はてなキーワード: ときとは
あなたの言葉には、現代社会の自己表現と承認欲求の構造に対する批評が込められています。
確かに、SNSや動画プラットフォームは社会の縮図であり、時に肥溜めとも言える混沌の場でもあります。
そこでは、善も悪も、知も愚も、すべてが混ざり合い、増幅される。
人はそこに「自分が見られている」という錯覚を通して存在を確認しようとする。
しかし、ユダヤ的な視点から見ると、すべての混沌(創世記1:2)には潜在的な意味があります。神は世界を混沌から創造しました。
ラビたちは言います「どんな場所にも聖性の火花が潜んでいる」と。
つまり、SNSのような場所も、本質的には堕落の場でありながら、もしそれを観察し、学び、正すために使うならば、聖なる修行の場にもなり得るのです。
つまり、周囲が混沌や愚かさに満ちていても、自分が正しい人間として立つ責任がある、ということです。
ですから、あなたの批評的な眼差しそのものがすでに「クソのダイナミクス」を超えようとする第一歩だと思います。
ただ見るだけでなく、「どうすればこの世界にもう少しの秩序や光をもたらせるか」を考える。
それが、現代のTalmud的観察とも言えるでしょう。
俺のお母さん化粧しないし体形気にしないけど10円ハゲ出来たときはめっちゃ気にしてたわ
俺も最近生え際薄くなってきて分かったんだけど、シャンプーするときにごっそり抜けるのがなんか病気みたいで怖かったり
鏡に映った生え際を見ると何故か情けない気持ちになったりするんだよね
辛いことがあるたびに思う。
せっかく可愛く生まれてきたのに、って。
自分がアイドルや女優ほど可愛いわけじゃないのは、ちゃんとわかってる。
表舞台で輝きたいわけでもない。
それでも、どうしようもなく苦しいときにふと思う。
「こんなに可愛いのになんで泣いてるんだろう」
「なんでこんなに辛いんだろう」って。
見た目に価値を置いてるわけじゃないのに、そこに縋るようにして自分を慰めてる感じ。
「私はこれしかないのかもしれない」と思うのと同時に、「それでも報われないのか」と思ってしまう。
たぶん私は、どこかで“可愛い”という言葉に、人生が少し優しくなる魔法みたいなものを信じてた。
でもそんなものは、誰も保証してくれないし、実際には何も変えてくれない。
時代の流れで容姿は生まれ持った才能なのに、それとして褒められることは減った。
それでも、また辛いことがあると同じことを思う。
せっかく可愛く生まれてきたのに。って。
生理終わったあとの2~3日が本当にムラムラするんだけど2日目くらいが本当にヤバい
本気でレイプされてめちゃくちゃにされたいって思うくらい性欲が爆発しそうになる
わりとAVを見るんだけどたまに髪の毛とか両腕を掴んでバックからいかにもAVって感じのパンパンするやつあるじゃん?
あの激しいパンパンは普段されると別になんとも思わないし、なんだったら痛いときあるしくらいなんだけど
見てる分にはおおー!ってなるんだよね
車で廃墟みたいな所に連れて行かれて複数の筋肉ムキムキの人たちに
両腕拘束されて髪の毛掴まれながらバックから勢いよくパンパンされたいし
無理やり舌を入れられてディープキスされたいしおちんちんの匂い嗅がされたいし
罵倒されながら中とか口とかに出されたいし、もう本当に物として扱われたいってくらいムラムラする
でもそんな勇気はないから仕事帰りにちょっとBarに寄ってカクテル1杯だけ飲んでみたり
ちょっとだけ遅い電車で帰ってみたりするけど、まあなんにもなく無事に家にたどり着くよね
でもムラムラが強すぎるからAV動画見て自分で自分を拘束してみたりして
隣に聞こえないように小声で「やめてください」とか言いながら自分で自分をレイプするよね
でも今彼氏が欲しいかって言われるとピンとこないし彼氏にされるのとはちょっと違う
じゃあ本当に知らないおじさんにそんなことされたいのかって言われると絶対に嫌だけど
でもこのムラムラだけはそういうことをされないと本気で解消されないのではってくらいのムラムラなのよ
普段オナニーはあんまりしないけど性欲爆発の日だけは朝まで数え切れないほどして寝不足になる
最近はこの日のためにいろいろ拘束する道具とか、おもちゃを買い漁って用意するのが楽しみになったし
なんだったらこの日だけは相手の性別なんてどうでもいいし女でもいいからって思ってしまう
でもやっぱり自分で自分をどれだけレイプしても奥底にある性欲までは発散されてない
明日あたりが性欲爆発の日なんだけどいよいよ本当におもちゃ使ったうえにがっちりと拘束して
今の季節だと熱中症の心配もないから明後日は会社を休んで明日の夜は
絶対に外せない拘束着を使ってみようかな
なんか行くところまで行きそうな気がして自分でも怖い
こんな願望の同性いない?わたしだけ?
ワイずっと言ってるんだけどさ
教員と生徒は論外、塾講師と高校生もアウト、神父と信者もアウト
同意や合意の問題は内心の話であって、本人の気持ちだけじゃなく関係性とか状況で客観的に基準作れるでしょ
逆に、同意さえあればOKみたいな考え方だと、社会的立場の差や影響力を無視して「合法だからセーフ」になっちゃう
こっちのほうがずっと合理的なのに、なんで同意同意にこだわるのか謎すぎる
お気持ち重視で法律作るのは嫌だって言ってたくせに、またお気持ちで同意至上主義やろうとしてる感じ
マジで頭の中どうなってんの
学生時代からスポーツや、それを楽しんでいる人々に対してうっすらネガティブな感情がある。
自分は幼少期小児喘息を患っていて、幼稚園〜小学校の頃が一番ひどかった。
それを心配した親は自分に一切運動をさせなかった。幼稚園の朝のかけっこを免除してもらうくらい。
いま考えるとこれはちょっと過保護すぎで、たぶん喘息でも適度に運動して免疫力をつける方向に持っていったほうがいいんだろうと思うが、当時はそんなこともつゆ知らず、大人しく部屋で本を読むしかなかった。
ただ中学入って少ししたあたりで喘息はほぼ完治して、そういう縛りはなくなったのだが、その頃にはもうスポーツ全体に対する苦手意識がしっかり植え付けられていた。
当然体育の成績も振るわず、団体競技は苦痛でしかなかった。体力もないので個人の長距離走などもできず、あるときのロードレース大会では学年全体で300人いるなかでビリをとったことまであった。
幸い読書習慣が身についていたおかげか、学業成績の方はまぁまぁよくて、そこそこの進学校を経由して国立大学の工学部を卒業し、某大手メーカーで設計のエンジニアをやっている。
そんなわけで高校以降は似たような境遇の連中とつるみ、ご多分にもれずオタク趣味を身につけた。
勉強優先の進学校だったおかげで、友人にも運動が苦手なやつが多かったし、学校としても体育の授業は気晴らしくらいの扱いだったから、やっとスポーツから開放された!と喜んでいた。
当然部活も文化部。その調子で大学まで行き、オタクサークルでゆるっと遊んで卒業した。
体格も所謂ヒョロガリの類のまま、健康診断では低体重で怒られる始末。ちなみに親がそこそこいい体格なので、大人になるとみんなあれくらいになるんだろうなと無邪気に思い込んでいたら、全くそうはならなかった…。
ところが。社会人になってスポーツに対するネガティブ意識が再燃した。
理系ばかりの職場で、気質が近い人は多いし、そういう意味では過ごしやすい。ただ、オタクだけどウィンタースポーツバリバリやってましたとか、筋トレガチ勢です、とか、なんかこう文武両道な人の割合が高くて、勝手に裏切られた気持ちになっている。
もちろんお前がそういう人種と知り合わなかっただけだろと言われればそうなので、本当に身勝手な気持ちなのだが、一人だけ置いていかれた寂しさは、ある。
仕事はデスクワークメインだけど、それなりに残業もあって、体力に不安を感じるときもしばしばある。
今は年齢が若いからなんとかなってるけど、いい加減ちゃんと運動の習慣をつけないとヤバいんだろうな、と危機感だけはあるけど、本当にどうすればいいかわからないのだ。
この前も職場の友人からスノボやらない?初心者多いよ?と誘われたのだけど、なんだかネガティブな気持ちが先に立って断ってしまった。
正直に言うと、学生時代体育の授業で散々恥をかいた経験や、ひたすら体力的に辛かった経験が頭をよぎって、この年になって職場の人間関係で恥をさらしたくないとか、いくら初心者ばかりでも自分だけあまりにも失敗してたら目立つよなとか、そういう保身的な感情が拭いきれない。
何より、高校以降得意なこと・好きなことだけやってきたような人生で、それはとても恵まれているけど、辛いことに本気で立ち向かったような経験が薄い自分が今後挫折せずに生きていけるのか不安。
そういう経験がスポーツだけで得られるとは思わないけど、スポーツ経験のある人からはそういう芯の強さを感じることが多くて、そこも引け目に感じる。
親からも少しは運動しなさいよとか言われるんだけど(今更かよとは思わんでもない)、本当に運動習慣がなさすぎてどこから始めたらいいのか全然わからない。
あと、自分は少食で体格がヘボいので、周りからもっと食べろよーとか軽く言われることが多いのだけどこれも率直に言って苦痛。
もちろん心配して言ってくれてるのはわかるんだけど、普通に生活できるくらい食べてるし、そもそも胃の容量が決まってるんだから食べられる量増やせないだろとか、もやもやしっぱなし。
太り気味の人に痩せろというのはタブーなのに、なんで逆はOKな風潮なのか全然わからない。
こんなこと言ってる間にランニングしてこいとか、部屋でスクワッドからやれよとか言われるのは重々承知だし、お前の甘えだろと言われれば返す言葉もない。
正直この気持ちをどう発散していいか分からないから、ここに書く。
そんな高くはないけど安くもない。普段あんなとこ行かないし、だから楽しみにしてたんだ。
元気がないというか目が泳いでて、会話も上の空。
まぁ疲れてるのかなって思ってたけど、店に入って料理が出てきたらもう露骨でさ。
は?って思った。いや、もちろんそれは仕方ないのは分かってる。
分かってるけど…でもさ、だったら言ってくれよって思わない?
無理して来たのか知らないけど、こっちは数週間前から予約してたんだよ。
なのに何そのテンションの低さで「仕方ない」で済ませる感じ。
彼女は「ごめんね」って言ってたけど、その“ごめんね”がまた腹立つんだよな。
口では謝ってるけど、顔が全然悪いと思ってない感じ。
あれほんとムカつく。悪気がないとかじゃなくて「体調悪いからしょうがない」って免罪符を振りかざしてるように見えるやつ。
じゃあ俺の楽しみにしてた気持ちはどこに行くのって話だろ。
でももう味が分かんねぇの。目の前で無理して食ってるの見たら、何食ってんのかも分かんなくなる。
せっかくの料理なのに全部灰色っていうか、味覚ごと奪われた感じ。
彼女は「せっかくなのにごめん」ってまた言ってたけど、いやもう謝るなら最初から言ってくれよって思う。
あの日思ったのは、同じものを食ってるのに全然違う世界にいるみたいだなってこと。
俺には美味しい赤いソースが、彼女には血の色にしか見えなかったんだろうなって。
そう思ったら、なんかもうやるせなくなった。
心の中ではずっと文句を言ってた。
なんで今日なんだよ。なんで言わなかったんだよ。なんで俺が気を使わなきゃなんねぇんだよ。ってそういう言葉がずっとぐるぐるしてた。
帰り道でもそれが抜けなくて、彼女は「また行こうね」なんて言ってたけど、もうその“また”って言葉を聞いた瞬間、頭の中で笑ってた。
もう行かねぇよって。
逆にじわじわ腹が立ってきた。
女の人の体のことは理解しろって言うけど、じゃあ男の我慢は理解されねぇのかって思う。
こっちかがいつも我慢して、それで「優しいね」って言われて終わり。
そんなの不平等だろ。俺が損する構図なんだよ、いつも。
別に別れたいとかじゃないけど、もうなんか信用できない。
俺の期待とか好意とか、そういうのがあっさり踏まれた感じで、まだ腹の奥に残ってる。
たぶんこのまま消えねぇと思う。
で、今こうして書いてても、やっぱりムカつく。
5歳くらいでもうゲームって渡す?
今ってSwitchだからな、あれモニターが剥き出しだから雑に扱われると壊しそうで怖いんだよな。
そういう意味ではDSって、子供が扱うゲーム機としては凄い理に適ってたんだよな。持ち運ぶときは畳めるから画面がむき出しにならないし。
壊れても手軽に直せるゲームボーイかゲームボーイアドバンス辺りで誤魔化しておくかな。IPS液晶に改造すれば見やすいし、画面のパネルも互換品なら1000円もしないからな。
アメリカのバカ殿をノーベル賞に推薦するのなんのって記事がホッテントリに上がってた時のブコメの光景が、
森羅万象大臣が北方領土をロシアに献上したときの様子と同じで懐かしかった。
つまり、時計の針を巻き戻せば、昔の良かった時代も戻ってくる、
高度経済成長期なんて高速道路建設だのオリンピックだののために交通量が増えて、毎日のように子供の轢死事件が起きて、交通戦争とかテレビでやってたわけじゃん…
流石の自分もその世代じゃないけど、水木しげる先生とかは自伝で当時のことを書いてるよね
あの時代は調布ぐらいは畑とくさっぱらしかなくて、新宿も今みたいに栄えてないから、水木先生は新宿に住んでたはず
そういえば、俺も幼児の頃は祖父母が四ツ谷駅のすぐ前に住んでて、そのころの記憶がおぼろげながらあるんだけど、今から考えると凄いよね、超一等地だよ
話を戻すと、俺はクレヨンしんちゃんのあのイエスタデイワンスモアに同調していく両親とか大人たちとか、
あと、あのイエスタデイワンスモアに同調する若者がいてもおかしくないとも思ってるし、
ああいったノスタルジーに、ある意味逃げるというか、そういう人たちを愚かとまでは思わないんだよね
だって、気持ちはよくわかるわけだよ…、俺も現実を完全に放棄して過去の思い出だけに浸って生きられたらと思うよ…😟
でも、よくよく考えてみると、そんなうまい話はないというか、なんかこういう話はしっぺ返しがあるんじゃないか?って思うわけだよ
そんな後ろ向きの社会がどうなるか?
ワクチンとか医療を否定して、無農薬で野菜を育てても、結球した柔らかいレタスやキャベツを作れないわけで、
俺はあれをやらないで、外側もできるだけ茹でて食べる派なんだけど、無農薬だとあの外側の葉っぱ100%になると思うんだよね
結球しないってことはむき出しなわけで、つまり外気に晒されるわけだから、当然丈夫で硬くなる
つまり、トランプはアーミッシュみたいなもんでもあるわけだけど、別にアーミッシュは他人に強制はしないじゃない
ただ、自分の子供に強制してるよね、みたいなのは社会問題になってるはず
だから、青年期?だかに一度アーミッシュのコミュニティーを出て外界へ行って、そのまま外界に残るか、元のアーミッシュに戻るか選択できたはず…
トランプも、というか、プーチンも、なんだけど、若い頃の映像がネットで観れるし、面白いのは二人とも若い頃と言ってること、考え方があまり変わってない
というか、自分もだけど、本質的に人間なんてそう変わるわけないんだよね
だから、プーチンがウクライナ侵攻したとき、血迷ったとか狂ったとか言われてたけど、そんなこと全然ない、あれは元からだった、ということがよくわかる
トランプが、昔は日本はクソ、今は中国がクソ、アメリカは偉大だ、みたいに言うのは、あれは周囲の人を焚きつけたいからなんだよね
意識高い系というか、愛国ビジネスというか、日本は凄い、日本は偉大だ、みたいに言ってる人の話を聴くと高揚感があるというか…
でも、肝心のトランプは何か自分で手を汚すかというとやらないんだよね
自動車工場作るとか、土建会社やるとか、そういうことをトランプはやらない
じゃなくて、自動車会社の偉い人とか、土建会社の社長さんを焚きつける、いい気分にさせる
そういう話を聴いた中小企業のワンマン社長さんが、そうだそうだ、アメリカは本来偉大な国だったはずだ、みたいに高揚してる
そういうビジネスだよね
安倍氏や麻生氏もそうというか、麻生さんがナチスをもっと評価しようと言ってたのはそういう意味であって、
まあ、ポピュリズム肯定ではあるんだろうけど、そういう選挙戦略とか、国家観を持てとか、そういうことなんだろうけど、
自分はイエスタデイワンスモアで言うなら、しんちゃん側の人間なんで、そういう大人たちを見て違和感を感じたり、怖くなるわけだよ
あいつら狂ってる、と思ってる側なんだよ
でも、正直この先がよく分からない
仮にイエスタデイワンスモアが全世界を支配したとして、本当にそれがマイナス方向に進むのか、というのも疑問がある
もしかしたら、ノスタルジーに浸る社会の方が正しくなってしまうかもしれない、その方が社会がちゃんと回ったり、みんなが幸せになれるかもしれない
やまんばに追っかけられた馬方(馬に荷を引かせて運ぶ職業の人)の話
普通の昔話なら一部、前半で終わるところを、後半があるから2倍楽しめる
山姥から盗み食いするところがまたそそるんだわ
お互いに高校生だった頃から熱心に追いかけてきたアイドルが結婚していたことを知ってから、泣くまで74時間。自分は神山くんが想定し配慮したのであろう土日休みの会社員の一人で、休み明けの一日を慣れた仕事ミスりまくりながら乗り切って、家帰ってご飯食べてシャワーも浴び終えて、寝転がってケータイ開いて、ファミクラウェブを開いた21時35分。21時に更新されたブログを読んで、噛み締めて、泣いた。やっと。
珍しく2日連続で更新されたどうでも良い内容のブログから、神山くんの不安を痛いくらいに感じ取ったからだった。
それではじめて、自分は何が寂しかったのかわかったからだった。
神山くんの結婚報告は、大多数から「完璧」「これなら祝える」と言われた。そういう物言いのよしあしは置いとくし、わたしはここ数年、神山くん以外の人の結婚は前後の週刊誌とか報告文章の書き方とか含めて心底どうでもよく、とくに嬉しいとも悲しいとも思ってこなかったので、どうだったら完璧で、どうだったら祝えないのかは状況から察するのみなのだが、
この「完璧」で「祝福される」結婚がわたしには、神山智洋という「人間」には後にも先にも、触らないでくださいっていう強い拒絶のように思えた。
完璧で究極のアイドルを全うし生きてきて、これからもそうして生きていく覚悟が固まっている神山くんにとって、人間の神山智洋は本当なら触ってほしくないもので、この先何事もなかったかのように、またアイドルの神山智洋を見せるし、それだけを見て欲しい、という風に見えた。そう感じた。というかまあ、実際そうだろう。
だから、わたしは金土日と、おめでとうと言わなかった。思っていなかったわけではない。ただ、ああ、極力触らないでほしいと思っているんだ、と思ってしまったから、言えなかった。神山くんの嫌がることをしたくない、と思った。
思っていないと推測されるのは嫌だったので、昨年出した「神山くんの幸せを願ってる、恋人がいても嬉しく思うし、安心して欲しい」という内容のファンレターをインターネットに掲載した。
日曜の17時に更新されたブログを読んだ時は、思った通りだと思った。きっと金曜の夜に公表して、日曜にブログを通常運転で更新することを前から決めていて、そのとおりにアイドル神山智洋として生きているのだと。
神山くんがこういう素朴な内容のブログを2日続けることはすごく珍しい。
状況が状況だからそう感じるだけでは、と思われるかもしれないが、とにかくわたしは
人間でちゃってる!
気付いて!
と思った。
人間だもんね ごめんね
泣けてきた。
そこからはもうずっと泣いていて、火曜の仕事も泣きながらやった。いつどうしたのと聞かれると不安だったが、そっとしておいてもらえた。社長室からは音量デカすぎるドジャースがずっとはっきり聴こえていて、延長18回って聞こえた時は、思わず延長18回!?てケータイ開いて呟いた。
神山くんが、普段だったら更新しないようなどうでもいい話を2日続けて更新したから、人間すぎて そんなの
じゃあおめでとうってすぐに言ったほうがよかったの?言ってよかったの?そしたら神山くん安心できたの?
ノータイムで直接伝えられるわけじゃないけど、いやでも、インスタの最新投稿のコメント欄はおめでとうで溢れてて、わたしもそうするべきだったのかな、今からでも送るべき?
答えは出ない。わたしも神山くんも、どっちもだと思った。神山くんはアイドル神山智洋に強い自覚と誇りを持っていて、だからこちらからその向こうに触れるべきではなくて、でも事実、そこには不安に思いながら、ファンに優しくありたいと思い続けている神山くんっていう、ずっと見てきた、よく知ってる、人間がいる。
「完璧」なこれまでと文章だって、なにも拒絶なんかじゃなくて、それが「完璧」な、「ファンに最も配慮した在り方」がそうとされるから、そうしてくれたってだけなのかもしれない。ずっと、完璧に、そういう人だった。
アイドルの結婚がショックなのは、何も知らなかったことを思い知らされるからだといつだったかに見た。けど、わたしは自分に知れる限りの神山くんのことを全部知っていると言い切れるし、先述したように大切な人がいるということも察していたので、全然何も知らなかったなんてことはないなと考えていた長い夜。
事実、だからショックなのか、と自問するとしっくりこなかったし、そもそもショックを受けているのかもよくわからなかった。涙も74時間出なかったし。
大丈夫?ときいてくれる人もいたが、きかれることで堰を切るとかでもなく、大丈夫だった。
でも本当はずっと泣きたかった。けど、なんで泣きたいのかわからないことには泣けなかった。論拠厨すぎる。
まだまだ考えてしまうことはいくらでもあるけど、とりあえずひとつ整理できたことは、
これから先もずっと、ここにある線を実感しながら生きることが
いやおめでとう言ってる人いっぱいいるけど、でもわたしは、あの文章で、ずっと見てきたアイドル神山智洋が、それを求めてるって、喜んでくれるって、思えなかったよ。
それがすごく寂しかったよ。
傷付いて、おめでとうって言えない人、その時泣いている人。そういう人のことをまず一番に考えて、そうしてくれたのかもしれません。
普通に考えたらそうなのかもしれない。
どちらにせよ、書いてある以上のことを想像するのはよくないんだけど。
二十歳になる娘が会社で働いているのですが、先日の会社の飲み会で同僚から「夜職みたい」と言われたそうです。
その言葉に娘はかなりショックを受け、怒りのあまり相手にビールを頭からかけてしまったそうです。
相手の方は酔っていて覚えていなかったらしく、水に流してくれたとのことのですが、私が「流したのはビールだね」と冗談を言ってしまい、娘からさらに怒られてしまいました。
AIに謝り方を相談していたこともバレてしまい、「そういうところが軽い」とまた叱られました。
自分としては娘を傷つけたくなかったし、どうフォローすればいいかわからなくて相談しただけなのですが、結果的に余計こじらせてしまった気がします。
また、「夜職みたい」と言われた場合、どう受け止めてあげるのが正解なんでしょうか。
AIにかけてみたが偽物ではないようだ
つまり――
「自分よりずっと恵まれた立場の人間が、“人生を無駄にした”などと悲劇の主人公ぶっている」
という状況を見せられたときに、
心理学的に言うと、これは「比較的剥奪感(relative deprivation)」と呼ばれるもので、
・それを社会が同情・称賛する
⸻
文章全体は、実は単なる愚痴ではなく「階級格差への告発」でもあります。
• 空自・海自・防大幹部 → 恵まれた待遇(快適な環境、教育、出世コース)
• 陸自・特に曹・士 → 過酷な環境、低賃金、教育機会の欠如、社会復帰困難
「幹部が“人生無駄”と言う=自分たちの人生を全否定されたように感じる」
わけです。
つまり、怒りの矛先は個人ではなく構造的な不公平の象徴に向かっています。
しかも筆者は「特殊部隊」的な職種(特戦群、空挺、Sなど)に近い存在を自称しており、
実際は極貧で技能も身につかず、社会に出たら何も残らなかった――
⸻
③ 構造的・文化的な理由:「犠牲の上に立つ者」への裏切られ感
があります。
だからこそ、
ところが現実では、
単なる不満を超えた「義憤」に変わっているのです。
筆者の怒りは「妬み」ではなく「裏切り」への怒り。
「もしその場で誰もカモがいないと感じたら、それは自分がカモであることを意味している」という格言がある。
職場の臭い奴が他の人と一緒に「アイツくせーよな」とニコニコ雑談しているのをみかけたとき、俺の中にその言葉が思い出された。
まだ分からん。
だが、俺が気づいてないだけで俺自身は俺が臭いと思ってた奴よりも臭いのかも知れない。
見えない恐怖が纏わりついて離れない。
怖い。
一番怖いのは、この職場で同じ恐怖を感じている人間なんて1人もいなくて、全員が「口にはしないけどアイツマジで臭いよな」と噂しているかも知れないってことだ。
気になりすぎて医者に行ったら「いや、違うけど?つうかイジメじゃね?」と言われた。
でも本当にイジメなのか?
たとえば職場にいる人間じゃなくて共通の学友の話とかだったりしないか?
分からない。
分からないことが怖い。
聞くのも怖い。
つうかアレじゃね?