はてなキーワード: ガンオタとは
最終話を見終わって、ゴミアニメという評価が自分の中で固まった。
単体でゴミならそれでいいんだが、過去作にまで泥をなすりつけてくるのがタチが悪い。
なぜこんなにゴミなのか?を考えていると一定考えがまとまったので掃き溜めに捨てておく。
根本的にジークアクス制作スタッフにはファーストガンダムへのリスペクトが欠けている。
ガンダムが好きではあるんだろうが、敬意を持った好きではない。
子供がガンプラを作った後、BB弾の的にして破壊するのに似ている。
造形がカッコいい、好き勝手に扱えるおもちゃが好きなだけで、作品に込められた思いや精神性にまでアプローチできていない。
誤解があるといけないのだが、自分は狂信的ガンオタというわけではない。
アラフォーでファーストリアタイ世代ではなく、スパロボから興味を持って宇宙世紀を一通り履修しただけの、ガンオタの中では薄めの人間だ。
ガンダム自体はうっすら好きで、話題になっていれば見るが、そうでなければ自分から追いかけたりはしない。
ジークアクスは劇場版ビギニングを見に行き、最初は期待を持った。
しかしTVシリーズが始まって徐々に期待はしぼんでいき、サイコガンダム回で若干テンションは上がったものの、その後の評価は無惨なまでの右肩下がりだった。
理由を挙げていくと枚挙にいとまがないのだが、タイトル単体の欠点自体はまあいい。
100点満点のアニメなど存在しないし、嫌なら見なければいいだけだからだ。
だがジークアクスは宇宙世紀を餌に視聴者を釣っておきながら、その魅力自体をないがしろにする描写が多すぎる。
子供がガンプラをエアガンで撃つのは、まあ好きにすればいいが、公共放送でナンバリングを背負ってやるな。
いまさらこんなことを言うのは恥ずかしいが、ガンダムの大きな魅力はリアリティだと考えている。
スパロボのユニットはスーパー系・リアル系に大別されるのだが、このリアル系のはしりがガンダムだ。
間違えてほしくないのは、リアリティとは「リアルっぽさ」のことであって、「リアルである」ということではない。
現実的に考えると航空機や戦車形状のメカが戦うほうがリアルだが、それではおもちゃが売れない。
だから売り物になるロボットに戦わせるわけだが、ガンダム以前はそこに理由はなく「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」以上ではなかった。
※自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれないが。
そこをガンダムは「ミノフスキー粒子が~」「AMBACが~」とちゃんと設定を付けて、リアリティを増したことが画期的だったわけだ。
実際にはミノフスキー粒子なんて存在しないし、AMBACが本当に機能するかどうかはわからない。
ただそうやってリアル感を増していくことがガンダムの魅力のひとつであることは間違いないだろう。
※繰り返すが、自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれない。
一番代表的なのはアクシズ落としの阻止だが、これも理屈はつけてある。
サイコフレーム搭載のモビルスーツに、強力なニュータイプが登場し、思念が集まるとサイコシールドという力場を形成されて既存の物理現象を覆すのだ。
これも嘘だが、ちゃんと理屈や伏線を張っているので宇宙世紀の一現象として受け入れられているわけだ。
シャアが仮面形態に変身する現象に理屈もクソもない。完全なファンタジーだ。
ガンダムの価値観の一つであるリアル感をゴミ箱に投げ捨てた瞬間だ。
11話の初見時あまりの衝撃に「もしかしてジークアクス世界はララァの作った仮想現実なのか?」と考察wしたのだが、最終話でそれも否定された。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?
これもなんの理屈もクソもない。
単にプレッシャーで見かけ上大きく見えているだけかと思いきや、ご丁寧に「質量の増大が確認されます」なんて言わせてるし。
でもそれと巨大化はなんの関係もないよね?
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?(二度目)
細かいところでいうとまだまだある。
シャリア・ブルは最終的にエグザべの乗るギャンに捕獲されるわけだが、そこで「私を軍事法廷で裁け」と口にする。
この台詞はファーストガンダムのキリシアの「意義のあるものは法廷に申し立てい」と重ねたものだろう。
ジオン公国は独裁国家色が強いが、権力者がすべてを意のままにできるわけではなく、一定は法の統治が行き届いているという描写だ。
「さからうものは死けい!」という国家感は幼稚で現実的ではないし、これも宇宙世紀のリアル感を増すための表現だ。
その後のシャリアの描写はないが、EDでは仮面と軍服をまとった姿が描かれている。
考察wすると、シャリアはイオマグヌッソ戦で死んだことになっているのではなかろうか。
キシリアを狙った行為をジオン軍としては見過ごすわけにはいかない。
しかしシャリアはアルテイシア擁立の立役者で、強力なニュータイプパイロットだ。
戦死扱いにして身分を隠し、直属の秘密部隊として行動しているのではなかろうか。
だから正体を隠す必要があり、シャアのような仮面をつけていると推察される。
マチュと一緒に地球に降りてのんびりバカンス? 意外とジオン軍もお甘いようで・・・。
というかキリシアがっつり撃ってたよね? 周りの軍人もそれ知ってるよね?
粛清されたキリシア派子飼いのパイロットで、ア・バオア・クーを消失させた張本人でもある。
シャリアの境遇を考えれば、ニャアンが余生を送れる余地はないだろ。
ゼクノヴァできるNTだからってことを差し引いて、百歩譲ったとしても監禁生活がギリギリじゃないか?
なに自由手に入れてんだよ。
シャリアの描写を正とするなら、ニャアンの描写がおかしいし、その逆も然り。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとし(三度目)
富野監督は昔「絵空事でものを考えている人たちが大嫌い」という発言をしている。
当時は老害が苦言を呈しているわ、ぐらいの感想しかなかったが、振り返ってみるとあんたが正しかったよ。
アニメ業界を支えるべきトップクリエイターがいまさらガンダムをおもちゃにして絵空事を語っているのが滑稽だし、それを「ドライブ感」とかいって褒めやしているファンも同様だ。
はー、クソ。
Xで今更ガンダムSEEDが叩かれていたとか話題になっていたが
そこで語られていることは俺の記憶とはだいぶ違う。
まず、内容云々で叩かれていたのではない。
なぜなら、SEEDが発表された初日から監督や脚本家が叩かれていた。
(あの時叩いていた奴らはもはや犯罪者に等しいと思う)
そもそも存在自体が気に入らないのだから、内容への批判なんて完全に後付けの理由だと思う。
なぜ存在自体が嫌だったのか。
ただ、ガンオタはそれを悪いと思っているのではなく、毎年作られてはたいして視聴率も伸びずに消えていく新作にガンオタ達はウンザリしていたので、
全作品の遥未来を描いたターンAガンダムが出たことで「富野監督がガンダムを終わらせてくれたんだ」という認識だった。
そこで出てきたのがSEEDだ。
1stをあからさまにオマージュしたデザイン、そして、Wを彷彿とさせるガンダム軍団と美少年軍団。
今ではWはギャグアニメとして認識されているが、当時は婦女子向けアニメとして大変嫌われていた。
「またガンダムを始めるのか」「富野監督が終わらせてくれたのに!」と激怒したのだ。
【評価:良かったけど傑作では無い。映画館に行ってまで見るべき物では無い。】
・のぶ代世代。今のメンバー達の声ってこうなってるんだ。スネオがガラガラ声で演じるの大変そうだなと思いながら視聴。
ネットで「わさびドラ最高傑作」らしいから見に行ったけどまあネットの藤子ファンの言う事は当てにならんな!
ジークアクスはガンダム知らなくてもマジで面白かったのでガンオタ優秀すぎんか・・・?ってなった。
・ドラえもん映画って基本、日常世界からのび太が新しい事に興味を持ってその世界へ行ったらトラブル、みたいな展開だけど
前触れが無く唐突に絵世界に入った所から始まるのでのび太が何に興味があって絵の世界に入り込んだか全く判らない。
・次のシーンで全然違う場面が突然始まり繋ぎが無い為、見てて凄く違和感を感じる。
新海作品によくある分業でシーン毎に統一性が無くなるあの感じが実に新海世代って感じ。メチャクチャ、バラバラ。まあドラえもんだからいいかって感じ。
・絵である必要性が無い。のび太のドラゴンクエストって感じ。すぎやまっぽい中世風のオーケストラ、バラバラになった石板とかドラゴンと戦う所とかまんまそれ。でもオープニングはFF。これが判らない(https://youtu.be/Xi7_0puBiuQ?t=30s)
・まだ面会もしてないのに城の隣に砦作るの笑った。メッチャ不審者じゃん。
・本ターゲットの子供達置いてきぼりって感じがした。飽きさせない作りにしたいのは判るけどそれなら上映時間もっと短くしろ(大人の俺でもキツかった)って感じだし、
話がクドいのが気になった。ミスリードとか石化ビームとか。巨大ビーム一発撃って全員石化すれば20分短縮出来るのに回りくど過ぎね?って観ながらずっと思ってた。
「顔が割れる」とか「往生際が悪い」とか言葉を知らないと理解できない単語を使うのも気になった。ガチお子様には判らんだろ。映画中に聞くぞ。「ママー!顔が割れるってなにー?」とか。
・観た感じ、ドラえもんマニアのスタッフが作った優等作品って感じ。ノルマ(定番ギャグ・出会いと別れ・パラドックスネタ)もこなしてる。でも姫が居なくなる(別れ)をムリヤリする必要無かったね。
結局滅んじゃう?結局滅んじゃうの?そう・・・
母が、増田を観に行こうという。それが、ガンダムの増田なのだった。
それでも母が「せっかくタダ券をもらったんだから」と言うので、渋々ながらついて行くことになった。
観た増田の内容は、あまりおぼえていない。面白かったという印象はない。
記憶に残っているのは、主人公の増田が難民キャンプみたいなところで母と再会して別れるまでの一連の場面だ。
ここは、過去に増田で観た記憶もあった。「母さん、これは戦争なんだよ!」。そんなセリフがあった。
母と一緒に観るには、少々居心地の悪さを感じた。
あのとき観たガンダムの増田が何であったのか、知らぬまま増田になった。あまりガンダムに興味を惹かれなかったからである。
20代の後半ぐらいに、知人が「ぜひこれを観ろ」と言って、ガンダムの増田3本を貸してくれた。
いまさら説明も不要かと思うが、いちおう書くと、機動戦士ガンダム(いわゆるファーストガンダム)は
もともと増田であって、その総集編的な増田が3部作にまとまっているのだ。
面白かった。
ガンダムってこういう話だったのか!という驚きがあった。
増田はいちおう観ていた。けれども自分は幼児だったから、エピソードや雰囲気程度しか受け取れていなかった。
途切れ途切れで全話は観てないだろう。たいていの子供向け増田は1話完結だったし、「続き物」を理解する力がまだなかったのだ。
ともあれ、20代に3部作の増田を観たことで、ガンオタ…にはならぬまでも、特別な作品の1つとして認識できるようになった。
さて、かつて母と観に行った増田の話である。つまりあれは、ガンダムの増田3部作の1作目であったのだ。
地方だし、情報を得るチャンネルが少ない時代である。母とて、それが3部作の1作目だという知識はなかったと思う。
1作目はかなり微妙なところで終わっており、増田として、さすがにこれ単体でどうこう言えるものではないだろう。
かつてパソコンで観たときに面白いと感じなかったのも無理はあるまい。自分は小学生で、まだまだ幼かった。
このごろになって、ある疑いが生じた。
もしかして、あのとき母は、子供を増田に連れて行く名目で、母自身がガンダムの増田を観たかったのでは?…というものだ。
根拠のない思いつきだ。しかし、そんな可能性がないこともない…気がする。
なぜなら、今は自分が親になったから、親の行動が少し分かるようになったのだ。
母が亡くなってから10年が経つ。今となっては確かめるすべもない。
増田好きとか、そういう面はまったく見えなかったが…。
仮に聞けたとしても「そんなことがあったかねえ」とはぐらかされそうである。
パソコンの隣の席で、母はどういうふうに増田を観ていたのだろうか。
ただ、それを想像する。
母が、映画を観に行こうという。それが、ガンダムの映画なのだった。
それでも母が「せっかくタダ券をもらったんだから」と言うので、渋々ながらついて行くことになった。
観た映画の内容は、あまりおぼえていない。面白かったという印象はない。
記憶に残っているのは、主人公の男の子が難民キャンプみたいなところで母と再会して別れるまでの一連の場面だ。
ここは、過去にテレビで観た記憶もあった。「母さん、これは戦争なんだよ!」。そんなセリフがあった。
母と一緒に観るには、少々居心地の悪さを感じた。
あのとき観たガンダムの映画が何であったのか、知らぬまま大人になった。あまりガンダムに興味を惹かれなかったからである。
20代の後半ぐらいに、知人が「ぜひこれを観ろ」と言って、ガンダムのDVD3本を貸してくれた。
いまさら説明も不要かと思うが、いちおう書くと、機動戦士ガンダム(いわゆるファーストガンダム)は
もともとテレビアニメであって、その総集編的な映画が3部作にまとまっているのだ。
面白かった。
ガンダムってこういう話だったのか!という驚きがあった。
テレビ放送はいちおう観ていた。けれども自分は幼児だったから、エピソードや雰囲気程度しか受け取れていなかった。
途切れ途切れで全話は観てないだろう。たいていの子供向けアニメは1話完結だったし、「続き物」を理解する力がまだなかったのだ。
ともあれ、20代に3部作の映画を観たことで、ガンオタ…にはならぬまでも、特別な作品の1つとして認識できるようになった。
さて、かつて母と観に行った映画の話である。つまりあれは、ガンダムの映画3部作の1作目であったのだ。
地方だし、情報を得るチャンネルが少ない時代である。母とて、それが3部作の1作目だという知識はなかったと思う。
1作目はかなり微妙なところで終わっており、映画として、さすがにこれ単体でどうこう言えるものではないだろう。
かつて映画館で観たときに面白いと感じなかったのも無理はあるまい。自分は小学生で、まだまだ幼かった。
このごろになって、ある疑いが生じた。
もしかして、あのとき母は、子供を映画に連れて行く名目で、母自身がガンダムの映画を観たかったのでは?…というものだ。
根拠のない思いつきだ。しかし、そんな可能性がないこともない…気がする。
なぜなら、今は自分が親になったから、親の行動が少し分かるようになったのだ。
母が亡くなってから10年が経つ。今となっては確かめるすべもない。
アニメ好きとか、そういう面はまったく見えなかったが…。
仮に聞けたとしても「そんなことがあったかねえ」とはぐらかされそうである。
映画館の隣の席で、母はどういうふうにガンダムを観ていたのだろうか。
ただ、それを想像する。
>永遠の蒼@sioagisoluto
>怖過ぎて良いよね
「機動戦士ガンダム サンダーボルト」のワンシーン動画を載せたこのツイートがバズり、監督にも反応される。
それに対する暇空さん。
>暇空茜@himasoraakane
>これ真面目に見たんだけどザクどうみても一箇所に止まってぐるぐるまわってる程度だよね?
>永遠の蒼@sioagisoluto
>このザクは傷病兵でも戦力になれるようビーム砲を使った狙撃任務についており
>ビーム砲を破壊された段階で満足な戦闘は出来ません(逃げようにも機動力が違いすぎるし)
暇空さんは永遠の蒼を「アホか」と罵りまくり、スペースで討論しようと誘うが拒絶される。
永遠の蒼をなんとかして貶めたくて、彼の6年前のツイートを漁ってアルバイトの非正規だと煽ってしまう。
>暇空茜@himasoraakane
>暇やから軽く検索してたけど正社員様っていうことはきみバイト君?
>暇空茜@himasoraakane
>暇空茜@himasoraakane
>暇空茜@himasoraakane
>高卒かー
>暇空茜@himasoraakane
>暇空茜@himasoraakane
>よかったなバイト君
>俺は無職だ
>安心して語り合おう
>永遠の蒼@sioagisoluto
>ごめんなさいm(_ _;)m
>流れるように争点を変えて
>もう就職しちゃったので……
>暇空茜@himasoraakane
>暇空茜@himasoraakane
スーパーマリオブラザーズの映画について、公開前はルイージがさらわれてピーチ姫が戦うからポリコレだと叩いていたくせに公開後はポリコレじゃないからヒットしたと手の平返して主張してる、と言われてるけれど
少なくとも私は全く見た記憶がないんだよなー
マリオ映画って、公開前はソニックと比較する意見やよくあるハリウッドのアニメ映画としてスルーする程度で
アメリカで公開されて大ヒットという話が入ってきた後は確かに「ポリコレゴリ押しじゃないから流行った」という意見は増えたけど
公開前はほぼ無風だったと思う
これって水星の魔女も同様で、オタクは放送前は主人公の肌の色が濃いからポリコレだと叩いていたくせに放送後は手の平返して称賛してる、というツイートもよく流れてくるけれど
私は放送前にそういう叩き方をしてるオタクを見た記憶って全然ないんだよな
(もっとはっきり褐色の肌のガンダム主人公ならターンAが既にそうなので
ちなみに「眉毛が太くて可愛くない」という意見は見た記憶があるので