Posted in 08 2024
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サラーリ・ジェンティル『ボストン図書館の推理作家』(ハヤカワ文庫)
サラーリ・ジェンティルの『ボストン図書館の推理作家』を読む。またもや最近流行りのメタミステリだが、本作はシンプルな仕掛けながら、ありそうでなかった趣向を持ち込んでおり、なかなか面白い一冊であった。
こんな話。フレディはボストンに移住したオーストラリア出身の新人作家である。今日はボストン図書館の閲覧室で執筆を試みていたが、あまり集中できておらず、ついつい周囲にいる男女を観察していた。フロイトの本を読む心理学専攻と思われる女性、ハーヴァード大のトレーナーをきた顎の割れている若い男性、作家と思しき二枚目の三人。彼らを作品の登場人物にできないかと想像していたそのとき、女性の悲鳴が館内に響き渡った。
この出来事を機に四人は友人となったが、やがてその悲鳴の原因と思われる殺人事件が発覚し、彼女たちの周囲にも危険が忍び寄る……。
▲サラーリ・ジェンティル『ボストン図書館の推理作家』(ハヤカワ文庫)【amazon】
という内容だけであれば普通のミステリなのだが、実はこれ、オーストラリア在住の作家ハンナ・ティゴーニが書いているミステリ、という設定なのである。ハンナは執筆中のこの作品を、ボストンに住む作家志望の男性レオにメールで送り、その助言を仰いでいる。基本的にはほぼフレディのストーリーで進み、章が終わるごとにレオからの短い返信が挿入される、というのが基本構成だ。
作中作が盛り込まれたミステリも最近では珍しくないけれど、全編ほぼ作中作というのも本作の大きな特徴だろう。ここまでいくと、メタミステリの仕掛けがあったとしても作中作がつまらないと本末転倒になるところだが、強引なところもあるにせよ作中作も決して悪い出来ではない。
そして、ここにレオの返信が加わるだけで、その面白さは倍増する。
ハンナとレオの現実世界で何が起こっているかは、レオのメールから推察するしかないのだが、このメールがだんだん不穏なものに変わっていく過程、それによってサスペンスを高めるテクニックはなかなかのものだ。
また、レオの助言によってハンナが作作中作を修正していく様も興味深い。最初はボストンの知識や米英語と豪英語の違いぐらいなのだが、次第にストーリやキャラ付けなどにも影響を与える。その一方で、絶対に受け入れない部分もあり、この辺りはサラーリ自身の創作姿勢も伺えるのではないだろうか。
強いていえば似たようなタイプとしてアンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』があるけれども、ただ、試みの意味合いがまったく異なっている。
なんせ本作ははほとんどが作中作という構成であり、メインストーリーとの主従関係があってないようなもので、そこが本作の特殊性を際立たせている。レオのメールでしか語られないメインストーリーは膨らませようと思えば膨らませることは可能だが、著者は思い切ってそれを返信メールという形に凝縮し、そこにサスペンス効果を集中させた。その試みこそが素晴らしいのである。
そして、作中作でのラスト一行。これががなかなか意味深である。フレディとハンナの世界がリンクする瞬間であり、事件に影響するようなものではないのだが、不気味な余韻を残す。
ということで、メタミステリの構造を深読みする上でも非常に面白い作品なのだが、別にそんなことを考えず、普通に読んでも楽しい稀有なメタミステリである。
なお、『ボストン図書館の推理作家』というタイトルやカバー絵が、なんとなくコージー・ミステリを連想させるのがちょっと気になった。もちろんコージー・ミステリっぽいから買うという読者もいるだろうから、一概に悪いことではないのだが、自分自身はコージー系だと思って最初は購入を見合わせた口なので、ちょっともったいないと思った次第である。
こんな話。フレディはボストンに移住したオーストラリア出身の新人作家である。今日はボストン図書館の閲覧室で執筆を試みていたが、あまり集中できておらず、ついつい周囲にいる男女を観察していた。フロイトの本を読む心理学専攻と思われる女性、ハーヴァード大のトレーナーをきた顎の割れている若い男性、作家と思しき二枚目の三人。彼らを作品の登場人物にできないかと想像していたそのとき、女性の悲鳴が館内に響き渡った。
この出来事を機に四人は友人となったが、やがてその悲鳴の原因と思われる殺人事件が発覚し、彼女たちの周囲にも危険が忍び寄る……。
▲サラーリ・ジェンティル『ボストン図書館の推理作家』(ハヤカワ文庫)【amazon】
という内容だけであれば普通のミステリなのだが、実はこれ、オーストラリア在住の作家ハンナ・ティゴーニが書いているミステリ、という設定なのである。ハンナは執筆中のこの作品を、ボストンに住む作家志望の男性レオにメールで送り、その助言を仰いでいる。基本的にはほぼフレディのストーリーで進み、章が終わるごとにレオからの短い返信が挿入される、というのが基本構成だ。
作中作が盛り込まれたミステリも最近では珍しくないけれど、全編ほぼ作中作というのも本作の大きな特徴だろう。ここまでいくと、メタミステリの仕掛けがあったとしても作中作がつまらないと本末転倒になるところだが、強引なところもあるにせよ作中作も決して悪い出来ではない。
そして、ここにレオの返信が加わるだけで、その面白さは倍増する。
ハンナとレオの現実世界で何が起こっているかは、レオのメールから推察するしかないのだが、このメールがだんだん不穏なものに変わっていく過程、それによってサスペンスを高めるテクニックはなかなかのものだ。
また、レオの助言によってハンナが作作中作を修正していく様も興味深い。最初はボストンの知識や米英語と豪英語の違いぐらいなのだが、次第にストーリやキャラ付けなどにも影響を与える。その一方で、絶対に受け入れない部分もあり、この辺りはサラーリ自身の創作姿勢も伺えるのではないだろうか。
強いていえば似たようなタイプとしてアンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』があるけれども、ただ、試みの意味合いがまったく異なっている。
なんせ本作ははほとんどが作中作という構成であり、メインストーリーとの主従関係があってないようなもので、そこが本作の特殊性を際立たせている。レオのメールでしか語られないメインストーリーは膨らませようと思えば膨らませることは可能だが、著者は思い切ってそれを返信メールという形に凝縮し、そこにサスペンス効果を集中させた。その試みこそが素晴らしいのである。
そして、作中作でのラスト一行。これががなかなか意味深である。フレディとハンナの世界がリンクする瞬間であり、事件に影響するようなものではないのだが、不気味な余韻を残す。
ということで、メタミステリの構造を深読みする上でも非常に面白い作品なのだが、別にそんなことを考えず、普通に読んでも楽しい稀有なメタミステリである。
なお、『ボストン図書館の推理作家』というタイトルやカバー絵が、なんとなくコージー・ミステリを連想させるのがちょっと気になった。もちろんコージー・ミステリっぽいから買うという読者もいるだろうから、一概に悪いことではないのだが、自分自身はコージー系だと思って最初は購入を見合わせた口なので、ちょっともったいないと思った次第である。
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J・L・ブラックハースト『スリー・カード・マーダー』(創元推理文庫)
J・L・ブラックハーストの『スリー・カード・マーダー』を読む。初めて読む作家だが、帯には「警官の姉と詐欺師の妹が、密室殺人に挑む!」と景気良い惹句が躍るので思わず釣られてしまったが、これがなかなか微妙な一作であった。
イングランド南東部に位置するブライトン。その街中にあるフラットから男が落下し、死亡した被害者の喉には無惨な切り傷があった。被害者はフラットの五街に住む男で、現場の状況から殺人かと思われたが、部屋は無人で、しかも玄関ドアは内側から板で釘付けされていた。
サセックス警察のテス警部補は早速捜査に当たるが、被害者の名前を知って愕然とした。それは十五年前のこと。テスが異母妹セアラを救うため、ある犯罪を犯してしまったのだが、被害者はその事件の関係者だったのだ。そのセアラは今や凄腕の詐欺師となり、テスは密室殺人の謎を解けるのは彼女しかいないと考え、上司に秘密で協力を依頼する……。
▲J・L・ブラックハースト『スリー・カード・マーダー』(創元推理文庫)【amazon】
全般的には面白く書かれた物語であると思う。
大きな注目ポイントは二つあって、それが帯にも謳われている警官と詐欺師の姉妹によるバディものとしての面白さ、もう一つが密室殺人である。どちらも要素としては問題ない。バディものはコンビのキャラクターにギャップがあればあるほど面白いので、取り締まる側と取り締られる側を組ませるのは悪くないし、姉妹であればその不自然さも緩和される。密室殺人については一つだけではなく、連続殺人すべてに不可能犯罪を絡める贅沢さである。
そのほかにもサイドストーリー的な読みどころとして、主人公たちファミリーの物語、詐欺組織としてのファミリーの物語、詐欺テクニック、警察内部の対立も含めた警察小説的な要素など、まあ、よく詰め込んだものだ。そういう意味では次から次へと目先が変わり、エンターテインメントとしては健闘している。
ただ、先に「微妙な一作」と書いたのは、そういった面白さを追求しすぎたせいか、やりすぎ・詰め込みすぎが多すぎてアラが目立ってしまっているからだ。ひとつひとつの要素は面白そうなのに、いざ読んでみると戯画化しすぎであり、極端な設定ばかりでリアルさに欠けているのが辛い。しかもネタが多すぎるせいか、書き込みが浅くて消化不良の感も強い。興味の対象も散漫になるし、どうにも要素のブレンドが上手くいっていないのである。
戯画化しすぎの部分としては、主人公の一人であるテスが過去に重大な犯罪を犯しているのに刑事になれたこと、おまけに刑事が詐欺師と組んで捜査しようとしたり、さらにはその詐欺師が一大組織に属していることなど。いや、何というか一つぐらいなら許容範囲だが、これだけ多いと何でもありで、子供向けのアニメやマンガの世界になってしまう。
その一方で、詐欺組織の全容や凄腕詐欺師のはずのセアラのテクニックはほとんど披露されず、そのくせテスがそのテクニックを盲信している風だったり、どうにも作者の頭の中だけで完結してしまって、そのイメージは読者に伝わってこないのである。
そしてラスト。ここでようやく本作が実はファミリーの物語であったことが確認できるのだが、詳しくは書かないけれど、犯人像にそれなりのインパクトがあるため、せっかくの主題も有耶無耶になってしまうのが残念。また、それ以上にシリーズ前提みたいな、あるいは連続ドラマのような終わり方もさすがに勘弁してほしかった。
個人的には作者にもう少し落ち着けと言いたいところである(笑)。全体の着想としては悪くないし、要素を個別に見ると面白いところも多いのである。ただ、気を衒ったりさまざまなネタを仕込むのはもちろんいいけれども、そこには説得力や必然性がほしいし、少なくとも作品の中心に何を置くのか、そこははっきりすべきだった。
イングランド南東部に位置するブライトン。その街中にあるフラットから男が落下し、死亡した被害者の喉には無惨な切り傷があった。被害者はフラットの五街に住む男で、現場の状況から殺人かと思われたが、部屋は無人で、しかも玄関ドアは内側から板で釘付けされていた。
サセックス警察のテス警部補は早速捜査に当たるが、被害者の名前を知って愕然とした。それは十五年前のこと。テスが異母妹セアラを救うため、ある犯罪を犯してしまったのだが、被害者はその事件の関係者だったのだ。そのセアラは今や凄腕の詐欺師となり、テスは密室殺人の謎を解けるのは彼女しかいないと考え、上司に秘密で協力を依頼する……。
▲J・L・ブラックハースト『スリー・カード・マーダー』(創元推理文庫)【amazon】
全般的には面白く書かれた物語であると思う。
大きな注目ポイントは二つあって、それが帯にも謳われている警官と詐欺師の姉妹によるバディものとしての面白さ、もう一つが密室殺人である。どちらも要素としては問題ない。バディものはコンビのキャラクターにギャップがあればあるほど面白いので、取り締まる側と取り締られる側を組ませるのは悪くないし、姉妹であればその不自然さも緩和される。密室殺人については一つだけではなく、連続殺人すべてに不可能犯罪を絡める贅沢さである。
そのほかにもサイドストーリー的な読みどころとして、主人公たちファミリーの物語、詐欺組織としてのファミリーの物語、詐欺テクニック、警察内部の対立も含めた警察小説的な要素など、まあ、よく詰め込んだものだ。そういう意味では次から次へと目先が変わり、エンターテインメントとしては健闘している。
ただ、先に「微妙な一作」と書いたのは、そういった面白さを追求しすぎたせいか、やりすぎ・詰め込みすぎが多すぎてアラが目立ってしまっているからだ。ひとつひとつの要素は面白そうなのに、いざ読んでみると戯画化しすぎであり、極端な設定ばかりでリアルさに欠けているのが辛い。しかもネタが多すぎるせいか、書き込みが浅くて消化不良の感も強い。興味の対象も散漫になるし、どうにも要素のブレンドが上手くいっていないのである。
戯画化しすぎの部分としては、主人公の一人であるテスが過去に重大な犯罪を犯しているのに刑事になれたこと、おまけに刑事が詐欺師と組んで捜査しようとしたり、さらにはその詐欺師が一大組織に属していることなど。いや、何というか一つぐらいなら許容範囲だが、これだけ多いと何でもありで、子供向けのアニメやマンガの世界になってしまう。
その一方で、詐欺組織の全容や凄腕詐欺師のはずのセアラのテクニックはほとんど披露されず、そのくせテスがそのテクニックを盲信している風だったり、どうにも作者の頭の中だけで完結してしまって、そのイメージは読者に伝わってこないのである。
そしてラスト。ここでようやく本作が実はファミリーの物語であったことが確認できるのだが、詳しくは書かないけれど、犯人像にそれなりのインパクトがあるため、せっかくの主題も有耶無耶になってしまうのが残念。また、それ以上にシリーズ前提みたいな、あるいは連続ドラマのような終わり方もさすがに勘弁してほしかった。
個人的には作者にもう少し落ち着けと言いたいところである(笑)。全体の着想としては悪くないし、要素を個別に見ると面白いところも多いのである。ただ、気を衒ったりさまざまなネタを仕込むのはもちろんいいけれども、そこには説得力や必然性がほしいし、少なくとも作品の中心に何を置くのか、そこははっきりすべきだった。
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ジェレット・バージェス『不思議の達人(下)』(ヒラヤマ探偵文庫)
ジェレット・バージェスの『不思議の達人(下)』を読む。1912年に刊行された預言者アストロ・シリーズの短篇集 The Master of Mysteriesの邦訳、その下巻である。
The Assassin's Club「暗殺者クラブ」
The Luck of the Merringtons「メリントン家の幸運」
The Count's Comedy「伯爵の喜劇」
Pricilla's Presents「プリシラのプレゼント」
The Hair to Soothoid「『ソーソイド』の跡継ぎ」
The Two Miss Mannings「二人のミス・マニング」
Van Asten's Visitor「ヴァン・アステンの訪問客」
The Middlebury Murder「ミドルベリー殺人事件」
Vengeance of the Pi Rho Nu「ビー・ロ・ヌーの復讐」
The Lady in Taupe「モグラ色の淑女」
Mrs. Stellery's Letters「ステレリー夫人の手紙」
Black Light「ブラック・ライト」
収録作は以上。原書が相当なボリュームのため上下巻に分けたということなので、基本的な感想は上巻読了時とそれほど変わらないのだけれど、一応はまとめておこう。
▲ジェレット・バージェス『不思議の達人(下)』(ヒラヤマ探偵文庫)
いわゆるシャーロック・ホームズのライバルの一人で、その大きな特色は、ビジネス上の理由で占星術とは言っているが、実は鋭い観察力と推理力によって事件を解決するところだろう。助手のヴァレスカに調査を任せることも多いが、自ら調査に赴くことも少なくはなく、それらの調査結果を元に推理して真相を導き出す。もちろんお客にはそんなことは教えず、水晶玉のお告げです、みたいな形で伝えるのだが、そのおかげで占い業は順風満帆というわけで、こういう設定と展開がユーモラスで楽しい。
まあ、占いの相談だから大きな事件というものはほぼないし、トリックや謎解きも目を見張るようなものではない。そこが本家ホームズに大きく差をつけられているところだが、全般的に「日常の謎」的な面白さがあるので、それがけっこう当時の読者にアピールできたのではないか。また、アストロと助手ヴァレスカの恋愛模様も彩りを添えており、まるで一昔前のラブコメのように焦ったい進展ぶりなのだが、こういうのもファン心理をくすぐったのかもしれない。
ということで謎解きミステリとしては落ちるものの、エンターテインメントとしては上場の出来。多少の経年劣化を含めても、意外に楽しめる一冊である。
The Assassin's Club「暗殺者クラブ」
The Luck of the Merringtons「メリントン家の幸運」
The Count's Comedy「伯爵の喜劇」
Pricilla's Presents「プリシラのプレゼント」
The Hair to Soothoid「『ソーソイド』の跡継ぎ」
The Two Miss Mannings「二人のミス・マニング」
Van Asten's Visitor「ヴァン・アステンの訪問客」
The Middlebury Murder「ミドルベリー殺人事件」
Vengeance of the Pi Rho Nu「ビー・ロ・ヌーの復讐」
The Lady in Taupe「モグラ色の淑女」
Mrs. Stellery's Letters「ステレリー夫人の手紙」
Black Light「ブラック・ライト」
収録作は以上。原書が相当なボリュームのため上下巻に分けたということなので、基本的な感想は上巻読了時とそれほど変わらないのだけれど、一応はまとめておこう。
▲ジェレット・バージェス『不思議の達人(下)』(ヒラヤマ探偵文庫)
いわゆるシャーロック・ホームズのライバルの一人で、その大きな特色は、ビジネス上の理由で占星術とは言っているが、実は鋭い観察力と推理力によって事件を解決するところだろう。助手のヴァレスカに調査を任せることも多いが、自ら調査に赴くことも少なくはなく、それらの調査結果を元に推理して真相を導き出す。もちろんお客にはそんなことは教えず、水晶玉のお告げです、みたいな形で伝えるのだが、そのおかげで占い業は順風満帆というわけで、こういう設定と展開がユーモラスで楽しい。
まあ、占いの相談だから大きな事件というものはほぼないし、トリックや謎解きも目を見張るようなものではない。そこが本家ホームズに大きく差をつけられているところだが、全般的に「日常の謎」的な面白さがあるので、それがけっこう当時の読者にアピールできたのではないか。また、アストロと助手ヴァレスカの恋愛模様も彩りを添えており、まるで一昔前のラブコメのように焦ったい進展ぶりなのだが、こういうのもファン心理をくすぐったのかもしれない。
ということで謎解きミステリとしては落ちるものの、エンターテインメントとしては上場の出来。多少の経年劣化を含めても、意外に楽しめる一冊である。
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ジュリアナ・グッドマン『夜明けを探す少女は』(創元推理文庫)
いつぞやの記事で、最近、翻訳ミステリにメタミステリが増えてきたなと書いたのだが、実はそれ以上に増えている感のあるのが、少女を主人公にしたミステリである。海外の事情は知らないけれど、少なくとも我が国では『ザリガニの鳴くところ』や『われら闇より天を見る』、そして何といっても『自由研究には向かない殺人』をはじめとするピップ三部作といったスマッシュヒットがあり、よく言えばムーヴメントが起きている、悪く言えばそれらの人気にあやかろうとしている面はあるのかもしれない。
本日の読了本『夜明けを探す少女は』も、やはり少女が主人公である。作者はこれがデビュー作ということで、傑作揃いの先輩方にどこまで迫れるか、お手並み拝見というところだろう。
こんな話。シカゴの低所得層団地で両親と姉の四人で暮らすハイスクール二年生の黒人少女・ボー・ウィレット。日頃から姉を慕っていたボーだが、ある時、姉のカティアが不法侵入の疑いで警官に射殺されてしまう。姉が犯罪に手を染めたことが信じられず、ボーは現場にいたはずの姉のボーイフレンドを探そうとするが……。
▲ジュリアナ・グッドマン『夜明けを探す少女は』(創元推理文庫)【amazon】
ついついピップ三部作、特に『自由研究には向かない殺人』と比べたくなってしまうのだが、年齢こそ近いけれども、その生い立ちや暮らしぶりは正反対。白人の中流家庭で暮らし、勉強の延長から興味を持って調査を始めたピップに比べ、ボーは黒人の貧困家庭に生まれ、差別も小さい頃から体験している。関わる事件も姉が犯罪者とし撃たれたことが許せないという理由があり、ピップとは切実さが違う。
ただ、だからと言ってピップがダメだというのではない。この二人に唯一共通する部分こそが、実は重要だからである。それは両者とも、高校生という多感な年頃の女性であり、事件を通してその成長がきちんと描かれていることが重要なのだ。
当たり前というなかれ。彼女たちの中心には自分が何者であるのか、どういう将来が待っているのかという思いが常にある。それは言葉ではなく、ただモヤモヤとして心の中に蟠っている。少女を主人公にしたミステリは、事件の謎も重要だが、主人公のそうした心情がいかにきちんと描写されているかが大切なのだ。
その意味で本作のボーは、ピップほど頭が回るわけでもなく、自分の心をうまく整理することができないのだが、だからこそ逆に彼女の喜びや悩みがヒシヒシと伝わってくる。
ちょっと面白いのは、ボーもピップも、恋人に対してそこまで頼らないところ。それぞれの事情はあるのだが、彼氏にしても主人公に強くは踏み込まない。これが現代の若者の感覚なのかもしれないが、正直、昭和生まれのおっさんには、そこが少し物足りないところではある。
少女の成長物語としては読ませる本作だが、実はミステリとしてはかなり弱いのが惜しいところ。事件の調査というほど調査をするわけでもなく、向こうのほうから勝手に解決する感じである。
MWA最終候補作と帯に謳ってはいるので、けっこうその点も期待していたのだが、どうやらMWA最終候補作とはいっても、これはYA(ヤングアダルト)部門のようで、それこそまず要求されるのはYA層に向けた若者の描写であるから、謎解き要素は弱くて当然である。この点では『自由研究には向かない殺人』に大いに遅れをとるところである。
ということで面白くは読めるけれども、謎解きや意外な結末などを期待しすぎるのは禁物。ミステリというよりは犯罪を扱った青春小説という方が適切な一作だろう。
本日の読了本『夜明けを探す少女は』も、やはり少女が主人公である。作者はこれがデビュー作ということで、傑作揃いの先輩方にどこまで迫れるか、お手並み拝見というところだろう。
こんな話。シカゴの低所得層団地で両親と姉の四人で暮らすハイスクール二年生の黒人少女・ボー・ウィレット。日頃から姉を慕っていたボーだが、ある時、姉のカティアが不法侵入の疑いで警官に射殺されてしまう。姉が犯罪に手を染めたことが信じられず、ボーは現場にいたはずの姉のボーイフレンドを探そうとするが……。
▲ジュリアナ・グッドマン『夜明けを探す少女は』(創元推理文庫)【amazon】
ついついピップ三部作、特に『自由研究には向かない殺人』と比べたくなってしまうのだが、年齢こそ近いけれども、その生い立ちや暮らしぶりは正反対。白人の中流家庭で暮らし、勉強の延長から興味を持って調査を始めたピップに比べ、ボーは黒人の貧困家庭に生まれ、差別も小さい頃から体験している。関わる事件も姉が犯罪者とし撃たれたことが許せないという理由があり、ピップとは切実さが違う。
ただ、だからと言ってピップがダメだというのではない。この二人に唯一共通する部分こそが、実は重要だからである。それは両者とも、高校生という多感な年頃の女性であり、事件を通してその成長がきちんと描かれていることが重要なのだ。
当たり前というなかれ。彼女たちの中心には自分が何者であるのか、どういう将来が待っているのかという思いが常にある。それは言葉ではなく、ただモヤモヤとして心の中に蟠っている。少女を主人公にしたミステリは、事件の謎も重要だが、主人公のそうした心情がいかにきちんと描写されているかが大切なのだ。
その意味で本作のボーは、ピップほど頭が回るわけでもなく、自分の心をうまく整理することができないのだが、だからこそ逆に彼女の喜びや悩みがヒシヒシと伝わってくる。
ちょっと面白いのは、ボーもピップも、恋人に対してそこまで頼らないところ。それぞれの事情はあるのだが、彼氏にしても主人公に強くは踏み込まない。これが現代の若者の感覚なのかもしれないが、正直、昭和生まれのおっさんには、そこが少し物足りないところではある。
少女の成長物語としては読ませる本作だが、実はミステリとしてはかなり弱いのが惜しいところ。事件の調査というほど調査をするわけでもなく、向こうのほうから勝手に解決する感じである。
MWA最終候補作と帯に謳ってはいるので、けっこうその点も期待していたのだが、どうやらMWA最終候補作とはいっても、これはYA(ヤングアダルト)部門のようで、それこそまず要求されるのはYA層に向けた若者の描写であるから、謎解き要素は弱くて当然である。この点では『自由研究には向かない殺人』に大いに遅れをとるところである。
ということで面白くは読めるけれども、謎解きや意外な結末などを期待しすぎるのは禁物。ミステリというよりは犯罪を扱った青春小説という方が適切な一作だろう。
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ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(白水社)
ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』を読む。ラバトゥッツはチリの新進作家で、これまで名前すら聞いたこともなかったが、SNS上で本書の噂を目にして手に取った次第である。するとこれが大当たり、本書は実に奇妙で刺激的な一冊だった。
▲ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(白水社)【amazon】
本書はいわゆる実験小説である。と言ってもパッと見は普通の評伝、ノンフィクションの類にしか思えない。その内容が、二十世紀に大きな発見や足跡を残した実在の天才科学者に焦点を当て、発想の瞬間や秘密、知られざる人生、さらには科学と戦争の関連などを物語るものだからだ。
具体的には第一話の「プルシアン・ブルー」で毒ガス兵器の開発者フリッツ・ハーバー、二話「シュヴァルツシルトの特異点」では科学史上初めてブラックホールの存在を示唆した天文学者シュヴァルツシルト、三話「核心中の核心」では不世出の数学者グロタンディークと日本の天才数学者・望月新一、そして最終話「私たちが世界を理解しなくなったとき」では量子力学の発展に寄与した三人の理論物理学者、ハイゼンベルク、ド・ブロイ、シュレーディンガーを取り上げている。
ではなぜ、それが実験小説なのか。
それは実在の科学者を登場させ、その功績について述べてはいるが、多くの虚構を混えているからだ。
これはもちろん確信的に行っていることである。本書には四つの短中短篇が収録されているが、中には語られるエピソードのほとんどがフィクションのものもあるという。かなり科学に詳しい者でなければ、また科学に詳しくてもその科学者自身の生い立ちや経歴を知らなければ、本書中のフィクションとノンフィクションを判別することは難しく、その境界もグラデーションのようになっていればさらに判別は困難である。
こうしたノンフィクションの形を借りるフィクションは特別珍しいものではなく、この手の作品が好きな人であればすぐにスタニスワフ・レムの実在しない小説に対する架空の書評集『完全な真空』や筒井康隆の諸作品を思い出すことだろう。
それらの作品に比べれば本作などおとなしい方だと思われるが、実は本作の場合は特別奇を衒わず、淡々とまさしく評伝のように語るから始末が悪いのである。しかも情報量が非常に多いので、選別は困難を極める。管理人のようなボンクラ読者としては、ひたすら虚構と事実の間で翻弄されるしかないのである。
ただ、多くの実験小説が得てして表現方法のみに執われるのに対し、本作は割合テーマもはっきりしている。それはやはり科学の有り様であり、人類の幸福に貢献する一方、修復不可能な災厄に陥れる危険もある科学の危うさである。それを多くの虚構と事実をないまぜにした評伝という形を意図的にとることによって、作者はそのメッセージを強調しているのだろう。
何やら評伝などと書くと敬遠する方もおられるかもしれないが、第一話「プルシアン・ブルー」の冒頭数ページだけでも書店で読んでもらいたい。そこで描かれる濃密な毒ガスの歴史にのめり込むようなら、ぜひ入手すべきである。
▲ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(白水社)【amazon】
本書はいわゆる実験小説である。と言ってもパッと見は普通の評伝、ノンフィクションの類にしか思えない。その内容が、二十世紀に大きな発見や足跡を残した実在の天才科学者に焦点を当て、発想の瞬間や秘密、知られざる人生、さらには科学と戦争の関連などを物語るものだからだ。
具体的には第一話の「プルシアン・ブルー」で毒ガス兵器の開発者フリッツ・ハーバー、二話「シュヴァルツシルトの特異点」では科学史上初めてブラックホールの存在を示唆した天文学者シュヴァルツシルト、三話「核心中の核心」では不世出の数学者グロタンディークと日本の天才数学者・望月新一、そして最終話「私たちが世界を理解しなくなったとき」では量子力学の発展に寄与した三人の理論物理学者、ハイゼンベルク、ド・ブロイ、シュレーディンガーを取り上げている。
ではなぜ、それが実験小説なのか。
それは実在の科学者を登場させ、その功績について述べてはいるが、多くの虚構を混えているからだ。
これはもちろん確信的に行っていることである。本書には四つの短中短篇が収録されているが、中には語られるエピソードのほとんどがフィクションのものもあるという。かなり科学に詳しい者でなければ、また科学に詳しくてもその科学者自身の生い立ちや経歴を知らなければ、本書中のフィクションとノンフィクションを判別することは難しく、その境界もグラデーションのようになっていればさらに判別は困難である。
こうしたノンフィクションの形を借りるフィクションは特別珍しいものではなく、この手の作品が好きな人であればすぐにスタニスワフ・レムの実在しない小説に対する架空の書評集『完全な真空』や筒井康隆の諸作品を思い出すことだろう。
それらの作品に比べれば本作などおとなしい方だと思われるが、実は本作の場合は特別奇を衒わず、淡々とまさしく評伝のように語るから始末が悪いのである。しかも情報量が非常に多いので、選別は困難を極める。管理人のようなボンクラ読者としては、ひたすら虚構と事実の間で翻弄されるしかないのである。
ただ、多くの実験小説が得てして表現方法のみに執われるのに対し、本作は割合テーマもはっきりしている。それはやはり科学の有り様であり、人類の幸福に貢献する一方、修復不可能な災厄に陥れる危険もある科学の危うさである。それを多くの虚構と事実をないまぜにした評伝という形を意図的にとることによって、作者はそのメッセージを強調しているのだろう。
何やら評伝などと書くと敬遠する方もおられるかもしれないが、第一話「プルシアン・ブルー」の冒頭数ページだけでも書店で読んでもらいたい。そこで描かれる濃密な毒ガスの歴史にのめり込むようなら、ぜひ入手すべきである。
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宮野村子『毒虫 他八篇』(盛林堂ミステリアス文庫)
宮野村子の短篇集『毒虫 他八篇』を読む。盛林堂ミステリアス文庫から出ている単行本未収録作品集の第四弾ということで、収録作は以下のとおり。
「花の死」
「切れた紐」
「轟音」
「一つのチャンス」
「花の肌」
「玩具の家」
「護符」
「神の悪戯」
「毒虫」
▲宮野村子『毒虫 他八篇』(盛林堂ミステリアス文庫)
宮野村子の目指すところは探偵小説と純文学の融合であったのだが、その結果として出来上がったのは、重く美しい犯罪心理小説だったり、格調高いイヤミスだったりする。人間の愛憎が多くの作品でテーマになっているが、それを純文学や恋愛小説に落とすことをせず、宮野はなぜか探偵小説の器に入れることにこだわった。人間の愛憎がどこから湧いて、それがどのように膨らみ、あるいは沈殿し、そしていかなる悲劇を招いてしまうのか。宮野はそうした人間の心の謎を解き明かしたいと思い、そのシステムを探偵小説に求めたのかもしれない。
確かに宮野の描く歪な愛憎劇は、探偵小説という器だからこそ違和感なく表現できるし、また、その裏に隠された秘密も探偵小説だからこそ明らかにできる。宮野にとって実に好都合な媒体だったのだろうが、探偵小説ファンにとっても、宮野が探偵小説というジャンルを選んでくれたことは非常にラッキーだったのだ。
以下、各作品のコメントなど。
「花の死」は大戦で身寄りのすべてを失い、仕事を探している冬子が主人公。職業安定所へ相談に行くも適した職は見つからなかったが、そこへ老婆からある屋敷で暮らす婦人の看護を依頼される。設定にしてもオチにしてもどこか読んだような感じも受けるが、ゴシックロマン的というか怪談風というか、独特の語り口に酔えるのでそこは気にならない。それより終盤のバタバタした展開が少々残念。ページ数の配分が苦手だったのか、宮野短篇でちょいちょい見られる欠点である。
「切れた紐」は80ページほどの中篇。村に一軒しかない小さな万屋を営むお幾は、知的障害を持つ娘ナミを女手一つで育ててきた。そんなある日、村で鉄道工事が行われることになり、多くの工夫が村へやってくる。お幾はそんな工夫の一人が気になるのだが……。
本書中で最もボリュームのある作品だが、そういう作品に限って全然探偵小説ではなく、とことん悲惨な物語である。普通の作家ならもう少し何とか希望の光を残そうとしたり、そこまでいかなくとも皮肉なオチをつけたりするところだが、宮野は違う。人のどうしようもない営みを執拗に見せつけ、最後は鉄槌を下すかのように物語を終える。さすがとしか言いようがない。
財産目当てで足の悪い美根子と結婚した男・竜二の犯罪を描くのが「轟音」。一応は倒叙仕立てだが、読みどころは竜二の犯行方法がどうこうというより、犯行の準備から皮肉な結末に至るまでの心理でああろう。
「一つのチャンス」は舞踏家の世界を舞台に繰り広げられる毒入りチョコレート事件。特殊な世界を扱っているので、もう少しボリュームとコクが欲しかったところだが、いかんせんページ数が少々足りなかったか。
「花の肌」は、それまで仕事一筋で女性には目もくれず、ひと財産を築いた男・楠原剛造が主人公。一目惚れしたホステスと入籍するが、それを面白く思わない娘とその婚約者が……。
何となく予想できるストーリーだと思って読み始めると、二転三転して……というのがミソ。人がどこまでも愚かになれるということをオチも含めて教えてくれる。
真夜中に義姉の悲鳴で目をさました清美。義姉の部屋に駆けつけると、首にネクタイで首を絞められた技師の姿が。幸い命に別状はなかったが、なぜか彼女は警察に知らせないでほしいという……というのが「玩具の家」。探偵役がちょっと意外でいい。
北満の現地調査へ出かけた満鉄の職員・河瀬は、匪賊の襲撃を受けたがかろうじて生き残った。そこで同じく生き残ったロシア人女性・リーザと出会い、二人は南満へ戻って結婚する。その河瀬夫妻の元へ、同じく満鉄に務める友人・石山浩一と久子の夫妻、後輩の会田和夫の三人が訪問するが……。
珍しく満州を題材にした作品「護符」だが、やや情報量を詰め込みすぎでラストも尻切れトンボの感じが否めない。設定が面白いので、もう少しボリュームを増やせればよかったのだが。
「神の悪戯」は、峰子という娘が学生時代の友人・千枝子と再会したことから数奇な体験をする物語。千枝子は財産目当てで高齢の夫と結婚し、夫が亡くなってからは好き放題。もともと奔放な性格だったがますます歪な女性になっていた。千枝子に誘われるまま連れて行かれた先は男性同性愛者が集う秘密クラブであった……。
ドロドロした倒叙犯罪ものではあるが、いつもの宮野村子らしいウェットなところがあまり生きておらず、ストレートすぎるドロドロがややこなれていない印象もあり。
表題作の「毒虫」は、割烹旅館に潜む因縁が殺人事件に発展するという一席。舞台設定が宮野っぽくて展開も探偵小説の王道である。内容もかなりヘビーなのだが、語り口のウェット成分は少し薄い印象を受けるのが惜しい。宮野村子の語りを味わうには、おそらく中編ぐらいのページ数が理想なのだが、本作の場合、説明的な文章が多くなっているのが影響しているのかもしれない。
これで手持ちの宮野村子が最後とあって、舐めるようにして読んだのだが、やはり宮野村子はいい。もともと盛林堂ミステリアス文庫の宮野短篇集は単行本未収録作を中心に編んでいるため、論創ミステリ叢書のそれに比べると、ややライトというか、あちらほど濃い作品は少なかった印象はあるけれども、全体的には作者の魅力は十分に味わえるだろう。
なお、巻末の「あとがきにかえて」によると、宮野短篇集は後二冊予定されているようだが、本書が刊行されて二年近く経つものの続刊は未だ発売されていない。もし収録作の都合で停滞しているようなら、その前に長篇の方も復刊してもらっていいのではないか。期待しております。
「花の死」
「切れた紐」
「轟音」
「一つのチャンス」
「花の肌」
「玩具の家」
「護符」
「神の悪戯」
「毒虫」
▲宮野村子『毒虫 他八篇』(盛林堂ミステリアス文庫)
宮野村子の目指すところは探偵小説と純文学の融合であったのだが、その結果として出来上がったのは、重く美しい犯罪心理小説だったり、格調高いイヤミスだったりする。人間の愛憎が多くの作品でテーマになっているが、それを純文学や恋愛小説に落とすことをせず、宮野はなぜか探偵小説の器に入れることにこだわった。人間の愛憎がどこから湧いて、それがどのように膨らみ、あるいは沈殿し、そしていかなる悲劇を招いてしまうのか。宮野はそうした人間の心の謎を解き明かしたいと思い、そのシステムを探偵小説に求めたのかもしれない。
確かに宮野の描く歪な愛憎劇は、探偵小説という器だからこそ違和感なく表現できるし、また、その裏に隠された秘密も探偵小説だからこそ明らかにできる。宮野にとって実に好都合な媒体だったのだろうが、探偵小説ファンにとっても、宮野が探偵小説というジャンルを選んでくれたことは非常にラッキーだったのだ。
以下、各作品のコメントなど。
「花の死」は大戦で身寄りのすべてを失い、仕事を探している冬子が主人公。職業安定所へ相談に行くも適した職は見つからなかったが、そこへ老婆からある屋敷で暮らす婦人の看護を依頼される。設定にしてもオチにしてもどこか読んだような感じも受けるが、ゴシックロマン的というか怪談風というか、独特の語り口に酔えるのでそこは気にならない。それより終盤のバタバタした展開が少々残念。ページ数の配分が苦手だったのか、宮野短篇でちょいちょい見られる欠点である。
「切れた紐」は80ページほどの中篇。村に一軒しかない小さな万屋を営むお幾は、知的障害を持つ娘ナミを女手一つで育ててきた。そんなある日、村で鉄道工事が行われることになり、多くの工夫が村へやってくる。お幾はそんな工夫の一人が気になるのだが……。
本書中で最もボリュームのある作品だが、そういう作品に限って全然探偵小説ではなく、とことん悲惨な物語である。普通の作家ならもう少し何とか希望の光を残そうとしたり、そこまでいかなくとも皮肉なオチをつけたりするところだが、宮野は違う。人のどうしようもない営みを執拗に見せつけ、最後は鉄槌を下すかのように物語を終える。さすがとしか言いようがない。
財産目当てで足の悪い美根子と結婚した男・竜二の犯罪を描くのが「轟音」。一応は倒叙仕立てだが、読みどころは竜二の犯行方法がどうこうというより、犯行の準備から皮肉な結末に至るまでの心理でああろう。
「一つのチャンス」は舞踏家の世界を舞台に繰り広げられる毒入りチョコレート事件。特殊な世界を扱っているので、もう少しボリュームとコクが欲しかったところだが、いかんせんページ数が少々足りなかったか。
「花の肌」は、それまで仕事一筋で女性には目もくれず、ひと財産を築いた男・楠原剛造が主人公。一目惚れしたホステスと入籍するが、それを面白く思わない娘とその婚約者が……。
何となく予想できるストーリーだと思って読み始めると、二転三転して……というのがミソ。人がどこまでも愚かになれるということをオチも含めて教えてくれる。
真夜中に義姉の悲鳴で目をさました清美。義姉の部屋に駆けつけると、首にネクタイで首を絞められた技師の姿が。幸い命に別状はなかったが、なぜか彼女は警察に知らせないでほしいという……というのが「玩具の家」。探偵役がちょっと意外でいい。
北満の現地調査へ出かけた満鉄の職員・河瀬は、匪賊の襲撃を受けたがかろうじて生き残った。そこで同じく生き残ったロシア人女性・リーザと出会い、二人は南満へ戻って結婚する。その河瀬夫妻の元へ、同じく満鉄に務める友人・石山浩一と久子の夫妻、後輩の会田和夫の三人が訪問するが……。
珍しく満州を題材にした作品「護符」だが、やや情報量を詰め込みすぎでラストも尻切れトンボの感じが否めない。設定が面白いので、もう少しボリュームを増やせればよかったのだが。
「神の悪戯」は、峰子という娘が学生時代の友人・千枝子と再会したことから数奇な体験をする物語。千枝子は財産目当てで高齢の夫と結婚し、夫が亡くなってからは好き放題。もともと奔放な性格だったがますます歪な女性になっていた。千枝子に誘われるまま連れて行かれた先は男性同性愛者が集う秘密クラブであった……。
ドロドロした倒叙犯罪ものではあるが、いつもの宮野村子らしいウェットなところがあまり生きておらず、ストレートすぎるドロドロがややこなれていない印象もあり。
表題作の「毒虫」は、割烹旅館に潜む因縁が殺人事件に発展するという一席。舞台設定が宮野っぽくて展開も探偵小説の王道である。内容もかなりヘビーなのだが、語り口のウェット成分は少し薄い印象を受けるのが惜しい。宮野村子の語りを味わうには、おそらく中編ぐらいのページ数が理想なのだが、本作の場合、説明的な文章が多くなっているのが影響しているのかもしれない。
これで手持ちの宮野村子が最後とあって、舐めるようにして読んだのだが、やはり宮野村子はいい。もともと盛林堂ミステリアス文庫の宮野短篇集は単行本未収録作を中心に編んでいるため、論創ミステリ叢書のそれに比べると、ややライトというか、あちらほど濃い作品は少なかった印象はあるけれども、全体的には作者の魅力は十分に味わえるだろう。
なお、巻末の「あとがきにかえて」によると、宮野短篇集は後二冊予定されているようだが、本書が刊行されて二年近く経つものの続刊は未だ発売されていない。もし収録作の都合で停滞しているようなら、その前に長篇の方も復刊してもらっていいのではないか。期待しております。
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風見潤/編『SFミステリ傑作選』(講談社文庫)
風見潤/編『SFミステリ傑作選』を読む。書名どおりSFミステリのアンソロジーで、この種のアンソロジーとしては以前に新潮文庫で読んだアイザック・アシモフ/編『SF九つの犯罪』があるけれど、幸いにして重複する作品はない。収録作は以下のとおり。
アイザック・アシモフ「ミラー・イメージ」
J・G・バラード「消えたダ・ヴィンチ」
キース・ローマー「明日(あす)より永久(とわ)に」
アンソニー・バウチャー「ピンクの芋虫」
エドワード・D・ホック「ウラフラム・ハンター」
ランドル・ギャレット「重力の問題」
▲風見潤/編『SFミステリ傑作選』(講談社文庫)【amazon】
1980年刊行で少々古いアンソロジーではあるが、この本でないと読めなかったり、古い雑誌に掲載されたままの作品がまとめて読めるのが嬉しいところである。以下、各作品のコメントなど。
「ミラー・イメージ」はSF本格ミステリの傑作『鋼鉄都市』に登場するロボット&人間の名コンビ、R・ダニール・オリヴォー&イライジャ・ベイリものの貴重な短篇。SFミステリにもいろいろなタイプやアプローチの作品があるけれど、やはりアシモフは格が違う。タイトルは鏡像のようにまったく同じ証言をする二人の容疑者を意味しており、どちらが嘘をついているかという問題を解決する佳作。
なお、本作は本書以外に、アシモフのロボットもの短篇全集となるソニー・マガジンズの『コンプリート・ロボット』でも読むことができる。ただ残念なことに本書、『コンプリート・ロボット』のどちらも絶版である。
「消えたダ・ヴィンチ」はルーブル美術館からダ・ヴィンチの名画「キリストの磔刑」が盗まれるという事件で幕を開ける。調査が続くうち、過去にもキリストの磔を題材にした絵が盗まれ、その後、帰ってきた事実が明らかになるが……。
あのバラードがSFミステリを書いていたという事実にも驚くのだが、その事件の真相、動機にはさらに驚かされる。個人的には本書中のベスト。なお、本作は東京創元社の『J・G・バラード短編全集〈3〉』でも読むことができるようだ。こちらは現役。
キース・ローマーはシリアス&活劇系の派手なSFを得意とする作家だが、「明日より永久に」もその系統といっていいだろう。ハードボイルドの調べに乗せて活躍する記憶喪失の主人公が実に魅力的である。謎解き云々はそこまでではないけれども、ストーリーと雰囲気は悪くない。かつて「SFマガジン」1972年10月号に掲載された。
「ピンクの芋虫」はバウチャーの作品というだけで嬉しいのだが、雰囲気は悪くないけれど、出来は本書中で一番落ちるかも。
心臓麻痺で亡くなった男は医師を名乗っていたが、医師らしいことは何一つ行っていなかった。唯一の医師らしいことといえば骸骨の標本を持っていたことで……。「ミステリマガジン」1972年3月号に掲載された。
「ウラフラム・ハンター」は短篇の名手ホックの手によるものだけにさすがに安定の出来である。文明崩壊後の科学が退行した未来世界を舞台にし、そこで起きた殺人事件を通して、文明の復興を歌い上げる。テーマは壮大だけれど事件そのものはすごくホック的でこのギャップが微笑ましい。「奇想天外」1978年1月号に掲載された。
ラストはランドル・ギャレットの「重力の問題」。魔術師が実在する世界で事件を解決するダーシー卿ものの一作である。塔の上にある実験室からジルベール卿が墜落死する。卿は何者かに突き落とされたとしか思えないのだが……という一席で、密室仕立てなのが嬉しいところだ。まあ、トリック自体はこんなものだろうが、ラストが良いのである。
ちなみに本作のみ本書でしか読めないのが惜しいところで、これを含めてどこかでダーシー卿ものの短篇をまとめてもいいのではないだろうか。
ということでSFミステリのアンソロジーとしては上々のラインナップなのだが、問題は妙にプレミアがついていて古書価がはることだ。ほとんどの作品は本書以外でも読むことは可能だが、むしろそちらの方が手間もコストもかかってしまう。「ミラー・イメージ」収録の『コンプリート・ロボット』なんて本書以上にとんでもない値付けがされているほどだ。
メジャーな作家もそこそこ入っているし、昨今のファンは特殊設定ミステリとやらで免疫もできているだろうから、意外に需要はあるかもしれない。講談社でなくてももちろんかまわないので、ぜひどこかで復刊してもらいたいものだ。
アイザック・アシモフ「ミラー・イメージ」
J・G・バラード「消えたダ・ヴィンチ」
キース・ローマー「明日(あす)より永久(とわ)に」
アンソニー・バウチャー「ピンクの芋虫」
エドワード・D・ホック「ウラフラム・ハンター」
ランドル・ギャレット「重力の問題」
▲風見潤/編『SFミステリ傑作選』(講談社文庫)【amazon】
1980年刊行で少々古いアンソロジーではあるが、この本でないと読めなかったり、古い雑誌に掲載されたままの作品がまとめて読めるのが嬉しいところである。以下、各作品のコメントなど。
「ミラー・イメージ」はSF本格ミステリの傑作『鋼鉄都市』に登場するロボット&人間の名コンビ、R・ダニール・オリヴォー&イライジャ・ベイリものの貴重な短篇。SFミステリにもいろいろなタイプやアプローチの作品があるけれど、やはりアシモフは格が違う。タイトルは鏡像のようにまったく同じ証言をする二人の容疑者を意味しており、どちらが嘘をついているかという問題を解決する佳作。
なお、本作は本書以外に、アシモフのロボットもの短篇全集となるソニー・マガジンズの『コンプリート・ロボット』でも読むことができる。ただ残念なことに本書、『コンプリート・ロボット』のどちらも絶版である。
「消えたダ・ヴィンチ」はルーブル美術館からダ・ヴィンチの名画「キリストの磔刑」が盗まれるという事件で幕を開ける。調査が続くうち、過去にもキリストの磔を題材にした絵が盗まれ、その後、帰ってきた事実が明らかになるが……。
あのバラードがSFミステリを書いていたという事実にも驚くのだが、その事件の真相、動機にはさらに驚かされる。個人的には本書中のベスト。なお、本作は東京創元社の『J・G・バラード短編全集〈3〉』でも読むことができるようだ。こちらは現役。
キース・ローマーはシリアス&活劇系の派手なSFを得意とする作家だが、「明日より永久に」もその系統といっていいだろう。ハードボイルドの調べに乗せて活躍する記憶喪失の主人公が実に魅力的である。謎解き云々はそこまでではないけれども、ストーリーと雰囲気は悪くない。かつて「SFマガジン」1972年10月号に掲載された。
「ピンクの芋虫」はバウチャーの作品というだけで嬉しいのだが、雰囲気は悪くないけれど、出来は本書中で一番落ちるかも。
心臓麻痺で亡くなった男は医師を名乗っていたが、医師らしいことは何一つ行っていなかった。唯一の医師らしいことといえば骸骨の標本を持っていたことで……。「ミステリマガジン」1972年3月号に掲載された。
「ウラフラム・ハンター」は短篇の名手ホックの手によるものだけにさすがに安定の出来である。文明崩壊後の科学が退行した未来世界を舞台にし、そこで起きた殺人事件を通して、文明の復興を歌い上げる。テーマは壮大だけれど事件そのものはすごくホック的でこのギャップが微笑ましい。「奇想天外」1978年1月号に掲載された。
ラストはランドル・ギャレットの「重力の問題」。魔術師が実在する世界で事件を解決するダーシー卿ものの一作である。塔の上にある実験室からジルベール卿が墜落死する。卿は何者かに突き落とされたとしか思えないのだが……という一席で、密室仕立てなのが嬉しいところだ。まあ、トリック自体はこんなものだろうが、ラストが良いのである。
ちなみに本作のみ本書でしか読めないのが惜しいところで、これを含めてどこかでダーシー卿ものの短篇をまとめてもいいのではないだろうか。
ということでSFミステリのアンソロジーとしては上々のラインナップなのだが、問題は妙にプレミアがついていて古書価がはることだ。ほとんどの作品は本書以外でも読むことは可能だが、むしろそちらの方が手間もコストもかかってしまう。「ミラー・イメージ」収録の『コンプリート・ロボット』なんて本書以上にとんでもない値付けがされているほどだ。
メジャーな作家もそこそこ入っているし、昨今のファンは特殊設定ミステリとやらで免疫もできているだろうから、意外に需要はあるかもしれない。講談社でなくてももちろんかまわないので、ぜひどこかで復刊してもらいたいものだ。
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西村京太郎『ある朝 海に』(講談社文庫)
西村京太郎初期作品読破計画、今回は1971年に刊行され第六長篇『ある朝 海に』である。長篇デビュー作の『四つの終止符』が1964年刊行なのだが、そこから本作前年までの七年間ではたった五作しか出ていない。年一冊ペースにも達していないのである。その後、売れっ子になってからは月一冊で新刊が出るまでになったが、初期はいたって普通のペースだったことがわかる。
安易に粗製濫造というフレーズで括りたくはないけれども、この頃の作品はやはり時間をかけているせいかクオリティも高い。型にハマったミステリではなく、毎回きちんとテーマを設け、さまざまな工夫やチャレンジをしていたことが良い。
『ある朝 海に』もそれまでに書いたどの長篇とも異なる方向を目指しており、粗いところがありつつも全体では十分力作と呼べるものになっている。
こんな話。南アフリカにやってきたフリーカメラマンの田沢利夫。領事館ではアパルトヘイト制度下での注意を聞かされたにもかかわらず、白人警官に暴行されている黒人の少年を庇ったことから警察に追われてしまう。
その窮地を救ったのが、ハギンズと名乗る青年弁護士であった。ハギンズは田沢の行動に感銘し、ある計画に勧誘する。それは国連に対してアパルトヘイト制度に反対する要求を突きつけるため、アメリカの豪華客船をシージャックするというものだった……。
▲西村京太郎『ある朝 海に』(講談社文庫)【amazon】
西村京太郎の初期には、海や船を舞台にした海洋ものと言われる作品も多いが、本作は作者が初めて書いた海洋ものである。しかも豪華客船のシージャックという冒険小説仕立てであり、加えて当時の南アフリカで施行されていたアパルトヘイト政策を題材にしている。設定もテーマもスケールが大きく、これがまず魅力的だ。
正直いうと、プロパーの書く冒険小説に比べると弱さは否めない。それはシージャックにおける計画のリアリティの欠如であったり、田沢らシージャックのメンバーの寄せ集め具合だったり。こんな杜撰な計画ではとても成功しそうにないと思うのだが、そういうドタバタも含めて上手くストーリーを展開させているのがポイントだろう。無理に専門的な要素を打ち出すのではなく、あくまで作者が処理可能な範囲でまとめ、足りない部分は別の形で盛り上げるのである。
それがわかりやすく出ているのは、後半で発生する殺人事件である。あくまで本筋ではなく、流れを止めてしまうリスクもあるのだが、それでもあえて挿入するのは、サスペンスを異なる角度から盛り上げようとする作者ならではの工夫とサービス精神だろう。
というわけで冒険小説好きには少々引っかかるところもあるが、全般的には楽しく読める。ラストのどんでん返しも悪くないし、当時の西村京太郎の志の高さが感じられる一冊でもある。
安易に粗製濫造というフレーズで括りたくはないけれども、この頃の作品はやはり時間をかけているせいかクオリティも高い。型にハマったミステリではなく、毎回きちんとテーマを設け、さまざまな工夫やチャレンジをしていたことが良い。
『ある朝 海に』もそれまでに書いたどの長篇とも異なる方向を目指しており、粗いところがありつつも全体では十分力作と呼べるものになっている。
こんな話。南アフリカにやってきたフリーカメラマンの田沢利夫。領事館ではアパルトヘイト制度下での注意を聞かされたにもかかわらず、白人警官に暴行されている黒人の少年を庇ったことから警察に追われてしまう。
その窮地を救ったのが、ハギンズと名乗る青年弁護士であった。ハギンズは田沢の行動に感銘し、ある計画に勧誘する。それは国連に対してアパルトヘイト制度に反対する要求を突きつけるため、アメリカの豪華客船をシージャックするというものだった……。
▲西村京太郎『ある朝 海に』(講談社文庫)【amazon】
西村京太郎の初期には、海や船を舞台にした海洋ものと言われる作品も多いが、本作は作者が初めて書いた海洋ものである。しかも豪華客船のシージャックという冒険小説仕立てであり、加えて当時の南アフリカで施行されていたアパルトヘイト政策を題材にしている。設定もテーマもスケールが大きく、これがまず魅力的だ。
正直いうと、プロパーの書く冒険小説に比べると弱さは否めない。それはシージャックにおける計画のリアリティの欠如であったり、田沢らシージャックのメンバーの寄せ集め具合だったり。こんな杜撰な計画ではとても成功しそうにないと思うのだが、そういうドタバタも含めて上手くストーリーを展開させているのがポイントだろう。無理に専門的な要素を打ち出すのではなく、あくまで作者が処理可能な範囲でまとめ、足りない部分は別の形で盛り上げるのである。
それがわかりやすく出ているのは、後半で発生する殺人事件である。あくまで本筋ではなく、流れを止めてしまうリスクもあるのだが、それでもあえて挿入するのは、サスペンスを異なる角度から盛り上げようとする作者ならではの工夫とサービス精神だろう。
というわけで冒険小説好きには少々引っかかるところもあるが、全般的には楽しく読める。ラストのどんでん返しも悪くないし、当時の西村京太郎の志の高さが感じられる一冊でもある。
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ザ・ゴードンズ『盗聴』(論創海外ミステリ)
ザ・ゴードンズの『盗聴』を読む。内容もさることながら、まずこの「ザ・ゴードンズ」というペンネームが気になってしょうがない。実はこれ、ゴードン・ゴードンとミルドレッド・ゴードンという夫婦作家の合作用ペンネームである。二人とも元々は出版関係の仕事に就いていたのだが、その後、奥方のミルドレッドは作家に、夫のゴードンは広告関係を経てFBIで諜報活動に携わっていた。
戦後になってゴードンがFBIを辞職し、二人で小説を書くようになり、そこで用いられたのが「ザ・ゴードンズ」というペンネームのようだ。
こんな話。グレッグ・エヴァンズ警部補は盗聴チームに配属されている。犯罪に絡む家庭に盗聴器を仕掛け、事件を未然に防ぐのが大きな役目である。その性質上、チームの存在は公にされておらず、一般の捜査陣にも機密扱いであった。
そんなある日、マネーロンダリングの大物を追って盗聴を続けていると、ある会話から若い女性の命が狙われていることを示唆するやり取りが浮かび上がる。グレッグは殺人を食い止めるべく、捜査に乗り出すが……。
▲ザ・ゴードンズ『盗聴』(論創海外ミステリ)【amazon】
何といっても警察の盗聴という題材が肝である。当時(1950年代)のアメリカにあっても一般家庭の盗聴は違法スレスレのところなのだが、それ以外にもマジックミラーを用いた捜査など、警察の強引なやり方は日常茶飯事である。そんな捜査の在り方と自らの良心の間で揺れ動く主人公の心情が隠れたテーマともいえるだろう。
一方で全体のノリはそこまでシリアスでもなく、むしろライトなイメージである。トータルすると非常に既視感のある世界観というか懐かしい感じであり、要するに50〜60年代あたりのアメリカの警察ドラマを連想させてくれるのだ。
ただし、テレビドラマほどシンプルな内容ではない。先に挙げた主人公の姿、盗聴からの推理、裏切り、マスコミとの駆け引き、追跡劇などなど、ストーリーにはさまざまな要素が盛り込まれており、これがなかなか読ませる。序盤こそやや説明不足の感があり、状況が掴みにくいところもあるけれど、そこさえ超えればあとは一気であろう。
ということで上々のエンタメであり、必読レベルとは言わないけれども、警察小説やクライムノベルのファンであれば読んで損はない一冊。この種の作品は最近の論創海外ミステリでは珍しいラインナップになってしまったが、できればより本領を発揮しているであろうFBI捜査官ジョン・リプリーものも読んでみたいところである。
戦後になってゴードンがFBIを辞職し、二人で小説を書くようになり、そこで用いられたのが「ザ・ゴードンズ」というペンネームのようだ。
こんな話。グレッグ・エヴァンズ警部補は盗聴チームに配属されている。犯罪に絡む家庭に盗聴器を仕掛け、事件を未然に防ぐのが大きな役目である。その性質上、チームの存在は公にされておらず、一般の捜査陣にも機密扱いであった。
そんなある日、マネーロンダリングの大物を追って盗聴を続けていると、ある会話から若い女性の命が狙われていることを示唆するやり取りが浮かび上がる。グレッグは殺人を食い止めるべく、捜査に乗り出すが……。
▲ザ・ゴードンズ『盗聴』(論創海外ミステリ)【amazon】
何といっても警察の盗聴という題材が肝である。当時(1950年代)のアメリカにあっても一般家庭の盗聴は違法スレスレのところなのだが、それ以外にもマジックミラーを用いた捜査など、警察の強引なやり方は日常茶飯事である。そんな捜査の在り方と自らの良心の間で揺れ動く主人公の心情が隠れたテーマともいえるだろう。
一方で全体のノリはそこまでシリアスでもなく、むしろライトなイメージである。トータルすると非常に既視感のある世界観というか懐かしい感じであり、要するに50〜60年代あたりのアメリカの警察ドラマを連想させてくれるのだ。
ただし、テレビドラマほどシンプルな内容ではない。先に挙げた主人公の姿、盗聴からの推理、裏切り、マスコミとの駆け引き、追跡劇などなど、ストーリーにはさまざまな要素が盛り込まれており、これがなかなか読ませる。序盤こそやや説明不足の感があり、状況が掴みにくいところもあるけれど、そこさえ超えればあとは一気であろう。
ということで上々のエンタメであり、必読レベルとは言わないけれども、警察小説やクライムノベルのファンであれば読んで損はない一冊。この種の作品は最近の論創海外ミステリでは珍しいラインナップになってしまったが、できればより本領を発揮しているであろうFBI捜査官ジョン・リプリーものも読んでみたいところである。
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エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)
エドワード・アンダースンの『夜の人々』を読む。ノワール小説の原点とも称され、レイモンド・チャンドラーも激賞した一作である。
まずはストーリーから。刑務所を脱獄した三人の男たち、リーダー格のTダブ、アメリカ先住民の血を引くチカモウ、そして終身刑で服役していた青年ボウイ・バウアーズ。彼らはチカモウの従兄ディーの家に身を隠し、銀行強盗の計画を練っては犯行を重ねてゆく。一方、ボウイはディーの家で知り合った娘キーチーに心惹かれるが、やがて二人の運命を大きく変える事件が起こる……。
▲エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)【amazon】
過去に二度映画化されたこともあって作品自体は知られていたが、その原作はこれが本邦初訳であり、新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」は相変わらずいい仕事をやってくれる。そして、その内容もまた期待に違わぬ出来であった。
この手のノワールによくあるようにストーリーは特別、珍しいものではない。恵まれない境遇にある若者が道を踏み外し、犯罪によって幸せを見出そうとするが結局は転落していくというパターンである。本作も然りで、前半は銀行強盗で束の間の金を手にするが、後半は一転して逃避行を余儀なくされる。少し特徴的なのは後半が主人公と恋人の逃避行になることから、ノワールに加えて恋愛小説の香りも感じられることだろうか。ただ、恋愛要素が入っているとはいえ、それは荒んだ恋愛であり、先のまったく見えない暗い恋愛ではあるが。
また、恋愛要素が入っているとはいえ、それが肝になるわけではない。全体を通して流れるのは、社会への批判であり、抑圧された日々からの解放である。社会の仕組みによって、彼らは生まれたときから逃れられない運命にある。綺麗事だけでは生きていけず、やむを得ず法に背くことで幸せを掴もうとする。
リーダー格のTダブは、自分たちが犯罪を犯すことを自覚はしているが、ブルジョワたちが暴力を使わないだけであって、人から金を盗んでいること自体は自分たちと同じだと言う。また、貧乏人や困っている人から金を盗むことはしないと嘯く。それが読者の同情や共感を呼ぶわけだが、その一方で、こういうセリフもまた嘘くささを感じるところもある。このバランスの危うさが魅力で、人間の変わらぬ緩慢さというものが非常に上手く描かれているといえる。
上手いといえば、ときおり挿入される新聞記事も巧みである。世論の誘導や情報操作を感じさせ、こういうマスコミの怖さもさりげなく盛り込むところなど、実に達者なものだ。
最終的に彼らは自分の犯した犯罪によってカタストロフィを迎える。結局は直接的な暴力、個人的な暴力には限界があるのである。そうした転落の様が淡々と描かれ、その描写が殺伐としたストーリーとマッチして、独特の味わいを生む。その感性は非常に鮮やか、かつ普遍的であり、とても1937年に書かれたとは思えないほど完成度は高い。ノワールファンであれば見逃せない一冊である。
まずはストーリーから。刑務所を脱獄した三人の男たち、リーダー格のTダブ、アメリカ先住民の血を引くチカモウ、そして終身刑で服役していた青年ボウイ・バウアーズ。彼らはチカモウの従兄ディーの家に身を隠し、銀行強盗の計画を練っては犯行を重ねてゆく。一方、ボウイはディーの家で知り合った娘キーチーに心惹かれるが、やがて二人の運命を大きく変える事件が起こる……。
▲エドワード・アンダースン『夜の人々』(新潮文庫)【amazon】
過去に二度映画化されたこともあって作品自体は知られていたが、その原作はこれが本邦初訳であり、新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」は相変わらずいい仕事をやってくれる。そして、その内容もまた期待に違わぬ出来であった。
この手のノワールによくあるようにストーリーは特別、珍しいものではない。恵まれない境遇にある若者が道を踏み外し、犯罪によって幸せを見出そうとするが結局は転落していくというパターンである。本作も然りで、前半は銀行強盗で束の間の金を手にするが、後半は一転して逃避行を余儀なくされる。少し特徴的なのは後半が主人公と恋人の逃避行になることから、ノワールに加えて恋愛小説の香りも感じられることだろうか。ただ、恋愛要素が入っているとはいえ、それは荒んだ恋愛であり、先のまったく見えない暗い恋愛ではあるが。
また、恋愛要素が入っているとはいえ、それが肝になるわけではない。全体を通して流れるのは、社会への批判であり、抑圧された日々からの解放である。社会の仕組みによって、彼らは生まれたときから逃れられない運命にある。綺麗事だけでは生きていけず、やむを得ず法に背くことで幸せを掴もうとする。
リーダー格のTダブは、自分たちが犯罪を犯すことを自覚はしているが、ブルジョワたちが暴力を使わないだけであって、人から金を盗んでいること自体は自分たちと同じだと言う。また、貧乏人や困っている人から金を盗むことはしないと嘯く。それが読者の同情や共感を呼ぶわけだが、その一方で、こういうセリフもまた嘘くささを感じるところもある。このバランスの危うさが魅力で、人間の変わらぬ緩慢さというものが非常に上手く描かれているといえる。
上手いといえば、ときおり挿入される新聞記事も巧みである。世論の誘導や情報操作を感じさせ、こういうマスコミの怖さもさりげなく盛り込むところなど、実に達者なものだ。
最終的に彼らは自分の犯した犯罪によってカタストロフィを迎える。結局は直接的な暴力、個人的な暴力には限界があるのである。そうした転落の様が淡々と描かれ、その描写が殺伐としたストーリーとマッチして、独特の味わいを生む。その感性は非常に鮮やか、かつ普遍的であり、とても1937年に書かれたとは思えないほど完成度は高い。ノワールファンであれば見逃せない一冊である。
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キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』(新潮文庫)
キャサリン・ライアン・ハワードの『ナッシング・マン』を読む。昨年読んだ作品の一つにジョセフ・ノックスの『トゥルー・クライム・ストーリー』があり、これが作中作としての『トゥルー・クライム・ストーリー』を盛り込んだメタミステリーの傑作であった。
そして、本作もまた作中作『ナッシング・マン』を扱うメタミステリーなのである。
こんな話。イヴ・ブラックが十二歳のとき、家を連続殺人鬼が襲った。両親と妹が惨殺され、唯一、イヴだけが生き残る。やがて成人とった彼女は、幸福だった人生をぶち壊し殺人鬼の正体をつきとめようと、これまでの経緯をノンフィクション小説『ナッシング・マン』として出版する。
一方、ショッピング・モールで警備員として勤めるジム・ドイルは、偶然にこの本の存在を知り、自分の犯行が暴かれそうになっていることに気づくのだが……。
▲キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』(新潮文庫)【amazon】
なるほど、そう来たか。メタミステリーにもいろいろなアプローチがあるけれども、本作は比較的シンプルな方か。
本作は大きく二つのパートで語られる。ひとつは過去の経緯が作中作という形で描かれ、もうひとつはそれを読んでいる犯人の現在進行形のパートである。ぶっちゃけ言うと、アイデアは悪くないのだが、作中作にする必然性がそこまであるのかな、という疑問が残る。
というのも作中作が結局は過去の経緯を語るだけだからである。そこには犯人像を客観的に掘り下げようとか、サスペンスを高めようという意味合いがあると思うのだが、これだけなら時間軸で普通に語ってもいいのではないか、むしろサスペンスとしてはマイナスではないか、と思えてしまうのである。
一方で、現在進行形で語られる犯人視点でのパートでは、作中作を読み進める犯人の心理が細かく描かれて興味深い。淡々と語られる作中作のパートに比べ、こちらの方が非常に生き生きと描かれ、倒叙ものにも通ずるような面白さがあって引き込まれる。
ということで基本的には面白い作品だとは思うのだが、作中作という形を用いることで逆にハードルを自分で上げてしまったところもあり、そこが惜しい作品である。
ちなみにキャサリン・ライアン・ハワードは初めて読む作家だが、未訳作品やすでに二作ほどある邦訳も含めてトリッキーな作風が特徴なようで、今後も気になる作家ではある。既刊の『56日間』、『遭難信号』も少し探してみるとしよう。
そして、本作もまた作中作『ナッシング・マン』を扱うメタミステリーなのである。
こんな話。イヴ・ブラックが十二歳のとき、家を連続殺人鬼が襲った。両親と妹が惨殺され、唯一、イヴだけが生き残る。やがて成人とった彼女は、幸福だった人生をぶち壊し殺人鬼の正体をつきとめようと、これまでの経緯をノンフィクション小説『ナッシング・マン』として出版する。
一方、ショッピング・モールで警備員として勤めるジム・ドイルは、偶然にこの本の存在を知り、自分の犯行が暴かれそうになっていることに気づくのだが……。
▲キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』(新潮文庫)【amazon】
なるほど、そう来たか。メタミステリーにもいろいろなアプローチがあるけれども、本作は比較的シンプルな方か。
本作は大きく二つのパートで語られる。ひとつは過去の経緯が作中作という形で描かれ、もうひとつはそれを読んでいる犯人の現在進行形のパートである。ぶっちゃけ言うと、アイデアは悪くないのだが、作中作にする必然性がそこまであるのかな、という疑問が残る。
というのも作中作が結局は過去の経緯を語るだけだからである。そこには犯人像を客観的に掘り下げようとか、サスペンスを高めようという意味合いがあると思うのだが、これだけなら時間軸で普通に語ってもいいのではないか、むしろサスペンスとしてはマイナスではないか、と思えてしまうのである。
一方で、現在進行形で語られる犯人視点でのパートでは、作中作を読み進める犯人の心理が細かく描かれて興味深い。淡々と語られる作中作のパートに比べ、こちらの方が非常に生き生きと描かれ、倒叙ものにも通ずるような面白さがあって引き込まれる。
ということで基本的には面白い作品だとは思うのだが、作中作という形を用いることで逆にハードルを自分で上げてしまったところもあり、そこが惜しい作品である。
ちなみにキャサリン・ライアン・ハワードは初めて読む作家だが、未訳作品やすでに二作ほどある邦訳も含めてトリッキーな作風が特徴なようで、今後も気になる作家ではある。既刊の『56日間』、『遭難信号』も少し探してみるとしよう。