Posted in 03 2010
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『刑事コロンボ/自縛の紐』
本日は体調不良で休みをとり、一日中寝て過ごす。本を読む気力もないので、横になったままDVDを垂れ流す一日。
『刑事コロンボ/自縛の紐』は、通算26作目、第4シーズンの一発目にあたる作品である。
犯人はスポーツジム・チェーンの経営者マイロ。加盟店のあるオーナーがマイロの詐欺まがいの経営に気づいたことから、発覚を恐れたマイロが口封じのために殺人を犯す。犯行のポイントはオープンリールテープを電話に使ったアリバイ作り。そのトリックは今から見るとかなり古くさい部類ではあるが、状況証拠以外につけいるスキがなく、シンプルながら意外に手強い事件である。
事件がシンプルなら、ストーリーもけっこうシンプル。あまり奇をてらわず、ストレートにコロンボと犯人の対決を描いているのが潔い。この時期の作品は横軸に広がる展開が多くて、ともするとわかりにくい部分もあるのだが、これは久々に原点回帰っぽい感じである。
特に、ストーリーが当初は単なる事故かと思われたこの事件が、コロンボの捜査で立て続けに疑惑が浮かびあがってゆく前半はかなり見もの。後半は少々だれるが、全体的にはまずまず楽しめる作品といっていいだろう。
本日は体調イマイチのためこの辺で。
『刑事コロンボ/自縛の紐』は、通算26作目、第4シーズンの一発目にあたる作品である。
犯人はスポーツジム・チェーンの経営者マイロ。加盟店のあるオーナーがマイロの詐欺まがいの経営に気づいたことから、発覚を恐れたマイロが口封じのために殺人を犯す。犯行のポイントはオープンリールテープを電話に使ったアリバイ作り。そのトリックは今から見るとかなり古くさい部類ではあるが、状況証拠以外につけいるスキがなく、シンプルながら意外に手強い事件である。
事件がシンプルなら、ストーリーもけっこうシンプル。あまり奇をてらわず、ストレートにコロンボと犯人の対決を描いているのが潔い。この時期の作品は横軸に広がる展開が多くて、ともするとわかりにくい部分もあるのだが、これは久々に原点回帰っぽい感じである。
特に、ストーリーが当初は単なる事故かと思われたこの事件が、コロンボの捜査で立て続けに疑惑が浮かびあがってゆく前半はかなり見もの。後半は少々だれるが、全体的にはまずまず楽しめる作品といっていいだろう。
本日は体調イマイチのためこの辺で。
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アガサ・クリスティー展
早めに起き出して、有楽町は国際フォーラムの相田みつを美術館で開催されているアガサ・クリスティー展を見にいく。既にネットのあちらこちらに感想があがっていて、特に付け加えることもないし、おまけに今日はTwitterでもそこそこ感想を書いてしまったので、もうあまり語るようなこともないのだが、一応、自分の記録のために少し書いておく
文学系の展示会によくあるように、展示物は生原稿や創作ノート、書簡、初版本などが中心。これに生前使用していたタイプライター等の遺品や映画・芝居関係のなどのグッズがあり、目玉は当時を記録したホームビデオの上映という構成。このビデオでは、クリスティーの肉声の他、水着で海水浴を楽しむクリスティーという珍しい映像をお目にかかることができる。
また、お土産はパンフレットやブックマーカー、ポストカード、クリアファイル、クリスティーの書籍といったところ。ブックマーカーがけっこうコジャレていたので、とりあえず全種類を大人買いしてみる(笑)。
まあ、印象としては非常にオーソドックスな構成で、良くもなく悪くもなく。ただ、全体的なボリュームが小さいのが残念であった。噂は聞いていたけれど、まさかここまでこぢんまりしたものだとは。飾るものがないなら、思い切って全作をずらり並べて解説でもやってくれりゃよかったのに。
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ピーター・チェイニー『この男危険につき』(論創海外ミステリ)
ピーター・チェイニーの『この男危険につき』を読む。
チェイニーといえば、英国出身ながら一貫してアメリカ的なギャングの世界や犯罪者を描いたハードボイルド作家、というのが定着したイメージ。ところが本書の解説によると、泥棒ものやスパイものなど、思った以上に幅広い作風だったようだ。
だが、本書は1936年に発表された著者のデビュー作。作風が広がる前の、完全無敵な通俗ハードボイルドである。こんな話。
ニューヨークのギャングたちの間では、最近めきめき売り出し中と評判のレミー・コーション。その彼が資産家の遺産相続者ミランダのあとを追い、はるばるロンドンまでやってきた。目的は身代金目当ての誘拐だったが、彼の目の前に現れたのは、ギャングの親玉シーゲッラ。彼もまたミランダ誘拐を企み、レミーに協力を持ちかける。だが、そこへさらに対立するグループが現れ……。
ハメットによって誕生したハードボイルドは、多くの追従者や模倣者を生むわけだが、その影響の仕方もさまざまである。
例えばチェイニーの場合、その興味は専ら暴力による抗争や男女の機微に向けられているように思える。要は、ハードボイルでもとりわけわかりやすく楽しめる要素、すなわちアクションやスリル、お色気、粋な会話などなど。これら単純に楽しめる部分だけをピックアップし、そこからストーリーやキャラクターを作り上げている印象だ。ま、当時のニーズに素直に応えているわけだから、ある意味、正当な進化ともいえる。
無論そんな話にミステリとしての感動を求めても仕方ないわけだが、ただ、一時の娯楽として見るなら、これがなかなか悪くない。ギャングの抗争や裏のかきあいが意外に複雑なのに、これをきちっとまとめて見せるところはお見事だし、主人公レミーをはじめとするキャラクター造型もいい。特にレミーを取り巻く美女たち。これが強烈な個性の悪女ばかりで、彼女たちの活躍?もまた要注目である。
終盤ではちょっとしたミステリ的仕掛けもあるし、軽ハードボイルドが好きな人なら騙されたと思ってお試しを。
チェイニーといえば、英国出身ながら一貫してアメリカ的なギャングの世界や犯罪者を描いたハードボイルド作家、というのが定着したイメージ。ところが本書の解説によると、泥棒ものやスパイものなど、思った以上に幅広い作風だったようだ。
だが、本書は1936年に発表された著者のデビュー作。作風が広がる前の、完全無敵な通俗ハードボイルドである。こんな話。
ニューヨークのギャングたちの間では、最近めきめき売り出し中と評判のレミー・コーション。その彼が資産家の遺産相続者ミランダのあとを追い、はるばるロンドンまでやってきた。目的は身代金目当ての誘拐だったが、彼の目の前に現れたのは、ギャングの親玉シーゲッラ。彼もまたミランダ誘拐を企み、レミーに協力を持ちかける。だが、そこへさらに対立するグループが現れ……。
ハメットによって誕生したハードボイルドは、多くの追従者や模倣者を生むわけだが、その影響の仕方もさまざまである。
例えばチェイニーの場合、その興味は専ら暴力による抗争や男女の機微に向けられているように思える。要は、ハードボイルでもとりわけわかりやすく楽しめる要素、すなわちアクションやスリル、お色気、粋な会話などなど。これら単純に楽しめる部分だけをピックアップし、そこからストーリーやキャラクターを作り上げている印象だ。ま、当時のニーズに素直に応えているわけだから、ある意味、正当な進化ともいえる。
無論そんな話にミステリとしての感動を求めても仕方ないわけだが、ただ、一時の娯楽として見るなら、これがなかなか悪くない。ギャングの抗争や裏のかきあいが意外に複雑なのに、これをきちっとまとめて見せるところはお見事だし、主人公レミーをはじめとするキャラクター造型もいい。特にレミーを取り巻く美女たち。これが強烈な個性の悪女ばかりで、彼女たちの活躍?もまた要注目である。
終盤ではちょっとしたミステリ的仕掛けもあるし、軽ハードボイルドが好きな人なら騙されたと思ってお試しを。
うかつにもニュースを見落としていたのだが、洋画家の勝呂忠氏が3月15日に亡くなったらしい。もちろん、あのポケミスの表紙を、長年にわたって手がけてきた勝呂忠氏のことだ。素人には理解しにくい抽象画ではあるが、ファンにはあの暗い絵がそのままポケミスのイメージでもあることは言うまでもない。表紙の役目が、読者の目を惹き、その内容をイメージとして伝えることであるとするならば、氏の作風はまったくそれとは真逆を目指すようにも思えるのだが、だからこそ唯一無二の存在たるポケミスの顔として採用されたのかもしれない。
長い間、本当にお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
あんまり嬉しくないつながりだが、『ハヤカワミステリ』の最新号ではロバート・B・パーカーの追悼特集をやっている。恥ずかしながらツイッターで「ミステリマガジンでパーカーの追悼特集やってやって」と編集長につぶやいたほどなので、これは当然買いである。というか、どうせ毎月買ってるんだけど。
で、この収録短編がなかなか面白いのだ。オーディオブックの販売サイト用に書いた掌編とか、ミステリ専門書店が企画した小冊子に掲載されたスペンサーの自分語りとか、ハーバード大学のアメフト雑誌が発行した定例戦のプログラムに載ったものだとか、珍品ばかりを集めている、他にもスペンサーもののドラマ用シナリオとか、前作ミニコメ付きの著作目録とか、充実の仕上がり。お見それしました。
なお、これも嬉しくないつながりだが、来月はディック・フランシスの追悼特集とのこと。
長い間、本当にお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
あんまり嬉しくないつながりだが、『ハヤカワミステリ』の最新号ではロバート・B・パーカーの追悼特集をやっている。恥ずかしながらツイッターで「ミステリマガジンでパーカーの追悼特集やってやって」と編集長につぶやいたほどなので、これは当然買いである。というか、どうせ毎月買ってるんだけど。
で、この収録短編がなかなか面白いのだ。オーディオブックの販売サイト用に書いた掌編とか、ミステリ専門書店が企画した小冊子に掲載されたスペンサーの自分語りとか、ハーバード大学のアメフト雑誌が発行した定例戦のプログラムに載ったものだとか、珍品ばかりを集めている、他にもスペンサーもののドラマ用シナリオとか、前作ミニコメ付きの著作目録とか、充実の仕上がり。お見それしました。
なお、これも嬉しくないつながりだが、来月はディック・フランシスの追悼特集とのこと。
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本多猪四郎『キングコング対ゴジラ』
書店で見かけ、もう出たのかとビックリしたのがクロフツ 『フレンチ警部と毒蛇の謎』。隣にあった同じく創元推理文庫のコニス・リトル『まちがいだらけのハネムーン』、さらには『ミステリマガジン』の今月号もいっしょにひっ掴んでレジへ直行。
『フレンチ警部と毒蛇の謎』は皆様ご存じのとおりクロフツ最後の未訳長篇。これですべて邦訳が出そろったわけだが、そうは言っても今では絶版も多く、そうそう簡単に全作が読めるわけではない。ハヤカワ文庫は全滅だし、創元だって生きている作品はかなり少ないはずではなかったか。これで終わらせず、少なくとも『フレンチ警視最初の事件』ぐらいは復刻してもらいたいなぁ。
ちなみに創元からは、シャーロット・アームストロングの『風船を売る男』やディヴァインの『兄の殺人者』なんてものも近々予定されている。本邦初訳の『風船を売る男』はナイスだけれど、『兄の殺人者』は微妙。現代教養文庫版の復刊だがまだけっこう古本屋で見かけるし、それ出すぐらいならレオ・ブルースでも出してくれればいいのに。ま、ディヴァイン人気が好調なうちに、というのはわかるのだけれど。
創元の新刊といえば、『夜の試写会』と題して、リディア&ビルものの短編集も来月出るそうな。このシリーズ、ハードボイルドなんだけれど意外にハートウォーミングな物語が多くて、食わず嫌いの人にもぜひオススメしたい。長篇では語り手が一作ごとに交代するという趣向で、実に読ませます。あ、でもそう言いながら積ん読が二作ほどあったかも(爆)。
最後にもういっちょ創元の話題。ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』が新訳版で出るということで、これ自体は驚くほどの話でもないが、ギョッとしたのは東京創元社のサイトで「シリーズ新訳刊行スタート」と銘打っていること。というと、あれか、『誘拐~』やら『ウインター~』やら『グレイシー・アレン~』まで訳し直すのか。いったい何を考えているのだ創元。悪いけれど、さすがに12作すべてに需要があるとは思えない。それ出すぐらいならレオ・ブルースでも(以下略)。
東宝特撮DVDコレクションから『キングコング対ゴジラ』を観る。
これはいろんな意味で注目される作品で、まずは東宝創立30周年記念作品だということ。また、ゴジラ映画三作目にして初のカラー作品でもある。スタッフの意気込みも相当なものだったらしく、当時の東宝特撮スターを総動員し、アメリカからはわざわざキングコングという名優を拝借した(出演料は今の金額に置き換えると十億円ほどらしい)。狙いは時のプロレスブームを反映した、怪獣同士の対決である。
要は非常にお祭り色の強い作品なわけで、『モスラ』以後に派生した明るいコミカルな作風も効を奏したか、この作品は大ヒットを記録した。観客動員数は全ゴジラ映画最高の1255万人。観客動員数歴代10位の『崖の上のポニョ』が1270万人ということだから、その人気ぶりがわかるというものだ。
ただ、幸か不幸か、この作品の大成功は、その後のゴジラ映画の路線を決定づけてしまった。
すなわち明るく楽しい怪獣プロレスである。
ま、そういう怪獣家画があってもいいんだけれど、それは別の怪獣にやってほしかった。せっかくシリアスなホラータッチの社会派怪獣映画としてスタートしたゴジラを、なぜこういうふうに扱ったのか、それが悲しい。
さて、本編に話を戻すと、とにかくストーリーのお気楽さというか、御都合主義のひどさは、いま観るとかなり辛い。ええ、なんでそうなるの? みたいなシーンが目白押し。
それでもゴジラやキングコングが登場するまでは、まだオーソドックスに雰囲気を盛り上げてくれるのだが、二匹が対決する辺りから個人的にはもう駄目。というか対決する必然性すらない。また、人間たちがコミカルな演技を見せるのはいいとしても、怪獣にそれをやらせる時点で萎えてしまう。人間の愚かさ、核の恐怖を具現化して見せた荒ぶる神としての存在は、もはやそこにはない。
実は本作、ゴジラシリーズの中でも屈指の人気作である。実際、自分も子供の頃に観たインパクトはかなり強烈だったのだが、ううむ、本作だけは思い出のままにしておいた方がよかったのかなぁ(苦笑)。
『フレンチ警部と毒蛇の謎』は皆様ご存じのとおりクロフツ最後の未訳長篇。これですべて邦訳が出そろったわけだが、そうは言っても今では絶版も多く、そうそう簡単に全作が読めるわけではない。ハヤカワ文庫は全滅だし、創元だって生きている作品はかなり少ないはずではなかったか。これで終わらせず、少なくとも『フレンチ警視最初の事件』ぐらいは復刻してもらいたいなぁ。
ちなみに創元からは、シャーロット・アームストロングの『風船を売る男』やディヴァインの『兄の殺人者』なんてものも近々予定されている。本邦初訳の『風船を売る男』はナイスだけれど、『兄の殺人者』は微妙。現代教養文庫版の復刊だがまだけっこう古本屋で見かけるし、それ出すぐらいならレオ・ブルースでも出してくれればいいのに。ま、ディヴァイン人気が好調なうちに、というのはわかるのだけれど。
創元の新刊といえば、『夜の試写会』と題して、リディア&ビルものの短編集も来月出るそうな。このシリーズ、ハードボイルドなんだけれど意外にハートウォーミングな物語が多くて、食わず嫌いの人にもぜひオススメしたい。長篇では語り手が一作ごとに交代するという趣向で、実に読ませます。あ、でもそう言いながら積ん読が二作ほどあったかも(爆)。
最後にもういっちょ創元の話題。ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』が新訳版で出るということで、これ自体は驚くほどの話でもないが、ギョッとしたのは東京創元社のサイトで「シリーズ新訳刊行スタート」と銘打っていること。というと、あれか、『誘拐~』やら『ウインター~』やら『グレイシー・アレン~』まで訳し直すのか。いったい何を考えているのだ創元。悪いけれど、さすがに12作すべてに需要があるとは思えない。それ出すぐらいならレオ・ブルースでも(以下略)。
東宝特撮DVDコレクションから『キングコング対ゴジラ』を観る。
これはいろんな意味で注目される作品で、まずは東宝創立30周年記念作品だということ。また、ゴジラ映画三作目にして初のカラー作品でもある。スタッフの意気込みも相当なものだったらしく、当時の東宝特撮スターを総動員し、アメリカからはわざわざキングコングという名優を拝借した(出演料は今の金額に置き換えると十億円ほどらしい)。狙いは時のプロレスブームを反映した、怪獣同士の対決である。
要は非常にお祭り色の強い作品なわけで、『モスラ』以後に派生した明るいコミカルな作風も効を奏したか、この作品は大ヒットを記録した。観客動員数は全ゴジラ映画最高の1255万人。観客動員数歴代10位の『崖の上のポニョ』が1270万人ということだから、その人気ぶりがわかるというものだ。
ただ、幸か不幸か、この作品の大成功は、その後のゴジラ映画の路線を決定づけてしまった。
すなわち明るく楽しい怪獣プロレスである。
ま、そういう怪獣家画があってもいいんだけれど、それは別の怪獣にやってほしかった。せっかくシリアスなホラータッチの社会派怪獣映画としてスタートしたゴジラを、なぜこういうふうに扱ったのか、それが悲しい。
さて、本編に話を戻すと、とにかくストーリーのお気楽さというか、御都合主義のひどさは、いま観るとかなり辛い。ええ、なんでそうなるの? みたいなシーンが目白押し。
それでもゴジラやキングコングが登場するまでは、まだオーソドックスに雰囲気を盛り上げてくれるのだが、二匹が対決する辺りから個人的にはもう駄目。というか対決する必然性すらない。また、人間たちがコミカルな演技を見せるのはいいとしても、怪獣にそれをやらせる時点で萎えてしまう。人間の愚かさ、核の恐怖を具現化して見せた荒ぶる神としての存在は、もはやそこにはない。
実は本作、ゴジラシリーズの中でも屈指の人気作である。実際、自分も子供の頃に観たインパクトはかなり強烈だったのだが、ううむ、本作だけは思い出のままにしておいた方がよかったのかなぁ(苦笑)。
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ジョー・ゴアズ『スペード&アーチャー探偵事務所』(早川書房)
ジョー・ゴアズの『スペード&アーチャー探偵事務所』を読む。あの『マルタの鷹』の前日譚であり、ゴアズがハメットの遺族の依頼に応じて書いたものだ。
ゴアズといえば何といってもあの『ハメット』を書いた作者だし、非常にハメットに対して造詣が深いことは知られているので、それほどひどいものにはならないだろうと思っていたが、いやあ、ここまで見事にやってくれるとは。
先日観た映画の『シャーロック・ホームズ』じゃないけれど、パロディだろうがパスティーシュだろうが、原典があるものに対してそれを発展させる仕事というのは、難しい仕事であることに変わりはない。どうあがいてもオリジナリティという点では原典を超えることができず、労多くして……という結果になるのは容易に想像できる。ゴアズだってどれだけいいものを書いても、ハメットを超えることは不可能だ。ハメットは単に傑作を書いただけでなく、ひとつのジャンルを確立させた男なのだ。
それでもゴアズはできる範囲で最高の仕事をやったように思う。
もっとも感心したのは、主要な登場人物の肉付けだ。『マルタの鷹』は意外に不明な点も多い作品で、例えばアーチャーとスペードがどのように事務所を協同でやることになったか? そもそも二人はどういう関係なのか? また、アイヴァとスペードの不倫関係はどのようなものだったのか? 秘書のエフィはなぜ『マルタの鷹』でああもブリジッドをかばったのか?などなど。ゴアズはしっかりと登場人物を描きこむことで、そういういくつかの疑問をかなりのところで解消してくれる。
ストーリーはもう練りに練った感じ。三部構成の連作形式にして、レギュラー格の人物が少しずつ顔を出すやり方もうまくて、第一部はお世辞抜きでページをめくる手が止まらない。常套手段ではあるが、『マルタの鷹』にあるエピソードを、効果的に利用しているのもさすが。特にフリットクラフトをまともに取り上げたのはちょっと驚いてしまった。
そしてラストシーンは、そのまま『マルタの鷹』のオープニング。若干予想はしていたが、これは心憎い演出である。
ハメットの熱烈なマニアやファンはどういうか知らないが、いや個人的には十分にハメットの世界を堪能させてもらえる一冊であった。
ゴアズといえば何といってもあの『ハメット』を書いた作者だし、非常にハメットに対して造詣が深いことは知られているので、それほどひどいものにはならないだろうと思っていたが、いやあ、ここまで見事にやってくれるとは。
先日観た映画の『シャーロック・ホームズ』じゃないけれど、パロディだろうがパスティーシュだろうが、原典があるものに対してそれを発展させる仕事というのは、難しい仕事であることに変わりはない。どうあがいてもオリジナリティという点では原典を超えることができず、労多くして……という結果になるのは容易に想像できる。ゴアズだってどれだけいいものを書いても、ハメットを超えることは不可能だ。ハメットは単に傑作を書いただけでなく、ひとつのジャンルを確立させた男なのだ。
それでもゴアズはできる範囲で最高の仕事をやったように思う。
もっとも感心したのは、主要な登場人物の肉付けだ。『マルタの鷹』は意外に不明な点も多い作品で、例えばアーチャーとスペードがどのように事務所を協同でやることになったか? そもそも二人はどういう関係なのか? また、アイヴァとスペードの不倫関係はどのようなものだったのか? 秘書のエフィはなぜ『マルタの鷹』でああもブリジッドをかばったのか?などなど。ゴアズはしっかりと登場人物を描きこむことで、そういういくつかの疑問をかなりのところで解消してくれる。
ストーリーはもう練りに練った感じ。三部構成の連作形式にして、レギュラー格の人物が少しずつ顔を出すやり方もうまくて、第一部はお世辞抜きでページをめくる手が止まらない。常套手段ではあるが、『マルタの鷹』にあるエピソードを、効果的に利用しているのもさすが。特にフリットクラフトをまともに取り上げたのはちょっと驚いてしまった。
そしてラストシーンは、そのまま『マルタの鷹』のオープニング。若干予想はしていたが、これは心憎い演出である。
ハメットの熱烈なマニアやファンはどういうか知らないが、いや個人的には十分にハメットの世界を堪能させてもらえる一冊であった。
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ガイ・リッチー『シャーロック・ホームズ』
第一回翻訳ミステリー大賞贈呈式&コンベンションが無事に終了したようで。ちなみに大賞はドン・ウィンズロウの『犬の力』。順当と言えば順当だが、絶対注目作の『ミレニアム』を退けての受賞はやはり興味深い。この結果は一応、今後の大賞の方向性を決定づけるはずだが、さて来年はどうなるか。
ちなみにノミネートから作品を絞っていく形も悪くはないんだが、サプライズという意味ではどうしても落ちる。いきなり発表ではだめなのかしら。
ま、そんなことより来年は何とか参加してみたいもんだなぁ。
テレビニュースでも被害状況を報道していたが、昨日の突風はいったい何だったのか。夜中に風で目が覚めるなんて台風でもそうそうないぞ。
朝、おそるおそる外へ出てみたら、玄関脇に置いてあったポリバケツや庭用具がその辺に転がってるし、自転車は倒れてるし。何より一番ビックリしたのは3mぐらいある植木が倒れていたこと。しかも門の金具にビニールの紐で固定していたというのに。ま、場所によっては電柱も倒れたらしいから、これぐらいで済んでよかったのか。
ガイ・リッチー監督による『シャーロック・ホームズ』を観にいってきた。気になるキャストはホームズにロバート・ダウニーJr.、ワトスンにジュード・ロウという布陣。
制作者サイドは、これが忠実なホームズ映画なんて言っているけど、そういうのは宣伝文句だから話半分に聞いておく方が吉。ロバート・ダウニーJr.を起用した時点で、原典に忠実なホームズ映画を作る気がないのは百も承知。そもそもグラナダホームズがある以上、シリアスに作ってこれを越えるのは並大抵のことではない。彼らにできるのはシャーロキアンの顰蹙を買いつつも、どこまで自分たちのホームズ物語を提案し、面白い映画にしてくれるか、である。ま、想像ですけど(笑)。
さて実際に観た感想だが、これがけっこう楽しめてしまった。
あちらこちらで書かれているとおり、ま、欠点はいろいろある。
その最たるものは事件のトリックが、非常に地味というかちゃちいこと。
百歩譲ってトリックがちゃちいのは許すとしても、ラストでせっかく謎解きシーンがあるのに、全然ロジカルでないからミステリとしての醍醐味はほぼ皆無。最悪、トリックはしょぼくてもいいから、ラストで何らかのサプライズは欲しかった。
また、やはりホームズのキャラがあまりに違いすぎるのは気になる。冷徹なホームズのイメージが、何ともセクシーで愛嬌あるアンちゃんになってしまったのは、気になる人は気になるだろう。ただ、これに関しては、それを承知で観にいっているわけだから、個人的には実は文句がない。
嫌だったのはそのセクシーなホームズ像をワトスンとのBL的演出に絡めてしまったこと。アイリーン・アドラーとの恋愛は全然いいけれど、さすがにこっちの路線は余計だ。そういう興味で観る人がいるのはかまわないが、作り手がそれを意識すると下品なだけである。
ちょっと話はそれるが、いわゆる「バカミス」も作者が意識して書くバカミスは、本来、バカミスの定義から外れると思うし、あまり好きな風潮ではない。
とまあ、欠点だけでけっこう長々と書いてしまったが、それでもこの映画は嫌いではない。
最低限の設定というか世界観を守りつつ、そのなかで上質のエンターテインメントを目指していることはわかる。英国の冒険ものの流れをちゃんと受け継いでおり、アクションありユーモアありでバランスがいい。例えていうと007が近いか。舞台こそ19世紀末のロンドンだが、その時代を巧みに用いて近未来アクション映画を作っているイメージ。
演出も悪くない。特にホームズが観察&推理したうえで、それを実行するという見せ方は気に入った。あれをアクションだけではなく、普通の推理シーンでやってくれればもっと良かったのだが。難しそうだけど。
キャラクターもいいぞ。ダウニーだってホームズだと思わなければ、非常に魅力的だし、堅物ワトスンとの対比もいい。ちなみにキャストで一番はまっていると思ったのが、このワトスン。
レイチェル・マクアダムスのアドラーは小悪魔的イメージが強く出過ぎていて、もう少し大人びた感じの方がイメージではないだろうか。ケリー・ライリーのメアリーはどんぴしゃ。レストレード警部はもう少し細身の感じじゃないかな。ま、この辺は個人的なイメージなのであまり真面目に受け止めないでくだされ。
あと、衣装やロンドンの町並みの再現も○。
結局、ホームズの映画化という部分さえ気にしなければ(それが一番大事じゃんという話もあるけれど)、これはこれであり。上で007と書いたけれど、こういうテイストってけっこうあるよね。『ルパン3世』とか『パイレーツ・オブ・カリビアン』とか。
つまり成功するエンターテインメントの必要条件を、この映画もまたある程度はなぞっているということ。過大な期待をかけない、シャーロキアンは粗探しをしない、この二点を守っていただければ、普通に楽しめる映画である。
最近のヒーローもの映画におなじみの、「ラストでとりあえず次作への伏線」もしっかりあるので、興行成績がよければパート2ももちろん作るはず。この伏線だったら、次作こそぜひ観てみたいものだが。
ちなみにノミネートから作品を絞っていく形も悪くはないんだが、サプライズという意味ではどうしても落ちる。いきなり発表ではだめなのかしら。
ま、そんなことより来年は何とか参加してみたいもんだなぁ。
テレビニュースでも被害状況を報道していたが、昨日の突風はいったい何だったのか。夜中に風で目が覚めるなんて台風でもそうそうないぞ。
朝、おそるおそる外へ出てみたら、玄関脇に置いてあったポリバケツや庭用具がその辺に転がってるし、自転車は倒れてるし。何より一番ビックリしたのは3mぐらいある植木が倒れていたこと。しかも門の金具にビニールの紐で固定していたというのに。ま、場所によっては電柱も倒れたらしいから、これぐらいで済んでよかったのか。
ガイ・リッチー監督による『シャーロック・ホームズ』を観にいってきた。気になるキャストはホームズにロバート・ダウニーJr.、ワトスンにジュード・ロウという布陣。
制作者サイドは、これが忠実なホームズ映画なんて言っているけど、そういうのは宣伝文句だから話半分に聞いておく方が吉。ロバート・ダウニーJr.を起用した時点で、原典に忠実なホームズ映画を作る気がないのは百も承知。そもそもグラナダホームズがある以上、シリアスに作ってこれを越えるのは並大抵のことではない。彼らにできるのはシャーロキアンの顰蹙を買いつつも、どこまで自分たちのホームズ物語を提案し、面白い映画にしてくれるか、である。ま、想像ですけど(笑)。
さて実際に観た感想だが、これがけっこう楽しめてしまった。
あちらこちらで書かれているとおり、ま、欠点はいろいろある。
その最たるものは事件のトリックが、非常に地味というかちゃちいこと。
百歩譲ってトリックがちゃちいのは許すとしても、ラストでせっかく謎解きシーンがあるのに、全然ロジカルでないからミステリとしての醍醐味はほぼ皆無。最悪、トリックはしょぼくてもいいから、ラストで何らかのサプライズは欲しかった。
また、やはりホームズのキャラがあまりに違いすぎるのは気になる。冷徹なホームズのイメージが、何ともセクシーで愛嬌あるアンちゃんになってしまったのは、気になる人は気になるだろう。ただ、これに関しては、それを承知で観にいっているわけだから、個人的には実は文句がない。
嫌だったのはそのセクシーなホームズ像をワトスンとのBL的演出に絡めてしまったこと。アイリーン・アドラーとの恋愛は全然いいけれど、さすがにこっちの路線は余計だ。そういう興味で観る人がいるのはかまわないが、作り手がそれを意識すると下品なだけである。
ちょっと話はそれるが、いわゆる「バカミス」も作者が意識して書くバカミスは、本来、バカミスの定義から外れると思うし、あまり好きな風潮ではない。
とまあ、欠点だけでけっこう長々と書いてしまったが、それでもこの映画は嫌いではない。
最低限の設定というか世界観を守りつつ、そのなかで上質のエンターテインメントを目指していることはわかる。英国の冒険ものの流れをちゃんと受け継いでおり、アクションありユーモアありでバランスがいい。例えていうと007が近いか。舞台こそ19世紀末のロンドンだが、その時代を巧みに用いて近未来アクション映画を作っているイメージ。
演出も悪くない。特にホームズが観察&推理したうえで、それを実行するという見せ方は気に入った。あれをアクションだけではなく、普通の推理シーンでやってくれればもっと良かったのだが。難しそうだけど。
キャラクターもいいぞ。ダウニーだってホームズだと思わなければ、非常に魅力的だし、堅物ワトスンとの対比もいい。ちなみにキャストで一番はまっていると思ったのが、このワトスン。
レイチェル・マクアダムスのアドラーは小悪魔的イメージが強く出過ぎていて、もう少し大人びた感じの方がイメージではないだろうか。ケリー・ライリーのメアリーはどんぴしゃ。レストレード警部はもう少し細身の感じじゃないかな。ま、この辺は個人的なイメージなのであまり真面目に受け止めないでくだされ。
あと、衣装やロンドンの町並みの再現も○。
結局、ホームズの映画化という部分さえ気にしなければ(それが一番大事じゃんという話もあるけれど)、これはこれであり。上で007と書いたけれど、こういうテイストってけっこうあるよね。『ルパン3世』とか『パイレーツ・オブ・カリビアン』とか。
つまり成功するエンターテインメントの必要条件を、この映画もまたある程度はなぞっているということ。過大な期待をかけない、シャーロキアンは粗探しをしない、この二点を守っていただければ、普通に楽しめる映画である。
最近のヒーローもの映画におなじみの、「ラストでとりあえず次作への伏線」もしっかりあるので、興行成績がよければパート2ももちろん作るはず。この伏線だったら、次作こそぜひ観てみたいものだが。
半休をとって午前中は警察署へ運転免許の更新に出かける。最初に暗証番号を登録したり、本籍が免許に印刷されなかったり、その代わりにチップ内蔵されたりと、いやあ免許もずいぶん様変わりしている。ただし担当職員の横柄さは相変わらず。民間でいまどきあんな接客していたら、即、首が飛ぶんだけどな。
その一方で、免許の更新を受けにくる人の中にも数々の強者が。
何がすごいって、年配の方の二人に一人は視力検査でトラブっている。「おいおいその状態で今まで運転してたのかよ」と、心の中でツッコミまくる。中には運転はしないけれど身分証明書用として更新している人もいるのだろうが、うう、それにしてもデンジャラスだ。
最悪だったのは、窓口で押し問答をしている人。こういうのって横で聞いていると大体の事情はわかるものだが、とにかくまったく意味不明。警察官との会話が本当に支離滅裂で何を言っているのかまったくわからないのである。まるで酔っぱらいか●ちがいレベルで、本当にこういう人が運転しているのかと思うと恐ろしい限り。正しく交通戦争。
いやまったく、いろいろな意味で車間距離は必要であると思った一日であった。
先週末から映画の『シャーロック・ホームズ』が公開されている。ネットでの評判をいくつかのぞいてみたが、いまひとつ煮えきらない感じの感想が多く、わかっちゃいたけど少し悲しい。それでも今週末にはたぶん観にいくだろうけど。
『ROM134号』到着。PCが吹っ飛んだということらしく、今回はいつにない薄さ。でもいいんです。今時こういう同人誌を作っていただけるだけでありがたい。特にここのところは野村氏の中島河太郎に関する連載評論がめっぽう面白くて、こんなの他じゃ読めませんよホント。
会費ぐらいしか協力できないのだけれど、ぜひぜひ末永く続いてほしいものである。
ただいま『スペード&アーチャー探偵事務所」を』読書中。ジョー・ゴアズが遺族の依頼を請けて書いたという『マルタの鷹』の前日譚。まだ半分弱といったところだが、予想以上にいい。
うむ、今日はなんだかツイッターみたいな日記になってしまった(苦笑)。
その一方で、免許の更新を受けにくる人の中にも数々の強者が。
何がすごいって、年配の方の二人に一人は視力検査でトラブっている。「おいおいその状態で今まで運転してたのかよ」と、心の中でツッコミまくる。中には運転はしないけれど身分証明書用として更新している人もいるのだろうが、うう、それにしてもデンジャラスだ。
最悪だったのは、窓口で押し問答をしている人。こういうのって横で聞いていると大体の事情はわかるものだが、とにかくまったく意味不明。警察官との会話が本当に支離滅裂で何を言っているのかまったくわからないのである。まるで酔っぱらいか●ちがいレベルで、本当にこういう人が運転しているのかと思うと恐ろしい限り。正しく交通戦争。
いやまったく、いろいろな意味で車間距離は必要であると思った一日であった。
先週末から映画の『シャーロック・ホームズ』が公開されている。ネットでの評判をいくつかのぞいてみたが、いまひとつ煮えきらない感じの感想が多く、わかっちゃいたけど少し悲しい。それでも今週末にはたぶん観にいくだろうけど。
『ROM134号』到着。PCが吹っ飛んだということらしく、今回はいつにない薄さ。でもいいんです。今時こういう同人誌を作っていただけるだけでありがたい。特にここのところは野村氏の中島河太郎に関する連載評論がめっぽう面白くて、こんなの他じゃ読めませんよホント。
会費ぐらいしか協力できないのだけれど、ぜひぜひ末永く続いてほしいものである。
ただいま『スペード&アーチャー探偵事務所」を』読書中。ジョー・ゴアズが遺族の依頼を請けて書いたという『マルタの鷹』の前日譚。まだ半分弱といったところだが、予想以上にいい。
うむ、今日はなんだかツイッターみたいな日記になってしまった(苦笑)。
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コッパード『天来の美酒/消えちゃった』(光文社古典新訳文庫)
小説好きの裏をかくようなラインナップ。そんなイメージが定着した光文社の古典新訳文庫から、アルフレッド・エドガー・コッパードの『天来の美酒/消えちゃった』を読む。これもよく出せたな、という一冊である。
そもそもコッパードと言えば、ジャンル的には一応、幻想小説や恐怖小説の範疇。既刊本としては国書刊行会の『郵便局と蛇』があるのみで、その他で読めるものは創元推理文庫の『恐怖の愉しみ』をはじめとしたアンソロジーや雑誌程度、それも大半は絶版品切れだ。当然ながら一般的知名度はずいぶん落ちると思っていたのだが、ネット上で見たかぎりでは意外にファンは多いようである。
まあ、その理由は想像できないこともない。コッパードはあくまでコッパードであり、他の作家には代えられない魅力がある。
小説作法は独学で身につけたということで、小説としては粗っぽかったり平易すぎたりといったマイナスの印象も受ける。それらは時として、意味不明なユーモアだったり、読み手を煙に巻いたりもするのだが、これらを(おそらく)計算尽くでやっていないところが最大の武器だろう。「え、それで?」と思わせる作品こそがコッパードの真骨頂であり、型にはまらない良さがあるのだ。そして、その積み重ねの中に人生の真理が見える。
表題作でもある「消えちゃった」などはその最たる作品。旅行者が文字通り消失するという出来事の裏に何があったのか、ハッキリした説明がまったくないところがミソ。結局、理由は何でもいいわけで、こういう日常に潜むエアポケットというか、怖さや不条理さが感じられればいいのだ。「ロッキーと差配人」の落としどころの奇妙さ、「おそろしい料理人」のやりすぎ感とラストシーンのギャップもそういう意味で◎。
いわゆる奇妙な味が好きな人なら絶対おすすめである。
Gone Away「消えちゃった」
Jove’s Nectar「天来の美酒」
Rocky and the Bailiff「ロッキーと差配人」
Old Martin「マーティンじいさん」
Dunky Fitlow「ダンキー・フィットロウ」
The Almanac Man「暦博士」
The Princess of Kingdom Gone「去りし王国の姫君」
The Martyrdom of Solomon「ソロモンの受難」
Father Raven「レイヴン牧師」
A Devil of a Cook「おそろしい料理人」
Ring the Bells of Heaven「天国の鐘を鳴らせ」
そもそもコッパードと言えば、ジャンル的には一応、幻想小説や恐怖小説の範疇。既刊本としては国書刊行会の『郵便局と蛇』があるのみで、その他で読めるものは創元推理文庫の『恐怖の愉しみ』をはじめとしたアンソロジーや雑誌程度、それも大半は絶版品切れだ。当然ながら一般的知名度はずいぶん落ちると思っていたのだが、ネット上で見たかぎりでは意外にファンは多いようである。
まあ、その理由は想像できないこともない。コッパードはあくまでコッパードであり、他の作家には代えられない魅力がある。
小説作法は独学で身につけたということで、小説としては粗っぽかったり平易すぎたりといったマイナスの印象も受ける。それらは時として、意味不明なユーモアだったり、読み手を煙に巻いたりもするのだが、これらを(おそらく)計算尽くでやっていないところが最大の武器だろう。「え、それで?」と思わせる作品こそがコッパードの真骨頂であり、型にはまらない良さがあるのだ。そして、その積み重ねの中に人生の真理が見える。
表題作でもある「消えちゃった」などはその最たる作品。旅行者が文字通り消失するという出来事の裏に何があったのか、ハッキリした説明がまったくないところがミソ。結局、理由は何でもいいわけで、こういう日常に潜むエアポケットというか、怖さや不条理さが感じられればいいのだ。「ロッキーと差配人」の落としどころの奇妙さ、「おそろしい料理人」のやりすぎ感とラストシーンのギャップもそういう意味で◎。
いわゆる奇妙な味が好きな人なら絶対おすすめである。
Gone Away「消えちゃった」
Jove’s Nectar「天来の美酒」
Rocky and the Bailiff「ロッキーと差配人」
Old Martin「マーティンじいさん」
Dunky Fitlow「ダンキー・フィットロウ」
The Almanac Man「暦博士」
The Princess of Kingdom Gone「去りし王国の姫君」
The Martyrdom of Solomon「ソロモンの受難」
Father Raven「レイヴン牧師」
A Devil of a Cook「おそろしい料理人」
Ring the Bells of Heaven「天国の鐘を鳴らせ」
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高木彬光『乱歩・正史・風太郎』(出版芸術社)
高木彬光の『乱歩・正史・風太郎』を読む。
題名どおり、江戸川乱歩や溝正史、山田風太郎との思い出や交友録が中心のエッセイ集である。編者・山前氏のまえがきによると、著者は書き下ろしでこれをやりたいのだと生前に語っていたらしいが、体調が優れず結局は叶わぬ夢となった。その夢をあらためて形にしたものが本書。
もちろんそういう事情なので、収録エッセイは発表済みのものばかりではあるが、個人全集の月報として書かれたものなど、今ではそうそう読めないものも収録されているので、やはり探偵小説ファンには貴重な一冊と言えるだろう。なんせ語る方も語られる方も日本探偵小説界屈指のビッグネーム。本書はそのままある時期の日本探偵小説史を語る内容にもなっているのだ。
著者は「一見、常識人だが、本質的には変人」と乱歩に評されたという。しかしながら本書を読むと、その語り口から浮かぶのはやはり真面目で誠実な人柄である。正反対の性格である山田風太郎とは、確かにいいコンビだったのだろう。
個人的にはここ数年、ほとんど高木彬光の作品は読んでいないのだが、これをきっかけにまた読んでみるのもいいなぁ。角川をコンプリートするという楽しみもできるし>結局、それがやりたいのか(笑)
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藤雪夫、藤桂子『黒水仙』(創元推理文庫)
もう春なのかと思っていたら、いきなり霙や雪の波状攻撃。明日の朝が心配だ。
本日の読了本は藤雪夫と藤桂子の親娘コンビによる第二作『黒水仙』。先日読んだ『獅子座』が思いのほか良かったので、早々にとりかかった次第。なお、本作執筆中に藤雪夫は亡くなり、娘の桂子が残りを独力で完成させたものだという。こんな話。
宮城県のとある銀行で行員が射殺されているのが発見された。しかも一緒にいたはずの支店長の姿はなく、その日預けられていた一億円も消えているではないか。奇妙なことに、殺された行員の口には黒い水仙の刺繍が入ったハンカチが押し込まれていた。やがて支店長は崖下に転落した車の中から発見されるが、支店長もまた被害者であることがわかり……。
おおお、これもいいぞ。相変わらず辛気くさい内容ではあるけれど、読後の印象だけでいうと『獅子座』に優るとも劣らない。むしろ本作の方が上かも。
注目すべきはやはり人間ドラマの部分。『獅子座』と同様に、事件の背景にある真実、そしてそのために起こる悲劇には、実に引き込まれるものがある。本作では重要な登場人物に複数の親子が設定されているが、事件を語りつつその関係を対比させる手際はなかなか悪くない。
そして何より本作を忘れられなくしているのは、ある一人の特異な人物を生み出したこと。この人物があればこそ本作は光るわけで、この時代にこういうアイディアを導入した点は注目しておいてよいと思う。
なお、これらのドラマを生み出しているのは、執筆担当の藤桂子の力によるところらしい(藤雪夫はトリックやプロットの考案らしい)。ところが父、雪夫の教えでこういう物語る部分を疎かにしなかったという話があとがきで触れられており、なんだかいい話ではある。
ただ、ここまで褒めておいてなんだが、本作は一般的な意味でいう傑作とまではいかない。すぐれた点はあるのだが、欠点もまた『獅子座』と同様に抱えているからである。
それはとにもかくにもバランスの悪さ。ゲーム的なトリックの部分とドラマの部分が乖離しすぎて、非常にちぐはぐなのである。
例えば前作の暗号にあたるのは、本作では密室。普通はここまでやらんだろうというような、複雑かつ面白みのない物理的トリックで、種明かしされても全然感心できない。とはいえ本作がそういうゲームに徹した本格というのであればまだしも、上述のように人間ドラマにも力が入っているだけに始末が悪い。このあたりの粗をできるだけ削り落としていれば、本当の傑作になったのではないだろうか。
しかしながら、最初は藤雪夫&藤桂子名義のものだけ読もうと思っていたのだが、こうなると藤桂子の単独名義の方もちょっと読みたくなってきた。昼休みにでも少し探してみるか。
本日の読了本は藤雪夫と藤桂子の親娘コンビによる第二作『黒水仙』。先日読んだ『獅子座』が思いのほか良かったので、早々にとりかかった次第。なお、本作執筆中に藤雪夫は亡くなり、娘の桂子が残りを独力で完成させたものだという。こんな話。
宮城県のとある銀行で行員が射殺されているのが発見された。しかも一緒にいたはずの支店長の姿はなく、その日預けられていた一億円も消えているではないか。奇妙なことに、殺された行員の口には黒い水仙の刺繍が入ったハンカチが押し込まれていた。やがて支店長は崖下に転落した車の中から発見されるが、支店長もまた被害者であることがわかり……。
おおお、これもいいぞ。相変わらず辛気くさい内容ではあるけれど、読後の印象だけでいうと『獅子座』に優るとも劣らない。むしろ本作の方が上かも。
注目すべきはやはり人間ドラマの部分。『獅子座』と同様に、事件の背景にある真実、そしてそのために起こる悲劇には、実に引き込まれるものがある。本作では重要な登場人物に複数の親子が設定されているが、事件を語りつつその関係を対比させる手際はなかなか悪くない。
そして何より本作を忘れられなくしているのは、ある一人の特異な人物を生み出したこと。この人物があればこそ本作は光るわけで、この時代にこういうアイディアを導入した点は注目しておいてよいと思う。
なお、これらのドラマを生み出しているのは、執筆担当の藤桂子の力によるところらしい(藤雪夫はトリックやプロットの考案らしい)。ところが父、雪夫の教えでこういう物語る部分を疎かにしなかったという話があとがきで触れられており、なんだかいい話ではある。
ただ、ここまで褒めておいてなんだが、本作は一般的な意味でいう傑作とまではいかない。すぐれた点はあるのだが、欠点もまた『獅子座』と同様に抱えているからである。
それはとにもかくにもバランスの悪さ。ゲーム的なトリックの部分とドラマの部分が乖離しすぎて、非常にちぐはぐなのである。
例えば前作の暗号にあたるのは、本作では密室。普通はここまでやらんだろうというような、複雑かつ面白みのない物理的トリックで、種明かしされても全然感心できない。とはいえ本作がそういうゲームに徹した本格というのであればまだしも、上述のように人間ドラマにも力が入っているだけに始末が悪い。このあたりの粗をできるだけ削り落としていれば、本当の傑作になったのではないだろうか。
しかしながら、最初は藤雪夫&藤桂子名義のものだけ読もうと思っていたのだが、こうなると藤桂子の単独名義の方もちょっと読みたくなってきた。昼休みにでも少し探してみるか。
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本多猪四郎『地球防衛軍』
TwitterのTLを眺めてたら、先頃亡くなった翻訳家の「浅倉久志」氏を、「朝倉久志」と誤表記している書き込みの多さに憂えている記述を目にした。自分もけっこう後で間違いを見つけてはこっそり書き直すこともあるし、まあ他人事ではなく、ちょっとヒヤリとする。
ただ、書き込まれた方の心情は理解できるし、確かに失礼な話ではあるのだが、あまり神経質にならないほうがよいとは思う。それこそプロの作家やライター、あるいは出版社や書店のサイト等でも、著作者の誤表記はあるわけで、ましてや一般の方の書き込みにいちいち反応していては、精神衛生上もよろしくない(まあ、上に挙げたようなプロの方々はさすがにまずいとは思うが)。
特に日本語の場合、漢字の変換ミスというのがどうしても発生しやすい。とはいえ漢字の変換ミスならまだしも、海外の作家名などで「どうしたらこういうふうに間違えるの?」というケースもたまに目にする。
以前、某巨大掲示板で話題になったこともあったのだが、「ディクスン・カー」を「ディスクン・カー」とやる人がけっこう多いそうな。ディスクン。何だかゆるキャラっぽい響きでちょっとかわいい(苦笑)。ちなみにこれをダブルクォーテーションで挟んでググると(“ディスクン・カー”)、なんと16400件ヒットする。さらに正解の“ディクスン・カー”でググるとこちらは175000件。つまり大雑把にいうと十人に一人は間違っているという計算である。
先入観、思い込み、誤変換、まあいろいろ理由はあろうが、みなさんお互い気をつけましょうということで。
「東宝特撮映画DVDコレクション」から本多猪四郎監督による『地球防衛軍』を観る。
公開は1957年。地球侵略ものとしてはこの前年に『空飛ぶ円盤恐怖の襲撃』(新東宝)があるのだが、東宝特撮映画としてはこれが初。宇宙人や巨大ロボットが登場するものとしては日本でも初のはずだ。
ストーリーはかなりシンプル。宇宙の放浪者たる怪遊星人ミステリアンが富士山麓にドーム型基地を密かに建設し、そこを拠点に地球征服を企むというもの。対する人類は世界の科学者が協力して秘密兵器を開発し、これに対抗する。
科学至上主義に対する警告というテーマは、『ゴジラ』以来お馴染みのもではあるが、本作では比喩らしい比喩もなく、ストレートな主張に徹しているのが逆に新鮮か。ただ、テーマばかりかストーリーも極めてシンプルすぎるため、中盤以後はだれ気味。ミステリアンと人類の戦闘シーンが固定兵器中心のため、あまり動きがないのも厳しい。アクセントになるはずの巨大ロボット「モゲラ」が暴れるシーンも前半のみなのが悔やまれる(終盤でも登場するが、ギャグとしか思えない結末である意味ショック)。
サイドストーリーもあるにはあるが、今回はかなりとってつけたような設定なのもマイナス要素。平田昭彦演ずる科学者の意味合いが弱く、もう少しミステリアンとの関係性を説明してほしかった。正直、今まで観てきた東宝特撮の中ではかなり落ちるほうだろう。
ちなみに原作は丘美丈二郎。「佐門谷」とか「翡翠荘綺談」などで知られる戦前から活躍した探偵小説作家である。彼の原作に、潤色は香山滋、脚本は木村武という布陣なのに、このストーリーははないだろうという感じ。
『海底軍艦』につながるかのようなα号やβ号の造型、マーカライト・ファープ、モゲラなどなど兵器類のイメージは悪くないので、そちらに興味があるなら観ておきたい作品だが、ううむ、それだけにこのシナリオはもったいない。
ま、こんなこともあるさ。
ただ、書き込まれた方の心情は理解できるし、確かに失礼な話ではあるのだが、あまり神経質にならないほうがよいとは思う。それこそプロの作家やライター、あるいは出版社や書店のサイト等でも、著作者の誤表記はあるわけで、ましてや一般の方の書き込みにいちいち反応していては、精神衛生上もよろしくない(まあ、上に挙げたようなプロの方々はさすがにまずいとは思うが)。
特に日本語の場合、漢字の変換ミスというのがどうしても発生しやすい。とはいえ漢字の変換ミスならまだしも、海外の作家名などで「どうしたらこういうふうに間違えるの?」というケースもたまに目にする。
以前、某巨大掲示板で話題になったこともあったのだが、「ディクスン・カー」を「ディスクン・カー」とやる人がけっこう多いそうな。ディスクン。何だかゆるキャラっぽい響きでちょっとかわいい(苦笑)。ちなみにこれをダブルクォーテーションで挟んでググると(“ディスクン・カー”)、なんと16400件ヒットする。さらに正解の“ディクスン・カー”でググるとこちらは175000件。つまり大雑把にいうと十人に一人は間違っているという計算である。
先入観、思い込み、誤変換、まあいろいろ理由はあろうが、みなさんお互い気をつけましょうということで。
「東宝特撮映画DVDコレクション」から本多猪四郎監督による『地球防衛軍』を観る。
公開は1957年。地球侵略ものとしてはこの前年に『空飛ぶ円盤恐怖の襲撃』(新東宝)があるのだが、東宝特撮映画としてはこれが初。宇宙人や巨大ロボットが登場するものとしては日本でも初のはずだ。
ストーリーはかなりシンプル。宇宙の放浪者たる怪遊星人ミステリアンが富士山麓にドーム型基地を密かに建設し、そこを拠点に地球征服を企むというもの。対する人類は世界の科学者が協力して秘密兵器を開発し、これに対抗する。
科学至上主義に対する警告というテーマは、『ゴジラ』以来お馴染みのもではあるが、本作では比喩らしい比喩もなく、ストレートな主張に徹しているのが逆に新鮮か。ただ、テーマばかりかストーリーも極めてシンプルすぎるため、中盤以後はだれ気味。ミステリアンと人類の戦闘シーンが固定兵器中心のため、あまり動きがないのも厳しい。アクセントになるはずの巨大ロボット「モゲラ」が暴れるシーンも前半のみなのが悔やまれる(終盤でも登場するが、ギャグとしか思えない結末である意味ショック)。
サイドストーリーもあるにはあるが、今回はかなりとってつけたような設定なのもマイナス要素。平田昭彦演ずる科学者の意味合いが弱く、もう少しミステリアンとの関係性を説明してほしかった。正直、今まで観てきた東宝特撮の中ではかなり落ちるほうだろう。
ちなみに原作は丘美丈二郎。「佐門谷」とか「翡翠荘綺談」などで知られる戦前から活躍した探偵小説作家である。彼の原作に、潤色は香山滋、脚本は木村武という布陣なのに、このストーリーははないだろうという感じ。
『海底軍艦』につながるかのようなα号やβ号の造型、マーカライト・ファープ、モゲラなどなど兵器類のイメージは悪くないので、そちらに興味があるなら観ておきたい作品だが、ううむ、それだけにこのシナリオはもったいない。
ま、こんなこともあるさ。
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『刑事コロンボ/権力の墓穴』
昨日の「世界ふしぎ発見!」でシャーロック・ホームズ特集をやっていたが、元々あまり期待していなかったとはいえ、それにしてもしょぼかった。せっかくイギリスロケをやっているのに「これだけ?」という感じ。クイズもホームズと関係ないものばかりで、要はホームズではなくヴィクトリア王朝時代を紹介したかったのかなと。
しかし、世界一有名な探偵、ホームズをもってしてもこの程度だから、海外ミステリに対する世間様の認識は推して知るべし、といったところか。
そういえばもうすぐ映画も公開されるが、ヘタにマニアや関係者がしたり顔で「あれは意外と真のホームズ像に近いんだよ」なんて発言しないことを祈るばかり。知らない人は信じちゃうんだから。
相変わらず週末の天気が悪く、積んであるDVDの消化。シリーズ第二十五作目にあたる『刑事コロンボ/権力の墓穴』を観る。
犯人にコロンボの上司=警察本部の副部長を設定したことで、実にインパクトあるエピソードとして記憶される一作。犯行のきっかけが、隣人の偶発的な妻殺しによるものであり、そこから自分も妻殺しを思いつき、隣人にアリバイ工作をさせるというアイディアもいい。交換殺人ならず交換共犯というわけで、なかなか独創的だ。世評もけっこう高い作品である。
演出もよくて、冒頭の部分――知人の犯行のアリバイ工作に奔走する犯人が、仕上げに警察に通報するシーン――は実に巧い。予備知識無しでみた場合、視聴者はここで初めて犯人が警察官であることを知るわけである。
また、ラストのコロンボの仕掛けも実に鮮やか。あくまで演技を続ける犯人に対し、コロンボは執拗にひとつずつ説明を加え、そしてトドメのあれ。
このように本作はオープニングとエンディングがビシッと決まっているので、トータルの印象はすこぶる良い。それが世評の高さに影響していると思われるが、実は弱点もそれなりにあって、しかもこれがスルーできるほど小さい問題ではない。
一番の問題は、犯行時のアリバイ作りの杜撰さだろう。
副本部長自らがヘリコプターから犯行を目撃するという点。ヘリコプターまで使ってパトロールを強化するというのに、その日に泥棒がわざわざ凶行に及び、そればかりかヘリの前に身をさらけだすという点。肺を調べられればプールで死んだか風呂で死んだかわかりそうなものなのに、そこまで気が回らない点。素人ならいざ知らず、これをキャリア警察官が考えた筋書きとするところに難がある。
だから、犯人はコロンボの推理を論理的に潰すことが出来ず、ただ強引に窃盗犯の線に固執するのみ。あげくは地位を利用して、コロンボにまでそちらを担当させようとするから、余計に疑われる始末だ。これではコロンボの相手としてはいささか物足りない。結局、ラストでコロンボの仕掛けたワナにあっさりはまるわけだが、それも当然の結果だろう(苦笑)。
結論。水準には達しているし見るべきところも多く楽しめるが、犯人がいまいち。もう少し頭脳派だったらより緊張感も増し、大傑作になっただろうに。惜しい。
しかし、世界一有名な探偵、ホームズをもってしてもこの程度だから、海外ミステリに対する世間様の認識は推して知るべし、といったところか。
そういえばもうすぐ映画も公開されるが、ヘタにマニアや関係者がしたり顔で「あれは意外と真のホームズ像に近いんだよ」なんて発言しないことを祈るばかり。知らない人は信じちゃうんだから。
相変わらず週末の天気が悪く、積んであるDVDの消化。シリーズ第二十五作目にあたる『刑事コロンボ/権力の墓穴』を観る。
犯人にコロンボの上司=警察本部の副部長を設定したことで、実にインパクトあるエピソードとして記憶される一作。犯行のきっかけが、隣人の偶発的な妻殺しによるものであり、そこから自分も妻殺しを思いつき、隣人にアリバイ工作をさせるというアイディアもいい。交換殺人ならず交換共犯というわけで、なかなか独創的だ。世評もけっこう高い作品である。
演出もよくて、冒頭の部分――知人の犯行のアリバイ工作に奔走する犯人が、仕上げに警察に通報するシーン――は実に巧い。予備知識無しでみた場合、視聴者はここで初めて犯人が警察官であることを知るわけである。
また、ラストのコロンボの仕掛けも実に鮮やか。あくまで演技を続ける犯人に対し、コロンボは執拗にひとつずつ説明を加え、そしてトドメのあれ。
このように本作はオープニングとエンディングがビシッと決まっているので、トータルの印象はすこぶる良い。それが世評の高さに影響していると思われるが、実は弱点もそれなりにあって、しかもこれがスルーできるほど小さい問題ではない。
一番の問題は、犯行時のアリバイ作りの杜撰さだろう。
副本部長自らがヘリコプターから犯行を目撃するという点。ヘリコプターまで使ってパトロールを強化するというのに、その日に泥棒がわざわざ凶行に及び、そればかりかヘリの前に身をさらけだすという点。肺を調べられればプールで死んだか風呂で死んだかわかりそうなものなのに、そこまで気が回らない点。素人ならいざ知らず、これをキャリア警察官が考えた筋書きとするところに難がある。
だから、犯人はコロンボの推理を論理的に潰すことが出来ず、ただ強引に窃盗犯の線に固執するのみ。あげくは地位を利用して、コロンボにまでそちらを担当させようとするから、余計に疑われる始末だ。これではコロンボの相手としてはいささか物足りない。結局、ラストでコロンボの仕掛けたワナにあっさりはまるわけだが、それも当然の結果だろう(苦笑)。
結論。水準には達しているし見るべきところも多く楽しめるが、犯人がいまいち。もう少し頭脳派だったらより緊張感も増し、大傑作になっただろうに。惜しい。
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ダシール・ハメット『マルタの鷹』(ハヤカワ文庫)
あの名作、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』を読む。
久々の再読で、通算ではもう四回目ぐらいになるか。今回の再読のきっかけは、昨年暮れに早川書房から出たジョー・ゴアズの『スペード&アーチャー探偵事務所』。これがなんと『マルタの鷹』の前日譚というわけで、そのまま読んでも良いけれど、やはりここは予習を万全にしておこうということで。
ちなみに『マルタの鷹』を初めて読んだのは中学の頃だった。ミステリのガイドブックを参考に名作を次々と読んでいた頃で、どの本も本格の次はだいたいハードボイルドを紹介していたように思う。そこで登場するのがハメットの『マルタの鷹』で、とはいえトリックや意外な真相ばかりに目がいっていた中学生に、その魅力が理解できるはずもない。
個人的にハードボイルドや冒険小説の魅力に取り憑かれたのは、確か二十代前半。とっかかりはネオ・ハードボイルドの探偵たちだった。現代的にアレンジされた探偵たちの活躍は比較的入りやすく、それまでのミステリとはまったく違った価値観で構築されていることにようやく気がついた次第だ。その後、ハメットやチャンドラーも読み直しつつ、どっぷりとハードボイルドにはまる時代があり、今では結局ハードボイルドだろうが本格だろうが、もうミステリならなんでもという境地に至る(ただ、恥ずかしながらロスマクはあまり読めていない)
さて『マルタの鷹』。一応、いつものとおりストーリーから。
サム・スペードとマイルズ・アーチャーの共同経営する私立探偵事務所に、ある日、ワンダリーという女が訪ねてきた。妹の駆け落ち相手サーズビーを尾行して、妹の居所をつきとめてほしいというのだ。簡単そうに思えたその仕事を引き受けたアーチャーだが、彼はその夜、何者かに殺され、サーズビーもまた射殺される。アーチャー殺しの容疑をかけられたスペードは自らも捜査に乗り出すが、やがてその背後にある、黄金の鷹の像を巡る争いに巻き込まれてゆく……。
『マルタの鷹』の魅力は何といってもキャラクターの造型にあるわけだが、それを際だたせているのは、もちろんその文体である。人物の心理や著者の目から見た説明は加えず、客観的で簡潔な描写に徹している。
これは本来ハードボイルドすべてにおける必要要件だと思うのだが、意外ときっちり守られている作品は少なく、残念なかぎり。その点、本書はストーリー自体はシンプルなので読者は事実を追うことは出来るけれども、その裏にある真実を追うのは容易ではない。ま、これは登場人物のほとんどが信用できない者ばかりということもあるのだが。
よく勘違いされるが、男の生き方を描くとか、そういうものがハードボイルドなのではない。ハードボイルドはあくまで小説のスタイルを指すものであり、ハメットはそのスタイルで暴力の世界に生きるサム・スペードという男を描こうとしたのである。そしてそのスタイルは実にそのテーマに合っていたというべきだろう。
パートナーを殺された私立探偵としてのプライド、ラストでの真犯人の扱い、権力者や犯罪者とのやりとり、そして何より問題になるフリットクラフトのエピソード。これらを通してスペードという男が炙り出されてくる。そこに魅力があるのだ。
久々の再読で、通算ではもう四回目ぐらいになるか。今回の再読のきっかけは、昨年暮れに早川書房から出たジョー・ゴアズの『スペード&アーチャー探偵事務所』。これがなんと『マルタの鷹』の前日譚というわけで、そのまま読んでも良いけれど、やはりここは予習を万全にしておこうということで。
ちなみに『マルタの鷹』を初めて読んだのは中学の頃だった。ミステリのガイドブックを参考に名作を次々と読んでいた頃で、どの本も本格の次はだいたいハードボイルドを紹介していたように思う。そこで登場するのがハメットの『マルタの鷹』で、とはいえトリックや意外な真相ばかりに目がいっていた中学生に、その魅力が理解できるはずもない。
個人的にハードボイルドや冒険小説の魅力に取り憑かれたのは、確か二十代前半。とっかかりはネオ・ハードボイルドの探偵たちだった。現代的にアレンジされた探偵たちの活躍は比較的入りやすく、それまでのミステリとはまったく違った価値観で構築されていることにようやく気がついた次第だ。その後、ハメットやチャンドラーも読み直しつつ、どっぷりとハードボイルドにはまる時代があり、今では結局ハードボイルドだろうが本格だろうが、もうミステリならなんでもという境地に至る(ただ、恥ずかしながらロスマクはあまり読めていない)
さて『マルタの鷹』。一応、いつものとおりストーリーから。
サム・スペードとマイルズ・アーチャーの共同経営する私立探偵事務所に、ある日、ワンダリーという女が訪ねてきた。妹の駆け落ち相手サーズビーを尾行して、妹の居所をつきとめてほしいというのだ。簡単そうに思えたその仕事を引き受けたアーチャーだが、彼はその夜、何者かに殺され、サーズビーもまた射殺される。アーチャー殺しの容疑をかけられたスペードは自らも捜査に乗り出すが、やがてその背後にある、黄金の鷹の像を巡る争いに巻き込まれてゆく……。
『マルタの鷹』の魅力は何といってもキャラクターの造型にあるわけだが、それを際だたせているのは、もちろんその文体である。人物の心理や著者の目から見た説明は加えず、客観的で簡潔な描写に徹している。
これは本来ハードボイルドすべてにおける必要要件だと思うのだが、意外ときっちり守られている作品は少なく、残念なかぎり。その点、本書はストーリー自体はシンプルなので読者は事実を追うことは出来るけれども、その裏にある真実を追うのは容易ではない。ま、これは登場人物のほとんどが信用できない者ばかりということもあるのだが。
よく勘違いされるが、男の生き方を描くとか、そういうものがハードボイルドなのではない。ハードボイルドはあくまで小説のスタイルを指すものであり、ハメットはそのスタイルで暴力の世界に生きるサム・スペードという男を描こうとしたのである。そしてそのスタイルは実にそのテーマに合っていたというべきだろう。
パートナーを殺された私立探偵としてのプライド、ラストでの真犯人の扱い、権力者や犯罪者とのやりとり、そして何より問題になるフリットクラフトのエピソード。これらを通してスペードという男が炙り出されてくる。そこに魅力があるのだ。
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メアリー・ノートン『床下の小人たち』(岩波少年文庫)
読書力が低下しているため、本日は児童書でお茶を濁す。ものはメアリー・ノートンの『床下の小人たち』。
岩波少年文庫の一冊で英国ファンタジーの定番ともいえる作品だが、これがこの夏、ジブリで映画化されるというわけで(映画のタイトルは『借りぐらしのアリエッティ』)、ちょっと手を出してみた。
小人のアリエッティはお父さんのポッド、お母さんのホミリーとの三人暮らし。彼らは人間たちに見つからないよう、床下などに隠れ、人間の食べ物や道具をこっそり“借りて”暮らしを立てている。すなわち「借りぐらしや」。ところがそんなある日、アリエッティはその家の男の子に姿を見られてしまい……というお話。
ううむ、さすがジブリ。いい作品に目をつけたものだ。よくできたファンタジーがたいていそうであるように、本書もまた世界観がしっかりしている。
例えば小人たちは、小さな人間や妖精などではなく、あくまで「借りぐらしや」だ。だから人間はネズミや猫と同様にまったく別種の生き物。極端にいうと人間は「借りぐらしや」のためにある存在だと彼らは考えている。アリエッティは言う。
「そう、パンがバターのためにあるように」
このセリフ自体が、実に逆説に満ちているではないか。
「借りぐらしや」と人間は、大きさこそ違え、容姿は非常に似ている存在。だが、だからといってお互いを理解しているわけではなく、あくまで自分たち中心にしか物を見ようとはしない。そこに対立が生まれ、悲劇が起こる。結果として力に劣る「借りぐらしや」は、この物語以降、安住の地を求めて世界を彷徨うことになるのだ。
そこに民族や宗教、政治上の対立を読み取るのは決して難しいことではない。
対立の構造は、アリエッティと人間の男の子にも見られる。床下にずっと暮らしているアリエッティは自由を求め、病気で親戚の家に預けられている男の子は家族を求めている。この極めて人間らしい欲求が、今まで交わりを持つことなどなかった二つの種族の間に、友好的な関係を築きあげる。
もちろんそれは児童書にふさわしく、少年少女の成長物語として受け止めてもいいだろう。だがこの関係があくまで束の間の蜜月に過ぎないことを、作者は残酷にも知らしめてくれる。そう、これもまた極めて政治的な意図を含んでいるのだ。
こんなふうに書いていると、この物語がひどく辛い話に思えるかもしれない。だがそれは違う。そう思われたならそれはあくまでsugataの責任であって、著者はこの重いテーマを、非常に軽やかに、そしてユーモラスに描いている。また、「借りぐらしや」の世界を丁寧に丁寧に描写することで、読む者を惹きつけ、飽きさせない。
上で述べたことなど気にせず、単なる冒険ファンタジーとして読むのもそれはそれでOKだろう。
淡い余韻の残るラストも実によい。オススメの一冊。
岩波少年文庫の一冊で英国ファンタジーの定番ともいえる作品だが、これがこの夏、ジブリで映画化されるというわけで(映画のタイトルは『借りぐらしのアリエッティ』)、ちょっと手を出してみた。
小人のアリエッティはお父さんのポッド、お母さんのホミリーとの三人暮らし。彼らは人間たちに見つからないよう、床下などに隠れ、人間の食べ物や道具をこっそり“借りて”暮らしを立てている。すなわち「借りぐらしや」。ところがそんなある日、アリエッティはその家の男の子に姿を見られてしまい……というお話。
ううむ、さすがジブリ。いい作品に目をつけたものだ。よくできたファンタジーがたいていそうであるように、本書もまた世界観がしっかりしている。
例えば小人たちは、小さな人間や妖精などではなく、あくまで「借りぐらしや」だ。だから人間はネズミや猫と同様にまったく別種の生き物。極端にいうと人間は「借りぐらしや」のためにある存在だと彼らは考えている。アリエッティは言う。
「そう、パンがバターのためにあるように」
このセリフ自体が、実に逆説に満ちているではないか。
「借りぐらしや」と人間は、大きさこそ違え、容姿は非常に似ている存在。だが、だからといってお互いを理解しているわけではなく、あくまで自分たち中心にしか物を見ようとはしない。そこに対立が生まれ、悲劇が起こる。結果として力に劣る「借りぐらしや」は、この物語以降、安住の地を求めて世界を彷徨うことになるのだ。
そこに民族や宗教、政治上の対立を読み取るのは決して難しいことではない。
対立の構造は、アリエッティと人間の男の子にも見られる。床下にずっと暮らしているアリエッティは自由を求め、病気で親戚の家に預けられている男の子は家族を求めている。この極めて人間らしい欲求が、今まで交わりを持つことなどなかった二つの種族の間に、友好的な関係を築きあげる。
もちろんそれは児童書にふさわしく、少年少女の成長物語として受け止めてもいいだろう。だがこの関係があくまで束の間の蜜月に過ぎないことを、作者は残酷にも知らしめてくれる。そう、これもまた極めて政治的な意図を含んでいるのだ。
こんなふうに書いていると、この物語がひどく辛い話に思えるかもしれない。だがそれは違う。そう思われたならそれはあくまでsugataの責任であって、著者はこの重いテーマを、非常に軽やかに、そしてユーモラスに描いている。また、「借りぐらしや」の世界を丁寧に丁寧に描写することで、読む者を惹きつけ、飽きさせない。
上で述べたことなど気にせず、単なる冒険ファンタジーとして読むのもそれはそれでOKだろう。
淡い余韻の残るラストも実によい。オススメの一冊。