Posted in 06 2024
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ダン・マクドーマン『ポケミス読者よ信ずるなかれ』(ハヤカワミステリ)
先ごろポケミスからやばいタイトルの本が出た。ダン・マクドーマンの『ポケミス読者よ信ずるなかれ』である。あまりにもあざといし、まんまと版元にのせられているようで癪なのだが、やはりこれは読まないわけにはいかないだろう。
ということで先日読み終えたのだが、いや、これは何といったらいいのか。
▲ダン・マクドーマン『ポケミス読者よ信ずるなかれ』(ハヤカワミステリ)【amazon】
人里離れた会員制狩猟クラブを訪れた私立探偵のアダム・マカニス。表向きは大学時代の友人に誘われた形だが、実はクラブの内情を調べるための潜入調査だった。古くから続く、社交を兼ねるクラブではあったが、現在は経済的にも厳しいらしく、その存続問題で揉めているらしい。また、閉鎖的な側面も強いことから、人間関係にもさまざまな問題を抱えているようだった。
やがて湖で女性の死体が発見され、さらには嵐によってクラブは陸の孤島となる。だが悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
とりあえずメインストーリーとなる部分を挙げてみたが、本作はこの物語を題材にしたメタミステリという構成をとっており、必ずしもストーリーありきで楽しむわけではない。
タイトルからも想像できるように、本作は著者が読者に向け、ミステリとはどのように読み解くべきか、ということを案内しつつ、ミステリの新たな可能性を提議するところが最大のポイントなのだ。著者は地の文で「読者は探偵である」と宣言し、随所に過去のミステリを例に挙げながら解説を加えていく。通常であれば注釈で軽く補足するようなところを、著者は蘊蓄を披露しながら、読者の推理する過程を先回りするかのように講釈を垂れていく。創作と評論の合体といってもいい。
また、蘊蓄や評論だけではなく、登場人物表が本当のことを書かないものだというように黒塗りにしてみたり、途中経過を試験問題にしてみたり、人称をさまざまに変えてみたり、まあ、いろいろやってくれる。
これらのスタイルは大きく好みが分かれるところだろう。純粋にミステリを楽しむという本質的な点においては、ストーリーの流れを断ち切ったり、思考を誘導されたりするため、著しく障害にしかならない。だがその一方で、このスタイルは著者が考えているミステリの可能性をともに考えさせてもくれ、ある種の刺激をもたらすという面もある。
だが、各種ギミックは確かに多いし、徹底もしているが、そんなことは先人、それこそ乱歩やカーもすでにやっていることである。
もちろん著者もそんなことは承知の上だろう。そこで著者はミステリの可能性を探るべく、さらに三つのサプライズを用意している。一つはストーリー内に仕掛けられた昔ながらの通常のサプライズ。もう一つはそこから派生するメタミステリのサプライズ。これは冒頭の「読者が探偵である」を実践した部分でもある。最後は……言わぬが花だろう。これもまたメタミステリ上の挑戦ではあり、おそらくはこれが最も著者のやりたかったことなのだろう。
ただ、これだけやっておきながら、そこまでメタミステリとしての衝撃がないのも事実。むしろ過去にも見覚えのある手法の焼き直しであり、一般的な実験小説の凄みは感じられない。
そもそも小説は文章による芸術表現であり、したがって実験小説とはあくまで文章表現に対する挑戦だ。小説は本来自由であるからこそ、その挑戦は難しいのである。ただしミステリは小説の中でも独特のルールを持ったジャンルであり、その中でルールを壊そうとする試みは比較的ハードルが低いと言えるかもしれない。実際、その例は昔からあり、それこそ著者が作中で書いているようにクリスティがすべてやってしまっている。そこを超える実験は当然ながらミステリというより小説という形式を超えたものであってほしい。
その上での本作の挑戦・実験だと思うのだが、正直、本作における実験はミステリマニアが雑談しているレベルのアイデアであり、ミステリ作家なら一度は考えたことがあるけれども、馬鹿馬鹿しすぎて誰もやらなかった、というところではないだろうか。
確かに著者は徹底的に数々の企てを盛り込んでおり、それを形にした技術は評価してもいい。だが挑戦の方向性や全体的な完成度、満足度を考慮すると、アレックス・パヴェージやジャニス・ハレット、ジョゼフ・ノックス、ピーター・スワンソンのいくつかの作品の方が、よほどミステリの可能性を広げていると思うのである。
ということで先日読み終えたのだが、いや、これは何といったらいいのか。
▲ダン・マクドーマン『ポケミス読者よ信ずるなかれ』(ハヤカワミステリ)【amazon】
人里離れた会員制狩猟クラブを訪れた私立探偵のアダム・マカニス。表向きは大学時代の友人に誘われた形だが、実はクラブの内情を調べるための潜入調査だった。古くから続く、社交を兼ねるクラブではあったが、現在は経済的にも厳しいらしく、その存続問題で揉めているらしい。また、閉鎖的な側面も強いことから、人間関係にもさまざまな問題を抱えているようだった。
やがて湖で女性の死体が発見され、さらには嵐によってクラブは陸の孤島となる。だが悲劇はそれだけでは終わらなかった……。
とりあえずメインストーリーとなる部分を挙げてみたが、本作はこの物語を題材にしたメタミステリという構成をとっており、必ずしもストーリーありきで楽しむわけではない。
タイトルからも想像できるように、本作は著者が読者に向け、ミステリとはどのように読み解くべきか、ということを案内しつつ、ミステリの新たな可能性を提議するところが最大のポイントなのだ。著者は地の文で「読者は探偵である」と宣言し、随所に過去のミステリを例に挙げながら解説を加えていく。通常であれば注釈で軽く補足するようなところを、著者は蘊蓄を披露しながら、読者の推理する過程を先回りするかのように講釈を垂れていく。創作と評論の合体といってもいい。
また、蘊蓄や評論だけではなく、登場人物表が本当のことを書かないものだというように黒塗りにしてみたり、途中経過を試験問題にしてみたり、人称をさまざまに変えてみたり、まあ、いろいろやってくれる。
これらのスタイルは大きく好みが分かれるところだろう。純粋にミステリを楽しむという本質的な点においては、ストーリーの流れを断ち切ったり、思考を誘導されたりするため、著しく障害にしかならない。だがその一方で、このスタイルは著者が考えているミステリの可能性をともに考えさせてもくれ、ある種の刺激をもたらすという面もある。
だが、各種ギミックは確かに多いし、徹底もしているが、そんなことは先人、それこそ乱歩やカーもすでにやっていることである。
もちろん著者もそんなことは承知の上だろう。そこで著者はミステリの可能性を探るべく、さらに三つのサプライズを用意している。一つはストーリー内に仕掛けられた昔ながらの通常のサプライズ。もう一つはそこから派生するメタミステリのサプライズ。これは冒頭の「読者が探偵である」を実践した部分でもある。最後は……言わぬが花だろう。これもまたメタミステリ上の挑戦ではあり、おそらくはこれが最も著者のやりたかったことなのだろう。
ただ、これだけやっておきながら、そこまでメタミステリとしての衝撃がないのも事実。むしろ過去にも見覚えのある手法の焼き直しであり、一般的な実験小説の凄みは感じられない。
そもそも小説は文章による芸術表現であり、したがって実験小説とはあくまで文章表現に対する挑戦だ。小説は本来自由であるからこそ、その挑戦は難しいのである。ただしミステリは小説の中でも独特のルールを持ったジャンルであり、その中でルールを壊そうとする試みは比較的ハードルが低いと言えるかもしれない。実際、その例は昔からあり、それこそ著者が作中で書いているようにクリスティがすべてやってしまっている。そこを超える実験は当然ながらミステリというより小説という形式を超えたものであってほしい。
その上での本作の挑戦・実験だと思うのだが、正直、本作における実験はミステリマニアが雑談しているレベルのアイデアであり、ミステリ作家なら一度は考えたことがあるけれども、馬鹿馬鹿しすぎて誰もやらなかった、というところではないだろうか。
確かに著者は徹底的に数々の企てを盛り込んでおり、それを形にした技術は評価してもいい。だが挑戦の方向性や全体的な完成度、満足度を考慮すると、アレックス・パヴェージやジャニス・ハレット、ジョゼフ・ノックス、ピーター・スワンソンのいくつかの作品の方が、よほどミステリの可能性を広げていると思うのである。
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ロス・マクドナルド『地中の男』(ハヤカワ文庫)
ロス・マクドナルドの『地中の男』を読む。1971年の作品。後期作のマンネリ化を指摘されることの多い作者だが、本作はいろいろな意味で従来の作品とは異なっており、しかも、ここに来てさらにギアを上げたような印象すらある傑作である。
まずはストーリー。ひょんなことから隣家を訪れていた一家の少年、ロニイ・ブロードハーストと知り合った私立探偵リュウ・アーチャー。しかしブロードハースト一家の主人、スタンリイは何やら問題を抱えているらしく、ロニイと謎のブロンド娘・スーザンを連れてサンタ・テレサにある母親の家へ出かけていく。
その日の午後、アーチャーのもとへスタンリイの妻・ジーンが訪ねてきた。サンタ・テレサで山火事が発生したらしく、スタンリイとロニイが心配なので様子をみてきてほしいというのだ。彼女の悩み事が山火事だけではなさそうなこと、何よりロニイのことが心配になったアーチャーは、スタンリイの母が暮らす屋敷に向かう。しかし、そこにロニイの姿はなく、一人の男性の死体が見つかった……。
▲ロス・マクドナルド『地中の男』(ハヤカワ文庫)【amazon】
後期の作品がマンネリだと言われる理由だが、テーマがアメリカの上流家庭の問題を扱っていること、人間関係がとてつもなく複雑なこと、探偵のアーチャーが事件関係者の話を延々聞いて回るというストーリー、といったあたりにあると思われる。もちろん事件の内容はさまざまなのだが、確かに全体的な印象が似通ってくる嫌いはないではない。
ただ、残すところ『眠れる美女』と『ブルー・ハンマー』の二作というところまで読んできて、個人的にはそこまでマンネリとは思えない。マンネリ化が特に顕著になるのは1970年頃からで、本作は1971年の作品だからいよいよというところではあるのだが、最初に書いたように本作はむしろギアを上げており、前作以上に工夫を凝らしている。
マンネリ化はそもそもシリーズものの宿命でもあるし、意外な真相や出来が安定しているという長所まで含めて印象が似ているから、少々この言われ方は理不尽な気もする。こちらの贔屓目もあるが、人気作家でなければここまで言われることもなかっただろう。
それはともかく、本作が興味深いのは、まず山火事という災害を背景に置いていること。ただし、部分的に緊迫したシーンを生み出してはいるが、そこまで効果的かというとちょっと疑問である。かなりの大事なのに、途中から山火事への言及がほぼなくなり、ラストで思い出したようにまた取り上げられる。この使い方が非常にもったいなくて、直接、山火事に関わらなくとも、常に山火事の描写や状況を挿入するなど、緊迫感の維持がほしかったところだ。
もう一つ注目すべきは、作者ロス・マクドナルドの経験が色濃く反映されていること。創元推理文庫の新訳版『動く標的』の解説で柿沼瑛子氏が書いているように、マクドナルドにはリンダという娘がおり、彼女は飲酒運転で死者を出した轢き逃げ事件を起こし、精神疾患を発症。その後は失踪事件も起こし、最後は三十一歳という若さで亡くなった。また、その結果、リンダの子がマクドナルドに残されることになった。こうした出来事がシリーズの途中から作品世界に大きな影響を与えることになったのは有名な話である。
本作では特にそれが顕著で、本作を書き終える前にリンダが亡くなったことが大きく影響しているのは否めない。ロニイを誘拐したと思われ、精神状態が著しく不安定にしか見えないスーザンは、当然リンダを反映した存在である。アーチャーはようやく見つけたスーザンから話を聞こうとするが、その主張が理解できず途方に暮れてしまう。それはリンダの扱いに苦悩していたロス・マクドナルドの苦悩に他ならないのだろう。
さらに本作ではロニイの存在がある。アーチャーはロニイ少年に対し、実にあたたかい視線を送り、彼を救うために奔走する。そこにマクドナルド自身の孫(スーザンの遺した息子)の姿が投影されていると見るのは、それほど難しいことではないだろう。ただ、アーチャーはこれまでの作品で、あくまで傍観者、観察者というスタンスをとっており、事件の関係者と密接な関係をとることはあまりなかった。しかし本作では明らかに傍観者ではなく、一歩踏み込んだ印象である。それによって、事件の関係者からは「災厄を持ってくる」とまで言われるのだが、そういった変化が、次作以降でどう影響するのか実に興味深いところである。
結局、本作はロス・マクドナルドがそういった自身の苦悩を自浄すべく書いたような作品なのかもしれない。しかし、そんな内省的な作品でありながら、プロットは相変わらず緊密であり、意外な結末が待っているところが素晴らしい。エンターテインメントとしても十分に読ませるところに、ロス・マクドナルドの凄さがあるのだ。
なお、タイトルも最後まで読むと実に意味深いことがわかる。
まずはストーリー。ひょんなことから隣家を訪れていた一家の少年、ロニイ・ブロードハーストと知り合った私立探偵リュウ・アーチャー。しかしブロードハースト一家の主人、スタンリイは何やら問題を抱えているらしく、ロニイと謎のブロンド娘・スーザンを連れてサンタ・テレサにある母親の家へ出かけていく。
その日の午後、アーチャーのもとへスタンリイの妻・ジーンが訪ねてきた。サンタ・テレサで山火事が発生したらしく、スタンリイとロニイが心配なので様子をみてきてほしいというのだ。彼女の悩み事が山火事だけではなさそうなこと、何よりロニイのことが心配になったアーチャーは、スタンリイの母が暮らす屋敷に向かう。しかし、そこにロニイの姿はなく、一人の男性の死体が見つかった……。
▲ロス・マクドナルド『地中の男』(ハヤカワ文庫)【amazon】
後期の作品がマンネリだと言われる理由だが、テーマがアメリカの上流家庭の問題を扱っていること、人間関係がとてつもなく複雑なこと、探偵のアーチャーが事件関係者の話を延々聞いて回るというストーリー、といったあたりにあると思われる。もちろん事件の内容はさまざまなのだが、確かに全体的な印象が似通ってくる嫌いはないではない。
ただ、残すところ『眠れる美女』と『ブルー・ハンマー』の二作というところまで読んできて、個人的にはそこまでマンネリとは思えない。マンネリ化が特に顕著になるのは1970年頃からで、本作は1971年の作品だからいよいよというところではあるのだが、最初に書いたように本作はむしろギアを上げており、前作以上に工夫を凝らしている。
マンネリ化はそもそもシリーズものの宿命でもあるし、意外な真相や出来が安定しているという長所まで含めて印象が似ているから、少々この言われ方は理不尽な気もする。こちらの贔屓目もあるが、人気作家でなければここまで言われることもなかっただろう。
それはともかく、本作が興味深いのは、まず山火事という災害を背景に置いていること。ただし、部分的に緊迫したシーンを生み出してはいるが、そこまで効果的かというとちょっと疑問である。かなりの大事なのに、途中から山火事への言及がほぼなくなり、ラストで思い出したようにまた取り上げられる。この使い方が非常にもったいなくて、直接、山火事に関わらなくとも、常に山火事の描写や状況を挿入するなど、緊迫感の維持がほしかったところだ。
もう一つ注目すべきは、作者ロス・マクドナルドの経験が色濃く反映されていること。創元推理文庫の新訳版『動く標的』の解説で柿沼瑛子氏が書いているように、マクドナルドにはリンダという娘がおり、彼女は飲酒運転で死者を出した轢き逃げ事件を起こし、精神疾患を発症。その後は失踪事件も起こし、最後は三十一歳という若さで亡くなった。また、その結果、リンダの子がマクドナルドに残されることになった。こうした出来事がシリーズの途中から作品世界に大きな影響を与えることになったのは有名な話である。
本作では特にそれが顕著で、本作を書き終える前にリンダが亡くなったことが大きく影響しているのは否めない。ロニイを誘拐したと思われ、精神状態が著しく不安定にしか見えないスーザンは、当然リンダを反映した存在である。アーチャーはようやく見つけたスーザンから話を聞こうとするが、その主張が理解できず途方に暮れてしまう。それはリンダの扱いに苦悩していたロス・マクドナルドの苦悩に他ならないのだろう。
さらに本作ではロニイの存在がある。アーチャーはロニイ少年に対し、実にあたたかい視線を送り、彼を救うために奔走する。そこにマクドナルド自身の孫(スーザンの遺した息子)の姿が投影されていると見るのは、それほど難しいことではないだろう。ただ、アーチャーはこれまでの作品で、あくまで傍観者、観察者というスタンスをとっており、事件の関係者と密接な関係をとることはあまりなかった。しかし本作では明らかに傍観者ではなく、一歩踏み込んだ印象である。それによって、事件の関係者からは「災厄を持ってくる」とまで言われるのだが、そういった変化が、次作以降でどう影響するのか実に興味深いところである。
結局、本作はロス・マクドナルドがそういった自身の苦悩を自浄すべく書いたような作品なのかもしれない。しかし、そんな内省的な作品でありながら、プロットは相変わらず緊密であり、意外な結末が待っているところが素晴らしい。エンターテインメントとしても十分に読ませるところに、ロス・マクドナルドの凄さがあるのだ。
なお、タイトルも最後まで読むと実に意味深いことがわかる。
ホラーや怪奇幻想小説に関しては嫌いじゃないけれど、そこまで日々、新刊情報を追いかけているわけではない。とはいえジャンルとしてはミステリの親戚筋みたいなものだし、サイトやSNSを定点観測しているだけでも、それなりに情報は集まってくる。つい先日もそうやって知った本を買ったのだが、これがホラーならぬホラーのランキング本『このホラーがすごい! 2024年版』である。
▲『このミステリーがすごい!』編集部/編『このホラーがすごい! 2024年版』(宝島社)【amazon】
まあ、タイトルからもわかるように『このミステリーがすごい!』の姉妹編でなので、作りもほぼ同じと思ってよい。国内、海外それぞれのベストテン紹介がメインで、あとは作家の座談会、怖い話系のエッセイなど。
ちょっと面白かったのは、「必読ホラー20選」か。ただし、これは投票とかではなく、書評家・朝宮運河氏の個人セレクトのようだ。
基本的にはいつもの「このミス」をホラーでもやってみましたという形なので、出来は可もなく不可もなく、といったところ。ただ、ジャンル自体がミステリやSFのベストに取り込まれがちなせいか、独立したホラー、怪奇幻想小説でのベストテンというのは珍しく、生粋のホラーファンにはまずまず好意的に受け入れられているようだ。対象期間を4月〜3月というきちんとした括りにしているのも好感が持てる。まあ、年末に「このミス」などとぶつけても意味がないから、ビジネス的にもこの時期に話題を作った方が版元も書店にもいいことだろう。
ランキングにひととおり目を通すと(例によって海外ものだけだが)、1位『寝煙草の危険』、2位『生贄の門』、5位『奇妙な絵』と、ベスト5のうち三作を読んでいてちょっと驚いた。それぞれ確かに面白い作品だと思うが、こちらとしてはミステリ的な楽しみも期待して読んだ作品だっただけに、やはりジャンルを独立させることの難しさを感じてしまう。これは選ぶ方もなかなか大変であるな。
あと、「必読ホラー20選」は朝宮運河氏が各年代から満遍なくセレクトしたもののようで、定番が多いとはいえそれなりに興味深かった。トップには定番中の定番、『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』が入っているほか、ホジスンとかマッケン、ブラックウッド、M・R・ジェイムズ、ブロック、マシスンなど大御所がずらり。ホラーを語るなら、これぐらいは読んどけ、というところか。個人的にはポオとマキャモンが入っていないのが少し残念であった。
この手の本は一種のお祭りだと思うけれど、お祭りが一つ増えた以上の価値が出てくるかかどうか、それは今後の内容次第ということになろう。個人的にはもちろん続いてほしいので、エールとして注文をいくつか書いておく。
●「このミス」ではランキングから除外されている「複数作家によるアンソロジー」、「新訳・改訳」による新刊が、こちらではランキング対象となっているのが疑問である。前者は当然ながら別枠で取り上げるべき種類の本だろうし、後者にしても新訳だけでなく、復刻や新装版の扱いなど、セレクトの基準が不明瞭である。だいたい「必読ホラー20選」に入れた本が、新刊ランキングで30位はまずいだろう(笑)。怪奇幻想小説は古典を出版する頻度が高いと思われるので、それを拾いたくなる気持ちはわかる。しかし、それをやりたいならせめてルールを明確にしておいてほしい。
●二つ目はもっと深刻。ホラーの雰囲気を出そうとしてスミ地(黒地)を多用したのだろうが、とにかく文字が読みにくい。モニターで見るならいざ知らず、この紙質で黒地はいかん。ましてや白抜き文字どころかグレーで抜かれた日には視力検査かと。これは本当に読みにくいだけなので、奇を衒わず、次からはぜひ止めた方がいい。
●こちらの好みも多少あるけれど、全体的に飾りやフォント、Q数の種類を使いすぎのような気がする。また、表紙デザインもいまひとつで、そもそもタイトルの視認性の悪さが一番問題である。ただ、それが改善されたとしても、これでは単に雨穴氏の新刊に見えてしまう(苦笑)。
ということで2025年版の出来に期待したい。
▲『このミステリーがすごい!』編集部/編『このホラーがすごい! 2024年版』(宝島社)【amazon】
まあ、タイトルからもわかるように『このミステリーがすごい!』の姉妹編でなので、作りもほぼ同じと思ってよい。国内、海外それぞれのベストテン紹介がメインで、あとは作家の座談会、怖い話系のエッセイなど。
ちょっと面白かったのは、「必読ホラー20選」か。ただし、これは投票とかではなく、書評家・朝宮運河氏の個人セレクトのようだ。
基本的にはいつもの「このミス」をホラーでもやってみましたという形なので、出来は可もなく不可もなく、といったところ。ただ、ジャンル自体がミステリやSFのベストに取り込まれがちなせいか、独立したホラー、怪奇幻想小説でのベストテンというのは珍しく、生粋のホラーファンにはまずまず好意的に受け入れられているようだ。対象期間を4月〜3月というきちんとした括りにしているのも好感が持てる。まあ、年末に「このミス」などとぶつけても意味がないから、ビジネス的にもこの時期に話題を作った方が版元も書店にもいいことだろう。
ランキングにひととおり目を通すと(例によって海外ものだけだが)、1位『寝煙草の危険』、2位『生贄の門』、5位『奇妙な絵』と、ベスト5のうち三作を読んでいてちょっと驚いた。それぞれ確かに面白い作品だと思うが、こちらとしてはミステリ的な楽しみも期待して読んだ作品だっただけに、やはりジャンルを独立させることの難しさを感じてしまう。これは選ぶ方もなかなか大変であるな。
あと、「必読ホラー20選」は朝宮運河氏が各年代から満遍なくセレクトしたもののようで、定番が多いとはいえそれなりに興味深かった。トップには定番中の定番、『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』が入っているほか、ホジスンとかマッケン、ブラックウッド、M・R・ジェイムズ、ブロック、マシスンなど大御所がずらり。ホラーを語るなら、これぐらいは読んどけ、というところか。個人的にはポオとマキャモンが入っていないのが少し残念であった。
この手の本は一種のお祭りだと思うけれど、お祭りが一つ増えた以上の価値が出てくるかかどうか、それは今後の内容次第ということになろう。個人的にはもちろん続いてほしいので、エールとして注文をいくつか書いておく。
●「このミス」ではランキングから除外されている「複数作家によるアンソロジー」、「新訳・改訳」による新刊が、こちらではランキング対象となっているのが疑問である。前者は当然ながら別枠で取り上げるべき種類の本だろうし、後者にしても新訳だけでなく、復刻や新装版の扱いなど、セレクトの基準が不明瞭である。だいたい「必読ホラー20選」に入れた本が、新刊ランキングで30位はまずいだろう(笑)。怪奇幻想小説は古典を出版する頻度が高いと思われるので、それを拾いたくなる気持ちはわかる。しかし、それをやりたいならせめてルールを明確にしておいてほしい。
●二つ目はもっと深刻。ホラーの雰囲気を出そうとしてスミ地(黒地)を多用したのだろうが、とにかく文字が読みにくい。モニターで見るならいざ知らず、この紙質で黒地はいかん。ましてや白抜き文字どころかグレーで抜かれた日には視力検査かと。これは本当に読みにくいだけなので、奇を衒わず、次からはぜひ止めた方がいい。
●こちらの好みも多少あるけれど、全体的に飾りやフォント、Q数の種類を使いすぎのような気がする。また、表紙デザインもいまひとつで、そもそもタイトルの視認性の悪さが一番問題である。ただ、それが改善されたとしても、これでは単に雨穴氏の新刊に見えてしまう(苦笑)。
ということで2025年版の出来に期待したい。
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山野貴彦『聖書の解剖図鑑』(エクスナレッジ)
本日の読了本はミステリに非ず。小説でもない。宗教系のガイドブックである。
ものは山野貴彦の『聖書の解剖図鑑』。エクスナレッジという版元が「解剖図鑑」という縛りで、さまざまなジャンル・テーマについてまとめた入門ガイドのシリーズがあり、その中の一冊だ。『シャーロック・ホームズ人物解剖図鑑』というのが昨年出て話題になっているので、ミステリ好きにもこのシリーズをご存知の方は多いかもしれない。
▲山野貴彦『聖書の解剖図鑑』(エクスナレッジ)【amazon】
本書は店頭でたまたま目にしたのだが、そういえばSNSでもちょっと見かけた気がして、中をパラパラ覗いてみるとなかなかいい感じである。
聖書中の有名かつ重要なエピソードを時系列で、すべて見開き単位で紹介するという構成。見開きではまず聖書を要約した本文、これに補足的なコラム×2本、さらに聖書の解釈的なミニコラムという三段重ねのスタイルをとっている。飯嶌玲子によるイラストも豊富で、これがあることでイメージも掴みやすく、しかもキャプションが意外としっかり入っている親切設計。入門的ガイドブックとしては非常にこなれており、このシリーズが続いているのも頷ける完成度である。
現役時代はガイドブックの類を自分でも作っていたこともあり、ついついこういうものに惹かれてしまうのだが、当然、見る目も厳しくなるわけで(上から目線で申し訳ないが)、その点、本シリーズはまだ本書しか読んだことがないけれど、なかなか良いシリーズではないだろうか。
ちなみに管理人は特に特定の信仰を持っているわけではないけれど、宗教への興味はそれなりにある。そもそも小説に親しむ者にとって、やはり宗教というテーマは避けて通れないところがあり、最低限の知識や教養が必要になるのは言うまでもない。むしろミステリの方が一般の小説よりも扱っている頻度が多いくらいかもしれない。
ただ、聖書もかつて読んだことはあるが、なかなか消化できず、断片的な知識しかない。本書はそんな中途半端な読者が、ひと通りの歴史をおさらいするのにちょうど良い内容である。これまで映画とか小説で点でしかなかった知識が、ようやく線として繋がった感じか。
ということで初心者向けのガイドブックとして内容は悪くないのだが、実は一つだけ大きな欠点があって、それは索引がないこと。この手の本でその重要性は言うまでもないことなのだが、ううむ、いったいどうしたことか。
ものは山野貴彦の『聖書の解剖図鑑』。エクスナレッジという版元が「解剖図鑑」という縛りで、さまざまなジャンル・テーマについてまとめた入門ガイドのシリーズがあり、その中の一冊だ。『シャーロック・ホームズ人物解剖図鑑』というのが昨年出て話題になっているので、ミステリ好きにもこのシリーズをご存知の方は多いかもしれない。
▲山野貴彦『聖書の解剖図鑑』(エクスナレッジ)【amazon】
本書は店頭でたまたま目にしたのだが、そういえばSNSでもちょっと見かけた気がして、中をパラパラ覗いてみるとなかなかいい感じである。
聖書中の有名かつ重要なエピソードを時系列で、すべて見開き単位で紹介するという構成。見開きではまず聖書を要約した本文、これに補足的なコラム×2本、さらに聖書の解釈的なミニコラムという三段重ねのスタイルをとっている。飯嶌玲子によるイラストも豊富で、これがあることでイメージも掴みやすく、しかもキャプションが意外としっかり入っている親切設計。入門的ガイドブックとしては非常にこなれており、このシリーズが続いているのも頷ける完成度である。
現役時代はガイドブックの類を自分でも作っていたこともあり、ついついこういうものに惹かれてしまうのだが、当然、見る目も厳しくなるわけで(上から目線で申し訳ないが)、その点、本シリーズはまだ本書しか読んだことがないけれど、なかなか良いシリーズではないだろうか。
ちなみに管理人は特に特定の信仰を持っているわけではないけれど、宗教への興味はそれなりにある。そもそも小説に親しむ者にとって、やはり宗教というテーマは避けて通れないところがあり、最低限の知識や教養が必要になるのは言うまでもない。むしろミステリの方が一般の小説よりも扱っている頻度が多いくらいかもしれない。
ただ、聖書もかつて読んだことはあるが、なかなか消化できず、断片的な知識しかない。本書はそんな中途半端な読者が、ひと通りの歴史をおさらいするのにちょうど良い内容である。これまで映画とか小説で点でしかなかった知識が、ようやく線として繋がった感じか。
ということで初心者向けのガイドブックとして内容は悪くないのだが、実は一つだけ大きな欠点があって、それは索引がないこと。この手の本でその重要性は言うまでもないことなのだが、ううむ、いったいどうしたことか。
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アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(東京創元社)
アーナルデュル・インドリダソンの『悪い男』を読む。エーレンデュル捜査官シリーズの第九作(邦訳では七作目)にあたる作品だが、今回はスピンオフ的な内容で、主人公はエーレンデュルではなく、その部下の女性刑事エリンボルクが務めている。
こんな話。レイキャビクの中心街にあるアパートの一室で、男の死体が発見された。男は鋭利なナイフのようなもので喉を切り裂かれており、レイプドラッグと呼ばれる薬を所持していた。やがて男は薬を使って女性をレイプする犯罪者であることが判明する。エリンボルクは現場に残されていたスカーフの特殊な香りを頼りに捜査を進めていくが……。
▲アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(東京創元社)【amazon】
主人公は交代したが、全体的な作風はいつもとほぼ同じである。犯罪の背景にはアイスランドの抱える社会問題があり、またそれに呼応するかのように主人公自らも問題を抱えている。それらを重層的に描くことで、アイスランドの現状と将来を考えさせる内容となっている。表面的には警察小説ではあるが、もはや印象としてはミステリのそれではなく、より人間ドラマの比重が大きくなっている。
そういう意味で、純粋に警察小説としてみた場合、あまりに地道な捜査と手がかりの「普通さ」で、少々物足りないのは確かだ。悪くはないのだが、やはり物語のダイナミックさや驚きという点で弱い。
エーレンデュルが主役の作品も似たようなものだが、それでも最近の作品は、転落した元スターの悲劇を描いた『声』、湖の底から発見された人骨には旧ソ連製の盗聴器が結びつけられていた『湖の男』、現代アイスランドの移民問題を扱った『厳寒の町』、オカルト趣味を持ち込んだ『印』など、アプローチは意外に変化球が多いのである。
その点、本作は女性刑事によるレイプ問題を扱っており、より直球勝負というところが地味さに拍車をかけているのかもしれない。
しかし、決してそれは悪いことではないだろう。もともとエーレンデュルのプライベートもかなりの割合を占めるシリーズであり、マクロとミクロの双方からアイスランドの問題を紐解こうとする著者の意図ははっきりしている。それがシリーズの大きな魅力なのだ。
刑事のプライベートの問題は、むしろ事件以上に答の出にくいものばかり。この混沌とした公私の状況が互いにフィードバックすることで、物語に膨らみを与えていると言っていいだろう。地味だし大きなサプライズもないが、読み応えは十分にある。
なお、次作もエーレンデュルは不在で、エリンボルクの同僚であるシグルデュル=オーリが主役を務める模様だ。エーレンデュルは休暇中で自分自身の事件を追っていることが示唆されているが、それはその次の作品で描かれるようだ。ここでシリーズは一つの区切りとなる可能性が高く、というのもその後はエーレンデュルの若い頃を描いた作品があり、そしてその次の作品でエーレンデュルが復活するそうで、ああ、先は長い。
こんな話。レイキャビクの中心街にあるアパートの一室で、男の死体が発見された。男は鋭利なナイフのようなもので喉を切り裂かれており、レイプドラッグと呼ばれる薬を所持していた。やがて男は薬を使って女性をレイプする犯罪者であることが判明する。エリンボルクは現場に残されていたスカーフの特殊な香りを頼りに捜査を進めていくが……。
▲アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(東京創元社)【amazon】
主人公は交代したが、全体的な作風はいつもとほぼ同じである。犯罪の背景にはアイスランドの抱える社会問題があり、またそれに呼応するかのように主人公自らも問題を抱えている。それらを重層的に描くことで、アイスランドの現状と将来を考えさせる内容となっている。表面的には警察小説ではあるが、もはや印象としてはミステリのそれではなく、より人間ドラマの比重が大きくなっている。
そういう意味で、純粋に警察小説としてみた場合、あまりに地道な捜査と手がかりの「普通さ」で、少々物足りないのは確かだ。悪くはないのだが、やはり物語のダイナミックさや驚きという点で弱い。
エーレンデュルが主役の作品も似たようなものだが、それでも最近の作品は、転落した元スターの悲劇を描いた『声』、湖の底から発見された人骨には旧ソ連製の盗聴器が結びつけられていた『湖の男』、現代アイスランドの移民問題を扱った『厳寒の町』、オカルト趣味を持ち込んだ『印』など、アプローチは意外に変化球が多いのである。
その点、本作は女性刑事によるレイプ問題を扱っており、より直球勝負というところが地味さに拍車をかけているのかもしれない。
しかし、決してそれは悪いことではないだろう。もともとエーレンデュルのプライベートもかなりの割合を占めるシリーズであり、マクロとミクロの双方からアイスランドの問題を紐解こうとする著者の意図ははっきりしている。それがシリーズの大きな魅力なのだ。
刑事のプライベートの問題は、むしろ事件以上に答の出にくいものばかり。この混沌とした公私の状況が互いにフィードバックすることで、物語に膨らみを与えていると言っていいだろう。地味だし大きなサプライズもないが、読み応えは十分にある。
なお、次作もエーレンデュルは不在で、エリンボルクの同僚であるシグルデュル=オーリが主役を務める模様だ。エーレンデュルは休暇中で自分自身の事件を追っていることが示唆されているが、それはその次の作品で描かれるようだ。ここでシリーズは一つの区切りとなる可能性が高く、というのもその後はエーレンデュルの若い頃を描いた作品があり、そしてその次の作品でエーレンデュルが復活するそうで、ああ、先は長い。
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西村京太郎『名探偵なんか怖くない』(講談社文庫)
もう四十年ぶりぐらいの再読になるか。西村京太郎の『名探偵なんか怖くない』である。当時の西村京太郎はもちろんトラベルミステリなども発表しておらず、管理人はもっぱらクイーンやヴァン・ダイン、クリスティといった翻訳物の古典ばかりを読んでいて、国産作家についてはこれまた江戸川乱歩や横溝正史といった大御所しか読んでいない頃である。そこへたまたま書店で見かけたのが本書である。当時はよく知らない作家ではあったが、なんせ世界の名探偵が揃い踏みするという内容である。今ではすっかり内容も忘れていたが、それなりに面白く読んだことだけは覚えている。
こんな話。大富豪の佐藤大造は三億円事件の犯人を捕まえるべく、事件を再現して、それを世界の名探偵たち、すなわちエラリー・クイーン、エルキュール・ポワロ、ジュール・メグレ、明智小五郎の四人に解決させようと考える。やがて事件は再現され、犯人の動向を監視する佐藤大造のスタッフたちと名探偵の四人。だが、クリスマス・イヴに予想もしなかった殺人事件が巻き起こった……。
▲西村京太郎『名探偵なんか怖くない』(講談社文庫)【amazon】
ああ、こんな話だったか。久しぶりに読み返したが、これは今読んでも十分に面白い本格ミステリとなっている。もちろん本作の売りは四人の名探偵が登場し、推理の競演を繰り広げるところにあるのだが、正直、そういう物語で使うのがもったいないレベルのトリックである。せっかくのトリックなのに、あまりに派手なキャストに負けてしまっているというか、個人的にはもう少しシリアスめの内容で使っていたら、より映えたような気がする。
そのド派手なキャストだが、こちらは今読むと各名探偵の描写が少々ありきたりに感じて、ちょっと食い足りない。明智はまだいい方だが、やや歳をとった設定のクイーン、ポワロ、メグレは浅い感じである。イメージが間違っているわけではないのだけれど、それこそいかにもといったセリフばかりで深みがない。
企画は悪くなかったが、やはり四人を使うのは無理があった感じである。巻末に綾辻行人と西村京太郎の対談が載っており、そこで作者自ら「とにかく事実関係を調べるのが大変で……」と話しているが、それに追われてキャラクターを芯からパスティーシュするのはさすがに難しかったのだろう。
とはいえガチガチの海外ミステリファンでもなければそこまで気にすることもないだろうし、先にも書いたように本格ミステリとしての面白さは十分にあるので、決して読んで損をすることはない。
ただ、海外ミステリ、それこそクイーンやポワロの諸作品についてはネタバレがかなりあるので、その点だけはご注意を。
こんな話。大富豪の佐藤大造は三億円事件の犯人を捕まえるべく、事件を再現して、それを世界の名探偵たち、すなわちエラリー・クイーン、エルキュール・ポワロ、ジュール・メグレ、明智小五郎の四人に解決させようと考える。やがて事件は再現され、犯人の動向を監視する佐藤大造のスタッフたちと名探偵の四人。だが、クリスマス・イヴに予想もしなかった殺人事件が巻き起こった……。
▲西村京太郎『名探偵なんか怖くない』(講談社文庫)【amazon】
ああ、こんな話だったか。久しぶりに読み返したが、これは今読んでも十分に面白い本格ミステリとなっている。もちろん本作の売りは四人の名探偵が登場し、推理の競演を繰り広げるところにあるのだが、正直、そういう物語で使うのがもったいないレベルのトリックである。せっかくのトリックなのに、あまりに派手なキャストに負けてしまっているというか、個人的にはもう少しシリアスめの内容で使っていたら、より映えたような気がする。
そのド派手なキャストだが、こちらは今読むと各名探偵の描写が少々ありきたりに感じて、ちょっと食い足りない。明智はまだいい方だが、やや歳をとった設定のクイーン、ポワロ、メグレは浅い感じである。イメージが間違っているわけではないのだけれど、それこそいかにもといったセリフばかりで深みがない。
企画は悪くなかったが、やはり四人を使うのは無理があった感じである。巻末に綾辻行人と西村京太郎の対談が載っており、そこで作者自ら「とにかく事実関係を調べるのが大変で……」と話しているが、それに追われてキャラクターを芯からパスティーシュするのはさすがに難しかったのだろう。
とはいえガチガチの海外ミステリファンでもなければそこまで気にすることもないだろうし、先にも書いたように本格ミステリとしての面白さは十分にあるので、決して読んで損をすることはない。
ただ、海外ミステリ、それこそクイーンやポワロの諸作品についてはネタバレがかなりあるので、その点だけはご注意を。
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E・ネズビット『宝さがしの子どもたち』(福音館書店)
少し趣を変え、久々に児童書を。モノはE・ネズビットの『宝さがしの子どもたち』。
多くの児童向け小説を残したネズビットの代表作であり、子供の頃に読んだという方も多いだろう。管理人は残念ながら子ども時代に読む機会はなかったのだが、何年か前に長谷部史親の評論『ミステリの辺境を歩く』で興味が湧き、この度ようやく手に取った次第。
ちなみに『ミステリの辺境を歩く』は、ミステリの要素を持つ海外文学、あるいはミステリに影響を与えた海外文学を紹介するガイドブック的な評論集である。まだブログに感想をあげていないけれど、非常に参考になる一冊である。
まずはストーリー。母を亡くし、ロンドンで父親と暮らすバスタブル家の六人の子どもたち。しかし、父は事業仲間から大金を横領され、会社は苦しい状態に陥っていた。今まで頻繁に来ていたお客は途絶え、使用人は減り、ついには子どもたちが学校へ行くこともできない有様だった。
しかし、そんな状況でも子どもたちは楽しく毎日を過ごしている。お母さんがわりの長女ドラ、長男オズワルド、次男ディッキー、双子の次女アリスと三男ノエル、末っ子のH・Oことホレス・オクティピアス。
ある時、子どもたちは父のピンチを助けたいと、お金を稼ぐためにアイデアを出し合う。そして、最初に行うことになったのが、宝探しだった。
▲E・ネズビット『宝さがしの子どもたち』(福音館書店)【amazon】
元々は雑誌や新聞等に発表された短篇を長編にまとめ直したものなので、読んでいる印象は連作短篇集という感じである。各話ごとに、子どもたちが考えた奇抜なアイデアを実行に移す様が描かれるというのが基本パターン。そこで繰り広げられるドタバタや、成功・失敗に一喜一憂する様子など、基本的には非常に楽しい読み物である。原書は1899年、なんと19世紀末に刊行されているが、そこに描かれた子どもたちの様子は今なお瑞々しい。
また、子どもだけではなく、彼らを支える脇の大人たちがいい味を出している。彼らは時には厳しく叱ってもくれる人生の教師だが、そこには常に子どもたちを尊重しつつ温かい目で見守る、作者の理想とするスタンスが伺える。
まあ、普通に読んでも楽しい一冊なのだが、ミステリファンへのフックとなるのは、子どもたちの冒険にミステリに絡むギミックが多いことだろう。なにしろシャーロック・ホームズが人気を集めていた時代であり、作者もまた当時流行っていた探偵小説の要素をいくつも盛り込んでいる。
それこそホームズやガボリオなど探偵小説そのものに言及していたり、お金集めのために探偵稼業もやる。そこまでいかない場合でも、子どもたちの冒険の端々にミステリマインドが溢れているのは非常に楽しいし、注目すべき点だろう。
たとえば一番最初の物語、地面に穴を掘って宝を見つけようとするエピソードがある。もちろん宝など出るはずもなく、それどころか隣の家の少年アルバートに穴掘りの手伝いをさせた挙句、土砂崩れで泥だらけにしてしまうという失敗譚である。ラストではアルバートを探しに来たアルバートのおじさんが登場し、普通ならここで皆が怒られて反省するという教育的物語になるところだが、作者はちょっと捻りを入れる。おじさんは皆にわからないよう、そっと銀貨を取り出し、地面から見つけたことにして皆に分け与えるのだ。しかも、それを直接的に描写するのではなく、間接的に描いて読み手に想像させようとする作者の稚気と巧さ。そういう気の利いたネタがいくつも盛り込まれているのである。
冒険心や好奇心が勝ちすぎて、子どもたちが同じ失敗を繰り返しがちなのが玉に瑕だが(苦笑)、総じて名作と呼ばれるのも納得の一冊である。1899年に誕生した本書が、その後に生まれる児童向けの少年少女探偵ものに大きな影響を与えた可能性は大いにあるだろう。
なお、今の倫理観では許容しにくい差別的表現もあるが、書かれた時代ゆえ、そこはやむなしということで。
多くの児童向け小説を残したネズビットの代表作であり、子供の頃に読んだという方も多いだろう。管理人は残念ながら子ども時代に読む機会はなかったのだが、何年か前に長谷部史親の評論『ミステリの辺境を歩く』で興味が湧き、この度ようやく手に取った次第。
ちなみに『ミステリの辺境を歩く』は、ミステリの要素を持つ海外文学、あるいはミステリに影響を与えた海外文学を紹介するガイドブック的な評論集である。まだブログに感想をあげていないけれど、非常に参考になる一冊である。
まずはストーリー。母を亡くし、ロンドンで父親と暮らすバスタブル家の六人の子どもたち。しかし、父は事業仲間から大金を横領され、会社は苦しい状態に陥っていた。今まで頻繁に来ていたお客は途絶え、使用人は減り、ついには子どもたちが学校へ行くこともできない有様だった。
しかし、そんな状況でも子どもたちは楽しく毎日を過ごしている。お母さんがわりの長女ドラ、長男オズワルド、次男ディッキー、双子の次女アリスと三男ノエル、末っ子のH・Oことホレス・オクティピアス。
ある時、子どもたちは父のピンチを助けたいと、お金を稼ぐためにアイデアを出し合う。そして、最初に行うことになったのが、宝探しだった。
▲E・ネズビット『宝さがしの子どもたち』(福音館書店)【amazon】
元々は雑誌や新聞等に発表された短篇を長編にまとめ直したものなので、読んでいる印象は連作短篇集という感じである。各話ごとに、子どもたちが考えた奇抜なアイデアを実行に移す様が描かれるというのが基本パターン。そこで繰り広げられるドタバタや、成功・失敗に一喜一憂する様子など、基本的には非常に楽しい読み物である。原書は1899年、なんと19世紀末に刊行されているが、そこに描かれた子どもたちの様子は今なお瑞々しい。
また、子どもだけではなく、彼らを支える脇の大人たちがいい味を出している。彼らは時には厳しく叱ってもくれる人生の教師だが、そこには常に子どもたちを尊重しつつ温かい目で見守る、作者の理想とするスタンスが伺える。
まあ、普通に読んでも楽しい一冊なのだが、ミステリファンへのフックとなるのは、子どもたちの冒険にミステリに絡むギミックが多いことだろう。なにしろシャーロック・ホームズが人気を集めていた時代であり、作者もまた当時流行っていた探偵小説の要素をいくつも盛り込んでいる。
それこそホームズやガボリオなど探偵小説そのものに言及していたり、お金集めのために探偵稼業もやる。そこまでいかない場合でも、子どもたちの冒険の端々にミステリマインドが溢れているのは非常に楽しいし、注目すべき点だろう。
たとえば一番最初の物語、地面に穴を掘って宝を見つけようとするエピソードがある。もちろん宝など出るはずもなく、それどころか隣の家の少年アルバートに穴掘りの手伝いをさせた挙句、土砂崩れで泥だらけにしてしまうという失敗譚である。ラストではアルバートを探しに来たアルバートのおじさんが登場し、普通ならここで皆が怒られて反省するという教育的物語になるところだが、作者はちょっと捻りを入れる。おじさんは皆にわからないよう、そっと銀貨を取り出し、地面から見つけたことにして皆に分け与えるのだ。しかも、それを直接的に描写するのではなく、間接的に描いて読み手に想像させようとする作者の稚気と巧さ。そういう気の利いたネタがいくつも盛り込まれているのである。
冒険心や好奇心が勝ちすぎて、子どもたちが同じ失敗を繰り返しがちなのが玉に瑕だが(苦笑)、総じて名作と呼ばれるのも納得の一冊である。1899年に誕生した本書が、その後に生まれる児童向けの少年少女探偵ものに大きな影響を与えた可能性は大いにあるだろう。
なお、今の倫理観では許容しにくい差別的表現もあるが、書かれた時代ゆえ、そこはやむなしということで。
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マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮文庫)
国書刊行会から〈スパニッシュ・ホラー文芸〉という括りでエルビラ・ナバロの『兎の島』、マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』が刊行され、それぞれ好評価を得たのは記憶に新しいところだが、今度は新潮文庫からもスパニッシュ・ホラーが刊行された(といっても、もう半年ほど前だけど)。マネル・ロウレイロの『生贄の門』である。
国書刊行会の二冊はホラーとはいえ、内容は意外に静かで、どちらかというとクラシックな幻想怪奇文学の雰囲気を纏っている。一方、『生贄の門』は明らかにエンターテインメント寄りで、タイプはまったく異なるけれど、これはこれで十分に面白い物語であった。
こんな話。スペインはガリシア地方。そこはスペインの中でも「異邦の地」と称されるケルト文化圏である。その地へ自ら希望して赴任してきた女性捜査官ラケル・コリーナ。彼女は不治の病に冒された息子フリアンのため、藁をもすがる思いでその地に住むヒーラーを頼ってきたのだ。
しかし、住んでいるはずの村にヒーラーは見当たらず、それどころかその村はひとっ子一人いない廃村であった。途方にくれるラケルだったが、その穏やかな地方は好みであり、上司に紹介してもらったフォスコという村の下宿先も素晴らしいものだった。
そんなとき狩猟隊から通報が入る。付近にあるセイショ山の頂で二人の死体を発見したというのだ、相棒のフアンと現地へ向かったラケルはそこで悍ましい光景を目にすることになる。奇しくもその地はスペイン語で「冥界の門」と呼ばれており、この世とあの世が繋がっている場所であった……。
▲マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮文庫)【amazon】
先に書いたように、これは実に面白い一作。
ホラーではあるが、本作はミステリのスタイルを備えている(より細かくいうと警察小説)。SFミステリーならぬホラーミステリーというわけだ。注目したいのは、単にホラーとミステリの美味しいとこ取りをしているのではなく、それぞれの良さが絶妙にブレンドされているということだ。ホラー要素だけでは成り立たず、ミステリ要素だけでも成り立たない。本作は両者の要素がお互いを補い合っているからこそ、プロットが成立している。そこが巧い。
前半はほとんど警察小説のノリである。しかもバディもの。まったく異なるキャラクターでありながら、ラケルと相棒フアンは捜査を共にする中で意気投合する。もちろん二人の捜査に超常現象の入る余地はなく、理解しがたい事象があっても、あくまで科学的に解明しようとする。初めからホラーと知っていなければ、普通に良質な警察小説としても読めるレベルである。
その一方で、ラケルの周囲には不可思議な事件が頻発するようになる。この事象にも無理やり科学的かつ合理的な解釈を求めるラケルたちだが、そんな説明だけでは足りないことに少しずつ気づいてゆく。そしてガリシアの歴史と向き合ったとき、ついに何が起ころうとしているのか思い知るのである。それがまさに本作がホラーたる所以だ。
だが、本作が凄いのは実はここから。作者はこうしたホラー要素、超常現象にもきっちりとした設定や法則性を構築しており、それによって本作は驚くべきラストを迎えることになる。いわゆるミステリの伏線とは意味合いが少し違うかもしれないけれど、決して短くはないこの物語において、すべてが理屈として繋がってくる。そしてラストに来て、ああ、作者はこのラストが描きたかったからこういう設定にしたのだろう、と実感するのである。
なお、最後まで謎として残された部分はあるのだが(井戸の底とか)、これは謎として残す方がより効果的なのはいうまでもない。
正直、タイトルの安っぽさとかで最初はそこまで期待していなかったのだが、これは拾い物以上の出来。ホラーファンだけでなく、ミステリファンにも強くオススメしておきたい。
国書刊行会の二冊はホラーとはいえ、内容は意外に静かで、どちらかというとクラシックな幻想怪奇文学の雰囲気を纏っている。一方、『生贄の門』は明らかにエンターテインメント寄りで、タイプはまったく異なるけれど、これはこれで十分に面白い物語であった。
こんな話。スペインはガリシア地方。そこはスペインの中でも「異邦の地」と称されるケルト文化圏である。その地へ自ら希望して赴任してきた女性捜査官ラケル・コリーナ。彼女は不治の病に冒された息子フリアンのため、藁をもすがる思いでその地に住むヒーラーを頼ってきたのだ。
しかし、住んでいるはずの村にヒーラーは見当たらず、それどころかその村はひとっ子一人いない廃村であった。途方にくれるラケルだったが、その穏やかな地方は好みであり、上司に紹介してもらったフォスコという村の下宿先も素晴らしいものだった。
そんなとき狩猟隊から通報が入る。付近にあるセイショ山の頂で二人の死体を発見したというのだ、相棒のフアンと現地へ向かったラケルはそこで悍ましい光景を目にすることになる。奇しくもその地はスペイン語で「冥界の門」と呼ばれており、この世とあの世が繋がっている場所であった……。
▲マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮文庫)【amazon】
先に書いたように、これは実に面白い一作。
ホラーではあるが、本作はミステリのスタイルを備えている(より細かくいうと警察小説)。SFミステリーならぬホラーミステリーというわけだ。注目したいのは、単にホラーとミステリの美味しいとこ取りをしているのではなく、それぞれの良さが絶妙にブレンドされているということだ。ホラー要素だけでは成り立たず、ミステリ要素だけでも成り立たない。本作は両者の要素がお互いを補い合っているからこそ、プロットが成立している。そこが巧い。
前半はほとんど警察小説のノリである。しかもバディもの。まったく異なるキャラクターでありながら、ラケルと相棒フアンは捜査を共にする中で意気投合する。もちろん二人の捜査に超常現象の入る余地はなく、理解しがたい事象があっても、あくまで科学的に解明しようとする。初めからホラーと知っていなければ、普通に良質な警察小説としても読めるレベルである。
その一方で、ラケルの周囲には不可思議な事件が頻発するようになる。この事象にも無理やり科学的かつ合理的な解釈を求めるラケルたちだが、そんな説明だけでは足りないことに少しずつ気づいてゆく。そしてガリシアの歴史と向き合ったとき、ついに何が起ころうとしているのか思い知るのである。それがまさに本作がホラーたる所以だ。
だが、本作が凄いのは実はここから。作者はこうしたホラー要素、超常現象にもきっちりとした設定や法則性を構築しており、それによって本作は驚くべきラストを迎えることになる。いわゆるミステリの伏線とは意味合いが少し違うかもしれないけれど、決して短くはないこの物語において、すべてが理屈として繋がってくる。そしてラストに来て、ああ、作者はこのラストが描きたかったからこういう設定にしたのだろう、と実感するのである。
なお、最後まで謎として残された部分はあるのだが(井戸の底とか)、これは謎として残す方がより効果的なのはいうまでもない。
正直、タイトルの安っぽさとかで最初はそこまで期待していなかったのだが、これは拾い物以上の出来。ホラーファンだけでなく、ミステリファンにも強くオススメしておきたい。
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ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー)
ヤーン・エクストレムの『ウナギの罠』を読む。これまで作者の作品で唯一紹介されていた『誕生パーティの17人』は、本格ものとして悪くはないのだけれども、冗長なところが目立ち、強くオススメするほどではないというのが個人的印象だった。
それから四十年近くが経過して、久々に邦訳されるヤーン・エクストレムの作品が本書である。ただ、前作の出来にもかかわらず、本作は発売前からけっこう注目されていたように思う。というのも、かの松坂健氏が1971年の時点ですでに雑誌上で紹介していた幻の本であったこと、しかも珍しいスウェーデンの本格ミステリ、おまけに独創的な密室トリックを扱うことなどがあった。何より大きかったのは、「ウナギ」というおよそミステリに似つかわしくない強烈なパワーワードがあったことではないだろうか。
ちなみに、この「ウナギ」は作中で実に効果的に使われており、決して奇を衒ったタイトルでない。
まずはストーリー。舞台はスウェーデンの南部にある田舎の村ボーラリード。その村を流れる川に仕掛けたウナギ漁のための罠で、変死体が見つかった。地元の警察署長は親交のあったドゥレル警部を招き、ドゥレルは部下のバルデルと共に捜査を開始する。
被害者は地元で「地主」さんと呼ばれる男だった。住民からの評判が悪いこともあったが、それ以上に住民同士が複雑な人間関係を形成しており、ドゥレルたちの質問にもなかなか本当のことを話そうとしない。そのうち死体が発見されたウナギの罠は密室だったことが明らかになり、捜査はさらに困窮を……。
▲ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー)【amazon】
タイトルや設定は奇抜だが中身はかなりまともな本格ミステリで、個人的には『誕生パーティの17人』より本作を推す。
見どころはいろいろあるが、やはりウナギ罠を用いた密室トリックは一番に挙げておくべきだろう。スウェーデンのウナギ漁は日本のそれと異なり、幅2メートル、長さ3メートルの巨大な仕掛けを川に沈めて使うらしい。ウナギの出入り口は一方通行になっていて、そこから入ってくるウナギが溜まっていくという寸歩である。日本でウナギ漁というと延縄や竹筒、鰻簗(ウナギヤナ)などがあるが、本作に登場する仕掛けは仕組みとしては竹筒と同じで、あれを箱形のビッグサイズにしたものが、スウェーデンのウナギ漁と思えばよろしい。
少し話が逸れたが、要はちょっとした部屋並みの仕掛けで、そこに人が入ってウナギを収獲するというのがミソ。人の出入り口には鍵がかけられるようになっており、そこで密室の可能性が生まれるわけである。
ただ、トリックそのものはうまく考えられていると思うが、そこまで驚くようなのものではない。あくまでウナギ罠という素材ののインパクトが大きいから得をしている感じである。とはいえオリジナリティは確かに高い。
それより評価したいのはプロットの上手さだろう。決して少なくない登場人物を冒頭から人間関係含めザクっと紹介しつつ、事件発生後は各人の抱える秘密とさらなる人間関係を小出しにしていく。これがストーリーの盛り上げに貢献しつつ、推理のヒントとしていく手際がなかなかのものだ。『誕生パーティの17人』はここが弱くて、ダラダラいく感じだったのだが、本作はそんなことはない。
とりわけ人物描写、人間関係の描き方が見事。静かな田舎暮らしに見えるが実は水面下では大爆発へのカウントダウンが始まっている様子が、実にリアルである。それが犯行動機につながるケースも多く、この辺りの積み重ね、そして終盤の爆発へと導く手際が素晴らしい。
ただ、登場人物が生き生きとしているのとは対照的にドゥレル警部の影が薄く、それなりに見せ場はあるし見栄も切っているのに、ラストを除いていまひとつ目立たないのが惜しい。もう少しアクの強い探偵さんだとより魅力も増すと思うが、そうは言っても本作などの場合、控えめにしているからこそ他の登場人物が生きるわけで、なかなか難しいところではあるな。
ということで予想以上に真面目な本格。しかも上質。これなら本格ファンにオススメしてもがっかりされることはなかろう。こうなったらその他の著作も翻訳してもらいたいものだ。
それから四十年近くが経過して、久々に邦訳されるヤーン・エクストレムの作品が本書である。ただ、前作の出来にもかかわらず、本作は発売前からけっこう注目されていたように思う。というのも、かの松坂健氏が1971年の時点ですでに雑誌上で紹介していた幻の本であったこと、しかも珍しいスウェーデンの本格ミステリ、おまけに独創的な密室トリックを扱うことなどがあった。何より大きかったのは、「ウナギ」というおよそミステリに似つかわしくない強烈なパワーワードがあったことではないだろうか。
ちなみに、この「ウナギ」は作中で実に効果的に使われており、決して奇を衒ったタイトルでない。
まずはストーリー。舞台はスウェーデンの南部にある田舎の村ボーラリード。その村を流れる川に仕掛けたウナギ漁のための罠で、変死体が見つかった。地元の警察署長は親交のあったドゥレル警部を招き、ドゥレルは部下のバルデルと共に捜査を開始する。
被害者は地元で「地主」さんと呼ばれる男だった。住民からの評判が悪いこともあったが、それ以上に住民同士が複雑な人間関係を形成しており、ドゥレルたちの質問にもなかなか本当のことを話そうとしない。そのうち死体が発見されたウナギの罠は密室だったことが明らかになり、捜査はさらに困窮を……。
▲ヤーン・エクストレム『ウナギの罠』(扶桑社ミステリー)【amazon】
タイトルや設定は奇抜だが中身はかなりまともな本格ミステリで、個人的には『誕生パーティの17人』より本作を推す。
見どころはいろいろあるが、やはりウナギ罠を用いた密室トリックは一番に挙げておくべきだろう。スウェーデンのウナギ漁は日本のそれと異なり、幅2メートル、長さ3メートルの巨大な仕掛けを川に沈めて使うらしい。ウナギの出入り口は一方通行になっていて、そこから入ってくるウナギが溜まっていくという寸歩である。日本でウナギ漁というと延縄や竹筒、鰻簗(ウナギヤナ)などがあるが、本作に登場する仕掛けは仕組みとしては竹筒と同じで、あれを箱形のビッグサイズにしたものが、スウェーデンのウナギ漁と思えばよろしい。
少し話が逸れたが、要はちょっとした部屋並みの仕掛けで、そこに人が入ってウナギを収獲するというのがミソ。人の出入り口には鍵がかけられるようになっており、そこで密室の可能性が生まれるわけである。
ただ、トリックそのものはうまく考えられていると思うが、そこまで驚くようなのものではない。あくまでウナギ罠という素材ののインパクトが大きいから得をしている感じである。とはいえオリジナリティは確かに高い。
それより評価したいのはプロットの上手さだろう。決して少なくない登場人物を冒頭から人間関係含めザクっと紹介しつつ、事件発生後は各人の抱える秘密とさらなる人間関係を小出しにしていく。これがストーリーの盛り上げに貢献しつつ、推理のヒントとしていく手際がなかなかのものだ。『誕生パーティの17人』はここが弱くて、ダラダラいく感じだったのだが、本作はそんなことはない。
とりわけ人物描写、人間関係の描き方が見事。静かな田舎暮らしに見えるが実は水面下では大爆発へのカウントダウンが始まっている様子が、実にリアルである。それが犯行動機につながるケースも多く、この辺りの積み重ね、そして終盤の爆発へと導く手際が素晴らしい。
ただ、登場人物が生き生きとしているのとは対照的にドゥレル警部の影が薄く、それなりに見せ場はあるし見栄も切っているのに、ラストを除いていまひとつ目立たないのが惜しい。もう少しアクの強い探偵さんだとより魅力も増すと思うが、そうは言っても本作などの場合、控えめにしているからこそ他の登場人物が生きるわけで、なかなか難しいところではあるな。
ということで予想以上に真面目な本格。しかも上質。これなら本格ファンにオススメしてもがっかりされることはなかろう。こうなったらその他の著作も翻訳してもらいたいものだ。
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西村京太郎『D機関情報』(講談社文庫)
西村京太郎の『D機関情報』を読む。作者も強い思い入れがあった作品で、自選ベスト1に選んだこともあるという。まずはストーリー。
時は1944年。第二次世界大戦もすでに末期に近く、日本の戦況は日に日に悪化の一途を辿っていた。そんな中、若き海軍中佐の関谷直人は軍令部総長から呼び出しを受け、密命を受ける。それは中立国スイスに赴き、火薬の製造に不可欠な水銀を入手するというものだった。
その費用として二つのトランクに金塊を詰め込み、関谷は潜水艦でドイツに向かう。ドイツには今回の任務を手伝うドイツ駐在武官で、海軍兵学校以来の親友でもある矢部が待っているはずだった。ところが現地で待っていたのは、矢部が休暇中に訪れたスイスで事故死したという知らせであった。さらには車で移動中の関谷を空襲が襲い、金塊の入ったトランクも失ってしまう。
トランクを取り戻すため調査を開始する関谷だったが、中立国スイスでは各国の諜報員が暗躍し、次々と関係者が変死を遂げる。そこには矢部の死も関係があるのか? 唯一の手がかりは、「D」と呼ばれる組織の存在だった……。
▲西村京太郎『D機関情報』(講談社文庫)【amazon】
今でこそトラベルミステリの巨匠と呼ばれる西村京太郎だが、初期にはさまざまな作品を書いていたことはよく知られている。まさに売れるものではなく書きたいものを書いていた時代である。その西村京太郎が三作目に選んだ題材が戦争であり、それは歴史スパイ小説という形で結実した。
密命を帯びた若き軍人が、敗色濃厚な戦況にあって、それでも軍人としての務めを全うするのか、それとも将来の日本のために負けを認めて行動するのか。葛藤する若者の姿を描くと同時に、戦争の悲惨さはもちろん、マイノリティの悲劇にも焦点を当てているのが興味深い。やや盛り込みすぎの感もあるが、作者の気持ちが乗っているというか、流れるような展開でまったく飽きさせない。圧倒的な力作であることは間違いないだろう。
力作であることは間違いないし、代表作と呼ばれるだけのことはあると思うが、今の目で見るとやや気になる弱点もある。それはスパイ小説や冒険小説におけるリアリティの欠如だ。
読者が想像するしかない部分はどれだけホラを吹いてもかまわない。しかし読者がすぐに勘付くような、逆にいうと作者が調べれば簡単にわかるような細部のリアリティの欠如は、すぐに熱が醒めてしまうのである。
たとえば潜水艦での移動がほぼ不可能に近いような書き方をしながら、それを選択する理由の説得力不足。金塊の詰まったトランク二つも抱えて運ぶ点、スピットファイアがスイス内陸を飛行する点などなど。一つぐらいならそこまで気にしないが、積み重なってくると少々辛い。書かれた時代もあるけれど、海の向こうでは同時期に『寒い国から帰ってきたスパイ』という名作スパイ小説が書かれているわけで、それを考えるとやや脇の甘さは拭えない。そこがもったいない。
ただ、弱点がありつつも、結論としてはやはり傑作としておこう。本作の主人公が抱える葛藤は、まさに日本ならではのものであり、それが読者の胸を打つのは確かだ。細かいところはこの際気にせず、ここは素直に作者のメッセージに耳を傾けてみたい。
時は1944年。第二次世界大戦もすでに末期に近く、日本の戦況は日に日に悪化の一途を辿っていた。そんな中、若き海軍中佐の関谷直人は軍令部総長から呼び出しを受け、密命を受ける。それは中立国スイスに赴き、火薬の製造に不可欠な水銀を入手するというものだった。
その費用として二つのトランクに金塊を詰め込み、関谷は潜水艦でドイツに向かう。ドイツには今回の任務を手伝うドイツ駐在武官で、海軍兵学校以来の親友でもある矢部が待っているはずだった。ところが現地で待っていたのは、矢部が休暇中に訪れたスイスで事故死したという知らせであった。さらには車で移動中の関谷を空襲が襲い、金塊の入ったトランクも失ってしまう。
トランクを取り戻すため調査を開始する関谷だったが、中立国スイスでは各国の諜報員が暗躍し、次々と関係者が変死を遂げる。そこには矢部の死も関係があるのか? 唯一の手がかりは、「D」と呼ばれる組織の存在だった……。
▲西村京太郎『D機関情報』(講談社文庫)【amazon】
今でこそトラベルミステリの巨匠と呼ばれる西村京太郎だが、初期にはさまざまな作品を書いていたことはよく知られている。まさに売れるものではなく書きたいものを書いていた時代である。その西村京太郎が三作目に選んだ題材が戦争であり、それは歴史スパイ小説という形で結実した。
密命を帯びた若き軍人が、敗色濃厚な戦況にあって、それでも軍人としての務めを全うするのか、それとも将来の日本のために負けを認めて行動するのか。葛藤する若者の姿を描くと同時に、戦争の悲惨さはもちろん、マイノリティの悲劇にも焦点を当てているのが興味深い。やや盛り込みすぎの感もあるが、作者の気持ちが乗っているというか、流れるような展開でまったく飽きさせない。圧倒的な力作であることは間違いないだろう。
力作であることは間違いないし、代表作と呼ばれるだけのことはあると思うが、今の目で見るとやや気になる弱点もある。それはスパイ小説や冒険小説におけるリアリティの欠如だ。
読者が想像するしかない部分はどれだけホラを吹いてもかまわない。しかし読者がすぐに勘付くような、逆にいうと作者が調べれば簡単にわかるような細部のリアリティの欠如は、すぐに熱が醒めてしまうのである。
たとえば潜水艦での移動がほぼ不可能に近いような書き方をしながら、それを選択する理由の説得力不足。金塊の詰まったトランク二つも抱えて運ぶ点、スピットファイアがスイス内陸を飛行する点などなど。一つぐらいならそこまで気にしないが、積み重なってくると少々辛い。書かれた時代もあるけれど、海の向こうでは同時期に『寒い国から帰ってきたスパイ』という名作スパイ小説が書かれているわけで、それを考えるとやや脇の甘さは拭えない。そこがもったいない。
ただ、弱点がありつつも、結論としてはやはり傑作としておこう。本作の主人公が抱える葛藤は、まさに日本ならではのものであり、それが読者の胸を打つのは確かだ。細かいところはこの際気にせず、ここは素直に作者のメッセージに耳を傾けてみたい。