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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 06 2007

五木寛之、他『金沢ミステリー傑作選』(河出文庫)

 河出文庫のミステリー紀行から『金沢ミステリー傑作選』を読む。今では絶版の、このミステリー紀行シリーズだが、意外な作品が入っていたり、普段は絶対に手に取らないような作家のものが読めたりと、けっこう楽しめる。知らない人は「トラベルミステリー」とひと括りにして敬遠するかもしれないが、この水準は侮れない。お試しあれ。

 能書きはこのくらいにして『金沢ミステリー傑作選』である。まずは収録作から。

杉森久英「芋掘り藤五郎の町」(序文)
五木寛之「聖者が街へやってきた」
半村良「箪笥」
連城三紀彦「紙の鳥は青ざめて」
杉森久英「豪雪と一癖斎」
南条範夫「消えたり百万石」
江戸川乱歩「押絵と旅する男」
水上勉「うつぼの筐舟」

 実は管理人sugataが金沢を県庁所在地に置く石川県の出身であり、そういった意味で今回はいつも以上に楽しむことができたのは言うまでもない。作品の舞台の多くは実際に目にしたことのある土地だけに、雰囲気もわかるし、理解も早い。ましてやこれがなかなかの傑作揃いなのである。
 嬉しかったのは、意外なくらい金沢(そして北陸)という土地をしっかり活かした作品がそろっていたこと。というのも、このシリーズは往々にして、その地方ならではの必然性に乏しい作品が多かったりするからである。地名を置き換えても通用するような作品は本来このシリーズの趣旨に合わないとは思うが、作品の頭数と質を揃えようとするとやむを得ない場合もあったのだろう。その点、本書は北陸という風土が芯に据えられており、十分合格点を与えられる。
 反対に残念だったのは、広義のミステリが多かったこと。例えば「聖者が街へやってきた」「箪笥」「豪雪と一癖斎」あたりはどう考えてもミステリには入らん。あと、ついでに書いておくと、「押絵と旅する男」は確かに大傑作ではあるが、これを御当地ミステリとして扱ってよいのか本当に(笑)。

 最後にお気に入りの感想など。
 「聖者が街へやってきた」は、金沢に突如現れた不思議なヒッピーの集団による騒動を描いたもの。しかし、ヒッピーは表面的な題材に過ぎず、根底には地方でくすぶる野心家たちの心情を描くというテーマがある。金沢特有の気質が、主人公たちの暴走をより加速する。
 「箪笥」は何度目かの再読だが、何度読んでも怖い。全編、能登弁での語りであり、石川県人にはとりわけ恐怖感倍増である。ばっちりのイントネーションでこれを読めるのは、ちょっと自慢(笑)。本書のベストといっていい(「押絵と旅する男」はさすがに別格だが)。
 「紙の鳥は青ざめて」は連城三紀彦ならではの叙情溢れる一編。なんとなくトマス・H・クックを連想してしまった。そのうち連城三紀彦も集中的に試したい作家である。


ローレンス・ブロック『すべては死にゆく』(二見書房)

 複数の少年を惨殺して逮捕された殺人犯の、死刑執行日が迫っていた。その殺人犯に面会を求める一人の心理学者。依然として見つかっていない最後の犠牲者の眠る場所を、もしかすると聞き出せるかもしれないのだ。しかし殺人犯はその場所を教えるどころか、いまだに自分が無実だと主張していた……。
 一方、かつての荒んだ日々はどこへやら、スカダーはエレインとともに平穏な暮らしを送っていた。そんなある日、AAの集会で知り合ったルイーズという女性から、交際相手の身元調査を依頼される。しかし、調査を始めたとたん、スカダーらはあっという間に尾行をまかれるはめになる。相手ははたして何物なのか?

 ローレンス・ブロックの『すべては死にゆく』読了。現時点では最後のマット・スカダーものであり、そして読み終えた限りでは、シリーズ最終作の気配が濃厚である。

 最終作かも云々、という話は横においておいて、まずは本書の感想をまとめておこう。
 相変わらずといえば相変わらずなのだが、語り口や会話は非常に巧い。話術でもたせるハードボイルドといってもよいぐらいだ。それらを通してブロック自身の哲学や主張が伝わってくるのも相変わらずで、この辺はパーカーのスペンサー・シリーズを連想させる。ただスペンサーものの主張は常に一定でぶれがない分、新味はない。その点、スカダーとエレインの会話は、声高な主張ではないが、アメリカという国家の抱える病などを常に反映させることを忘れず、深く染み込んでくる。特に9.11はブロック(だけではないだろうが)に多大な影響を与えたようで、最近のいくつかの作品では、思考における尺度のひとつとしても機能しているように思える。また、ある種のリズムを感じられる会話文が個人的にたいへん心地よく、これは訳者のお手柄だろう。
 それに比べると、ストーリーは倒錯三部作の踏襲というべきか。狡猾な猟奇犯を迎え討つというパターンは後期のスカダーものにおいて非常に多く、どうしても印象としてはよくない。犯人像もかなり凶悪ではあるが、やりすぎの感も否めず、特に刑務所の件はもう少し説得力があればと思う。
 ただ二つの事件をモジュラー的に進めていき、きれいに交差させているところは見事。決してつまらないわけではないので念のため。

 さて、本書がシリーズ最終作になるのではではないかという話。これは過去に登場した人物についての言及が多いことや、スカダー自身がシリーズ中でも屈指の危機に陥ることなどが理由として挙げられる。そして極めつけ、終盤のスカダーの無意識の中で流れる「イメージ」が、それを如実に物語っている。
 語るべきことを語り終えたのか。それともマンネリを嫌ったのか。あるいは小説からも離れてゆくのか。二十年以上も前にスカダーを読み始め、作品を通じてハードボイルドの何たるかを教えてもらった身としては、とにかく寂しい限りだ。だが、スカダーも既に六十八歳。いい加減にリタイアすべき年齢ではある。
 正直、これで終わるならそれもやむなし。だが訳者の田口氏が言うように、もう一作だけならあっても悪くはない。その場合は、猟奇犯など出てこないものを読んでみたい。たとえそれがスカダーの死であったとしても、ぜひともエピローグにふさわしい穏やかな幕切れであることを望む。

 なお、シリーズのファンなら買いの一冊だが、スカダーものを初めて読む場合はもちろんこの限りにあらず。


三頭大滝へ

 昼は久々に奥多摩へ。「檜原都民の森」にあるという三頭大滝が目的。以前に一度、都民の森へは来たことがあるのだが、そのときは時間も遅く滝見物は挫折。そのリベンジというわけである。駐車場からゆっくり歩くと滝までは概ね30分弱ぐらいか。往復に休憩を入れるとほぼ90分程度のコースとなり、ミニハイキングにはちょうど良い案配。
 肝心の滝は落差もそこそこあり、水量もまずまず。滝見橋という見物用の橋が架かっているので、ほぼ全貌も眺めることが出来、なかなかいい感じであった。

 夜はようやく例のミステリドラマを観ようと思っていたら、ここで悲惨な事件が発生。突然、テレビがパチッという音を立て、画面が消えてしまったのである。そしてあたりにはゴムの焦げたような臭いが……。慌ててコンセントを外すも時すでに遅し。テレビはご臨終と相成ったのである。
 テレビが壊れることなど、そうそうないと思っていたが、これはある意味なかなか貴重な体験かもしれない。などと自分を無理矢理なぐさめるものの、そうした行為が既にショックの大きさを物語っているといえよう。
 明日は電気屋か……。

『別冊宝島1447 僕たちの好きな明智小五郎』(宝島社)

 会社で別冊宝島の新刊『別冊宝島1447 僕たちの好きな明智小五郎』という本が出ていると小耳にはさみ、思わず「なにぃー」と絶叫。昼休みにさっそく書店で今月の『ミステリマガジン』とともに購入。さくさくっと目を通す。

 ううむ、見事なまでに『別冊宝島1375 僕たちの好きな金田一耕助』を踏襲しており、あくまで初心者向けと思われる。それでも金田一耕助の場合、過去に数々の本が出ているのに対し、明智小五郎に絞った本というのは意外なほど少ないので、そういう意味ではちょっと便利。これでもう少し解説や資料が充実していればいうことはないのだが、まあ叢書の性質上、そこまで求めるのは酷か。でも同じ「別冊宝島」でもコロンボ本は割に充実しているので、できないことはないはず。結局、編集スタッフ次第ということなのか。
 なお、本作で最も気になるのは、無駄に誌面を占めすぎているイラストである。これは『僕たちの好きな金田一耕助』のときとまったく同様。捨てカットなら捨てカットらしい大きさで載せてくれ。そもそもテイストが全然、乱歩に合っていないし、何の面白味もない。どうせなら唐沢なをきにもっと描いてもらうとか、喜国雅彦に描いてもらうとか、いくらでも適した描き手がいるではないか。まったくあのイラストの扱いだけは理解不可能。

 『ハヤカワミステリ』は特集が「探偵たちのプロフィール」。探偵という存在の意義はそれなりに考えるべきテーマではあるが、今回はプロフィールと謳うだけあって、紹介程度にとどまっている。ちょっと幅広すぎて焦点がいまひとつ絞り切れていないのが残念。嬉しいのはチャンドラーの新訳、そして何より高城高の新作「異郷にて、遠き日々」だ。

 ブロックの『すべては死にゆく』はなかなか進まず。今晩中には読み終えたい。

 そういえばブラッドリー夫人もののドラマも録るだけ録って、すっかり忘れているではないか。土日で観れるかな。


ローレンス・ブロックあれこれ

 飲みが多いのと微妙な忙しさで、なかなか読書進まず。本日などは飲んで帰ってきたのはいいが、いつの間にかリビングで轟沈。早朝に目覚めて一風呂浴び、こうして日記を書いている始末である。ああ、今日は一日が長そうだ。

 ちなみに読書中のぶつはローレンス・ブロックの『すべては死にゆく』。ブロックはハードボイルドというジャンルにのめり込むきっかけを作ってくれた作家で、好きな作家を3人挙げろといわれたら、間違いなく入れるくらいファン。
 特にマット・スカダーものの『八百万の死にざま』を読んだときの衝撃は忘れられない。物語のバランスはいいとはいえないが、ブロックの人生観がみっしりと詰まった傑作である。ハードボイルドは好きだが、まだブロックは読んだことがない、という人はぜひ一読を勧めます。これが駄目ならもう読む必要はなし。もし気に入ったならシリーズの最初から読んでみてください。人はなぜ弱くなるのか、それをどうやって克服するのか、そもそも弱さとは克服しなければいけないものなのか。その答えがおぼろげながら浮かんでくるはずである。

 そんなブロックの新刊『快盗タナーは眠らない』が創元推理文庫から出た。ただ、これは最新作ではなく、もう四十年あまり前に書かれたもの。マット・スカダーも泥棒バーニイもまだこの世に誕生しておらず、ブロックがブレイクする以前の作品である。軽めのスパイ路線らしいが、それなりにシリーズ化されていることから、それほどつまらない代物でもないだろう。しかもどうやらシリーズ第二作も刊行予定があるようだ。
 また、早川からも近々ポケミスでバーニイものの最新作が出るらしく、うう、ファンとしては誠に慶賀の至り。こうなったらチップ・ハリスンものもどこかで出してくれないものか。

マイケル・イネス『アプルビイズ・エンド』(論創海外ミステリ)

 マイケル・イネスの『アプルビイズ・エンド』を読む。

 ある事件の調査で列車に揺られていたアプルビイ警部。しかしいい加減な時刻表と大雪のせいで乗り継ぎには間に合いそうもなく、車内で知り合ったレイヴンという一家の館に泊めてもらうことになる。ところが館へ向かう途中で迎えの馬車が川で立ち往生、アプルビイはジュディスというレイヴン家の娘と館をめざすが、途中で馬車の御者が死体となって、雪に首まで浸かっているところを発見する……。

 粗筋を少し説明したぐらいでは、この小説の雰囲気を伝えることは難しい。『ストップ・プレス』でも目立ったコメディ要素だが、本作はカーもかくやというスラップスティックなのだ。
 いや、噂には聞いていたが、これが本来のイネスの作風なのだろうか。衒学趣味はもちろん全開なのだが、それを上回るコメディ・センス。正しくイネスの作風を掴んでおかないと、翻訳の段階でその雰囲気を誤ってしまうことは十分考えられるわけで、特にこういうユーモアの要素は難しいはず。作者がこれを笑ってもらおうと書いているのか、それともいたって真面目に書いているのか、訳者も相当気を遣ったに違いない。ましてやこれまで文学的とまで言われてきたイネスの作品とあっては。
 ただ、この作品におけるユーモアというかドタバタ要素は、味つけだけでなく、ある程度ネタにも直結している。おそらくくそ真面目にこのストーリーを展開しては、ミステリとしての価値も半減するだろう。このドタバタ要素はある意味必然であり、本作の魅力もそこにある。とはいうものの、このドタバタが生理的に受けつけない人は、ミステリの価値などくそくらえであろう(笑)。個人的にはメインのネタ、ユーモアセンスともに嫌いではなく、これはこれでありでしょう。
 アプルビイと後に結婚するジュディスとのなれそめも本作で紹介されるので、少なくともイネス・ファンは読んでおくべき作品である。

近況報告

 木曜金曜と午前様。仕事。二日で6時間ぐらいしか寝ていないが、あまりの天気のよさに、がんばって家族サービスに出かける、っていうほど大したことはしていないが、高幡不動尊で開催中のあじさい祭りを見物。

 というわけでこの二、三日は、あまり読書は進まず。読んでるのはイネスの『アプルビイズ・エンド』で、本日中には読み終える予定。感想は明日にでも。

 Sphereさんから教えてもらったグラディス・ミッチェルのブラッドリー夫人もののドラマ化。昨日からミステリチャンネルでやっている模様。とりあえず今日は体力の限界にきているので、予約録画で対応。しかし地上波みたいに一発勝負でなく、3~4日同じのを再放送してくれるのが助かる。初日は完全に忘れておりました。

フレデリック・ダール『蝮のような女』(読売新聞社)

 本日のお買い物は、エドガー・ウォーレス 『正義の四人』(長崎出版)、山下利三郎『山下利三郎探偵小説選I』(論創社)、山沢晴雄 『離れた家』(日本評論社)。
 毎度のことながら、このとんでもないラインナップがすべて新刊で買えるのだからけっこうな御時世である。論創社は言うに及ばず、長崎出版だって当初の不安も何のその、けっこう安定して供給し続けているのは立派というしかない。おまけに日本評論社は、ついに<日下三蔵セレクション>というシリーズ名までつけているではないか。これは今後も期待してよいということなのだろうね?

 本日の読了本はフランスミステリの大御所フレデリック・ダールから『蝮のような女』。

 人生に厭きた男の前に、たまたま現れたアメ車の女。暗闇の中で顔もよくわからないまま行きずりの関係をもってしまった男は、その女を忘れられず、覚えておいた車のナンバーから住所を割り出すことに成功する。しかし、その家に住んでいたのは、車椅子生活を余儀なくされる妹と、その看病に人生を注ぐ姉の姿だった。この姉妹が、あのときの女性であるはずがない。男は屋敷を去ろうとするが、いつしか奇妙な三角関係のただ中に巻き込まれていた……。

 主な登場人物は男と姉妹のたった三人である。「関係をもったあの夜の女性はいったい姉妹のどちらなのか」、主人公の男以外にはまったくどうでもいいような謎で序盤を引っ張るため、ほんとに二時間ドラマ向きな印象。ところが中盤から男と姉妹の間に奇妙な三角関係が生じ、それが表面化することで特殊な緊張感が生まれる。徐々に姉妹の本音が露わになり、それにともない憎悪は殺意へと高まる。
 そして結局は、姉妹のどちらかが嘘をついているしか答えはないはずなのだが、ダールはここでもう二手間ほど加え、なかなか毒のある物語に仕立て上げている。フランスミステリ独特の心理的閉塞感を楽しむには最適の一冊。


渡辺啓助『怪奇探偵小説名作選2 渡辺啓助集 地獄横町』(ちくま文庫)

 『怪奇探偵小説名作選2 渡辺啓助集 地獄横町』を読む。
 人の心の闇を描いた作家、渡辺啓助。本書は彼の初期の作品を集めた、怪奇ロマンに満ちあふれた短編集だ。

 そもそも昭和初期という時代の探偵小説は、謎解きよりも怪奇趣味、猟奇趣味が先行しがちで、これを称して変格とも呼ばれたわけだが、渡辺啓助の場合、正にその変格の道を歩み続けた。ときに「悪魔派」などと称されたように、彼の描く登場人物たちの多くは、何らかの特殊な性癖や思想に囚われた者ばかりだ。そんな囚われ人がいつしか限界点を超え、悲劇を招いてしまう瞬間を、渡辺啓助はいくつもの作品をとおして見せてくれるのである。
 特別、美文というわけではないが、首つり死体やミイラ、偽眼の美女など、インパクトのあるモチーフを使って読者に鮮烈なイメージを与え、作品世界に誘導することに成功している。
 また、作品の当たりはずれが大変少なく、高いレベルで粒がそろっているのも素晴らしい。きれいにまとまりすぎて、逆に物足りなく感じることもあるぐらいなのだが、そんななか、「血蝙蝠」の存在は貴重だ。どう考えても構成的に失敗している作品で、おそらく本書のワースト。しかし、こういう作品を読むと、逆に「ああ、読んでよかった」と思えるから不思議だ(笑)。ま、とにかくオススメの一冊ということで。

「偽眼のマドンナ」
「佝僂記」
「復讐芸人」 
「擬似放蕩症」
「血笑婦」 
「写真魔」
「変身術師」 
「愛欲埃及学」
「美しき皮膚病」
「地獄横丁」
「血痕二重奏」
「吸血花」
「塗り込められた洋次郎」
「北海道四谷怪談」
「暗室」
「灰色鸚哥」
「悪魔の指」
「血のロビンソン」
「紅耳」
「聖悪魔」
「血蝙蝠」
「屍くずれ」
「タンタラスの呪い皿」
「決闘記」

 ちなみに創元推理文庫で出る出ると言われ続けている実弟、渡辺温の作品集はどうなったんだ?


高城高『X橋付近』(荒蝦夷)

 昨年の暮れ、高城高(こうじょう・こう)の作品集が出版されるというニュースを知ったときは本当に驚いた。高城高といえば、大藪春彦、河野典生と並んで日本のハードボイルド界創生期を支えた作家である。しかしながら作品数はそれほど多くなく、過去に出版されたのは短編集と長編がそれぞれ一冊ずつ。しかもどちらも古い本で入手が難しいときているから、アンソロジーでいくつかの短編が読めるだけであった。
 それが荒蝦夷という仙台の出版社から、高城高の新たな短編集『X橋付近』が出るというのである。早速注文したことはいうまでもなく、手元に届いてからももったいなくて、なかなか読むことができない始末。ようやく先月から読み始め、寝る前に短編一作ずつという超スローペースで楽しんできたわけである。

 高城高の作風は極めてまっとうなハードボイルドだ。
 もともと乾いた世界観を旨とするハードボイルドは、基本的に日本人には合わないのでは、という説も以前はあったらしい。今日の馳星周や大沢在昌の活躍を見れば、そんなことは杞憂だったこともすぐにわかるが、当時はそもそもハードボイルドとは何ぞや?という時代であったから、高城高らの作品が果たしてどれだけ理解されていたかは疑問である。当の作者本人も、お手本がハメットやチャンドラーしかいないので見よう見まねで挑戦したようなことを、どこかの記事で読んだことがある。
 しかし、見よう見まねの割にそのレベルはおそろしく高く、ただスタイルを真似ただけのものでないことは簡単に理解できるはずだ。当時は文学部在学中であり、やがて新聞社勤務という道をたどったことから、当然「書く」ということにこだわりを持っていたのだろうが、この文章、そしてテーマをデビュー当時から持っていたことは、驚嘆に値する。

 その作品群は、仙台を舞台にしたものと、北海道を舞台にしたものに大きく分けられる。まったく個人的な意見になるが、仙台ものはシンプルなハードボイルドで、高城高の精神性をより感じたい向き。
 一方の北海道ものは謀略やスパイをネタにしたものも多く、エンターテインメント性が高い。また北海道という地域性を巧みに作品世界に取りこんでいる。情景と叙情が常に表裏一体とでもいおうか、北海道のさまざまな景観描写がメタファーになっていると感じさせる、その技術が素晴らしい。

 最期に収録作一覧とお気に入りの感想をいくつか。
 作品単位では、定番とも言える「X橋付近」や「ラ・クカラチャ」もいいのだが、個人的には、何となく映画『明日に向かって撃て』を思い出させるラストシーンが印象的な「火焔」がおすすめ。短いしあまりハードボイルドっぽくもないけれど、これは素敵な青春小説にもなっている。
 廃坑の荒んだ状況を普遍的なものとして感じさせる「廃坑」もいい。
 そして珍しく謎解き要素を含んだ「賭ける」、その意外な続編の「凍った太陽」はセットで読みたい、っていうか読んでくれ。
 「微かなる弔鐘」「死ぬ時は硬い笑いを」あたりは完成されたスタイルを素直に楽しめる。

<仙台>
「X橋付近」
「火焔」
「冷たい雨」
「廃坑」
「賭ける」
「ラ・クカラチャ」
「黒いエース」

<北海道>
「淋しい草原に」
「暗い海 深い霧」
「微かなる弔鐘」
「雪原を突っ走れ」
「追いつめられて」
「凍った太陽」
「父と子」
「星の岬」
「死ぬ時は硬い笑いを」


テディベアコンベンションへ

 嫁さんのお供で、今年も浜松町で行われているテディベアコンベンションへ出かける。詳しくはこちらで見れますが、まあテディベアマニアにおけるコミケみたいなもんだと思っていただければよいかと。
 大の男がテディベアか、と言われるとちょっと恥ずかしいが、実はテディベアにはホームズの格好をしたものとか、ミステリマニアの心をくすぐるものもあり、なかなか油断できないのだ(ちなみに我が家にはホームズベアが10匹ぐらいおります)。
 今年は売り物ではなかったが、なんとミス・マープルが出展されておりました。なかなかの出来映えで、撮影禁止だったのが実に残念。

グラディス・ミッチェル『ウォンドルズ・パーヴァの謎』(河出書房新社)

 しばらく前の日記で、「クラシックブームのお陰で認識を新たにできたのがアントニイ・バークリーとレオ・ブルースだ」、なんてことを書いたのだが、もう一人、このグラディス・ミッチェルを忘れておりました。まあ、彼女の場合は『ソルトマーシュの殺人』で初めて知った作家なので、認識を新たにしたなどと偉そうなことは言えないのだが(笑)。とりあえず本日の読了本は、そのグラディス・ミッチェルの『ウォンドルズ・パーヴァの謎』。

 遺言状書き換えのため、ウォンドルズ・パーヴァ村のセスリー氏を訪れた事務弁護士。ところが目の前に現れたのはセスリーの甥ジムで、肝心のセスリーはアメリカへ出かけてしまったという。確かに約束をしていたはずなのに……。弁護士は頭をひねるが、その一方、隣町では奇怪な事件が起こっていた。肉屋の肉をぶら下げるフックに、なんと首なし死体が掛かっていたのだ。はたして首なし死体はセスリー氏なのか。やがて海岸から人間の頭蓋骨が見つかり、小さな町は一大騒動に巻き込まれてゆく。

 グラディス・ミッチェルの魅力は何かと聞かれれば、まずは表現力であろう。ややもすると類型的になりがちなミステリの登場人物だが、彼女のそれは実に活き活きとしている。現代のミステリ作家でもここまで豊かな人物描写ができる人はそれほど多くない。
 『月が昇るとき』もそうだったが、特に少年はうまいなと思う。本作ではミセス・ブラッドリーの助手的な役割で活躍する少年がいるのだが、下手な作家だとただ生意気にするだけのところを、母親や従兄弟との距離感、年上の女性に対する憧れなどを自然に織り込み、実にいい味を出している。

 もうひとつの魅力は、よく言われているように、やはりオフビート感といえるだろう。一見オーソドックスな本格ながら、実は読み手の予想を微妙に裏切る展開。この外し方が絶妙なのである。
 本書でも派手に首なし死体を登場させるが、それを中心に物語を進めることはなく、死体の扱いは実に素っ気ない。そのくせ誰のものともつかない頭蓋骨を出現させ、大事な証拠物件のはずなのに消したり出したり、もうむちゃくちゃ。
 さらには、ミセス・ブラッドリーの聞き込み捜査も見逃せない。ときには意地悪く、ときには厳しく訊問する技術は、警察以上の腕前であり、聞かれた相手はことごとくボロを出す。ふと気がつくと登場人物の大半が嘘をついているという状況で、推理好きの読者にしてみればたまったものではない(笑)。逆説的だが、これはそういう意味で伏線だらけの物語といっていいだろう。こうしたミステリの定石を外すテクニックこそ、グラディス・ミッチェルの真骨頂なのだ。

 決して派手な物語ではないけれど、普通のミステリに飽きた人でも思わず引き込まれる、すれっからし向けのミステリ。それがグラディス・ミッチェルの作品だ。デビュー第二作にして、このレベルの高さ。頼むから残りの作品もすべて翻訳してほしい。


人間ドックへ

 一昨日は人間ドックの日。そこまで年寄りのつもりはないのだが、会社からシニア用を受けさせられ、ほぼ一日中病院に缶詰。業務がら不規則な生活を余儀なくされるため、最近全社をあげて健康管理に気を配っているので仕方あるまい。
 しかし前日の夕方から飲食を控えているうえに、普段より二時間も早く起きて検痰、検尿、検便を行い、慣れない満員電車に揺られ、着いたとたんに血をどっさり採られるわ、体中ひっくり回されるわ、終わる頃にはへろへろである。かえって体調が悪くなったようにも思うのだが、これは気のせいか?
 ちなみに待ち時間の間、こつこつグラディス・ミッチェルの『ウォンドルズ・パーヴァの謎』を読み進める。名探偵ミセス・ブラッドリーが登場するグラディス・ミッチェルの第二作である。感想は明日にでも。そういえば問診をしてくれた女医が、なんとなくミセス・ブラッドリーを連想させたことは、口が裂けてもいえない(笑)。

 昨日は会社の若い連中と飲む。そこそこの時間で帰るつもりがあっという間に電車も終わり、仕方なく朝まで痛飲。つい先ほど帰宅したばかりである。人間ドックの次の日にこれでいいのか?

日影丈吉『咬まれた手』(徳間書店)

 エッセイや評論などを読んでいたりして、たまに目にするのが短編型とか長編型とかいう言い方。どちらかに特化した、あるいは得意とする作家というわけだが、さしずめエドワード・D・ホックなどは短編型作家の代表格だろう。また、日本の作家でも、江戸川乱歩などは本質的に短編の作家である、なんていう記述を見かけたりする。
 ところが何となくそういう刷り込みをされているものの、ふと気がつくと現代の作家は、意外と長編も短編も得意だったりする。ローレンス・ブロックやジェフリー・ディーヴァーらは長編型かななどと思っていると、意外に短編巧者だったりして、まあ結局、上手い人は何を書かせても上手いということなのだろう。

 しかし、この日本において、短編と長編でまるっきり評価が違う作家がいる。しかも優れた描写力と独自の作風で、日本の探偵小説史において偉大な足跡を残し、マエストロの名にもふさわしいほどの作家だ。誰あろう日影丈吉その人である(我ながら仰々しい)。

 日影丈吉の長編が短編に比べて落ちるというのは、マニアの間では常識だろうが、なんせ日影丈吉である。落ちるといっても他の作家に比べれば全然ましなはず、そう信じて、ここ数年ちんたらと読み続けてきたのだが、いやあ確かにちょっとしんどくなってきた(苦笑)。『応家の人々』や『孤独の罠』なんていう優れた作品もないことはないのだが、いかんせん打率が低いんだよなぁ。


 本日の読了本は、そんな打率を落とす方の長編、『咬まれた手』である。
 映画評論家の作礼藻二花は、年下の芸能記者、信吉と結婚したが、仕事の関係ですれ違いが多い毎日だった。そんな二人が暮らす家で、物がなくなるという事件が度々起こるようになり、二人はますます互いが信じられなくなる。そしてある日、藻二花が帰宅すると、部屋のソファで見知らぬ男が死体となって横たわっていた……。

 最初に出てくる登場人物が、作礼藻二花(さらい もにか)という名前で、いきなり挫けそうになるが、そこを我慢して読んでいくと、序盤はそれほど悪くない。被害者の正体に対する興味や映画の蘊蓄などでまずまず快調に引っ張っていく。
 しかし、中盤から物語の視点というか軸がまったく定まらず、後半はぐだぐだ。登場人物も少ない割に、変なところで描写が不足気味となり、盛り上がりにも欠ける。そしてとどめの、後味の悪い結末とオチ。ああ、日影長編の中でも本作はワーストに近いかもしれない。

 新書とはいえ古書価はそれなりにする本書。買う前に、本当にこれが読みたいのか、もう一度考えるべきであろう。


伊奈町制施行記念公園へ

 仕事、精神的にまいること多し。それでも金曜夜にはなんとか回復。

 埼玉県伊奈町にある伊奈町制施行記念公園のバラ園を訪ねる。この時期は約190種4000株のバラが楽しめ、昨年から我が家の恒例行事と化してきた。今が正に満開ということで、さまざまなバラを愛でることができる。癒し効果十分。

 『戦線文庫』の復刻版を購入。一昨年の刊行時に買おうと思っていたのだが、値段の高さと、思ったよりは好きな作家が入っていなかったことから、ついついそのまま放っておいた作品。ところが数日前に偶然安い出品をネットで見つけて速攻ゲット。
 他にもネットオークションで飛鳥高の『虚ろな車』を購入できたり、ストレス解消にはいい週末である。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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