Posted in 02 2021
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岡田鯱彦『岡田鯱彦探偵小説選II』(論創ミステリ叢書)
『岡田鯱彦探偵小説選II』を読む。I巻の方は今年の年明け早々に読んでおり、これも悪くなかったのだが、中編の「赤い頸巻(マフラー)」以外はやや軽めのものが多く、著者の本領発揮とまではいかない感じであった。しかし本書の方はガチガチの本格揃いということなので、いやがうえにも期待は高まってしまう。
「幽溟荘の殺人」
「愛(エロス)の殺人」
「52番目の密室 情痴の殺人」
「夢魔」
「三味線殺人事件」
「雪の夜語り」
「空間に舞う」
「G大生の女給殺し事件」
「あざ笑う密室」
収録作は以上。「幽溟荘の殺人」が長篇で、その他は短編という構成だが、先にかいたように全編本格で固めてあるのが嬉しい。しかも岡田鯱彦の場合、短篇といってもけっこうボリュームのあるものが多いことに加え、比較的質が安定していることもあって、これは大変楽しい一冊であった。
目玉はやはり長編の「幽溟荘の殺人」と言えるだろう。過去のトラブルから復讐を企てる手紙を受け取った夫妻と、それを防ごうとす探偵の物語。設定がこじんまりとしているので、どうしても真相を読まれやすい弱点はあるが、手がかり索引や“読者への挑戦”を盛り込むなど著者の熱量の高さが好ましい。何よりプロットがしっかりしていて、良い本格ミステリを読んだという気にさせてくれる。
短篇では「愛(エロス)の殺人」がよい。ヒロインの女性にちょっかいを出した人間が次々に死んでしまうという流れが面白い。特に二回目の事件が、一回目の事件と同じシチュエーションで繰り返されるに及び、「あ、これはちゃんと読まないとダメなやつだ」と襟を正してくれる(笑)。最後に探偵役がそのシチュエーションに身を投じる展開もあってサスペンスも上々である。ただ、ヒロインがそこまでモテる理由がよくわからん(苦笑)。
『岡田鯱彦探偵小説選I』の感想でも書いたけれど、岡田鯱彦はしっかりドラマを作り上げ、できるだけ犯罪に巻き込まれた人々の心理を描いてくれるのがいい。もちろんミステリなので制限はあるが、逆にミステリとしていまひとつであっても物語として惹きつけるものがある。
ミステリ史上においても『薫大将と匂の宮』という記憶に残る作品を描いているわけだし、もう少し知名度が上がって、残る作品も復刻されると嬉しいのだが。けっこう好きな作家だけに残念なことだ。
「幽溟荘の殺人」
「愛(エロス)の殺人」
「52番目の密室 情痴の殺人」
「夢魔」
「三味線殺人事件」
「雪の夜語り」
「空間に舞う」
「G大生の女給殺し事件」
「あざ笑う密室」
収録作は以上。「幽溟荘の殺人」が長篇で、その他は短編という構成だが、先にかいたように全編本格で固めてあるのが嬉しい。しかも岡田鯱彦の場合、短篇といってもけっこうボリュームのあるものが多いことに加え、比較的質が安定していることもあって、これは大変楽しい一冊であった。
目玉はやはり長編の「幽溟荘の殺人」と言えるだろう。過去のトラブルから復讐を企てる手紙を受け取った夫妻と、それを防ごうとす探偵の物語。設定がこじんまりとしているので、どうしても真相を読まれやすい弱点はあるが、手がかり索引や“読者への挑戦”を盛り込むなど著者の熱量の高さが好ましい。何よりプロットがしっかりしていて、良い本格ミステリを読んだという気にさせてくれる。
短篇では「愛(エロス)の殺人」がよい。ヒロインの女性にちょっかいを出した人間が次々に死んでしまうという流れが面白い。特に二回目の事件が、一回目の事件と同じシチュエーションで繰り返されるに及び、「あ、これはちゃんと読まないとダメなやつだ」と襟を正してくれる(笑)。最後に探偵役がそのシチュエーションに身を投じる展開もあってサスペンスも上々である。ただ、ヒロインがそこまでモテる理由がよくわからん(苦笑)。
『岡田鯱彦探偵小説選I』の感想でも書いたけれど、岡田鯱彦はしっかりドラマを作り上げ、できるだけ犯罪に巻き込まれた人々の心理を描いてくれるのがいい。もちろんミステリなので制限はあるが、逆にミステリとしていまひとつであっても物語として惹きつけるものがある。
ミステリ史上においても『薫大将と匂の宮』という記憶に残る作品を描いているわけだし、もう少し知名度が上がって、残る作品も復刻されると嬉しいのだが。けっこう好きな作家だけに残念なことだ。
先月、河出文庫から童話をテーマにした二冊のアンソロジーが出た。『カチカチ山殺人事件 昔ばなし×ミステリー【日本篇】』と『ハーメルンの笛吹きと完全犯罪: 昔ばなし×ミステリー【世界篇】』である。おそらく青柳碧人の『むかしむかしあるところに、死体がありました。』あたりの人気にあやかったものだろうが、まあテーマは面白そうなのでさっそく買ってみた。
ただ、帰宅後にふと気になることがあって奥付を見たら、案の定、河出文庫で昔出ていた『お伽噺ミステリー傑作選』と『メルヘン・ミステリー傑作選』の改題である。ううむ、やられた。それなら両方持っているし、とっくの昔に読んでいる。何なら『メルヘン・ミステリー傑作選』はこのブログに感想までアップしている。出版社は改題するのはいいとしても、せめて原題は小さくてもいいから帯にも書いておいてほしいものである。
というわけで再読になる『カチカチ山殺人事件 昔ばなし×ミステリー【日本篇】』だが、もう中身はすっかり忘れているので、改めて読んでみた。まずは収録作。
伴野朗「カチカチ山殺人事件」
都築道夫「猿かに合戦」
戸川昌子「怨念の宿」
高木彬光「月世界の女」
井沢元彦「乙姫の贈物」
佐野洋「愛は死よりも」
斎藤栄「花咲爺さん殺人事件」
「カチカチ山殺人事件」は伴野朗がこういうものを描いていたという驚きはあるものの、トリックがクイズレベルであり、昔ばなしや童話との繋がりも薄くていただけない。
「猿かに合戦」は都築道夫お得意のスラップスティック・コメディで、忍者の戦いをミックスさせているのがミソ。『悪意銀行』とかが好きな人にはおすすめ。
戸川昌子「怨念の宿」は本書中のイチ押し。「舌切りスズメ」をネタにしており、著者らしくエロ要素を前面に押し出しているが、事件との重ね方がとにかく秀逸。異常な登場人物ばかりというのもサスペンスを高めている。真相がほぼ語りで明かされるのが惜しいところだ。
「月世界の女」は神津もの。ストーリー自体は現代版「竹取物語」で面白いが、メイントリックのリアリティがちょっと疑問。
「乙姫の贈物」は「浦島太郎」と三億円事件のミックスネタだが、前半はサスペンス、後半は安楽椅子探偵と、いろいろ盛り沢山。しかし、真相はかなり予想しやすく、犯人の特定も強引すぎていまひとつ。
「愛は死よりも」はミステリというよりショートショート。「桃太郎」前日譚である。それだけ。
斎藤栄は何と、その名も『お伽噺殺人事件』という短篇集も残しているそうで、「花咲爺さん殺人事件」はその中に収録されていた一編。主人公は犯罪請のプロフェッショナルという設定だが、その割にはミスが多く、コミカルなのかシリアスなのか寄せ方がちょっと中途半端な感じ。
童話や昔ばなしは、子供にとって楽しいストーリーというだけではなく、子供がこれからの社会で必要となる道徳を教えるといった教訓的な側面もある。そして、その教訓をより効果的に伝えるため、インパクトのある怖い要素やエロチックな要素が巧みにブレンドされているのである。
つまり、もともとホラーやエロチックという要素を含む童話や昔ばなしは、基本的にミステリとは相性がいいわけで、本書に収録されている作品もそれぞれ上手くテーマを取り込むことには成功している。
ただ、ミステリとしてはやや低調な感じで、童話による見立て殺人あたりを期待するとちょっとガッカリするかもしれないのでご注意を。個人的には戸川昌子「怨念の宿」の印象が強烈で、それが再確認できただけでよしとすべきか。
ただ、帰宅後にふと気になることがあって奥付を見たら、案の定、河出文庫で昔出ていた『お伽噺ミステリー傑作選』と『メルヘン・ミステリー傑作選』の改題である。ううむ、やられた。それなら両方持っているし、とっくの昔に読んでいる。何なら『メルヘン・ミステリー傑作選』はこのブログに感想までアップしている。出版社は改題するのはいいとしても、せめて原題は小さくてもいいから帯にも書いておいてほしいものである。
というわけで再読になる『カチカチ山殺人事件 昔ばなし×ミステリー【日本篇】』だが、もう中身はすっかり忘れているので、改めて読んでみた。まずは収録作。
伴野朗「カチカチ山殺人事件」
都築道夫「猿かに合戦」
戸川昌子「怨念の宿」
高木彬光「月世界の女」
井沢元彦「乙姫の贈物」
佐野洋「愛は死よりも」
斎藤栄「花咲爺さん殺人事件」
「カチカチ山殺人事件」は伴野朗がこういうものを描いていたという驚きはあるものの、トリックがクイズレベルであり、昔ばなしや童話との繋がりも薄くていただけない。
「猿かに合戦」は都築道夫お得意のスラップスティック・コメディで、忍者の戦いをミックスさせているのがミソ。『悪意銀行』とかが好きな人にはおすすめ。
戸川昌子「怨念の宿」は本書中のイチ押し。「舌切りスズメ」をネタにしており、著者らしくエロ要素を前面に押し出しているが、事件との重ね方がとにかく秀逸。異常な登場人物ばかりというのもサスペンスを高めている。真相がほぼ語りで明かされるのが惜しいところだ。
「月世界の女」は神津もの。ストーリー自体は現代版「竹取物語」で面白いが、メイントリックのリアリティがちょっと疑問。
「乙姫の贈物」は「浦島太郎」と三億円事件のミックスネタだが、前半はサスペンス、後半は安楽椅子探偵と、いろいろ盛り沢山。しかし、真相はかなり予想しやすく、犯人の特定も強引すぎていまひとつ。
「愛は死よりも」はミステリというよりショートショート。「桃太郎」前日譚である。それだけ。
斎藤栄は何と、その名も『お伽噺殺人事件』という短篇集も残しているそうで、「花咲爺さん殺人事件」はその中に収録されていた一編。主人公は犯罪請のプロフェッショナルという設定だが、その割にはミスが多く、コミカルなのかシリアスなのか寄せ方がちょっと中途半端な感じ。
童話や昔ばなしは、子供にとって楽しいストーリーというだけではなく、子供がこれからの社会で必要となる道徳を教えるといった教訓的な側面もある。そして、その教訓をより効果的に伝えるため、インパクトのある怖い要素やエロチックな要素が巧みにブレンドされているのである。
つまり、もともとホラーやエロチックという要素を含む童話や昔ばなしは、基本的にミステリとは相性がいいわけで、本書に収録されている作品もそれぞれ上手くテーマを取り込むことには成功している。
ただ、ミステリとしてはやや低調な感じで、童話による見立て殺人あたりを期待するとちょっとガッカリするかもしれないのでご注意を。個人的には戸川昌子「怨念の宿」の印象が強烈で、それが再確認できただけでよしとすべきか。
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トマス・スターリング『一日の悪』(ハヤカワミステリ)
ポケミスの復刊フェアに入ったこともあるなど、作品の質はけっこう高いはずだが、その割にはあまりベスト企画などには入らない。言ってみれば知る人ぞ知る、といった位置付けになるのだろうか。本日の読了本はトマス・スターリングの『一日の悪』。
なるほど。これは悪くない作品だ。
ポケミスで僅か二百ページあまり(活字は小さいけれど)、登場人物は僅か六人というコンパクトな作品だが、財産贈与をめぐっての駆け引きが非常にスリリングで面白い。
直接、贈与に絡むのは富豪のセシルと贈与対象者の三人。揃いも揃って胡散臭い連中ではあるから、彼らのやりとりに引き込まれるのは当然としても、これにセシルの秘書ウイリアムと贈与対象者の女性に雇用されている若い女性シリアが、ストーリー上思いがけないポジションを担うことになり、実にいいアクセントになっている。
とりわけウイリアムは彼ら以上に胡散臭く、自分も財産贈与の分け前に預かろうと画策するのだが、それに収まらない活躍も見せて楽しい。
こんな状況で著者は殺人ま事件まで発生させるのだけれども、さすがに大筋は読めるだろうと思いきや、ラストで明かされる真相には見事にしてやられる。登場人物が少ないので犯人ぐらいはまぐれでも当てられるだろうが、動機や事件の構図まで見抜くのはさすがにに難しい。
シンプルだけれど練りに練った設定・プロット。これはもっと読まれてもいい作品だろう。
なるほど。これは悪くない作品だ。
ポケミスで僅か二百ページあまり(活字は小さいけれど)、登場人物は僅か六人というコンパクトな作品だが、財産贈与をめぐっての駆け引きが非常にスリリングで面白い。
直接、贈与に絡むのは富豪のセシルと贈与対象者の三人。揃いも揃って胡散臭い連中ではあるから、彼らのやりとりに引き込まれるのは当然としても、これにセシルの秘書ウイリアムと贈与対象者の女性に雇用されている若い女性シリアが、ストーリー上思いがけないポジションを担うことになり、実にいいアクセントになっている。
とりわけウイリアムは彼ら以上に胡散臭く、自分も財産贈与の分け前に預かろうと画策するのだが、それに収まらない活躍も見せて楽しい。
こんな状況で著者は殺人ま事件まで発生させるのだけれども、さすがに大筋は読めるだろうと思いきや、ラストで明かされる真相には見事にしてやられる。登場人物が少ないので犯人ぐらいはまぐれでも当てられるだろうが、動機や事件の構図まで見抜くのはさすがにに難しい。
シンプルだけれど練りに練った設定・プロット。これはもっと読まれてもいい作品だろう。
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ケン・リュウ『生まれ変わり』(新☆ハヤカワSFシリーズ)
ケン・リュウの短篇集『生まれ変わり』を読む。最近、文庫落ちし、三月には新作短篇集も出る予定らしいので、そろそろ消化しておかねば、ということで。
まずは収録作。
The Reborn「生まれ変わり」
The Caretaker「介護士」
Running Shoes「ランニング・シューズ」
The MSG Golem「化学調味料ゴーレム」
Homo floresiensis「ホモ・フローレシエンシス」
The Visit「訪問者」
The Plague「悪疫」
A Brief and Inaccurate but True Account of the Origin of Living Books「生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話」
The People of Pele「ペレの住民」
Dispatches from the Cradle: The Hermit-Forty-Eight Hours in the Sea of Massachusetts「揺り籠からの特報:隠遁者──マサチューセッツ海での四十八時間」
Seven Birthdays「七度の誕生日」
The Countable「数えられるもの」
Carthaginian Rose「カルタゴの薔薇」
The Gods Will Not Be Chained「神々は鎖に繋がれてはいない」
The Gods Will Not Be Slain「神々は殺されはしない」
The Gods Have Not Died In Vain「神々は犬死にはしない」
Echoes in the Dark「闇に響くこだま」
Ghost Days「ゴースト・デイズ」
The Hidden Girl「隠娘(いんじょう)」
Byzantine Empathy「ビザンチン・エンパシー」
いやあ、凄い。相変わらずの面白さである。
ケン・リュウの日本での短篇集は本書で三冊目となるのだが、そのすべてが面白いとはどういうことか。なんせ日本での短篇集は本国のオリジナルではなく、日本で独自に編纂されているものばかり。まあ普通なら面白いものを優先するだろうし、二冊目、三冊目の出来はだんだん落ちてくるだろうと思うではないか。
ところが、まったくそんなことはない。レベルが落ちるどころか、ますます面白くなってくる。語りだけでなく、何より発想が求められるSFというジャンルにおいて、このレベルで安定して作品を発表できることに恐れ入るばかりだ。
内容も非常にバラエティに富んでいる。第一短篇集の『紙の動物園』こそ、ノスタルジーを強く感じさせるものや東洋的な風味の作品が目立ったが、続く『母の記憶に』、そして本書では、ハードなSFやコミカルなものまで、さらにアイデアに富み、幅が広くなっている印象だ。
ただ、そんな多彩な作品群でありながら、著者のテーマは意外と絞られており、しかもオーソドックスに思える。
それはマイノリティとして生きることの意味。さらには人間が科学や未来に対してどう折り合いをつけていくかという問題である。それらはSFや純文学における普遍的なテーマといってもよいのだが、著者は新しい衣を着せることで実に面白い物語に仕上げているのである。
特に気に入った作品としては、まず表題作の「生まれ変わり」。地球にやってきた異星人の管理のもと、地球人は記憶を改変され、“生まれ変わり”として暮らしているが、その失われた記憶の存在に気づいた主人公は……という展開がSFとしてはもちろんだが、ハードボイルドな雰囲気も悪くない。
続く「介護士」もいい、未来のロボット介護の様子を描きつつ、介護問題に収まらないところが鮮やか。ワンアイディアの勝負ではあるが見事にやられた。
「ランニング・シューズ」は抒情派。ベトナムの靴工場で働く少女が、なんとスニーカーに憑依するという設定で、少女の儚くも美しい生涯が数ページで語られる。切ない。
「化学調味料ゴーレム」は一転してジュヴナイル風味のユーモラスな一編。恒星間航行を続ける宇宙船の中で現れた神様は、一人の少女にある任務を与える。それはゴーレムを使ってネズミを捕まえるというものだった。神様と少女の掛け合いがとにかく楽しい。
ううむ、お気に入りを三、四作セレクトしようとしたら、頭から続けて四作紹介してしまった(苦笑)。まあ、それぐらいレベルが高いということなので、もし気になる方はとりあえず最初の「生まれ変わり」だけでも読んでみて、気に入ったら迷わず買うべきであろう。
ちなみに文庫版は『生まれ変わり』、『神々は繋がれてはいない』の二分冊なので念のため。
まずは収録作。
The Reborn「生まれ変わり」
The Caretaker「介護士」
Running Shoes「ランニング・シューズ」
The MSG Golem「化学調味料ゴーレム」
Homo floresiensis「ホモ・フローレシエンシス」
The Visit「訪問者」
The Plague「悪疫」
A Brief and Inaccurate but True Account of the Origin of Living Books「生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話」
The People of Pele「ペレの住民」
Dispatches from the Cradle: The Hermit-Forty-Eight Hours in the Sea of Massachusetts「揺り籠からの特報:隠遁者──マサチューセッツ海での四十八時間」
Seven Birthdays「七度の誕生日」
The Countable「数えられるもの」
Carthaginian Rose「カルタゴの薔薇」
The Gods Will Not Be Chained「神々は鎖に繋がれてはいない」
The Gods Will Not Be Slain「神々は殺されはしない」
The Gods Have Not Died In Vain「神々は犬死にはしない」
Echoes in the Dark「闇に響くこだま」
Ghost Days「ゴースト・デイズ」
The Hidden Girl「隠娘(いんじょう)」
Byzantine Empathy「ビザンチン・エンパシー」
いやあ、凄い。相変わらずの面白さである。
ケン・リュウの日本での短篇集は本書で三冊目となるのだが、そのすべてが面白いとはどういうことか。なんせ日本での短篇集は本国のオリジナルではなく、日本で独自に編纂されているものばかり。まあ普通なら面白いものを優先するだろうし、二冊目、三冊目の出来はだんだん落ちてくるだろうと思うではないか。
ところが、まったくそんなことはない。レベルが落ちるどころか、ますます面白くなってくる。語りだけでなく、何より発想が求められるSFというジャンルにおいて、このレベルで安定して作品を発表できることに恐れ入るばかりだ。
内容も非常にバラエティに富んでいる。第一短篇集の『紙の動物園』こそ、ノスタルジーを強く感じさせるものや東洋的な風味の作品が目立ったが、続く『母の記憶に』、そして本書では、ハードなSFやコミカルなものまで、さらにアイデアに富み、幅が広くなっている印象だ。
ただ、そんな多彩な作品群でありながら、著者のテーマは意外と絞られており、しかもオーソドックスに思える。
それはマイノリティとして生きることの意味。さらには人間が科学や未来に対してどう折り合いをつけていくかという問題である。それらはSFや純文学における普遍的なテーマといってもよいのだが、著者は新しい衣を着せることで実に面白い物語に仕上げているのである。
特に気に入った作品としては、まず表題作の「生まれ変わり」。地球にやってきた異星人の管理のもと、地球人は記憶を改変され、“生まれ変わり”として暮らしているが、その失われた記憶の存在に気づいた主人公は……という展開がSFとしてはもちろんだが、ハードボイルドな雰囲気も悪くない。
続く「介護士」もいい、未来のロボット介護の様子を描きつつ、介護問題に収まらないところが鮮やか。ワンアイディアの勝負ではあるが見事にやられた。
「ランニング・シューズ」は抒情派。ベトナムの靴工場で働く少女が、なんとスニーカーに憑依するという設定で、少女の儚くも美しい生涯が数ページで語られる。切ない。
「化学調味料ゴーレム」は一転してジュヴナイル風味のユーモラスな一編。恒星間航行を続ける宇宙船の中で現れた神様は、一人の少女にある任務を与える。それはゴーレムを使ってネズミを捕まえるというものだった。神様と少女の掛け合いがとにかく楽しい。
ううむ、お気に入りを三、四作セレクトしようとしたら、頭から続けて四作紹介してしまった(苦笑)。まあ、それぐらいレベルが高いということなので、もし気になる方はとりあえず最初の「生まれ変わり」だけでも読んでみて、気に入ったら迷わず買うべきであろう。
ちなみに文庫版は『生まれ変わり』、『神々は繋がれてはいない』の二分冊なので念のため。
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連城三紀彦『恋文』(新潮文庫)
連城三紀彦が恋愛小説へと移行する契機ともなった作品集『恋文』(現在は『恋文・私の叔父さん』に改題)を読む。何を今さらの一冊ではあるのだが、恥ずかしながら連城三紀彦の恋愛小説を読むのはこれが初めて。とりあえず本書は直木賞受賞作でもあリ、世評も高いことから、まあ最適だろうということで手に取ってみた。
収録作は以下のとおり。
「恋文」
「紅き唇」
「十三年目の子守歌」
「ピエロ」
「私の叔父さん」
恋愛小説集に“面白い”という感想もなんだが、面白いものは面白い。もともと連城三紀彦はミステリ作品でも恋愛要素をふんだんに盛り込むし、抒情性の豊かな作品を書く作家だから、恋愛小説でもそこまで違和感がないだろうと予想してはいたが、まったくその予想どおりである。
あくまで恋愛小説集と謳っているせいか、いつもの連城ミステリにあるような、様相を逆転するほどの強烈な仕掛けはない。しかし、恋愛小説としての魅力を生かす形、極論すれば恋愛小説としてのスタイルを邪魔しない程度には、ミステリ的テクニックや味付けがしっかり練り込まれているのである。これはこれで実に心地よい案配である。
たとえば表題作の「恋文」。共働きの夫婦、美術教師をしている竹原将一と出版社勤務の郷子は子供も一人いて、それなりに幸せにやっている。将一が年下で掴みどころのない性格ということもあり、郷子は常に自分がしっかりしなければと意識している。
そんなある日、将一は元彼女の江津子が白血病で余命半年と宣告されたことを聞き、彼女の願いを聞いて死ぬまで面倒を見ることにする。郷子はそんな将一を許してしまい、自らも江津子と交流するようになる。だが、やがて将一は、江津子と結婚式を上げるため、郷子と離婚したいと切り出すのだ……。
設定自体は突飛な印象も受けるが、著者は将一を掴みどころのない憎めないキャラクターとして造形することで、ストーリーは大きな起伏もなく淡々と進めていく。読者は一応、被害者ともいえる郷子に感情移入するだろうが、彼女は彼女で悶々とはするけれども爆発するようなことはない。物語全体がどこか吹っ切れない状態で、なんとも言えないふわふわした心理描写に引き込まれる。
ここに著者が持ってくる結末は予想できないこともないが、基本的には意表をつくものであり、そこで読者はあらためて将一と郷子の恋愛観を考えさせられるという構造である。惰性で読んでいると腑に落ちないことは必至であり、この辺の匙加減は著者の巧いところだ。とはいえ本作のミステリ度は比較的、低い方だろう。
「紅き唇」は亡き妻の義母と暮らす主人公と、その恋人や義母との関係が興味深い。しみじみとするラストに感動していると、著者に足元を救われる。大した事件も起こらないけれど、この読後感は確かにミステリのそれなんだよなぁ。
ある日、旅行に出かけた母親が男を連れて帰ってきた。しかも俺より四歳も若い男を……という導入の「十三年目の子守歌」。まさかの真相が待っているが、それでいて何となくユーモラスでしみじみとした余韻が勝っていて面白い。
「ピエロ」は悲しい。いわゆる髪結いの亭主を地でいく物語だが、著者お得意の“様相の逆転”の使い方が実にきれいで巧み。これは好みだなぁ。
「私の叔父さん」は本書中でも一番の出来か。まあ、代表作と言われるだけのことはある。叔父と姪の禁じられた愛を描いているが、ヒロインの魅力も大きいし、写真の件は実に鮮やかで印象的だ。
ということで、本書は恋愛小説ファンにもミステリファンにもオススメの一冊。この内容であれば、著者の恋愛小説ももう少し読んでみようか。
収録作は以下のとおり。
「恋文」
「紅き唇」
「十三年目の子守歌」
「ピエロ」
「私の叔父さん」
恋愛小説集に“面白い”という感想もなんだが、面白いものは面白い。もともと連城三紀彦はミステリ作品でも恋愛要素をふんだんに盛り込むし、抒情性の豊かな作品を書く作家だから、恋愛小説でもそこまで違和感がないだろうと予想してはいたが、まったくその予想どおりである。
あくまで恋愛小説集と謳っているせいか、いつもの連城ミステリにあるような、様相を逆転するほどの強烈な仕掛けはない。しかし、恋愛小説としての魅力を生かす形、極論すれば恋愛小説としてのスタイルを邪魔しない程度には、ミステリ的テクニックや味付けがしっかり練り込まれているのである。これはこれで実に心地よい案配である。
たとえば表題作の「恋文」。共働きの夫婦、美術教師をしている竹原将一と出版社勤務の郷子は子供も一人いて、それなりに幸せにやっている。将一が年下で掴みどころのない性格ということもあり、郷子は常に自分がしっかりしなければと意識している。
そんなある日、将一は元彼女の江津子が白血病で余命半年と宣告されたことを聞き、彼女の願いを聞いて死ぬまで面倒を見ることにする。郷子はそんな将一を許してしまい、自らも江津子と交流するようになる。だが、やがて将一は、江津子と結婚式を上げるため、郷子と離婚したいと切り出すのだ……。
設定自体は突飛な印象も受けるが、著者は将一を掴みどころのない憎めないキャラクターとして造形することで、ストーリーは大きな起伏もなく淡々と進めていく。読者は一応、被害者ともいえる郷子に感情移入するだろうが、彼女は彼女で悶々とはするけれども爆発するようなことはない。物語全体がどこか吹っ切れない状態で、なんとも言えないふわふわした心理描写に引き込まれる。
ここに著者が持ってくる結末は予想できないこともないが、基本的には意表をつくものであり、そこで読者はあらためて将一と郷子の恋愛観を考えさせられるという構造である。惰性で読んでいると腑に落ちないことは必至であり、この辺の匙加減は著者の巧いところだ。とはいえ本作のミステリ度は比較的、低い方だろう。
「紅き唇」は亡き妻の義母と暮らす主人公と、その恋人や義母との関係が興味深い。しみじみとするラストに感動していると、著者に足元を救われる。大した事件も起こらないけれど、この読後感は確かにミステリのそれなんだよなぁ。
ある日、旅行に出かけた母親が男を連れて帰ってきた。しかも俺より四歳も若い男を……という導入の「十三年目の子守歌」。まさかの真相が待っているが、それでいて何となくユーモラスでしみじみとした余韻が勝っていて面白い。
「ピエロ」は悲しい。いわゆる髪結いの亭主を地でいく物語だが、著者お得意の“様相の逆転”の使い方が実にきれいで巧み。これは好みだなぁ。
「私の叔父さん」は本書中でも一番の出来か。まあ、代表作と言われるだけのことはある。叔父と姪の禁じられた愛を描いているが、ヒロインの魅力も大きいし、写真の件は実に鮮やかで印象的だ。
ということで、本書は恋愛小説ファンにもミステリファンにもオススメの一冊。この内容であれば、著者の恋愛小説ももう少し読んでみようか。
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ウォルター・S・マスターマン『誤配書簡』(扶桑社)
ウォルター・S・マスターマンの『誤配書簡』を読む。
三年ほど前に少し話題になったレアどころのクラシックミステリである。評判は悪くなかったが、当時は電子書籍のみの発売。そのためあまり読む気がおきず放置していたのだが、なんと最近になって紙(オンデマンド出版)でも出たというので、さっそく購入した次第である。
こんな話。ロンドン警視庁アーサー・シンクレア警視のもとへ、内務大臣が殺されたという匿名の電話が入った。いたずらかと思ったが、そこへ友人の私立探偵シルヴェスター・コリンズが訪ねてくる。コリンズによると、シンクレアから呼び出されたというのだが、シンクレアはそんな電話をかけていない。そこで二人は念のため内務大臣の自宅を訪れるが、そこで大臣の死体を発見する……。
まずウォルター・S・マスターマンという作家自体、あまり詳しく知らなかったのだが、いわゆる本格黄金時代に活躍した大衆作家で、著作数も三十作弱と少なくはない。しかし、分野が探偵小説からSF、幻想と幅広く、それが結果的にイメージを弱くしたのか、どのジャンルでも大成するほどには至らなかったようだ。
しかし、運の悪さも多分にあった可能性はある。というのも、1926年に刊行された本作は思い切った趣向が凝らされ、インパクトも十分にあり、かつ面白い作品だったからだ。
密室殺人、探偵の恋愛、ダブル探偵の設定、タイトルどおりの誤配書簡……ミステリファンが食いつきそうなさまざまなギミックを盛り込み、しかも小気味よく展開される物語は、ともすれば本格ミステリに欠けがちなリーダビリティを存分に発揮している。そしてラストで明かされるメイントリックのインパクト。今まで知られていなかったことが不思議なほどの出来だ。
残念ながらメインの仕掛けに前例があり、それで損をしているところはあるけれども、そうはいっても本格黄金時代が幕を開けてまだ数年。1926年という時代であれば、本作の衝撃は相当なものだったはず。実際、序文でチェスタトンも「この探偵小説にはみごとに欺かれた」と書いている。
ここから先、ネタバレの可能性があるため、未読の方はご注意を。
惜しむらくは、不自然な描写、あるいはわざとらしい描写がところどころに見られるため、このメイントリックが読まれやすいことだろう。ぶっちゃけ管理人はわずか五十ページ余りで気がついてしまった。これは別に自慢でもなんでもなく、正直スレたミステリマニアなら気付くレベルなのである。
上で褒めるだけ褒めておいてなんだが、そういう弱点は間違いなくあり、読み手のミステリ経験値によってけっこう影響される作品といえる。原文のせいなのか、あるいは訳のせいなのかは判断できないが、もう少しその辺がうまく処理されていれば、より高評価を得られたのではないか。
最後に物言いをつけたけれど、でもトータルでは十分満足。他の作品も読んでみたい作家がまた一人増えてしまった。
三年ほど前に少し話題になったレアどころのクラシックミステリである。評判は悪くなかったが、当時は電子書籍のみの発売。そのためあまり読む気がおきず放置していたのだが、なんと最近になって紙(オンデマンド出版)でも出たというので、さっそく購入した次第である。
こんな話。ロンドン警視庁アーサー・シンクレア警視のもとへ、内務大臣が殺されたという匿名の電話が入った。いたずらかと思ったが、そこへ友人の私立探偵シルヴェスター・コリンズが訪ねてくる。コリンズによると、シンクレアから呼び出されたというのだが、シンクレアはそんな電話をかけていない。そこで二人は念のため内務大臣の自宅を訪れるが、そこで大臣の死体を発見する……。
まずウォルター・S・マスターマンという作家自体、あまり詳しく知らなかったのだが、いわゆる本格黄金時代に活躍した大衆作家で、著作数も三十作弱と少なくはない。しかし、分野が探偵小説からSF、幻想と幅広く、それが結果的にイメージを弱くしたのか、どのジャンルでも大成するほどには至らなかったようだ。
しかし、運の悪さも多分にあった可能性はある。というのも、1926年に刊行された本作は思い切った趣向が凝らされ、インパクトも十分にあり、かつ面白い作品だったからだ。
密室殺人、探偵の恋愛、ダブル探偵の設定、タイトルどおりの誤配書簡……ミステリファンが食いつきそうなさまざまなギミックを盛り込み、しかも小気味よく展開される物語は、ともすれば本格ミステリに欠けがちなリーダビリティを存分に発揮している。そしてラストで明かされるメイントリックのインパクト。今まで知られていなかったことが不思議なほどの出来だ。
残念ながらメインの仕掛けに前例があり、それで損をしているところはあるけれども、そうはいっても本格黄金時代が幕を開けてまだ数年。1926年という時代であれば、本作の衝撃は相当なものだったはず。実際、序文でチェスタトンも「この探偵小説にはみごとに欺かれた」と書いている。
ここから先、ネタバレの可能性があるため、未読の方はご注意を。
惜しむらくは、不自然な描写、あるいはわざとらしい描写がところどころに見られるため、このメイントリックが読まれやすいことだろう。ぶっちゃけ管理人はわずか五十ページ余りで気がついてしまった。これは別に自慢でもなんでもなく、正直スレたミステリマニアなら気付くレベルなのである。
上で褒めるだけ褒めておいてなんだが、そういう弱点は間違いなくあり、読み手のミステリ経験値によってけっこう影響される作品といえる。原文のせいなのか、あるいは訳のせいなのかは判断できないが、もう少しその辺がうまく処理されていれば、より高評価を得られたのではないか。
最後に物言いをつけたけれど、でもトータルでは十分満足。他の作品も読んでみたい作家がまた一人増えてしまった。
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大倉燁子『バナナの蔭』(湘南探偵倶楽部)
湘南探偵倶楽部さん復刻の小冊子、大倉燁子の『バナナの蔭』を読む。十ページほどの掌篇である。
戦前に多く書かれた諜報ものの一種で、シンガポールに赴任してきた外交官一家の一人娘・雅子が主人公。自宅で催されたある夜の仮面舞踏会で、たまたま暴漢に襲われていた令嬢を助けたところ……という一席。
令嬢を助けるという前半の展開が、その先への期待をつなげているものの、後半は動きがほぼないままに終わってちょっと残念。まあ、そもそもページ数が少なすぎるわけで、一応、伏線やオチもあるとはいえ、やはりこれは厳しいだろう。
ところで今回の本も何気なく読んで感想を書いているが、大倉燁子がこうして普通に読めるのは実にありがたいことなのである。版元の湘南探偵倶楽部はもちろんだが、十年ほど前に『大倉燁子探偵小説選』を刊行してくれた論創社にも感謝。
戦前に多く書かれた諜報ものの一種で、シンガポールに赴任してきた外交官一家の一人娘・雅子が主人公。自宅で催されたある夜の仮面舞踏会で、たまたま暴漢に襲われていた令嬢を助けたところ……という一席。
令嬢を助けるという前半の展開が、その先への期待をつなげているものの、後半は動きがほぼないままに終わってちょっと残念。まあ、そもそもページ数が少なすぎるわけで、一応、伏線やオチもあるとはいえ、やはりこれは厳しいだろう。
ところで今回の本も何気なく読んで感想を書いているが、大倉燁子がこうして普通に読めるのは実にありがたいことなのである。版元の湘南探偵倶楽部はもちろんだが、十年ほど前に『大倉燁子探偵小説選』を刊行してくれた論創社にも感謝。
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ハリー・カーマイケル『アリバイ』(論創海外ミステリ)
ハリー・カーマイケルの『アリバイ』を読む。なんとも潔いタイトルだが、著者はこれまで翻訳された『リモート・コントロール』、『ラスキン・テラスの亡霊』でもその力を発揮してくれているので、その著者が真っ向からアリバイ崩しに挑む本作も、それなりにハードルを上げて読んでみた。
まずはストーリー。深夜、車で帰宅途中の弁護士ヘイルは、夜道で足を挫いたという女性パトリシアを見つけ、コテージまで送ってゆく。パトリシアは数ヶ月前にやってきた小説家だが、ヘイルのことは前から気になる存在だったと話し、露骨に誘いをかけてくる。ところがコテージに着こうかという頃、彼女は先程の場所に靴とバッグを忘れてきたという。仕方なくいったん靴とバッグを取りに戻り、コテージへ引き返してきたヘイルは、彼女が待っているコテージへ入っていった……。
一方、保険調査員ジョン・パイパーはワトキンという男から妻を探してほしいという依頼を受ける。パイパーが調査を始めると、パトリシアがワトキンの妻であることが明らかになり、やがて彼女の死体をコテージ近くで発見する。
おお、これはなかなか。
アリバイをテーマにするミステリには一つ不利な点があって、それは犯人探しの興味が減ってしまうことだ。言ってみれば倒叙に近いところがあって、つまり犯人との知恵比べに終始してしまうのである。コロンボの例を出すまでもなく、それはそれで別の面白さがあるのだが、本作ではヘイルの序盤の行動が明確に描写されてはいないため、それがけっこう犯人探しの伏線みたいにも受け止められてしまうし、その一方で容疑者筆頭たる夫ワトキンとの知恵比べもコロンボほどストレートに描かれるわけではない。
そんな、一見すると消化不良な展開にも思えるネタなのだが、これがなかなか尻尾を見せない。そこまで複雑そうには思えない事件なのに、アリバイ、動機、さまざまな情報を錯綜させ、読者を煙に巻く著者の手口はなかなか小憎らしく、終わってみれば「そうきたか」と思わず膝を打つメイントリックもお見事。楽しいねえ、こういうの。
雰囲気はけっこう軽ハードボイルドチックで現代的なのだけれど、その本質はしっかり本格志向というのも悪くないし、ぜひ今後も翻訳していただきたい作家である。
まずはストーリー。深夜、車で帰宅途中の弁護士ヘイルは、夜道で足を挫いたという女性パトリシアを見つけ、コテージまで送ってゆく。パトリシアは数ヶ月前にやってきた小説家だが、ヘイルのことは前から気になる存在だったと話し、露骨に誘いをかけてくる。ところがコテージに着こうかという頃、彼女は先程の場所に靴とバッグを忘れてきたという。仕方なくいったん靴とバッグを取りに戻り、コテージへ引き返してきたヘイルは、彼女が待っているコテージへ入っていった……。
一方、保険調査員ジョン・パイパーはワトキンという男から妻を探してほしいという依頼を受ける。パイパーが調査を始めると、パトリシアがワトキンの妻であることが明らかになり、やがて彼女の死体をコテージ近くで発見する。
おお、これはなかなか。
アリバイをテーマにするミステリには一つ不利な点があって、それは犯人探しの興味が減ってしまうことだ。言ってみれば倒叙に近いところがあって、つまり犯人との知恵比べに終始してしまうのである。コロンボの例を出すまでもなく、それはそれで別の面白さがあるのだが、本作ではヘイルの序盤の行動が明確に描写されてはいないため、それがけっこう犯人探しの伏線みたいにも受け止められてしまうし、その一方で容疑者筆頭たる夫ワトキンとの知恵比べもコロンボほどストレートに描かれるわけではない。
そんな、一見すると消化不良な展開にも思えるネタなのだが、これがなかなか尻尾を見せない。そこまで複雑そうには思えない事件なのに、アリバイ、動機、さまざまな情報を錯綜させ、読者を煙に巻く著者の手口はなかなか小憎らしく、終わってみれば「そうきたか」と思わず膝を打つメイントリックもお見事。楽しいねえ、こういうの。
雰囲気はけっこう軽ハードボイルドチックで現代的なのだけれど、その本質はしっかり本格志向というのも悪くないし、ぜひ今後も翻訳していただきたい作家である。
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ジョン・バッカン『まほうのつえ』(湘南探偵倶楽部)
ジョン・バッカン『まほうのつえ』を読む。児童誌『たのしい三年生』昭和三十二年三月号の付録として付いてきた小冊子「まほうのつえ」を湘南探偵倶楽部が復刊したもの。ジョン・バッカンはもちろん『三十九階段』を書いたジョン・バカンのことである。
ジョン・バカンといえば、日本ではほぼ『三十九階段』のみで知られる作家だが、本国では冒険小説から歴史小説、スリラーなどのエンタメ系から伝記・歴史書などのノンフィクションも含め、なんと六十作以上の作品を残している。それでいて本業はむしろ政治家や実業家の方であったというのだから、いや、才人としか言いようがない。
それはともかく。こんな話。
ロンドン郊外に住むビル少年は、ある日、召使いのトマス爺やに連れられて鴨撃ちに出かける。その途中、道端に佇む老人から一円で小さな杖を買うのだが、その杖は行きたい場所を念じながら回すことで、その場所へ一瞬で移動できる不思議な杖だったのだ……。
子供向けの小説としては、非常によくできたお話。すごい能力を手に入れた少年が、その能力を使って人助けをするようになる。やがて外国の大きな陰謀を解決する活躍も見せるが、いつしか少年は慢心するようになり、最後は意外な事件が起こって少年も悔い改めるという一席。
よくある筋立てではあるが、教育的な配慮と物語の面白さが上手く融合しており、ボリューム感も長すぎず淡白すぎず、オチも効いていてちょうどいい楽しさ。1932年の作品としては立派なものである。『三十九階段』なんかもそうだが、あまり細かい整合性などは気にしないで、全体のテイストやユーモアを楽しむ一冊だろう。
ちょっと調べてみると、本作はもともと講談社から1951年に刊行された『魔法のつえ』が元版のようだ。それが1957年に『たのしい三年生』の雑誌付録『まほうのつえ』として掲載され、今回読んだ湘南探偵倶楽部版はその『まほうのつえ』の復刻である。もしかすると『たのしい三年生』向けにリライトされている可能性もあるかもしれないが、元版が手元にないのでなんともいえない。
ちなみに講談社版は2013年に復刊ドットコムで復刻されているが、さらに調べてみて面白かったのは、本書はあの藤子不二雄の両氏が子供の頃に読んで夢中になり、自身のルーツであると認めていること(復刊ドットコムでの復刻もそれがフックとなっている)。そういえばドラえもんの「どこでもドア」も、魔法のつえみたいなものだし、藤子不二雄とジョン・バカンの関係性がわかったのは思わぬ収穫であった。
ジョン・バカンといえば、日本ではほぼ『三十九階段』のみで知られる作家だが、本国では冒険小説から歴史小説、スリラーなどのエンタメ系から伝記・歴史書などのノンフィクションも含め、なんと六十作以上の作品を残している。それでいて本業はむしろ政治家や実業家の方であったというのだから、いや、才人としか言いようがない。
それはともかく。こんな話。
ロンドン郊外に住むビル少年は、ある日、召使いのトマス爺やに連れられて鴨撃ちに出かける。その途中、道端に佇む老人から一円で小さな杖を買うのだが、その杖は行きたい場所を念じながら回すことで、その場所へ一瞬で移動できる不思議な杖だったのだ……。
子供向けの小説としては、非常によくできたお話。すごい能力を手に入れた少年が、その能力を使って人助けをするようになる。やがて外国の大きな陰謀を解決する活躍も見せるが、いつしか少年は慢心するようになり、最後は意外な事件が起こって少年も悔い改めるという一席。
よくある筋立てではあるが、教育的な配慮と物語の面白さが上手く融合しており、ボリューム感も長すぎず淡白すぎず、オチも効いていてちょうどいい楽しさ。1932年の作品としては立派なものである。『三十九階段』なんかもそうだが、あまり細かい整合性などは気にしないで、全体のテイストやユーモアを楽しむ一冊だろう。
ちょっと調べてみると、本作はもともと講談社から1951年に刊行された『魔法のつえ』が元版のようだ。それが1957年に『たのしい三年生』の雑誌付録『まほうのつえ』として掲載され、今回読んだ湘南探偵倶楽部版はその『まほうのつえ』の復刻である。もしかすると『たのしい三年生』向けにリライトされている可能性もあるかもしれないが、元版が手元にないのでなんともいえない。
ちなみに講談社版は2013年に復刊ドットコムで復刻されているが、さらに調べてみて面白かったのは、本書はあの藤子不二雄の両氏が子供の頃に読んで夢中になり、自身のルーツであると認めていること(復刊ドットコムでの復刻もそれがフックとなっている)。そういえばドラえもんの「どこでもドア」も、魔法のつえみたいなものだし、藤子不二雄とジョン・バカンの関係性がわかったのは思わぬ収穫であった。
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フォルチュネ・デュ・ボアゴベ『乗合馬車の犯罪』(別冊Re-ClaM)
フランスのミステリ黎明期を支えた作家といえば、まずはエミール・ガボリオが思い浮かぶが、フォルチュネ・デュ・ボアゴベも忘れてはいけないだろう。しかし、現在の日本での両者の知名度を比較すると、ボアゴベはガボリオに比べてずいぶん分が悪いようにも感じてしまう。
まあ、調べたわけではないので単なる想像だが、ミステリファンとしては、やはり本格の系譜に入るガボリオの方を優先順位として高く見てしまいそうだし、また、ガボリアはルコックというシリーズ探偵を残している点もかなりポイントが高そうだ。
とはいえ、これらはあくまでミステリという範疇での話である。大衆小説というより広いジャンルで見れば、作品数の多さ、冒険とロマンスに主眼を置いたわかりやすい作風、『鉄仮面』という代表作が今でも講談社文芸文庫で手軽に読める点など、むしろボアゴベの方が、普通の読書好きの方には知られている可能性は高い。
実際、ボアゴベが広く紹介されるようになった明治時代では、黒岩涙香をはじめとする翻案小説の書き手がこぞって元ネタにしたのがボアゴベであり、当時の人気は凄まじかったようだ。
そんなボアゴベのミステリ作品『乗合馬車の犯罪』が、昨年、海外クラシックミステリ評論誌『Re-ClaM』の別冊として発行された。訳者は海外ミステリの研究・翻訳で知られる小林晋氏。ボアゴベの作風を考えるとちょっと意外な組み合わせだが、これはもしかすると相当捻った作品なのかと読み始めた次第。
こんな話。新々の売れっ子画家フルヌーズは、ある日、深夜の乗合馬車で偶然隣り合わせになった美女の変死に遭遇してしまう。その場の状況から自然死ではないのでは、と考えるフルヌーズは、友人の売れない画家ビノと推理を巡らせてゆく。そして、たまたま現場で拾ったピンが、実は猛毒を仕込んだ凶器であることがわかり、殺人の疑いはますます強まっていくが……。
残念ながら特に捻った作品というわけではなかった(苦笑)。まあ、そりゃそうだ、なんせ1881年の作品だから、そこまで期待しちゃいけない。しかし、ストーリー展開はシンプルながら実にスピーディーで、キャラクターもイキイキとしており、予想以上に楽しく読めるサスペンスだった。
今の目で見ると確かに粗は多い。解説でも触れていたが、とにかく「偶然」の多さは只事ではない。ただ、それらはストーリーを加速させるアクセルでもあり、全否定するのも野暮というものだろう。それよりはテンポよく転がるストーリーの流れに任せ、登場人物たちの「ああだこうだ」言っている姿を楽しむ方がよい。
登場人物の造形にも注目したい。ステレオタイプという見方も当然あるだろうが、大衆小説であるからにはある程度メリハリのついたキャラクターで読者にわかりやすく伝える必要はあるわけで、ましてや、それが雑誌や新聞でまず読まれることを考えると、極端な話、微妙な陰影などは不要ということもできる。ボアゴベはその点をきちんとわかっていて、ベタながら印象的なキャラクターを作り上げている。
まともな主人公の画家とその友人のヘボ画家、強い意思をもつ悪女とか弱いヒロインなど、対照的なキャラクターを要所で配置し、キャラクターの特色をより効果的に見せていて上手い。
ということでミステリとしての期待を脇に置いておけば、エンタメとしては十分に楽しめる一作。当時のパリの様子が詳しく描かれていることもあり、そういう興味でも楽しみのもまたよし。
まあ、調べたわけではないので単なる想像だが、ミステリファンとしては、やはり本格の系譜に入るガボリオの方を優先順位として高く見てしまいそうだし、また、ガボリアはルコックというシリーズ探偵を残している点もかなりポイントが高そうだ。
とはいえ、これらはあくまでミステリという範疇での話である。大衆小説というより広いジャンルで見れば、作品数の多さ、冒険とロマンスに主眼を置いたわかりやすい作風、『鉄仮面』という代表作が今でも講談社文芸文庫で手軽に読める点など、むしろボアゴベの方が、普通の読書好きの方には知られている可能性は高い。
実際、ボアゴベが広く紹介されるようになった明治時代では、黒岩涙香をはじめとする翻案小説の書き手がこぞって元ネタにしたのがボアゴベであり、当時の人気は凄まじかったようだ。
そんなボアゴベのミステリ作品『乗合馬車の犯罪』が、昨年、海外クラシックミステリ評論誌『Re-ClaM』の別冊として発行された。訳者は海外ミステリの研究・翻訳で知られる小林晋氏。ボアゴベの作風を考えるとちょっと意外な組み合わせだが、これはもしかすると相当捻った作品なのかと読み始めた次第。
こんな話。新々の売れっ子画家フルヌーズは、ある日、深夜の乗合馬車で偶然隣り合わせになった美女の変死に遭遇してしまう。その場の状況から自然死ではないのでは、と考えるフルヌーズは、友人の売れない画家ビノと推理を巡らせてゆく。そして、たまたま現場で拾ったピンが、実は猛毒を仕込んだ凶器であることがわかり、殺人の疑いはますます強まっていくが……。
残念ながら特に捻った作品というわけではなかった(苦笑)。まあ、そりゃそうだ、なんせ1881年の作品だから、そこまで期待しちゃいけない。しかし、ストーリー展開はシンプルながら実にスピーディーで、キャラクターもイキイキとしており、予想以上に楽しく読めるサスペンスだった。
今の目で見ると確かに粗は多い。解説でも触れていたが、とにかく「偶然」の多さは只事ではない。ただ、それらはストーリーを加速させるアクセルでもあり、全否定するのも野暮というものだろう。それよりはテンポよく転がるストーリーの流れに任せ、登場人物たちの「ああだこうだ」言っている姿を楽しむ方がよい。
登場人物の造形にも注目したい。ステレオタイプという見方も当然あるだろうが、大衆小説であるからにはある程度メリハリのついたキャラクターで読者にわかりやすく伝える必要はあるわけで、ましてや、それが雑誌や新聞でまず読まれることを考えると、極端な話、微妙な陰影などは不要ということもできる。ボアゴベはその点をきちんとわかっていて、ベタながら印象的なキャラクターを作り上げている。
まともな主人公の画家とその友人のヘボ画家、強い意思をもつ悪女とか弱いヒロインなど、対照的なキャラクターを要所で配置し、キャラクターの特色をより効果的に見せていて上手い。
ということでミステリとしての期待を脇に置いておけば、エンタメとしては十分に楽しめる一作。当時のパリの様子が詳しく描かれていることもあり、そういう興味でも楽しみのもまたよし。