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久住昌之『東京都三多摩原人』(集英社文庫)
前の会社を引退してから、インフルエンザの予防接種を射つことがなくなってしまった。個人だとどうしても後回しにしてしまいがちだが、今年は何やらインフルの猛威がすごいというので、行きつけの病院で三年ぶりぐらいに予防接種を射ってもらう。
ところがしばらくご無沙汰だったせいかも知らんが、初めてインフルの副作用というものを経験した。発熱に全身の疲労感や痛みである。接種後一日ほどは何事もなかったため、すっかり油断していたのだ。本日は別の病院に通院する日で、よせばいいのにかなりの距離を歩いてしまう。それがよくなかったのだろう、帰宅途中で全身がだるくなって、帰宅後は完全にダウン。
当然ミステリなど読む気力もなく、軽いエッセイでお茶を濁す。久住昌之の『東京都三多摩原人』である。
▲久住昌之『東京都三多摩原人』(集英社文庫)【amazon】
軽いエッセイでお茶を濁すなどと書いたが、それは作者に失礼だった。内容自体はカジュアルながら、本作には独特の味わいがあって、実に魅力的なエッセイ集なのである。
具体的にいうと、本書は三鷹生まれ、三鷹育ちの作者がいわゆる三多摩と呼ばれる地域を散歩した記録である。記録といっても、そこまで厳密なものではなくて、その地域との関わりや思い出などを語りながら、途中では温泉に入ったりビールを飲んだりする気ままな一人歩きだ。それらが混然となって、読書中はまるで久住氏が横にいて一緒に歩いているような、そんな感覚すら覚える。さすが『孤独のグルメ』の作者であり、何気ない日常から喜びを見出すのがうまい。
ちなみに三多摩といっても東京の人以外はあまりピンとこないだろう。三多摩とは東京都のうち、東京23区と島嶼部(伊豆諸島および小笠原諸島)を除く地域であり、三多摩というように、北多摩、南多摩、西多摩の三つに分けることができる。この区分けだけで三多摩人は微妙な気持ちになるわけだが、そもそも当初は神奈川県に属していたこともあり、三多摩人は心の中に23区の東京人にはない澱のようなものを抱えているのである。いや、別にそれを非難しているわけでもなく、健やかに生きている三多摩人の方が普通なのだけれど、そういったことを知ってから本書を読むと、また味わいもひとしおなのだ。
ちなみに管理人は石川県出身だが、就職で上京してからは、川崎市や朝霞市といった東京以外の場所にも住んだし、世田谷区や大田区、豊島区などを転々とした。三十年ほど前にようやく国分寺市に家を買って、とうとう三多摩人の仲間入りをしたわけだが、そこからさらに移転して今では八王子の住人である。先住者に比べればまだまだだが、少しずつ三多摩人の気持ちがわかるようにはなってきた。
ああ、頭がフラフラしているのに、なんでこんな長文書くかな(笑)
ところがしばらくご無沙汰だったせいかも知らんが、初めてインフルの副作用というものを経験した。発熱に全身の疲労感や痛みである。接種後一日ほどは何事もなかったため、すっかり油断していたのだ。本日は別の病院に通院する日で、よせばいいのにかなりの距離を歩いてしまう。それがよくなかったのだろう、帰宅途中で全身がだるくなって、帰宅後は完全にダウン。
当然ミステリなど読む気力もなく、軽いエッセイでお茶を濁す。久住昌之の『東京都三多摩原人』である。
▲久住昌之『東京都三多摩原人』(集英社文庫)【amazon】
軽いエッセイでお茶を濁すなどと書いたが、それは作者に失礼だった。内容自体はカジュアルながら、本作には独特の味わいがあって、実に魅力的なエッセイ集なのである。
具体的にいうと、本書は三鷹生まれ、三鷹育ちの作者がいわゆる三多摩と呼ばれる地域を散歩した記録である。記録といっても、そこまで厳密なものではなくて、その地域との関わりや思い出などを語りながら、途中では温泉に入ったりビールを飲んだりする気ままな一人歩きだ。それらが混然となって、読書中はまるで久住氏が横にいて一緒に歩いているような、そんな感覚すら覚える。さすが『孤独のグルメ』の作者であり、何気ない日常から喜びを見出すのがうまい。
ちなみに三多摩といっても東京の人以外はあまりピンとこないだろう。三多摩とは東京都のうち、東京23区と島嶼部(伊豆諸島および小笠原諸島)を除く地域であり、三多摩というように、北多摩、南多摩、西多摩の三つに分けることができる。この区分けだけで三多摩人は微妙な気持ちになるわけだが、そもそも当初は神奈川県に属していたこともあり、三多摩人は心の中に23区の東京人にはない澱のようなものを抱えているのである。いや、別にそれを非難しているわけでもなく、健やかに生きている三多摩人の方が普通なのだけれど、そういったことを知ってから本書を読むと、また味わいもひとしおなのだ。
ちなみに管理人は石川県出身だが、就職で上京してからは、川崎市や朝霞市といった東京以外の場所にも住んだし、世田谷区や大田区、豊島区などを転々とした。三十年ほど前にようやく国分寺市に家を買って、とうとう三多摩人の仲間入りをしたわけだが、そこからさらに移転して今では八王子の住人である。先住者に比べればまだまだだが、少しずつ三多摩人の気持ちがわかるようにはなってきた。
ああ、頭がフラフラしているのに、なんでこんな長文書くかな(笑)
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雨穴『変な家』(飛鳥新社)
現代の国産エンタメはほとんど読まないし、どういう作家がどういうものを書いているかもよく知らないのだが、たまたま古書店の店頭で雨穴の『変な家』を見かけたので読んでみることにした。
実は本が売れ始めた頃、本書が小説だということを知らず、当初はネット上にアップされた、いわゆる「怖い話」の類をまとめたものという程度の認識であった。しかし、後に本書がモキュメンタリー形式で書かれた「小説」であることを知り、その点が少し気になっていたのである。
なんせ2021年の発売から通算すると200万部以上のベストセラーである。今更ではあるが、一応はストーリーから。
オカルト専門のフリーライター・雨穴は、あるとき知人の柳岡から中古住宅購入の相談を受ける。都内で理想的な物件を見つけたが、その間取り図に中に入れない不可解な部屋があるのだという。不動産屋に聞いてもよくわからず、オカルト専門の雨穴に相談したらしいが、建築に関しては雨穴も素人だ。そこで雨穴は知り合いの建築家でミステリー愛好家でもある栗原に相談してみるが……。
▲雨穴『変な家』(飛鳥新社)【amazon】
ストーリーとしては大きな動きがあるわけではない。雨穴と栗原が間取り図を見ながら推論していくというのが大筋で、やがて物件の関係者も登場したりして、真相らしきものに辿り着く。
モキュメンタリーと言ってもいろいろあるのだが、ここではネット上によくある「怖い話」の体験談の体裁をとっている。だからあまりテキストには拘らず、基本的には会話だけで進行し、必要に応じて図表が挿入されていく。
こういうネット記事の体裁を取ること、また、間取り図に隠された謎という設定が、非常に読者に刺さったのはよくわかる。小説をあまり読んでいないものにも非常に読みやすいスタイルだし、普段見慣れている間取り図というものに、特別な着眼点を持ってきたことはいいアイデアである。
ただ、それこそネット上の「怖い話」ならともかく、これを小説とするにはどうしても力不足は否めない。そもそも特別怖さを感じさせるほどの描写があるわけでもない。また、キモである間取り図にしても、よく見ると奇妙な点があるというが、よく見なくてもかなり不自然。小説ならば嘘は上手についてもらわなければならず、読者をうまく騙そうという気持ちがあまりないように思える。それとも単に技術不足か。
序盤で栗原が仮定する事実があまりに唐突かつ奔放すぎるのも困りものだ。どうしてそれまでの間取りの話がこういう流れになるのか。これでは推理ではなく、ただの妄想である。
本作の面白みは、間取り図からどんどん推論を広げていき、やがて恐ろしい真実に行き着くところにあると思うのだが、その推論がただの思いつきの積み重ねで、実は最後まで想像の範囲でしかないと興味も半減。「怖い話」とはそういうものなのかもしれないが、それでは上質のエンタメとは言えないだろう。
最初に書いたように間取り図のアイデアは悪くない。ただ、小説として売るならもう少しアイデアを形にするためのしっかりしたプロットや構成力、表現力は必要だろう。モキュメンタリーという手法を取ったというより、むしろモキュメンタリーという形でしか書けなかったということなのだろう。
実は本が売れ始めた頃、本書が小説だということを知らず、当初はネット上にアップされた、いわゆる「怖い話」の類をまとめたものという程度の認識であった。しかし、後に本書がモキュメンタリー形式で書かれた「小説」であることを知り、その点が少し気になっていたのである。
なんせ2021年の発売から通算すると200万部以上のベストセラーである。今更ではあるが、一応はストーリーから。
オカルト専門のフリーライター・雨穴は、あるとき知人の柳岡から中古住宅購入の相談を受ける。都内で理想的な物件を見つけたが、その間取り図に中に入れない不可解な部屋があるのだという。不動産屋に聞いてもよくわからず、オカルト専門の雨穴に相談したらしいが、建築に関しては雨穴も素人だ。そこで雨穴は知り合いの建築家でミステリー愛好家でもある栗原に相談してみるが……。
▲雨穴『変な家』(飛鳥新社)【amazon】
ストーリーとしては大きな動きがあるわけではない。雨穴と栗原が間取り図を見ながら推論していくというのが大筋で、やがて物件の関係者も登場したりして、真相らしきものに辿り着く。
モキュメンタリーと言ってもいろいろあるのだが、ここではネット上によくある「怖い話」の体験談の体裁をとっている。だからあまりテキストには拘らず、基本的には会話だけで進行し、必要に応じて図表が挿入されていく。
こういうネット記事の体裁を取ること、また、間取り図に隠された謎という設定が、非常に読者に刺さったのはよくわかる。小説をあまり読んでいないものにも非常に読みやすいスタイルだし、普段見慣れている間取り図というものに、特別な着眼点を持ってきたことはいいアイデアである。
ただ、それこそネット上の「怖い話」ならともかく、これを小説とするにはどうしても力不足は否めない。そもそも特別怖さを感じさせるほどの描写があるわけでもない。また、キモである間取り図にしても、よく見ると奇妙な点があるというが、よく見なくてもかなり不自然。小説ならば嘘は上手についてもらわなければならず、読者をうまく騙そうという気持ちがあまりないように思える。それとも単に技術不足か。
序盤で栗原が仮定する事実があまりに唐突かつ奔放すぎるのも困りものだ。どうしてそれまでの間取りの話がこういう流れになるのか。これでは推理ではなく、ただの妄想である。
本作の面白みは、間取り図からどんどん推論を広げていき、やがて恐ろしい真実に行き着くところにあると思うのだが、その推論がただの思いつきの積み重ねで、実は最後まで想像の範囲でしかないと興味も半減。「怖い話」とはそういうものなのかもしれないが、それでは上質のエンタメとは言えないだろう。
最初に書いたように間取り図のアイデアは悪くない。ただ、小説として売るならもう少しアイデアを形にするためのしっかりしたプロットや構成力、表現力は必要だろう。モキュメンタリーという手法を取ったというより、むしろモキュメンタリーという形でしか書けなかったということなのだろう。
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西村京太郎『太陽と砂』(講談社文庫)
西村京太郎の『太陽と砂』を読む。長篇第四作となる本作が出版されたのは昭和四十二年のこと。すでに乱歩賞も受賞していた作者だが、この頃はまだ商業的にブレイクするところまでいかず、短篇を書いても雑誌に掲載されないことも少なくなかったようだ。
そんな作者が目をつけたのが、総理府が主催した「二十一世紀の日本」というテーマの懸賞である。そこに本作を書いて応募したところ、見事、内閣総理大臣賞を受賞して賞金五百万円を手にしたという。ちなみに懸賞の性格に合わせたためだろうが、本作はミステリではない。
こんな話。能楽という伝統的な古典芸能の世界に生きる前島と、アフリカの砂漠で技師として未来に貢献しようとする徹底した合理主義の沢木。二人は考え方も生き方も正反対だが、親友同士でもあった。
伝統の世界を愛しつつも能楽の将来に憂える前島は、あるとき新聞記者・雅子の勧めによって、アフリカの砂漠で能を舞うことを決意する。一方、沢木は伝統芸能や宗教の非合理的な様式を否定していたが、休暇で京都を訪ねたとき、これまでとは異なる感情に襲われる。そんな二人の狭間で沢木の恋人・井崎加代子は次第に前島にも惹かれ、二人を愛するようになり……。
▲西村京太郎『太陽と砂』(講談社文庫)【amazon】
デビューしばらくは売れずに苦労していた西村京太郎だが、その頃は社会派の作品を中心に描いていた時期でもある。本作では満を持してというべきか、よりスケールの大きなテーマを取り上げた。すなわち能楽を題材に取り、アフリカの砂漠をも舞台にして、伝統主義的な世界と合理主義的な世界の対比を描いてみせた。ここに三人の主人公の三角関係を絡めて、若者たちの葛藤を日本の将来のあり方にまで昇華させてゆく。作者のメッセージは大変力強くわかりやすい。
ただ、伝統主義と合理主義、双方を代表する前島と沢木の主張はわかりやすいけれど、二人の意見は両極端であり、その中間の着地点を模索していないのが不満。実際問題として選択肢はその二つだけではないのである。小説なのでデフォルメしているところはあろうが、切り捨ててはいけない部分もあるだろう。ちょっと問題を単純化し過ぎているような気がするのである。
ヒロイン加代子が最後にとる行動もそのひとつであり、解決策がこれしかないと考えるヒロインも、それに納得したり割り切ったりする主人公たちの感覚も納得できない。ここはもう少し掘り下げるべきところであり、そうしないとテーマに恋愛をミックスさせた意味がない。そこを踏まえた上でのラストだろうに。
作者としては力を入れた作品だったのだろうけれど、綺麗にまとめ過ぎようとしたのか、残念ながら全体的に浅さを感じる一作であった。
そんな作者が目をつけたのが、総理府が主催した「二十一世紀の日本」というテーマの懸賞である。そこに本作を書いて応募したところ、見事、内閣総理大臣賞を受賞して賞金五百万円を手にしたという。ちなみに懸賞の性格に合わせたためだろうが、本作はミステリではない。
こんな話。能楽という伝統的な古典芸能の世界に生きる前島と、アフリカの砂漠で技師として未来に貢献しようとする徹底した合理主義の沢木。二人は考え方も生き方も正反対だが、親友同士でもあった。
伝統の世界を愛しつつも能楽の将来に憂える前島は、あるとき新聞記者・雅子の勧めによって、アフリカの砂漠で能を舞うことを決意する。一方、沢木は伝統芸能や宗教の非合理的な様式を否定していたが、休暇で京都を訪ねたとき、これまでとは異なる感情に襲われる。そんな二人の狭間で沢木の恋人・井崎加代子は次第に前島にも惹かれ、二人を愛するようになり……。
▲西村京太郎『太陽と砂』(講談社文庫)【amazon】
デビューしばらくは売れずに苦労していた西村京太郎だが、その頃は社会派の作品を中心に描いていた時期でもある。本作では満を持してというべきか、よりスケールの大きなテーマを取り上げた。すなわち能楽を題材に取り、アフリカの砂漠をも舞台にして、伝統主義的な世界と合理主義的な世界の対比を描いてみせた。ここに三人の主人公の三角関係を絡めて、若者たちの葛藤を日本の将来のあり方にまで昇華させてゆく。作者のメッセージは大変力強くわかりやすい。
ただ、伝統主義と合理主義、双方を代表する前島と沢木の主張はわかりやすいけれど、二人の意見は両極端であり、その中間の着地点を模索していないのが不満。実際問題として選択肢はその二つだけではないのである。小説なのでデフォルメしているところはあろうが、切り捨ててはいけない部分もあるだろう。ちょっと問題を単純化し過ぎているような気がするのである。
ヒロイン加代子が最後にとる行動もそのひとつであり、解決策がこれしかないと考えるヒロインも、それに納得したり割り切ったりする主人公たちの感覚も納得できない。ここはもう少し掘り下げるべきところであり、そうしないとテーマに恋愛をミックスさせた意味がない。そこを踏まえた上でのラストだろうに。
作者としては力を入れた作品だったのだろうけれど、綺麗にまとめ過ぎようとしたのか、残念ながら全体的に浅さを感じる一作であった。
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アシュリィ・エルストン『ほんとうの名前は教えない』(創元推理文庫)
アシュリィ・エルストンの『ほんとうの名前は教えない』を読む。初めて読む作家だが、元々はウェディング専門のカメラマンであり、そこから作家に転身したという変わり種。作家としてはYA系のミステリを中心に執筆しており、本書が初めての大人向け小説だという。
こういう経歴だけを見ると、ミステリにそこまで深く向き合っていないような印象もあり、正直そこまで期待してはいなかったのだが、いざ読んでみるとそこまで悪い出来ではなかった。
まずはストーリー、といきたいところだが、実はこの作品、意外なストーリーの展開や徐々に明らかになる設定が大きな魅力である。序盤のあらすじを書くだけでも、(ネタバレとまではいかないにしても)未読の方の興を削ぐ可能性はある。したがって、ほんの冒頭の部分から少しだけ紹介してみよう。
ちなみに本書の扉や裏表紙の紹介文は若干ネタバレになっていて、これはいただけない。まあ、ほんの内容を紹介しようとすると致し方ない部分はあるのだが、未読の方は注意されたい。
▲アシュリィ・エルストン『ほんとうの名前は教えない』(創元推理文庫)【amazon】
さて、本書はとあるホームパーティーの場面から幕をあける。語り手でもある主人公エヴィが恋人ライアンの家で友人らを招いてホームパーティーを行っている。といってもエヴィはまだこの町にきて日も浅い上、ライアンの友人らと会うのも初めてである。友人らはライアンの恋人がどんな女性なのか興味津々なのだが、エヴィは多くを語ろうとしないという状況である。
それは何もエヴィが内気だからではない。エヴィの語りで少しずつ明らかになるのは、彼女が身分を偽っていること、ある使命のためにライアンと近づいたことなど。いったい彼女は何者なのか、そして何を行おうとしているのか、というのが最初の興味だ。そこからさらに新たな謎が生まれ、エヴィは窮地に立たされて……となるが、まだまだ物語は二転三転するので、そこは読んでからのお楽しみというところだろう。
基本的にはスリラーだが、面白さの種類としてはコンゲームとスパイ小説を足して二で割ったような味わいである。ただ、シリアスではあるがそれほどのヘビーさはない。主人公たちは犯罪も犯すがそこに倫理的な葛藤などはなく、あくまで娯楽に徹したライトな物語である。全体としてはかなりハリウッド映画のノリに近い。
そういうノリが好きか嫌いかで好みは分かれると思うが、客観的にみてもリーダビリティは高く、とにかく読んでいる間はまったく退屈しない。現在と過去のパートが交互に語られるのも、最近は無意味なものが多くて嫌になるのだが、本作の場合は効果的でそれがどんでん返しにもリンクするところも良い。
ラストも含めてエンタメがよくわかっている作家、お話作りの巧い作家である。
こういう経歴だけを見ると、ミステリにそこまで深く向き合っていないような印象もあり、正直そこまで期待してはいなかったのだが、いざ読んでみるとそこまで悪い出来ではなかった。
まずはストーリー、といきたいところだが、実はこの作品、意外なストーリーの展開や徐々に明らかになる設定が大きな魅力である。序盤のあらすじを書くだけでも、(ネタバレとまではいかないにしても)未読の方の興を削ぐ可能性はある。したがって、ほんの冒頭の部分から少しだけ紹介してみよう。
ちなみに本書の扉や裏表紙の紹介文は若干ネタバレになっていて、これはいただけない。まあ、ほんの内容を紹介しようとすると致し方ない部分はあるのだが、未読の方は注意されたい。
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さて、本書はとあるホームパーティーの場面から幕をあける。語り手でもある主人公エヴィが恋人ライアンの家で友人らを招いてホームパーティーを行っている。といってもエヴィはまだこの町にきて日も浅い上、ライアンの友人らと会うのも初めてである。友人らはライアンの恋人がどんな女性なのか興味津々なのだが、エヴィは多くを語ろうとしないという状況である。
それは何もエヴィが内気だからではない。エヴィの語りで少しずつ明らかになるのは、彼女が身分を偽っていること、ある使命のためにライアンと近づいたことなど。いったい彼女は何者なのか、そして何を行おうとしているのか、というのが最初の興味だ。そこからさらに新たな謎が生まれ、エヴィは窮地に立たされて……となるが、まだまだ物語は二転三転するので、そこは読んでからのお楽しみというところだろう。
基本的にはスリラーだが、面白さの種類としてはコンゲームとスパイ小説を足して二で割ったような味わいである。ただ、シリアスではあるがそれほどのヘビーさはない。主人公たちは犯罪も犯すがそこに倫理的な葛藤などはなく、あくまで娯楽に徹したライトな物語である。全体としてはかなりハリウッド映画のノリに近い。
そういうノリが好きか嫌いかで好みは分かれると思うが、客観的にみてもリーダビリティは高く、とにかく読んでいる間はまったく退屈しない。現在と過去のパートが交互に語られるのも、最近は無意味なものが多くて嫌になるのだが、本作の場合は効果的でそれがどんでん返しにもリンクするところも良い。
ラストも含めてエンタメがよくわかっている作家、お話作りの巧い作家である。
エドワード・L・ウィーラー、他の『ニューヨーク・ネル男装少女探偵』を読む。著者名に“他”とついているのは、もちろん本書がアンソロジーだからである。
しかし、ただのアンソロジーではない。19世紀後半から20世紀前半のアメリカで大流行したダイムノヴェルのアンソロジー、しかも女性探偵ものを集めたアンソロジーである。
とにかく安く、いっときの間だけ楽しめればよい。そんな需要を満たすために生まれたダイムノヴェルは、まさに読み捨ての極致のような大衆小説群である。そこにはミステリとしての凄みもなければ、文学的価値もない。ただ、時の大衆は確かにこのような読み物を望んでいたのであり、それによって出版業界が潤い、小説というものの裾野が広がった功績を忘れてはならないだろう。これは現代の出版業界とも共通するところである。
そういう歴史的意義を踏まえつつ、さらには当時の出版人が流行りの小説を模索する中で、いち早く探偵ものに注目していたダイムノヴェルの水準や方向性、それが何より気になるところである。
▲エドワード・L・ウィーラー、他『ニューヨーク・ネル 男装少女探偵』(ヒラヤマ探偵文庫)
無名氏「暴露話もしくは女性探偵」
無名氏「少女探偵」
チャールズ・ハワード大尉「指名手配犯」
無名氏「ずんぐり鼻」
エリザベス・バーゴイン・コルベット「マダム・デュシーヌのガーデン・パーティ」
エドワード・L・ウィーラー「ニューヨーク・ネル 男装少女探偵」
収録作は以上。ポオによってミステリこそ誕生していたものの、ホームズは生まれるか生まれないかという時代の作品ばかりで、女性探偵ものといっても専ら犯罪実話風の読み物がだいたいを占める。もちろん今となっては他愛ない話ばかりではあるが、注目すべき点もないではない。ちなみに無名氏は作者不詳のこと。
「暴露話もしくは女性探偵」は老婦人の家を狙った強盗案件。証拠という概念がこの頃には定着しているようで、推理小説の萌芽を感じさせる。その一方で冤罪の怖さや状況証拠の危うさも現代と通じるところが興味深い。
「少女探偵」は婚約者の容疑を晴らすため、一般女性の主人公が変装して潜入捜査までやってしまう。さすがに無茶とは思うけれど、こういう趣向も現代とそこまで違わないような。
「指名手配犯」は走る列車内の事件で、設定は愉しいが、ストーリーとしてはあまり膨らみがないのが惜しい。
「ずんぐり鼻」は異色作。普通は美女でおてんばな設定が多い女性探偵ものだが、本作では女性探偵の設定に驚かされる。後味も決してよくはなく、これは当時の読者も戸惑ったのでは。
「マダム・デュシーヌのガーデン・パーティ」はイギリスの作家によるもので、イギリスの新聞に掲載された作品。前の四作よりはしっかり小説らしくなっているが、これはお国柄というより書かれたのが後のせいも大きいのだろう。
表題作「ニューヨーク・ネル 男装少女探偵」は本書中、唯一の中篇。新聞売りにして探偵業を営むという設定もすごいが、男装しているけれど女性であることは別に秘密ではないというのも妙。おまけに警察からの信頼は厚い、年齢にしては子供っぽい話し方など、気になる点がちらほら。設定としてはかなり粗っぽく、要は面白そうならなんでもいいとばかりに作者が作ってしまったきらいはあるだろう。
ただ、ストーリーは軽妙で、解説にもあるとおり所謂「天一坊」なのだが、お話作りは悪くない。トム・ソーヤーの冒険的なところも感じられて、アメリカ人の心の根っこに触れるものがあるような、そんな印象を受けた。
しかし、ただのアンソロジーではない。19世紀後半から20世紀前半のアメリカで大流行したダイムノヴェルのアンソロジー、しかも女性探偵ものを集めたアンソロジーである。
とにかく安く、いっときの間だけ楽しめればよい。そんな需要を満たすために生まれたダイムノヴェルは、まさに読み捨ての極致のような大衆小説群である。そこにはミステリとしての凄みもなければ、文学的価値もない。ただ、時の大衆は確かにこのような読み物を望んでいたのであり、それによって出版業界が潤い、小説というものの裾野が広がった功績を忘れてはならないだろう。これは現代の出版業界とも共通するところである。
そういう歴史的意義を踏まえつつ、さらには当時の出版人が流行りの小説を模索する中で、いち早く探偵ものに注目していたダイムノヴェルの水準や方向性、それが何より気になるところである。
▲エドワード・L・ウィーラー、他『ニューヨーク・ネル 男装少女探偵』(ヒラヤマ探偵文庫)
無名氏「暴露話もしくは女性探偵」
無名氏「少女探偵」
チャールズ・ハワード大尉「指名手配犯」
無名氏「ずんぐり鼻」
エリザベス・バーゴイン・コルベット「マダム・デュシーヌのガーデン・パーティ」
エドワード・L・ウィーラー「ニューヨーク・ネル 男装少女探偵」
収録作は以上。ポオによってミステリこそ誕生していたものの、ホームズは生まれるか生まれないかという時代の作品ばかりで、女性探偵ものといっても専ら犯罪実話風の読み物がだいたいを占める。もちろん今となっては他愛ない話ばかりではあるが、注目すべき点もないではない。ちなみに無名氏は作者不詳のこと。
「暴露話もしくは女性探偵」は老婦人の家を狙った強盗案件。証拠という概念がこの頃には定着しているようで、推理小説の萌芽を感じさせる。その一方で冤罪の怖さや状況証拠の危うさも現代と通じるところが興味深い。
「少女探偵」は婚約者の容疑を晴らすため、一般女性の主人公が変装して潜入捜査までやってしまう。さすがに無茶とは思うけれど、こういう趣向も現代とそこまで違わないような。
「指名手配犯」は走る列車内の事件で、設定は愉しいが、ストーリーとしてはあまり膨らみがないのが惜しい。
「ずんぐり鼻」は異色作。普通は美女でおてんばな設定が多い女性探偵ものだが、本作では女性探偵の設定に驚かされる。後味も決してよくはなく、これは当時の読者も戸惑ったのでは。
「マダム・デュシーヌのガーデン・パーティ」はイギリスの作家によるもので、イギリスの新聞に掲載された作品。前の四作よりはしっかり小説らしくなっているが、これはお国柄というより書かれたのが後のせいも大きいのだろう。
表題作「ニューヨーク・ネル 男装少女探偵」は本書中、唯一の中篇。新聞売りにして探偵業を営むという設定もすごいが、男装しているけれど女性であることは別に秘密ではないというのも妙。おまけに警察からの信頼は厚い、年齢にしては子供っぽい話し方など、気になる点がちらほら。設定としてはかなり粗っぽく、要は面白そうならなんでもいいとばかりに作者が作ってしまったきらいはあるだろう。
ただ、ストーリーは軽妙で、解説にもあるとおり所謂「天一坊」なのだが、お話作りは悪くない。トム・ソーヤーの冒険的なところも感じられて、アメリカ人の心の根っこに触れるものがあるような、そんな印象を受けた。
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マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(下)』(講談社文庫)
マイクル・コナリーの『復活の歩み リンカーン弁護士』下巻読了。
上巻ではレギュラー陣の近況報告や過去の事件のおさらいみたいなところが多くなることもあって、なかなか核心に進まない恨みがあるのだが、下巻ではようやくポイントが明確になり、法廷でのシーンがメインとなって一気に読ませてくれる。
▲マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(下)』(講談社文庫)【amazon】
終わってみればいつもどおり、事件の様相を一気にひっくり返す技術は巧みだし、エンターテインメントとしては相変わらず達者なものだ。ただ今回の事件では、ハラーの後出しが多いことと、ラストのモヤモヤが気になり、そこがちょっと不満ではある。ハラーはともかく、少なくとも昔のボッシュならこういう決着は許さなかったような気がする(笑)。
結局、最近のコナリーの作品の面白さは、ハラーのシリーズにしてもボッシュのシリーズにしても、ストーリーに頼るところが多い印象である。ただ、そつなくまとまってはいるのだが、シリーズとしての個性がだいぶ減少しているのではないか。本作などを読むと、余計にその感を強くした。
法廷ミステリならではのロジックの闘争だったり、あるいは警察小説やハードボイルドの精神性だったり、これまでのシリーズの特徴だった部分がますます薄味になって、そこが初期作品と比べて物足りなく感じるのである。
その原因が毎回のようにシリーズキャラクタ-を共演させていることにあるのは間違いないだろう。シリーズキャラクタ-の共演は一作二作なら楽しいけれど、ここまで続くとシリーズ間の垣根がかなり低くなり、それぞれのシリーズの特徴がブレンドされすぎて、薄まってしまう。
ハラーにはハラーにあった物語、ボッシュにはボッシュにあった物語があるわけで、事件に決着をつける道筋もそれぞれ異なるわけだ。そこを蔑ろにしているとまでは言わないが、作者はその妥協点を調整しているわけで、どうしても角の立たない展開や結末に落ち着くのではないか。
もはや半分キャラクター小説みたいになっており、それがよいという人もいるのだろうが、シリーズ本来の魅力は消さないでほしいものだ。
上巻ではレギュラー陣の近況報告や過去の事件のおさらいみたいなところが多くなることもあって、なかなか核心に進まない恨みがあるのだが、下巻ではようやくポイントが明確になり、法廷でのシーンがメインとなって一気に読ませてくれる。
▲マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(下)』(講談社文庫)【amazon】
終わってみればいつもどおり、事件の様相を一気にひっくり返す技術は巧みだし、エンターテインメントとしては相変わらず達者なものだ。ただ今回の事件では、ハラーの後出しが多いことと、ラストのモヤモヤが気になり、そこがちょっと不満ではある。ハラーはともかく、少なくとも昔のボッシュならこういう決着は許さなかったような気がする(笑)。
結局、最近のコナリーの作品の面白さは、ハラーのシリーズにしてもボッシュのシリーズにしても、ストーリーに頼るところが多い印象である。ただ、そつなくまとまってはいるのだが、シリーズとしての個性がだいぶ減少しているのではないか。本作などを読むと、余計にその感を強くした。
法廷ミステリならではのロジックの闘争だったり、あるいは警察小説やハードボイルドの精神性だったり、これまでのシリーズの特徴だった部分がますます薄味になって、そこが初期作品と比べて物足りなく感じるのである。
その原因が毎回のようにシリーズキャラクタ-を共演させていることにあるのは間違いないだろう。シリーズキャラクタ-の共演は一作二作なら楽しいけれど、ここまで続くとシリーズ間の垣根がかなり低くなり、それぞれのシリーズの特徴がブレンドされすぎて、薄まってしまう。
ハラーにはハラーにあった物語、ボッシュにはボッシュにあった物語があるわけで、事件に決着をつける道筋もそれぞれ異なるわけだ。そこを蔑ろにしているとまでは言わないが、作者はその妥協点を調整しているわけで、どうしても角の立たない展開や結末に落ち着くのではないか。
もはや半分キャラクター小説みたいになっており、それがよいという人もいるのだろうが、シリーズ本来の魅力は消さないでほしいものだ。
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マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(上)』(講談社文庫)
マイクル・コナリーの『復活の歩み リンカーン弁護士』をとりあえず上巻まで。まずはストーリー。
無実の服役囚を救い出したことで、刑事弁護士ミッキー・ハラーの元には冤罪を訴える囚人からの手紙が殺到していた。ハラーの異母兄弟で、元ロス市警刑事のハリー・ボッシュがその信憑性をチェックしていたところ、前夫を殺害して服役しているルシンダ・サンズの手紙に目が留まる。硝煙反応が決め手となっていた案件だったが、そもそも目撃者はおらず、凶器も未発見の事件である。
ハラーとボッシュはとりあえず調査を始めてみるが、事件がうわべどおりのものでないことが明らかになり、そして二人の住居に何者かが侵入するに及び……。
▲マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(上)』(講談社文庫)【amazon】
基本的にはリンカーン弁護士ものの一作ではあるが、ハリー・ボッシュは出ずっぱりだし、早々にレネイ・バラードやマディまで顔を出すなど、まずはシリーズファンに嬉しい贈り物である。上巻では各キャラクターの顔見せもあったり、まだそこまで大きな動きは起こっていないが、そのあたりは下巻に期待しよう。
無実の服役囚を救い出したことで、刑事弁護士ミッキー・ハラーの元には冤罪を訴える囚人からの手紙が殺到していた。ハラーの異母兄弟で、元ロス市警刑事のハリー・ボッシュがその信憑性をチェックしていたところ、前夫を殺害して服役しているルシンダ・サンズの手紙に目が留まる。硝煙反応が決め手となっていた案件だったが、そもそも目撃者はおらず、凶器も未発見の事件である。
ハラーとボッシュはとりあえず調査を始めてみるが、事件がうわべどおりのものでないことが明らかになり、そして二人の住居に何者かが侵入するに及び……。
▲マイクル・コナリー『復活の歩み リンカーン弁護士(上)』(講談社文庫)【amazon】
基本的にはリンカーン弁護士ものの一作ではあるが、ハリー・ボッシュは出ずっぱりだし、早々にレネイ・バラードやマディまで顔を出すなど、まずはシリーズファンに嬉しい贈り物である。上巻では各キャラクターの顔見せもあったり、まだそこまで大きな動きは起こっていないが、そのあたりは下巻に期待しよう。
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スタニスワフ・レム『宇宙飛行士ピルクス物語』(早川書房)
新年一冊目に読んだのはスタニスワフ・レムの『宇宙飛行士ピルクス物語』。見習い宇宙飛行士のピルクスが一人前に成長するまでを描く連作短篇集である。
……と書くとSFの衣を借りたビルドゥングスロマン的なものを想像してしまうけれど、実際の中身はそんな悠長なものではなくガチガチのハードSF、しかもその興味は宇宙工学や天文学などにとどまらず、知性や人類そのものの存在についても問おうとする哲学的な内容がメイン。サイエンス・フィクションというよりはいわゆるスペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)と呼ぶに相応しい。
それだけに普段SFを読み慣れていない者には難しい表記もあるし、ストーリー的には地味な話も少なくないのだが、実はすべての文学好きにお勧めしたい細やかな描写や普遍的なテーマという魅力がある。その内容は予想以上にバラエティに富んでいる。
何より当ブログ的にも重要なところであるが、本作はSFミステリとしても外せない一冊なのである。
▲スタニスワフ・レム『宇宙飛行士ピルクス物語』(早川書房)【amazon】
※リンク先はハヤカワ文庫版上巻です
Test「テスト」
Patrol「パトロール」
Albatros 「<アルバトロス>号」
Terminus「テルミヌス」
Odruch Warunkowy「条件反射」
Polowanie「狩り」
Wypadek「事故」
Opowiadanie Pirxa「ピルクスの話」
Rozprawa「審問」
Ananke「運命の女神」
収録作は以上。以下、簡単に各話のコメントなど。
「テスト」はまだ宇宙飛行士訓練生のピルクスが最終試験に挑む話。”虎の巻”を持って宇宙船に乗り込んだが、思いがけないトラブルが発生し……という一席。 ピルクスは自分に自信のない若者として描かれ、その見方はどこか優しい。ただ今となってはこのオチは厳しい。
「パトロール」は宇宙空間のパトロール中に発生するパイロット消失事件の謎を描く。SFミステリとしては十分に魅力的な謎だが、本作も真相はやや厳しいものがある。ただ、こういう真相にしなければならなかった意図は十分に理解できるし、ある意味、この意図が作品全体を支配している。
「<アルバトロス>号」は宇宙船の大事故を描いているが、ここでのピルクスは事件の一目撃者でしかない。現実社会の大惨事をイメージしているのは明らかで、ドキュメント的に描くことで現代への警鐘としているように思える。惨事の状況は伝聞でしかわからず、それが逆に怖さを感じさせる。
かつて大事故を起こした宇宙船を買い取ったピルクス、という設定の「テルミヌス」。船内には唯一生き残ったロボットが残っており……。本書には人間と機械の関係性を描いた作品が多いけれど、本作はとりわけ鮮烈。今問題になりつつあるAIとの関係性を遥か以前に認識していたレムの凄さよ。
「条件反射」はSFミステリとして要注目の一作。月基地に配属されていた観測隊員二名の死亡事件を探る物語。観測隊員は何故か食事中に出動し、別々の場所で命を落としている。それをピルクスと天文物理学者の二名で調査するのだが、そこに至るまでが不自然なほど長いのがいいのか悪いのか(苦笑)。真相はやはり人間と機械の関係性であり、それがラストで示される人間同士の関係に効いてくる。
月基地で暴走した殺人機械を止めようとするピルクスの活躍が描かれる「狩り」。スリリングな追跡劇のあとに待つラストが効果的だ。
「事故」はいってみれば奇妙な味タイプである。ピルクスの命令を受けてテープを取りに向かったロボットが帰ってこないという事態が巻き起こるが、その原因とは? ハード SFと奇妙な味の見事な融合。
「ピルクスの話」はピルクスの一人称で語られる物語。ピルクスの乗る宇宙船で流行性耳下腺炎(おたふく風邪)が発生し、ほとんどの乗組員が動けなくなってしまう。おまけに隕石群に突入してしまうが、そこでピルクスが出会ったものとは……。壮大な作品のプロローグのようなイメージ。
「審問」は本作中のベスト。SFミステリであり法廷ものでもあり、人間と機械のドラマとしては究極のテーマを扱っており、独特の緊張感を味わえる。ソ連とポーランドの合作で映画化もされたようで、これはちょっと観てみたい。
最後は火星での着陸失敗による大惨事を描いた「運命の女神」。事故を目撃したピルクスは証人として喚問され、やがて真相に近づくのだが……。なんとも言えない余韻を感じさせ、掉尾を飾るに相応しい作品。
ということで、どれもこれも非常に読み応えのある短篇集であった。素晴らしいSFやミステリを書く作家は大勢いるが、素晴らしいSFミステリを書ける作家はそうそういない。ましてやそこに娯楽以外の魅力を持たせることができるのはほんの数名だろう。レムは間違いなくその一人である。
……と書くとSFの衣を借りたビルドゥングスロマン的なものを想像してしまうけれど、実際の中身はそんな悠長なものではなくガチガチのハードSF、しかもその興味は宇宙工学や天文学などにとどまらず、知性や人類そのものの存在についても問おうとする哲学的な内容がメイン。サイエンス・フィクションというよりはいわゆるスペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)と呼ぶに相応しい。
それだけに普段SFを読み慣れていない者には難しい表記もあるし、ストーリー的には地味な話も少なくないのだが、実はすべての文学好きにお勧めしたい細やかな描写や普遍的なテーマという魅力がある。その内容は予想以上にバラエティに富んでいる。
何より当ブログ的にも重要なところであるが、本作はSFミステリとしても外せない一冊なのである。
▲スタニスワフ・レム『宇宙飛行士ピルクス物語』(早川書房)【amazon】
※リンク先はハヤカワ文庫版上巻です
Test「テスト」
Patrol「パトロール」
Albatros 「<アルバトロス>号」
Terminus「テルミヌス」
Odruch Warunkowy「条件反射」
Polowanie「狩り」
Wypadek「事故」
Opowiadanie Pirxa「ピルクスの話」
Rozprawa「審問」
Ananke「運命の女神」
収録作は以上。以下、簡単に各話のコメントなど。
「テスト」はまだ宇宙飛行士訓練生のピルクスが最終試験に挑む話。”虎の巻”を持って宇宙船に乗り込んだが、思いがけないトラブルが発生し……という一席。 ピルクスは自分に自信のない若者として描かれ、その見方はどこか優しい。ただ今となってはこのオチは厳しい。
「パトロール」は宇宙空間のパトロール中に発生するパイロット消失事件の謎を描く。SFミステリとしては十分に魅力的な謎だが、本作も真相はやや厳しいものがある。ただ、こういう真相にしなければならなかった意図は十分に理解できるし、ある意味、この意図が作品全体を支配している。
「<アルバトロス>号」は宇宙船の大事故を描いているが、ここでのピルクスは事件の一目撃者でしかない。現実社会の大惨事をイメージしているのは明らかで、ドキュメント的に描くことで現代への警鐘としているように思える。惨事の状況は伝聞でしかわからず、それが逆に怖さを感じさせる。
かつて大事故を起こした宇宙船を買い取ったピルクス、という設定の「テルミヌス」。船内には唯一生き残ったロボットが残っており……。本書には人間と機械の関係性を描いた作品が多いけれど、本作はとりわけ鮮烈。今問題になりつつあるAIとの関係性を遥か以前に認識していたレムの凄さよ。
「条件反射」はSFミステリとして要注目の一作。月基地に配属されていた観測隊員二名の死亡事件を探る物語。観測隊員は何故か食事中に出動し、別々の場所で命を落としている。それをピルクスと天文物理学者の二名で調査するのだが、そこに至るまでが不自然なほど長いのがいいのか悪いのか(苦笑)。真相はやはり人間と機械の関係性であり、それがラストで示される人間同士の関係に効いてくる。
月基地で暴走した殺人機械を止めようとするピルクスの活躍が描かれる「狩り」。スリリングな追跡劇のあとに待つラストが効果的だ。
「事故」はいってみれば奇妙な味タイプである。ピルクスの命令を受けてテープを取りに向かったロボットが帰ってこないという事態が巻き起こるが、その原因とは? ハード SFと奇妙な味の見事な融合。
「ピルクスの話」はピルクスの一人称で語られる物語。ピルクスの乗る宇宙船で流行性耳下腺炎(おたふく風邪)が発生し、ほとんどの乗組員が動けなくなってしまう。おまけに隕石群に突入してしまうが、そこでピルクスが出会ったものとは……。壮大な作品のプロローグのようなイメージ。
「審問」は本作中のベスト。SFミステリであり法廷ものでもあり、人間と機械のドラマとしては究極のテーマを扱っており、独特の緊張感を味わえる。ソ連とポーランドの合作で映画化もされたようで、これはちょっと観てみたい。
最後は火星での着陸失敗による大惨事を描いた「運命の女神」。事故を目撃したピルクスは証人として喚問され、やがて真相に近づくのだが……。なんとも言えない余韻を感じさせ、掉尾を飾るに相応しい作品。
ということで、どれもこれも非常に読み応えのある短篇集であった。素晴らしいSFやミステリを書く作家は大勢いるが、素晴らしいSFミステリを書ける作家はそうそういない。ましてやそこに娯楽以外の魅力を持たせることができるのはほんの数名だろう。レムは間違いなくその一人である。
新年明けましておめでとうございます。
本年も『探偵小説三昧』をよろしくお願い申し上げます。
今年の読書の目標としては、相変わらず海外ミステリ新刊が中心になるとは思うけれど、それは全体の1/3ぐらいにして、残りを昨年あまり読めなかった戦前の国産ミステリ、海外のクラシックミステリに当てたいところである。あとは泡坂妻夫、梶龍雄、笹沢左保、多岐川恭、中町信、西村京太郎、連城三紀彦を中心とした昭和作家ももう少し進めたい。
テーマ的には、海外のSFミステリをさらに消化して、少しまとめてみたい気持ちもある。また、ミステリと文学の境界に当たる作品、ミステリのご先祖的作品も興味のあるところなので、こちらもお勉強的に読んでいくつもり。
個人作家ではロスマクをようやくクリアできたので、ディクスン・カーは今年こそなんとかしたいところ。そして、できればクリスティやクロフツの完全読破にも着手したいところである。うむ、1年で全部こなすのは絶対に無理だな(笑)
本年も『探偵小説三昧』をよろしくお願い申し上げます。
今年の読書の目標としては、相変わらず海外ミステリ新刊が中心になるとは思うけれど、それは全体の1/3ぐらいにして、残りを昨年あまり読めなかった戦前の国産ミステリ、海外のクラシックミステリに当てたいところである。あとは泡坂妻夫、梶龍雄、笹沢左保、多岐川恭、中町信、西村京太郎、連城三紀彦を中心とした昭和作家ももう少し進めたい。
テーマ的には、海外のSFミステリをさらに消化して、少しまとめてみたい気持ちもある。また、ミステリと文学の境界に当たる作品、ミステリのご先祖的作品も興味のあるところなので、こちらもお勉強的に読んでいくつもり。
個人作家ではロスマクをようやくクリアできたので、ディクスン・カーは今年こそなんとかしたいところ。そして、できればクリスティやクロフツの完全読破にも着手したいところである。うむ、1年で全部こなすのは絶対に無理だな(笑)
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極私的ベストテン 2024
2024年もいよいよ残りわずか。今年はなんといっても元日に起こった能登半島地震に尽きるわけで、被災した実家と両親の支援が最優先の一年であった。実家の片付け、家財の回収、両親の移転先の確保と将来のこと、行政関係の手続き、そして実家の解体、それらに絡む諸々を、富山在住の弟と連携して進めていった。もちろん現地にも何度か足を運ぶ。
とりあえず年内に一山超えた感じで、なんとか年は越せそうだが、奥能登の輪島や珠洲といった被災地ではまだまだ復興が進んでいないし、今も水道すら通っていない方々のことを思うとまったく穏やかではいられないし、どこにぶつけていいかわからない怒りが湧き上がる。いろいろ思うところはあるが場違いなのでここでは触れないけれども、今も苦しんでいる方々が少しでも早く元の生活に戻れるよう国や県は支援を加速してほしい。
そういえば昨年末には図書館司書の資格を取得し、図書館勤務も少し考えていたのだが、震災絡みでバタバタが続き、それもすっかり後回しになってしまった。本当に人生は何があるかわからない。
-----------------------------------------------------
さて、気を取り直してここからは通常営業、いつものミステリ感想ブログに戻す。とは言っても今年最後の記事ということで、今回は恒例の「極私的ベストテン」の発表である。
管理人が今年読んだ小説の中から、刊行年海外国内ジャンル等一切不問でベストテンを選ぶという企画である。
今年の読書の柱となったのは海外ミステリの新刊である。数年前から某社のベストテンアンケートに答えるため、ある程度の数はこなすようにしているのだが、今年はとりわけ押さえるべき異色作が多くて疲れてしまった。新刊といっても海外ミステリの翻訳なので、発売される国も違えば発売年も違う。普通に考えれば国内ミステリほど傾向が偏ることもなく、バラエティに富んだ作品に接することができる。
ところが、ある作品が好評だと、他社も同趣向の作品を探してきて発売するものだから、下手をすると国内物より流行りが顕著になってくるのである。昨年もそうだったが、今年はその傾向がさらに強くなってきたような気がする。
具体的にいうと、ここ数年で目立つのは、少女を主人公とするもの、メタミステリ、モキュメンタリーあたりである。管理人も決してそういうジャンルは嫌いではないし、むしろ喜んで読んではいるが、少々食傷気味なのも確か。作者には気の毒だが、あまりに似た作品が重なると、せっかくのチャレンジがチャレンジでなくなってしまう。言葉は悪いが、色物は王道の中にあるからいいのであって、色物だらけでは色物の良さが出てこないよなぁ。
そのほかのトピックでいうと、今年はついにロス・マクドナルドの全長編を読破。また、それ以外のハードボイルドやノワール系でもホレス・マッコイやエド・レイシイ、エドワード・アンダースンといったところを読めたのが大収穫であった。
あとは昭和作家読破計画の一環で西村京太郎の初期作にトライしてみたが、これも予想以上の面白さで、現在も絶賛進行中である。
逆にあまり読めなかったのは国内の戦前作家や海外クラシック。特に論創海外ミステリはかなり遅れが出ているので、もう少し気合を入れなければ、という感じである。それと昨年マイブームになったSFミステリ。今年もぼちぼち読んではいたが、来年はソウヤーをはじめ、もっと数をこなさねば。
--------------------------------------------------------
前置きが長くなったけれど、それでは2024年の「極私的ベストテン」発表である。
1位 アンディ・ウィアー『火星の人(上・下)』(ハヤカワ文庫)
2位 マルレーン・ハウスホーファー『壁』(同学社)
3位 エド・レイシイ『さらばその歩むところに心せよ』(ハヤカワミステリ)
4位 シャロン・ボルトン『身代りの女』(新潮文庫)
5位 馬伯庸『両京十五日( I 凶兆・ II 天命』(ハヤカワミステリ)
6位 西村京太郎『七人の証人』(講談社文庫)
7位 ベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ハーパーBOOKS)
8位 ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』(王国社)
9位 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『止まった時計』(国書刊行会)
10位 ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』(扶桑社ミステリー)
堂々の1位は今更ながらの『火星の人』だが、面白いものはしょうがない。SF、冒険小説としても面白いのはもちろん、ミステリ好きにもフックになる要素が目白押し。昨年もSFミステリ作品が1位だったのでどうかと思ったのだが、繰り返しになるけれど、面白いものはしょうがない。
2位は世界三大サバイバル小説に入れるべき一冊。これも設定はSF的ながら、中身はガチガチのサバイバル小説である。
3位は知る人ぞ知るハードボイルドの傑作。読む前はまずまずよくできたハードボイルドなんだろうな、ぐらいの気持ちだったのだが、いざ読むとそんなレベルではなく、こんな傑作の読み残しがまだあることにショックを受けてしまった。
4位と5位は今年の大収穫。どちらを上にするかで悩んだが、壮絶な心理戦が味わえる『身代りの女』をチョイス。ありそうでなかったストーリーが素晴らしい。
5位は歴史冒険小説だが、実は壮大なミステリでもある。食わず嫌いをせず、ぜひ。
6位は唯一の日本代表。ケレン味の強さと個人的好みで選んだが、他の作品も傑作だらけで、偉大なベストセラー作家が実は偉大なミステリ作家であったことを再認識できた。
7位も今年の新作。ミステリの可能性を模索するという意味で今年もっとも気になった作品である。実験的作品でありながら間口も広く設けているところが吉。
8位は一応ノワールに入る作品。とはいえここまでくるともう純文学との垣根などないようなもので、変わったノワールを読みたい人はぜひ。
9位は完全な好み。クラシック作品も数あれど、こういう道を踏み外したような作品は実に面白い苦笑)。
10位もなんでこれまで読んでいなかったのかという悔しさが先にたつ一昨。実は気になる点もいろいろあるが、この独特の味わいは捨て難い。
ということで以上が2024年の極私的ベストテン。個人的には新刊、旧作ともかなり良作を読めた気がしており、ベストテンから溢れた作品でもそれに匹敵する作品がゴロゴロしている。これも下にずらっと並べたので、ぜひ読んでもらえれば幸いである。(作者名アイウエオ純、海外国内の順)
ロバート・アーサー『幽霊を信じますか?』(扶桑社ミステリー)
エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)
アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(東京創元社)
ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー)
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたXデイに』(東京創元社)
S・A・コスビー『すべての罪は血を流す』(ハーパーBOOKS)
ゾラン・ジヴコヴィチ『フョードル・ミハイロヴィチの四つの死と一つの復活』(盛林堂ミステリアス文庫)
サラーリ・ジェンティル『ボストン図書館の推理作家』(ハヤカワ文庫)
サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』(国書刊行会)
ロス・トーマス『狂った宴』(新潮文庫)
ウィリアム・フライアー・ハーヴィー『五本指のけだもの』(国書刊行会)
アルバート・ハーディング『レイヴンズ・スカー山の死』(ROM叢書)
レオ・ブルース『怒れる老婦人たち』(ROM叢書)
ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』(文春文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』(創元推理文庫)
ジリアン・マカリスター『ロング・プレイス、ロング・タイム』(小学館文庫)
ロス・マクドナルド『別れの顔』(ハヤカワ文庫)
ジル・マゴーン『騙し絵の檻』(創元推理文庫)
サイモン・モックラー『極夜の灰』(創元推理文庫)
ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(白水社)
マット・ラフ『魂に秩序を』(新潮文庫)
ピエール・ルメートル『邪悪なる大蛇』(文藝春秋)
ジェイソン・レクーラック『奇妙な絵』(早川書房)
マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮文庫)
多岐川恭『黒い木の葉』(河出書房新社)
西村京太郎『殺しの双曲線』(講談社文庫)
最後にアンソロジーや評論、ノンフィクションなどからミステリ関係でよかった本を以下に挙げておこう。今年はあまり読めていないので、これも来年の課題である。
佐々木徹/編訳『英国古典推理小説集』(岩波文庫)
池央耿『翻訳万華鏡』(河出文庫)
森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人『Murder, She Drew Extra : Carr Graphic Vol.3 KEEP CARR AND CARRY ON』(饒舌な中年たち)
江戸川乱歩『江戸川乱歩座談』(中公文庫)
ということで、今回が今年最後の『探偵小説三昧』であります。今年も拙ブログをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
そして来年こそは災害や紛争のない平和な一年になりますよう心からお祈りしたいと思います。
それでは皆さま、良いお年を!
とりあえず年内に一山超えた感じで、なんとか年は越せそうだが、奥能登の輪島や珠洲といった被災地ではまだまだ復興が進んでいないし、今も水道すら通っていない方々のことを思うとまったく穏やかではいられないし、どこにぶつけていいかわからない怒りが湧き上がる。いろいろ思うところはあるが場違いなのでここでは触れないけれども、今も苦しんでいる方々が少しでも早く元の生活に戻れるよう国や県は支援を加速してほしい。
そういえば昨年末には図書館司書の資格を取得し、図書館勤務も少し考えていたのだが、震災絡みでバタバタが続き、それもすっかり後回しになってしまった。本当に人生は何があるかわからない。
-----------------------------------------------------
さて、気を取り直してここからは通常営業、いつものミステリ感想ブログに戻す。とは言っても今年最後の記事ということで、今回は恒例の「極私的ベストテン」の発表である。
管理人が今年読んだ小説の中から、刊行年海外国内ジャンル等一切不問でベストテンを選ぶという企画である。
今年の読書の柱となったのは海外ミステリの新刊である。数年前から某社のベストテンアンケートに答えるため、ある程度の数はこなすようにしているのだが、今年はとりわけ押さえるべき異色作が多くて疲れてしまった。新刊といっても海外ミステリの翻訳なので、発売される国も違えば発売年も違う。普通に考えれば国内ミステリほど傾向が偏ることもなく、バラエティに富んだ作品に接することができる。
ところが、ある作品が好評だと、他社も同趣向の作品を探してきて発売するものだから、下手をすると国内物より流行りが顕著になってくるのである。昨年もそうだったが、今年はその傾向がさらに強くなってきたような気がする。
具体的にいうと、ここ数年で目立つのは、少女を主人公とするもの、メタミステリ、モキュメンタリーあたりである。管理人も決してそういうジャンルは嫌いではないし、むしろ喜んで読んではいるが、少々食傷気味なのも確か。作者には気の毒だが、あまりに似た作品が重なると、せっかくのチャレンジがチャレンジでなくなってしまう。言葉は悪いが、色物は王道の中にあるからいいのであって、色物だらけでは色物の良さが出てこないよなぁ。
そのほかのトピックでいうと、今年はついにロス・マクドナルドの全長編を読破。また、それ以外のハードボイルドやノワール系でもホレス・マッコイやエド・レイシイ、エドワード・アンダースンといったところを読めたのが大収穫であった。
あとは昭和作家読破計画の一環で西村京太郎の初期作にトライしてみたが、これも予想以上の面白さで、現在も絶賛進行中である。
逆にあまり読めなかったのは国内の戦前作家や海外クラシック。特に論創海外ミステリはかなり遅れが出ているので、もう少し気合を入れなければ、という感じである。それと昨年マイブームになったSFミステリ。今年もぼちぼち読んではいたが、来年はソウヤーをはじめ、もっと数をこなさねば。
--------------------------------------------------------
前置きが長くなったけれど、それでは2024年の「極私的ベストテン」発表である。
1位 アンディ・ウィアー『火星の人(上・下)』(ハヤカワ文庫)
2位 マルレーン・ハウスホーファー『壁』(同学社)
3位 エド・レイシイ『さらばその歩むところに心せよ』(ハヤカワミステリ)
4位 シャロン・ボルトン『身代りの女』(新潮文庫)
5位 馬伯庸『両京十五日( I 凶兆・ II 天命』(ハヤカワミステリ)
6位 西村京太郎『七人の証人』(講談社文庫)
7位 ベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ハーパーBOOKS)
8位 ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』(王国社)
9位 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『止まった時計』(国書刊行会)
10位 ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』(扶桑社ミステリー)
堂々の1位は今更ながらの『火星の人』だが、面白いものはしょうがない。SF、冒険小説としても面白いのはもちろん、ミステリ好きにもフックになる要素が目白押し。昨年もSFミステリ作品が1位だったのでどうかと思ったのだが、繰り返しになるけれど、面白いものはしょうがない。
2位は世界三大サバイバル小説に入れるべき一冊。これも設定はSF的ながら、中身はガチガチのサバイバル小説である。
3位は知る人ぞ知るハードボイルドの傑作。読む前はまずまずよくできたハードボイルドなんだろうな、ぐらいの気持ちだったのだが、いざ読むとそんなレベルではなく、こんな傑作の読み残しがまだあることにショックを受けてしまった。
4位と5位は今年の大収穫。どちらを上にするかで悩んだが、壮絶な心理戦が味わえる『身代りの女』をチョイス。ありそうでなかったストーリーが素晴らしい。
5位は歴史冒険小説だが、実は壮大なミステリでもある。食わず嫌いをせず、ぜひ。
6位は唯一の日本代表。ケレン味の強さと個人的好みで選んだが、他の作品も傑作だらけで、偉大なベストセラー作家が実は偉大なミステリ作家であったことを再認識できた。
7位も今年の新作。ミステリの可能性を模索するという意味で今年もっとも気になった作品である。実験的作品でありながら間口も広く設けているところが吉。
8位は一応ノワールに入る作品。とはいえここまでくるともう純文学との垣根などないようなもので、変わったノワールを読みたい人はぜひ。
9位は完全な好み。クラシック作品も数あれど、こういう道を踏み外したような作品は実に面白い苦笑)。
10位もなんでこれまで読んでいなかったのかという悔しさが先にたつ一昨。実は気になる点もいろいろあるが、この独特の味わいは捨て難い。
ということで以上が2024年の極私的ベストテン。個人的には新刊、旧作ともかなり良作を読めた気がしており、ベストテンから溢れた作品でもそれに匹敵する作品がゴロゴロしている。これも下にずらっと並べたので、ぜひ読んでもらえれば幸いである。(作者名アイウエオ純、海外国内の順)
ロバート・アーサー『幽霊を信じますか?』(扶桑社ミステリー)
エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)
アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(東京創元社)
ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー)
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたXデイに』(東京創元社)
S・A・コスビー『すべての罪は血を流す』(ハーパーBOOKS)
ゾラン・ジヴコヴィチ『フョードル・ミハイロヴィチの四つの死と一つの復活』(盛林堂ミステリアス文庫)
サラーリ・ジェンティル『ボストン図書館の推理作家』(ハヤカワ文庫)
サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』(国書刊行会)
ロス・トーマス『狂った宴』(新潮文庫)
ウィリアム・フライアー・ハーヴィー『五本指のけだもの』(国書刊行会)
アルバート・ハーディング『レイヴンズ・スカー山の死』(ROM叢書)
レオ・ブルース『怒れる老婦人たち』(ROM叢書)
ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』(文春文庫)
アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』(創元推理文庫)
ジリアン・マカリスター『ロング・プレイス、ロング・タイム』(小学館文庫)
ロス・マクドナルド『別れの顔』(ハヤカワ文庫)
ジル・マゴーン『騙し絵の檻』(創元推理文庫)
サイモン・モックラー『極夜の灰』(創元推理文庫)
ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(白水社)
マット・ラフ『魂に秩序を』(新潮文庫)
ピエール・ルメートル『邪悪なる大蛇』(文藝春秋)
ジェイソン・レクーラック『奇妙な絵』(早川書房)
マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮文庫)
多岐川恭『黒い木の葉』(河出書房新社)
西村京太郎『殺しの双曲線』(講談社文庫)
最後にアンソロジーや評論、ノンフィクションなどからミステリ関係でよかった本を以下に挙げておこう。今年はあまり読めていないので、これも来年の課題である。
佐々木徹/編訳『英国古典推理小説集』(岩波文庫)
池央耿『翻訳万華鏡』(河出文庫)
森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人『Murder, She Drew Extra : Carr Graphic Vol.3 KEEP CARR AND CARRY ON』(饒舌な中年たち)
江戸川乱歩『江戸川乱歩座談』(中公文庫)
ということで、今回が今年最後の『探偵小説三昧』であります。今年も拙ブログをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
そして来年こそは災害や紛争のない平和な一年になりますよう心からお祈りしたいと思います。
それでは皆さま、良いお年を!