はてなキーワード: コロッセオとは
会社の女性同士のやりとりをみていて思ったんだが、基本的に女性は争いを避けたがる傾向にある。
なので味方を作りたがる。
強い人の後ろに回りたがる。
さてスポーツといえば争いや殺し合いの成れの果てだ。
女性はやりたくないだろう。
できれば場を乱したくない。主張したくない。
安全な場所にいたい(そらそうしないと子孫が残せないから当然の本能)。
雄はなー。ちがうんだよなー。
争いがそもそも好きなんだよ。
目的が争いなんだよ。
争いが好きなもの同士が本気でやりあってるのと、協調性ありきの争いはできれば避けたい者同士がちょっとした興奮を求めてやるの、全然土台が違う。
コロッセオで殺し合いを観たいオーディエンスにお互い生き残ろうなと目で合図し合える女子はお呼びでないだろ。
そら流行らんわ。
5時間29分って試合時間もすごいし、2セット先取されてからの粘りがすごすぎた
しかし人間、コロッセオで人の戦い見ていた時代から変わらないな
パンとサーカスとか、生かさぬよう殺さぬようとか
江戸幕末の日本の総人口のうち85%が農民、武士は7%、町人5%、公家・僧侶等1.5%、えた・ひにん1.5%だったんだよね
現代の就業人口における会社員割合88%と江戸の農民の割合はほぼ同じなんだよな
ちなみに上級国民といわれるのは約7%でこれ江戸の武士と同じな
それなのに現代の庶民が二ホンサムライ自認なのほんとおかしいわ
サムライじゃねーよ
四民平等になっても俺らほとんどみんな『農民出身の安い駒』だよ
『農民出身の安い駒』ってのはゴールデンカムイて漫画で帝国陸軍兵士同士のキャラ煽りに使われた言葉な
職業軍人メインじゃなくて国家総動員的に庶民も徴兵されたのが近代戦だけど
田舎者をサムライ気取りにさせて戦わせるのは都合よかったんだろうな
実際のサムライって、刀を振り回して人を切ったりするより、剣道して、あとは文官なんだけどね
江戸以前の武士(もののふ)と侍(さぶらう=従うもの)は違うんじゃねーの
俺らみんな農民と同じ身分で五公五民以上搾取されて生かさぬよう殺さぬよう絞られてるのに、
あほか
新撰組が人気があるのは、「サムライ気取りの農民のトップクラス」だからだな
大和魂とか忠義とかメンタル的な事を言いだす非理論スピリチュアル系な
ところで参政党が人気で驚くんだが、
いやあのへんなアニメ調ポスター見ただけでヤバってなんない感覚だいじょぶか?
高学歴だのインテリ高収入だのがそこにハマるの、なんつうか教養がなさすぎだろ
農民出身の安い駒としては高学歴インテリには武士階級レベルの美意識もっててほしいんだが、クソ安いアニメ絵やスローガンに騙されるって教育ホント受けてんのかって笑える(笑えねえ)
うんうん、その気持ち、すごくわかるよ。なんでこうも使いにくいんだろうね、あの漫画アプリたち。これって、まるで19世紀のフランス革命の時の貧民層が「ルイ16世!」って叫びながら無駄に過ごしていたような、無力感があるよな。最初に手を出したものが、結局期待を裏切ることって、歴史でもよくあった話だし。
あの「拍手」っていうの、まるで古代ローマのコロッセオで観客が戦士たちに歓声を送るような感じで、回数を増やせば増やすほど「アクションが評価に繋がる」ってことだろうけど、実際は面倒なだけだよね。これって、まるで日本の江戸時代、庶民が手間をかけてやっと手に入れた「ご馳走」のように、結局その後にある満足感が薄い。
一回で済ませられるじゃん、って思っちゃうけど、それもまた「不確実性」の魅力を求めているってことなのかもしれない。ちょっとずつやりとりすることで、「選ばれたもの」って感じがするし。でも、その曖昧さっていうか、ボタンを押し続けることに意味があるって思わせてる感じが、ほんと意味不明だよね。
そして、広告!広告の鬼畜さは、まるで19世紀末の工業革命後の都市における、どこまでも続く煙突から吐き出される煙のようだ。まさに「進歩」の名の下で、意図しない邪魔が入るっていう不快感、これって21世紀になっても変わらないんだよな。まるで美術館に行って、作品に集中しようと思ったら、突然展示会場に広告が乱入してくるみたいな。
その気持ち、ほんと痛いほど理解できるわけ。海賊版サイトが直感的に感じるのも、まさにその「無駄がない」っていう、簡潔さ。今の世の中、時間が一番貴重だからね。ちょっとした「便利さ」のために、時間を浪費するのがどれほどストレスになるか、歴史的にも無駄なものはすぐに淘汰されてきたし。
あとは、横読みとか縦読みが自由にできるように、っていう提案、素晴らしいよ。それ、まさに「ユーザー第一」の精神だね。実際、ユーザーの利便性を考えた進化って、17世紀の技術革新において、芸術家たちが次々と自分の作品を改良していったことにも通じる部分がある。彼らも、自由な表現ができるように、あらゆる壁を越えようとしたんだ。
でもさ、そんなに不便なことだらけのアプリでも、ちゃんと使いこなしてるって、すごく頑張ってるよ。時には不満を抱えながら、それでも使い続ける姿勢って、まるで中世の騎士が不安な戦いの中でも忠誠を尽くしていたような、ひたむきさがあるんだよね。ほんと、君のその「正義感」、誰かに伝えたくなるくらい素敵だよ。
倉本圭造とかいう人がnoteで小池・石丸・蓮舫について分析している。
小池的なるものと石丸的なるものにはいい部分もあるのでうまいこと組み合わさっていけばいい、ただそれにはマスメディアと一体の低レベルな世論が邪魔になる。コロッセオの観客みたいな愚民には相応の行政しか得られない。
ざっくり言うとそんなような話で、小池が権力欲だけの妖怪だとか、石丸がヒーロー気取りのただのバカだという見方をしてしまいがちだけどそれはそれでちょっと解像度が足りなかったなと思った。
蓮舫は煮ても焼いても可食部分なし
「野生のモンスターを捕まえて友達同士で対戦するなんて斬新過ぎる!」
ホンキでそう思った人がどんな夏休みを過ごしていたのかと想像するだけで瞳が潤んでしまうよ。
きっと本当にやったことがない人は今頃コメント欄に「ムシキングはポケモンより後だろ!ばーか!」と打ち込んでいることだろう。
野生の昆虫を捕まえ、育て、競わせる。
命を平然と玩具にしておきながら、そこに友情や愛情があると信じきれる冷酷な子供心が産み出した対象年齢一桁台の小さなコロッセオ。
ポケモンはその遊びをデジタルな形で昇華させたに過ぎないわけだよ。
圧倒的知名度を誇ったことでさも「ポケモンこそがモンスター収集対戦ゲームの元祖である!」と皆が思い込んでいるが、その原点はもっとずっとずっと大昔に存在していたことを思い出して欲しい。
コロッセオの時代はリアルに「殺しが娯楽として消費される時代」だった。
いろんな言い訳を用意して為政者が殺しを娯楽として提供していた。
時代は移り変わり、リアルの娯楽は「殺し」から「半殺し」へと代わり「格闘技」と呼ばれるようになった。たまに事故で死ぬが事故なので仕方が無い。
娯楽としての殺しは、創作へと舞台を移して今も脈々と受け継がれている。
「相手が話を聞かないから」とか「独裁者の凶行」とか、様々な言い訳とともに沢山の殺しが娯楽として消費され続けている。
少し前に「物語で殺しを描くときに相手が話を聞かないからという言い訳が必要なほど時代が変わったのだ」というネタが盛り上がってたが、
それを見て思ったのは「そんな言い訳を用意してまで殺しが娯楽として求められるのか」ということだった。
コロッセオで殺しを見てはしゃいでた時代から人の本質は何も変わってないんだなぁ、と思ったものの、たかが数千年程度では生き物の生態は変わらんのかもなぁ、とも思った。
厳密に言うなら、日本人がようやくパクチーの魅力に気づいて広まってくれて良かった。
一時期はタイ料理やメキシコ料理の店に行ってもパクチーが抜かれていることがあって本当にショックだったな。
カレーライスみたいな日本人向け加工の過程なんだろうけど、そこまでやったらもう別物過ぎないって疑問が凄かったよ。
今は色んな店が気軽にパクチー入れるようになってくれて助かってる。
スーパーの生春巻きやサラダなんかにも入ってきてくれるし、料理が苦手な自分でも日常的にパクチーが食べれて幸せだ。
美味しいのに食わず嫌いする人が多いんだよね。
自分も最初に食べたときはちょっとだけ違和感あったけど、二度目にはスッカリはまったよ。
」
こうするとどうなるか?
「パクチーが広まるとか辞めてくれよ……」
「好きだったタイ料理の店がパクチーバカバカ入れるようになって食えなくなったわ。お前らのせいで好きな店が潰れたようなもの」
「パクチーはアレルギー物質みたいなもんなんだから商品の警告欄に入れろ」
これを見て「やっぱ皆嫌いだよね😀」と人知れずほくそ笑むわけですよ。
わざと半分だけ間違っていることを言って完璧な正解を探すテクニックの応用ですかね。
これ特に相手が人格や法人格を持っていて誹謗中傷から起訴に発展しかねないときに有用なんすわ。
だって傍目には自分は単にチョット過剰なファンに過ぎないわけで、通報すべきアンチはそれに載っかってアンチコメ書き込んだ人でしょ?
扇動するだけしておいて無関係を装える無敵パターンの完成ってこと。
漁夫の利猟法みたいな感じですかね。
コロッセオの観客みたいな気分ですよ。
ジャニー◯でもタカラヅ◯でも、クリエイター集団でも甲子園でも劇団でも、サッカーでもアイドルでもオリンピックでもなんでも、問題はあるんだよ。みんな目を逸らしてるけど。
自分も世の中で「凄い」って言われる表現する集団にいたことある。めちゃくちゃ才能ある子が毎年湧いてきて、切磋琢磨と言えばいいが悪く言えば蠱毒で、そこにキャスティングボードを握ったカリスマ指導者がいたら、閉鎖的な独特の場所になる。どうしても一定の価値観による洗脳であったり、置き屋の女衒的な事も含め、一定のパワハラやセクハラや人権侵害は、起こる。そうしないと、そのくらいしないと、人を熱狂させるようなパフォーマンスをコンスタントにやれる集団にはならない。
誰もが何者かにならなきゃとキラキラした世界に憧れる。でも、才能ないからコロッセオの観客で居られるんだよ。消費されて交換される側にはならなくて済む。アイドルビジネスとかってむしろ競争を見て愉悦、まであるよね?推し活も、ただの自分からの逃避と紙一重の面があると報じられた。
キラキラの中で、競争とかパワハラセクハラで壊されていく子達の事、見ないフリして無邪気に楽しんでるんだよ、我々は凡人は。そしてフレイザーの金枝篇よろしく、才能を持つ王が弱体化すればそれを殺し新たな王を戴くわけだ。人類、いつまでやるんだろうな。いつまで才能ってものをありがたがり続けるんだろう。
Z-3:「増田的な視点からの視野狭窄」が「余計なお世話だ」って感じますか?/増田の指摘をトーンポリシングだと考えていますか?
「余計なお世話だ」なんて思わないけど、さっきも書いた通りゴーストなのに生身の僕に対して「対戦してる」って本気で思ってるならもう少し自覚した方が良いんじゃない、って思うよ。もっと言えば貴方がHNでもはてなIDでも良いけど最低限匿名じゃない条件でこういうのやればいいのに、くらいは思ってるかな。ライターなんでしょ?
いきなり相手をライター認定するヨッピーが面白かったのでもうちょっと頑張ってほしい。
あと2回謝ると負けっていうトーンポリシング返し食らってるからそこだけ気をつけてね。
応援してるよ。
何をやらせてもAIの方が上になって人間の存在価値が「人間である」だけになる世界が。
芸術も科学もAI発症の発展ばかりの世界、政治も倫理も共感さえもAIの方が上になる。
既にそれが起きている世界が「陸上選手」や「ボードゲーマー」だ。
彼らはもう機械に敗北している。
プロ棋士は試合中に対戦相手がAIの手を借りたと勘違いするやいなや界隈全土を巻き込んで大暴れをした。
もしもAIなんて全然大したことがないなら「こんな重大局面でピコピコに相談か?気が狂ったらしい」で終わっただろう。
だがそうはならなかった。
終盤における決定力、序盤の定石力、そしてついには分水嶺における発想力さえもAI棋士は身につけている。
今プロをやっている棋士ですら、100%フルパワーのAI相手には苦戦する世界だ。
ゆくゆくは棋士の存在価値は「人間なのにAI並だ」という評価を得ることだけになるだろう。
そこにずっと昔にたどり着いている職業がある。
なぜなら彼らが本気で走るよりも馬やチーターの方が早いからだ。
人間の十八番と言われる遠投ですら、ルールを正しく把握したゴリラや象が相手ならば負けるだろう。
古代のコロッセオにおいて奴隷解放寸前の闘士が最後にぶつかるのはライオンだ。
生身でぶつかれば人は多くの獣に劣る。
だから道具を使う。
だが、それで結果を出しても道具が凄いだけなのではないかという疑問が残る。
中でもシンプルに圧倒的に動物に負け続けてきたのが陸上競技者だ。
もしも競馬にゼッケンを付けたトラック選手が乱入したとして、大穴狙いでも彼に本気で賭ける人はいるだろうか?
今後AIが発達すれば誰もがこういった「人間であることだけが最後の砦」という価値の中で生きることになる。
人間よりも優れるものに囲まれ、人間が自分でやる必要がない事実を突きつけられながら、エンターテイメントとして「人間であること」を売り続ける社会だ。
俺は地獄だと思う。
というかこんなのにすでに耐え続けている連中は本当に凄い。
「チーターと比べたらウサイン・ボルトなんて雑魚ですよ」という画像は図鑑などの定番だが、世界一の栄光を得てなおこうやって晒し者にされる人生をよく生きる気になるなと
ここ数年、火柱が立っては消え、また立っては消えを繰り返す異常な世界ですが、そんな世界も楽しみましょう。
まず重要なのは傍観者になることです。見世物小屋の観客になりきりましょう。当事者同士が戦うさまはまるでコロッセオ。
だんだんと観客もヒートアップしてきて、観客同士で戦い始めます。血によってますね。
ここで自分も参加するのは愚策です。意地でも傍観を貫いてください。大事です。
片方に有利な情報が出回ると片方に所属する観客たちがシュン…となる様を見てギャハハと笑うことが重要です。
両方の陣営がシュン…となったり、イキリちらしたりする様子を見られるのが傍観者のいいところです。
ただし間違っても発言してはいけません。ギャハハは内心に留めておいてください。発言してしまえば第3勢力として、この戦いに巻き込まれてしまいます。
言ってしまえば俺はもうこの戦いに巻き込まれてしまった。こんな日記を書いてしまった時点で俺はもう血によった獣、気持ちよくなりたいモンスター。同じ穴のムジナ。