fc2ブログ
探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 07 2023

ルース・スタイルス・ガネット『エルマーのぼうけん』(福音館書店)

 立川の「PLAY! MUSEUM」で「エルマーのぼうけん」展が開催されているようだ。児童書の企画展といえば、くまのプーさんやムーミンなど、映画やテレビでアニメ化されたものは割と多い方だと思うけれど、たとえ児童書としては定番でも一般には知名度が落ちるせいか、ほとんど見かけたことがない。
 『エルマーのぼうけん』もその口であり、おそらく「エルマーのぼうけん」を使った展示会は初めてである。これはやはり観ておかなければ、と思ったのはいいのだが、考えるとエルマー・シリーズはちゃんと読んだことがない(笑)。これではいかんということで、とりあえずシリーズ全作を一気に読んでみることにした。

 


『エルマーのぼうけん』
 シリーズ第一作。エルマー・エレベーター少年は、ある日、年寄りの「ねこ」から、「どうぶつ島」に捕まっている「りゅう」の子どもの話を聞かせてもらう。それを聞いたエルマーはさっそくどうぶつ島へ向かうが、そこにはたくさんの恐ろしいどうぶつたちが待ち受けていた。しかし、エルマーにはこんな時のために、いろいろな道具を用意していたのだ。

 エルマーのぼうけん

 絵に描いたような少年の冒険物語である。「絵に描いたような」と描いたけれど、文字どおり挿画も豊富で、こちらはなんと義理の母である挿絵画家のルース・クリスマン・ガネットが手掛けたという。物語は著者が22歳の頃に書いたらしいが、この挿絵画家の継母をはじめ、家族の協力がいろいろ大きかったようだ。

 少年がどんな困難にも決してあきらめず、友達や家族のために、勇気を持って困難に打ち勝つ。まずは正統的なストーリーで、スピード感もハラハラもあり、子どもが喜ぶのは当然だろう。
 特に上手いなあと感じたのは、エルマーが実はほとんどピンチらしいピンチに陥らないことだ。そんなピンチは先刻ご承知とばかり、楽機転と道具を使って易々と乗り越えてしまう。他の登場人物、例えばりゅうや動物たちは、ただただエルマーに感心するばかりだ。
 思うにこれはエルマーがすごく賢いというのではない。結局、普通の物語で大人が演じる役目を、エルマーが演じている。りゅうや動物たちも、姿はりゅうやどうぶつだが、その役割は子どもなのである。読者である子どもたちは、大人が主人公だと差がありすぎて素直に吸収できないところを、エルマーが演じることで感情移入し、エルマーのようにならなくちゃ、という気持ちにさせてくれる。
 そう思って読むと、エルマーはここかしこに他人を労る心や努力の大切さをおいせてくれる場面があり、より納得がいく。まあ、基本的テクニックではあるのだが。

 ただ、魅力はそれだけではない。戦後まもなくに書かれた作品がこうして長い間読まれているだけあって、他の作品にはない、独特の特徴や味わいがある。それをいくつか拾ってみよう。
 まずは主人公のエルマーが、力に頼ることなく、知恵を使ってピンチを切り抜ける点がいい。
 二つ目に、ピンチを脱出するために使うアイテムの面白さ。ガムにキャンディー、長靴、輪ゴムなどなど、エルマーが出発するときにアイテムをいろいろ持っていくが、この使い方が想像力豊かで楽しい。
 三つ目に、敵という存在はいるけれども、決して力づくで相手をやっつけないこと。そのために上の二つが生きるわけである。エルマーが戦わないのは、戦後まもなくして書かれたことと決して無関係ではないだろう。著者の気持ちが入っている部分だと思う。
 四つ目は、数字にこだわる描写が多いこと。たとえば「むしめがねをいくつか持っていく」とは書かない。必ず「むしめがねを6つ持っていく」とかのように明記する。これは数字が持つ几帳面な面白さもあるのだが、もしかすると合理性や正確性というものが持つ重みを、著者が示したかったのかなとも思えた。
 

『エルマーとりゅう』
 無事にりゅうを助けたエルマーは、りゅうの背中に乗って家に帰る途中、「みかん島」に立ち寄った、するとそこにはたくさんのカナリアたちが住んでいたが、王さまは「しりたがり病」という病気にかかって困っているらしい。エルマーは王さまの病気を直すことができるだろうか。

 エルマーとりゅう

『エルマーと16ぴきのりゅう』
 エルマーを送っていたりゅうの子は、自分の家がある「そらいろこうげん」へ向かう。ところが15匹の家族のりゅうは、人間たちに追われて洞窟に閉じ込められていた。りゅうの子はエルマーに助けを求めるが……。

 エルマーと16ぴきのりゅう

 以上の二冊は続編で、物語としては繋がっているので、やはり『エルマーのぼうけん』から順番に読むのがいいだろう。一応、エルマーとりゅうの子の友情が培われていくようなところもあるし。
 ただ、面白さでいくと正直『エルマーのぼうけん』が二枚ぐらい上をいくかもしれない。それぐらい傑作なのだけれど、三作目の『エルマーと16ぴきのりゅう』になると人間が出過ぎてしまい、それも残念なところである。まあ、そうは言っても児童書でどれもあっという間に読めるものばかり。これぐらいは三冊まとめて必読としておこう。


ドロレス・ヒッチェンズ『はなればなれに』(新潮文庫)

 新潮文庫で始まった「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」も順調そうで何より。本日はその中からドロレス・ヒッチェンズの『はなればなれに』を読む。
 ヒッチェンズの邦訳は過去に二作ほどあり、管理人はポケミスから出たD・B・オルセン名義の『黒猫は殺人を見ていた』を読んだことがあるが、こちらはコージーっぽい雰囲気とミステリとしての緩さがあまり好みではなかった。
 ところが本作はコージーとは正反対のノワールであり、なんとゴダールも映画化した作品である。『黒猫は殺人を見ていた』のイメージが強かったので、その作風が実際にどう変化したのか、そういう意味でも興味深い一冊である。

 夜間高校に通う二十二歳のスキップとエディは、共に前科を持つ若者たち。彼らは学校で天涯孤独な少女カレンと知り合いになり、やがて彼女が世話になっている家にはカジノ関係者が出入りしており、家に大金を保管してるらしいことを知る。スキップとエディはその金の強奪計画を練るが、スキップの叔父に計画を嗅ぎつけられると、徐々に歯車が狂い始めた……。

 はなればなれに

 『黒猫は殺人を見ていた』は初期作品ということもあるし、そもそも本作とはまったく方向性が違うとはいえ、あまりの違いに驚いてしまった。作風が違うのはもちろんだし、その出来もケタ違いである。
 ストーリーはいたって単純、むしろありがちである。一攫千金を夢見た若者たちが犯罪に手を出すのだが、無知で未熟ゆえ、どんどんドツボに転がり込むという犯罪小説である。全体的な雰囲気はノワール、あるいはダークな青春小説といってもよい。それのどこに、こうも惹きつけられるのか。

 大きいのは、やはりキャラクター造形の見事さだろう。
 倫理観が部分的に欠落した若者たちの、タガの外れ具合が絶妙なのである。性格も悪いところばかりではなく長所もないではない。非常に不愉快な人間ではあるが、極悪人とまではいかない。その微妙な小物加減がリアルでいいのだ。
 ぶっちゃけ、その辺にいる街のチンピラのようなものなのだ。そんな中途半端な連中だからこそ、彼らは物事を多少は考えつつも最後まで詰めることができない。挙句は余計に物事をぐだぐだにしてしまう。その結果として、彼らは転落を止めるどころか、自分たちが転落していることにすら気づかないのである。

 ただ、彼らは決して例外ではなく、人は多かれ少なかれ、こうした要素をどこかしら持っているのかもしれない。だからこそ惹かれるところはある。読者はイライラしながらも(決してハラハラではない)目が離せないのだ。
 なぜ人間はここまで不確かな存在になれるのか。安っぽい見かけのノワールだと舐めてかかってはいけない。そのテーマは非常に重いのだ。


飯城勇三『密室ミステリガイド』(星海社新書)

 普通に考えるとミステリの密室をテーマに一冊ガイドブックを作るというのは、隙間狙いもいいところである。ただ、これまでにも有栖川有栖氏の監修による『図説 密室ミステリの迷宮』や有栖川有栖、安井俊夫の『密室入門!』、有栖川有栖、磯田和一の『有栖川有栖の密室大図鑑』などという本が出ているので、それなりに需要があるのかもしれないけれど、いや、やはりニッチだよなあ。
 とりあえず、そんな有栖川有栖の市場独占状態に風穴を開けるべく(いや、そういう目的ではない)、飯城勇三の『密室ミステリガイド』が出たので読んでみた。

 密室ミステリガイド
▲飯城勇三『密室ミステリガイド』(星海社新書)【amazon

 『密室ミステリガイド』はタイトルどおり密室ミステリを解説した一冊で、国内作品が三十作、海外作品が二十作を紹介したもの。
 大きな特徴としては、まず密室の図版がついていること。また、各作品の解説が、すべて問題編と解決編に分けられていることだろう。
 この問題編と解決編だが、これは要するにネタバレありきで解説したものが解決編であり、未読の読者のために配慮した結果である。どうせこんなマニアックな本を買う人間は、紹介されている本をかなりの割合で読んでいるだろうし、未読があってもそういうリスクをかぎ分ける経験値もあるはずなので、別に解決編に分けずにまとめて紹介してくれてもいいと思うのだが、まあ、親切設計ということで仕方あるまい。個人的には新書サイズでページを行ったり来たりする面倒の方が勝っているかなと感じたのだが、まあ、この辺は個人差だろう。

 中身については、単に密室トリックの解説にとどまらない紹介が好印象。
 もちろん密室トリックの解説は重要だが、その一方でトリックの凄さは結局作品ありきだと思うので、作品自体の魅力は言うに及ばず、トリックの位置付けや関連作品といった周辺情報などを盛り込むのは、この手の本にとってけっこう重要である。本書のテキストはそういう意味で読んでいて楽しいし、むしろコラムをもっと増やしてほしかったぐらいだ。

 ということで内容的には楽しめる一冊だと思うが、ちょっと気になったのは本編のデザイン・レイアウトである。星海社新書のミステリ関連本では、これまでも『エラリー・クイーン完全ガイド』『『名探偵ポワロ』完全ガイド』を読んだことがあるが、いつも気になるのはごちゃごちゃした見た目である。
 新書サイズだから無理に飾り罫などバンバン使う必要はないし、本文より小さい見出しなんて普通はダメでしょ。アイコンだとしても視認性が悪いし。
 これらが許されるのはせいぜいA5以上のサイズ、もしくは子供向けの本とかではないかな。おそらく若い人を意識した上でのことだろうけれど、新書というサイズを考えたらまずは読みやすさ重視。同人誌ならここまで言わないけれど、これはれっきとした商業出版なのであえて厳しめに注文をつけておきたい。

多岐川恭『虹が消える』(河出書房新社)

 多岐川恭の『虹が消える』を読む。久々の多岐川作品である。気がつけば最後に読んだのはなんと五年前のこと。そこそこ代表作が読めたので憑き物が落ちたか、うっかり他の昭和の推理作家を開拓していたら、すっかりご無沙汰になっていたようだ。とはいえその間もコツコツ本自体は集めていたので、もう少し定期的に消化してい金ば。

 さて『虹が消える』だが、まずはストーリー。
 子供時代のトラウマからか、まだ二十後半という若さながら、すっかり斜に構える生き方が染みついた新聞記者の郡徹也(こおりてつや)。仕事も投げやりで、スナックのママを脅迫まがいに愛人にし、飲み歩く毎日である。
 そんな郡が宿直をサボり、上司の妻と飲み歩いていた夜のこと。ある料亭での代議士の刺殺事件が発生し、同僚の世古にスクープされてしまう。動機は料亭の女将をめぐる三角形のもつれだと思われたが、背景には犯人の経営する炭鉱事業のトラブルがありそうだった。
 ところが程なくしてスクープをあげた世古は左遷され、静岡で自殺してしまう。宿直をサボっていたことで出社停止処分を受けていた郡は、これ幸いとばかりに調査に乗り出すが……、

 虹が消える

 トリッキーな本格作品の多い多岐川恭だが、とりわけ初期は名作揃い。そんな中にあって何故かあまり話題にのぼらない初期作品があって、それが本書『虹が消える』である。
 まあ、それも読んで納得。なんとバリバリのハードボイルド系作品であった。さまざまな作風にチャレンジしている時期だからとはいえ、謎解きをあまり重視せず、主人公の行動で読ませる本作はどうしても地味に思われてしまうのだろう。

 ただ、謎解きが重視されていないとはいえ、真相はなかなか錯綜している。鉱山事業に関わる代議士や経営者、買収を目論むライバル企業や暴力団などを背景に、これまた生臭く複雑な人間模様が織り込まれる。むしろ捻りすぎて、それがマイナスに感じられるほどだが、全体としてはロス・マクドナルドあたりを彷彿とさせて、ストーリーは悪くない。
 人物描写も鮮やかで、記者にしても水商売の女にしても暴力団にしても、みなキャラクターがしっかり立っている印象。とりわけ代議士の秘書の男は主人公を食う勢いで、これはサブキャラのお手本といってよい。
 逆に主人公のキャラクター造形は少々やりすぎでいただけない。ダメ新聞記者というキャラクターは別にいいのだけれど、その原因がそこまで大したことではないので、どうしても甘ちゃんに思えてしまうのがまず一つ。もう一つは今のダメ人間ぶりが度を越しすぎということ。仕事をほぼしていないようだし、スナックのママの弱みを握り、脅迫でヒモになる、上司の奥さんと不倫してそれを他の社員にも隠さないなどなど、時代を考慮したとしても即クビだろう。
 そんな主人公が中盤あたりから、いつの間にかまっとうなハードボイルドの主人公にキャラ変してしまっているのがまた不思議。転機になる事件でもあればよいけれど、それもなし。なんとも不可解である。

 ということでハードボイルドとしては悪くないものの、肝心の主人公にいまひとつ説得力に欠けるのが惜しまれる。多岐川恭のファンであれば、というところか。

※なお、アマゾンのリンクは河出の単行本が見当たらなかったので徳間文庫版を貼ってあります。


笹沢左保『泡の女』(徳間文庫)

 笹沢左保の『泡の女』を読む。初期の代表作の一つとして知られ、『本格ミステリ・フラッシュバック』でも紹介されている一作である。

 まずはストーリー。東京地方統計局に勤務する木塚夏子のもとに、突然、茨城県警から連絡が入った。夏子の父、重四郎が大洗海岸で縊死体となって発見されたという。夏子は職場結婚した夫の達也を呼び出し、二人で茨城県へ向かった。
 ところが後日、重四郎の死因に不審なところがあり、達也が殺人容疑をかけられてしまう。婿入りし、性格もおとなしい達也がそんなことをするはずがない。重四郎との関係もまったく悪くはなかった。夏子は達也の無罪を晴らすべく独力で調査を開始するが、残された時間は三日間しかなかった……。

 泡の女

 表面的には巻き込まれ型のサスペンスであり、ストーリーの大半はヒロインの地道な調査である。素人なのでもちろんその進め方は拙いが、クロフツもかくやというぐらいの根気強さで、事実をひとつずつ掘り起こしていく。調査の進捗にしたがってヒロインの心理が揺れ動く、その様が読みどころであろう。
 ただ、笹沢左保にしては全体的に少々単調なストーリーで、そこまで物語には入り込めない。昭和の時代に何かと叩かれていたお役所の事なかれ主義を利用してタイムリミットにするなど、工夫はされているのだが、先の欠点をカバーするところまでには至っていない。
 
 ただ、真相はお見事である。プロットも比較的シンプルながら、ヒロインの視点で進むため、きっちりとカモフラージュする手立てがなされている。ヒロイン夏子の調査が延々と描かれてきたのも、この真相をより活かすためかとようやく腑に落ちる。
 そして何より印象的なラストシーン。その瞬間は爽快だが、ヒロインの運命を思うと虚しい思いしか残らず、これはこれで笹沢左保らしいところである。

 ミステリとしてもドラマとしても、構成にクセのある作品。それだけに笹沢左保の中級者以上におすすめの一作といえるだろう。

※ちなみに管理人は徳間文庫で読んだのだが、Amazonのリンクを貼ろうとしたら、ちょうど「有栖川有栖選 必読! Selection」の一冊として新装版が出るではないですか。ナイスタイミングではあるので、これから読もうとされる方はぜひそちらでどうぞ。


エドワード・D・ホック『フランケンシュタインの工場』(国書刊行会)

 かつてハヤカワ文庫から、エドワード・D・ホックのシリーズもののSFミステリ『コンピューター検察局』『コンピューター404の殺人』が刊行された。もう四十年以上も前のことである。未来の地球を舞台に、コンピュータ検察局の捜査員、カール・クレイダーとアール・ジャジーンの活躍を描いた物語であった。
 特にシリーズ一作目となる『コンピューター検察局』は、SFの部分が古臭い感じは受けたもののミステリとしては悪くない作品で、ホックの芸の広さを感じさせたものだ。しかし次の『コンピューター404の殺人』がいけなかった。こちらは出来としては悪く、それがセールスにも繋がったか、三作目の作品が残っているにもかかわらず紹介はそれっきりになってしまった。
 そんなことがあったため、その幻のコンピュータ検察局・シリーズの三作目『フランケンシュタインの工場』が、国書刊行会の〈奇想天外の本棚〉の一冊として発売されるという告知を見たときは驚いた。ハヤカワ文庫『コンピューター404の殺人』が発売されてから、なんと四十年以上を経ての完結編である。

※なお、ハヤカワ文庫版では「コンピューター」、〈奇想天外の本棚〉版では「コンピュータ」と表記されていますが、当ブログ内では現在の主流でもある「コンピュータ」表記といたします。ただし、ハヤカワ文庫版のタイトルに関しては、そのまま「コンピューター」とさせていただきます。

 こんな話。メキシコのバハ・カリフォルニア沖に浮かぶ孤島で、国際低温工学研究所の代表ローレンス・ホッブズ博士がある計画を進めていた。それは冷凍保存してある複数の遺体から必要な臓器を取り出し、人間を蘇生させるという研究であった。いわば現代版フランケンシュタインである。
 一方、コンピュータをはじめとする最新テクノロジーに関係する犯罪に対処するコンピュータ検察局では、国際低温工学研究所の活動に疑念を抱いていた。そこで副局長アール・ジャジーンを撮影技師と偽らせ、潜入捜査をさせることにした。
 蘇生手術が行われる当日、島にいるのはホッブズ博士と研究所の後援者エミリー、六人の医者や科学者たち、料理人、アールの十名であった。ところが手術が完了した翌日、後援者のエミリーが行方不明となり、さらには外部との連絡手段が次々と断たれてゆく。そして遂に最初の悲劇が起こる……。

 フランケンシュタインの工場

 本作を読みたかった理由は、単にシリーズで唯一残された未訳作品だったこともあるのだが、何よりその内容である。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせるシチュエーションに加え、その舞台となる孤島で行われているのが、『フランケンシュタイン』の実験そのもの。この二大小説をどのように合体させたのか、期待するなという方が無理な話だ。
 ただ、その一方で、ホックの作品なのにここまで邦訳されてこなかったのは、やはり相当出来が悪かったのかという不安もあるわけで、ここまで先入観が混沌とすることはなかなか珍しい(笑)。

 で、実際に読んでみた結果だが。決して酷い出来というわけではなく、それなりに面白く読めて思わず胸を撫で下ろしたというのが正直なところである(笑)。

 なんだか奥歯にものの挟まったような感想で恐縮だが、少し細かく見ていくと、やはり欠点が多いのである。特にSF部分の弱さは相変わらずだ。
 いろいろ調べては書いているのだろうが、やはりアシモフはじめSFプロパーの方々の書くSFミステリに比べると、科学的な描写が浅いのは否めない。特に人体蘇生手術は本作の肝であるにもかかわらず、医学的な説明や描写はほぼないし、フランク(蘇生手術の患者)が蘇生した後までモンスター扱いなのも気に入らない。フランクの心理まで描写しろとはいえないが、小説としてそこに焦点を当てることは重要で、『フランケンシュタイン』テーマの核心でもあるのだから、ここをさらっと逃げているのはいただけない。
 また、ある人物のトリックはかなり無理があるのだけれど、ここもSF的な処理を頑張ればクリアできるはずなのに残念ながらそういうアイデアはなかったようだ。さらに、科学の発達した未来を舞台にしている割には、通信技術が今とほとんど同じというか、この舞台設定でインフラについてはほぼ現代レベルというのも残念なところ。
 基本的には掘り下げが浅いのだろう。テーマや重要な部分にこだわりをみせず、さらっと流してしまっているという印象なのである。おそらくホックもあえて重くならないようにしているとは思うのだが、これだけの美味しい素材を使っていてそれはあまりにもったいない。というか作家として、もう少し志を高くもってほしいところである。

 とまあ、ここまでケチをつけておいて何だが、ストーリーは面白いのだ。それこそ『そして誰もいなくなった』のように一人ずつ殺されてくという展開はサスペンス十分。しかも『そして〜』では見ず知らずの十人だったが、本作では各自にけっこうな因縁や秘密があり、それが徐々に暴露され、その度に容疑者が変わるのである。容疑者といえば、手術後に意識不明でいるフランクもまた容疑者の一人というのも面白い。
 本格ミステリとしても諸々のネタを詰め込んでおり(強力なものはないけれども)、そこは素直に評価したい。

 ということでリーダビリティは高いけれども、SFミステリとしてはテーマの掘り下げの弱さ、作り込みの甘さが惜しまれるといったところか。せめてリアルタイムで読んでいたら、また印象が変わったかもしれないのだが、まあ原作発表から五十年近く経った今でもそれなりに面白く読めるのだから、むしろ幸せな方かもしれない。
 ともあれシリーズ全作がこうして読めるようになっただけでも個人的にはありがたい一冊であった(といってもハヤカワ文庫の方は品切れなので、これを機に復刊すりゃいいのにね)。



ウィルマー・H・シラス『アトムの子ら』(ハヤカワSFシリーズ)

 SFミステリ読破計画から、今回はウィルマー・H・シラスの『アトムの子ら』。突然変種を扱ったSFで、いわゆるミュータントものの古典とも呼ばれるほどの作品だが、いざ読んでみると、確かにこれはとんでもなく魅力的な一作であった。

 カリフォルニアの小さな町で若手の精神医として働くピーター・ウエルズは、自分の恩師でもある教師から、ある少年の心理テストを依頼された。頭は良いらしいが、どこか社会から逃げているように見えるその少年・ティム。ウエルズはティムと面接し、試験をするうちに、少年がとんでもない知能指数をもち、それを隠していることを知る。それは少年が身につけた生きる上での防衛手段だったのだ。
 ティムが心を開くようになった頃、ウエルズはティムの祖母から重大な話を聞かされる。かつて原子力研究所の大爆発事故が起こり、そこで働いていた職員はみな二年ほどで残らず死亡したのだという。ティムのの両親もまさしくそこの職員であり、母親はティムを産んでまもなく亡くなったのだ。
 ティムの能力の高さは、その爆発事故に関係があると思われたが、ウエルズとティムの興味は別にあった。それは他にもティムと同様の子供たちがいるかもしれないということだ……。

 アトムの子ら

 本当に面白い。ここまでの作品とは思わなかった。今年読んだ本の中では間違いなく上位に来る。
 ミュータントものとは書いたけれど、実はそこまでSF色は強くない。じゃあミステリ色が強いのかというと、確かにミステリ的なアプローチはあるのだが、表面的にはミステリともかけ離れている。ところがそんなSF、ミステリの両テイストが非常に効果的に用いられた結果、非常に魅惑的な作品となったのだ。

 ストーリーはいたってシンプル、というかほとんど事件らしい事件のない静かな物語である。それでも大きく三つのパートに分けられるとは思うのだが、それぞれに微妙に異なる面白さがある。
 まずは精神科医のウエルズがティム少年の隠された能力に気付き、児童心理学の知識をフルに動員して彼の心を開いていくまでの前半。ウエルズのテストや質問にはある意図があるわけだが、そこは天才のティム少年。彼は自分の能力がバレないよう、それを巧みにはぐらかしていく。だが最終的にウエルズの熱意が通じ、ティムの信頼を勝ち得るのだが、興味深いのは、ウエルズがどうやってティムの信頼を得たかである。ここが最初の読みどころであり、ここまででも十分に面白いのだが(実際、この部分が先に短編として発表されたようだ)、この後がさらに熱い。

 二人はその後、同じような子どもたちがいると考え、その子どもたちが本来の自分を発揮できる場、身を守る場として、学校を作ろうと考える。だが、その子どもたちは果たしてどこにいるのか、いたとしても最初のティムのように世界から逃避している可能性も高いはずで、それをどうやって説得するのか。後半の読みどころはまさにここにある。
 子どもたちはそれぞれに問題を抱えており、これをウエルズは丹念に解決してゆく。これが最高に面白い。子どもたちとの連絡に暗号を使うなど、ミステリ的な要素も入ってくるし、子供に合わせた心理学のテクニックも用いられ、それらが独特の知的エンターテインメントとして読めるのである。

 最後のパートは、集まった子どもたちが共に暮らす様子を描いている。激しい個性のぶつかり合いをうまくまとめることがウエルズはじめ大人たちの仕事だが、将来はウエルズのように心理学を仕事にしたいと考えているティムは、天才たちの諍いすらまとめていってしまう。いくつかの事件が発生し、それを心理学的テクニックで解決するティムは、一種の名探偵といってもよいだろう。ここにもまた独特の面白さがある。

 そして物語のラストでは、彼らの存在そのものが問われることになる。それに対するティムの答えは決してハッピーエンドではなく、最大の妥協であるのが辛いところだ。しかも、それが正解かどうかもわからない。だからこそこのテーマが多くのSF作家に響き、多くの追従作品を生んだのだろう。
 ともあれSFミステリとか関係なく、面白い小説を読みたい人は一度は手に取ってもらいたい。

※一応、欠点もメモとして残しておくと、原子力研究所の爆発が突然変異に影響を与えるのはまだしも、天才を輩出するというのは、さすがに今となってはまずいだろう。残念ながらこういう記述があるかぎり重版や新版は期待できないかもしれない。実にもったいない話である(古書価は今のところ安いのが救いだ)。


S・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』(ハーパーBOOKS)

 S・A・コスビーの『頬に哀しみを刻め』を読む。昨年、刊行された『黒き荒野の果て』は、更生した元裏社会の男の生き様、そして骨太のアクションで読ませるクライム・ノベルだったが、それに続く本作も期待を裏切らない出来である。

 こんな話。ギャングの一員として殺人罪で服役したが、今は更生して十人ほどの小さな造園会社を経営する黒人のアイク。その彼の元に、息子のアイザイアが死亡したと連絡が入る。記者として働いていたアイザイアは、デレクという白人の青年と暮らすゲイだったが、デレクとともに銃殺されたのだという。
 デレクの父バディ・リーは遅々として進まない捜査に業をにやし、二人で復讐しようとアイクに誘いをかける。しかし、自堕落な暮らしをするバディ・リーとは違い、守るべき家族や会社があるアイクはそれを断った。何より、自分の中にある暴力衝動が目覚めるのを恐れていたのだ。
 ところがアイザイアとデレクの墓が何者かに破壊されるという事件が起こり、ついにアイクは犯人探しに乗り出すことに……。

 頬に哀しみを刻め
▲S・A・コスビー『頬に哀しみを刻め』(ハーパーBOOKS)【amazon

 前作同様、本作もまた元裏社会の人間が主人公である。いったんは更生したものの、息子の復讐という目的のために再び暴力の世界に戻っていく。残る家族のために無茶はできないが、死んだ息子の仇は討たなければならない。これまた前作同様のよくあるストーリーではあるが、主人公アイクにはさらなる葛藤がある。
 それはアイクがゲイとして生きるアイザイアを認めず、長らく絶縁状態にあったことだ。理解も和解もできぬまま死んでいったアイザイアとの関係に、どうやったら折り合いをつけられるのか、それが本作のもう一つの大きな柱となる。
 ここに相棒となるバディ・リーとの人種的な問題も絡み、本作は全体がマイノリティの戦いに支配される構図となる。古臭い設定とストーリーながら、LGBTQとの関わりがただの差別問題に終わらず、多様性について考えさせるところが現代的な犯罪小説といえるだろう。
 一見、単純な復讐譚に思えるが、同時に大人たちの贖罪の物語でもあり、実に重厚なクライム・ストーリーなのだ。

 エンターテインメントとしての側面も見逃せない。前作ではカースタントに重きを置かれていたが、本作はさらに幅広く、ここかしこに激しいスピード感あふれるバトルシーンが描かれる。登場人物の掘り下げだけでなく、こういう派手な部分も勢いだけでなく、きっちりと手を抜かずに描写するのがよい。緩急の付け方が実に巧く、読者のツボがよくわかっている感じである。

 そんなストーリーの勢いに押されたか、若干気になるところもないではない。ネタバレの都合上詳しくは書かないけれど、バディ・リーの仕掛けたある策略の件りはちょっと無理があるし、そして黒幕の正体に気づく部分はやや安易ではある。
 まあ、そこを差し引いても本作は十分に傑作。今年のクライムノベルの大収穫であろう。

ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』(扶桑社ミステリー)

 ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィルの『禁じられた館』を読む。珍しいことに1930年代のフランス産本格ミステリということで、管理人などはもうそれだけで読む価値ありと認定してしまうけれども、レオ・ブルース等の研究や翻訳で知られる小林晋氏が絡んでいるし、内容も期待できそうだ。

 こんな話。エーグルの森にそびえ立つマルシュノワール城館。そこを気に入った食品会社の社長、ヴェルディナージュは、さっそく城館を購入し、数名の雇人と共に移り住んだ。しかし、そこは過去の持ち主が常に災いに見舞われてきた、「禁じられた館」だった。
 ヴェルディナージュの下へもすぐに脅迫状が舞い込み、館から出ていかないと命がなくなるというのである。そんな脅迫をまったく気にしなかったヴェルディナージュだが、最後の脅迫状を受け取り、謎の男の訪問を受けた直後、彼は死体となって発見される……。

 禁じられた館

 フランスのミステリはそもそも本格自体が少ないのだけれど、古典時代に遡ると、それこそかの名作『黄色い部屋の秘密』、あとはルパンの初期作品のいくつかぐらいで、そのあとが続かない。ドーヴァー海峡を挟んだ向こう側では、ホームズの時代から黄金時代へとスムーズに発展していったことに比べると、なんとも寂しいかぎりである。しかし、そんなフランスにあっても、1930年代には少しだけ本格ミステリが注目された時代があったのだという。
 本書『禁じられた館』も、そのフランスのプチ本格時代に発表されたものだが、これがなかなか一口で評価するのは難しい作品であった。

 まず本格ミステリとしてのレベルはどうか、という点がある。これについては決して悪くない出来であると思う。一応はオーソドックスなスタイルで、密室ミステリというのを打ち出している。そのトリックだけで見ると書かれた時代を考慮してもまずまずといったところ。
 しかし、本作の本領は別のところにある。簡単にいえば、いわゆる多重推理ものということになるだろう。探偵役が非常に多くおり、それぞれに異なる推理を披露し、その数だけ容疑者が発生する。この推理のカオスという状況がなかなか面白い。中盤を過ぎる頃には名探偵と思しき人物も登場し、極めて論理的に司法や警察側の仮説を潰し、真実に導いてゆくのもお約束とはいえ楽しいところだ。また、潰しても潰しても、やはりあいつが犯人では?となる警察や司法の側の混乱振りがいい味を出している。最終的にはどんでん返しまで用意しているところもお見事で、トリックなどはともかくとしてミステリの本質というか楽しさはしっかり押さえているのではなかろうか。

 その一方で残念なのは、全体的なテイストである。
 ちょっと話は逸れるが、フランスミステリにプチ本格時代があったとはいえ、結局フランスのミステリ界は英米とは異なる進化を見せる。謎は人間の心の中にあるという考え方が浸透していったように思えるのである。
 あくまで個人的な想像だけれど、そこには探偵小説で英国に遅れをとった焦りやジェラシーがあったのではないか。今更英国と同じようなミステリを描きたくはないという気持ちがあったのではないか。それが独自の心理を重視するミステリとして発展し、自然に英国の探偵小説のスタイルを軽く見るようになったと考えられないだろうか。
 そこで本作だが、本作はオーソドックスな本格ミステリではあるけれども、その設定や描写の節々に、上で書いたようなニュアンスを感じられるのである。ミステリにおける登場人物はときにステレオタイプのものが目立つことがある(特に古典では)。ストーリーにしてもパターン化されることが少なくない。著者はそういったミステリのお約束をさらに強めた。警察官にしても、館の使用人にしても、探偵にしても、ほとんどの登場人物が極度に劇画化されている。それがユーモアやパロディにまで転じればよいが、印象としては、単に著者が英国の本格ミステリを揶揄しているように思えてならない。あえてオーソドックスな本格ミステリを書き、そういうスタイルを皮肉ってみたとしか思えないのである。
 これがミステリの可能性を広げるためのパロディとして楽しめればよいが、個人的には読んでいて正直イライラするところも少なくなかった。特に登場人物同士のやり取りには、差別や上下関係が出過ぎることもあって余計にそう感じたのかもしれない。まあ、そういった精神的な毒も、ときには読書に必要なのだが、それはそういう作品でやってほしいなあと思うわけである。

 ということで長短おり混ぜ、なかなか複雑な読後感を得られた一冊であった。


« »

07 2023
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー
'; lc_cat_mainLinkPart += lc_cat_groupCaption + ''; document.write('
' + lc_cat_mainLinkPart); document.write('
'); } else { document.write('') } var lc_cat_subArray = lc_cat_subCategoryList[lc_cat_mainCategoryName]; var lc_cat_subArrayLen = lc_cat_subArray.length; for (var lc_cat_subCount = 0; lc_cat_subCount < lc_cat_subArrayLen; lc_cat_subCount++) { var lc_cat_subArrayObj = lc_cat_subArray[lc_cat_subCount]; var lc_cat_href = lc_cat_subArrayObj.href; document.write('
'); if (lc_cat_mainCategoryName != '') { if (lc_cat_subCount == lc_cat_subArrayLen - 1) { document.write(' └ '); } else { document.write(' ├ '); } } var lc_cat_descriptionTitle = lc_cat_titleList[lc_cat_href]; if (lc_cat_descriptionTitle) { lc_cat_descriptionTitle = '\n' + lc_cat_descriptionTitle; } else if (lc_cat_titleList[lc_cat_subCount]) { lc_cat_descriptionTitle = '\n' + lc_cat_titleList[lc_cat_subCount]; } else { lc_cat_descriptionTitle = ''; } var lc_cat_spanPart = ''; var lc_cat_linkPart = ''; lc_cat_linkPart += lc_cat_subArrayObj.name + ' (' + lc_cat_subArrayObj.count + ')'; document.write(lc_cat_spanPart + lc_cat_linkPart + '
'); } lc_cat_prevMainCategory = lc_cat_mainCategoryName; } } //-->
ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
月別アーカイブ