Posted in 06 2023
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カミーユ・デアンジェリス『ボーンズ・アンド・オール』(ハヤカワ文庫)
カミーユ・デアンジェリスの『ボーンズ・アンド・オール』を読む。現代のカニバリズム(食人)を描いたショッキングな作品で、今年の二月ごろには映画が公開され、そのタイミングで原作の本書も刊行されたらしい。
まずはストーリー。
十六歳のマレンは小さい頃から「人喰い」の衝動を抑えることができなかった。自分が愛情を感じる相手を、なぜか無性に食べたくなるのである。しかも骨まですべて噛み砕き、飲み込んでしまう。母親だけがそれに勘付いており、マレンの周囲に行方不明者が出るたび、二人は夜逃げを繰り返す。だが、疲れ果てた母親は、ある時とうとうマレンを捨て、書置きと幾らかのお金だけ残して姿をくらませてしまう。
マレンは母親の残してくれた出生証明書に、お金を頼りに、自分の父親を探す旅に出る。すると旅先で、「人食い」の習慣を持つ者がほかにもいることを知る……。
なんせカニバリズムをテーマとしており、帯などにも「衝撃の愛ホラー」と謳っているので、さぞやエグい内容かと思っていたが、確かに設定はショッキングながらいざ読み終えると、そもそもそういうのを売りにするような作品ではないことがわかる。
本書がもともとヤングアダルト向けとして出版されたことも関係あるだろう。直裁的な人喰いの描写はじめグロい描写はほとんどなくて、人食い云々を除けば、むしろこれは青春ロードノベルとか少女の成長物語といった性質の方が強いのだ。
そうはいっても人食いの話なので、そこそこ嫌悪感を覚える場面もないではない。基本的には一人になったマレンが父親を探し求めて旅を続けるのだが、序盤では幼い頃の人食い体験が描かれ、彼女の苦悩が大きくなってゆく様が描かれる。
厄介なのはマレンが食べたくなるのは、愛情を感じた相手に限られることだ。マレンに優しくすればするほど、その相手には死の危険が迫る。そこにマレンの葛藤があるのだが、ただ、彼女はそういう葛藤がありながらも人を殺したことに対しては感覚がもはやマヒしているのか、そこまでの罪悪感がないようにも感じる。そのあたりの薄寒さがホラーといえばホラーといえるところでもある。
彼女が一度も会ったことのない父親を探すのは、そんな自分の忌まわしい性質の秘密を、父が知っているのではないかという期待からである。いったい自分は何者なのか。
その答えのヒントは旅の途中にも転がっている。マレンは同じ人食いの性質を持つ老人サリーや若者のリ-と出会う。彼らの生き方もまたマレンの参考になるが、反面教師の部分も少なくはなく、そんな人間関係がマレンを成長させてくれることになるのだ。流れとしては意外に正統派で、「人食い」要素さえなければ実に真っ当な青春小説といえるだろう。
ただ、本作には残念な点もちらほら。一つは「人食い」の描写をオブラートに包むのはいいとしても、人丸ごとを骨まで残さず食べるという行為の現実的な難しさである。自分以上の人間をどうやって三十分ほどで食べ尽くすことができるのか、後の現場の処理はどうしたのか。これらの点はすごく説明不足なのである。
また、事件の後でなぜ警察が追ってこないのかも気になる。事件後に夜逃げを繰り返している人間がいたら、普通は容疑者として十分資格ありだろう。ミステリ好きとしては気にならないわけがない。
まあファンタジーみたいなものだから、あまりそういう点は厳しく突っ込まなくてもいいのかもしれない。だが実はもっと重要なところもあって、それはラストで主人公があっさり自己解決したように見えること。また、他の人物の行動や動機でも、納得がいかないというか不自然なところがいくつか気になった。この辺りはもう少しキャラクターを掘り下げてほしかったところである。
ということでいくつかダメ出しをしてしまったものの、このグロテスクなはずの内容を、意外なほどさっぱりとした味わいに仕上げたのはアイデアであり、ヤングアダルト向けを意識した著者の上手いところだと思う。その結果としてかなり独特な物語になったことは確かで、ちょっと変わった青春小説を読みたい人にはおすすめである。
まずはストーリー。
十六歳のマレンは小さい頃から「人喰い」の衝動を抑えることができなかった。自分が愛情を感じる相手を、なぜか無性に食べたくなるのである。しかも骨まですべて噛み砕き、飲み込んでしまう。母親だけがそれに勘付いており、マレンの周囲に行方不明者が出るたび、二人は夜逃げを繰り返す。だが、疲れ果てた母親は、ある時とうとうマレンを捨て、書置きと幾らかのお金だけ残して姿をくらませてしまう。
マレンは母親の残してくれた出生証明書に、お金を頼りに、自分の父親を探す旅に出る。すると旅先で、「人食い」の習慣を持つ者がほかにもいることを知る……。
なんせカニバリズムをテーマとしており、帯などにも「衝撃の愛ホラー」と謳っているので、さぞやエグい内容かと思っていたが、確かに設定はショッキングながらいざ読み終えると、そもそもそういうのを売りにするような作品ではないことがわかる。
本書がもともとヤングアダルト向けとして出版されたことも関係あるだろう。直裁的な人喰いの描写はじめグロい描写はほとんどなくて、人食い云々を除けば、むしろこれは青春ロードノベルとか少女の成長物語といった性質の方が強いのだ。
そうはいっても人食いの話なので、そこそこ嫌悪感を覚える場面もないではない。基本的には一人になったマレンが父親を探し求めて旅を続けるのだが、序盤では幼い頃の人食い体験が描かれ、彼女の苦悩が大きくなってゆく様が描かれる。
厄介なのはマレンが食べたくなるのは、愛情を感じた相手に限られることだ。マレンに優しくすればするほど、その相手には死の危険が迫る。そこにマレンの葛藤があるのだが、ただ、彼女はそういう葛藤がありながらも人を殺したことに対しては感覚がもはやマヒしているのか、そこまでの罪悪感がないようにも感じる。そのあたりの薄寒さがホラーといえばホラーといえるところでもある。
彼女が一度も会ったことのない父親を探すのは、そんな自分の忌まわしい性質の秘密を、父が知っているのではないかという期待からである。いったい自分は何者なのか。
その答えのヒントは旅の途中にも転がっている。マレンは同じ人食いの性質を持つ老人サリーや若者のリ-と出会う。彼らの生き方もまたマレンの参考になるが、反面教師の部分も少なくはなく、そんな人間関係がマレンを成長させてくれることになるのだ。流れとしては意外に正統派で、「人食い」要素さえなければ実に真っ当な青春小説といえるだろう。
ただ、本作には残念な点もちらほら。一つは「人食い」の描写をオブラートに包むのはいいとしても、人丸ごとを骨まで残さず食べるという行為の現実的な難しさである。自分以上の人間をどうやって三十分ほどで食べ尽くすことができるのか、後の現場の処理はどうしたのか。これらの点はすごく説明不足なのである。
また、事件の後でなぜ警察が追ってこないのかも気になる。事件後に夜逃げを繰り返している人間がいたら、普通は容疑者として十分資格ありだろう。ミステリ好きとしては気にならないわけがない。
まあファンタジーみたいなものだから、あまりそういう点は厳しく突っ込まなくてもいいのかもしれない。だが実はもっと重要なところもあって、それはラストで主人公があっさり自己解決したように見えること。また、他の人物の行動や動機でも、納得がいかないというか不自然なところがいくつか気になった。この辺りはもう少しキャラクターを掘り下げてほしかったところである。
ということでいくつかダメ出しをしてしまったものの、このグロテスクなはずの内容を、意外なほどさっぱりとした味わいに仕上げたのはアイデアであり、ヤングアダルト向けを意識した著者の上手いところだと思う。その結果としてかなり独特な物語になったことは確かで、ちょっと変わった青春小説を読みたい人にはおすすめである。
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泡坂妻夫『妖盗S79号』(河出文庫)
泡坂妻夫の短篇集『妖盗S79号』を読む。狙った獲物は必ず盗み出す、神出鬼没の怪盗S79号。そしてS79号を追う警視庁の専従捜査班の対決を描いた連作短篇を一冊にまとめたものだ。
収録作は以下のとおり。
「第一話 ルビーは火」
「第二話 生きていた化石」
「第三話 サファイアの空」
「第四話 庚申丸異聞(こうしんまるいぶん」
「第五話 黄色いヤグルマソウ」
「第六話 メビウス美術館」
「第七話 癸酉(みずのととり)組一二九五三七番」
「第八話 黒鷺(くろさぎ)の茶碗」
「第九話 南畝(なんぽ)の幽霊」
「第十話 檜毛寺(ひもうじ)の観音像」
「第十一話 S79号の逮捕」
「第十二話 東郷警視の花道」
怪盗ものといえば怪盗ルパンをはじめとし、レスター・リースにサイモン・テンプラー、怪人二十面相に怪盗ニックなどなど枚挙にいとまがない。彼らに共通するのは何といっても鮮やかな盗みのテクニックであろう。厳重に保管された金庫や衆人環視の場から、いかにしてお宝を頂戴するのか。つまりハウダニットとしての面白さがそこにあるのだ。怪盗ものは往々にしてキャラクターの設定ばかりが注目されるけれど、本格ミステリとしての要素がなければ、味気ないものになるのは間違いないだろう。
そこでS79号シリーズだが、さすが泡坂妻夫の手によるものだけに、ただの怪盗ものには終わっていない。本書は十二話構成だが、しっかりとラストで完結しているのがミソ。これは解説で法月倫太郎氏も触れているが、それぞれの短篇はもちろん独立して読めるものの、全十二話を通して一つのストーリーと見ることもでき、そこにはしっかり起承転結も見られるのである。
怪盗ものといえばその正体はなかなか明らかにならないものだが、本作ではとりわけ正体が不明である。S79号が登場しているかどうかも匂わせる程度であり、その代わりに狂言回しを務めるのが警視庁の東郷警部とその部下・二宮刑事の二人。主人公はむしろこの二人といってもよく、直情的な東郷と資産家の息子である二宮のコンビによる掛け合いが面白い。役割的にはS79号の引き立て役、ルパン三世における銭形警部のような役回りではあるけれど、実はこの二人もかなりの名探偵で偏りはあるが知識も豊富だ。二人の推理も冴えて、いいところまではS79号を追い詰めるが、それを上回るS79号の恐ろしさよ。お約束とはいえ実に楽しい。
盗みのテクニック、ハウダニットについても、泡坂妻夫だけにそつがない。とはいえ似たようなパターンが増えるせいか、大技連発とはいかなかったようだ。かなりバリエーションは用意されているけれど、全体的に小粒で、正直、亜愛一郎シリーズあたりに比べると分が悪いだろう。ただ、それはトリック云々においてであり、トータルの面白さでは決して遜色ないので念のため。
個人的なお気に入りは、「庚申丸異聞」、「メビウス美術館」あたりだが、ラストの作品「第十二話 東郷警視の花道」については別格。S79号の正体含め、シリーズの一切合切の伏線を回収して感動的ですらある。
収録作は以下のとおり。
「第一話 ルビーは火」
「第二話 生きていた化石」
「第三話 サファイアの空」
「第四話 庚申丸異聞(こうしんまるいぶん」
「第五話 黄色いヤグルマソウ」
「第六話 メビウス美術館」
「第七話 癸酉(みずのととり)組一二九五三七番」
「第八話 黒鷺(くろさぎ)の茶碗」
「第九話 南畝(なんぽ)の幽霊」
「第十話 檜毛寺(ひもうじ)の観音像」
「第十一話 S79号の逮捕」
「第十二話 東郷警視の花道」
怪盗ものといえば怪盗ルパンをはじめとし、レスター・リースにサイモン・テンプラー、怪人二十面相に怪盗ニックなどなど枚挙にいとまがない。彼らに共通するのは何といっても鮮やかな盗みのテクニックであろう。厳重に保管された金庫や衆人環視の場から、いかにしてお宝を頂戴するのか。つまりハウダニットとしての面白さがそこにあるのだ。怪盗ものは往々にしてキャラクターの設定ばかりが注目されるけれど、本格ミステリとしての要素がなければ、味気ないものになるのは間違いないだろう。
そこでS79号シリーズだが、さすが泡坂妻夫の手によるものだけに、ただの怪盗ものには終わっていない。本書は十二話構成だが、しっかりとラストで完結しているのがミソ。これは解説で法月倫太郎氏も触れているが、それぞれの短篇はもちろん独立して読めるものの、全十二話を通して一つのストーリーと見ることもでき、そこにはしっかり起承転結も見られるのである。
怪盗ものといえばその正体はなかなか明らかにならないものだが、本作ではとりわけ正体が不明である。S79号が登場しているかどうかも匂わせる程度であり、その代わりに狂言回しを務めるのが警視庁の東郷警部とその部下・二宮刑事の二人。主人公はむしろこの二人といってもよく、直情的な東郷と資産家の息子である二宮のコンビによる掛け合いが面白い。役割的にはS79号の引き立て役、ルパン三世における銭形警部のような役回りではあるけれど、実はこの二人もかなりの名探偵で偏りはあるが知識も豊富だ。二人の推理も冴えて、いいところまではS79号を追い詰めるが、それを上回るS79号の恐ろしさよ。お約束とはいえ実に楽しい。
盗みのテクニック、ハウダニットについても、泡坂妻夫だけにそつがない。とはいえ似たようなパターンが増えるせいか、大技連発とはいかなかったようだ。かなりバリエーションは用意されているけれど、全体的に小粒で、正直、亜愛一郎シリーズあたりに比べると分が悪いだろう。ただ、それはトリック云々においてであり、トータルの面白さでは決して遜色ないので念のため。
個人的なお気に入りは、「庚申丸異聞」、「メビウス美術館」あたりだが、ラストの作品「第十二話 東郷警視の花道」については別格。S79号の正体含め、シリーズの一切合切の伏線を回収して感動的ですらある。
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笹沢左保『シェイクスピアの誘拐』(徳間文庫)
「トクマの特選!」から笹沢左保の短篇集が出たので読んでみる。ものは『シェイクスピアの誘拐』。
少ないながらこれまで読んだ笹沢左保の短篇集では、何らかの趣向を凝らした連作短篇集の方が面白い気がする。各短篇の出来は多少低買ったとしても、全体を通した仕掛けで楽しませてくれるところがあるからだ。
本書は連作短篇集ではないので、そういう意味での仕掛けこそないものの、きちんとテーマを持たせた短篇集となっている。各短篇にはすべて副題がつき、ミステリのさまざまなトリックや趣向に沿った短篇集であることがわかる。
「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」
「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」
「知る——倒叙と殺人」
「愛する人へ——不在証明と殺人」
「盗癖——動機と殺人」
「現われない——人物消失と殺人」
「計算のできた犯行——完全犯罪と殺人」
「緑色の池のほとり——怪奇と死体」
収録作は以上。上でも書いたように、各作品ごとにミステリのさまざまなトリックや趣向を当てはめて披露する短篇集。中には他愛ないネタもあるけれど、全般的にはワンアイデアだけにとどまらない捻った作品が多く、笹沢左保という作家の優れた資質を堪能できる。
以下、作品ごとに簡単なコメント。
表題作「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」は流石の貫禄。確かに暗号ものではあるのだが、その先を二転三転させるテクニックに酔う。
「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」は完全なるアイデアの勝利。一枚の年賀状から送り主を推理するなんて決して珍しくはないネタだし、序盤は強引な解釈で凡作かと思っていると、後半の展開で思わず舌を巻く。
「知る——倒叙と殺人」は、寝たきりの女性が窓からある殺人事件を目撃したことで、命を狙われるというサスペンス。犯行後、犯人はなんと自分の家に侵入したことから、犯人は家庭内の誰かだと推理を始めるが……。これだけでも十分な設定だが、実はもう一つ歪な設定があって、実は寝たきりの主人公は癌で余命わずかの身の上。おそらく犯人はそれを知るはずもなく、そんな犯人を笑ってやりたい衝動に駆られる主人公がえぐい。そしてラストはそれ以上にエグい。
「愛する人へ——不在証明と殺人」は悲しく切ないストーリー。強姦をネタに強請られている主婦が、ついに相手を殺してしまう。アリバイは完璧なはずだったが……。気軽に読める短篇集だと思っていると、いきなりこれだからなあ。ネタ自体はそこまでのものではないが、ちょっと忘れ難い作品。
「盗癖——動機と殺人」は盗癖のある女子大生が、不倫相手を殺害するというストーリー。これも大したことのないネタで、しかも割合コミカルな味付けなのに、不思議な余韻を残す。
「現われない——人物消失と殺人」はお見事。もはやミステリというよりはコントみたいな感じでもあるけれど、語り口がサスペンスドラマなので、なかなか先を読ませない。
「計算のできた犯行——完全犯罪と殺人」もいいなあ。ヤクザ者が多少の現金のために、ない知恵を絞って強盗犯罪を犯すのだが、思いもかけないところから犯行がバレてしまう。少し「盗癖——動機と殺人」とテイストが似ている感じで、こういう間抜けなキャラクターをユーモラスに生かしつつ、それでいてホロッとさせるのが著者の上手いところである。
ラストの「緑色の池のほとり——怪奇と死体」はまさかの怪談である。まあ、展開は謎解きっぽいところもあるし、これはこれで面白い。
以上。短篇とはいえ長めの作品の方がやはり凝ったものが多くて楽しめたが、短いものの中にも妙な後味のものもあったりして、甲乙つけがたい。好みでいえば「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」、「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」、「愛する人へ——不在証明と殺人」、「盗癖——動機と殺人」あたりか。特に後ろの二つは短かい作品だし、一見他愛なく感じるだろうが、この余韻が何ともいえないのだ。
少ないながらこれまで読んだ笹沢左保の短篇集では、何らかの趣向を凝らした連作短篇集の方が面白い気がする。各短篇の出来は多少低買ったとしても、全体を通した仕掛けで楽しませてくれるところがあるからだ。
本書は連作短篇集ではないので、そういう意味での仕掛けこそないものの、きちんとテーマを持たせた短篇集となっている。各短篇にはすべて副題がつき、ミステリのさまざまなトリックや趣向に沿った短篇集であることがわかる。
「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」
「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」
「知る——倒叙と殺人」
「愛する人へ——不在証明と殺人」
「盗癖——動機と殺人」
「現われない——人物消失と殺人」
「計算のできた犯行——完全犯罪と殺人」
「緑色の池のほとり——怪奇と死体」
収録作は以上。上でも書いたように、各作品ごとにミステリのさまざまなトリックや趣向を当てはめて披露する短篇集。中には他愛ないネタもあるけれど、全般的にはワンアイデアだけにとどまらない捻った作品が多く、笹沢左保という作家の優れた資質を堪能できる。
以下、作品ごとに簡単なコメント。
表題作「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」は流石の貫禄。確かに暗号ものではあるのだが、その先を二転三転させるテクニックに酔う。
「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」は完全なるアイデアの勝利。一枚の年賀状から送り主を推理するなんて決して珍しくはないネタだし、序盤は強引な解釈で凡作かと思っていると、後半の展開で思わず舌を巻く。
「知る——倒叙と殺人」は、寝たきりの女性が窓からある殺人事件を目撃したことで、命を狙われるというサスペンス。犯行後、犯人はなんと自分の家に侵入したことから、犯人は家庭内の誰かだと推理を始めるが……。これだけでも十分な設定だが、実はもう一つ歪な設定があって、実は寝たきりの主人公は癌で余命わずかの身の上。おそらく犯人はそれを知るはずもなく、そんな犯人を笑ってやりたい衝動に駆られる主人公がえぐい。そしてラストはそれ以上にエグい。
「愛する人へ——不在証明と殺人」は悲しく切ないストーリー。強姦をネタに強請られている主婦が、ついに相手を殺してしまう。アリバイは完璧なはずだったが……。気軽に読める短篇集だと思っていると、いきなりこれだからなあ。ネタ自体はそこまでのものではないが、ちょっと忘れ難い作品。
「盗癖——動機と殺人」は盗癖のある女子大生が、不倫相手を殺害するというストーリー。これも大したことのないネタで、しかも割合コミカルな味付けなのに、不思議な余韻を残す。
「現われない——人物消失と殺人」はお見事。もはやミステリというよりはコントみたいな感じでもあるけれど、語り口がサスペンスドラマなので、なかなか先を読ませない。
「計算のできた犯行——完全犯罪と殺人」もいいなあ。ヤクザ者が多少の現金のために、ない知恵を絞って強盗犯罪を犯すのだが、思いもかけないところから犯行がバレてしまう。少し「盗癖——動機と殺人」とテイストが似ている感じで、こういう間抜けなキャラクターをユーモラスに生かしつつ、それでいてホロッとさせるのが著者の上手いところである。
ラストの「緑色の池のほとり——怪奇と死体」はまさかの怪談である。まあ、展開は謎解きっぽいところもあるし、これはこれで面白い。
以上。短篇とはいえ長めの作品の方がやはり凝ったものが多くて楽しめたが、短いものの中にも妙な後味のものもあったりして、甲乙つけがたい。好みでいえば「シェイクスピアの誘拐——暗号と殺人」、「年賀状・誤配——安楽椅子と殺人」、「愛する人へ——不在証明と殺人」、「盗癖——動機と殺人」あたりか。特に後ろの二つは短かい作品だし、一見他愛なく感じるだろうが、この余韻が何ともいえないのだ。
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メアリー・スチュアート『霧の島のかがり火』(論創海外ミステリ)
メアリー・スチュアートの『霧の島のかがり火』を読む。論創海外ミステリの一冊だがいつの間にか刊行ペースに100巻ほど離されるという体たらくである。日記を遡ると2005年から読み始めているのだが、それ以来、多少のばらつきはあるにせよ月一ぐらいは維持しているのだが、まあ皆様ご存知のとおり、論創海外ミステリは多いときで月三冊出ていた時期もあるので、それではまったく追いつかないのが当然なのである。
いろいろ読破計画の課題を設けてはいるが、論創海外ミステリはもっとペースアップしなければなあ。あ、論創ミステリ叢書もあるんだった。
それはともかく。『霧の島のかがり火』だが、こんな話。
ファッション・モデルのジアネッタは、作家である夫のニコラスと離婚したものの、なかなか心の傷が癒えず、そんなとき両親からから勧められたスコットランド北西部にあるスカイ島へ旅行することにする。ブラーヴェンをはじめとする険しい山岳地で、ホテルの客の大多数は登山か釣りが目的だった。
少々、場違いな感じもあったが、同じく慰労に来ていた女優のマーシャとも知り合い、落ち着けるかと思った矢先、別れた夫が姿を現し、おまけに2週間前、山で殺人事件があったがいまだに犯人が見つかっていないことを知る。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
メアリー・スチュアートの作品は初めて読むが、本国では有名なロマンチック・サスペンスの書き手である。管理人が苦手なHIBK派の流れを汲む作家かと、読む前には少し構えていたのだが、これがどうして、意外に本格ミステリとしても読ませる一作であった。
解説でも触れられているが、ロマンス小説とミステリの融合がロマンチック・サスペンスだとしても、そのロマンス成分とミステリ成分の配合にもいろいろあるわけで、本作に関していえばかなり本格ミステリ成分が多めというか、実際、知らずに読めば中盤までは、いわゆる「嵐の山荘」ならぬ「霧の山荘」のバリエーションかと思うほどで、落ち着いた展開の中にもじわじわとサスペンスを高めていく感じが心地よい。
この手の作品に得てして多いのが、叫んでばかりの感情的な登場人物(特にヒロイン)であったり、作者の変なルールに縛られているのか、どう考えても納得いかない不合意な行動ばかりとる登場人物(特にヒロイン)だったりするのだが、本作はほぼそういうくだらないキャラ設定もなく、まずまず自立したヒロインが主人公で、そこも好感がもてる。
本格ミステリとしても予想以上にしっかりしており、手掛かりの使い方なども大技とはいかないが、十分にフェアだ。
もっとも感心したのは、自然描写や登山という味付けが実に効果的なところである。雰囲気作りにとどまらず、それがストーリーにもしっかりと絡んでくる。
もうひとつある。本書が発表されたのは1956年だが、作品内では1953年の設定である。実はこの年の6月1日、イギリスではエリザベス女王が戴冠式を行った年であり、何とその三日前にはイギリスの登山隊が世界初のエベレスト登頂に成功しているのである。ヒロインは戴冠式に沸くロンドンの喧騒が嫌なこともあってスコットランドに来たという導入なのだが、もうひとつエベレストの登頂についてもホテルの登山家たちが話題にしている。この辺りも背景説明だけでなく、きちんとストーリーを補足する役目もあったり、実に手慣れたものである。
ストーリーも前半は本格ミステリ風ながら、後半ではサスペンスやアクションで一気にテンポを上げるところもなかなか。ただ、同時に中盤以降はややロマンス臭が強くなってくるのが気になるところである(特にヒロインの恋愛についてはちょっとトホホな感じ)。まあ、それぐらいは目を瞑ろう。
すごい作品ではないけれど、ロマンチック・サスペンスの教科書みたいな感じである。読者が楽しむことにさまざまな工夫を凝らしている姿勢がいい。ともあれ予想以上に楽しめる作品だったので、本書以降に同じく論創海外ミステリで刊行された作品も期待できそうだ。
いろいろ読破計画の課題を設けてはいるが、論創海外ミステリはもっとペースアップしなければなあ。あ、論創ミステリ叢書もあるんだった。
それはともかく。『霧の島のかがり火』だが、こんな話。
ファッション・モデルのジアネッタは、作家である夫のニコラスと離婚したものの、なかなか心の傷が癒えず、そんなとき両親からから勧められたスコットランド北西部にあるスカイ島へ旅行することにする。ブラーヴェンをはじめとする険しい山岳地で、ホテルの客の大多数は登山か釣りが目的だった。
少々、場違いな感じもあったが、同じく慰労に来ていた女優のマーシャとも知り合い、落ち着けるかと思った矢先、別れた夫が姿を現し、おまけに2週間前、山で殺人事件があったがいまだに犯人が見つかっていないことを知る。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
メアリー・スチュアートの作品は初めて読むが、本国では有名なロマンチック・サスペンスの書き手である。管理人が苦手なHIBK派の流れを汲む作家かと、読む前には少し構えていたのだが、これがどうして、意外に本格ミステリとしても読ませる一作であった。
解説でも触れられているが、ロマンス小説とミステリの融合がロマンチック・サスペンスだとしても、そのロマンス成分とミステリ成分の配合にもいろいろあるわけで、本作に関していえばかなり本格ミステリ成分が多めというか、実際、知らずに読めば中盤までは、いわゆる「嵐の山荘」ならぬ「霧の山荘」のバリエーションかと思うほどで、落ち着いた展開の中にもじわじわとサスペンスを高めていく感じが心地よい。
この手の作品に得てして多いのが、叫んでばかりの感情的な登場人物(特にヒロイン)であったり、作者の変なルールに縛られているのか、どう考えても納得いかない不合意な行動ばかりとる登場人物(特にヒロイン)だったりするのだが、本作はほぼそういうくだらないキャラ設定もなく、まずまず自立したヒロインが主人公で、そこも好感がもてる。
本格ミステリとしても予想以上にしっかりしており、手掛かりの使い方なども大技とはいかないが、十分にフェアだ。
もっとも感心したのは、自然描写や登山という味付けが実に効果的なところである。雰囲気作りにとどまらず、それがストーリーにもしっかりと絡んでくる。
もうひとつある。本書が発表されたのは1956年だが、作品内では1953年の設定である。実はこの年の6月1日、イギリスではエリザベス女王が戴冠式を行った年であり、何とその三日前にはイギリスの登山隊が世界初のエベレスト登頂に成功しているのである。ヒロインは戴冠式に沸くロンドンの喧騒が嫌なこともあってスコットランドに来たという導入なのだが、もうひとつエベレストの登頂についてもホテルの登山家たちが話題にしている。この辺りも背景説明だけでなく、きちんとストーリーを補足する役目もあったり、実に手慣れたものである。
ストーリーも前半は本格ミステリ風ながら、後半ではサスペンスやアクションで一気にテンポを上げるところもなかなか。ただ、同時に中盤以降はややロマンス臭が強くなってくるのが気になるところである(特にヒロインの恋愛についてはちょっとトホホな感じ)。まあ、それぐらいは目を瞑ろう。
すごい作品ではないけれど、ロマンチック・サスペンスの教科書みたいな感じである。読者が楽しむことにさまざまな工夫を凝らしている姿勢がいい。ともあれ予想以上に楽しめる作品だったので、本書以降に同じく論創海外ミステリで刊行された作品も期待できそうだ。
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リチャード・ラング『彼女は水曜日に死んだ』(東京創元社)
リチャード・ラングの短篇集『彼女は水曜日に死んだ』を読む。日本ではこれが初紹介となるアメリカの作家だが、本作で第十四回翻訳ミステリー大賞を受賞したばかりなのでご存じの方も多いだろう。だからというわけではないが、積んであるのを思い出し、手に取ってみた次第。
収録作は以下のとおり。
Must Come Down「悪いときばかりじゃない」
Baby Killer「ベイビー・キラー」
The Wolf of Bordeaux「ボルドーの狼」
The 100-to-1 Club「万馬券クラブ」
Gather Darkness「夕闇が迫る頃」
Instinctive Drowning Response「本能的溺水反応」
Apocrypha「聖書外典」
After All「すべてのあとに」
Sweet Nothing「甘いささやき」
To Ashes「灰になるまで」
第十四回翻訳ミステリー大賞を受賞しているし、一応は犯罪小説という体ではあるが、犯罪成分は限りなく少なく、犯罪という要素が何かしら入った普通小説といった方が適切だろう。したがって、いわゆるミステリの愉しみを求める向きにはアテが外れるかもしれないが、ところがどっこい(死語)、これがなかなか上質の短編集なのであった。
主人公はどちらかというと社会の底辺近くで生きる小市民や小悪党たちばかり。元々の恵まれない環境が、彼らから輝きを奪い、ままならぬ人生を送っている。
そんな彼らにも、いや、そんな彼らだからこそ、トラブルの種がにじり寄ってくる。トラブルの種はいつの間にか彼らの横に座っているのだ。それに気づいて腰を上げればいいのだが、気づかないと、さあ大変、さらなる災いを招いてしまうことになる。ただ、あまりないことだが、ときにはトラブルの種が勝手に去ってしまうこともある。まあ、滅多にないことだけれど。
CWAの最優秀短篇賞を受賞した「聖書外典」などはその最たるもので、もう危なっかしくて見ていられない。主人公はメキシコに行きたいと貯金もしているが、その目的も極めて危うく、読んでいるこちらも少しずつHPを削り取られる気分である。
本書にはそんな辛気臭い、歪んだエピソードの数々が詰まっている。読了後は物悲しく、閉塞感に包まれること間違いないが、だからこそ引き込まれるのだろう。
収録作は以下のとおり。
Must Come Down「悪いときばかりじゃない」
Baby Killer「ベイビー・キラー」
The Wolf of Bordeaux「ボルドーの狼」
The 100-to-1 Club「万馬券クラブ」
Gather Darkness「夕闇が迫る頃」
Instinctive Drowning Response「本能的溺水反応」
Apocrypha「聖書外典」
After All「すべてのあとに」
Sweet Nothing「甘いささやき」
To Ashes「灰になるまで」
第十四回翻訳ミステリー大賞を受賞しているし、一応は犯罪小説という体ではあるが、犯罪成分は限りなく少なく、犯罪という要素が何かしら入った普通小説といった方が適切だろう。したがって、いわゆるミステリの愉しみを求める向きにはアテが外れるかもしれないが、ところがどっこい(死語)、これがなかなか上質の短編集なのであった。
主人公はどちらかというと社会の底辺近くで生きる小市民や小悪党たちばかり。元々の恵まれない環境が、彼らから輝きを奪い、ままならぬ人生を送っている。
そんな彼らにも、いや、そんな彼らだからこそ、トラブルの種がにじり寄ってくる。トラブルの種はいつの間にか彼らの横に座っているのだ。それに気づいて腰を上げればいいのだが、気づかないと、さあ大変、さらなる災いを招いてしまうことになる。ただ、あまりないことだが、ときにはトラブルの種が勝手に去ってしまうこともある。まあ、滅多にないことだけれど。
CWAの最優秀短篇賞を受賞した「聖書外典」などはその最たるもので、もう危なっかしくて見ていられない。主人公はメキシコに行きたいと貯金もしているが、その目的も極めて危うく、読んでいるこちらも少しずつHPを削り取られる気分である。
本書にはそんな辛気臭い、歪んだエピソードの数々が詰まっている。読了後は物悲しく、閉塞感に包まれること間違いないが、だからこそ引き込まれるのだろう。
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ポール・アンダースン『審判の日』(ハヤカワSFシリーズ)
ポール・アンダースンの『審判の日』を読む。SFミステリ読破計画の一環だが、ここ数ヶ月で読んだ中では、最もSFミステリらしいSFミステリと言えるかもしれない。
こんな話。人類最初の恒星宇宙船フランクリン号は、地球時間にして三年の長旅を終え、ようやく地球へと帰還するところだった。ところが彼らの前にある地球は、火山が火を吹き、海水は溶岩で沸き立つ死の国へと変貌していた。もちろん生き残った人々の姿はない。それは自然現象などではなく、何者かの手による強力な兵器による攻撃の結果だったのだ。
時あたかも銀河系内には、フォルラク星系とカンデミル星系を中心とする勢力争いがあり、その影響も考えられたが、正直なところ、どの星が何の目的で地球を攻撃したのか、彼らには見当もつかなかった。
復讐の念に燃えつつも、行動のきっかけすら掴めない。フランクリン号の乗員300人は絶望の淵に立たされた。乗員はすべて男性であり、このままでは残る乗員たちも寿命を迎え、静かに絶滅するしかない。ただ、僅かに生き残った地球人、すなわち同じように宇宙船で航行している者たちや他の星に居住する者がいる。その中には女性もいるだろう。復讐と同時に地球復興もまた大きな目標となった。しかし、この広大な宇宙のどこに、地球人を探せばよいのか。
そこで彼らはあるアイディアに辿りつく……。
これは面白いわ。実は大事なところでミスもあるようなのだが(笑)、SFとしてはもちろんミステリとしてもツボを押さえており、どちらのファンが読んでも楽しめるだろう。
まず状況設定がすごい。残された人類300名(しかも全員男性!)が帰る星を失ったところから幕を開けるが、その絶望感の中で彼らはどう行動するのか、その導入で一気に引き込まれる。とりあえずプライドを捨てれば他の星でも生きてはいけるだろう。しかし、それは失った家族や故郷を偲び、新たに家族を増やすこともできず、ただ朽ちるだけの人生となるであろう。
そこで彼らはとにかく残った地球人を探そうと画策する。主人公が新しい船長となるあたりから物語は俄然動き始める。星々を訪れては、地球再興の方法、そして地球滅亡の犯人探しを進めていくのである。各星々の異星人の性格の違いなども相まって、対応もさまざま。説得が成功することもあれば、武力衝突で捕虜になることもある。ストーリーは波瀾万丈で、まさにどう転ぶかわからない面白さ。ストーリーなどはむしろ真逆なのだけれど、、全体的なノリがちょっと『宇宙戦艦ヤマト』を彷彿とさせて興味深い。
そんな中、主人公が考えた手は星間の勢力争いを利用することで、地球人の存在を知らしめることだった。やや無謀な感もあるが、まさに失う物が何もない状況での、彼らの活躍が実物である。実際に戦争に突入してからは。
戦争が叙事詩で語られるなど演出も見事である。
演出が見事といえば、サイドストーリー的に挿入される女性だけが搭乗した宇宙船の物語も巧い。フランクリン号と同じ状況に陥った彼女たちだが、フランクリン号とはまた異なる手段で、他の地球人と連絡を取ろうと計画する。箸休めでもないだろうが、ややコミカルな味付けもされており、基本的に重いストーリーの中で救いになっているといえるだろう。
また、この女性パートの中で、ある手がかりが見つけ出され、それがラストで効いてくるのはパターンどおりとはいえ、やはりワクワクする展開だ。
ミステリとしては、地球を滅亡させた犯人探しという、途方もないスケールが魅力である。まあ個人ではなく、どこの異星人かということになるのだが、その容疑者である星々を、きちんと地球人たちが訪れ、ちゃんと「聞き込み」をするなど、実は意外にオーソドックスなスタイルが組み込まれている。飾り付けがハードSFなので、どうしてもそちらに目を奪われるが、ミステリとしてはけっこう本格仕立てで、ラストでは謎解きも披露されて嬉しいかぎり。
まあ、そうはいっても容疑者たる星がそれほどあるわけでもなく、また、本格のフォーマットに忠実すぎて予想されやすい面があるのは惜しいところだが、この設定で本格ミステリを読ませてもらっただけでも感謝である。
なお、先述の手がかりの使い方も巧いのだけれど、ここで著者が勘違いだかでミスをしているらしく、実にもったいない話である(まあ、ほとんどの人に実害はないだろうけれど(笑)。
ということでSFとミステリを高いレベルで融合させることに成功した傑作。ストーリーも面白いし、ミステリファンには十分受け入れられる作品であると思う。これが長らく品切れで、文庫にもなっていないとは驚きである。今からでも全然OKですよ、早川書房さん。
こんな話。人類最初の恒星宇宙船フランクリン号は、地球時間にして三年の長旅を終え、ようやく地球へと帰還するところだった。ところが彼らの前にある地球は、火山が火を吹き、海水は溶岩で沸き立つ死の国へと変貌していた。もちろん生き残った人々の姿はない。それは自然現象などではなく、何者かの手による強力な兵器による攻撃の結果だったのだ。
時あたかも銀河系内には、フォルラク星系とカンデミル星系を中心とする勢力争いがあり、その影響も考えられたが、正直なところ、どの星が何の目的で地球を攻撃したのか、彼らには見当もつかなかった。
復讐の念に燃えつつも、行動のきっかけすら掴めない。フランクリン号の乗員300人は絶望の淵に立たされた。乗員はすべて男性であり、このままでは残る乗員たちも寿命を迎え、静かに絶滅するしかない。ただ、僅かに生き残った地球人、すなわち同じように宇宙船で航行している者たちや他の星に居住する者がいる。その中には女性もいるだろう。復讐と同時に地球復興もまた大きな目標となった。しかし、この広大な宇宙のどこに、地球人を探せばよいのか。
そこで彼らはあるアイディアに辿りつく……。
これは面白いわ。実は大事なところでミスもあるようなのだが(笑)、SFとしてはもちろんミステリとしてもツボを押さえており、どちらのファンが読んでも楽しめるだろう。
まず状況設定がすごい。残された人類300名(しかも全員男性!)が帰る星を失ったところから幕を開けるが、その絶望感の中で彼らはどう行動するのか、その導入で一気に引き込まれる。とりあえずプライドを捨てれば他の星でも生きてはいけるだろう。しかし、それは失った家族や故郷を偲び、新たに家族を増やすこともできず、ただ朽ちるだけの人生となるであろう。
そこで彼らはとにかく残った地球人を探そうと画策する。主人公が新しい船長となるあたりから物語は俄然動き始める。星々を訪れては、地球再興の方法、そして地球滅亡の犯人探しを進めていくのである。各星々の異星人の性格の違いなども相まって、対応もさまざま。説得が成功することもあれば、武力衝突で捕虜になることもある。ストーリーは波瀾万丈で、まさにどう転ぶかわからない面白さ。ストーリーなどはむしろ真逆なのだけれど、、全体的なノリがちょっと『宇宙戦艦ヤマト』を彷彿とさせて興味深い。
そんな中、主人公が考えた手は星間の勢力争いを利用することで、地球人の存在を知らしめることだった。やや無謀な感もあるが、まさに失う物が何もない状況での、彼らの活躍が実物である。実際に戦争に突入してからは。
戦争が叙事詩で語られるなど演出も見事である。
演出が見事といえば、サイドストーリー的に挿入される女性だけが搭乗した宇宙船の物語も巧い。フランクリン号と同じ状況に陥った彼女たちだが、フランクリン号とはまた異なる手段で、他の地球人と連絡を取ろうと計画する。箸休めでもないだろうが、ややコミカルな味付けもされており、基本的に重いストーリーの中で救いになっているといえるだろう。
また、この女性パートの中で、ある手がかりが見つけ出され、それがラストで効いてくるのはパターンどおりとはいえ、やはりワクワクする展開だ。
ミステリとしては、地球を滅亡させた犯人探しという、途方もないスケールが魅力である。まあ個人ではなく、どこの異星人かということになるのだが、その容疑者である星々を、きちんと地球人たちが訪れ、ちゃんと「聞き込み」をするなど、実は意外にオーソドックスなスタイルが組み込まれている。飾り付けがハードSFなので、どうしてもそちらに目を奪われるが、ミステリとしてはけっこう本格仕立てで、ラストでは謎解きも披露されて嬉しいかぎり。
まあ、そうはいっても容疑者たる星がそれほどあるわけでもなく、また、本格のフォーマットに忠実すぎて予想されやすい面があるのは惜しいところだが、この設定で本格ミステリを読ませてもらっただけでも感謝である。
なお、先述の手がかりの使い方も巧いのだけれど、ここで著者が勘違いだかでミスをしているらしく、実にもったいない話である(まあ、ほとんどの人に実害はないだろうけれど(笑)。
ということでSFとミステリを高いレベルで融合させることに成功した傑作。ストーリーも面白いし、ミステリファンには十分受け入れられる作品であると思う。これが長らく品切れで、文庫にもなっていないとは驚きである。今からでも全然OKですよ、早川書房さん。
クリフォード・アッシュダウンの短篇集『ロムニー・プリングルの冒険』を読む。クリフォード・アッシュダウンは、ソーンダイク博士で有名なR・オースティン・フリーマンと医者仲間のジョン・ジェームズ・ピトケアンの合作用ペンネームだ。フリーマンがまだソーンダイク博士ものも書いてない駆け出し作家の頃、ピトケアンと組んで書いたのが、本作『ロムニー・プリングルの冒険』である。
ちなみに二人がどのような執筆体制だったかは明らかになっていないが、作家としては駆け出しながら、すでにノンフィクションや小説も書いていたフリーマンが執筆役だった可能性は高そうだ。解説の戸川安宣氏によると、キャラの作りや筆致もフリーマンに近いという。
収録作は以下のとおり。シリーズ二冊の短篇集を丸ごと収録した、つまりロムニー・プリングル完全版である。
The Assyrian Rejuvenator「アッシリアの回春剤」
The Foreign Office Despatch「外務省報告書」
The Chicago Heiress「シカゴの女相続人」
The Lizard's Scale「トカゲのうろこ」
The Paste Diamonds「偽ダイヤモンド」
The Kailyard Novel「マハラジャの宝石」
The Submarine Boat「潜水艦」
The Kimberley Fugitive「キンバリーの逃亡者」
The Silk Worms of Florence「フローレンスの蚕」
The Box of Specie「黄金の箱」
The Silver Ingots「銀のインゴット」
The House of Detention「拘置所」
ロムニー・プリングル・シリーズはいわゆる怪盗もの。当時流行っていた怪盗ラッフルズ的なものを、という編集者の注文で書かれたものらしい。初掲載は1902年のことで、ルパンやジゴマ、ファントマなど、フランスの怪盗ものはまだ生まれておらず、またそういったフランスの怪人的なキャラクターと違って、ロムニー・プリンガルはいかにも英国的な落ち着いた紳士である。ただ、決して上流階級というわけではないし、快活な性格もあって、非常に親しみやすいキャラクターといえる。
また、ルパンのように「がっつり大物を盗みにいく」というよりは、偶然巻き込まれた事件に介入して、他の悪党から油揚げをさらうというストーリーが多い。こういった設定がいかにもフリーマンらしいというか、安心して楽しめるところに通じるのだろう。
ちなみに「偶然巻き込まれた」とは書いたが、プリングルはそういった美味しい事件が転がっていないか、常にアンテナを張っている。少しでも奇妙な状況があればとりあえず聞き耳を立てたり、盗み見をしたり、場合によっては尾行したりもするのだが、こういうところはやはり犯罪者なのだなあと、ちょっと複雑な気持ちになってしまう(苦笑)。
なお、書かれた時代ゆえミステリとしてはそこまでハイレベルなものは期待してはいけない。キャラクターやストーリーは悪くないので、軽い読み物として楽しむぐらいがちょどよいのだろう。
とりあえず、こうして幻の短篇集が読めたことに感謝である。
※ひとつ気がついたが、著者名のクリフォード・アッシュダウンだが、戸川氏の解説や訳者解説では「アッシュダウン」で、カバーや奥付けでは「アシュダウン」と表記されている。また、著者の片割れ、ジョン・ジェームズ・ピトケアンは、解説では「ジェイムズ」、訳者解説では「ジェームズ」となっている。本書は同人出版なので、こういうこともあろうかなと思うけれど、著者名のばらつきはさすがにに気になってしまった。もし重版することがあれば、その際には直していただければ。
ちなみに二人がどのような執筆体制だったかは明らかになっていないが、作家としては駆け出しながら、すでにノンフィクションや小説も書いていたフリーマンが執筆役だった可能性は高そうだ。解説の戸川安宣氏によると、キャラの作りや筆致もフリーマンに近いという。
収録作は以下のとおり。シリーズ二冊の短篇集を丸ごと収録した、つまりロムニー・プリングル完全版である。
The Assyrian Rejuvenator「アッシリアの回春剤」
The Foreign Office Despatch「外務省報告書」
The Chicago Heiress「シカゴの女相続人」
The Lizard's Scale「トカゲのうろこ」
The Paste Diamonds「偽ダイヤモンド」
The Kailyard Novel「マハラジャの宝石」
The Submarine Boat「潜水艦」
The Kimberley Fugitive「キンバリーの逃亡者」
The Silk Worms of Florence「フローレンスの蚕」
The Box of Specie「黄金の箱」
The Silver Ingots「銀のインゴット」
The House of Detention「拘置所」
ロムニー・プリングル・シリーズはいわゆる怪盗もの。当時流行っていた怪盗ラッフルズ的なものを、という編集者の注文で書かれたものらしい。初掲載は1902年のことで、ルパンやジゴマ、ファントマなど、フランスの怪盗ものはまだ生まれておらず、またそういったフランスの怪人的なキャラクターと違って、ロムニー・プリンガルはいかにも英国的な落ち着いた紳士である。ただ、決して上流階級というわけではないし、快活な性格もあって、非常に親しみやすいキャラクターといえる。
また、ルパンのように「がっつり大物を盗みにいく」というよりは、偶然巻き込まれた事件に介入して、他の悪党から油揚げをさらうというストーリーが多い。こういった設定がいかにもフリーマンらしいというか、安心して楽しめるところに通じるのだろう。
ちなみに「偶然巻き込まれた」とは書いたが、プリングルはそういった美味しい事件が転がっていないか、常にアンテナを張っている。少しでも奇妙な状況があればとりあえず聞き耳を立てたり、盗み見をしたり、場合によっては尾行したりもするのだが、こういうところはやはり犯罪者なのだなあと、ちょっと複雑な気持ちになってしまう(苦笑)。
なお、書かれた時代ゆえミステリとしてはそこまでハイレベルなものは期待してはいけない。キャラクターやストーリーは悪くないので、軽い読み物として楽しむぐらいがちょどよいのだろう。
とりあえず、こうして幻の短篇集が読めたことに感謝である。
※ひとつ気がついたが、著者名のクリフォード・アッシュダウンだが、戸川氏の解説や訳者解説では「アッシュダウン」で、カバーや奥付けでは「アシュダウン」と表記されている。また、著者の片割れ、ジョン・ジェームズ・ピトケアンは、解説では「ジェイムズ」、訳者解説では「ジェームズ」となっている。本書は同人出版なので、こういうこともあろうかなと思うけれど、著者名のばらつきはさすがにに気になってしまった。もし重版することがあれば、その際には直していただければ。
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ジョルジュ・シムノン『サン=フォリアン教会の首吊り男』(ハヤカワ文庫)
久しぶりにメグレものを読んだらあまりに酔えたので、もう一冊読むことにする。これも新訳で出たばかりの『サン=フォリアン教会の首吊り男』である。
まずはストーリー。メグレ警視がブリュッセルでベルギー警察との協議を終え、空き時間にカフェに入った時のことだった。いかにも失業者然とした男がポケットから札束を出し、それを無造作に小包にし始めたのだ。やがて男はそれを郵便局で普通の小包としてパリに送り、さらには安物のトランクケースを買うとアムステルダム行きの列車に乗り込んだ。
男の不自然な行動に犯罪の匂いを嗅ぎ取ったメグレは、思わずそのあとを追っていた。男と同じトランクケースを買い、途中でトランクケースをすり替えることまでやって、男の跡を追っていく。ところが鞄がすり替わっていることに気づいた男は拳銃自殺を図る。驚いたメグレはトランクケースを開けてみるが、そこには古びたスーツが一着入っているだけだった……。
▲ジョルジュ・シムノン『サン=フォリアン教会の首吊り男』(ハヤカワ文庫)【amazon】
これまた素晴らしい。渋さが光る円熟味豊かな『メグレと若い女の死』もいいが、本作のような初期の比較的派手な作品もよく、メグレを初めて読むならオススメの一冊といえるだろう。
オススメとはいっても、なんせメグレものなので、謎解きの面白さがあるわけではない。派手な作品などと書いてはいるが、それもあくまでメグレシリーズの中での話である。では何が魅力なのかというと、先が読みにくミステリアスなストーリーと、メグレと犯罪者との圧倒的な心理戦にある。
序盤は何が起こっているのか、本当に理解できない。自殺した男の正体は? 彼の行動の意味は? メグレもそこに苦慮するが、しつこく事実を追ううち、メグレの周囲にきな臭い出来事が起こり、事件関係者が炙り出されてくる。そしてついにはメグレ自身にも身の危険が及ぶ。
ところが、ここまできてもなお事件の内容は不明なのだ。それでも前進するメグレの執念。その圧が事件関係者に激しいプレッシャーを与え、関係者もあの手この手で抵抗する。探偵と犯人との対決を描くミステリなど星の数ほどあるだろうが、この緊張感はシムノンならでは。激しいアクションや直接的な心理描写がほとんどないのに、ここまで迫力を感じさせてくれる作家はなかなかいないだろう。
これだけで終わっても満足いく作品なのだが、それとはまた別の意味で二つのシーンが印象に残る。一つは部下リュカに宛てて捜査状況を手紙に書くシーン。手紙には半分遺書のような意味合いもあり、それをさらっと書いてしまうところにメグレの人生観がうかがえて興味深い。
そして、もう一つはラストでリュカと事件について話すシーンである。こちらもまたメグレの人生観や人柄を表すものであり、同時に当時のミステリファンには相当なインパクトがあったのではないだろうか。
シムノンの作品は未訳も多いので、当然そちらも期待したいところだが、なんせ絶版が多いメグレものだけに、こうした新訳も悪くない。好きな作家なので古本でガシガシ集めてはいるが、こういう素晴らしい作品の数々が入手しにくい状況は非常に悲しい。ぜひ版権をお持ちの版元さんには頑張ってもらいたいものだ。
まずはストーリー。メグレ警視がブリュッセルでベルギー警察との協議を終え、空き時間にカフェに入った時のことだった。いかにも失業者然とした男がポケットから札束を出し、それを無造作に小包にし始めたのだ。やがて男はそれを郵便局で普通の小包としてパリに送り、さらには安物のトランクケースを買うとアムステルダム行きの列車に乗り込んだ。
男の不自然な行動に犯罪の匂いを嗅ぎ取ったメグレは、思わずそのあとを追っていた。男と同じトランクケースを買い、途中でトランクケースをすり替えることまでやって、男の跡を追っていく。ところが鞄がすり替わっていることに気づいた男は拳銃自殺を図る。驚いたメグレはトランクケースを開けてみるが、そこには古びたスーツが一着入っているだけだった……。
▲ジョルジュ・シムノン『サン=フォリアン教会の首吊り男』(ハヤカワ文庫)【amazon】
これまた素晴らしい。渋さが光る円熟味豊かな『メグレと若い女の死』もいいが、本作のような初期の比較的派手な作品もよく、メグレを初めて読むならオススメの一冊といえるだろう。
オススメとはいっても、なんせメグレものなので、謎解きの面白さがあるわけではない。派手な作品などと書いてはいるが、それもあくまでメグレシリーズの中での話である。では何が魅力なのかというと、先が読みにくミステリアスなストーリーと、メグレと犯罪者との圧倒的な心理戦にある。
序盤は何が起こっているのか、本当に理解できない。自殺した男の正体は? 彼の行動の意味は? メグレもそこに苦慮するが、しつこく事実を追ううち、メグレの周囲にきな臭い出来事が起こり、事件関係者が炙り出されてくる。そしてついにはメグレ自身にも身の危険が及ぶ。
ところが、ここまできてもなお事件の内容は不明なのだ。それでも前進するメグレの執念。その圧が事件関係者に激しいプレッシャーを与え、関係者もあの手この手で抵抗する。探偵と犯人との対決を描くミステリなど星の数ほどあるだろうが、この緊張感はシムノンならでは。激しいアクションや直接的な心理描写がほとんどないのに、ここまで迫力を感じさせてくれる作家はなかなかいないだろう。
これだけで終わっても満足いく作品なのだが、それとはまた別の意味で二つのシーンが印象に残る。一つは部下リュカに宛てて捜査状況を手紙に書くシーン。手紙には半分遺書のような意味合いもあり、それをさらっと書いてしまうところにメグレの人生観がうかがえて興味深い。
そして、もう一つはラストでリュカと事件について話すシーンである。こちらもまたメグレの人生観や人柄を表すものであり、同時に当時のミステリファンには相当なインパクトがあったのではないだろうか。
シムノンの作品は未訳も多いので、当然そちらも期待したいところだが、なんせ絶版が多いメグレものだけに、こうした新訳も悪くない。好きな作家なので古本でガシガシ集めてはいるが、こういう素晴らしい作品の数々が入手しにくい状況は非常に悲しい。ぜひ版権をお持ちの版元さんには頑張ってもらいたいものだ。
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ジョルジュ・シムノン『メグレと若い女の死』(ハヤカワ文庫)
ジョルジュ・シムノンの『メグレと若い女の死』を読む。ハヤカワミステリで以前に読んだことがあるが、映画化に合わせて新訳文庫化されたということで手に取ってみた次第。
古典の新訳もすっかり定着した企画だが、シムノンの場合は未訳作品が多すぎるのか、純粋な新刊はたまに出るけれど、改訳はほぼなかった気がするので、これはいい企画。特にメグレものは珍しく、こういう機会に新たなファンを獲得してほしいものだ。
▲ジョルジュ・シムノン『メグレと若い女の死』(ハヤカワ文庫)【amazon】
こんな話。ある夜ののこと、メグレ警視を初めとする面々は長時間に及ぶ尋問をようやく終えたが、そこへ若い女の死体が第二地区の広場で見つかったと連絡が入る。自分が出向く必要はなかったが、気まぐれを起こしたメグレは、部下を連れて現場へ赴いた。
真夜中の三時過ぎ。女性は場違いなイブニングドレスを身につけて殺害されていた。ほぼ手がかりはなく、メグレは厄介な事件になりそうだと感じたが、その予想どおり捜査は遅々として進展しない。それでも少しずつメグレたちは被害者女性の足取りを明らかにし、その過去も追っていく……。
安定の一冊。被害者の若い女性がなぜ広場の一角で死体となっていたのか、彼女のその夜の足取りを追うだけのストーリーだが、その行動が掴めるにつれ、同時に彼女の不幸な人生も明らかになっていく。
メグレものでは犯罪の謎を解くというより、その事件を起こしてしまった犯罪者に焦点が当たることが多く、そこに心理小越としての味わいや面白さがある。本作はその変形バージョンであり、犯罪者ではなく、被害者の内面に踏み込んでゆく。
被害者の内面を知ることで、それが犯人逮捕につながってゆくというのも、いかにもシムノン流のミステリで嬉しくなってくる。
本作では被害者以外にも、注目すべき人物がいる。それが部下のロニョン警部で、頭は切れて真面目に仕事もこなす。ところがいかんせん極めて悲観的なタイプで、協調性もない。常に一人で行動し、報告すらあまりしないので、メグレも気を遣いつつ手を焼くという状態である。ロニョンの自業自得ではあるけれど、結果的にはいつも貧乏くじを引いてしまい、それがまた悲哀を誘う。
被害者の若い女性とロニョンの生き方は程度の差こそあれ、かなり重なって見えるところがある。人生に対する諦め、虚しさというようなものが込められている。「人生は自分で切り開くものだ」というのはきれいごと、もしくはごく一部の恵まれた人間だけのものであり、多くの人にとって未来はそう簡単に変えられるものではない。ただただ現状に流されるしかないのである。それが人生なのだとシムノンはあからさまに見せてくれる。
その裏に、実は人生に対する期待が込められていると思いたいが、シムノンの良薬はいつも口に苦いのだ。
古典の新訳もすっかり定着した企画だが、シムノンの場合は未訳作品が多すぎるのか、純粋な新刊はたまに出るけれど、改訳はほぼなかった気がするので、これはいい企画。特にメグレものは珍しく、こういう機会に新たなファンを獲得してほしいものだ。
▲ジョルジュ・シムノン『メグレと若い女の死』(ハヤカワ文庫)【amazon】
こんな話。ある夜ののこと、メグレ警視を初めとする面々は長時間に及ぶ尋問をようやく終えたが、そこへ若い女の死体が第二地区の広場で見つかったと連絡が入る。自分が出向く必要はなかったが、気まぐれを起こしたメグレは、部下を連れて現場へ赴いた。
真夜中の三時過ぎ。女性は場違いなイブニングドレスを身につけて殺害されていた。ほぼ手がかりはなく、メグレは厄介な事件になりそうだと感じたが、その予想どおり捜査は遅々として進展しない。それでも少しずつメグレたちは被害者女性の足取りを明らかにし、その過去も追っていく……。
安定の一冊。被害者の若い女性がなぜ広場の一角で死体となっていたのか、彼女のその夜の足取りを追うだけのストーリーだが、その行動が掴めるにつれ、同時に彼女の不幸な人生も明らかになっていく。
メグレものでは犯罪の謎を解くというより、その事件を起こしてしまった犯罪者に焦点が当たることが多く、そこに心理小越としての味わいや面白さがある。本作はその変形バージョンであり、犯罪者ではなく、被害者の内面に踏み込んでゆく。
被害者の内面を知ることで、それが犯人逮捕につながってゆくというのも、いかにもシムノン流のミステリで嬉しくなってくる。
本作では被害者以外にも、注目すべき人物がいる。それが部下のロニョン警部で、頭は切れて真面目に仕事もこなす。ところがいかんせん極めて悲観的なタイプで、協調性もない。常に一人で行動し、報告すらあまりしないので、メグレも気を遣いつつ手を焼くという状態である。ロニョンの自業自得ではあるけれど、結果的にはいつも貧乏くじを引いてしまい、それがまた悲哀を誘う。
被害者の若い女性とロニョンの生き方は程度の差こそあれ、かなり重なって見えるところがある。人生に対する諦め、虚しさというようなものが込められている。「人生は自分で切り開くものだ」というのはきれいごと、もしくはごく一部の恵まれた人間だけのものであり、多くの人にとって未来はそう簡単に変えられるものではない。ただただ現状に流されるしかないのである。それが人生なのだとシムノンはあからさまに見せてくれる。
その裏に、実は人生に対する期待が込められていると思いたいが、シムノンの良薬はいつも口に苦いのだ。