Posted in 11 2008
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高泉淳子『アンゴスチュラ・ビターズな君へ』(平凡社)
今回はまったくミステリと関係ないお話を一席。
最近は演劇などすっかり観なくなってしまったが、これでも小劇団ブームが起こった頃は、知人にも何人か役者さんがいて、その関係もあって月イチぐらいのペースで劇場に足を運んでいたものだ。
それが二ヶ月に一度になり、三ヶ月に一度という具合でペースダウンし、まあ今ではせいぜい年に一、二回。胸を張って演劇ファンであるなどとは間違っても言えないわけだが、それでもここ十年以上、見続けている芝居がある。
それが白井晃、高泉淳子、陰山泰ら、元「遊◎機械/全自動シアター」のメンバーによる年末恒例の『ア・ラ・カルト』。小さなフランス料理店の師走のある一日を、テーブルについた客の会話で見せていくといった内容で、音楽やショー・タイムも挟みつつ、ほのぼのとした中にそれぞれのちょっぴり苦い人生も垣間見せるところがミソ。
つい昨日も青山円形劇場まで出かけ、公演を楽しんできたばかりだ。今年は何と二十周年ということで、それなりに賑々しく、かといって、いつものペースは崩さずというスタンスが嬉しい。まあ、お芝居の方は相変わらず楽しかったのだが、今年のチェックポイントは、脚本も手がける高泉淳子が舞台をノヴェライズして、その短編集が先行販売されていたこと。しかも著者サイン入りということで、思わず買ってしまった(苦笑)。
で、さっそくその高泉淳子の『アンゴスチュラ・ビターズな君へ』を読んでみる。
上に書いたように基本的には舞台の小説化で、これまで演じた中から十本を選び、それを六作にまとめ直したもの。
当然ながら舞台を観た人には知っている話ばかりだし、会話文がほとんどを占めているので表現的には物足りない個所も感じられるのだが、舞台とは違ってオーバーアクトなところが消され、よりナチュラルな人間像や人生が浮き上がっているのがいい。
会話そのものは実に瑞々しく、このあたりはまさに役者であり脚本家でもある高泉淳子の腕の見せどころ。特に出来事らしい出来事もないまま食事と会話だけが進んでいくが、他愛ない男女の会話からいろいろな恋の形が映し出され、それがラストには、明日を生きていくための元気につながっていくという展開は見事&好感度高し。何気ない話だからこそ読者は自分の体験とオーバーラップし、グッとくるのだ。
短編とは人生をスパッと途中で断ち切って、その断面を見せるものだという言い方があるが、高泉淳子はそういう小説の技術をいつの間にか脚本で身につけていたのである。そりゃ二十年も続く道理だわ。上手い。
ところで『フロスト気質(下)』については相変わらず鋭意読書中(爆)。いや、面白いんですけどね、どうも集中力が続かないというか……。
最近は演劇などすっかり観なくなってしまったが、これでも小劇団ブームが起こった頃は、知人にも何人か役者さんがいて、その関係もあって月イチぐらいのペースで劇場に足を運んでいたものだ。
それが二ヶ月に一度になり、三ヶ月に一度という具合でペースダウンし、まあ今ではせいぜい年に一、二回。胸を張って演劇ファンであるなどとは間違っても言えないわけだが、それでもここ十年以上、見続けている芝居がある。
それが白井晃、高泉淳子、陰山泰ら、元「遊◎機械/全自動シアター」のメンバーによる年末恒例の『ア・ラ・カルト』。小さなフランス料理店の師走のある一日を、テーブルについた客の会話で見せていくといった内容で、音楽やショー・タイムも挟みつつ、ほのぼのとした中にそれぞれのちょっぴり苦い人生も垣間見せるところがミソ。
つい昨日も青山円形劇場まで出かけ、公演を楽しんできたばかりだ。今年は何と二十周年ということで、それなりに賑々しく、かといって、いつものペースは崩さずというスタンスが嬉しい。まあ、お芝居の方は相変わらず楽しかったのだが、今年のチェックポイントは、脚本も手がける高泉淳子が舞台をノヴェライズして、その短編集が先行販売されていたこと。しかも著者サイン入りということで、思わず買ってしまった(苦笑)。
で、さっそくその高泉淳子の『アンゴスチュラ・ビターズな君へ』を読んでみる。
上に書いたように基本的には舞台の小説化で、これまで演じた中から十本を選び、それを六作にまとめ直したもの。
当然ながら舞台を観た人には知っている話ばかりだし、会話文がほとんどを占めているので表現的には物足りない個所も感じられるのだが、舞台とは違ってオーバーアクトなところが消され、よりナチュラルな人間像や人生が浮き上がっているのがいい。
会話そのものは実に瑞々しく、このあたりはまさに役者であり脚本家でもある高泉淳子の腕の見せどころ。特に出来事らしい出来事もないまま食事と会話だけが進んでいくが、他愛ない男女の会話からいろいろな恋の形が映し出され、それがラストには、明日を生きていくための元気につながっていくという展開は見事&好感度高し。何気ない話だからこそ読者は自分の体験とオーバーラップし、グッとくるのだ。
短編とは人生をスパッと途中で断ち切って、その断面を見せるものだという言い方があるが、高泉淳子はそういう小説の技術をいつの間にか脚本で身につけていたのである。そりゃ二十年も続く道理だわ。上手い。
ところで『フロスト気質(下)』については相変わらず鋭意読書中(爆)。いや、面白いんですけどね、どうも集中力が続かないというか……。
今年もベストテンの季節が来たようで、その先陣を切って発売されたのが、早川書房の『ミステリが読みたい!2009年版』。ここで順位を書いてもいいのだが、それもある意味ネタバレかと思うので、ここでは省く。
むしろ書いておきたいのは本自体の話。残念なことに、昨年も書いた欠点が今年もそのまま当てはまるという内容で、少しも改善されている様子はない。今年の本書で気になるところを列挙してみよう。
・2009年版という区切りでやるのだから、10月1日~翌年9月30日という区切りはさすがにズレすぎ。年末進行も入るし多少早めに出すのは仕方ないのだが、三ヶ月というズレは、しっかりしたベストテンにしようという版元の意志がまったく感じられない。
もちろん他社より早く出すことを、何より優先させていることが原因なのは明らかである。
・他社のベストテンに比べて独自色が薄く、内容が乏しい。ベストテンとそれについてのコメント、解説、インタビュー等がほとんどで、他に読むべき記事がない。
この原因も、おそらく他社より早く出すことを優先しているためである。しかも編集者は『ハヤカワミステリマガジン』と兼務しているようで、面倒な企画を考える暇などないのであろう。要はやっつけ仕事。
・作家や評論家といった識者と一般読者の合計によるベストテンは、双方の嗜好が異なりすぎてベストテンの軸がぶれてしまう。開かれたベストテンを目指すということだが、この際どちらかに絞って、ベストテンに並ぶ本の基準を確立した方がよいだろう。
ハッキリ書かせてもらうと、一般読者の投票は、単なる人気投票になっている可能性が大で、単なる売上げベストみたいになるのだ。そういう情報は別にこの手の本で得る必要もないわけで、どこか他所でやってくれればよい。
ただし念のため言っておくと、人気投票が悪いというわけではない。それはそれで楽しいのだが、本書では専門家のつけたベストテンを見たいということ。また、順位をつけるために評価するなら、評者のレベルや評価の基準は揃えなきゃだめでしょ、ということである。
せめて最初から、識者のベストと一般読者のベストを、両方分けて掲載してくれれば良かったのだ。読者は自分にあった方を読めるわけだから。実際のところ『2009年版』でも識者と一般読者の評価はかなり違っており、その温度差の方がよほどミステリ的である。
・相変わらずベストテン内に自社の本が多すぎ。年に一度の祭りとして、お客といっしょに遊んでいるわけだから、商売っ気もわかるけれど、もう少しちゃんと遊んでほしい。こういうのは真剣に遊ぶから面白いわけで、セコさがちらちら見えると、途端に白けてしまうのだ。
とまあ、以上クソミソにけなしてしまったわけだが、一方で本誌『ハヤカワミステリマガジン』の今月号は、「世界のミステリ雑誌」というなかなか面白い企画をやっていて、こちらは文句なし。こういう情熱を少し『ミステリが読みたい!』にも注力してもらえないものか。
なお、『フロスト気質(下)』は鋭意読書中。感想はもう少しお待ち下され。
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R・D・ウィングフィールド『フロスト気質(上)』(創元推理文庫)
R・D・ウィングフィールドの『フロスト気質』を上巻まで読み終える。
今さら説明の要もあるまいと思うのだが、不幸にしてこのシリーズを読んだことがないという人のために、一応書いておく。
主人公にして探偵役は、下品で粗野なフロスト警部。その言動で周囲の顰蹙を買いながらも、お得意のひらめきで場当たり的な捜査を進め、数々の事件を解決するというユーモア満載の警察小説である。いわゆるモジュラー型の結構を備え、所轄のデントン警察署に持ち込まれる複数の事件を同時進行で描いていくのも大きな特徴。
年末を賑わす数々のベスト10企画でも常にトップグループに食い込んでくる人気シリーズだが、残念なことに著者のウィングフィールドは昨年他界。本作を含めると残された作品はあと三作ということで、楽しみながらも心して読みたい一作である。
とりあえず上巻まで読んだところでは上々な仕上がりで、キャラクターの立ち方や混沌としたストーリー展開は相変わらず絶妙である。本来であれば感情移入しにくい主人公、しかも決して読みやすくはない構成、加えて今回の事件の陰惨さを考えれば、とてもここまで魅了されることはないはずなのに、それでもかつグイグイと読者を引き込む力があるのは流石としか言いようがない。
詳しくは下巻読了時に書くけれど、おそらく本書も傑作の予感。ああ、仕事さえ忙しくなければもっと早く読めるのに。
今さら説明の要もあるまいと思うのだが、不幸にしてこのシリーズを読んだことがないという人のために、一応書いておく。
主人公にして探偵役は、下品で粗野なフロスト警部。その言動で周囲の顰蹙を買いながらも、お得意のひらめきで場当たり的な捜査を進め、数々の事件を解決するというユーモア満載の警察小説である。いわゆるモジュラー型の結構を備え、所轄のデントン警察署に持ち込まれる複数の事件を同時進行で描いていくのも大きな特徴。
年末を賑わす数々のベスト10企画でも常にトップグループに食い込んでくる人気シリーズだが、残念なことに著者のウィングフィールドは昨年他界。本作を含めると残された作品はあと三作ということで、楽しみながらも心して読みたい一作である。
とりあえず上巻まで読んだところでは上々な仕上がりで、キャラクターの立ち方や混沌としたストーリー展開は相変わらず絶妙である。本来であれば感情移入しにくい主人公、しかも決して読みやすくはない構成、加えて今回の事件の陰惨さを考えれば、とてもここまで魅了されることはないはずなのに、それでもかつグイグイと読者を引き込む力があるのは流石としか言いようがない。
詳しくは下巻読了時に書くけれど、おそらく本書も傑作の予感。ああ、仕事さえ忙しくなければもっと早く読めるのに。
先週末のことになるが久々に完徹で仕事をこなし、土曜昼頃にようやく帰宅。で、休日を寝て過ごすのがもったいないので、止せばいいのにそのまま夜まで起きていたら、これが翌日の日曜どころか月曜まで体調が悪くなる始末。ああ、もう本当に無理が利かない歳になってしまったようだ。
昨日の日曜はそんなこともあって、割と自宅でおとなしく資料整理などを粛々とこなすも、読書は頭がぼけててなかなか進まず。一応フロストに手をつけている。
DVDでインディ・ジョーンズの第四作目『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』。
公開当時はいまひとつ世評が鈍かったように思えた本作だが、その理由も何となく理解できる出来ではある。
表面的には息継ぐ暇もないほどのノンストップアクション。ただ、ド派手なCGやアクションなどは、もとよりインディ・ジョーンズに求められる要素ではない。スタントを使ったある種レトロなアクションこそが本シリーズには相応しく、クラシックな舞台設定や物語とも相まって、これまでの作品で確固たるスタイルを確立し、人気を博したわけだ。
それを本作では無理矢理、時代に合わせようとしたか、ノンストップアクションといえば聞こえは良いが、落ち着きの無さばかりが目立つ脚本で筋書きは一本調子。かといって目を見張るほどの映像を見せるわけでもない。ハリソン・フォードもさすがに歳には勝てない、といった印象で(六十代にしては驚異的だとは思うが)、動きにキレの無さが目立つのも致し方ないところ。
それでもシリーズのファンにすれば、いろいろとチェックすべき要素は多く、楽しめる作品ではあるのだが、本作で初めてシリーズに接した人は、これがなぜこんなに騒がれる作品なのか、見当がつかないのではないか。
そう考えると、過去三部作は実に良くできた映画だったんだなぁ。ううむ。
昨日の日曜はそんなこともあって、割と自宅でおとなしく資料整理などを粛々とこなすも、読書は頭がぼけててなかなか進まず。一応フロストに手をつけている。
DVDでインディ・ジョーンズの第四作目『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』。
公開当時はいまひとつ世評が鈍かったように思えた本作だが、その理由も何となく理解できる出来ではある。
表面的には息継ぐ暇もないほどのノンストップアクション。ただ、ド派手なCGやアクションなどは、もとよりインディ・ジョーンズに求められる要素ではない。スタントを使ったある種レトロなアクションこそが本シリーズには相応しく、クラシックな舞台設定や物語とも相まって、これまでの作品で確固たるスタイルを確立し、人気を博したわけだ。
それを本作では無理矢理、時代に合わせようとしたか、ノンストップアクションといえば聞こえは良いが、落ち着きの無さばかりが目立つ脚本で筋書きは一本調子。かといって目を見張るほどの映像を見せるわけでもない。ハリソン・フォードもさすがに歳には勝てない、といった印象で(六十代にしては驚異的だとは思うが)、動きにキレの無さが目立つのも致し方ないところ。
それでもシリーズのファンにすれば、いろいろとチェックすべき要素は多く、楽しめる作品ではあるのだが、本作で初めてシリーズに接した人は、これがなぜこんなに騒がれる作品なのか、見当がつかないのではないか。
そう考えると、過去三部作は実に良くできた映画だったんだなぁ。ううむ。
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三橋一夫『黒の血統』(出版芸術社)
三橋一夫の『黒の血統』を読む。出版芸術社から『腹話術師』『鬼の末裔』に続いて出版された『三橋一夫ふしぎ小説集成』の第三巻。
帯にも謳われているとおり幻想あり推理あり怪奇ありと、非常にバラエティに富んだ内容である。だが、内容はさまざまでも、独特のユーモアやしみじみとした余韻によって彩られた作品群はやはり三橋作品ならではのもの。これらをひっくるめて「まぼろし部落」とか「ふしぎ小説」と銘打ったのはなかなか上手いネーミングといえる。うろ覚えだが、前者は確か横溝正史、後者は著者本人が考えたと、どこかで読んだ記憶が。
「生胆盗人」
「怪しの耳」
「夢」
「天から地へ」
「秋風」
「黒の血統」
「その夕べ」
「不思議な遺書」
「霊魂のゆくえ」
「空袋男」
「或る晩年」
「幕」
「ハルポックとスタマールの絵印」
「ミスター・ベレー」
「再生」
「第三の耳」
「なみだ川」
「浮気な幽霊」
「アイ・アム・ユー」
「猫」
「沼」
「片眼」
「天狗来訪」
「とべとべ眼玉」
収録作は以上。
ハズレがほとんどなく、どれも安定した水準で楽しめるのは、前二作と御同様。
ただ、個人的な好みで言わせてもらうと、表題作「黒の血統」のようにハッタリをかました作品、あるいは「怪しの耳」「空袋男」のような奇想を前面に押し出した作品もいいのだけれど、読後にホロッとくるタイプものの方がより好みだ(三橋作品に限っての話)。例えば「夢」「秋風」「或る晩年」などなど。
特に「秋風」は先日読んだ『室生犀星集 童子』のある作品と同様のシチュエーションを備えており、終着点は微妙に異なるけれども、この切なさは甲乙付けがたい。実は「秋風」は再読なのだが、ネタを承知していたにもかかわらずウルッときてしまった。
世にいろいろと小説のお好みはあろうが、ミステリや幻想小説、短篇好きな人なら、騙されたと思って一度は読んでもらいたい。
帯にも謳われているとおり幻想あり推理あり怪奇ありと、非常にバラエティに富んだ内容である。だが、内容はさまざまでも、独特のユーモアやしみじみとした余韻によって彩られた作品群はやはり三橋作品ならではのもの。これらをひっくるめて「まぼろし部落」とか「ふしぎ小説」と銘打ったのはなかなか上手いネーミングといえる。うろ覚えだが、前者は確か横溝正史、後者は著者本人が考えたと、どこかで読んだ記憶が。
「生胆盗人」
「怪しの耳」
「夢」
「天から地へ」
「秋風」
「黒の血統」
「その夕べ」
「不思議な遺書」
「霊魂のゆくえ」
「空袋男」
「或る晩年」
「幕」
「ハルポックとスタマールの絵印」
「ミスター・ベレー」
「再生」
「第三の耳」
「なみだ川」
「浮気な幽霊」
「アイ・アム・ユー」
「猫」
「沼」
「片眼」
「天狗来訪」
「とべとべ眼玉」
収録作は以上。
ハズレがほとんどなく、どれも安定した水準で楽しめるのは、前二作と御同様。
ただ、個人的な好みで言わせてもらうと、表題作「黒の血統」のようにハッタリをかました作品、あるいは「怪しの耳」「空袋男」のような奇想を前面に押し出した作品もいいのだけれど、読後にホロッとくるタイプものの方がより好みだ(三橋作品に限っての話)。例えば「夢」「秋風」「或る晩年」などなど。
特に「秋風」は先日読んだ『室生犀星集 童子』のある作品と同様のシチュエーションを備えており、終着点は微妙に異なるけれども、この切なさは甲乙付けがたい。実は「秋風」は再読なのだが、ネタを承知していたにもかかわらずウルッときてしまった。
世にいろいろと小説のお好みはあろうが、ミステリや幻想小説、短篇好きな人なら、騙されたと思って一度は読んでもらいたい。
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ローレンス・ブロック『タナーと謎のナチ老人』(創元推理文庫)
ローレンス・ブロック『タナーと謎のナチ老人』を読む。“眠らない男”エヴァン・タナー・シリーズの第二作である。
主人公のタナーは、脳に障害を負ったことで、まったく眠ることができなくなった男。彼は不要になった睡眠時間を勉学に費やし、あらゆる思想や語学、知識を身につけた。そして論文の代筆業を営むほどの教養を身につけたばかりか、果ては世界中の様々な政治組織にコネクションをもつまでになる。やがてその能力に目をつけた米政府は、彼に極秘の仕事を依頼するようになった。
そして今回の任務は……。
チェコスロバキアの秘密警察に逮捕され、刑務所に収監されたネオ・ナチの老人活動家。このままいけば死刑は間違いないところだが、米政府が気にしているのはまだ所在が明らかにされていないナチの極秘資料だ。その資料を彼から探り出すため、タナーに課せられた任務は、なんとナチ老人の身柄の確保。プラハの牢獄から救いだし、無事国外へと運び出さなければならないのだ。困難きわまりない任務に、タナーはどう出る?
予測不可能な展開と独特の語り口、この二つが本シリーズの持ち味といえる。
ただし、予測不可能の展開とはいっても、それはドキドキハラハラの手に汗握るストーリー展開ではなく、スパイ小説の常識を覆すオフビートな展開。さらには独特の語り口とはいっても、緊張感溢れるハードボイルドな文体ではなく、飄々とした独特のゆるさを漂わせたそれである。
この二つがミックスされ、本シリーズはイアン・フレミングの痛快なアクション・スパイ小説とも、ジョン・ル・カレのシリアスなスパイ小説とも違う味わいを生むことに成功している。ユーモアに溢れた単なるスパイ小説もどき、と切って捨てる向きもあるだろう。だが、パッと見は安手のスパイ小説ながら、当時の冷戦や民族問題を越えたところに意義を見出そうとする、この主人公の独特の倫理観は、なかなか捨てがたい。この味わいに近いのはスパイ小説などではなく、ブロック自身の殺し屋ケラーものであろう。
もちろんそんなややこしい読み方などをせずとも、十分に楽しめる要素も満載。ナチの戦犯+冷戦+民族問題で揺れるヨーロッパ情勢を味つけにしながら、いかにして脱獄や国外脱出を成功させるかという見せ場もちゃんと用意されている。馬鹿馬鹿しいといえば実に馬鹿馬鹿しい脱獄&脱出方法ではあるが、ただふざけるのではなく、縛りをちゃんと設けた上でクリアしているのは、さすがにブロックである。
そんなこんなで第一作同様、本書も十分おすすめである。
主人公のタナーは、脳に障害を負ったことで、まったく眠ることができなくなった男。彼は不要になった睡眠時間を勉学に費やし、あらゆる思想や語学、知識を身につけた。そして論文の代筆業を営むほどの教養を身につけたばかりか、果ては世界中の様々な政治組織にコネクションをもつまでになる。やがてその能力に目をつけた米政府は、彼に極秘の仕事を依頼するようになった。
そして今回の任務は……。
チェコスロバキアの秘密警察に逮捕され、刑務所に収監されたネオ・ナチの老人活動家。このままいけば死刑は間違いないところだが、米政府が気にしているのはまだ所在が明らかにされていないナチの極秘資料だ。その資料を彼から探り出すため、タナーに課せられた任務は、なんとナチ老人の身柄の確保。プラハの牢獄から救いだし、無事国外へと運び出さなければならないのだ。困難きわまりない任務に、タナーはどう出る?
予測不可能な展開と独特の語り口、この二つが本シリーズの持ち味といえる。
ただし、予測不可能の展開とはいっても、それはドキドキハラハラの手に汗握るストーリー展開ではなく、スパイ小説の常識を覆すオフビートな展開。さらには独特の語り口とはいっても、緊張感溢れるハードボイルドな文体ではなく、飄々とした独特のゆるさを漂わせたそれである。
この二つがミックスされ、本シリーズはイアン・フレミングの痛快なアクション・スパイ小説とも、ジョン・ル・カレのシリアスなスパイ小説とも違う味わいを生むことに成功している。ユーモアに溢れた単なるスパイ小説もどき、と切って捨てる向きもあるだろう。だが、パッと見は安手のスパイ小説ながら、当時の冷戦や民族問題を越えたところに意義を見出そうとする、この主人公の独特の倫理観は、なかなか捨てがたい。この味わいに近いのはスパイ小説などではなく、ブロック自身の殺し屋ケラーものであろう。
もちろんそんなややこしい読み方などをせずとも、十分に楽しめる要素も満載。ナチの戦犯+冷戦+民族問題で揺れるヨーロッパ情勢を味つけにしながら、いかにして脱獄や国外脱出を成功させるかという見せ場もちゃんと用意されている。馬鹿馬鹿しいといえば実に馬鹿馬鹿しい脱獄&脱出方法ではあるが、ただふざけるのではなく、縛りをちゃんと設けた上でクリアしているのは、さすがにブロックである。
そんなこんなで第一作同様、本書も十分おすすめである。
まいったな。マイクル・クライトンが亡くなるとは。午後、ネットのニュースで知り、一気にヒットポイントが減ってしまった。
クラムリーの訃報記事からまだ一ヶ月と少しだというのに。なぜ次から次へとお気に入りの作家が亡くなるのか。
もうひとつヒットポイントが減る話。
少し前にディーヴァーの新刊『スリーピング・ドール』を落とした話を書いたのだが、昨日も電車でやってしまった。読みかけのシムノン『離愁』を見事に置き忘れてしまったのである。これはあれか、そろそろ呆けてきてるのか。というわけで、中央線でアマゾンのブックカバーにくるまれた『離愁』を見かけた方、ぜひお読みになって感想をこちらまでお寄せください(爆)
クラムリーの訃報記事からまだ一ヶ月と少しだというのに。なぜ次から次へとお気に入りの作家が亡くなるのか。
もうひとつヒットポイントが減る話。
少し前にディーヴァーの新刊『スリーピング・ドール』を落とした話を書いたのだが、昨日も電車でやってしまった。読みかけのシムノン『離愁』を見事に置き忘れてしまったのである。これはあれか、そろそろ呆けてきてるのか。というわけで、中央線でアマゾンのブックカバーにくるまれた『離愁』を見かけた方、ぜひお読みになって感想をこちらまでお寄せください(爆)
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室生犀星『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』(ちくま文庫)
ちくま文庫の文豪怪談傑作選から『室生犀星集 童子』を読む。
室生犀星については今さら説明の要もないだろう。金沢の生んだ偉大な詩人であり、故郷の自然や生あるものへの慈しみに溢れた作品を数多く残したことで知られている。同時に彼はすぐれた小説家でもあり、詩作で培った感性をそのまま生かしたような、幻想的な作品もまた少なからず残している。本書はそんな室生犀星の幻想的作品や怪談をまとめた一冊。
「童話」
「童子」
「後の日の童子」
「みずうみ」
「蛾」
「天狗」
「ゆめの話」
「不思議な国の話」
「不思議な魚」
「あじゃり」
「三階の家」
「香爐を盗む」
「幻影の都市」
「しゃりこうべ 」
とまあ、上でわかったような能書きを並べてみたものの、実は室生犀星の小説を読むのはこれが初めてである(爆)。予備知識もほとんどなく読み始めたのだが、いや、これは凄いぞ。
収録作品は大きく三つのテーマに分けられている。家族や子供をテーマにした怪異譚、民話を素材にした怪談的なもの、今で言う都市伝説を描いたような幻想的作品群である。
そのどれもが満足できる出来なのだが、とりわけ家族や子供をテーマにした「童話」から「みずうみ」までの四作は尋常ではない。犀星自身、恵まれた出自ではなく、おまけに自らの子供を幼いときに亡くすという体験をもっている。どれもシンプルな構成で物語の筋などあってないような話ばかりなのだが、そういった悲痛な実体験が色濃く反映されているだけに、大きく読み手の精神を揺さぶってくるのだ。
例えば「童話」などは兄妹や親子の会話だけで、ほぼ話が展開していく。だが、最初は他愛ないとも見えるこの会話の中から、冷たく暗い真実が徐々に炙り出されていく。その語り口が見事。
いわゆる流れるような文章というのではない。どちらかというと木訥な、しかも一定のトーンで紡がれるような独特のリズムである。相手を驚かせるつもりはなく、ましてやそれほど驚くべき真相でもないのだが、振り子のように繰り返される会話から少しずつ見えてくる真相が、背筋に薄ら寒いものを走らせる。「童子」などはスーパーナチュラルな要素などまったくないのだけれど、やはり怖い。夫婦の感情は一見理解できそうで、実は非常に共感しにくく、早い話が彼らは壊れているとしか思えなくなってくる。まさに紙一重である。
言ってしまえば、これら家族テーマの作品は、どれもが犀星の暗く澱んだ情念を読まされているといっても過言ではない。通常の怪談の怖さとは違うけれど、読後のダメージは相当なもので(ちなみにカバーの童子のイラストも、読後にあらためて見るとダメージ倍増は必至)、犀星のダークサイドを知るにはもってこいの作品集といえる。ただしデリケートな人は要注意。
室生犀星については今さら説明の要もないだろう。金沢の生んだ偉大な詩人であり、故郷の自然や生あるものへの慈しみに溢れた作品を数多く残したことで知られている。同時に彼はすぐれた小説家でもあり、詩作で培った感性をそのまま生かしたような、幻想的な作品もまた少なからず残している。本書はそんな室生犀星の幻想的作品や怪談をまとめた一冊。
「童話」
「童子」
「後の日の童子」
「みずうみ」
「蛾」
「天狗」
「ゆめの話」
「不思議な国の話」
「不思議な魚」
「あじゃり」
「三階の家」
「香爐を盗む」
「幻影の都市」
「しゃりこうべ 」
とまあ、上でわかったような能書きを並べてみたものの、実は室生犀星の小説を読むのはこれが初めてである(爆)。予備知識もほとんどなく読み始めたのだが、いや、これは凄いぞ。
収録作品は大きく三つのテーマに分けられている。家族や子供をテーマにした怪異譚、民話を素材にした怪談的なもの、今で言う都市伝説を描いたような幻想的作品群である。
そのどれもが満足できる出来なのだが、とりわけ家族や子供をテーマにした「童話」から「みずうみ」までの四作は尋常ではない。犀星自身、恵まれた出自ではなく、おまけに自らの子供を幼いときに亡くすという体験をもっている。どれもシンプルな構成で物語の筋などあってないような話ばかりなのだが、そういった悲痛な実体験が色濃く反映されているだけに、大きく読み手の精神を揺さぶってくるのだ。
例えば「童話」などは兄妹や親子の会話だけで、ほぼ話が展開していく。だが、最初は他愛ないとも見えるこの会話の中から、冷たく暗い真実が徐々に炙り出されていく。その語り口が見事。
いわゆる流れるような文章というのではない。どちらかというと木訥な、しかも一定のトーンで紡がれるような独特のリズムである。相手を驚かせるつもりはなく、ましてやそれほど驚くべき真相でもないのだが、振り子のように繰り返される会話から少しずつ見えてくる真相が、背筋に薄ら寒いものを走らせる。「童子」などはスーパーナチュラルな要素などまったくないのだけれど、やはり怖い。夫婦の感情は一見理解できそうで、実は非常に共感しにくく、早い話が彼らは壊れているとしか思えなくなってくる。まさに紙一重である。
言ってしまえば、これら家族テーマの作品は、どれもが犀星の暗く澱んだ情念を読まされているといっても過言ではない。通常の怪談の怖さとは違うけれど、読後のダメージは相当なもので(ちなみにカバーの童子のイラストも、読後にあらためて見るとダメージ倍増は必至)、犀星のダークサイドを知るにはもってこいの作品集といえる。ただしデリケートな人は要注意。
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早川書房編集部/編『ロバート・B・パーカー読本』(早川書房)
結局、昼休みに慌ただしくまわるぐらいで、ゆっくり見物することもなく、今年の神田古本まつりも終了。この連休に行けないこともなかったが、富士五湖まで紅葉まつりを見物にいってしまった。まったく逆方向だよ。
スペンサー・シリーズなどで有名なハードボイルド作家、ロバート・B・パーカーのガイドブックが先頃刊行された。その名も『ロバート・B・パーカー読本』。
昔からガイドブックの類が好きで、もちろんミステリも例外ではない。さすがにいい歳なので、今さら入門書で得るものはあまりないのだが、気になるのは、どういう切り口で構成をまとめているかである。ま、これは趣味というより職業柄か(ミステリとは全然関係ないジャンルですが)。したがって全般的なガイドブックは面白そうなら買う、といったスタンス。
ただし同じガイドブックでも、作家別のものになると、よほどメジャーな作家でないかぎり本など出ないので、こういう場合は中身に関係なく即購入。入門書から評論まで、ターゲットも本によってさまざまなのだが、さて『ロバート・B・パーカー読本』はどうか。
内容はというと、パーカーの書いた唯一の短篇といってよい「代理人」が目玉。これに全著作のブックガイド、シリーズ別のエッセイ、登場人物の事典、『スペンサーの料理』の続編、映像化作品の資料などが加わって、一応ひととおりのところは網羅しているようだ。
残念ながら特に面白い趣向はないが、映像化作品をまとめたものは参考になるし、先に書いたように短篇「代理人」の単行本初収録は意味があろう。ただ、年表や著作リストなど利便性の高い資料は入れておいた方がよかっただろう。
一番期待はずれだったのはブックガイドの淡泊さ、コラム・エッセイの物足りなさ。全般に無難なものばかりで、もう少し思い切ったツッコミがあってもいいのではないか。作品評価、ミステリにおける位置づけなど、ロバート・B・パーカーあたりになるとほぼ評価は固まっているわけで、今さらそれを繰り返されても面白くはない。手練れの評論家も寄稿しているのだから、そこはもう少し工夫がほしい。わずかに池上冬樹氏がスペンサー・シリーズの構成要素の洗い出しをやっていて、それ自体は悪くないが、そこからどうするというところで結論をさらっと流している。好きな評論家だけに物足りない思いだけが残り、ちょっと残念だった。
こういう入門的なガイドブックというのは、アプローチの方法はいくらでもある。したがって編集時のコンセプトというか立ち位置を明確にするところから作業が始まるわけで、ここがあやふやだと何とも締まりのないものが出来上がってしまう。本書がそうだとは言わないが、本の造りを見れば、もう少し本格的なものを期待するのは当然。巻末では「『新・ロバート・B・パーカー読本』でお会いしましょう」と締められているが、それは編集部の頑張り次第だな(笑)。
スペンサー・シリーズなどで有名なハードボイルド作家、ロバート・B・パーカーのガイドブックが先頃刊行された。その名も『ロバート・B・パーカー読本』。
昔からガイドブックの類が好きで、もちろんミステリも例外ではない。さすがにいい歳なので、今さら入門書で得るものはあまりないのだが、気になるのは、どういう切り口で構成をまとめているかである。ま、これは趣味というより職業柄か(ミステリとは全然関係ないジャンルですが)。したがって全般的なガイドブックは面白そうなら買う、といったスタンス。
ただし同じガイドブックでも、作家別のものになると、よほどメジャーな作家でないかぎり本など出ないので、こういう場合は中身に関係なく即購入。入門書から評論まで、ターゲットも本によってさまざまなのだが、さて『ロバート・B・パーカー読本』はどうか。
内容はというと、パーカーの書いた唯一の短篇といってよい「代理人」が目玉。これに全著作のブックガイド、シリーズ別のエッセイ、登場人物の事典、『スペンサーの料理』の続編、映像化作品の資料などが加わって、一応ひととおりのところは網羅しているようだ。
残念ながら特に面白い趣向はないが、映像化作品をまとめたものは参考になるし、先に書いたように短篇「代理人」の単行本初収録は意味があろう。ただ、年表や著作リストなど利便性の高い資料は入れておいた方がよかっただろう。
一番期待はずれだったのはブックガイドの淡泊さ、コラム・エッセイの物足りなさ。全般に無難なものばかりで、もう少し思い切ったツッコミがあってもいいのではないか。作品評価、ミステリにおける位置づけなど、ロバート・B・パーカーあたりになるとほぼ評価は固まっているわけで、今さらそれを繰り返されても面白くはない。手練れの評論家も寄稿しているのだから、そこはもう少し工夫がほしい。わずかに池上冬樹氏がスペンサー・シリーズの構成要素の洗い出しをやっていて、それ自体は悪くないが、そこからどうするというところで結論をさらっと流している。好きな評論家だけに物足りない思いだけが残り、ちょっと残念だった。
こういう入門的なガイドブックというのは、アプローチの方法はいくらでもある。したがって編集時のコンセプトというか立ち位置を明確にするところから作業が始まるわけで、ここがあやふやだと何とも締まりのないものが出来上がってしまう。本書がそうだとは言わないが、本の造りを見れば、もう少し本格的なものを期待するのは当然。巻末では「『新・ロバート・B・パーカー読本』でお会いしましょう」と締められているが、それは編集部の頑張り次第だな(笑)。