Posted in 07 2004
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津本陽、他『紀州ミステリー傑作選』(河出文庫)
河出文庫の御当地ミステリー集から『紀州ミステリー傑作選』を読了。
紀州については未だ訪ねたこともないが、大学時代の友人に和歌山出身の連中が多く、話自体はいろいろ聞いており、その後は中上健次の著作で特殊なイメージ(笑)だけは持っている。
それらは本書の序文で津本陽が書いているような明るい軽はずみな気質、というのとはまた別の種類のもので、意外に粘着質なところがあるのではないか、とも感じている。まあ、完全に個人的なイメージなので、和歌山県の人、間違っていたらごめんなさい。
津本陽「明るい風土」(序文)
笹沢左保「純愛碑」
宮脇俊三「殺意の風景」
蒼井雄「黒潮殺人事件」
西村寿行「痩牛鬼」
岡田義之「夜の吊橋」
黒岩重吾「墓地の俳優」
津本陽「財布の行方」
収録作は以上のとおり。ミステリ色の強い作品は少なく、蒼井雄の「黒潮殺人事件」はダントツに本格だが、その他はどちらかというと人に焦点を絞った佳作が多い。笹沢左保の「純愛碑」、宮脇俊三「殺意の風景」、西村寿行「痩牛鬼」、岡田義之「夜の吊橋」などは正にその典型で、事件と呼ぶほどでもない些細な出来事なのに、強烈な印象を与えることに成功している。
特に西村寿行の「痩牛鬼」は絶品。エロスとバイオレンスのみ注目される西村寿行だが、そもそもデビュー時は社会派であり、加えて動物文学の第一人者という一面も持つ。そのあまり知られざる面を理解するには格好の一篇。
紀州については未だ訪ねたこともないが、大学時代の友人に和歌山出身の連中が多く、話自体はいろいろ聞いており、その後は中上健次の著作で特殊なイメージ(笑)だけは持っている。
それらは本書の序文で津本陽が書いているような明るい軽はずみな気質、というのとはまた別の種類のもので、意外に粘着質なところがあるのではないか、とも感じている。まあ、完全に個人的なイメージなので、和歌山県の人、間違っていたらごめんなさい。
津本陽「明るい風土」(序文)
笹沢左保「純愛碑」
宮脇俊三「殺意の風景」
蒼井雄「黒潮殺人事件」
西村寿行「痩牛鬼」
岡田義之「夜の吊橋」
黒岩重吾「墓地の俳優」
津本陽「財布の行方」
収録作は以上のとおり。ミステリ色の強い作品は少なく、蒼井雄の「黒潮殺人事件」はダントツに本格だが、その他はどちらかというと人に焦点を絞った佳作が多い。笹沢左保の「純愛碑」、宮脇俊三「殺意の風景」、西村寿行「痩牛鬼」、岡田義之「夜の吊橋」などは正にその典型で、事件と呼ぶほどでもない些細な出来事なのに、強烈な印象を与えることに成功している。
特に西村寿行の「痩牛鬼」は絶品。エロスとバイオレンスのみ注目される西村寿行だが、そもそもデビュー時は社会派であり、加えて動物文学の第一人者という一面も持つ。そのあまり知られざる面を理解するには格好の一篇。
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ジャン=クリストフ・グランジェ『コウノトリの道』(創元推理文庫)
『クリムゾン・リバー』でブレイクしたジャン=クリストフ・グランジェの処女作を読んでみた。創元推理文庫の『コウノトリの道』である。
大学院で論文を書き上げた青年ルイは、鳥類研究家の伯父ベームから奇妙な依頼を受けた。秋にアフリカに渡り、春にはヨーロッパに帰ってくるコウノトリが、今年は何故か大量に戻らなかった。その原因を探るため、ルイにコウノトリのルートを追ってほしいというのだ。
ところが調査に出かけようとしたルイが、最後の打ち合わせのためにベームを訪ねると、そこには彼の無惨な死体が待ち受けており、しかも検死の結果、記録のない心臓移植の跡も発見される。謎を解明するため、そしてベームの意志を継ぐため、結局ルイはコウノトリ追跡の旅を始めるが、それはさらなる惨劇の幕開けでもあった……。
コウノトリの追跡&主人公ルイの自分探しを兼ねたロードノベル風の作りで、しかもコウノトリの謎だけでも楽しめるところに加え、さらに驚くべき真相を二重三重に用意した良質のエンターテインメント。ある意味、『クリムゾン・リバー』以上にハリウッド的であり、従来のフレンチ・ミステリーのイメージを完全に払拭してしまう大作である。
やや気になったのは、作者の説明が丁寧すぎることか。スケールが大きくて複雑な話だからということもあるのだろうが、主人公の思考が要領よく書かれていたりすると、ああ、ここは作者から読者への説明なのね、という感じが強すぎてちょっといただけない。
また、同様に主人公が知能・行動ともにスーパーマンすぎるのもどうかと思う。物語のテンポを壊したくないのだろうが、平凡な一市民にしてはあまりに危機的状況に上手く対応しすぎ。まあ、この辺りも含めてハリウッド的なのだが。
とはいえ、十分に楽しめる作品であることは間違いなし。ややぐろい描写はあるものの、万人におすすめできる一作といえるだろう。
大学院で論文を書き上げた青年ルイは、鳥類研究家の伯父ベームから奇妙な依頼を受けた。秋にアフリカに渡り、春にはヨーロッパに帰ってくるコウノトリが、今年は何故か大量に戻らなかった。その原因を探るため、ルイにコウノトリのルートを追ってほしいというのだ。
ところが調査に出かけようとしたルイが、最後の打ち合わせのためにベームを訪ねると、そこには彼の無惨な死体が待ち受けており、しかも検死の結果、記録のない心臓移植の跡も発見される。謎を解明するため、そしてベームの意志を継ぐため、結局ルイはコウノトリ追跡の旅を始めるが、それはさらなる惨劇の幕開けでもあった……。
コウノトリの追跡&主人公ルイの自分探しを兼ねたロードノベル風の作りで、しかもコウノトリの謎だけでも楽しめるところに加え、さらに驚くべき真相を二重三重に用意した良質のエンターテインメント。ある意味、『クリムゾン・リバー』以上にハリウッド的であり、従来のフレンチ・ミステリーのイメージを完全に払拭してしまう大作である。
やや気になったのは、作者の説明が丁寧すぎることか。スケールが大きくて複雑な話だからということもあるのだろうが、主人公の思考が要領よく書かれていたりすると、ああ、ここは作者から読者への説明なのね、という感じが強すぎてちょっといただけない。
また、同様に主人公が知能・行動ともにスーパーマンすぎるのもどうかと思う。物語のテンポを壊したくないのだろうが、平凡な一市民にしてはあまりに危機的状況に上手く対応しすぎ。まあ、この辺りも含めてハリウッド的なのだが。
とはいえ、十分に楽しめる作品であることは間違いなし。ややぐろい描写はあるものの、万人におすすめできる一作といえるだろう。
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ピーター・ディキンスン『聖書伝説物語』(原書房)
仕事で大書店をいくつか視察。夕方から出たのにやっぱ暑い。
あのピーター・ディキンスンが聖書を小説にしたというので読んでみた。原書房から出た『聖書伝説物語』である。
やはり巧いわ、ディキンスンは。邦訳された一連の奇妙なミステリを読んでいると、この人の脳内回路はどうなっているのだろうかと不思議でならないのだが、本書やアーサー王伝説をモチーフにした『アーサー王物語伝説 魔術師マーリンの夢』を読むと、実にまっとうな感覚と物語る能力を身につけていることがひしひしとわかる。
管理人は聖書について有名なエピソード程度の知識しかない人間である。その昔何度かトライしたことはあるのだが、だいたいいつも途中で飽きてしまうのである。そんな人間が気軽に聖書に接する手段として、本書は格好の一冊といえるだろう。とにかく面白く読めるのが一番。まあ、ディキンスンも面白そうなエピソードしか載せてないせいもあるが、まったく独自の語り部を設定して、どうすれば各エピソードが映えるのか考え抜かれている。あらためて小説家ピーター・ディキンスンの底力を見たような気がする。ちと大げさ?
あのピーター・ディキンスンが聖書を小説にしたというので読んでみた。原書房から出た『聖書伝説物語』である。
やはり巧いわ、ディキンスンは。邦訳された一連の奇妙なミステリを読んでいると、この人の脳内回路はどうなっているのだろうかと不思議でならないのだが、本書やアーサー王伝説をモチーフにした『アーサー王物語伝説 魔術師マーリンの夢』を読むと、実にまっとうな感覚と物語る能力を身につけていることがひしひしとわかる。
管理人は聖書について有名なエピソード程度の知識しかない人間である。その昔何度かトライしたことはあるのだが、だいたいいつも途中で飽きてしまうのである。そんな人間が気軽に聖書に接する手段として、本書は格好の一冊といえるだろう。とにかく面白く読めるのが一番。まあ、ディキンスンも面白そうなエピソードしか載せてないせいもあるが、まったく独自の語り部を設定して、どうすれば各エピソードが映えるのか考え抜かれている。あらためて小説家ピーター・ディキンスンの底力を見たような気がする。ちと大げさ?
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デニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』(早川書房)
中島らも氏亡くなる。悲しいというより腹が立ってくるというか……。なぜもっと自分を大事にしなかったのだろう、この人は。もっともっと長生きして、『ガダラの豚』や『今夜、すべてのバーで』などを超える傑作を書いてほしかった。合掌。
デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』読了。
アメリカはボストン沖にあるシャッター・アイランド。その島には、精神を病んだ凶悪な犯罪者ばかりを収容している病院がある。そこで一人の女性患者が病棟を脱走するという事件が起こり、保安官のテディは相棒チャックとともにその島に乗り込んでゆく。だが実はテディには、もうひとつの隠された目的があった。放火事件で妻を死なせた犯人がここに収容されており、密かに復讐を誓っていたのだ。だが、島で捜査を続ける二人の前に、事件は意外な展開を見せてゆく……。
一見、警察小説、あるいはサイコスリラーのような本書だが、読み終えた今となってはそれがまったく上っ面だけのジャンル分けに過ぎなかったことがわかる。それほどまでに本書の内容は意表をつくものであり、そういう意味では傑作といってよいだろう。評判の高さは伊達ではない。
ただ、どうなんだろう。本書の肝はミステリとしての技巧的な部分と、家族愛・夫婦愛というテーマの部分、大きく二つがあると思うのだが、どうしても技巧優先の感を受けるのである。その分だけテーマの方が置き去りになってしまい、誠にもったいない。これまでの傑作、『ミスティック・リバー』やパトリック&アンジー・シリーズに比べても遜色ない重さを孕んでいるはずなのに、いくつかのミステリ的ギミックが逆に邪魔をしてしまい、どうしても軽く感じられてしまうのだ。
また、驚愕の結末ではあるが、先例もいくつかあるので、途中で真相に気づかれやすいのではなかろうか(管理人はつい二、三ヶ月間にその作品を読んだばかりだったので、よけい連想しやすかった)。
少々非難めいた書き方になったが、それでも本作は決して読んでつまらない作品ではない。完成度は高く、特にテディと医師コーリーのクライマックスでの対決からラストまではまさに一気。変な先入観さえ持たなければ、十分に楽しめる作品だろう。
ちなみに先入観を持たせるという意味で、巻末「袋とじ」は企画倒れであろう。
デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』読了。
アメリカはボストン沖にあるシャッター・アイランド。その島には、精神を病んだ凶悪な犯罪者ばかりを収容している病院がある。そこで一人の女性患者が病棟を脱走するという事件が起こり、保安官のテディは相棒チャックとともにその島に乗り込んでゆく。だが実はテディには、もうひとつの隠された目的があった。放火事件で妻を死なせた犯人がここに収容されており、密かに復讐を誓っていたのだ。だが、島で捜査を続ける二人の前に、事件は意外な展開を見せてゆく……。
一見、警察小説、あるいはサイコスリラーのような本書だが、読み終えた今となってはそれがまったく上っ面だけのジャンル分けに過ぎなかったことがわかる。それほどまでに本書の内容は意表をつくものであり、そういう意味では傑作といってよいだろう。評判の高さは伊達ではない。
ただ、どうなんだろう。本書の肝はミステリとしての技巧的な部分と、家族愛・夫婦愛というテーマの部分、大きく二つがあると思うのだが、どうしても技巧優先の感を受けるのである。その分だけテーマの方が置き去りになってしまい、誠にもったいない。これまでの傑作、『ミスティック・リバー』やパトリック&アンジー・シリーズに比べても遜色ない重さを孕んでいるはずなのに、いくつかのミステリ的ギミックが逆に邪魔をしてしまい、どうしても軽く感じられてしまうのだ。
また、驚愕の結末ではあるが、先例もいくつかあるので、途中で真相に気づかれやすいのではなかろうか(管理人はつい二、三ヶ月間にその作品を読んだばかりだったので、よけい連想しやすかった)。
少々非難めいた書き方になったが、それでも本作は決して読んでつまらない作品ではない。完成度は高く、特にテディと医師コーリーのクライマックスでの対決からラストまではまさに一気。変な先入観さえ持たなければ、十分に楽しめる作品だろう。
ちなみに先入観を持たせるという意味で、巻末「袋とじ」は企画倒れであろう。
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『ラブ・アクチュアリー』
DVDで『ラブ・アクチュアリー』を観る。監督はリチャード・カーティス。
恋愛映画は昔ほど観なくなったが、実はこういうコメディタッチで、最後にほろりとさせるタイプは、もろツボなのだ。人間関係の把握が最初は辛かったけど、これはオススメ。元気が出る映画です。
恋愛映画は昔ほど観なくなったが、実はこういうコメディタッチで、最後にほろりとさせるタイプは、もろツボなのだ。人間関係の把握が最初は辛かったけど、これはオススメ。元気が出る映画です。
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ジーン・ウェブスター『続あしながおじさん』(新潮文庫)
ジーン・ウェブスターの『続あしながおじさん』読了。
『あしながおじさん』の続編というわけで、前作同様書簡集という形式で書かれた作品だ。ただし、主人公は孤児の大学生ジルーシャ・アボットではなく、彼女の大学時代の親友サリーである。サリーはジルーシャ夫妻に頼まれて、何とジョン・グリア孤児院の園長を引き受けることになり、その日々の暮らしと仕事ぶりを綴ったお話なのだ。
で、感想だが、ある程度は楽しく読めるものの、やはり前作の域には及ばないといったところか。「あしながおじさん」の正体という興味がないのも大きいが、やはり主人公の設定の差はいかんともし難い。前作の主人公ジルーシャは、天涯孤独の身の上で孤児院育ちの女子大生。これは実に強烈なバックボーンであり、それゆえのバイタリティや考え方、ユーモアのセンスというのが魅力であった。
対して本作のサリーは有閑令嬢というキャラクターゆえ随所に共感できない部分が見られる。それが変化していく様が逆に興味の中心となるのだろうが、個人的には引き込まれるというところまではいかなかった。
また、ジルーシャも今作では大いに株を落としている。前作であれだけ輝いていた彼女なのに、結婚した途端にずいぶん人が変わったようになったのはどういうことか。
作家の夢も捨て去って夫と世界旅行にほうけるだけでも何だかなあという感じなのに、サリー&孤児院への不義理をプレゼントで濁してしまうというやり方は、それこそ彼女が嫌っていたブルジョワジー的態度ではないのか。この豹変ぶりは何なのだ。設定を活かすためにある程度犠牲にした部分もあるのだろうが、もう少しキャラクターを大事にしてほしかった。
結局、本シリーズはやはり若いときに読んでおくべき本なのだろう。男女差や読書時の年齢で感じ方はずいぶん変わるだろうが、少なくとも『あしながおじさん』と『続あしながおじさん』は、主人公たちと素直に同化できる人にこそふさわしい読み物なのだ。
『あしながおじさん』の続編というわけで、前作同様書簡集という形式で書かれた作品だ。ただし、主人公は孤児の大学生ジルーシャ・アボットではなく、彼女の大学時代の親友サリーである。サリーはジルーシャ夫妻に頼まれて、何とジョン・グリア孤児院の園長を引き受けることになり、その日々の暮らしと仕事ぶりを綴ったお話なのだ。
で、感想だが、ある程度は楽しく読めるものの、やはり前作の域には及ばないといったところか。「あしながおじさん」の正体という興味がないのも大きいが、やはり主人公の設定の差はいかんともし難い。前作の主人公ジルーシャは、天涯孤独の身の上で孤児院育ちの女子大生。これは実に強烈なバックボーンであり、それゆえのバイタリティや考え方、ユーモアのセンスというのが魅力であった。
対して本作のサリーは有閑令嬢というキャラクターゆえ随所に共感できない部分が見られる。それが変化していく様が逆に興味の中心となるのだろうが、個人的には引き込まれるというところまではいかなかった。
また、ジルーシャも今作では大いに株を落としている。前作であれだけ輝いていた彼女なのに、結婚した途端にずいぶん人が変わったようになったのはどういうことか。
作家の夢も捨て去って夫と世界旅行にほうけるだけでも何だかなあという感じなのに、サリー&孤児院への不義理をプレゼントで濁してしまうというやり方は、それこそ彼女が嫌っていたブルジョワジー的態度ではないのか。この豹変ぶりは何なのだ。設定を活かすためにある程度犠牲にした部分もあるのだろうが、もう少しキャラクターを大事にしてほしかった。
結局、本シリーズはやはり若いときに読んでおくべき本なのだろう。男女差や読書時の年齢で感じ方はずいぶん変わるだろうが、少なくとも『あしながおじさん』と『続あしながおじさん』は、主人公たちと素直に同化できる人にこそふさわしい読み物なのだ。
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海野十三『火星兵団』(桃源社)
なんだか最近物忘れが多い。二、三日前の日記を書こうと思っても、いったい何をやっていたのか完璧に記憶が落ちていることが多く、手帳を見て何とか思い出す始末である。まあ、本の場合、その方が再読がきいて良いという話もあるが、あまり洒落にはならんなぁ。たんに歳をとっただけのことならいいのだが。
読了本は海野十三の『火星兵団』。タイトルからも想像できるように、本書は火星人の地球侵略を描いた作品である。だが実はもうひとつ、巨大彗星の地球衝突という大きな軸がある。このとんでもない二大ピンチを地球人はいかにして解決するのか、見所はまさにそこにある。
本書はもともと1939年から1940年にかけ、大毎小学生新聞と東日小学生新聞で連載されたものだ。海野お得意の、戦争の影響を色濃く反映したジュヴナイルというわけで、例によって国威高揚ものといってはそれまでだが(しかも巻頭にはご丁寧に海野自身の言葉で、その旨をはっきり謳っている)、長期連載の大作ながら意外なほどストーリーに破綻が無く、実にまとまった出来となっている。徐々に明らかになる火星人の意外な秘密、その対応策、クライマックスにかけての盛り上がり、複数の主人公によるカットバック的手法などなど、新聞の連載とは思えないほど考えぬかれた構成で、思いのほか楽しく読めた。
同じような話でも『地球盗難』などはもうひとつこなれていない印象だったが、本書は『浮かぶ飛行島』と並ぶジュヴナイルの佳作といえるだろう。当時の科学知識やら日本人の意識など、もちろん今読めばトホホなところも多いのだが、これだけの大風呂敷を広げられる作家が、当時の日本人にどれだけいたことか。
ただ、欠点もないではない(というかかなりでかい欠点だが)。肝心の巨大彗星の解決がかなり適当なのである。これさえなければ傑作といえたのに、誠に残念。
読了本は海野十三の『火星兵団』。タイトルからも想像できるように、本書は火星人の地球侵略を描いた作品である。だが実はもうひとつ、巨大彗星の地球衝突という大きな軸がある。このとんでもない二大ピンチを地球人はいかにして解決するのか、見所はまさにそこにある。
本書はもともと1939年から1940年にかけ、大毎小学生新聞と東日小学生新聞で連載されたものだ。海野お得意の、戦争の影響を色濃く反映したジュヴナイルというわけで、例によって国威高揚ものといってはそれまでだが(しかも巻頭にはご丁寧に海野自身の言葉で、その旨をはっきり謳っている)、長期連載の大作ながら意外なほどストーリーに破綻が無く、実にまとまった出来となっている。徐々に明らかになる火星人の意外な秘密、その対応策、クライマックスにかけての盛り上がり、複数の主人公によるカットバック的手法などなど、新聞の連載とは思えないほど考えぬかれた構成で、思いのほか楽しく読めた。
同じような話でも『地球盗難』などはもうひとつこなれていない印象だったが、本書は『浮かぶ飛行島』と並ぶジュヴナイルの佳作といえるだろう。当時の科学知識やら日本人の意識など、もちろん今読めばトホホなところも多いのだが、これだけの大風呂敷を広げられる作家が、当時の日本人にどれだけいたことか。
ただ、欠点もないではない(というかかなりでかい欠点だが)。肝心の巨大彗星の解決がかなり適当なのである。これさえなければ傑作といえたのに、誠に残念。
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ジョン・フランクリン・バーディン『死を呼ぶペルシュロン』(晶文社)
ジョン・フランクリン・バーディンの『死を呼ぶペルシュロン』を読む。
「先生、俺、きっと頭が変なんです」
髪に赤いハイビスカスを挿した青年の話は、その外見さながらに変なものだった。青年は小人に雇われ、さまざまな奇妙な仕事を引き受けては小金を稼いでいるのだという。話に興味をもった精神科医は、彼と同行してその小人に会いに行くのだが、やがて悪夢のような事件に巻きこまれてゆく。女優の殺人事件、容疑者となったハイビスカスの青年、そして精神科医自らも精神病院に収容されるはめに……。
なんというか、あの『悪魔に喰われろ青尾蠅』を書いた作者だし、前評判も聞いていたのである程度予想していたつもりだったが、さらにその上をいく奇妙なミステリである。特に前半は設定そのものがおかしなうえに、展開がまったく読めない。精神科医が病院で目覚めるあたりでは、「そうきたか」という感じ。終盤ではやや普通のミステリらしくなるものの、かなり強引などんでん返しを見舞ってくれるので、その意味ではリーダビリティは高いといえるだろう。
だがミステリとしてはいまいち。その奇抜な設定そのものが説得力をもたず、強引すぎる展開と解決には思わず引いてしまう。
文体や描写はまともだし、ミステリとしての衣をけっこうしっかり纏っているのでつい騙されてしまうが、やはりこの人の抱えるテーマは別のところにあると言ってよいのではないか。作家では思い浮かばないが、デビッド・リンチ監督と似た作風といえば、わかってもらえるだろうか。
とにもかくにも個性が強すぎるので、読者を選ぶことは間違いないだろう。
「先生、俺、きっと頭が変なんです」
髪に赤いハイビスカスを挿した青年の話は、その外見さながらに変なものだった。青年は小人に雇われ、さまざまな奇妙な仕事を引き受けては小金を稼いでいるのだという。話に興味をもった精神科医は、彼と同行してその小人に会いに行くのだが、やがて悪夢のような事件に巻きこまれてゆく。女優の殺人事件、容疑者となったハイビスカスの青年、そして精神科医自らも精神病院に収容されるはめに……。
なんというか、あの『悪魔に喰われろ青尾蠅』を書いた作者だし、前評判も聞いていたのである程度予想していたつもりだったが、さらにその上をいく奇妙なミステリである。特に前半は設定そのものがおかしなうえに、展開がまったく読めない。精神科医が病院で目覚めるあたりでは、「そうきたか」という感じ。終盤ではやや普通のミステリらしくなるものの、かなり強引などんでん返しを見舞ってくれるので、その意味ではリーダビリティは高いといえるだろう。
だがミステリとしてはいまいち。その奇抜な設定そのものが説得力をもたず、強引すぎる展開と解決には思わず引いてしまう。
文体や描写はまともだし、ミステリとしての衣をけっこうしっかり纏っているのでつい騙されてしまうが、やはりこの人の抱えるテーマは別のところにあると言ってよいのではないか。作家では思い浮かばないが、デビッド・リンチ監督と似た作風といえば、わかってもらえるだろうか。
とにもかくにも個性が強すぎるので、読者を選ぶことは間違いないだろう。
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カーター・ディクスン『墓場貸します』(ハヤカワ文庫)
三連休だというのにフルに仕事。おまけに連休直前の金曜は朝まで仕事をしている。いったい何なんだろうか。
本日の読了本はカーター・ディクスンの『墓場貸します』。かのヘンリー・メルヴェール卿がアメリカに渡って活躍するという異色作。
HM卿の渡米の目的はワシントンでの公用にあったが、旧友の実業家マニングから謎解きの挑戦を受け、ニューヨークにあるマニング邸へ向かうというのがことの発端。だが、マニング家の歴史、家族間のトラブル、横領事件などが徐々に浮き彫りにされ、同時にマニングの狙いも明らかになってゆく。そして一同が舞台の上にそろったとき、ついにマニングのプールでの消失事件が起こる。
登場人物などは少ないが、なかなか凝ったプロットで、しかも極めてユーモラスに仕上げた作品。舞台がアメリカということもあり、英米作家と称されるカーが両国の文化の比較を意識したのは当然のところだろうし、HMの野球シーンに見られるように、遊びの部分もとりわけ強調されている感じだ。
これでメインのプール消失トリックが見事なものであれば傑作になったのであろうが、ほんとにこれが成立するのか個人的には大いに疑問である。まあ読んでいる間は楽しめるので、カーのファンなら、というところか。
本日の読了本はカーター・ディクスンの『墓場貸します』。かのヘンリー・メルヴェール卿がアメリカに渡って活躍するという異色作。
HM卿の渡米の目的はワシントンでの公用にあったが、旧友の実業家マニングから謎解きの挑戦を受け、ニューヨークにあるマニング邸へ向かうというのがことの発端。だが、マニング家の歴史、家族間のトラブル、横領事件などが徐々に浮き彫りにされ、同時にマニングの狙いも明らかになってゆく。そして一同が舞台の上にそろったとき、ついにマニングのプールでの消失事件が起こる。
登場人物などは少ないが、なかなか凝ったプロットで、しかも極めてユーモラスに仕上げた作品。舞台がアメリカということもあり、英米作家と称されるカーが両国の文化の比較を意識したのは当然のところだろうし、HMの野球シーンに見られるように、遊びの部分もとりわけ強調されている感じだ。
これでメインのプール消失トリックが見事なものであれば傑作になったのであろうが、ほんとにこれが成立するのか個人的には大いに疑問である。まあ読んでいる間は楽しめるので、カーのファンなら、というところか。
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日影丈吉『狐の鶏』(講談社文庫)
京都日帰り出張。最近、京都への出張が増えてきたが日帰りばかりである。せめて一泊できればあんな古本屋やこんな古本屋にも行けるのに。本日の京都滞在時間はわずか4時間。京都特有の蒸し暑さだけ体感して帰ってきた感じ。いや、もちろん仕事もやってますが(笑)。
読了本は日影丈吉の『狐の鶏』。先日読んだ『幻想博物誌』とペア。というか二冊を合わせて、なおかつ単行本未収録作(当時)の「熊」を含めた『恐怖博物誌』というのが出版芸術社からでているので、本当はそちらの方が便利です。
『狐の鶏』では下記の五作が収録されているが、表題作でもある「狐の鶏」がやはりダントツか。冒頭の衝撃、中盤のねちっこい村民らのやりとり、意外な結末と、見事なまでの完成度。
文章がいいのでその他の作品も読ませるが、土着的なもの以外は味わいの点で落ちる気がする。たとえば「犬の生活」における犬声優の描写、「王とのつきあい」における大蛇の描写は冴えているものの、何か読み手の神経に絡まるものが少ないというか。オチもそれほど強力ではないので、そういう感覚的なものが薄い(と個人的に感じているだけだが)作品はやはり物足りない。ううむ、贅沢でしょうか。
「狐の鶏」
「ねずみ」
「犬の生活」
「王とのつきあい」
「東天紅」
読了本は日影丈吉の『狐の鶏』。先日読んだ『幻想博物誌』とペア。というか二冊を合わせて、なおかつ単行本未収録作(当時)の「熊」を含めた『恐怖博物誌』というのが出版芸術社からでているので、本当はそちらの方が便利です。
『狐の鶏』では下記の五作が収録されているが、表題作でもある「狐の鶏」がやはりダントツか。冒頭の衝撃、中盤のねちっこい村民らのやりとり、意外な結末と、見事なまでの完成度。
文章がいいのでその他の作品も読ませるが、土着的なもの以外は味わいの点で落ちる気がする。たとえば「犬の生活」における犬声優の描写、「王とのつきあい」における大蛇の描写は冴えているものの、何か読み手の神経に絡まるものが少ないというか。オチもそれほど強力ではないので、そういう感覚的なものが薄い(と個人的に感じているだけだが)作品はやはり物足りない。ううむ、贅沢でしょうか。
「狐の鶏」
「ねずみ」
「犬の生活」
「王とのつきあい」
「東天紅」
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C・W・グラフトン『真実の問題』(国書刊行会)
どうやら梅雨明けらしいが、蒸し暑かったわりには雨は思ったほどではなかったようだ。あまりの暑さに、日々エアコンをつけっぱなしで寝るかどうかで悩んでいるのだが、本を読みながらそのまま眠りに落ちてしまうことが多いため、結局はつけたまま寝ることの方が多い気がする。今年は体、壊しそう。
読了本はC・W・グラフトンの『真実の問題』。あのスー・グラフトンの父上ですな。作風はまったく違ううえ、作家としては娘の方が大成したようだが、こうして遅まきながら翻訳が出たということは、それなりに見るべきものはあるはず。と、思いたい(笑)。
主人公は若手弁護士のジェス。姉と結婚した義兄が共同経営している法律事務所に勤めているが、その姉夫婦は独立して地元を離れることになった。お別れパーティも終わったその夜、仕事のメモ用紙を忘れたジェスは、姉夫婦の家に引き返す。ところがそこで、ジェスは義兄が実姉マーセラを騙したことを知り、思わず手元にあった金属製の卓上ライターで殴り殺してしまう。
ジェスはすぐに警察へ自白したが、当初警察はそれを信じようとしなかった。第一容疑者と目されていた姉をかばってのことだと思ったのだ。だが結局、目撃者の証言などからジェスは逮捕され、裁判が始まった。そこでジェスは被告人自ら弁護士となり、一転して自分の無罪を主張し始めたのだった。
一応は法廷もの。かなりひねくれた設定だが、次から次へと小事件を起こし、読者を飽きさせない工夫はなかなかのものである。興味の繋ぎ方が巧みというか、読んでいる間は十分に楽しめ、法廷に場を移しても、ジェスがどうやって無罪を勝ち取るのか、盛り上げ方もうまい。
ただ、それだけに無罪となる根拠の弱さが目立ち(そもそも起訴するための要件も弱いのだが)、拍子抜けの感は強い。事件の鍵となるライターの件や、最後のシーンなども上手いとは思うのだが、あの長さを引っ張るだけのオチではないだろうというのが正直なところ。法廷でのどんでん返しを期待したこちらが悪いのかもしれないが。でも読んでおいて損はないとも思えるし……微妙な一冊。
読了本はC・W・グラフトンの『真実の問題』。あのスー・グラフトンの父上ですな。作風はまったく違ううえ、作家としては娘の方が大成したようだが、こうして遅まきながら翻訳が出たということは、それなりに見るべきものはあるはず。と、思いたい(笑)。
主人公は若手弁護士のジェス。姉と結婚した義兄が共同経営している法律事務所に勤めているが、その姉夫婦は独立して地元を離れることになった。お別れパーティも終わったその夜、仕事のメモ用紙を忘れたジェスは、姉夫婦の家に引き返す。ところがそこで、ジェスは義兄が実姉マーセラを騙したことを知り、思わず手元にあった金属製の卓上ライターで殴り殺してしまう。
ジェスはすぐに警察へ自白したが、当初警察はそれを信じようとしなかった。第一容疑者と目されていた姉をかばってのことだと思ったのだ。だが結局、目撃者の証言などからジェスは逮捕され、裁判が始まった。そこでジェスは被告人自ら弁護士となり、一転して自分の無罪を主張し始めたのだった。
一応は法廷もの。かなりひねくれた設定だが、次から次へと小事件を起こし、読者を飽きさせない工夫はなかなかのものである。興味の繋ぎ方が巧みというか、読んでいる間は十分に楽しめ、法廷に場を移しても、ジェスがどうやって無罪を勝ち取るのか、盛り上げ方もうまい。
ただ、それだけに無罪となる根拠の弱さが目立ち(そもそも起訴するための要件も弱いのだが)、拍子抜けの感は強い。事件の鍵となるライターの件や、最後のシーンなども上手いとは思うのだが、あの長さを引っ張るだけのオチではないだろうというのが正直なところ。法廷でのどんでん返しを期待したこちらが悪いのかもしれないが。でも読んでおいて損はないとも思えるし……微妙な一冊。
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日影丈吉『幻想博物誌』(講談社文庫)
参院選の投票日。とりあえず権利を行使しにゆく。午前中の雨とこの暑さがどう影響するか。それにしても前日の曽我さん一家の再会は喜ばしいことではあるが、投票前日に実行するところに限りないあざとさを感じてしまう。
読了本は日影丈吉の『幻想博物誌』。ほとんど読んだものばかりだったが、傑作は何度読んでも色褪せない。
以前の日記でも書いたのだが、やはり都会を扱ったものよりは田舎を舞台にしたものの方が楽しめる気がする。「月夜蟹」での港町や「猫の泉」での辺境などは、物語のための舞台装置というだけでなく、その土地自身が主人公でもある。
また、日影丈吉の作品では、読み終わってみないとそれがミステリだか幻想小説だかわからないものもある。というかそれがうまく融合しているといった方がよいか。下手な作家がやるとどっちつかずで腹が立つだけだが、「オウボエを吹く馬」のような作品を読むと、作者の技術が際だち、奇妙な味の成功例として楽しめるのはいうまでもない。収録作は以下のとおり。
「月夜蟹」
「蝶のやどり」
「猫の泉」
「からす」
「オウボエを吹く馬」
「鵺の来歴」
読了本は日影丈吉の『幻想博物誌』。ほとんど読んだものばかりだったが、傑作は何度読んでも色褪せない。
以前の日記でも書いたのだが、やはり都会を扱ったものよりは田舎を舞台にしたものの方が楽しめる気がする。「月夜蟹」での港町や「猫の泉」での辺境などは、物語のための舞台装置というだけでなく、その土地自身が主人公でもある。
また、日影丈吉の作品では、読み終わってみないとそれがミステリだか幻想小説だかわからないものもある。というかそれがうまく融合しているといった方がよいか。下手な作家がやるとどっちつかずで腹が立つだけだが、「オウボエを吹く馬」のような作品を読むと、作者の技術が際だち、奇妙な味の成功例として楽しめるのはいうまでもない。収録作は以下のとおり。
「月夜蟹」
「蝶のやどり」
「猫の泉」
「からす」
「オウボエを吹く馬」
「鵺の来歴」
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江戸川乱歩、他『サイコ・ミステリー傑作選』(河出文庫)
久々に代休をとり、昼まで眠る。久々の惰眠、っていうか日頃から睡眠不足気味なのでこれぐらいならバチもあたるまい。
起床後は『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を観に立川へ。平日の昼間、しかも猛暑ということもあって入りは八割程度でゆっくり座れるのがありがたい。で、ポップコーンなど頬張りながら二時間を楽しむ。タイムトラベルネタを使っているので、SFミステリ的な味わいがあり、ストーリーそのものは面白い。だが、けっこう駆け足の展開なので、小学生あたりに理解できるのだろうかと要らぬ心配をしてしまう。特に後半はきついのではないかな。それにしてもみんな成長したなぁ。
読了本は河出文庫のアンソロジー『サイコ・ミステリー傑作選』。昨今ではサイコ・ミステリーというと『羊たちの沈黙』などに代表されるような、狂気に駆り立てられたホラーっぽい犯罪を描いた物、という認識があるが、本書はそれとは違う。そもそも本書の刊行時はまだそんな言葉すらなかった時代。タイトルにあるサイコ・ミステリーとは文字どおり、心理学=サイコロジーをネタにしたミステリーという程度の理解でよいだろう。
収録作は河出のアンソロジーらしく、幅広い時代から採られている。
江戸川乱歩「心理試験」
木々高太郎「眠られぬ夜の思い」
土屋隆夫「夢の足跡」
佐野洋「狂女の微笑」
森村誠一「児童心理殺人事件」
多岐川恭「悪い記憶」
逢坂剛「不安の分析」
正直、これはというほどの作品集ではない。一言で心理学といっても時代によってアプローチが違いすぎるので、あまり統一されたイメージは感じず、本としてのバランスの悪さが気になる。
ただ作品個々の質は悪くない。だいたい顔ぶれを見ても、手練れの作家が顔をそろえているし、特に「児童心理殺人事件」や「悪い記憶」はあらためて森村誠一や多岐川恭の水準の高さを感じさせる。多作家なのでどうしても軽く見てしまいがちだが、多作ゆえに読ませる技術は確たるものがあり、このあたりの作家はやはり一度きちんと読んでおかなければ、という気持ちになる。
起床後は『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を観に立川へ。平日の昼間、しかも猛暑ということもあって入りは八割程度でゆっくり座れるのがありがたい。で、ポップコーンなど頬張りながら二時間を楽しむ。タイムトラベルネタを使っているので、SFミステリ的な味わいがあり、ストーリーそのものは面白い。だが、けっこう駆け足の展開なので、小学生あたりに理解できるのだろうかと要らぬ心配をしてしまう。特に後半はきついのではないかな。それにしてもみんな成長したなぁ。
読了本は河出文庫のアンソロジー『サイコ・ミステリー傑作選』。昨今ではサイコ・ミステリーというと『羊たちの沈黙』などに代表されるような、狂気に駆り立てられたホラーっぽい犯罪を描いた物、という認識があるが、本書はそれとは違う。そもそも本書の刊行時はまだそんな言葉すらなかった時代。タイトルにあるサイコ・ミステリーとは文字どおり、心理学=サイコロジーをネタにしたミステリーという程度の理解でよいだろう。
収録作は河出のアンソロジーらしく、幅広い時代から採られている。
江戸川乱歩「心理試験」
木々高太郎「眠られぬ夜の思い」
土屋隆夫「夢の足跡」
佐野洋「狂女の微笑」
森村誠一「児童心理殺人事件」
多岐川恭「悪い記憶」
逢坂剛「不安の分析」
正直、これはというほどの作品集ではない。一言で心理学といっても時代によってアプローチが違いすぎるので、あまり統一されたイメージは感じず、本としてのバランスの悪さが気になる。
ただ作品個々の質は悪くない。だいたい顔ぶれを見ても、手練れの作家が顔をそろえているし、特に「児童心理殺人事件」や「悪い記憶」はあらためて森村誠一や多岐川恭の水準の高さを感じさせる。多作家なのでどうしても軽く見てしまいがちだが、多作ゆえに読ませる技術は確たるものがあり、このあたりの作家はやはり一度きちんと読んでおかなければ、という気持ちになる。
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日影丈吉『真赤な子犬』(徳間文庫)
体調が思わしくないくせに午前様まで仕事。ミステリ同様、中毒としか思えない。
日影丈吉の『真赤な子犬』を読む。
先日読んだ『孤独の罠』は社会派とでも言えそうなリアルな推理小説だったわけだが、『真赤な子犬』はけっこうまっとうな本格探偵小説である。これまで短編だけを読んで、主に幻想的な話を書く作家という認識しかなかったのだが、日影丈吉という人は予想以上に幅広い作風を持つようで、大いに考え方を改めなければならない。まあ、何を今さらという感じではあるが(笑)。
さて『真赤な子犬』である。
上で本作を本格探偵小説と書いたが、実際にはちょっと違う。というのもいわゆる英米に端を発した論理重視の本格ではないからである。「謎を解く」という基本ラインはあるものの、事件の見せ方、謎の解き方はまったく型にはまらない奔放さを持つ。
例えば導入。事件が発生する場面において、同じシーンを異なる二者の立場から再現するという見せ方を用いる。また、小見出しにおいては「本格物の退屈な部分」などという探偵小説を茶化したキャッチもある。加えて軽妙な文体、洒落た描写も通常の本格とは一線を画しており、ラストで明かされる結末も、思わずニヤリとさせられる上手さ。そう、このセンスこそが日影丈吉なのだ。著者が愛したフランス・ミステリ、その味わいに近いのかもしれない。
なんというか、ミステリが上質な娯楽であることを再認識させてくれる、そんな一冊なのである。ただし、この手のタイプの作品も悪くはないが、やはり幻想的な短編や『孤独の罠』路線の方が、個人的にははるかに楽しめる。微妙。
日影丈吉の『真赤な子犬』を読む。
先日読んだ『孤独の罠』は社会派とでも言えそうなリアルな推理小説だったわけだが、『真赤な子犬』はけっこうまっとうな本格探偵小説である。これまで短編だけを読んで、主に幻想的な話を書く作家という認識しかなかったのだが、日影丈吉という人は予想以上に幅広い作風を持つようで、大いに考え方を改めなければならない。まあ、何を今さらという感じではあるが(笑)。
さて『真赤な子犬』である。
上で本作を本格探偵小説と書いたが、実際にはちょっと違う。というのもいわゆる英米に端を発した論理重視の本格ではないからである。「謎を解く」という基本ラインはあるものの、事件の見せ方、謎の解き方はまったく型にはまらない奔放さを持つ。
例えば導入。事件が発生する場面において、同じシーンを異なる二者の立場から再現するという見せ方を用いる。また、小見出しにおいては「本格物の退屈な部分」などという探偵小説を茶化したキャッチもある。加えて軽妙な文体、洒落た描写も通常の本格とは一線を画しており、ラストで明かされる結末も、思わずニヤリとさせられる上手さ。そう、このセンスこそが日影丈吉なのだ。著者が愛したフランス・ミステリ、その味わいに近いのかもしれない。
なんというか、ミステリが上質な娯楽であることを再認識させてくれる、そんな一冊なのである。ただし、この手のタイプの作品も悪くはないが、やはり幻想的な短編や『孤独の罠』路線の方が、個人的にははるかに楽しめる。微妙。
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ジョー・R・ランズデール『ダークライン』(早川書房)
月曜火曜ととんでもない暑さと湿気。今にも一雨きそうなのにムシムシしたまま一日が過ぎ、かなりばてる。というか正直具合が悪くなって、会社を早退。
読了本はジョー・R・ランズデールの『ダーク・ライン』。あの傑作『ボトムズ』同様、少年の成長物語をミステリと融合させた作品だ。
とにかくランズデールの巧さが際だっている。主人公はドライブシアターを経営する一家の少年。その彼が一夏の冒険を通じて、世の中の残酷さや社会の矛盾などを知り、ちょっぴり大人に近づいてゆく様をイキイキと描く。
その他の登場人物も実に印象深い。少年の父母や姉、友人や家政婦、映写技師など、決して少なくはない人々が見事なほど鮮やかに浮かび上がる。
ノスタルジックな味わいもまた『ボトムズ』同様であり、ひとつひとつのシーンが視覚的にイメージしやすいのもさすがだ。結局、作者の書きたいところもそこに尽きるのだろう。
欠点というほどでもないが、結局そういう小説的な面白さばかりが先にきて、事件などどうでもよくなってくるのが玉に瑕か。正直いうと事件そのものは実際イマイチ。また、少年が過去の事件にこだわるところは、頭では理解できてもいまひとつ納得しがたい部分もある。ただ、それらの点を差し引いても、本書は十分面白く、ランズデールを読んだことがない人には、安心してお勧めできる一冊である。
でも個人的には、やっぱり『ボトムズ』の方が上かな。
読了本はジョー・R・ランズデールの『ダーク・ライン』。あの傑作『ボトムズ』同様、少年の成長物語をミステリと融合させた作品だ。
とにかくランズデールの巧さが際だっている。主人公はドライブシアターを経営する一家の少年。その彼が一夏の冒険を通じて、世の中の残酷さや社会の矛盾などを知り、ちょっぴり大人に近づいてゆく様をイキイキと描く。
その他の登場人物も実に印象深い。少年の父母や姉、友人や家政婦、映写技師など、決して少なくはない人々が見事なほど鮮やかに浮かび上がる。
ノスタルジックな味わいもまた『ボトムズ』同様であり、ひとつひとつのシーンが視覚的にイメージしやすいのもさすがだ。結局、作者の書きたいところもそこに尽きるのだろう。
欠点というほどでもないが、結局そういう小説的な面白さばかりが先にきて、事件などどうでもよくなってくるのが玉に瑕か。正直いうと事件そのものは実際イマイチ。また、少年が過去の事件にこだわるところは、頭では理解できてもいまひとつ納得しがたい部分もある。ただ、それらの点を差し引いても、本書は十分面白く、ランズデールを読んだことがない人には、安心してお勧めできる一冊である。
でも個人的には、やっぱり『ボトムズ』の方が上かな。
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日影丈吉『孤独の罠』(講談社文庫)
日影丈吉の代表的長篇というと、だいたい『真赤な子犬』とか『内部の真実』、『応家の人々』あたりばかりが挙がるわけだが、その他の目立たぬ長篇、例えば本日の読了本『孤独の罠』なども決して捨てたものではない。……などと書きながら、実は日影丈吉の長篇を読むのは本書が初めてだったりするので全然説得力はないのだが(笑)。
しかし、日影丈吉の著作のなかで、『孤独の罠』がどの辺りのポジションに位置するのかはしらないが、出来そのものは悪くない。っていうか、かなりいいぞ。
主人公は妻を産褥死で失った仰木信夫。そして今また、生後六カ月の息子を失い、信夫は息子を預けていた妻の里に向かうところだった。妻の実家の人々が待ち受ける中、信夫は通夜にのぞみ、寂しい冬景色の中、野辺送りを行う。ところが遺体が焼け上がったとき、火葬場の係員が思いがけないことを告げた。なんと遺骨が二人分あるというのだ。
慎ましくも厳かに行われていた息子の葬儀を愚弄するような事件に、仰木は戸惑うばかりであった。そして起こる親戚の毒殺事件。容疑者と目される妹の婚約者。寒村を覆う無常な事件の真相は?
渋い。渋すぎる。幻想的な作風が多い短編に比べると、本書は徹底的なリアル志向だ。主人公、信夫の心情を中心に据えた純文学ともとれそうな展開。これがミステリであることを忘れるぐらい切々とした心理描写、情景描写。とにかく見事。特に信夫のキャラクターは絶妙である。さまざまな出来事や人間関係に翻弄され、ときには姑息な考えや行動が先行することもある、事なかれ主義の一人の弱い人間。陳腐な表現だが、謎を解決するだけの単なるドラマ上の駒ではないのである。
その味わい深さに事件などどうでもよくなってくる、ということはなくて、やはり事件あってこその物語である。とりわけ遺骨が二人分発見されるという事件は、導入としても興味深く、その真相もちょっとした驚きをもっている(それに比べると毒殺事件は付け足しっぽくていただけないが)。
事件そのもののパンチが弱いのでミステリとして物足りない向きもあろうが、皮肉なラストも効いていて十分に堪能した一冊だった。
しかし、日影丈吉の著作のなかで、『孤独の罠』がどの辺りのポジションに位置するのかはしらないが、出来そのものは悪くない。っていうか、かなりいいぞ。
主人公は妻を産褥死で失った仰木信夫。そして今また、生後六カ月の息子を失い、信夫は息子を預けていた妻の里に向かうところだった。妻の実家の人々が待ち受ける中、信夫は通夜にのぞみ、寂しい冬景色の中、野辺送りを行う。ところが遺体が焼け上がったとき、火葬場の係員が思いがけないことを告げた。なんと遺骨が二人分あるというのだ。
慎ましくも厳かに行われていた息子の葬儀を愚弄するような事件に、仰木は戸惑うばかりであった。そして起こる親戚の毒殺事件。容疑者と目される妹の婚約者。寒村を覆う無常な事件の真相は?
渋い。渋すぎる。幻想的な作風が多い短編に比べると、本書は徹底的なリアル志向だ。主人公、信夫の心情を中心に据えた純文学ともとれそうな展開。これがミステリであることを忘れるぐらい切々とした心理描写、情景描写。とにかく見事。特に信夫のキャラクターは絶妙である。さまざまな出来事や人間関係に翻弄され、ときには姑息な考えや行動が先行することもある、事なかれ主義の一人の弱い人間。陳腐な表現だが、謎を解決するだけの単なるドラマ上の駒ではないのである。
その味わい深さに事件などどうでもよくなってくる、ということはなくて、やはり事件あってこその物語である。とりわけ遺骨が二人分発見されるという事件は、導入としても興味深く、その真相もちょっとした驚きをもっている(それに比べると毒殺事件は付け足しっぽくていただけないが)。
事件そのもののパンチが弱いのでミステリとして物足りない向きもあろうが、皮肉なラストも効いていて十分に堪能した一冊だった。
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エドマンド・クリスピン『白鳥の歌』(国書刊行会)
エドマンド・クリスピンの『白鳥の歌』読了。
オックスフォードで催される歌劇の初日を間近に控え、稽古も佳境を迎えていた……はずだったが、主役のショートハウスは歌手としては一流ながら、人間的には最低レベル。指揮者や作曲家の兄、恋敵の歌手などなど様々なトラブルを巻き起こし、開幕すら危ぶまれる状態だった。そんなある夜、歌劇場の楽屋でショートハウスの首吊り死体が発見される。事件の解明に乗りだしたお馴染みのフェン教授だが、さらに怪事件が次々と勃発してゆく……。
以前に『永久の別れのために』読んだとき、クリスピンの作品に対して「印象が薄い」という感想を書いた。客観的にみても安定した良質の作品を書いている作家だとは思うのだが、個人的にはどうにも相性が合わないのである。残念ながら本作を読んでも、それほどクリスピン作品に対するイメージは変わらなかった。
適度なユーモア、ちょっとばかり高尚な蘊蓄、意外な結末など、要素一つひとつは悪くないのに、相変わらず読んでいて物足りなさが残る(ただ、本作においてはトリックに無理があるとは思う)。やはりクリスピンでなければ、という強烈な個性が感じられない。
例えばトリックにはもっと無理があり、ユーモアと言うより寒いギャグも多い、カーの諸作品がなぜ印象に残るのか。もちろん単純に比較はできないが、完成度は低くともカーの作品は輝いて見えるのである。
オックスフォードで催される歌劇の初日を間近に控え、稽古も佳境を迎えていた……はずだったが、主役のショートハウスは歌手としては一流ながら、人間的には最低レベル。指揮者や作曲家の兄、恋敵の歌手などなど様々なトラブルを巻き起こし、開幕すら危ぶまれる状態だった。そんなある夜、歌劇場の楽屋でショートハウスの首吊り死体が発見される。事件の解明に乗りだしたお馴染みのフェン教授だが、さらに怪事件が次々と勃発してゆく……。
以前に『永久の別れのために』読んだとき、クリスピンの作品に対して「印象が薄い」という感想を書いた。客観的にみても安定した良質の作品を書いている作家だとは思うのだが、個人的にはどうにも相性が合わないのである。残念ながら本作を読んでも、それほどクリスピン作品に対するイメージは変わらなかった。
適度なユーモア、ちょっとばかり高尚な蘊蓄、意外な結末など、要素一つひとつは悪くないのに、相変わらず読んでいて物足りなさが残る(ただ、本作においてはトリックに無理があるとは思う)。やはりクリスピンでなければ、という強烈な個性が感じられない。
例えばトリックにはもっと無理があり、ユーモアと言うより寒いギャグも多い、カーの諸作品がなぜ印象に残るのか。もちろん単純に比較はできないが、完成度は低くともカーの作品は輝いて見えるのである。