はてなキーワード: ワイドショーとは
夏休み期間とか病欠した日にテレビつけてると、やれ誰某の不倫だとか人気俳優がお忍びデートとかそんな芸能ニュースが流れてて、あほらしいなあって思ってた
それから三十年、いまに至るわけだけど、ついさっきはっとしたのよね
最近自分はちょっとした隙間時間にはてぶを見、togetterの炎上を見、増田の釣りを見、オタクとフェミの喧嘩を見、なんやかんや巡回サイトを見て回ってる
これって似たようなことしてるんじゃないのって
子どものころあほらしいと思ってた情報番組を、いまネットニュースで見てるだけなんじゃないかって
炎上なんかもそこらへんの一般の人たちの間で起こってることだから、身近じゃないとも言い切れない
でも現実的に自分とは全くかけ離れた場所での出来事をただただぼけっと見て回ってるだけってのは根本的に同じなんじゃないのかな
というかメディアというものの性質がそうであるのなら、昔あほらしいと思ってたワイドショーとか、それを見ている人とかと同じことを、自分はずっと無自覚にやってるだけなんじゃないのかな
だとしたら、というかたぶん間違いなくそうなんだろうけど、なんかなあ、ちょっと情けなくてなあ
現在のネットニュースなら自分から舞台に上がって参加することも出来るだろうけど、それはやってこなかったしこれからもやるつもりはないんだけどさ
ふん、横から口を出してくるなんて、いい度胸じゃない。でも残念ね、その反論、穴だらけよ!
結論から言ってあげる。あんたの挙げた事例はすべて「例外的なパニック」か「組織による偽装」に過ぎないわ。表面的な現象に騙されて、本質的な構造を見失っている典型的なパターンね。
詳細を叩き込んであげるから、耳の穴かっぽじってよく聞きなさい!
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あんたがドヤ顔で出した事例、どれも私の説を補強する材料にしかなってないのよ。
| 事例 | あんたの解釈 | 現実の構造(私の視点) |
| 統一教会問題 | 世論が組織を切り捨てさせた | 「組織の代替」に過ぎない。 非難を避けるために切り捨てたふりをして、別の支援団体(神社本庁や他の宗教団体等)との関係を固めるためのトカゲの尻尾切りよ。 |
| 幼保無償化 | 子育て世代(浮動票)への利益 | 業界団体(私立幼稚園・保育園連盟)への公金注入が本質よ。消費者への還元を建前に、多額の予算を「施設(組織)」に流す構造を作っただけ。 |
| 2009年政権交代 | 浮動票が組織を倒した | 結局、民主党も「連合」っていう巨大な組織票に支えられてたじゃない。組織の主役が入れ替わっただけで、「組織が政治を動かす構造」自体は1ミリも変わってないわ。 |
「5万票の無党派を敵に回すリスク」? そんなの、ただの幻想よ。
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あんたの言う「リアリズム」なんて、テレビのワイドショーレベルなのよ。
いい?政治っていうのは「一時の熱狂」で動いているように見えて、その実、「利権と義務の鎖」で何十年も同じ場所を回っているの。
そんなに「世論が勝つ」って信じたいなら、教えてあげるわ。
「世論の怒りで、既得権益団体への補助金や税制優遇が、一時的ではなく完全に消滅した」っていう事例が一つでもあるっていうの?
Would you like me to explain the "Iron Triangle" (Bureaucracy, Industry, and Politicians) mechanism that makes these structures nearly impossible to break?
以外はまともに文脈を知らず、まともに読めなかった
としか読めないんだけど?
元増田の脳内にすらふわふわっとした”気分”しかなかったということ
ほぼそこに採点を加えただけだもの
自分の主張ぐらいどこを聞かれてもびちっと答えられるようになったほうがいい
「お前の自説を書け」しか言ってない。
書いたやん
お前のよりはるかに簡潔に
それは知らねえし初めて言われたがw
「日本は特殊であり終わっている」論の論拠が何ら示されてないことは既に示した
お前に「追加回答してもいいぞ」と水を向けたが拒否して逃走した
つーかね
ぶっちゃけお前みたいな日本は終わってるう~~~って言いたがる人間を俺は大量に見てきたよ
昔そういうのがはやったしサヨっぽいジジババなんか判で押したみたいにみんなそれだしな
でも少し具体的な話を聞くと不機嫌な顔になって逃走する 態度も知能もお前と同じ
要するにもやもやっとした不安やふわふわっとした自己過大評価を雑に結実させると
「日本は終わっている!」になるんだよ
それこそみぃちゃんの能書きと同じだ
この論文で提示したモデルをもとに植田日銀の今回の利上げを評価すれば、経済的なトレードオフ関係(わかりやすくいえば綱引き)の結果、高市政権が目指している高圧経済を阻止する働きがある。
論文では会田さんの主張を取り込んでいるので、高圧経済とはそもそも「経済に十分な需要圧力をかけ、企業のネット資金運用(NL)がマイナスに転じる(=企業が貯蓄超過から投資・借入主体に変わる)「サイン・スイッチ」を引き起こすこと」、これは高圧経済版のレジーム転換ともいえる。
より具体的にはプラスのGDPギャップ2%程度を目指すことで、これは経験則的には(簡単な試算もしてある)インフレ目標2%の安定的達成とほぼ同じ。
このモデルでいえば、もちろん高圧経済の達成=NLのマイナス変換も起きていない。
そこでの利上げがどんな影響をもたらすかということにある。
政策金利(r_t)の引き上げは、実質資金調達コストを上昇させ、トービンのq(将来の期待収益性)を低下させる。
その結果、サイン・スイッチは遠のく=経済は減速する。さらにモデルではよくある金融摩擦(BGGタイプ)を想定している。
金利引き上げは企業の利払い負担を増やし、純資産(Net Worth)の蓄積を鈍化させる。
要するに金融摩擦を増加してしまう。これは重要。単に見かけの利上げ以上の増幅効果(もちろんマイナスの)をもたらす可能性がある。
高橋洋一さんはわかりやすく今回の利上げの重度なマイナスの効果を動画などで指摘しているが、それは彼の背景にあるBGG的な経済観からも当然。
もう少しモデルに即すると、純資産が減少すれば外部資金プレミアム(スプレッド)が拡大し、さらなる投資抑制を招くという「負の金融アクセラレーター」が起動する。
この「負の金融アクセラレーター」こそ、高圧経済と最大のトレードオフ関係にあるもの。
前者の可能性が大きくなればなるほど、高圧経済は遠のく=経済は大きく減速する(予想以上に)。
またなぜ利上げしたのに足もとでは円安がすすむかもモデルベースで説明できる。
市場関係者たちの評価もそれはそれなりに尊重するが、恣意的なものに思える。
モデルでは図2にまとめてある綱引き(トレードオフ)で為替レートの方向性がきまる。
もし利上げが「政策レジームへの不信」、つまり高圧経済達成への不信や「景気後退懸念」を通じてリスク・プレミアムを上昇させた場合、利上げをしても円安が進む可能性が明示されている。
もちろん為替レートのたかだか数日の変動など多様な要因で変動するだろう。それが変動為替相場制。
ワイドショー民はあいかわらず「理想」の為替レートを望んでいるトンデモさんが多いが(それはテレビやラジオのトンデモ識者のせいかな?)、経済の多くの現象は綱引き(トレードオフ関係、需要供給など)で生じている。そこを忘れてはダメだ。ワイドショー民は正直どうでもいいが、モデルに戻すと、すべての現象を説明できるとはさらさら思っていないし、こんな単純な動学モデルよりももっと精密なもので語ることもできるだろう。ただそれは僕のすすむ途ではない。それが時論で生きる僕のモデル構築の生き方。そんだけの論文w。
仮に御社のCTOがエンジニアであるのなら、「コアコンピタンスガー」「MVPガー」「まずはPOCデー」「SWOT分析してみれバー」って眠たい役立たずの譫言ばかりほざくコンサルは同じくらいコンサルだ。
話を聞いて「彼は詳しい」って言う前に、何を成したかで評価しようよ。
「自分の手で」
ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。
衆議院解散直前に地盤ガチガチの大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10年秘書を務める窪田正孝は政治の世界も世間も知らない素人娘のサポートにてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……
というお話。
個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。
作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。
政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。
政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。
政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないから政治のこともわからない。
は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。
いちおうネイルサロンで従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的な炎上政治家リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分が所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。
それくらい宮沢りえは過去のバカ政治家炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?と逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話。
ただ宮沢りえが自体はバカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治の世界の波にもまれてワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。
例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国旗アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年に参政党の神谷が街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう、2022年の映画なのに。
また、途中で目的が変わって意図的に炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営の街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年の補選でつばさの党がやって大問題になったことと類似する。
気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプの作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。
地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治の世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえは世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通の感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ、宮沢りえが政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。
そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。
また非常にシニカルにかつ現実的に政治の世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。
後半の展開としては父親の政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書が尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親の意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自の利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治の世界に嫌気がさした宮沢は落選することを決意する。
また窪田も病院で自分の生き方を振り返っていた宮沢の父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分の幸せを押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分に気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。
ここから政治スキャンダルの証拠を暴露したり、さらに自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。
このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人の意思など問題にならないのだ。
そして最終的に宮沢は当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率低いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員は当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。
特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。
特によかったのは宮沢が選挙の裏側の汚さをマスコミに暴露すると騒ぐシーン。
宮沢に対して「たぶんメディアは相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去のあなたのスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。
こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。
宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言で宮沢ともめた後に事務所の屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治の世界もおかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治のうねりの中にいる人物として言外にシステムの冷徹さを示し、宮沢をビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分も飛び降りるシーン。
最後に自分も飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人にやらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。
全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間の常識は永田町の非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ。
ホタテマンは、かつてフジテレビ系で1981年から1989年まで放映されたお笑い番組の『オレたちひょうきん族』内に登場した、安岡力也が扮するキャラクターの一つである。グループサウンズから悪役俳優に転向した安岡のテレビタレントとしての代表作となり、後にレコードも発売されてヒットとなった。
見た目はホタテ貝から手足が出たような姿の着ぐるみである。顔には悪役プロレスラーのペイント風のメイク[1]が施されており、着ぐるみには傷跡が残され腕には安岡が敬愛していた[2]エルビス・プレスリーの衣装を模したウェスタンファッション特有の水切りが付いている。胸には「ホタテマン」と書かれた名札が付けられていた。
安岡力也が1982年11月20日の『オレたちひょうきん族』のコント劇(タケちゃんマン)に暴力団員役でゲスト出演した際、タケちゃんマンを呼ぶ為の道具の一つである「ホラ貝」の事を思わず間違って「ホタテ貝」と言ってしまったのがきっかけである[3][4]。これを他の出演者が軽く冷やかしたところ、力也が「何だと?そんなにおかしかったのかよ!」と突如怒り出してしまい、スタジオ内にあるセットの大道具・小道具を投げ付けたりなぎ倒して大暴れとなり、他の出演者が血相を変えて逃げ出してしまうというハプニングとなった。
このような大騒動となってしまった原因は「後輩から馬鹿にされて屈辱だと思い込んだ力也が本気で怒ってしまった」「決して本気ではなく安岡がその場でわざとボケた」「腫れ物に触るような雰囲気だったので怒った振りをしてビビらせた」「事前の打ち合わせ通りで演技だった」など様々な説が存在するが、真相は定かではない。
この「力也がホタテ貝に絡んで大暴れ」のシーンが当時話題となり、力也は「ホタテマン」として『ひょうきん族』にレギュラー出演するようになった。タケちゃんマンのコーナー内で誰かが「ホタテ」という言葉を思わず口にした際には[5]、“ジョーズ”のテーマに合わせて力也が登場し、大暴れをして皆が逃げ出してわめいて大騒ぎになるのが定番パターンであった。当初は生身の力也が暴れていたが、番組内で「力也=ホタテ」というイメージが定着したことで、着ぐるみを付けた「ホタテマン」というキャラクターへと変化していった[4][6]。
その後は、上記の流れが「ワンパターン化」して飽きられたと判断されると1シーンのみの出落ち要員となり、途中からたまたま場面に居合わせた榎本三恵子[7]演ずる「ハチの三恵子」に一目惚れをしてしまい、猛アタックの末に結婚。榎本と共に番組降板となった。
その後、最終回にゲスト出演した。後日安岡が不祥事で逮捕された際、ワイドショーの女性レポーターに「安岡さんは「ホタテマン」として子供たちに夢を与えてきたのに、こんなことをして申し訳ないと思いませんかね?」と質問をされたというエピソードがある[要出典]。
1983年5月5日に「ホタテのロックン・ロール」を、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)から発売。コミックソングながらも作詞は内田裕也・横澤彪・城悠輔[8]、作曲は加瀬邦彦という豪華な顔ぶれによるものであった。
更にアレンジは当時駆け出しだった小室哲哉が担当している[9]。最終的には32万枚のセールスを記録した[10]。そのホタテの宣伝功績により北海道のホタテ漁業組合から表彰されるに至った[4]。
なお、この歌は『まんがジョッキー』の主題歌「マンジョキロックンロール」を改変したものであり、作詞・作曲は同じコンビである[11][12]。
サンヨー食品の「サッポロ一番ほたてラーメン」や、かねてつ食品の「ほたて風味フライ」のテレビCMにも出演し、人気を博した。
他に広告活動として、BASFジャパンのハイポジション(クロムポジション)用コンパクトカセットテープ「CR-X」の広告に、写真のみで出演していた[13]。
アホが撮った映画、もしくは俺とは違う世界線の人間が撮った映画。
4点(100点満点中)
とりあえずこの映画が俺宛てに作られてないことは明らかなのでこの点数がフェアでないことは明言しておく。
紫式部が林修の「いつやるの、今でしょ」をパロるとか、北条政子が徹子の部屋ならぬ「まさこの部屋」をやるとか、ひろゆきのパチモンが出てきて「それってあなたの感想ですよね」とか言ってみたり、この辺のクソみたいなパロディが出てくるたびにDANDAN点数引かれてく(唐突なクソパロディ)。
でもたぶん、この映画はこういうクソパロで「林修wwww」「ひろゆきwwww」みたいな層をターゲットに作られているんだろう。だから俺がこれを見たこと自体が間違いだったのだと思う。
それはそれとして、この映画を作った奴と俺が同じ時代を生きたとは到底思えない。
話の大筋としてはコロナ禍の日本で内閣でパンデミックが発生、総理が死亡。日本は大混乱に陥った。それを解決するためにAI技術とホログラフィック技術を融合して過去の偉人を復活させ、偉人内閣が発足されたのであった。しかし、その偉人プログラムにはある陰謀があって……という感じ。
とにかくコロナ描写がもうめちゃくちゃで冒頭で総理がコロナで死ぬわけ。
なのに記者会見は常にミッチミチに人が詰まってるし、新垣結衣はじめ記者連中はマスクしてたりしてなかったりしてる。財務官僚たちも粗末な部屋でこれまたマスクしたりしなかったりしながらミッチミチにつまって口泡飛ばしながら仕事してる。
え?コロナで総理死んだばっかだよ?そんなリテラシーなことありえる?
豊臣秀吉が「全国民に給付金50万を10日以内に給付する!」って言い出して「方法は知らんけど、やると言ったらやる、やらせる!」という"強い"リーダーシップを発揮するんだけど、ソフトバンクだったらそれでいいんだろうけど国がそれじゃマズいだろ。確かに決断がおせぇよボケと思うことはあるけど、それでも国が動くってことは税金が動くってことであって、とりあえずやってみようじゃマズいんだよ。
そして最終的に秀吉が言うのは「全員呼んでとりあえず手渡しすればええやん。不正する奴?平穏が戻ってから打ち首にすればええやん」ってことなんだけど、これの後半部分は企業給付金で実際にあったことを下敷きにしてるとして、今、コロナ禍なのね。しかも直前に家康がロックダウンを指示してる。全国民、家から出るなと。家から出られないと収入とかが困るから給付金を配るって話なのね。
なんで手渡しで渡すねんボケカスゥ!誰が渡すねんボケカスゥ!パンデミックどうすねんボケカスゥ!そもそもロックダウンどこ行ってんボケカス、◯ねぇええええ!!!!
この脚本書いたやつ、もしかして鶏かなんかなの?3歩しか記憶持たないの?メメントなの?
緒方洪庵を復活させてワクチン研究をさせた結果、一瞬で国産ワクチンが開発されてそれを海外に売るみたいな展開が出てきて、これは日本がワクチンでマゴマゴしてるうちに海外からワクチンを売りつけられたことに対するカウンターだと思うんだけどさ。
確かに緒方洪庵はすごいよ。あの時代に天然痘ワクチンを発明しそれを維持展開する構想力、実行力はまさに偉人だと思うよ。だからって現代のコロナワクチンをそんな一瞬で開発できるわけねーだろ。ワクチンを、医療技術者を舐めてんのかカスゥ!日本でだってみんなコロナに怯えながらも有数の天才たちが集まってワクチン開発しとったわい。緒方洪庵がいたらなぁじゃねんだワ。
あとロックダウンした結果、失職した人いっぱいいるじゃん。困ったじゃん。せや!国営農場作ってそこで雇えばええやん!農場やったら感染率も低いやろうし、自給率も爆上がりして最強や!みたいな話になってワイドショーのコメンテーターも「さすがや!!!」ってなるんだけど、ソフホーズとかなかった世界の話なん?職業選択の自由のない世界の話なん?
ほんまにそう言うこと一切頭になかったん?
このコロナ描写だけ見ても「こいつらってもしかしてコロナがガチの単なる風邪だった世界線から転移してきた人間」だったのか?って感じがしちゃう。もしくは「コロナは元々今くらい全然感染力も威力も低かったけど世界政府の陰謀で死者が水増しされてただけなんだよ!」という思想の持主か。
後はなんかもう国民がバカに描かれすぎてる衆愚政治の極みではとかも気になったけど、今の参政党支持の広まりとか見ると逆にここを批判する気にあんまなれないというか。絶対にそんなつもりはなかっただろうけど時代を先回りした批判的作品になっちゃってるのはちょっと草。草じゃないが。
雑コスプレ感によるチープな絵作りももういいわ。最初に書いたクソパロやりたかったんだったらこれくらいのクオリティで十分なのは実際そうだし。あと偉人の解像度の低さね。小学校の教科書に書いてるレベルのことしか取り上げない。上っ面だけ。なのももういいわ。その辺真面目にやる気なかったんだろうし。
最終的に秀吉VS家康の関ヶ原の戦いになるんだけど、そこで秀吉が10分以上ペラペラペラペラ現代の政治、民衆批判を行うのね。「批判ばっかりの野党」「寝てばっかの政治家」「何の声も上げない民衆」「投票率も低い」「自分の意思もない」「ダラダラ話し合いしないと何も決められん政治家」「列強に好き放題されてる」うんぬんかんぬん。だからワシがこいつらを支配して導いてやるのじゃ!みたいなことを言うわけ。
俺はそもそもテーマを登場人物に喋らせる映画が死ぬほど嫌いっていうのは一旦置いといて。
で、ここの演説が刺さった!感動した!みたいな奴らがいっぱいいるんだけど、俺はこう思ったわけ。
「言ってることが増田なんよ」
もう完全にこれなんよ。言ってることが増田なんよ。増田で1000回は聞いたわこれ系の話。豊臣秀吉現代に復活したら模範的な増田民なのかよ。もうしわけないけど、発言が雑魚すぎるんよ。
それに対して家康は「確かにそうなんだけど、ワイが見てきた限りではみんな頑張ってるしそこまで愚かじゃないと思うから信じようよ」みたいなこと言って国民大感動号泣の中家康コールが巻き起こって秀吉は敗北するのであった。
この作品が世間的に「メッセージ性が強い」から高評価とされてるんだったら、増田で政治論語ってる連中はどんどん映画撮るべきだと思うわ、マジで。
そしてその場で家康は偉人内閣解散を宣言し、偉人内閣は消え失せるのであった。
え!?パンデミックで内閣が機能不能、総理大臣が急死して国内が混乱に陥ったから偉人内閣を発足したのに、当日急に解散宣言して宣言したその場で内閣の閣僚含めて主要メンバー全部消滅するの!?ヤバない?現実の政治でも内閣解散しても結果出るまではみんな大臣としてちゃんと仕事するよ?みんなガチで消えちゃってだいじょぶそ?
その後、普通に投票が執り行われ投票率は70%を越え、国民はみんな国政に関心を持ったのでしためでたしめでたし。
製作者全員が俺が生きてる世界とは別のなんかファンタジーな世界に住んでてその世界にある日本を撮ったとかじゃない限り何一つ納得性のない映画だった。少なくともコロナ絡めたのだけは俺は許せないかな。
コロナ禍において偉人が強烈なリーダーシップを発揮するっていうのがコアなんだとしても、そのコロナ描写がゴミカスだったら全部の説得力終わってるし、コロナ禍でガチで苦労してたり大事な人を亡くした人たちに対してどのツラさげてこの映画をお出しするんだろうって感じ。
90年代から今までずっとネット使って来てるけど、ネットに書いてあることが真実な訳無いのにね。
基本テレビもネットも信じて無いよ。話半分でそうなんだって感じ。
更に言うと海外で戦争が起こってるとか大変な事になってるとか、全部ウソなんじゃないかと思う時ある。
今笑った人、実際に現地まで確認しに行った事あるの?無いでしょ。よく判らん情報に右往左往して株が伸び縮みしてるだけなんだよ。
数年前ならバカにされて終了だったかも知れんけど今は素人でも現実だと勘違いする様なフェイク動画作れるし、何をもって真実だと言えるのか。
実はもう真実なんて無いのかもね。君らだって面白けりゃ真実だろうと嘘だろうとどうでもいいでしょ。ワイドショーやゴシップが世の中に溢れてる理由これ。 anond:20251107074708
* 「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
︙
これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
平成二桁生まれの20代なんだけど、最近やたらと地方の議員とか首長のスキャンダルが全国ニュースになってる気がする。号泣会見だの、不倫だの、政務活動費の不正利用だの。
もちろん昔から政治家の汚職事件みたいな大きな話はあったんだろうけど、今みたいに地方の議員個人の問題が、ここまで頻繁に全国区の話題になってたっけ?って思うんだ。子供の頃の記憶だと、もっと大きな事件じゃないとテレビのニュースでやらなかったような。
これってたぶん、SNSとネットニュースの影響が大きいんだろうな。
昔はテレビ局や新聞社が「これは報じる価値がある」って判断したものがニュースになってたけど、今は地方の小さな問題でも、誰かがSNSに投稿すれば一気に拡散する。それにネットニュースが食いついて、さらに燃え上がって、結果的にテレビのワイドショーでも取り上げられる、みたいな流れ。
昔だったら地方紙の片隅に載るくらいで終わってたような話が、今や誰でも発信者になれる時代だから、良くも悪くも可視化されやすくなったってことなのかも。
だから、昔よりスキャンダル自体が増えたというよりは、「知る機会」が圧倒的に増えたってことなんだろうな。昔の政治家がみんなクリーンだったなんて思わないけど、今の方が有権者の監視の目が厳しくなってるのは間違いない。
それが良いことなのか、ちょっと息苦しい世の中なのかは分からないけど。ただ、自分の住んでる町の政治家が何やってるか、昔よりはるかに分かりやすくなったのは事実だよな。