Posted in 07 2003
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日影丈吉『怪奇探偵小説名作選8 日影丈吉集 かむなぎうた』(ちくま文庫)
ちくま文庫の『怪奇探偵小説名作選8 日影丈吉集 かむなぎうた』を読む。
ところで最初にカミングアウトしておくと、大枚はたいて日影丈吉全集を買っている身としてはなんだが、実は日影丈吉のまとまった小説を読むのはこれが初めてである。今までに読んだことがあるのは、『ミステリー食事学』『名探偵WHO'S WHO』という両エッセイ集、及び「かむなぎうた」を初めとするいくつかのメジャー級短編だけという体たらく。
で、改めて代表短編をまとめて読んでみたところ、いや流石に面白い。幻想的な推理小説というフレーズで括るのはあまりに安っぽくて恐縮だが、やはり独自の世界をここまで作り上げるのは天才的である。
ただ、一口に幻想的といっても、私が日影丈吉の作品から受けた印象は、力強さである。普通、幻想小説を語るうえでキーになる表現として、「はかなさ」や「あやしさ」なんて言葉が挙げられると思うのだが、日影丈吉のそれは何故か「力強さ」なのだ。特に「かむなぎうた」や「狐の鶏」といった田舎を舞台にしたものに、それを感じる。
その博学や経歴から、どちらかといえばスマートな作品が多いという先入観があったのだが(実際そのとおりなんだろうけど)、もしかするとそんな国際派だからこそ、日本の田舎を扱ったとき逆に筆が冴えるのではないだろうか?
なお、収録作は下記のとおり。
「かむなぎうた」
「狐の鶏」
「奇妙な隊商」
「東天紅」
「飾燈」
「鵺の来歴」
「旅愁」
「吉備津の釜」
「月夜蟹」
「ねずみ」
「猫の泉」
「写真仲間」
「饅頭軍談」
「王とのつきあい」
「粉屋の猫」
「吸血鬼」
ところで最初にカミングアウトしておくと、大枚はたいて日影丈吉全集を買っている身としてはなんだが、実は日影丈吉のまとまった小説を読むのはこれが初めてである。今までに読んだことがあるのは、『ミステリー食事学』『名探偵WHO'S WHO』という両エッセイ集、及び「かむなぎうた」を初めとするいくつかのメジャー級短編だけという体たらく。
で、改めて代表短編をまとめて読んでみたところ、いや流石に面白い。幻想的な推理小説というフレーズで括るのはあまりに安っぽくて恐縮だが、やはり独自の世界をここまで作り上げるのは天才的である。
ただ、一口に幻想的といっても、私が日影丈吉の作品から受けた印象は、力強さである。普通、幻想小説を語るうえでキーになる表現として、「はかなさ」や「あやしさ」なんて言葉が挙げられると思うのだが、日影丈吉のそれは何故か「力強さ」なのだ。特に「かむなぎうた」や「狐の鶏」といった田舎を舞台にしたものに、それを感じる。
その博学や経歴から、どちらかといえばスマートな作品が多いという先入観があったのだが(実際そのとおりなんだろうけど)、もしかするとそんな国際派だからこそ、日本の田舎を扱ったとき逆に筆が冴えるのではないだろうか?
なお、収録作は下記のとおり。
「かむなぎうた」
「狐の鶏」
「奇妙な隊商」
「東天紅」
「飾燈」
「鵺の来歴」
「旅愁」
「吉備津の釜」
「月夜蟹」
「ねずみ」
「猫の泉」
「写真仲間」
「饅頭軍談」
「王とのつきあい」
「粉屋の猫」
「吸血鬼」
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小酒井不木『殺人論』(国書刊行会)
マイブームでもないんだけど、最近ぼちぼちと読み続けている小酒井不木。本日の読了本は犯罪評論集の『殺人論』。しかし先日読んだ『犯罪文学研究』は良かったのだが、残念ながらこれは私的にダメでした。
犯罪を歴史的・文学的・心理的・法医学的などなど様々な側面から論じた本書だが、当時の偏見や研究不足な部分もあって、真っ向から読んでいくとかなり辛いものがある。当時の犯罪に関する風俗や考え方を知るうえでは役に立つだろうが、逆にその辺りに興味がないと退屈なだけかも。久々に正直、読むのが辛かった一冊。
犯罪を歴史的・文学的・心理的・法医学的などなど様々な側面から論じた本書だが、当時の偏見や研究不足な部分もあって、真っ向から読んでいくとかなり辛いものがある。当時の犯罪に関する風俗や考え方を知るうえでは役に立つだろうが、逆にその辺りに興味がないと退屈なだけかも。久々に正直、読むのが辛かった一冊。
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野村胡堂『地底の都』(少年倶楽部文庫)
仕事の忙しさから、楽な本に走りがちな今日この頃。重い内容のものや筋を追っていくのが疲れるものはついつい敬遠しがちである。こういうときは肩の凝らないエッセイ系か、読んでいるだけで心地よい幻想系がどうしても多くなるのだが、本日は遂にジュヴナイルに手を出してしまった。
その本とは、銭形平次でお馴染みの野村胡堂作『地底の都』。講談社が昭和五十年頃に出していた少年倶楽部文庫版である(ちなみにこの少年倶楽部文庫というのも最近ではけっこういい古書値がついているで困ります。読んでみたいものがけっこう残っているのに)。
考古学者の春日万里博士一家が何者かによって誘拐された。たまたま旅行に出ていて難を逃れた博士の息子、陽一とその従兄弟、哲郎の二人。彼らは帰りの車中で知り合ったサーカス団を脱走した少年、千松と共に、博士を誘拐した一味を追い、知恵と勇気と団結で戦いを挑む!
うーん、堪能しました。テイストは乱歩の少年探偵団にかなり近くて、三人の少年がそれぞれ持っている得意分野を武器に、悪人たちを追いつめていく過程が大変楽しめる。リーダー的存在の陽一、推理力の哲郎、アクションの千松。まず彼らのキャラクターが際だっている。そしてその能力を披露する見せ場も、非常にいいテンポ。もともと月刊誌連載なので、この手のストーリー展開にちょうどマッチしている印象である。冒険小説的ではあるが、暗号が三種類も出てきたり、哲郎少年の推理など、ミステリー的な味付けも十分。
強引すぎるほどのご都合主義がボロボロ出てくるが(笑)、まあ、その辺さえ目をつむれば、これはなかなか悪くない。っていうかホント面白いわ、こりゃ。小学生のときに読んだ少年探偵団の興奮を少し思いだしてしまった。マジで。
その本とは、銭形平次でお馴染みの野村胡堂作『地底の都』。講談社が昭和五十年頃に出していた少年倶楽部文庫版である(ちなみにこの少年倶楽部文庫というのも最近ではけっこういい古書値がついているで困ります。読んでみたいものがけっこう残っているのに)。
考古学者の春日万里博士一家が何者かによって誘拐された。たまたま旅行に出ていて難を逃れた博士の息子、陽一とその従兄弟、哲郎の二人。彼らは帰りの車中で知り合ったサーカス団を脱走した少年、千松と共に、博士を誘拐した一味を追い、知恵と勇気と団結で戦いを挑む!
うーん、堪能しました。テイストは乱歩の少年探偵団にかなり近くて、三人の少年がそれぞれ持っている得意分野を武器に、悪人たちを追いつめていく過程が大変楽しめる。リーダー的存在の陽一、推理力の哲郎、アクションの千松。まず彼らのキャラクターが際だっている。そしてその能力を披露する見せ場も、非常にいいテンポ。もともと月刊誌連載なので、この手のストーリー展開にちょうどマッチしている印象である。冒険小説的ではあるが、暗号が三種類も出てきたり、哲郎少年の推理など、ミステリー的な味付けも十分。
強引すぎるほどのご都合主義がボロボロ出てくるが(笑)、まあ、その辺さえ目をつむれば、これはなかなか悪くない。っていうかホント面白いわ、こりゃ。小学生のときに読んだ少年探偵団の興奮を少し思いだしてしまった。マジで。
ローレンス・ブロックの『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』を読む。
アル中探偵マット・スカダー・シリーズや泥棒バーニー・シリーズでお馴染み、いまやアメリカのミステリー界では大御所といっても過言ではないローレンス・ブロックの作家入門書である。
といっても本書が書かれたのはブロックがまだ中堅に差し掛かった頃。バーニー・シリーズの人気が出始め、スカダーものがブレイクする以前のことなので、ブロックが書いたとはいえ当時のステータスはそれほど高くないはず。
だが、アメリカって割とこういう本が多いようで、かのディーン・クーンツも同様の本を書いている。
二人に共通するのは、若い頃から書きまくった多作家で、次第に腕を上げてきた点。そういう意味ではプロの職人というイメージがあり、おそらく読者より編集者に信用されているからこそ、こういう本が出せたのではないかと思うのだ。
で、とりあえず読んでみたがけっこうマジである。前半はおおむね作家を志す者に対する精神論。そこから売り込むためのテクニックや、肝心要の文章術などに進み、ほぼ作家になるためのすべてが網羅されている(もちろん紙面の限りにおいてだが)。
いや、正直言って、勉強になった。ブロック自身の経験もふんだんに盛り込まれているので、別に作家を目指していなくてもファンなら十分に楽しめるし、これはオススメ。
書かれた時代は古いが、だからこそ逆にブロック自身が書かれた内容を証明してきたようで、あらためてブロックの凄さも再認識できた一冊。実用性からいうとクーンツのものの方が上だが、こちらはより高度なものを求める人向きと言えるだろう。
アル中探偵マット・スカダー・シリーズや泥棒バーニー・シリーズでお馴染み、いまやアメリカのミステリー界では大御所といっても過言ではないローレンス・ブロックの作家入門書である。
といっても本書が書かれたのはブロックがまだ中堅に差し掛かった頃。バーニー・シリーズの人気が出始め、スカダーものがブレイクする以前のことなので、ブロックが書いたとはいえ当時のステータスはそれほど高くないはず。
だが、アメリカって割とこういう本が多いようで、かのディーン・クーンツも同様の本を書いている。
二人に共通するのは、若い頃から書きまくった多作家で、次第に腕を上げてきた点。そういう意味ではプロの職人というイメージがあり、おそらく読者より編集者に信用されているからこそ、こういう本が出せたのではないかと思うのだ。
で、とりあえず読んでみたがけっこうマジである。前半はおおむね作家を志す者に対する精神論。そこから売り込むためのテクニックや、肝心要の文章術などに進み、ほぼ作家になるためのすべてが網羅されている(もちろん紙面の限りにおいてだが)。
いや、正直言って、勉強になった。ブロック自身の経験もふんだんに盛り込まれているので、別に作家を目指していなくてもファンなら十分に楽しめるし、これはオススメ。
書かれた時代は古いが、だからこそ逆にブロック自身が書かれた内容を証明してきたようで、あらためてブロックの凄さも再認識できた一冊。実用性からいうとクーンツのものの方が上だが、こちらはより高度なものを求める人向きと言えるだろう。
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マイケル・ボンド『パンプルムース氏のダイエット』(創元推理文庫)
マイケル・ボンドの『パンプルムース氏のダイエット』を読む。
パリ警察の元敏腕刑事にして、現グルメ調査員のパンプルムース氏。愛犬のポムフリットをしたがえて、今回はどこのレストランへ……と思いきや。なんと我らがパンプルムース氏は、編集長命令でダイエットの旅へと出発するのである。しかし、その目的地であるヘルスクラブでは、何やらきな臭い陰謀の気配が……。
肩の凝らない読み物というのは、まさに本シリーズのためにある言葉である。ご都合主義だろうが、パンプルムース氏がもてすぎだろうが、そんなことを言っていては本書を読む資格はない。だって、これは人類の三大欲望のうちの食欲と性欲を満たした物語。読んで楽しければ他に何を望むべきか。
シリーズが紹介された当初は、それでもユーモアミステリなのかなと思ったりもしたが、ここまでくるともうミステリの衣を借りているだけといってもいいでしょう。お話は徹底的にユーモアの方に比重が置かれている。パンプルムース氏のそっくりさん然り、盲目の男に扮するパンプルムース氏のドタバタ然り、腹を減らしたパンプルムース氏の苦悩振り然り。エキセントリックな今風の笑いや、皮肉めいたブラックユーモアではなく、古典的なギャグを中心にした束の間の娯楽。
仕事で疲れた頭には、これぐらいテンションの笑いがちょうど合うんだよなぁ。
パリ警察の元敏腕刑事にして、現グルメ調査員のパンプルムース氏。愛犬のポムフリットをしたがえて、今回はどこのレストランへ……と思いきや。なんと我らがパンプルムース氏は、編集長命令でダイエットの旅へと出発するのである。しかし、その目的地であるヘルスクラブでは、何やらきな臭い陰謀の気配が……。
肩の凝らない読み物というのは、まさに本シリーズのためにある言葉である。ご都合主義だろうが、パンプルムース氏がもてすぎだろうが、そんなことを言っていては本書を読む資格はない。だって、これは人類の三大欲望のうちの食欲と性欲を満たした物語。読んで楽しければ他に何を望むべきか。
シリーズが紹介された当初は、それでもユーモアミステリなのかなと思ったりもしたが、ここまでくるともうミステリの衣を借りているだけといってもいいでしょう。お話は徹底的にユーモアの方に比重が置かれている。パンプルムース氏のそっくりさん然り、盲目の男に扮するパンプルムース氏のドタバタ然り、腹を減らしたパンプルムース氏の苦悩振り然り。エキセントリックな今風の笑いや、皮肉めいたブラックユーモアではなく、古典的なギャグを中心にした束の間の娯楽。
仕事で疲れた頭には、これぐらいテンションの笑いがちょうど合うんだよなぁ。
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小酒井不木『怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線』(ちくま文庫)
なんだか体も心も疲れ果てて休みをとることにする。といっても朝まで会社で仕事をしていたので、とても休日という感覚ではなく、ちょっと買い物に出た以外は家でごろごろ。先週見逃した『マイノリティ・リポート』を再び借りてきて観たり、本を読んだり。
ちなみに『マイノリティ・リポート』は、タイムトラベルものとかにありがちな矛盾がやっぱり此処彼処に見受けられたが、それでも娯楽作品としては十分楽しめる。SFアクション的な前半から後半のミステリ的展開にいたるまでの構成が巧い。
読了本はちくま文庫の『怪奇探偵小説傑作選1 小酒井不木集 恋愛曲線』。まずは収録作から。
「恋愛曲線」
「人工心臓」
「按摩」
「犬神」
「遺伝」
「手術」
「肉腫」
「安死術」
「秘密の相似」
「印象」
「初往診」
「血友病」
「死の接吻」
「痴人の復讐」
「血の盃」
「猫と村正」
「狂女と犬」
「鼻に基く殺人」
「卑怯な毒殺」
「死体蝋燭」
「ある自殺者の手記」
「暴風雨の夜」
「呪われの家」
「謎の咬傷」
「新案探偵法」
「愚人の毒」
「メヂューサの首」
「三つの痣」
「好色破邪顕正」
「闘争」
しばらく前に国書刊行会の『人工心臓』を読んだばかりだが、このうち収録作がだぶっているのは「犬神」「恋愛曲線」「人工心臓」「死の接吻」「メヂューサの首」「闘争」の六作品。まあ、経済的な範囲だとは思うが、傑作が多いのはちょっとひっかかる。もしかして小酒井不木の傑作というと、ほぼこの辺に絞られるということなのだろうか?
これが、絶版状態の国書版を丸ごと入れちゃったとか、決定版を作るため、というのなら話はわかる。だが一応棲み分けというか、収録作をだぶらせないという配慮が為されたうえでの結果だとしたら少し辛かろう。著作は決して少なくない人だし、他の短編を選ぼうと思えば選べるはず。巻末の解説も割とさっぱりしていたので、この辺の事情はわからないが、本当のところを知りたいものである。
内容そのものには満足しているんだけどね。
ちなみに『マイノリティ・リポート』は、タイムトラベルものとかにありがちな矛盾がやっぱり此処彼処に見受けられたが、それでも娯楽作品としては十分楽しめる。SFアクション的な前半から後半のミステリ的展開にいたるまでの構成が巧い。
読了本はちくま文庫の『怪奇探偵小説傑作選1 小酒井不木集 恋愛曲線』。まずは収録作から。
「恋愛曲線」
「人工心臓」
「按摩」
「犬神」
「遺伝」
「手術」
「肉腫」
「安死術」
「秘密の相似」
「印象」
「初往診」
「血友病」
「死の接吻」
「痴人の復讐」
「血の盃」
「猫と村正」
「狂女と犬」
「鼻に基く殺人」
「卑怯な毒殺」
「死体蝋燭」
「ある自殺者の手記」
「暴風雨の夜」
「呪われの家」
「謎の咬傷」
「新案探偵法」
「愚人の毒」
「メヂューサの首」
「三つの痣」
「好色破邪顕正」
「闘争」
しばらく前に国書刊行会の『人工心臓』を読んだばかりだが、このうち収録作がだぶっているのは「犬神」「恋愛曲線」「人工心臓」「死の接吻」「メヂューサの首」「闘争」の六作品。まあ、経済的な範囲だとは思うが、傑作が多いのはちょっとひっかかる。もしかして小酒井不木の傑作というと、ほぼこの辺に絞られるということなのだろうか?
これが、絶版状態の国書版を丸ごと入れちゃったとか、決定版を作るため、というのなら話はわかる。だが一応棲み分けというか、収録作をだぶらせないという配慮が為されたうえでの結果だとしたら少し辛かろう。著作は決して少なくない人だし、他の短編を選ぼうと思えば選べるはず。巻末の解説も割とさっぱりしていたので、この辺の事情はわからないが、本当のところを知りたいものである。
内容そのものには満足しているんだけどね。
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マイクル・クライトン『インナー・トラヴェルズ(下)』(ハヤカワ文庫)
本日の読了本はマイクル・クライトンの『インナー・トラヴェルズ(下)』。
ううむ、微妙だなぁ。
本書がクライトンの半生を綴り、精神の遍歴を語るような内容になっているのはいいとして、それが素直に納得できないのはなぜだろう? 天から二物も三物も与えられた秀才に対するやっかみ? お金持ちに対する僻み?
ハーヴァードのメディカルスクールを卒業しながら、あえて医者という道を選ばなかったクライトン。彼の生き方は、頭では理解できるものの心情的には納得することができない。それでも序盤の医大生時代はいろいろと考えさせられる話が多いのだが、中盤の世界中を巡る旅の話では、どれだけ海や山での壮絶な経験を披露してくれてもなんだかなぁという感想しか浮かばない。後半に出てくる心霊関係の話からもわかるように、本書は結局クライトンの死生観をつづったエッセイではないかと考えるのだが、それまでの冒険談が前振りとしての役目を果たしているようで、いかにも安っぽいのだ。一見ドキュメントっぽく語られる冒険の数々は、プロの冒険家からはどのように映るのだろう?
いっそのこと、すべては小説の取材のためである、そう言ってくれたほうがどんなにか共感できただろう。クライトンが好奇心の塊であることは事実だろうし、行動力は賞賛に値する。ただ、その動機付けにどことなく違和感を感じるのは、管理人だけではないと思う。「凄腕のエンターテイナーとしてのクライトン。そう言われるだけでは満足できないのかい?」なんてことを聞いてみたい気もする。いったいこの温度差は何なのだろう。
ううむ、微妙だなぁ。
本書がクライトンの半生を綴り、精神の遍歴を語るような内容になっているのはいいとして、それが素直に納得できないのはなぜだろう? 天から二物も三物も与えられた秀才に対するやっかみ? お金持ちに対する僻み?
ハーヴァードのメディカルスクールを卒業しながら、あえて医者という道を選ばなかったクライトン。彼の生き方は、頭では理解できるものの心情的には納得することができない。それでも序盤の医大生時代はいろいろと考えさせられる話が多いのだが、中盤の世界中を巡る旅の話では、どれだけ海や山での壮絶な経験を披露してくれてもなんだかなぁという感想しか浮かばない。後半に出てくる心霊関係の話からもわかるように、本書は結局クライトンの死生観をつづったエッセイではないかと考えるのだが、それまでの冒険談が前振りとしての役目を果たしているようで、いかにも安っぽいのだ。一見ドキュメントっぽく語られる冒険の数々は、プロの冒険家からはどのように映るのだろう?
いっそのこと、すべては小説の取材のためである、そう言ってくれたほうがどんなにか共感できただろう。クライトンが好奇心の塊であることは事実だろうし、行動力は賞賛に値する。ただ、その動機付けにどことなく違和感を感じるのは、管理人だけではないと思う。「凄腕のエンターテイナーとしてのクライトン。そう言われるだけでは満足できないのかい?」なんてことを聞いてみたい気もする。いったいこの温度差は何なのだろう。
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マイクル・クライトン『インナー・トラヴェルズ(上)』(ハヤカワ文庫)
突然だがマイクル・クライトンはハリウッド映画であると思う。その根拠となるのが、まずテーマとモチーフにある。最近の作品だけでもナノテクノロジーからバイオテクノロジー、企業責任、セクハラ、タイムトラベル、恐竜など、実に幅広い。しかも幅広いだけでなく、その時代を顕著に反映するものを扱うため、一般の人にも理解されやすいし大変注目されやすい。
また、それらのテーマを懇切丁寧に解説し、読者をわかった気にさせるところ、加えて、そのど派手な演出も実にハリウッド映画的である。
もちろんクライトンが一時期映画に携わっていたことも影響しているだろう(ちなみに監督した『ウエストワールド』はSF映画の傑作のひとつである)。だが結局行き着くところは、クライトンがエンターテインメントに徹する職人だからではないか。
本日読んだ『インナー・トラヴェルズ(上)』は、そんなマイクル・クライトンの自伝。感想は下巻読了後ということで。
また、それらのテーマを懇切丁寧に解説し、読者をわかった気にさせるところ、加えて、そのど派手な演出も実にハリウッド映画的である。
もちろんクライトンが一時期映画に携わっていたことも影響しているだろう(ちなみに監督した『ウエストワールド』はSF映画の傑作のひとつである)。だが結局行き着くところは、クライトンがエンターテインメントに徹する職人だからではないか。
本日読んだ『インナー・トラヴェルズ(上)』は、そんなマイクル・クライトンの自伝。感想は下巻読了後ということで。
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三善里沙子『中央線なヒト―沿線文化人類学』(小学館文庫)
たまにはミステリ以外の本についても書いておこう。三善里沙子の『中央線なヒト—沿線文化人類学』は、中央線の沿線に住む人々の暮らしや行動タイプ、思考タイプなどを面白可笑しく紹介した本である。
サブカルにすら引っかからないくだらないことを、専門書などのスタイルや手法を使って面白く読ませる本、しかもその中で売れた本というのは、覚えている限り『見栄講座』(それにしても古いな)が最初ではなかったかと思う。本書も基本的にはその流れを汲む一冊だが、「中央線の良さがわからないやつは馬鹿だね」という作者のタカビーな意識が見え隠れして、どうにも素直に笑えない。
東京では何となく沿線によって暮らす人々のイメージというものができあがっていて、例えば西武線なんかはニューファミリーが暮らす街っぽかったり、東横線はこじゃれた感じだったり、いろいろとあるわけである。そんななかで中央線は汚いけれど、実は教養や芸術についてはハイレベルなんだよと、まあ、笑っているふりをしながら実は自慢しているという内容。これが鼻につく。
ついでに書くと、文章にももうひとつメリハリがない。笑えるべきところでも笑えず、もう少し「間」というか、笑わせる技術を勉強してもらいたいと思う。
この手の本だって、作者が頑張って取材していたりすると、それがけっこう行間から伝わってきたりもするのだが、本書はせいぜい自分が暮らしていた地域について感性で書いているだけなので、なんだかなぁという感想しか残らない。出来が悪いという残念さより、くだらない時間を過ごしたという無念さしか残らない。
サブカルにすら引っかからないくだらないことを、専門書などのスタイルや手法を使って面白く読ませる本、しかもその中で売れた本というのは、覚えている限り『見栄講座』(それにしても古いな)が最初ではなかったかと思う。本書も基本的にはその流れを汲む一冊だが、「中央線の良さがわからないやつは馬鹿だね」という作者のタカビーな意識が見え隠れして、どうにも素直に笑えない。
東京では何となく沿線によって暮らす人々のイメージというものができあがっていて、例えば西武線なんかはニューファミリーが暮らす街っぽかったり、東横線はこじゃれた感じだったり、いろいろとあるわけである。そんななかで中央線は汚いけれど、実は教養や芸術についてはハイレベルなんだよと、まあ、笑っているふりをしながら実は自慢しているという内容。これが鼻につく。
ついでに書くと、文章にももうひとつメリハリがない。笑えるべきところでも笑えず、もう少し「間」というか、笑わせる技術を勉強してもらいたいと思う。
この手の本だって、作者が頑張って取材していたりすると、それがけっこう行間から伝わってきたりもするのだが、本書はせいぜい自分が暮らしていた地域について感性で書いているだけなので、なんだかなぁという感想しか残らない。出来が悪いという残念さより、くだらない時間を過ごしたという無念さしか残らない。
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二階堂黎人、森英俊/編『密室殺人コレクション』(原書房)
密室殺人というのは、探偵小説好きのなかでも特にコアな層に訴えると思われがちだが、例えば私みたいに基本的にミステリはなんでも好き、という人間にも十分訴える力を持っている。ただし、そのネタが素晴らしいときに限るのであって、密室が出ていれば何でもよいというわけでは、決してない。
そんなわけで二階堂黎人と森英俊の共編による『密室殺人コレクション』だが、これは残念ながらそこまでの手応えは感じなかった。あの怪作『赤い右手』を書いたロジャーズの中編がドカンと載っているなど、資料的な価値や歴史的な価値はあると思うのだが、読んでいる間至福の時を過ごせたかと聞かれれば、「うぅ」と思わず口ごもってしまうだろう。
気に入ったものとしてはロバート・アーサーの「ガラスの橋」やアーサー・ポージズの「インドダイヤの謎」あたりが面白いとは思ったが、この両作品の本質は密室殺人とは別のところにあると思うしなぁ。
同趣向の作品集といえば、同じく森氏が編集した新樹社の『これが密室だ!』があるが、あちらの方が全然良かった気がする。
ちなみに収録作は以下のとおり。貴重なメンツだとは思うのですがね。
ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「つなわたりの密室」
マックス・アフォード「消失の密室」
ジョゼフ・カミングズ「カスタネット、カナリア、それと殺人」
ロバート・アーサー「ガラスの橋」
アーサー・ポージズ「インドダイヤの謎」
サミュエル・ホプキンズ・アダムズ「飛んできた死 三つの文書と一本の電報による物語」
そんなわけで二階堂黎人と森英俊の共編による『密室殺人コレクション』だが、これは残念ながらそこまでの手応えは感じなかった。あの怪作『赤い右手』を書いたロジャーズの中編がドカンと載っているなど、資料的な価値や歴史的な価値はあると思うのだが、読んでいる間至福の時を過ごせたかと聞かれれば、「うぅ」と思わず口ごもってしまうだろう。
気に入ったものとしてはロバート・アーサーの「ガラスの橋」やアーサー・ポージズの「インドダイヤの謎」あたりが面白いとは思ったが、この両作品の本質は密室殺人とは別のところにあると思うしなぁ。
同趣向の作品集といえば、同じく森氏が編集した新樹社の『これが密室だ!』があるが、あちらの方が全然良かった気がする。
ちなみに収録作は以下のとおり。貴重なメンツだとは思うのですがね。
ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「つなわたりの密室」
マックス・アフォード「消失の密室」
ジョゼフ・カミングズ「カスタネット、カナリア、それと殺人」
ロバート・アーサー「ガラスの橋」
アーサー・ポージズ「インドダイヤの謎」
サミュエル・ホプキンズ・アダムズ「飛んできた死 三つの文書と一本の電報による物語」
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小酒井不木『犯罪文学研究』(国書刊行会)
小酒井不木は創作に入る以前から、「新青年」などに寄稿していたバリバリの犯罪文学愛好者だった。元々は専門分野である医学関係のエッセイをいくつか書いていたらしいが、犯罪学に興味を持ち歴史や文学にも造詣の深い不木の原稿は、ただの医学エッセイとは異なり、犯罪文学愛好者の目をも引いたらしい。やがてそれが当時の新青年編集長である森下雨村の目にとまり、本格的に文筆の道へ進んでいくことになる。時代的にもまだ江戸川乱歩や横溝正史登場以前のことであり、不木の果たした役割は実に大きかったと言えるだろう。
本日の読了本『犯罪文学研究』は、そんな犯罪や探偵小説に関する当時のエッセイなどをまとめたものである。
まずは井原西鶴の 「桜陰比事」、それに倣って書かれた「鎌倉比事」 や「藤陰比事」。これらは現代で言うところの法廷ミステリだ。 あるいは滝沢馬琴 の「青砥藤綱模稜案」 、さらには近松とシェークスピアにおける殺人比較論、パリ警視庁のヴィドック探偵の冒険譚など、とにかく凄まじいばかりの幅広さ。これが昭和初期に書かれたのであるから、不木の恐るべき教養がうかがえる。おそらく当時の犯罪文学愛好者はこぞって読んだはずである。そして不木に触発され、探偵小説のブームを作り上げていったのだろう。とにかく今読んでもためになる魅力的な一冊である。
本日の読了本『犯罪文学研究』は、そんな犯罪や探偵小説に関する当時のエッセイなどをまとめたものである。
まずは井原西鶴の 「桜陰比事」、それに倣って書かれた「鎌倉比事」 や「藤陰比事」。これらは現代で言うところの法廷ミステリだ。 あるいは滝沢馬琴 の「青砥藤綱模稜案」 、さらには近松とシェークスピアにおける殺人比較論、パリ警視庁のヴィドック探偵の冒険譚など、とにかく凄まじいばかりの幅広さ。これが昭和初期に書かれたのであるから、不木の恐るべき教養がうかがえる。おそらく当時の犯罪文学愛好者はこぞって読んだはずである。そして不木に触発され、探偵小説のブームを作り上げていったのだろう。とにかく今読んでもためになる魅力的な一冊である。
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島田一男『古墳殺人事件』(徳間文庫)
続けて島田一男をもういっちょ。ものは『古墳殺人事件』。
こちらは著者の長篇第一作で、テイストは『錦絵殺人事件』同様、ペダンティズム溢れるバリバリの本格。探偵役も同じく少年タイムスの編集長、津田皓三。
物語はその津田の元に旧友の考古学者・曽根辞郎の訃報が届くところから幕を開ける。曽根は多摩の古墳群を発掘調査していたが、その古墳の中で頭部を殴打されて殺されていたのだ。曽根の遺した謎の詩、船を模した奇妙な館。衒学趣味もあいまって、まさに日本のファイロ・ヴァンス模倣探偵譚といえる作品。
その借り物的文体から坂口安吾に酷評された作品でもあるが、安吾が何をミステリに求めていたのかは知らないが、まあ、そこまでいう出来ではない。確かに機械的トリックなどはイマイチだし、主人公の津田ももうひとつ魅力不足。島田一男自身の作品と比べても、次作の『錦絵殺人事件』の方が上でしょう。ただ、系統立てて日本の探偵小説史を語る際には(いつそういう状況があるのかは知らんが)欠かすことができないので、本格探偵小説ファンは読んでおいても損はない。
ちなみに島田一男はこの苦悩の時期を乗り越え、後に独自の文体と作風を生みだし、人気作家となったのはご承知のとおり。それを思えば安吾の酷評もそれなりに意味のあることだったのかも。
こちらは著者の長篇第一作で、テイストは『錦絵殺人事件』同様、ペダンティズム溢れるバリバリの本格。探偵役も同じく少年タイムスの編集長、津田皓三。
物語はその津田の元に旧友の考古学者・曽根辞郎の訃報が届くところから幕を開ける。曽根は多摩の古墳群を発掘調査していたが、その古墳の中で頭部を殴打されて殺されていたのだ。曽根の遺した謎の詩、船を模した奇妙な館。衒学趣味もあいまって、まさに日本のファイロ・ヴァンス模倣探偵譚といえる作品。
その借り物的文体から坂口安吾に酷評された作品でもあるが、安吾が何をミステリに求めていたのかは知らないが、まあ、そこまでいう出来ではない。確かに機械的トリックなどはイマイチだし、主人公の津田ももうひとつ魅力不足。島田一男自身の作品と比べても、次作の『錦絵殺人事件』の方が上でしょう。ただ、系統立てて日本の探偵小説史を語る際には(いつそういう状況があるのかは知らんが)欠かすことができないので、本格探偵小説ファンは読んでおいても損はない。
ちなみに島田一男はこの苦悩の時期を乗り越え、後に独自の文体と作風を生みだし、人気作家となったのはご承知のとおり。それを思えば安吾の酷評もそれなりに意味のあることだったのかも。
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島田一男『錦絵殺人事件』(春陽文庫)
事件記者などのシリーズに代表されるように、島田一男の作風はスピーディーなストーリー展開や軽快な会話が特徴だ。ミステリの王道からは外れるにしても、娯楽小説の王道をひた走った作家であることは間違いないだろう。『錦絵殺人事件』は、島田一男がそんな作風を確立する以前に書かれた、本格探偵小説に真っ向から挑んだ作品でもある。
少年タイムスの編集長、津田と神奈川県地方検事の小原が旅先で出会った日南と名乗る男。彼に導かれ、二人は子爵の鬼頭竹彦邸を訪れる。折りもおり、鬼頭家では二ヶ月前に当主の竹彦が失踪しており、死亡したとみなした家人らによって、遺言状の開封を行おうとしていた。その矢先、悪名高い弁護士の白川が、密室で胸を刺されて死んでいるのが発見された。
錦絵をモチーフにし、義経伝説を絡めた見立て殺人劇。ひと言でいうとこんなところだが、そのペダンティックな描写やトリックなど、いわゆる本格探偵小説としての体裁はなかなか堂に入ったものだ。もつれあう人間関係や小道具としての遺書、見映えのする殺人現場なども、実に効果的で雰囲気を醸し出す。
もちろんそれらはリアルの極北に位置するものではあるが、これこそ本格探偵小説の王道であり、島田一男がそこを走っていた頃もあったのだと再認識できる。傑作とは言えないまでも、このトリックと舞台設定、ペダンティズムだけでも十分に楽しめる作品といえるだろう。この作品を悪く言うとき、よくヴァン・ダインがたとえに出されるが、何となく『本陣殺人事件』も連想させる。
と、まあ、もっともらしいことを書いてみたが、実は島田一男の長編を読むのはこれが初めて。昔から気になっていた作家なのだが、あまりに多作なのでちょっとひいていた作家でもある。著作自体は山ほど買ってきてはいたのだが。とまれ、島田一男もしばらく読み続けてみたい作家となった。
少年タイムスの編集長、津田と神奈川県地方検事の小原が旅先で出会った日南と名乗る男。彼に導かれ、二人は子爵の鬼頭竹彦邸を訪れる。折りもおり、鬼頭家では二ヶ月前に当主の竹彦が失踪しており、死亡したとみなした家人らによって、遺言状の開封を行おうとしていた。その矢先、悪名高い弁護士の白川が、密室で胸を刺されて死んでいるのが発見された。
錦絵をモチーフにし、義経伝説を絡めた見立て殺人劇。ひと言でいうとこんなところだが、そのペダンティックな描写やトリックなど、いわゆる本格探偵小説としての体裁はなかなか堂に入ったものだ。もつれあう人間関係や小道具としての遺書、見映えのする殺人現場なども、実に効果的で雰囲気を醸し出す。
もちろんそれらはリアルの極北に位置するものではあるが、これこそ本格探偵小説の王道であり、島田一男がそこを走っていた頃もあったのだと再認識できる。傑作とは言えないまでも、このトリックと舞台設定、ペダンティズムだけでも十分に楽しめる作品といえるだろう。この作品を悪く言うとき、よくヴァン・ダインがたとえに出されるが、何となく『本陣殺人事件』も連想させる。
と、まあ、もっともらしいことを書いてみたが、実は島田一男の長編を読むのはこれが初めて。昔から気になっていた作家なのだが、あまりに多作なのでちょっとひいていた作家でもある。著作自体は山ほど買ってきてはいたのだが。とまれ、島田一男もしばらく読み続けてみたい作家となった。