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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 09 2020

ユーディト・W・タシュラー『国語教師』(集英社)

 ユーディト・W・タシュラー『国語教師』を読む。昨年のベストテン等でいくつかランクインした作品で、構成が面白そうだったので遅まきながら手に取ってみた。

 国語教師

 まずはストーリー。
 オーストリアのとある自治体が、作家を高校に派遣して、一週間、創作のワークショップを行うという授業を計画した。そこで講師として選ばれた一人の作家、クサヴァー・ザント。彼が指定された高校へメールを送ると、その担当教師はかつての恋人マティルダであった。
 すでに二人とも五十を超えていたが、懐かしさから舞い上がるクサヴァー。矢継ぎ早にメールを送って近況を尋ねるが、マティルダの反応は冷たい。それもそのはず。十六年前、クサヴァーは何の連絡もなく、いきなりマティルダの前から姿を消していたのだ。やがて二人は再会するが……。

 というふうに粗筋を書いてみると、実はこの小説の面白味がまったく伝わらない。実は本作、ざっくりいうと、「再開前のメールのやりとり」、「二人の過去」、「脚本スタイルによる再会時の会話」、「二人の創作」という四つのパートに分けることができ、しかもそれらが時系列バラバラで書かれているのである。
 冒頭ではつれないマティルダだが、再会時には気を許した様子もあり、と思うと、過去のきな臭い事件の存在も匂わされたり、全体像をぼやかすことで興味を引っ張っていく。

 ミステリとして読むとおそらく期待外れに終わるだろう。事件はあるが謎というほどのものではなく、正しくはミステリ的要素を盛り込んだ、あるいはミステリ的な手法を使った恋愛小説として読むほうがしっくりくる。
 最高にマッチした相手のはずだったのに、なぜ結婚に至らなかったのか。なぜクサヴァーは突然マティルダの前から消え失せたのか。「なぜこんなにややこしく考えるのか、気持ちに正直に生きればいいだけなのに」という意見もあるだろう。しかし、残念ながら人生は、そして人間は、そこまでシンプルではない。往々にして抗いようのない波に呑まれることもある。二人にとって、その波は家族によって起こされ、そんな波に呑まれた二人の心の弱さ、そして愚かさをじっくり描くことで、幸せをつかむことの難しさや人生における選択の難しさを伝えてくれるのだ。

 ただ、本作は確かによくできているとは思うけれど、個人的にはこの構成やラストの展開など、あざとすぎるところが随所に感じられて、それほど好みではない。基本プロットは悪くないし、上手くいかないからこそ人生というメッセージも染みるのだが、ここまで技巧に走る必要はあったのかなというのが、正直なところ。もっとミステリに寄せるなら、そこまで気にならなかったのだろうけれど。


泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』(新潮文庫)

 いわゆる実験小説という呼び方があって、「フランスの小説家ゾラの唱えた自然主義小説の方法論」を指すこともあるけれど、一般的には「前衛的な手法を用い、文学の可能性を実験的に追求しようとする小説」という意味合いの方が知られているだろう。
 小説ではもちろんテーマや物語性も重要だが、芸術のひとつとして考えるなら、その表現方法も同じように重要であるはずだ。そんな表現についての可能性を追求した実験小説は、具体的にいうと文章に何らかの制限を設けるとか、セオリーを無視するとか、お話として面白いかどうかはともかく、その試みは実にスリリングである。
 実際、どんな作品があるかは、木原善彦『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』に詳しいが、日本では筒井康隆が『虚航船団』や『残像に口紅を』をはじめとしていくつもそういう作品を書いており、代表格といえるだろう。
 ではミステリではどうかというと、そもそもミステリの目的自体が「謎を論理的に解明する」ことである以上、実験小説とは相性がよくない。すぐに思いつくところでは、やはりクリスティの『アクロイド殺し』。ミステリの定型を壊した点において一種の実験小説といってよいだろう。ミステリとはちょっと違うがD・E・ウェストレイク『さらば、シェヘラザード』もそのひとつ。我が国では意外にチャレンジャーが多く、浅暮三文の文字どおり『実験小説 ぬ』とか森博嗣『実験的経験 Experimental experience』、折原一『倒錯の帰結』あたりが知られているか。

 これらの実験小説で、個人的に特に重要だと考えるのはその独自性である。やはり、そのアイデアを最初に考えて試みた人間こそ評価されて然るべきで、先人が考えたものをアレンジしてよりよく仕上げる作品も別に悪いとはいわないが、本家を超えることはできない。

 本日の読了本はそんな実験ミステリ小説の中でもとびきりの一作。泡坂妻夫の『しあわせの書』である。
 有名な作品だし、管理人も二十年ぶりぐらいの再読で今更という感じはするが、泡坂作品読破計画も進めている最中なので、久々に手にとってみた次第。

 しあわせの書

 こんな話。二代目教祖の継承問題で揺れる宗教団体の惟霊(いれい)講会。高い霊力で知られた現教祖の桂葉華聖(かつらばかせい)もすでに八十を越え、その後を二人の候補者が争う形となっていた。
 そんな頃、恐山の地蔵祭を訪れたヨガと奇術の達人ヨギ ガンジーとその弟子の不動丸、美保子の三人。イタコの真似事をしてテレビ取材まで受けてしまうガンジーだったが、その場面を見ていた男性から、失踪した妹の行方を占ってほしいと頼まれる。その妹が入信していたのが惟霊講会だったことから、いつしか三人は教祖の継承問題に巻き込まれ……。

 短編集と長編の違いはあるが、本作も基本的なスタイルは『ヨギ ガンジーの妖術』を踏襲するイメージ。提出される謎は奇跡や超常現象のトリックであり、物語もそれらが自然に溶け込みやすい怪しげな宗教団体を舞台にする。シリアスとユーモアもいい案配に配合され、ストーリーもコンパクトにまとまっていて悪くない。
 特に後半、断食からラストの謎解きへの流れは秀逸で意外性もあり、「仕掛け」ばかりが注目される本作だが、それがなかったとしても十分楽しめる本格ミステリといえるだろう。

 まあ、そうはいってもやはり最大のポイントが「しあわせの書」であることは間違いない。
 「しあわせの書」は作中でも登場するのだが、その使い方が見事だ。読唇術のネタとして利用するだけでなく、後半のヤマ場となる断食の行にも使われていることに感心。そして、最後にあの大トリックである。泡坂作品ではすべての描写が伏線というぐらい無駄がないけれども、本作などはその最たるものだろう。
 
 『喜劇悲奇劇』、『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』と並ぶ泡坂三大実験小説。ミステリファンでなくとも読んでおいて損はない。


マイクル・コナリー『レイトショー(下)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『レイトショー』を読む。女性刑事レネイ・バラードを主人公とする新シリーズの一作。

 まずはストーリー。
 レネイ・バラードはハリウッド分署の深夜勤、通称レイトショーの担当刑事だ。初動には関わるものの、朝には日勤の刑事たちに事件を引き継がなければならない。そのためレイトショーの刑事は重要事件に関わることができず、自ずとレイトショーに配属されることは、出世の道を外れることを意味していた。バラードは数年前に上司とトラブルを起こし、今の配属先に飛ばされたのである。
 そんなある日の夜、女装娼婦の暴行事件とナイトクラブでの銃撃事件が発生する。本来なら日勤の刑事に渡して終わりだったが、バラードは己の信念から二つの事件を密かに追い始める……。

 レイトショー(下)

 これは紛れもなくボッシュシリーズの継承である。レネイ・バラードはまさに女性版ボッシュであり、ボッシュシリーズの要でもある「正義の在り方」について、彼女もまた己の信念を貫こうとする。
 しかし、バラードは単なる代変わりというわけではなく、ボッシュとは別の意味での濃厚な設定がなされている。三十代独身、ハワイ出身。父をサーフィンの事故で失い、母とは音信不通。新聞記者時代に自分の道を見つけ、警察官に転職した。夜勤明けにはサーフィンを欠かさず、そのまま浜辺でテント暮らしを続けている。特定の住居を持たないという設定はかなり奇抜なのだが、ハワイ先住民の血を引く彼女の出自とおおらかで自然を愛するキャラクターに馴染んでおり、作り物めいたところはあまり感じさせない。このあたりの説得力はさすがコナリーであろう。

 そんなアウトドア派の彼女だが、こと仕事に関しては、とりわけ精神的な部分においては、ボッシュと同様のタイプというのが面白い。正義のためには妥協を許さず、上司とのトラブルによって冷や飯を食わされているところもボッシュ同様である。
 これまたコナリーの巧いところだが、本作で描かれる二つの事件は、直接には繋がりがないのだけれど、それぞれの事件を通じて彼女の内面と過去を描いているように思う。女装娼婦の暴行事件については、被害者たちへのアプローチを通じて彼女の正義に対する考え方を示し、一方のナイトクラブの銃撃事件では彼女自身の過去のトラブルも絡めて、今の彼女の状況が確認できるという仕組みだ。
 言ってみれば本作はレネイ・バラードのお披露目作。孤高を貫こうとするバラードが信頼できる仲間と出会うための壮大なストーリーの第一歩というイメージもあるのだが、それにしてはコナリーもかなり過酷な事件をあてがったものだ。

 新シリーズということで、どうしてもキャラクター中心に読んでしまったが、事件も悪くない。特にナイトクラブの銃撃事件では完全にいっぱい食わされてしまって、こういうミステリとしての肝を疎かにしないところもコナリーの良さだろう。
 ともあれ傷つきながらも何とか明日へ踏み出していくバラードの姿は実に美しい。ボッシュとの競演も楽しみになってきた。


マイクル・コナリー『レイトショー(上)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『レイトショー』をとりあえず上巻まで読む。今年の二月頃に出た本だが、コナリーの新刊は八月にも『汚名(上・下)』が出ており、しかも十一月には『素晴らしき世界(上・下)』が出るという。なんというハイペース。コナリーの新刊が一年で三冊(すべて上下巻だから厳密には六冊か)出るのは初めてではないかな。
 一時期は訳者の方が日本版継続の危機を訴えていたこともあったので、まあファンとしては素直に喜んでおこう。

 レイトショー(上)

 さて、本作の最大の注目は、夜勤専門の女性刑事レネイ・バラードを主人公とする新シリーズであるということ。しかも十一月に刊行予定の『素晴らしき世界(上・下)』はバラードとボッシュの競演作らしいから、これはもうさっさと読むしかないでしょ。
 詳しい感想は下巻読了時に回すとするが、上巻では初期ボッシュを若干、彷彿とさせるバラードのキャラクターが悪くない。さあ、下巻ではどうなるか。


ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』(東京創元社)

 ラーラ・プレスコットの『あの本は読まれているか』を読む。今年の春頃、コロナ禍の真っ只中に東京創元社から発売された本だが、ミステリ好きのみならず、本好き・小説好きなら思わず気になるような内容で、けっこう話題になった一冊だ。

 冷戦下のアメリカでCIAのタイピストとして雇われたロシア移民の娘イリーナ。平凡な娘に見えた彼女だが、スパイとしての才能を見込まれ、先輩スパイであるサリーからさまざまな技術を仕込まれていく。
 一方、冷戦下のソ連ではスターリン体制下で恐怖政治がはびこっており、国民は厳しい言論統制や検閲などによって弾圧されていた。そんななかで作家ボリス・パステルナークは反政府的な作品や活動によって、常に当局に狙われている存在だった。それは周囲にいる協力者に対しても同様で、ボリスの愛人オリガは、まだ完成前の小説『ドクトル・ジバゴ』について、その内容を教えるよう警察に尋問される。だがオリガはボリスを守るために黙秘し、収容所送りとなってしまう。
 やがて『ドクトル・ジバゴ』は完成するが、反体制的な内容からソ連での発行は不可能だった。そこに目をつけたのがCIAである。母国で発行できない『ドクトル・ジバゴ』を国外で製作し、逆にソ連へ送り込んで、言論統制や検閲、弾圧といったソ連の現状を国民に知らしめようと考えたのだ……。

 あの本は読まれているか

 まあ、なんと盛り沢山。ノーベル賞まで受賞した、あの傑作『ドクトル・ジバゴ』を使ったプロパガンダ作戦(これ自体は事実らしい)、CIAで働く女性たちの生活、戦後間もない頃の同性愛というマイノリティに関する問題、何よりソ連時代の恐怖政治。これらが渾然一体となって物語が流れ、読者をまったく飽きさせないのはさすが。評判になったのもむべなるかな。

 素材はもちろんいいのだが、これがデビュー作とは思えない丁寧な描写もいい。特に人物描写が素晴らしい。
 芸術と政治の間で翻弄され、弱みを度々見せてしまうボリスの人間臭さ。
 ときに仲間や家族を軽んじてしまうボリスに複雑な感情を抱き、それでもボリスを誇りに思い、愛するオリガ。
 あどけない素朴な娘というイメージを自覚しつつ、自分はいったい何者なのか、少しずつ成長し、その答を見つけようとするイリーナ。
 スーパーレディのように思われながら、マイノリティとしての自分と折り合いをつけかねているサリー。
 とりわけオリガとイリーナは、同じロシア人女性ながらことごとく対比される形で描かれ興味深い。その生い立ちもさることながら、家族や恋愛、思想などに対するスタンスも大きく異なり、唯一、共通するのが大きな秘密を抱えて生きてきたということ。その秘密を守るための原動力になったものを考えると、やはり人間賛歌の物語なのだろう。

 惜しむらくは、『ドクトル・ジバゴ』が国外に流出し、それがソ連に再度送り込まれるまでの経緯が、いまひとつ淡泊で盛り上がらないことだ。事実の部分をそれほど脚色したくなかったのかもしれないが、一番のヤマ場がそれほど緊張することもなく片付けられたのが残念。
 また、『ドクトル・ジバゴ』によって、実際にはソ連にどういう影響があったのか、最後にさらりとでもいいから触れるべきではなかったか。一冊の本によって運命や人生を変えられた人々の物語であるからには、彼らの努力がどのように報われたのか知りたいし、あるいは報われなかったら報われなかったで、それはまた考える縁になるのだし。
 ついでにもうひとつ書いておくと、盛り沢山の内容はけっこうだが、やはりテーマは少し多すぎたきらいはある。特にサリーとイリーナのドラマが入ることで、少し焦点がぼやけてしまう感じを受けた。他のドラマはなんだかんだで冷戦に紐づくものだけに、ここはやはり冷戦に絞ってもらったほうがよかったかも。

 以上の三点が個人的にはかなり引っかかってしまったこともあり、力作ではあるが、傑作とまでは思えなかった。純粋なスパイ小説のほうがよかったとまでは言わないが、実際、その興味でストーリーを牽引していることは間違いないので、期待が途中で大きくなりすぎたかもしれない。


千代有三『千代有三探偵小説選 II』(論創ミステリ叢書)

 論創ミステリ叢書から『千代有三探偵小説選 II』を読む。まずは収録作。

「女のさそい」
「流れぬ河」
「白い夜」
「雪男雨女」
「スクリーン殺人事件」
「月にひそむ影」
「夢橋」
「夜の影」
「紙吹雪の曲線」
「女子高校二重盗難事件」
「似顔絵の女」
「アラセン王国の危機」
「幽霊は生きていた」
「語らぬ沼」
「殺人混成曲」
「デートの死」
「シャワー・ヌード」
「接吻横丁」
「ローマの乳房」
「小説・江戸川乱歩の館」
「悪い貞女」
「最後の章」
「死者は犯す」
「あられもない死」

 千代有三探偵小説選II

 『千代有三探偵小説選 I』の感想でも触れたとおり、著者の探偵小説観は「謎と論理の文学」であり、純粋な本格思考である。それを実証するかのように犯人当てやクイズ形式の作品も少なくない。ただ、これも同じ記事で書いたが、著者のバックボーンは純文学であり、むしろその特色の出た作品の方が出来は良いように思う。
 I 、II 通じて印象的だったのは意外にエロティシズムを扱う作品が多かったこと。そういう嗜好と探偵小説における志向がもう少し長い作品で成就すればよかったのになぁと思った次第である。

 まあ、そんな中でもいくつか気に入った作品はあり、本書では「雪男雨女」、「殺人混成曲」、「死者は犯す」あたりはアイデアもよく楽しめた。特に「雪男雨女」の真相は面白い。あまりに短いのがもったいなく、もう少ししっかりした形で、松本清張っぽく書いてもらえるとかなりの作品になった感じがする。


エリオット・チェイズ『天使は黒い翼をもつ』(扶桑社ミステリー)

 エリオット・チェイズの『天使は黒い翼をもつ』を読む。帯には“伝説の傑作ノワール”という何とも景気の良いキャッチが踊り、ネットでも一時期評判が上がっていたけれども、実は読もうかどうかけっこう迷った一冊である。
 というのもチェイズは過去に三冊ほど邦訳があり、管理人はその中の『さらばゴライアス』を読んだことがあるのだが、そのときの印象がイマイチ。新聞社の記者だったか部長だったかを主人公にしたシリーズで、いわゆる軽ハードボイルド路線。社主殺害事件を扱っていたが、謎解きもドラマもキャラクターも全般的に物足りない作品だったのである。
 しかも1983年の『さらばゴライアス』でこれだから、1953年発表の『天使は黒い翼をもつ』が不安になるのは当然。本格ミステリーの場合、傑作はデビュー以後の早い時期に生まれることが多いが、ハードボイルド系はある程度作家が人生経験を積み、技術も熟練した後期に生まれることも多い。『さらばゴライアス』の三十年も前に書いた作品など期待しろという方が無理な話だ。
 そんなこんなで眉唾もので読み始めたのだが、これが何と帯のキャッチどおりの傑作で驚いてしまった(笑)。

 天使は黒い翼をもつ

 こんな話。石油掘りの仕事をしばらく続けていたティム・サンブレードは、多少の金を手に入れて久々に町へ戻ってきた。ホテルに宿を取り、娼婦を呼ぶが、これが実にいい女のヴァージニア。勢い余って三日間もホテルを共にし、そのまま彼女と共に町を出てしまう。しかしティムはただヴァージニアを気に入ったわけではない。ティムには一攫千金を狙う計画があり、その実行のためにもう一人仲間が必要だったのだ……。

 人生を踏み外した男と女が、一発逆転を狙った犯罪に挑む。最初はすべてが上手くいったかに思えたのだが……という絵に描いたような定番のストーリーだが、ノワールにおいて重要なのは何を描くかというよりどう描くか。もとよりノワールは闇社会を舞台に、人間の欲望や悪意、暴力などを描き、それ自体が大きなテーマである。そんなテーマを効果的に表現するには、成功へ向かって邁進する主人公はとても似合わない。やはりそこには欲望のために人生を踏み外し、闇の底へ真っ逆さまに転落する主人公こそ似合うのである。

 その意味で本作のティムとヴァージニアの人物造形は素晴らしい。人生の最底辺で出会い、意気投合する二人だが、実はその過去は正反対。二人の言動の随所にその対立構造が現れ(ただし、表面的にはそれほど対立しているようには見えないのがミソ)、その恋愛模様とコンビネーションが実に鮮やかに描かれていく。
 プロットも巧みで、計画を実行する前段階と、それが成功してからの転落の模様がじっくり描かれるのに対し、肝心の計画実行の場面は実にあっさりとしている。こういう緩急のつけ方によって本作のテーマが明確に浮かび上がるわけで、何気ないエピソードなど(特に聖書を唱える少年とか)も物語のアクセントとして非常に印象的である。

 もう見事すぎてケチをつけるのは憚られるのだが、あえて書くとすれば、例えばジム・トンプスンの諸作品がそういうものを意識せず、サラッと書いたと思われるのに対し、チェイズの本作はかなり練られたうえで書かれたという印象が強い。
 もちろん管理人の個人的な印象なので本当にそうかどうかはわからない。ただ、読んでいてどうにも隙がないというか、ストーリーやエピソードなど各所がハマりすぎていて、テキストのすべてに意味を求めている感じを受けるのである。ガチガチに意味づけされたノワールが果たしてノワールといえるのか、そんな疑問も生まれてきてしまうわけで、ぶっちゃけあざといのである(苦笑)。
 とはいえ、ノワールに馴染みのない人にとって、この完成度の高さはおすすめである。

 まあ、最後に余計なイチャモンはつけたが本作は確かに傑作。もしかしたら『さらばゴライアス』も今読むと評価が変わるのだろうか。


木魚庵『金田一耕助語辞典』(誠文堂新光社)

 誠文堂新光社が発行している『〜語辞典』シリーズの一冊、『金田一耕助語辞典』が出たのでさっそく買ってみた。ミステリ関係としては、『シャーロック・ホームズ語辞典』、『江戸川乱歩語辞典』に続く三冊目。ただし乱歩語辞典がいまひとつだったので、ちょっと中身を心配していたのだが、まったくの杞憂だったようでひと安心。

 金田一耕助語辞典

 ぶっちゃけ編集におけるセンスなのかなと思う。『〜語辞典』シリーズは「辞典」というスタイルをとっているから、まず基本的な用語を知っている必要があるわけで、それがそもそも初心者にハードルを高くしている。「わからない言葉が出てくれば引くわけだから、それは関係ないのでは?」という意見もあるだろうが、これは普通の辞典ではなく、趣味全開の辞典であり、その用語が載っているかどうかは著者のセンス次第だ。たとえば「犬」という言葉が原作にあり、それを調べようと思っても、著者が「犬」ではなく「魔犬」として掲載していれば、その解説に辿りつくのは容易ではない。これは極端な例としても、そういう可能性が山のように出てくる可能性があるわけで、そこそこ原作に親しんでいる中級者以上でなければ、使いにくいのはもちろん、その説明のキモも伝わりにくいだろう。それなら最初からファンやマニアが後追いで楽しむようなファンブック的なものにすればよい。

 ところが誠文堂新光社の『〜語辞典』シリーズは、ホームページによると、もともとそのジャンルを好きな人がさらに詳しくなるための蘊蓄本という方向性らしい。つまり初心者がステップアップするためのガイドブックという性質である。そこで初心者でも入りやすいよう、全体的には柔らか目で作っている。図版を豊富にして、付録的な企画も多いのは、そういう理由がある。
 結果的に初心者向けと中級者向け、そういった二つの物差しがあるのが間違いで、そのバランスが極端に崩れると、乱歩語辞典のようなことになる。マニアに寄せるか、初心者に優しくするか、実はなかなか読者とのマッチングが難しい本なのだ。

 とまあグダグダ書いてはみたが、では『金田一耕助語辞典』はどうかという話であるが、最初に書いたようにこれはよくできていて安心した。
 確かにイラストは可愛いし、「横溝正史」ではなく「金田一耕助」とやったところにミーハーっぽい感じも受けるものの、初めから原作や映像作品そのものの項目は割愛するという方針であることが宣言されており、そういう意味ではざくっと入門書という性格を断ち切っている。つまり中級者クラスを対象としたファンブック的な性格であることが謳われているわけで、内容も概ねそのレベルで統一していることに好感が持てる。
 具体的には「これぐらいを知っておくとマニア面できますぜ、ダンナ(笑)」というレベルであり、よほどの猛者でないかぎりは楽しめるのではないだろうか。
 付録に関しても、どうしても辞典として収録しにくいテーマ、例えば事件簿MAPとか耕助コーデだったりするので素直に楽しめるのが良い。

 ということで『金田一耕助語辞典』は悪くない一冊だったのだが、こういうアプローチがなぜ『江戸川乱歩語辞典』でできなかったのか不思議である。これだけ探偵名ではなく作家名というのも気になるし、担当編集者もまったく別だったのだろうか。


グラント・アレン&アーサー・コナン・ドイル『ヒルダ・ウェード』(盛林堂ミステリアス文庫)

 グラント・アレンの『ヒルダ・ウェード』を読む。日本で紹介されているのは論創海外ミステリの『アフリカの百万長者』しかないが、本国では百冊以上の著作を残した。ただし、最初はもっぱら本業の科学者としての著作ばかりで、小説を書くようになったのは教授職を退き、英国に帰ってからのこととなる。
 また、小説にしてもミステリプロパーというわけではなく、あくまで大衆文学、ただし、扱うテーマは科学や宗教、哲学など、実に幅広いものだったようだ。

 そんなアレンの多彩な著作にあって、本作は『アフリカの百万長者』と同様、比較的珍しいミステリ寄りの作品である。雑誌連載中にアレンが亡くなったため、最終回をあのコナン・ドイルが書き上げたといういわくつきの一作でもある。二人が友人ということもあって出版社もドイルに白羽の矢を立てたようだが、二人の関係はドイルの自伝『わが思い出と冒険』にも言及がある。

 ヒルダ・ウェード

 さて、肝心の『ヒルダ・ウェード』だが、こんな話。
 聖ナサニエル病院に勤める看護婦ヒルダ・ウェード。しかし、彼女はただの看護婦ではなく、その類い稀な洞察力や記憶力によって、医学博士たちからも一目を置かれるほど優秀な看護婦だった。ヒルダは偉大な医学者として知られるセバスチャン教授のもとで働き始めたが、それは彼女のある大きな目的のための第一歩だった。
 そんなヒルダに思いを寄せるセバスチャン教授の助手、ヒューバート・カンバーレッジ。彼はヒルダの力になろうとするが、それによって自らも大冒険の中に飛び込んでゆく羽目になる……。

 ヴィクトリア朝時代の女性探偵ものであり、〈シャーロック・ホームズの姉妹たち〉を企画した平山雄一氏の翻訳なので、てっきり本作もその系統の短編集だろうと思って読み始めたが、これが予想とはちょっと違う路線で、それがかえって面白かった。
 確かに最初の一話、二話こそ連作短編っぽいミステリなのだが、早々にそのパターンは崩れ、ヒルダの目的が父の汚名を晴らすことにあり、そのカギを握るのがセバスチャン教授であることが明らかになる。そして二人の対立構造が明らかになると舞台は海外に移り、冒険小説さながらの展開となってゆく。
 まあ、ホームズもそうだけれど、この頃の英国ミステリはミステリといいつつ冒険小説や歴史小説、ゴシックロマンの成分が多い作品も少なくない。本作もそんなタイプの一つなのだろうが、この時代にあって自立する女性を描いたところがやはり注目に値するだろう。
 女性がまだ一段低く見られている時代にあって、多彩な能力を発揮し、男を逆にうまくコントロールする女性の姿は(少々あざといところもあるが)、当時、実に新鮮だったはずで、読者の心を強く打ったのではないだろうか。
 書かれた時代と物語の設定上、差別的表現が多くなるのは致し方ないところだが、全体的には楽しい一冊であった。

ロス・マクドナルド『さむけ』(ハヤカワ文庫)

 ロスマク読破計画もようやくここまで辿りついた。本日の読了本はロス・マクドナルドの『さむけ』。著者の第十六作目の長篇で、リュウ・アーチャーものとしては十二作目(短編集一冊を含む)にあたる。ロス・マクドナルドの代表作というだけでなく、ハードボイルド史上、いやミステリ史上に残る傑作である。

 まずはストーリー。裁判で証言を終えた私立探偵アーチャーは、アレックスと名乗る青年に声をかけられた。結婚したばかりの妻ドリーが失踪したので探してほしいというのだ。失踪直前にドリーが会ったという謎の男を皮切りに、調査を進めていくアーチャー。やがて大学関係者の家で働くドリーを発見することはできたが、彼女は帰りたくないという。どうやら失踪の背景には、少女の頃に起こった事件が関係しているらしいが、今度はアーチャーが聞き込みをしたドリーの知人の女性教授が殺害されてしまい……。

 さむけ

 いやあ、ン十年ぶりの再読だったが、やはり、『さむけ』は凄い。
 複雑なプロットと多彩な登場人物、そこから炙り出される人間の闇。それらが非常に濃い密度で描かれているのが凄い。読者はアーチャーとともにこの迷路のような物語を少しずつ紐解いてゆく。そして最後に明かされる真実に対し、ミステリとしての仕掛けに驚くと同時に、あらためて人間の業というものを感じさせられるのだ。この徹底的に濃縮された苦味こそがロスマクの醍醐味である。

 テーマは中期以降の作品によくあるように〈家族〉だ。もちろんただ〈家族〉のドラマを描いているわけではない。そこには〈家族〉だからこそ起こりうる普遍的な問題に加え、アメリカの社会問題や著者の抱えていた個人的な問題も投影されているため、一筋縄ではいかない。
 しかもたいていの場合、その〈家族〉が単体ではなく、複数の家族が多重的かつ執拗に描かれることが多く、おまけに家族を構成する一人ひとりに対しても強烈な深掘りがなされている。しかも先ほども書いたように、ロスマクの場合は密度が濃い。一人としてむだな人間はいないのである。

 たとえば冒頭から登場する依頼人アレックスなどは、失踪した妻を探してくれという、いかにもハードボイルド的な入り方をしてくる。しかし導入こそ典型的だが、若い男性にしては非常に情緒不安定なキャラクターとして描かれている。おかげでアーチャーの調査にも支障をきたしがちだが、妻が発見されると次第に落ち着きを増し、精神的な強さを取り戻していく。
 アーチャーもようやくひと安心するのだが、ここへ厳格な父親が登場するにおよび、再び自主性も自信も失った男に戻るのである。アレックスの言動から感じられた不安定さは、妻が失踪したことだけではなく、実は父親による長年の支配が原因であったことが推測されるわけで、こういったエピソードの一つひとつが物語に奥行きを与えている。

 ただ、これはほんの一例、しかもアレックスなどは比較的シンプルかつ軽い方で、実は女性キャラクター側の家族にこそ、ロスマクの本領が発揮される。ドリーの家族、殺害される女性教授の家族、ドリーを雇った資産家の家族……そういった、それひとつだけで十分に物語になるぐらいの家族の闇が、幾重にも重なり、互いに影響を与えていく。
 一応は縦軸たる事件があるのだけれど、こうしたさまざまな家族のドラマがなければ、より芳醇な物語にはならなかったことは間違いない。ラストの意外性から、『さむけ』は本格ミステリ以上に本格ミステリだという意見もあるが、それも家族のドラマがあるからこそ効いてくるのである。

 もちろん欠点もあるだろう。プロットが複雑すぎる面はあるだろうし、この長さは必要ないんじゃないかとか、真相に至るまでの謎解きが重視されていないとか、あるいはロスマクはどれも似たような話ばかりではないかという声も聞く。
 しかし、批判の多くはどちらかというと好みの範疇だったり、ハードボイルドというスタイルに理解がないせいともいえる。似たような話が多いというのも、それはロスマクというよりハードボイルド全般にいえることであり、そもそもハードボイルドに関していえば、同じような題材・テーマを繰り返し描き、深掘りすることで、よりクオリティを上げたりメッセージ性を高める側面もあるので、一概に欠点とは言えないだろう。

 とりあえず確かなのは、本作はやはり傑作であるということ。ちなみにロスマク作品には、ほかにも「さむけ」を感じさせてくれるものがいくつもあるので、気になる人はぜひ中期の作品だけでも読んでほしいものだ。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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