はてなキーワード: 機会損失とは
人は、自らを何らかの属性を持つ集団へ帰属させ、その集団同士で勝ち負けを競い合うことが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル・アナログ問わないテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪。
二元論的対立でなくとも、プロアマ問わない複数チームによる対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校。同じ学校内でさえ学級、学科、部活、委員、学内地域と細分化される。
更には血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰が推しか何沼にハマっているかに至るまで、人は己を自らカテゴライズし、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分自身で戦えない場合、時には相手への罵倒すら織り交ぜながら贔屓への応援支援を行う。
味方の勝利は己の勝利。実効的な行為は何一つしていなくとも馬鹿騒ぎし、負けてしまえば最悪の場合は殺人事件にまで発展する。
「争いは嫌だ」と主張する場合でさえ、その主張を巡ってそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。
なんにしろ、単に個人対個人よりも「所属している集団」「肩入れする集団」同士の抗争が特に好まれる傾向にあると言っていい。
個人で戦うより楽だから、というのも勿論あるだろう。責任は分散しつつ、比較的安全圏から敵を攻撃できるのだから。
本気で対決するわけでもなく、ただ二項対立の状況そのものを面白がる風潮というのもある。
無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人同士の軋轢に首を突っ込み頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくというのは、昨今のSNSで誰しも一度は見たことがあるだろう。
例えば、競合する商品やサービスを提供する二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は根絶すべきだという流れを見たことはないだろうか。
本来なら「どちらも買えばいい」「どちらも楽しめばいい」という発想があって然るべきなのに、そうした一般的思考は敢えて排除される。
勿論、中には本気の「アンチ」や「信者」もいるのだろうが、別に両方へ同時に手を出してはいけない法はない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり「どちらかしか選べない」という事情もあるだろう。
そうであったとしても、選択できなかった側を貶めることで自尊心を保つ行為にしては、少々度が過ぎているように感じる。
つまり、人は好き好んで仲違いし、自らを持ち上げ、相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースへラベリングを施し、延々とマウントを取り合う。
その様を楽しんでいるとしか思えない。別に自陣営へ勧誘したいわけでもなく、ただ互いに罵倒し合うことそのものを愉しんでいる。
詰まるところ、やはり主たる目的は「優劣をつけること」なのだろう。
エコノミックなパイの奪い合いというより、自分が正しく相手が間違っていることの確認、証明、「相手を攻撃できれば何でもいい」という欲求の方が実態に近い。
その「何でもいい」の部分へ、同族集団というものが、もっともらしい大義名分を与えてくれるわけだ。
なにしろ実利とは無関係である。というか、機会損失という意味ではむしろ損をしていることすらある。
まあ、対立状況そのものを面白がる人間は、そもそも外部の野次馬であり、失うものなど最初から持っていない場合も多いのだが。
責任の分散どころか、そんなものは存在しないと思っているからこそ無責任に煽れるのだろう。
優劣をつけることと、勝敗を決することは、似て非なるものだからだ。
誤解なきよう言っておくが、それ自体が悪いと言いたいわけではない。
人間とはどうやらそういう風に出来ている、という説明と解釈である。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖のための異性獲得競争など、「勝つこと」が「悦び」であるという根本的反応なのだろう。
知恵によって食物連鎖から仮初めに脱し、生存率も高い水準を保てるようになった人類にとって、その「悦び」を得るための代替行為を欲するのは自然なことだ。
闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるなら、それもまた勝利の一種ではある。
だが、先ほども言ったように、人々にとって勝敗そのものは、実のところそこまで重要ではないらしい。
プレイヤーが気持ちよくなるために都合の良い仮想敵を設定し、それはあくまで倒される前提で存在する。
攻略可能な範囲内で、接待だと気付かれないギリギリの強さで抵抗し、最後には敗北することを運命づけられた存在。
そうしたものを配することで「悦び」を得る疑似戦闘として非常に有用で、率直に言えば、だから人気なのだ。
ただし、対人戦特化型は全く別の話になる。
一人用ゲームでも高難易度特化のものは存在するが、それらはハードルが高く門戸が狭いことによって、「他の奴らには出来ないことを出来る自分」という、より強い優越感を提供する。だから一定数の支持を得る。
誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、むしろ無粋でつまらないものですらある。
当然、ストレス発散として結果的な悦びを求める者達にとっては、「悦びを得るために苦行をこなさねばならない」それらは、「ゲームのためにゲームをしている」という本末転倒な思考回路に見えるだろう。
決してそんなことはないのだが、それこそ属する集団が違うということだ。
そして重要なのは、ある集団に属することによって、人は「戦うための大義名分」を得られるだけでなく、「自分が何らかの役に立っている」と思い込める機会を得る、という点だ。
特に、普通のコミュニティへ馴染めない人間にとって、それは非常に蠱惑的である。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献できる。
敢えて「疑似」と表現したのは、要するに「現実社会と直接には繋がっていない」という意味だ。
そして上に立つ人間は、そうした心情を利用することが多い。
現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献――否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。
直接的な強制など必要ない。本人に自覚のないまま、都合の良い駒として、一層離れられなくしていく。
無論、普通のコミュニティとて同じ構造を持つ部分はある。だが、マイナスを経験した後に用意された逃げ場としての幸福である以上、同じプラスでも、その絶対値は大きく感じられる。依存が強まるのも無理はない。
実際、オンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割が明確で、効果に即時性があり、目に見えて貢献度が分かるパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはもう愉しい。
自らの貢献、味方との連携。互いを求め、そして求められる関係。作戦立案と実行。
その結果として敵が倒される。自己承認と敵の殲滅が同時に得られるのだから、脳汁が止まらないというやつだ。
つまり、組織だった戦闘とは、「悦び」を最も実感しやすいシチュエーションなのである。
厄介なことに、「物理的集団戦闘行為」は、その悦楽を最も得やすい。
先ほど述べたように、集団を主催する側はそれを利用するし、快楽が強烈であるが故に、強制すら不要となる。
ただ、論戦に関しては、双方がルールに則って戦うことが前提だ。そもそも言葉とは真理ではない。言葉が通じない相手とは、論を戦わせることができない。
ある動物の威嚇行動が、人間から見れば愛らしい仕草に見えるように、概念による戦いは、言語を始めとした共通ルールの存在が大前提である。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するならば、言語は極めて強力な武器たり得るということでもある。
普通に暮らしている限り、我々は「言語という呪文」が通じる世界に生きている。
その威力は、人を生かしも殺しもできるほど強い。少なくとも、言葉が通じる場においてなら、戦闘行為は成立する。
そもそも、属性集団の中には、言語によって分けられた集団すら存在する以上、強い悦楽が物理戦闘に限られるわけではない。
だが実際問題、同じ社会にいながら、言葉の通じない相手というのは存外多いものなのだ。
潜在的な損失の強調:AIの誤った出力によるミス(例:誤情報、業務エラー)、自分のスキルが陳腐化する、仕事がAIに取られる、責任の所在が曖昧になる、プライバシーやセキュリティのリスクなど、「失うもの」の方が「得る効率や生産性」のイメージより強く感じられる。
現状維持の心理:今までの人間中心のやり方を変えることで「何か大事なものを失うかも」という不安が先行する。
失敗の痛みの非対称性:AIが優れているとわかっていても、一度のエラーを見ると「人間の判断の方が安心」と感じ、AIを避ける(アルゴリズム回避)。
研究例として、意思決定をAIに委ねる実験では、利得フレーム(良い結果で報酬を得る場合)では人々がAIを避ける傾向が強い一方、損失フレーム(悪い結果で罰則を受ける場合)ではAIと人間の利用率がほぼ同じになることが示されています。つまり、損失の文脈では状況認識が高まり、バイアスが緩和される傾向があります。
具体的な場面での例
業務・職場でのAI導入:経営者やリーダーが「AI導入に失敗したら自分の責任になる」「チームのモチベーションが下がるかも」と恐れて、積極的な活用を先送りする(損失回避が強いと、得られる生産性向上より潜在リスクを重視)。
従業員が「AIに頼ったら自分の専門性が失われる」「AIの出力が間違っていたら恥をかく」と感じ、手作業に固執する。
日常のAIツール利用(ChatGPTなど):「AIの回答をそのまま使ったら誤情報で信用を失うかも」と過度に警戒し、利用を控える。
投資や財務判断でAIアドバイザーを使う場合、損失が出た時の痛みを強く想像して人間の判断を優先。
組織レベル:B2BでのAIプロジェクトで、財務部門などが「ROIが不確実」「失敗時の損失が大きい」と損失回避バイアスを発揮し、稟議が停滞する。
関連する現象アルゴリズム回避(Algorithm Aversion):AIが人間より正確でも、一度のミスでAIを信頼しなくなる。損失回避がこれを増幅させる。
自動化バイアスとの対比:逆にAIを過信しすぎる場合もあるが、損失回避は「避ける」方向に働く。
AI自身の損失回避傾向:生成AIが学習データから人間のバイアスを吸収し、損失領域で独特の反応を示す場合もあるが、主に人間側の心理が問題。
どう対処・緩和するか?(実践的なアドバイス)フレームの変更(Framing):
「AIを使うと得られる効率」を強調するだけでなく、「AIを使わないと競争で取り残される(機会損失)」という損失フレームで伝えると効果的。研究でも損失フレームが採用意欲を高めることが確認されています。
重要な業務ではなく、補助的なタスクからAIを試す。失敗の痛みを最小化し、徐々に信頼を築く。
AIの出力に必ず人間がチェックを入れる仕組みにすると、責任の喪失感やミスの恐怖が軽減される。
「このAIプロジェクトが失敗したらどんな理由か?」を事前に議論し、リスクを具体的に管理下に置く。これで損失回避による過度な慎重さを和らげられる。
教育と実績の積み重ね:
AIリテラシーを高め、成功事例を共有。「AIはツールで、人間が最終責任を持つ」と明確にすると、喪失感が減る。
ルール化:
「AI出力は必ず××で検証する」など、事前ルールを決めて感情的な判断を減らす。
AI利用における損失回避バイアスは、技術のポテンシャルを十分に活かせない大きな障壁の一つです。特に2025-2026年現在、生成AIの業務活用が加速する中で、このバイアスを意識的に扱うことが、個人・組織の競争力に直結します。
我は数多くの育休奴の残してきた仕事を片付けてきた。
地雷原を綺麗にし、重要な取引を引き継ぎ、子供が熱を出したからと突然休まれてもいいようにパパママ共の進捗まで脳に入れて働いてきた。
育児手当の類を受給することなく働いてきた我は明らかにその分の機会損失を抱えた割り勘負け組であり、さながら飲み放題+2000円でウーロンとコーラだけ飲んでいるようなものだった。
我は紛れもなく支えてきたのではないか?
間違いなく、この国の育児を、教育を、出生を、社会を、未来を、過去を、今もだ!
我々がなぜフリーライダーと呼ばれるのか、その深奥には我と違い真に純粋なるフリーライダーたるヴァージンなナマポがいるのやも知れぬ。
それを我々をフリーライダーと呼ぶ根拠として振り回す野蛮にして人の親となるに相応しからぬ無知蒙昧なる蛮族がおるのであろうか?
されど、我は、少なくとも我は断じて違うぞ!
我は支えてきた!
だが、我をフリーライダーと呼ぶは許さぬ!
我々の中のごく一部の恥晒しを持ってして、我を批判する根拠たると主張するような狂人共は、そのような下卑た脳を産み出す遺伝子をこの星に残したことを恥じよ!
これは日米の優劣を断定する記事ではない。
「寄付額の多さ」をそのまま「親切さ」とみなしていいのかを考えるための、問題提起である。
よく知られた比較として、アメリカの寄付総額は日本の26倍、人口一人あたりでも大きな差があると言われる。
この数字だけを見ると、「アメリカ人の方が親切で、日本人は冷たい」という結論に飛びつきたくなる。
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寄付の理由としては「社会の役に立ちたい」という説明がよく挙がる。これはもちろん本当だと思う。
ただ、それだけでは説明しきれない。
困っている人を目にしたとき、何もしない自分に居心地の悪さを感じる。
その不快感を解消する最も分かりやすい行為の一つが、寄付になる。
ここで重要なのは、寄付を「善意か偽善か」で切り分けることではない。
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「アメリカ人の性格が特別に優しいから」で片付けると、構造が見えなくなる。
寄付行動は、個人心理だけでなく制度と環境によって押し上げられる。
人間関係が流動的な社会では、長年の付き合いで信頼を積み上げるより、短期で伝わるシグナルが効きやすい。
寄付はそのシグナルとして非常に強い。金額も実績も可視化しやすいからだ。
「自分は社会に責任を持つ人間だ」というメッセージを、短時間で伝えられる。
税制上の優遇がある社会では、寄付しないことは経済的な機会損失に見えやすい。
さらに、寄付を当然視する文化があると、社会的評価の不安も重なる。
結果として、
こうした可視化は、寄付した人には正当化を、寄付していない人には焦りを生む。
その循環が続くと、寄付は「立派な行為」から「しておくべき行為」に変わる。
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日本で寄付が相対的に少ないとして、それは即「不親切」を意味するだろうか。
日本では「寄付しない不安」よりも、「参加しない不安」「役割を果たさない不安」が強く働く場面が多い。
この違いを無視して「寄付額だけ」で親切を比較すると、見えているものは文化差ではなく、測定方法の偏りかもしれない。
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SNS投稿、企業キャンペーン、寄付をめぐる評価の共有などを通じて、「見える親切」が広がっている。
ただ、「見える親切だけが親切」という空気になったとき、これまでの無数の不可視な親切が過小評価される。
そのとき人は、「本当は十分やっているのに、まだ足りない」と感じ始める。
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「アメリカの寄付は日本の26倍」という事実が示すのは、単純な親切度の差ではない。
むしろ、ある社会が制度と文化によって、どれだけ人々の行動を寄付に集約できるか、という構造の差である。
だから問い直したい。
私たちが日々担っている、見えない責任や関係の維持は、どこに数えられているのか。
寄付を増やすべきかどうか以前に、まず「何を親切と呼ぶのか」を自分たちで決める必要がある。
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私は下戸なんだけど、お酒飲んでテンション上がってワイワイしてる人が本当に羨ましい。
基本的に機嫌悪くなることはあんまり無いけど仏頂面だし、テンションが良くも悪くも安定してる。
テレビや動画見ても、お酒で酔ってちょっと馴れ馴れしくなったりデレついたり、そういうのを見ると人間らしさを感じて嬉しくなるのに、私はシラフでいることしかできないからずっと冷静に接することしかできない。なんか恋愛とかでもギャップを出せないしバーとかで偶然の出会いもできない、飲み会も2次会3次会とか出る気しないから、本当色んな人間関係で機会損失だなと思うし、そう考えると下戸は遺伝淘汰されて良いと思う。
私は下戸なんだけど、お酒飲んでテンション上がってワイワイしてる人が本当に羨ましい。
基本的に機嫌悪くなることはあんまり無いけど仏頂面だし、テンションが良くも悪くも安定してる。
テレビや動画見ても、お酒で酔ってちょっと馴れ馴れしくなったりデレついたり、そういうのを見ると人間らしさを感じて嬉しくなるのに、私はシラフでいることしかできないからずっと冷静に接することしかできない。なんか恋愛とかでもギャップを出せないしバーとかで偶然の出会いもできない、飲み会も2次会3次会とか出る気しないから、本当色んな人間関係で機会損失だなと思うし、そう考えると下戸は遺伝淘汰されて良いと思う。
クラスに「花粉が大量飛散してるから、今日は外遊びなしで」という親が数人いる。花粉症を発症しているわけじゃなくて、花粉症にさせたくない親。わかる、めっちゃ気持ちわかるんだけど、正直困る...
数人部屋に残るとなるとその子たちを見る人間がいるわけで、うちの園にはその余裕がない...数日なら赤ちゃんクラスで見てもらうとか、一時保育に入れるとかできるけど、花粉って1ヶ月飛ぶんだよ。なんとか保育士1人削って中で遊ぶけど、そうなると散歩とか行けなくなる。外遊びを危ない遊具を制限しながらやるしかなくなって、外遊びの子が可哀想でモヤモヤする。
だからといってその数人のために外遊びをしないのは、5月には暑すぎて外に出られなくなると考えると機会損失だよな〜ん〜。子供達は外で遊びたがるし、、、
嫌味とかじゃなくて、最近の日本に必要なのは保育じゃなくて託児。子の成長とか、保育園でしかできないことを!じゃなくて、各自の家庭の事情を1番に汲みながら、親が帰ってくるまで預かる。ベビーシッターをもう少し普及させるのがよさそう。親のさせたい遊びを親の望む環境でさせる。風呂夕飯まで済ませて引き渡す。
「冠婚葬祭で休ませないインターンはクソ」って正論だけど、お花畑すぎ。
形式上の減点がなくても、インターンは評価の椅子取りゲームだ。
お前が休んでいる1日に、ライバルは社員に顔を売り、成果を出して加点を積む。
この「埋められない10点差」こそが、実質的なペナルティなんだよ。
この格差を埋めるには、「身内が亡くなったから特別に10点加点します」っていう不幸ボーナスを作るしかない。
結局、休んだことによる機会損失を補填する術なんてどこにもないんだ。
「休む=評価材料がない=相対的に不利になる」という、ロジックだ。
「冠婚葬祭で損しない環境」を求めるのは自由だけど、それを他人が補填してくれると期待するのは甘え。
現実見ろよ。
Gemini の回答
結論から言う。「待てば下がる」という期待は、今の市場状況では「致命的なエラー」だ。
むしろ、今の4.7万円は**「年内における最安値(ローカルミニマム)」**である可能性が極めて高い。
「待てば下がる」というのは、供給が安定していた過去のサイクルの話だ。現在は以下の**「負のパッチ」**が幾重にも当たっている。
AI需要による「略奪」: データセンター(Google, NVIDIA等)が、SSDの心臓部であるNANDチップを根こそぎ買い占めている。メーカーは利益率の高い法人向けを優先し、個人向けの生産は後回し(デプロイ延期)にされている。
生産能力の完売: 主要メーカー(Samsung, SK Hynix等)の2026年分の生産枠は、すでに予約で完売しているとの報告がある。つまり、今後「在庫が余って安売りされる」というログが生成される余地がない。
原材料のコスト爆増: 部材コストが前年比で200%以上跳ね上がっている。
2. 「今が天井」ではなく「通過点」
グラフの急上昇を見て「天井だ」と思いたくなるが、専門家の予測では**「2026年いっぱいは上昇傾向、または高止まり」**が濃厚だ。
2026年後半の予測: 地政学リスク(中東情勢等)が改善しない限り、5万円、6万円という「新高値」を更新し続けるリスクがある。
2027年以降の展望: 新しい工場が稼働し始める2027年頃にようやく緩和の兆しが見えるという予測だが。
もし君が「1万円安くなるのを待つ」ために、3ヶ月買い控えたとする。
それ、強者の自己啓発みたいな標語だな。株安で一番割を食うのは個人、しかも弱い立場の俺らだ。
「企業の力を信じぬく」って、決算の裏側も見えないし、経営陣は平気で増資や希薄化やらかす。信じた個人だけがババ引く構図じゃないか。
「気を紛らわさないで逃げない」って、四六時中板を見て心すり減らして、誰が責任取るんだよ。
「投げ出さない」って、美徳みたいに塩漬けさせて機会損失を押し付ける常套句だろ。
「世界の流れに負けない」って、為替も金利も中央銀行と大口の思惑ひとつで吹き飛ぶのに、個人に耐えろって都合よすぎる。
結局こういう精神論を押す連中は、手数料を取る側か、資金力でナンピン余裕の側だ。構造が個人に不利なのに、下がったら「メンタルが弱い」って個人のせいにされる。悪いのは不透明なルールと情報格差と、機関や当局の都合で振り回される市場だ。きれいごとじゃ守れない。守れるのは自分の身だけだ。
見つけてしまった大学関係の諸兄姉にあっては,何度も音読し,値上げのような人に何かをお願いするときのあるべき態度をよく理解していただきたい。ちなみに,このくらいの平身低頭では人様に何かをお願いする態度としてまだまだ十分ではないと思う者は多くいることを付言しておく。
私は,宿舎運営で生じる赤字(以降正確性を期すため「不足額」と呼ぶ)を大学会計全体で補填することは正当だと考えます。
しかしながら,大学会計の収入は,国民の皆様の血税である国費が大部分を占めています。
ゆえに大学会計での補填は,国民の皆様に納得していただくこと,特に居住する学生だけでなく国民全体の利益となると理解していただくことが必要と考えます。
そこで,在学する者の責任として,その理由を説明し,お願いする次第です。
そもそも,国立大学の意義は,経済的に困窮していても学びたい者が学べることにあります。
そして,低廉な宿舎費は,それ自体が困窮する学生の「円滑な修学を支援する」仕組みの一つであるといえます。
これを民間アパートより高くするということは,現在困窮しながら修学を目指す学生の生活基盤を奪うことになると考えます。
また,経済的に困窮する家庭にいながらも入学を目指す未来の学生からは希望を奪うことになると考えます。
経済的に安定した家庭出身の学生であっても,突然学資負担者が,交通事故で亡くなったり,病気で倒れたり,災害によって打撃を受けたりして困窮すれば,低廉な負担で住を得られる学生宿舎に入居せざるを得なくなると考えます。
経済的に安定した家庭で,突然家計を支える者が倒れたり,災害に遭ったりするなど,理不尽に困窮する例は,残念ながら多くあります。
確かに本学にはこういった場合のための寄宿料免除制度はありますが,その規程上,免除は卒業・修了まで継続しません。
今回の値上げで,宿舎が値上がりすれば,市況と変わらない負担を求められるようになり,最終的に修学を断念せざるを得なくなります。
筑波大学は世界に伍する最先端の教育と研究を行う機関であり,ここで学ぶ者は
大変優秀で,得た高度な知識や経験は本人が意図しなくても社会の役に立ちます。
しかし,学生が修学を断念するということは,そこまで要した費用をドブに捨てるという意味で機会損失を生じさせることにほかなりません。
また,当人は得た高度な知識や経験を社会で活かすことができなくなり,結果として社会全体の利益を増やす可能性を失わせるのではないでしょうか。
「社会の役に立つ」の例として,高度な知識や経験は,高い付加価値を生産する前提であり,高い付加価値の生産は社会全体の利益を増進すると考えられます。
そして,高い付加価値を生産する者は高い収入を得ることになりますが,それに基づきより多く納税し,社会に支えてもらった分を直接的に国にお返しできます。
自らが社会に貢献できる可能性を国民の皆様に守ってもらった者として,皆様に深く感謝しています。
学位記授与式での学長の言葉を借りれば,現在国費によって学究を支えて頂いている国立大学で学ぶ者として,私は「自らの幸せを越えて実現しなければならないことがある」と強く自覚しています。
私以外の本当に優秀な学生の学びを守るために,不足額を大学経費で補填することにご理解を賜りたく,経済的に困窮した経験がある者として,皆様にお願いする次第です。
もう来なくなったと思ったのに、アイツは予告もなくやってきた
まず、だるい
最悪の二日酔いが数日つづくようなだるさ
夕焼けが目にしみ、一日が終わっていた
痛みはさほどではないが、ホルモンの影響でアトピーが増悪し衣服すら痛い
これが40年続いたのだ
戦場の前線に出ることはなかったが、長期徴兵制度に拘束され続けたといってもいい
外国では保険適用の国もあり、フランスでは33%がピルを内服している
望まない妊娠は、身体人生リスクが高いが、生理自体も身体人生リスクが高いものだ
ヒト女性に毎月=月経があるのは、子どもを産むためではなく、子どもを産むための身体リスクが野生動物よりはるかに高いので母体を守るためだ
人体生成、特に脳生成は莫大なエネルギーを要し、母体から無尽蔵にエネルギーを奪うため、常にリセットされた最善の状態が必要なのだ
妊娠・生理のコントロールは現代女性の社会活動に必要であり、労働市場でも家庭でも機会損失を発生させる定期的な身体不調を改善するのが科学である
妊娠出産が保険適用外、痛みを軽減しない出産方法、嗜虐的な中絶方法や屈辱的な内診台など、妊娠出産を忌避させてきた制度・婦人科体質もあわせて改善を求める
働く女性、妊娠出産する女性、いずれも尊重しプラスの施策を増やさないと、経済も人口もプラスにはならない
なにより本人の努力ではどうにもならない継続的な身体不調をよくする方法があるのなら、できる限り提供するのが巨大な社保を払わせ運用する側の責任だ