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マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたXデイに』(東京創元社)
一昨年に刊行された『その昔、N市では』もよかったが、今回もご機嫌である。本日の読了本はマリー・ルイーゼ・カシュニッツの日本オリジナル短篇集『ある晴れたXデイに』。
▲マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたXデイに』(東京創元社)【amazon】
Schneeschmelze「雪解け」
Popp und Mingel「ポップとミンゲル」
Das dicke Kind「太った子」
Die Füße im Feuer「火中の足」
Das Inventar「財産目録」
Glückes genug「幸せでいっぱい」
Der Schriftsteller「作家」
Der Deserteur「脱走兵」
Zu irgendeiner Zeit「いつかあるとき」
Der Bergrutsch「地滑り」
Die übermäßige Liebe zu Trois Sapins「トロワ・サパンへの執着」
Der Tulpenmann「チューリップ男」
Der Tag X「ある晴れたXデイに」
Der Hochzeitsgast「結婚式の客」
Die Abreise「旅立ち」
収録作は以上。
語り口は静かなトーンでまとめられているが、その内容は意外に幅広く、強いていえば日常に忍び込む違和感や異物による恐怖、というのが前作の『その昔、N市では』のイメージ。かたや本書では語り口は同じく静かではあるが、戦争や夫の死の影響を受け、暗い影を落とした作品が多いイメージ。
といっても直接、戦争や死を描いているわけではない。作品よって異なるけれど、あるときはオブラートに包んだり、またあるときは他の事象に置き換えたり、いずれの作品も何が起こっているのか明言せず、読者の心に何ともいえない引っ掛かりを残すのである(もちろんすべての作品が必ずしも死や戦争を扱っているわけではないので念のため)。
本書においては、この語られないことによる引っ掛かりが絶妙なのである。引っ掛かり=咀嚼しきれない部分、といってもいいのだが、それが物語の求心力になっている。
特に気に入った作品を挙げておこう。
冒頭の「雪解け」がまずいい。非行の挙句に死んでしまった養子が、自分たちを殺しに来るのではないかと怯える夫と妻。養子との過去の暮らし、確認した死体が実は養子ではなかったのではないか、といった内容が二人の会話から浮かび上がるが、その最中にも厳重に戸締りする二人。そして迎えるラストが何とも上手い。
自宅に遊びに来る太った子供、その得体の知れなさにゾッとしつつ、思いがけない事件に遭遇してしまう女性の話は「太った子」。これもまた着地点が予想しにくい作品で興味深い。
「幸せでいっぱい」も凄い。行方不明になった少年を探すことに固執する主婦の話だが、彼女の見た事実と周囲とのズレが非常に気持ち悪く、同時に最高に惹かれる部分である。
「作家」もいい。人気作家が転職しようとするが、もちろん周囲の人間は理解できるはずもなく、転職活動に苦労する作家。何より不思議なのが、その動機が決して語られないことだ。
表題作の「ある晴れたXデイに」も素晴らしい。「幸せでいっぱい」と少しテイストが似ているのだが、こちらはいつもの暮らしを続ける家族をよそに、世界の終末を一人で心配する母親の話。
▲マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『ある晴れたXデイに』(東京創元社)【amazon】
Schneeschmelze「雪解け」
Popp und Mingel「ポップとミンゲル」
Das dicke Kind「太った子」
Die Füße im Feuer「火中の足」
Das Inventar「財産目録」
Glückes genug「幸せでいっぱい」
Der Schriftsteller「作家」
Der Deserteur「脱走兵」
Zu irgendeiner Zeit「いつかあるとき」
Der Bergrutsch「地滑り」
Die übermäßige Liebe zu Trois Sapins「トロワ・サパンへの執着」
Der Tulpenmann「チューリップ男」
Der Tag X「ある晴れたXデイに」
Der Hochzeitsgast「結婚式の客」
Die Abreise「旅立ち」
収録作は以上。
語り口は静かなトーンでまとめられているが、その内容は意外に幅広く、強いていえば日常に忍び込む違和感や異物による恐怖、というのが前作の『その昔、N市では』のイメージ。かたや本書では語り口は同じく静かではあるが、戦争や夫の死の影響を受け、暗い影を落とした作品が多いイメージ。
といっても直接、戦争や死を描いているわけではない。作品よって異なるけれど、あるときはオブラートに包んだり、またあるときは他の事象に置き換えたり、いずれの作品も何が起こっているのか明言せず、読者の心に何ともいえない引っ掛かりを残すのである(もちろんすべての作品が必ずしも死や戦争を扱っているわけではないので念のため)。
本書においては、この語られないことによる引っ掛かりが絶妙なのである。引っ掛かり=咀嚼しきれない部分、といってもいいのだが、それが物語の求心力になっている。
特に気に入った作品を挙げておこう。
冒頭の「雪解け」がまずいい。非行の挙句に死んでしまった養子が、自分たちを殺しに来るのではないかと怯える夫と妻。養子との過去の暮らし、確認した死体が実は養子ではなかったのではないか、といった内容が二人の会話から浮かび上がるが、その最中にも厳重に戸締りする二人。そして迎えるラストが何とも上手い。
自宅に遊びに来る太った子供、その得体の知れなさにゾッとしつつ、思いがけない事件に遭遇してしまう女性の話は「太った子」。これもまた着地点が予想しにくい作品で興味深い。
「幸せでいっぱい」も凄い。行方不明になった少年を探すことに固執する主婦の話だが、彼女の見た事実と周囲とのズレが非常に気持ち悪く、同時に最高に惹かれる部分である。
「作家」もいい。人気作家が転職しようとするが、もちろん周囲の人間は理解できるはずもなく、転職活動に苦労する作家。何より不思議なのが、その動機が決して語られないことだ。
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