はてなキーワード: フィリピンパブとは
来週、5個下の後輩君と2回目のサシ飲み予定。状況整理と客観的な意見あれば聞いてみたいため、書き込みます。
後輩について
・性欲あり(フィリピンパブ?的なの好きらしい)
・非童貞
元カノがメンヘラだったらしい。こちらの顔色や挙動を伺う察することのできるタイプ。判断が早い(諦めが早い)。意外とピュアな恋愛観を持っているっぽい。自己肯定感そんな高くないのに女性に対して臆しない、妙な慣れがある。
私について
・非処女
・性欲あり
性欲が強く、遊んでばっかりいたらこんな歳になってしまった。ワンナイトは嫌なので基本的に長期的な付き合いをする。ノンデリ気質(ASD気味とも言う)を愛嬌と人当たりの良さでどうにか対処できている…と思いたい。社会経験は同年代と比べると少なく精神年齢も恐らく、幼い。
前回
1回目の飲みでは、1軒目の居酒屋も早々に、行こうと話していた相手行きつけのバーへ。見事に終電を逃してしまうが相手が飲み過ぎて酩酊状態になっていた。どうしようもなかったため適当なビジホのツインに宿泊、介抱し健全解散した。(ちょっといじわるして頭撫でたりした)
とにかくしたい。そろそろ「ちゃんとした彼氏」がほしいため、あわよくば付き合えたらいいな。結婚は考えていない。ただ、こんなちゃらんぽらんな年上がこんな子に手を出していいのか?という恐れがある。「一発やっちゃおうよ!」と私の中で悪魔が囁いて…というか、けしかけてうるさい。でもひとまずは誘わないと始まらないよね。相手がその気か分からないし、相手に「付き合いたい」って言わせるように誘導したい、試していいかな?倫理観ないかな…
こういうのも本来、人に見せずこっそりさせておくのがそもそもデリカシーというものなのかとも思う。人の心分かってない部分多いからこれで傷つく人とかもいるかもとも思う。でもここまで書いてしまったし深夜だし、いうて匿名だし公開する。
ダンサーの興行ビザがむっちゃ採りやすくて、ダンサーという名目で入国してホステスさせ、オプションで売春とか性的サービスとかも当然あったやつ。
ホステスとして働く金は店側に住居生活移動費としてほとんどそのまんま持って行かれるんで、自分で売春とかして稼がないと仕送りができないってあれ。
巧妙に組織売春にならないようになってて、ギリギリ合法と言うメソッドだった。当然制度改正で塞がれて今はできない。
あの時代にさ、明らかに若い子(今から考えると、10代だったんじゃねえかなあ)がいて、その子は周りにいた先輩のフィリピン人ホステス達が守ってたのを思い出すわ。
嫌な客が付こうとするとちゃんとブロックするし、売春もさせなかった。たぶんなんか理由があったんだろうな。
店には出ないとダメだったんだろうけど
厚生労働省によると、23年度に全国で生活保護を受けた世帯数は165万478世帯。このうち、世帯主が外国籍なのは4万7317世帯。前年度から23世帯増えたものの、総受給世帯数に占める外国籍世帯の割合は近年、2%台後半で推移している。
受給可能な在留資格は永住者(特別永住者含む)、日本人の配偶者、永住者の配偶者、定住者の四つに限られる。難民申請中の資格は「特定活動」なので生活保護は受給できない。ただし、難民認定が許可になると「定住者」の資格に変更できるので、受給はありうる(数は少ない)。
国籍別にすると1番目が韓国・朝鮮籍、 次いで中国、3番目にフィリピン、4番目にブラジル・ペルー。
1番目と2番目については、特別永住者、つまり戦前は日本国籍を有していたものとその子孫が大多数である。韓国の受給者は65歳以上の高齢者が6割を占めている。外国人はかつては年金に加入できず、無年金のまま高齢者になった事態を反映している。
3番目 のフィリピン国籍の受給者の場合は、子のいる母子世帯が多い。かつて、フィリピン人女性は、在留資格「興行」でダンサーなどの名目で大量に入国していた。実態はフィリピンパブなどで稼働し、多くが性接待に従事していた。その多くが日本人と結婚して子を成したが、様々な事情で離婚し、シングルマザーになるものが多く、生活苦にも陥りやすい。フィリピンでは「ジャパゆきさん」が毎日のようにバラエティ番組で取り上げられており、日本人夫の悪質さが話題になることが多い。なお、「興行」の審査厳格化により偽装申請による入国はできなくなった。[追記:子は日本国籍を有するので、実質的には日本人の子を養育するための支給という側面が強い]
4番目のブラジル・ペルーの受給者の場合は、単身の稼働年齢世代の世帯が多くを占めている。在留資格は定住者(日系三世)で入国し、永住者になっているものが多いと思われる。定住者(日系三世)の資格は1990年施行、機械自動車産業界の後押しが立法の原因になっている。戦後日本の町工場をささえた農家からの出稼ぎ労働者が減少し、深刻な人手不足に陥った。観光ビザで入国した不法就労者を当てていたが、不法就労助長罪の創設でその方法も潰された。そこで、日系人に在留資格を付与する流れになった。定住者は就労制限がなく、どんな形でも働くことができたが、それゆえに非正規雇用に甘んじることにもなった。2009年のリーマンショックで真っ先に馘首されたのも日系人が多く、生活困窮者が少なくなかった。
このようにしてみると、生活保護目的の外国人というのは少数派(不正受給自体がないとは言わない)で、日本の外国人政策自体の失敗が困窮者を生み出してきた構図がある。
就労資格の人などは日本にいくら滞在しても生活保護に頼ることはできないので、外国人全体としては社会保障はむしろ手薄い。たとえば会社にクビにされても、会社の社長が外国人社会で顔が効く場合、無理やり自己都合退職にされてしまったりという話はよく聞く。失業保険の待機期間があるので、受給できる外国人はごく稀な存在だ[追記:2025年4月から待機短縮済み]。それに、一度職を失ったら、在留資格の範囲内の転職先がなかなか見つからないという話もよく聞く。トータルで支援する体制が必要とおもう。
7/12補足
ずっと何が楽しくて、お金を払って、女性に話を聞いてもらうんだろうと思っていた。
性的なことをしてすっきりしたいという気持ちはわかるので、まだ風俗の方が理解できた
今から20年ほど前、増田が大学に通っていた頃、研究室にある陽キャの助教授(すでに准教授の呼称に変わっていたかも)がいた
学会などの出張のたびに、教授がやめろと言ってるのに学生を連れ回して飲み歩き、
最後には学生をキャバクラに連れて行っていた。自分もそれで一度連れて行ってもらったが、全く楽しみ方がわからず、
椅子に座って岩のようになっていた。
一応、大学の先生の名誉のために行っておくと、当時ですら上記のような先生は少数派であり、
おそらく現在の大学で、学生をキャバクラに連れて歩くような先生は絶滅危惧種だと思う
仕事は楽しかったし、コードを書くのは好きだったし、バグが発生して炎上しているプロジェクトであっても、ゴールが見えているのでそれなりに楽しく過ごしていた。
一概にIT企業といっても、企業ごとに社風は大きく異なるだろうし、部署によっても大きく異なるだろう。少なくとも自分の部署では上司やプロジェクトチームで飲みにいくことはあったが、キャバクラに繰り出すものは一人もおらず、大騒ぎする時でさえ、飲み屋の後にカラオケに行く程度だった。
増田は社内でそれなりに実力を認められるようになった。関わっているプロジェクトが軌道に乗り、チームの雰囲気も良く、あとはメンテしながら隙間時間に新しい技術を勉強するなど、悠々自適の生活でもあった。サービスに苦情が来ることもあったが、増田は苦情の対応がそれなりに好きだった。お金を払ってくれたお客さんからのフィードバックであると考えれば、顧客のニーズを捉えて、サービスをもっとより良くできる、どういう課題を解決すればいいか考えるきっかけにもなった。そういう苦情に対しても前向きに対応できるところが評価されたのだろう。新しいプロジェクトのリーダーに任命された。
このあたりから雲行きが怪しくなる。それはある役員が提案した新事業のプロジェクトであった。
具体的に言えないのでフェイクで書くが、これまでスパコンを開発していた企業がビットコイン事業に乗り出すようなものだった。当然、社内に経験者はいない。その役員も東洋経済やらの経済誌で入手した程度の情報(=一般人の情報)しか持っておらず、全てが手探りの状態だった。しかし、増田くんは勉強熱心で優秀だから、うまくプロジェクトをリードできるだろう、とおだてられ、自分もできるのではないかと錯覚し、引き受けてしまった。それが間違いだった。
まずは座組みである。自分が所属していたチームの優秀な後輩を数名、一緒に働いたことはないが優秀な評価がある同世代・後輩を数名集めた。みなやる気に溢れていた。役員の肝入りであったため、チームメンバーを集める社内交渉はほぼ必要がなかった。チームのメンバーには技術的な面のキャッチアップを依頼し、自分はプロジェクトリーダーとして、その技術の出口戦略を考えた。要はどういうサービスを誰に向かって作るのか、大まかでもいいので、このプロジェクトの方向性を決める必要があったからだ。
数ヶ月ほど経ち、技術的な勉強は大体キャッチアップできた。しかし、この技術がどんなサービスに繋がるのか、増田を含めプロジェクトのメンバー全員とも皆目見当がつかなかった。部長には月1で、上述の役員には3ヶ月に1度のプロジェクトの進捗報告が求められた。当初は国外での研究開発動向やスタートアップの動向などを報告していた。また、どのような技術が現状存在するかなど、論文や技術資料を整理し、噛み砕いた説明をすることで誤魔化していた。1年ほど経ったときに役員が言った。どういう技術があるのかはわかったが、全く新事業につながりそうにない。きちんと考えろ、というお叱りであった。増田は技術的にできることを説明し、また国内外の他社も実現性のある事業にまだ繋げられていない研究開発段階であることを説明した。
そのときに、役員はあるスタートアップの名前を言った。それはシリコンバレーにあるスタートアップで当然、増田もウォッチ済である。この会社は次のような技術を持っており、その技術を持って次のようなビジネスを展開しようと現在金を集めている。なぜうちにはそれができないのか。しかし、多くのスタートアップ同様、増田はそのスタートアップに技術が現時点ではないと認識していた。スタートアップがやっていることは夢を見せることである。その夢に投資してくれる人を集め、そのお金を持って現実に実装できるリサーチャーやエンジニアを雇い、実装しようとする。偶然成功することもあるが、多くは集めたお金で支払える期間を過ぎても開発は成功せず、会社は空中分解する。それがスタートアップである。このスタートアップが謳う「夢」は増田のチームも大きく共感できる。その夢が実現すれば、様々なビジネスが生まれるだろうし、多くの人に感謝されるだろう。しかし、現状の研究開発レベルとその夢の実現の間にはあまりにも大きなギャップがあった。それを乗り越えるすべを増田は持っていなかったし、おそらく世界中の多くの会社もいまだにそのギャップを乗り越える方法を持っていないだろう。しかし、役員は納得しなかった。この新事業がポシャるわけにはいかない。実はこの役員の新事業に当初から反対している派閥が社内におり、この失敗を理由に社内で派閥闘争が起こる、という予測が原因であった。
ここから問題は加速度的に複雑になっていく。ただでさえうまくいくわけのない新事業であったが、その新事業が表向きうまくいっていると見せることがプロジェクトの目的になっていった。役員は先ほどのシリコンバレーのスタートアップを私とともに訪問し、資金提供と事業の締結を取り付けた。そして社外に大々的に発表した。行って話してわかったが、私の当初の予想通り、その会社は技術と言えるレベルのものを何も持っていなかった。増田のチームが数ヶ月かけてキャッチアップした研究開発動向レベルの情報しかなかった。新事業を加速させる、といって、とあるモックアップを公表した。将来的なサービスイメージを社外に広く知らしめるためである。同分野の別会社の友人から、あの発表見たよ、すごいねとLINEがきた。詐欺師の片棒を担いでいる気分になってきた。当然、増田のプロジェクトチームのメンバーはスタートアップの技術も我が社が公表したモックアップも張子の虎であることは認識していた。しかし、社内政治の都合上、ライバル派閥にバレてはいけないため、研究開発状況は社内でも完全に機密状態になっていた。増田の精神は崩壊した。役員向けの会議や外向けの広報では、自社の技術や将来サービスが有望であることを伝える必要がある。しかし、プロジェクトチーム内はお通夜状態であり、どうやってこのプロジェクトをソフトランディングさせるのか、という議論ばかりが行われていた。優秀なメンバーは一人、また一人と転職していった。当たり前である、誰もこんな技術的詐欺を行いたい人間などいない。
精神が壊れてきた増田は家ではため息しかしなくなり、食欲もなくなっていた。ハゲは進行し、ザ・おじさんのような見た目になっていた。
ある朝、どうしても会社に行くのが辛くなり、妻にもう会社に行けないかもしれない、と弱音を吐いた。妻は増田の仕事が辛い現状は当然察していたため、無理していかなくていいよ。会社辞めてもいいよと言ってくれた。私に何かできることがある?と聞かれたので、とりあえずおっぱいの谷間に顔を挟みたいことを伝えたら、朝からおっぱいの谷間に顔をはさんでくれた。
5分ほどおっぱいの間に挟まることで、何らかの作用があったことを知覚した。少し元気が出てきた。会社に行けそうな気がする。
「元気が出てきた」と妻に伝えたところ、下ネタと勘違いされ「今からしたいってこと?」と聞かれた。
増田は正確に状況を伝えた。もちろん性的な意味でも感謝をしているが、おっぱいに挟まれたことで精神が回復したこと、その包み込まれている安心感により、今日会社に行く勇気が湧いてきたことを伝えた。
妻は困惑しながら「いわゆるおっぱいからしか得られない栄養があるってことね」と言って送り出してくれた。
何がいわゆるなのかよくわからないが、妻の言っていることは100%正しく、こんな頭の良い妻と結婚できたことを感謝した。
その後のこと。増田はサイコパスのように、役員には成功を約束し、チームメンバーには配置換えの希望または転職活動を勧めた。少しずつチームを解体し、最後に自分も辞めた。自分はやはり客が近くにいるサービスが好きなのだろう。苦情を言われてもサービスを直せるのは何も心理的ダメージがなかった。ただ、お客がいない研究開発で、役員からの苦情に耐えるのは我慢ができなかった。でも、多くの会社の中間管理職もそうなんだろうと気づいたときに、世の男たちがキャバクラに行く意味がわかったのだ。あのエウレカの瞬間は今でも覚えている。世の多くの男たちは、社内で不毛な上司たちのご機嫌取りをさせられており、今自分がしている仕事の多くがあまりにも不毛であること、常に謝罪を強要されていること、しかし生活のために仕事を辞められないこと。このジレンマの中で精神がおかしくなっているのだ。そして、それを癒せるのは性的なサービスではなく、瞬間的な心理的幸福感なんだと思う。自分があれ以降、毎日妻のおっぱいの間に挟まってから仕事へ行くようになったように、一部の男たちはキャバクラに行ったり、風俗に行ったりするのだ。あれは性的サービスというよりはケアサービスなのだ。そこから考えると、最近の推し活の意味もわかってきた。なぜあれほどまでにアイドルやキャラクターに入れ込むのだろうと不思議に思っていたが、あれは現実逃避というわけではなく、本人の心のケアのための活動なのだろう。それほどまでに現代社会は過酷なのだ。
このような理解に辿り着いた後に、当時お世話になった助教授の先生に連絡を取ることにした。自分は相変わらずキャバクラに行かないが、キャバクラに行く人の気持ちはわかりましたよ、ということを伝えたい、あの頃の岩になった自分の浅はかさを謝りたいという気持ちもあった。その先生はある地方大学で教授になっており、その大学では理事・副学長になっていてあまりの出世っぷりに驚いた。おそるおそるメールを送ってみると、近況報告がてら飲みに行きましょう、とメールがすぐに返ってきた。
その先生の研究室を訪問し、先生の最近の状況を伺った。相変わらず陽キャで、人を明るくする人はすごいな、と思わされた。大学近くの居酒屋に行き、色々話した上で、上記のようなキャバクラ論について語った。先生は少し考えた後に、やはり理屈よりも実践だろう、今から行くぞとキャバクラに連れていかれた。正確にはキャバクラではなく、フィリピンパブだった。そのことを指摘すると、フィリピンパブの方が安いし、楽しいとのことだった。
常連なのだろう、先生の周りにはすぐに女の子がたくさん集まってきた。先生はおもむろに「歌いま〜す!」と言って、こっちのけんとのはいよろこんでを歌い出した。
想像してほしい。還暦を過ぎた老人がハイテンポのはいよろこんでを踊りながら超絶美声で歌う姿を。
その時の私は数年で1番笑ったと思う。笑いながら涙が出た。還暦過ぎても流行曲を相変わらずマスターしている先生には笑ったし、選んだ曲がはいよろこんでだったのは先生から私へのメッセージであることに気付いたからだ。
そのあとはみんなでbling-bang-bang-bornを踊ったりしながら楽しい時間を過ごした。
帰り際に先生が言った。さっきのキャバクラ=おっぱいの谷間論だけどな、正しくないと思うぞ。
たしかにそういう側面もあるだろうけど、居酒屋で同僚と馬鹿騒ぎするのだってケアの側面はあるだろう
だから、そうやって何でも頭でっかちに考え過ぎずに、刹那的に楽しむ。そういう場所だって社会には必要だろう。
確かに今日のフィリピンパブは癒し目的ではなく、ただ単純に楽しい場であった。そうか、楽しいから行く、当たり前の理由だな。
〇〇駅。快速列車の止まらない、□□□□から×××湖の方向に30分の駅だ。
×××湖をレンタルサイクルで観光しようと予定していた私は、雨の予報に出鼻をくじかれ、仕方なく歩いて散策しここへたどり着いた。
〇〇駅の待合室で心地よいけだるさを感じる。
目をつむり椅子に掛けていると背後の窓から風が髪をなで、脇を通り抜けてゆく。
交通ICに対応していない古びた待合室はふとすれば過去の一時を切り抜いたような感覚が起きる。
待合室には多言語のQRコードのついたポスターが申し訳程度に張られ、ここは現代だとささやかな主張をしている。
窓枠には「ご自由にどうぞ」と駅ノートなるものが立てかけられている。
5月に設置されたばかりのようだ。
過去に現代を吹き込む方法が過去然としているのがまた趣があり、情をくすぐられる。
民家の向こうの山の上から雲とも霧ともわからぬ靄がゆっくりと降りてくる。
そのゆっくりとした様はまさに、ゆったりとした過去の時間の流れのようだった。
わずかに流れ込んだ現代の情報の細かで速い波が大きく雄大な過去に溶けていくようである。
忙しない現代と対照的な街はずれで温泉にでも入ろうかとスマートフォンを手にする。
温泉地らしい△△△△の周辺をGoogle Mapで見ていると、その店を見つけた。
駅表にちらほら温泉や郵便局、薬局などがあり、駅の裏側へ行って少し歩くと川沿いにこのヘルスがある。
妙な立地が酔狂心を呼ぶ。
これはもう行くしかない。いささかのリスクを感じたが、この気持ちになればもはやリスクは特上寿司に添えられたわさびでしかなかった。
△△△△駅を出て目的地へ向かう。
駅周辺は足湯や、和風庭園を模した石畳に木造の屋根が張られた道があり、観光地然としていた。
わずかにぽつぽつと人はおり、気分転換に丁度いい閑静さをもたらしてくれる。
道路が一本で脇に建物はちらほらあるが、人が歩くのは見えず、ますます風俗店に似つかわしくない。
もう少し歩き、ついに目的地に到着する。
築50年ほどの建物の狭い扉を期待を胸にくぐる。
古い銭湯にあるような靴のロッカーに靴を入れ中に入ると、店番をする男性に現在空いている嬢は一人だと告げられる。
一応どんな嬢かプロフィールを見ると、37歳ぽっちゃり系とすべての躊躇わせる要素が揃っていたが、ここまできたのだ。
一度大外れはどのようなものか経験してみたいと思っていたがついにそのときが来たのだろう。
思いもよらないところで訪れたそれを受け入れることで、また一つ新しい世界が見えるだろう。
彼女に対面した第一の感想は、「俺のおかんまあまあ美人だな」だった。
なぜ母が思い浮かんだかというと、彼女と同年代でまた、異性でありながら異性としてみることができない女性という点で彼女と一致しているからだろう。
脳内に母の顔を思い浮かべ、補正を加えながら若返らせていくと、まあまあな美人にすることが一応できる。
目の前の彼女は無理だった。よくて下の上だろう。
ソープではなくヘルスなのが幸いした。手で適当に刺激してもらい出して帰ればいいのだ。
小さいころお母さんに便器にちんちんの照射を合わせてもらったようなつもりで、代わりに出すものを出していくだけだ。
かつてソープがヘルスとして再オープンしたらしい店内で風呂に入り、湯加減を聞かれる。
見た目の第一印象が強すぎて意識の外にあったが、ここで彼女が心地の良い明るい声をしていることに気づいた。
おそらく若いころから美人ではなく水商売で苦労したであろう彼女。
いろいろな努力をしてきたのだろう。
老いとともに多くの積み重ねてきたものが崩れていく中、まだ老いきることなく残された心地の良い発声に何とも言えぬ人生の重みのようなものを感じた。
マットに移動し、ことが始まる。
彼女に対する一種の敬意のようなものは感じはしたものの、相変わらず性的興奮の対象とはならず、機械的な刺激により果てた。
おそらく、中途半端な外れだと性欲に頭を麻痺させて突っ走るがゆえに、それがなくなったときの自分は何をしているのだろうという冷静な後悔が押し寄せるのだろう。
私は性的興奮などせず、じっと彼女の人生の重みについて考えながら機械的刺激により射精した。
賢者タイムへ至るまでもなく、そのプロセスがすでに賢者の悟りを開くそれだったのである。
困難なことを遂げた達成感を胸に少し雑談をする。
それにしても東京というのは遠い。
老いながら、少しづつ都心から離れていきたどり着いたのがこのさびれた川沿いのヘルスというわけだ。
少し話がとぎれもういいかなと思ったところで、荷物を渡され丁度良く帰る形となる。
せめて客の嫌な思いを増やさないようにという気の利き方がそれを感じさせる。
玄関まで見送られ外へ出る。
背中に例の心地よい声がかけられる。
大外れとしての距離感を保ちながらも、もしかしたらあるかもしれないわずかな再指名の可能性のための痛々しい努力だ。
風雨にさらされボロボロになった羽を必死に動かし飛ぼうとする蝶のようだ。
地元の人であろう軽トラックに出てきたところを見られ、少し恥ずかしい気持ちになるが、すぐに恥ずかしく感じたことそのものをまた恥ずかしく感じる。
自分のおかれた状況で一生懸命生きている彼女に申し訳ないような気分がした。
出ると入ってきたときには溢れる欲求で見えていなかった周りの建物が目に入る。
朽ちたかつてフィリピンパブだった建物に、もはや何の店だったのかもわからないガラス張りの建物。
その横の看板は古臭い文句で何十年も前から性の街の魅力を男たちに語り掛けているのだろう。今はもう一軒のみとなった性の街の。
かつて温泉街の横で栄えた小さな夜の遊び場は、ほとんど消滅していた。リトルグレイを除いて。
古くなりきえゆくものの最後に残った店の看板が照らされ光っていた。
〇〇の宿に向かう前に温泉へ寄る。
★★湯の大きい古い建物に入ると、風呂への廊下に隣接して居間があるような奇妙なまどりで、ちゃぶ台をはさんでサザエさんを見ながらくつろぐ老婆に出迎えられた。
マスクをせずに300円を要求する様はまるでここでは違う時間が流れているんだといわんばかりであった。
同じ東京に住み、年齢とともに現代から過去の場所へ流されてきた彼女と過去へ憧れ迷い込んだ私は出会った。
少子化って嘘なんじゃないの
国外で孕ませ逃げしてるだけ説
弱者男性なんて嘘だったんだ
騙されてたわ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231226/k10014299411000.html
「父に会い、ただ抱きしめたい。元気にしていたか聞きたい。お父さん、私を見て、私はここにいるよ」
涙を流しながら、カメラレンズの向こうに父親を呼びかける若者。
JFC=ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレンと呼ばれる日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもです。
バブル期以降、フィリピンパブなどに短期で出稼ぎに来ていた女性と、日本人男性の間に生まれ、父親に養育を放棄されて母子家庭としてフィリピンで育ってきた子どもも少なくありません。
両親+娘(私)の三人家族。
父は、昔の写真を見るとやんちゃだった感じがする。本当か嘘かは知らないが、ジャニーズの書類審査が通ってオーディションを受けたことがあるらしい。まあ本当か嘘かは知らないが、信憑性があるくらいは異性に人気があったらしい。
そんな父は、私が生まれてからも、年に3,4回くらい、会社やご近所の人と飲み会をして、二次会でフィリピンパブに行って帰ってきたりしていた。
バレンタインになると、会社の人から貰ったというゴディバの高そうなチョコも毎年我が家の食卓にのぼった。ついでにタバコ吸うしお酒飲むし車好きだしお洒落に興味があるし2ヶ月に一回床屋に行ってた。チャラすぎだろ。
私はそんな父を、不良とまではいかないまでも、なんかチャラついてるなという印象をもっていた。別に今も昔も父としては好きだが、伴侶にするにははこういうチャラついた人間は嫌だなと思っていた。
しかし、自分も大人になって、自分自身も恋愛をしたり、周りの人間の話を聞いていると、父は家族が好きだったし、別にそこまでチャラついていたわけでもなく、むしろ伴侶としてもまともな類だったのだと気がついた。
どんなに残業が遅くなっても、母と喧嘩をしても、決して外泊することはないどころか、外でご飯を済ませることもせずに必ず家に帰ってきて母の作った夕飯を食べていたとか、休みの日は必ず家族と出掛けている(近くのイオンとかだけどね)とか、飲み会も、多分あの頻度なら忘年会と歓送迎会くらいしか参加していなかったんだろう。
定年して、私が一人暮らしを始めてからも、毎週母とご飯を食べに行ったり映画を見たり、楽しくデートしているようだ。週末にはいつもラインでそんな報告が届く。
多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。
増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。
そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。
タクシーで帰ることが認められていた。
プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。
私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。
ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。
アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。
ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。
出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。
その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。
現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。
今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。
まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。
「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」
強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。
その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。
だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。
だがそのおかげで他人が死にかける事もある。
不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。
その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。
顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。
開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。
というPJの端に目立たないようにして座っていた。
リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。
全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。
これも20年前の話。
某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。
逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。
次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。
ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。
銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。
私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。
プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。
翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。
とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。
プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。
人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。
自腹で奢るのが良いという話では無い。
今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。
もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。
どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
最近フィリピンパブにはまっているのだが、5歳年下のフィリピーナと体の関係をもってしまった。
彼女は25歳で未婚、子無し。期限付きのビザで働いているのであと3か月しか日本にいられないらしいが、毎週月曜日の定休日は俺の家(単身赴任中)に来てそういうことばかりしている。
彼女は俺に家庭があることを知っているので、俺と結婚したいとか、お金が欲しいとかではなく、単に好きだからセックスだけしたいらしい。ちなみに俺は体の関係を持ってから彼女のお店には行っていない(他のお店には行きまくってる)。
もともと妻とはレスの関係で、それに不満があったし、若くて可愛くてセックス好きな彼女に心が揺れ動きつつあるんだが、どうすればいい?
私はとある日系企業の駐在員としてフィリピンの某地方都市で働いている。この国では女性の方が男性よりも働き者で、私の同僚も女性が圧倒的に多い(比率は8:2ぐらい)。
女性優位な職場というのと、フィリピン人のオープンな気質も相まって、飲みの場では結構フランクに下ネタ系の話をすることも多い。
先日の会社の飲み会では、日本人夫婦のセックスレスが話題に挙がった。同僚の妹がいわゆる本場のフィリピンパブで働いているのだが、そこに来る日本人客のおじさんは、みんな口を揃えて妻とセックスレスだというらしい(狭い日本人コミュニティを見る限り、そもそも単身赴任の人も多い)。
ただ、日本にいた頃から子供が生まれるとレスになり、したとしても子作り目的の義務的なものしかしていない、という日本人おじさんの話にフィリピン人同僚たちはみな驚いていた。
彼女たち曰く、セックスに付き合うことは妻から夫への愛情表現の一つであり、夫を愛しているなら例え自分にその気が無くてもセックスするのが妻としての義務だという。
セックスレスの場合、夫が浮気したとしても妻がそれを責めることなどできないと言っていた。男の性欲はコントロール不可能なので、誰かが発散させないといけない以上は、妻がそれを担おうというもの。
日本人はセックスというのを必要以上に神格化(大変なもの)だと捉えている節があるが、フィリピン人は結婚した以上は暇つぶしのレジャーの一つぐらいに考えているようであった(カトリック主流の国なので婚前交渉には結構うるさい)。
私はまだ独身だが、今後結婚するにあたり、このフィリピン人スタイルを採用するのはめんどくさいな~という気持ちもありつつ、男の性欲の底深さにうんざりした。