしい。でもその奇妙さがあの大量殺人に直結する種類のものとしては受け取られていなかった。
いま振り返るとオウムって不思議なくらいテレビに馴染んでたんだよな。馴染んでたという言い方も変だけど、少なくとも世間はまだ、あれを純粋な恐怖としてだけ見ていなかった。変な宗教、変な教祖、変な信者、って笑いと嫌悪と薄気味悪さのあいだをふらふらしている対象だった。ネタにしていいのかだめなのかよくわからないし、とにかく変な奴らくらいの感じで受け取っていた人は多かったと思う。
なんというか、後から歴史として見ると最初から完全に邪悪なテロ集団に見えるんだけど、でも当時の俺らにはもっとぬるく見えてたというか、ある意味普通に受け入れてたんだよな。今じゃ信じられないと思うけど。
出産準備として赤ちゃんの物をベビーワゴンに分類して、テプラを貼り、夫にも解りやすくしていた人に何故か「これを見た夫のひきつる顔が目に浮かぶ。やる気のあるバカって周りに迷惑なんだよな。」
「この人の子供は物心ついてから成人するまでずっとこの親に苦しむことになるんだろうな」とか、何に苦しむのか意味分からんポストにに九千以上のいいねがつくくらい、男からの叩きが集まり炎上し、鍵をかけてしまった。
出産後に「短肌着とガーゼハンカチ取って」と頼んだ際に「どこにあるの」と聞かれ答えたのに、間違ってコンビ肌着や普通のハンカチを持ってこられて、旦那に違う事を伝えて、たたんでしまい直して取りに行く手間を考えると、凄く効率的で解りやすいように思うのに、何故か男達は無駄なことをやる馬鹿女、無能な迷惑女と叩きまくってた。
物心ついた時から普通だと思っていたことが、社会に出てから殆ど全てがそうじゃなくて、自ら変わろうとすることなく年を取り、両親や親族の存在はもう自らにとって何者でもなく、知人友人とは関わりが失せた。
《追記》
30代後半男性。物心ついた時に母方の下で育てられたが、後にそれが母方による連れ去り別居だと知った(父は既に逝去、某有名な地で「●●年●●月●●日頃」死亡と戸籍謄本に記載ある為恐らく孤独死)。母親と祖母を中心に一族の半分くらいは新興宗教信者(特に前述の二人は精神疾患傾向)。自分は一人っ子で小学校上がる前からトラブルメーカー、ずっと人見知りで挨拶の仕方とかギリギリ出来るがあまりよく分かっていない(人と目線を合わせられない)。機嫌や気分の良し悪しがあり、悪いと人格が最底辺化。
マジで。
いままでアトピーはステロイドを塗らないと治らないと思っていたのに。
大体、1〜3ヶ月くらい皮膚科に通って、一旦治す。しばらくしたらまた悪化するから、皮膚科に行く。という暮らし。
新居のそばの皮膚科はやたら待つ上に、混合タイプのステロイドを処方してくる病院で、効きが悪くてダラダラと通院し続ける羽目になった。行けば長時間待ち。開院30分前に病院についてももう20組くらい並んでいて、診察を受けられるのは昼前とか。次第に病院に行かなくなった。。。
アトピーは悪化しつづけ、普通に生活してるだけで皮膚組織がポロポロ剥がれ落ちるし、入浴中や寝る前は耐え難い痒み。
当然市販のステロイドじゃ歯がたたないレベル。我慢の限界で、有給とって引越し前に行ってた病院に行ってとりあえずの薬をもらい、症状を鎮火させた。でも、この先何年も毎週有給とってられん。
どうしよかなー奇跡が起きて体質が治らないかなー。と思っていた。
動悸のようなものや悪寒、手の震え、頭痛、めまい、吐き気など。ほんとうにしんどい。仕事なんてしてられないレベル。横になりたい。
こういう時に吸収よくサッと低血糖状態から脱する食べ物ってなんだろう?と思ったのが最初。
チャットGPTに聞いてみたらいろいろ並べてくれて、いま手元にあるもので最善の方法を考えてくれた。
そしてついでに、低血糖状態になりにくい昼ごはんの取り方について教えてくれた。
俺はこれまで、昼はマックかケンタかラーメンかお好み焼きかパスタかコンビニおにぎり*3だった。
そりゃ低血糖になるよ。と言われた。ようするに血糖値の乱効果を招く食事は体にとって毒らしい。
翌日の昼に、チャットGPTにきいた。何食ったらいいんだっけ?って。
糖質はちゃんと摂る上で、でもタンパク質中心、脂質控えめ。できれば食物繊維。脂質を摂るとしたら青魚やナッツがいいらしい。
コンビニ行って、おにぎり一個とサラダチキンひとつ、ゆで卵ひとつ。という結論。6〜700円。足りるのか・・・?と思いつつ、昼はそれで済ませてみた。
不思議と、低血糖はこなかった。夕方に腹だけ空いて仕方なかったから、カロリーメイトを1ブロックだけ食べた。
1ヶ月この暮らしをしてみた。
1週間目は低血糖がこなくなった以外になにもかわらなかった。でもそれだけで随分楽になったので、続けることにした。
2週間目、次第に量は慣れてきて、胃自体が縮んできた。飲み会に行ったら以前ほど食えなくなっていてびっくりした。まずサラダチキンとゆで卵を自分で作るようになって、次第にスープジャーなんかも買って、完全に弁当派になった。
3週間目、体重が微減。そりゃいままでが食い過ぎだから当たり前だけど、もう減るんだ。って感じ。夕食に魚を焼くようになった。発酵食品をかならず入れるようになった。味噌汁に春菊を入れてみたら美味しかった。
4週間目、なんかそういえば最近あんま痒くないな。。。と思ってアトピーの患部をみたら、なんか治ってた。もちろんツルツルではないけど、以前のようなただれがない。
毎食チャットGPTに写真を送って、この食事の評価、改善点、カロリー計算、次の食事で補うべきこと・あるといいものなどを教えてもらうので、献立管理は全然苦じゃない。
スーパーに行く時もチャットGPTに聞いて「絶対買うもの」「安かったら買うもの」を決めてもらってその通りにする。
買って帰ったら、「この食材はどう使ったらいい?」と聞くだけ。
いままで、「アトピーになるのは食事習慣が悪いから」とか言われても、
人間ドックでは内臓も血液もオールAで、毎日1万歩歩いてるし、健康には自信があったから、自分の食事に問題があるとは思ってなかった。
信じられるのは強度の高いステロイドだけだと。。
でも確かに若い頃筋トレにハマってた頃は全然アトピー出なかったなと思い出す。あの頃も、テキトーではあったけど、たしかに揚げ物とかジャンクフードは控えていたから。。。
なぜリベラル派は政治的に支持されないのか。先の解散総選挙からSNSでは膨大な議論が飛び交っていたが、若干落ち着きはじめた現在、あらためて自分の理解をまとめておきたい。とくに新しいところはなく、すでにあちこちで言われていることのまとめである。
リベラル派と呼ばれる人たちは認めたがらないのだが、この事実から出発しなければ、なぜリベラルな価値観の若者が保守・右派である高市首相を支持しているのかがまったく理解できない。半世紀前は、結婚しない自由は事実上存在しなかったし、専業主婦にならない女性は「わがまま」扱いされたし、LGBTには文字通り人権というか存在そのものが認知されてなかったし、体罰などは全く悪いことではなかった。しかし現在は、「まだ結婚しないの」と親しくない人から無神経に聞かれることはなくなったし、LGBTは茶化してすらいけなくなったし、家事をしない夫は妻から叱られるし、教育や躾の名の下の体罰も少なくとも公的には許されなくなっている。そして若い世代にとっては、これらは頑張って勝ち取るものではなく、物心ついた時には自然な価値観として与えられたものである。こうした社会の中ですでに支配的となっている価値観を、リベラル派はまだ十分でないとして掲げ続けているのだが、若い世代にとっては既存の社会の秩序とルールとを守ろうと言われてるだけなので、どうしても魅力を感じられない。事実、リベラル派の人々からは「社会の底が抜けている」「公共が壊れてしまう」とか、「保守的」な物言いが目立つようになっている。若い世代が世論調査でリベラル・左派の政党を「革新」ではなく「保守」に分類してしまうのはよく知られているが、これは単なる無知という問題に還元できない。
今のリベラル派の関心は、主に女性、LGBT、少数民族、移民、障害者などの「マイノリティ」の問題に向けられている。それに対して、経済・雇用、社会保障、治安のような、「マジョリティ」の関心ある話題はあまり積極的には取り扱わない。女性は人数としては確かに少数ではないが、例えばフェミニストが問題視するような萌え絵のポスターに強い不快感を覚えるような人は、女性の中でもやはり少数であろう。そのように多数派と少数派がぶつかれば少数派は負けてしまうという単純な理由に加えて、マジョリティの中にも当然ながら様々な不幸や生活の困難を抱えている人はいるわけで、そうした人々を傍に置いてマイノリティにのみに過剰な同情心を注ぐと、それに対するマジョリティからの疎外感に基づく感情的な反発も生まれやすくなる。統一教会に加えて氷河期世代のために主流社会から排除されていた山上徹也被告が、事件を起こすまで「リベラル」な支援団体や弁護士たちから距離をとり、むしろネット右翼に心情的に近い態度をとっていたことは象徴的である。おそらく彼は、リベラル派の団体というのは自分のような「五体満足の男性日本人」というマジョリティに対して冷淡である、というイメージを持っていたに違いない。
インターネットの政治論壇は、その黎明期から完全にリベラル・左派に対するアンチが主流だった。いわゆるネット右翼である。ネット論壇が右傾化したのは、伝統的な右翼や保守主義のイデオロギーとは全く何のつながりはなく、新聞とテレビがメディアの言論を独占している時代に、右派の言説の方が明らかに「テレビでは言ってはいけないこと」というカウンターとしての機能を持っていたからである。しかし、掲示板やブログが中心の時代は、ネット右翼の言論にたどり着くにはわざわざ「在日特権」などの言葉を自ら検索する必要があり、政治的無関心層にまでに届かせるのは難しく、長らく政治的な影響力はごく限定的なものだった。2010年代にネット論壇の中心的なプラットフォームとなったTwitterは、フェミニストなどリベラル派が相対的に強く、ネット右翼も依然として優勢ではあったものの、少し押され気味になっていた。
しかし2020年代に入り、YoutubeやTiktokなどのソーシャルメディアにおける動画投稿サイトの影響力が爆発的に高まって新聞とテレビを凌駕するようになり、ネット右翼も主戦場をそちらに移すようになってから、自らの主張を政治的無関心層にダイレクトに、そして日常的に届かせることが可能になった。もともとリベラルな社会に対して強い不遇感や疎外感を抱えるネット右翼は、情報発信の熱量についてはリベラル派に比べて圧倒的に強く、リベラル派はまったくと言ってよいほど太刀打ちできていない。これまで政治にほとんど関心のなかったユーチューバーたちも、マスメディアとの差異化やカウンターという文脈で、ネット右翼のリベラル派叩きに同調的な姿勢をとる人が多くなっている。
以上の結果として、Youtubeでは立憲民主党やリベラルなメディアを嘲笑的に攻撃し、高市首相を絶賛するような動画であふれかえるようになり、暇さえあればスマホ片手にYoutubeを視聴する(テレビはほぼ見ない)若い世代の政治的無関心層にまで届くようになり、選挙の帰趨を決するまでになっている。高市支持の若い世代は、高市絶賛動画の源流がネット右翼であることは(今や動画を作成している側の多くも)もはや知らないし、リベラル・左派系の政党についてもYoutubeで小馬鹿にされているという以上には知らない。ただ小馬鹿にされているので、積極的に投票する動機が生じようがないというだけである。「リベラル派の〇〇が嫌われている」「リベラル派は経済や外交の政策が弱いから支持されない」「高市首相の〇〇というメッセージが若い世代に刺さった」といった説明は、政治的な世論と選挙の動向の大きな部分を理解するには、もはや古いものとなってしまったと言えるだろう。