Posted in 08 2020
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大阪圭吉『勤王捕物 丸を書く女』(盛林堂ミステリアス文庫)
大阪圭吉の短編一作を収録した小冊子『勤王捕物 丸を書く女』を読む。かつて名古屋新聞社出版部が発行していた雑誌「にっぽん」に掲載されたものを、盛林堂ミステリアス文庫で復刻したもの。全七作からなる「弓太郎捕物帖」シリーズの一作でもある。

夕暮れ時のこと。軒先に丸を書いて歩く不審な女を見つけた岡ッ引の銀次はさっそく追跡を始めるが……。果たして丸の意味は? そして女の目的は?
二つのミステリ的仕掛けがあって、まあ、今でこそ他愛ないネタではあるが、圭吉作品にしては語り口が滑らかというか、謎の女の追跡劇がテンポよく流れていって楽しく読めた。
ちなみにほぼ同時期に発売された創元推理文庫の『死の快走船』にも「弓太郎捕物帖」が二篇収録されているが、解説によると、それ以外の作品についてはまだ掲載誌すら見つかっていないようだ。生きているうちに全作まとまった形で読めるようになるといいのだが、ちょっと難しそうだな。

夕暮れ時のこと。軒先に丸を書いて歩く不審な女を見つけた岡ッ引の銀次はさっそく追跡を始めるが……。果たして丸の意味は? そして女の目的は?
二つのミステリ的仕掛けがあって、まあ、今でこそ他愛ないネタではあるが、圭吉作品にしては語り口が滑らかというか、謎の女の追跡劇がテンポよく流れていって楽しく読めた。
ちなみにほぼ同時期に発売された創元推理文庫の『死の快走船』にも「弓太郎捕物帖」が二篇収録されているが、解説によると、それ以外の作品についてはまだ掲載誌すら見つかっていないようだ。生きているうちに全作まとまった形で読めるようになるといいのだが、ちょっと難しそうだな。
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ロナルド・A・ノックス『三つの栓』(論創海外ミステリ)
ロナルド・A・ノックスの『三つの栓』を読む。『陸橋殺人事件』で知られる著者が書いた二冊目の長編ミステリである。
『陸橋殺人事件』がミステリを茶化したような内容だけに、真っ当な本格ミステリとしてはこれが第一作、というのは解説の真田啓介氏の意見だが、まあ、そこまで厳密に定義付けすると逆にややこしいので、ここは普通に二冊目の長編ミステリとして紹介しておこう。
まずはストーリー。資産家の老人モットラムがガス中毒によって死亡した。老人は安楽死保険に加入しており、事故であれば莫大な保険金が下りることになる。しかし自殺であれば保険金は支払われないため、保険会社は念のため調査員のマイルズ・ブリードンを現地へ向かわせる。
ところがガス中毒が起こった部屋では奇妙な事実が発見された。部屋は密室、しかもガス栓を明らかに捻った後が残されていたのだ。果たしてモットラムの死は事故なのか、それとも事故に見せかけた自殺なのか、さらには自殺に見せかけた他殺の線も浮かび上がり……。

事故か、自殺か、はたまた他殺か。限定された状況、ごく少数の容疑者で、よくぞここまで推理をひねくり回すなぁというのが率直なところ。シリーズ探偵の保険調査員マイルズ・ブリードンは自殺説、旧知の刑事リーランド警部は他殺説を取るなか、情報を小出しにしつつ、その度に推理を積み上げていく。その過程をユーモア豊かに語ってくれるのが本書の肝であろう。
なんというか大作感はあまりないのだが、本格探偵小説のエッセンスがどういうものか、本格探偵小説はどういう楽しみをすべきなのか、意外な真相も含めてそれを伝えてくれる探偵小説といってよい。
惜しむらくは、いや、本当に惜しいのだが、メイントリックである密室とガス栓の謎。これがもうちょっと気の利いたものであったなら、佳作として忘れがたい作品になったことだろう。
※最後に蛇の足を二本ばかり。
・モットラムが加入している「安楽死保険」というのは、言ってみれば年金式の満金保険金がある生命保険のことで、いわゆる「安楽死」とはまったく関係がない。これを当時の英国では「安楽死保険」というふうにいったのかもしれないが、現代だとかなり混乱を招くので、別の訳語にした方がよかったかな。
・ラストにあるガス栓の図だが、元栓の開け閉めが日本とは逆で驚いた。これも混乱のもとなので、わざわざ図を変える必要はないけれど、注記ぐらいは入れてもよかったか。
『陸橋殺人事件』がミステリを茶化したような内容だけに、真っ当な本格ミステリとしてはこれが第一作、というのは解説の真田啓介氏の意見だが、まあ、そこまで厳密に定義付けすると逆にややこしいので、ここは普通に二冊目の長編ミステリとして紹介しておこう。
まずはストーリー。資産家の老人モットラムがガス中毒によって死亡した。老人は安楽死保険に加入しており、事故であれば莫大な保険金が下りることになる。しかし自殺であれば保険金は支払われないため、保険会社は念のため調査員のマイルズ・ブリードンを現地へ向かわせる。
ところがガス中毒が起こった部屋では奇妙な事実が発見された。部屋は密室、しかもガス栓を明らかに捻った後が残されていたのだ。果たしてモットラムの死は事故なのか、それとも事故に見せかけた自殺なのか、さらには自殺に見せかけた他殺の線も浮かび上がり……。

事故か、自殺か、はたまた他殺か。限定された状況、ごく少数の容疑者で、よくぞここまで推理をひねくり回すなぁというのが率直なところ。シリーズ探偵の保険調査員マイルズ・ブリードンは自殺説、旧知の刑事リーランド警部は他殺説を取るなか、情報を小出しにしつつ、その度に推理を積み上げていく。その過程をユーモア豊かに語ってくれるのが本書の肝であろう。
なんというか大作感はあまりないのだが、本格探偵小説のエッセンスがどういうものか、本格探偵小説はどういう楽しみをすべきなのか、意外な真相も含めてそれを伝えてくれる探偵小説といってよい。
惜しむらくは、いや、本当に惜しいのだが、メイントリックである密室とガス栓の謎。これがもうちょっと気の利いたものであったなら、佳作として忘れがたい作品になったことだろう。
※最後に蛇の足を二本ばかり。
・モットラムが加入している「安楽死保険」というのは、言ってみれば年金式の満金保険金がある生命保険のことで、いわゆる「安楽死」とはまったく関係がない。これを当時の英国では「安楽死保険」というふうにいったのかもしれないが、現代だとかなり混乱を招くので、別の訳語にした方がよかったかな。
・ラストにあるガス栓の図だが、元栓の開け閉めが日本とは逆で驚いた。これも混乱のもとなので、わざわざ図を変える必要はないけれど、注記ぐらいは入れてもよかったか。
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奈落一騎『江戸川乱歩語辞典』(誠文堂新光社)
先日読んだ『シャーロック・ホームズ語辞典』は2019年12月に刊行されたものだが、売れ行きが好調だったのか、姉妹編と思われる『江戸川乱歩語辞典』が既に今月発売され、また『金田一耕助語辞典』というのも来月に同じ誠文堂新光社から出版される。
まあ『シャーロック・ホームズ語辞典』の出来も悪くなかったし、基本的にこういうものが嫌いじゃない管理人としては、とりあえず買ってはみるのだが、今回の『江戸川乱歩語辞典』については、ちょっとアレ?という感じであった。

基本的な構成は『シャーロック・ホームズ語辞典』と同じで、あいうえお順に乱歩にまつわる関係用語を解説した一冊である。しかし、普通の辞典が一切合切の言葉を収録するのに対し、この手の趣味的な辞典ではさすがにそこまではできない。もちろんそれができれば理想だが、正典の数にも左右されるし、商売上あまり高価な本にもできないだろう。そこで編者・著者がしっかり編集方針を決め、それに則って収録する語をセレクトしなければならず、その結果で大きく内容も印象も変わってしまうのである。
たとえば『シャーロック・ホームズ語辞典』であれば、正典、登場人物、登場アイテムといったところを優先しつつ、これに近年の原作以外のテレビドラマとかマンガなどを盛り込んだイメージだ。
本書でまず気になったのは、そういった辞典の編集方針がハッキリしていないことだ。収録している語が何を基準に選ばれているのかわかりにくい。正典でもなく登場人物でもない。特別な方向性を決めていないのなら最悪それでもいいのだが、それなら基本的に正典と登場人物ぐらいは網羅してほしい。
その一方で目立つのは、正典中にある一文をそのまま載せていること。紹介したい著者の気持ちはわからないでもないが、単語でもない長々とした文章を、辞典という体裁にぶち込むのはあまりに乱暴で無理がある。
また、本編以外の付録も何か勘違いしているようで、乱歩の生涯をまとめた漫画(これも漫画というよりは文章に挿絵をつけただけのもの)、当時の東京マップ、コラム、作品紹介とあるけれども、そもそもこれらは辞典本編に入れるべき内容ではないのか。「乱歩作品ベスト3」に至っては中途半端な差し込みにすることで非常に本が読みにくくなり、しかも二十人程度のベスト3なんて今更いる?という内容。
まあ、それでも収録されている内容まで否定するつもりはなく、乱歩の名文などを紹介したいのであれば、そういう本にすればよかっただけのこと。それをわざわざ辞典という容れ物でまとめようと思ったことが一番の間違いであり、なんとも中途半端な印象になってしまった原因だ。
素直に乱歩のガイドブックやコラム集といった切り口にした方がよかったのになぁ。来月には『金田一耕助語辞典』もでるが、ううむ、そちらは大丈夫か。
まあ『シャーロック・ホームズ語辞典』の出来も悪くなかったし、基本的にこういうものが嫌いじゃない管理人としては、とりあえず買ってはみるのだが、今回の『江戸川乱歩語辞典』については、ちょっとアレ?という感じであった。

基本的な構成は『シャーロック・ホームズ語辞典』と同じで、あいうえお順に乱歩にまつわる関係用語を解説した一冊である。しかし、普通の辞典が一切合切の言葉を収録するのに対し、この手の趣味的な辞典ではさすがにそこまではできない。もちろんそれができれば理想だが、正典の数にも左右されるし、商売上あまり高価な本にもできないだろう。そこで編者・著者がしっかり編集方針を決め、それに則って収録する語をセレクトしなければならず、その結果で大きく内容も印象も変わってしまうのである。
たとえば『シャーロック・ホームズ語辞典』であれば、正典、登場人物、登場アイテムといったところを優先しつつ、これに近年の原作以外のテレビドラマとかマンガなどを盛り込んだイメージだ。
本書でまず気になったのは、そういった辞典の編集方針がハッキリしていないことだ。収録している語が何を基準に選ばれているのかわかりにくい。正典でもなく登場人物でもない。特別な方向性を決めていないのなら最悪それでもいいのだが、それなら基本的に正典と登場人物ぐらいは網羅してほしい。
その一方で目立つのは、正典中にある一文をそのまま載せていること。紹介したい著者の気持ちはわからないでもないが、単語でもない長々とした文章を、辞典という体裁にぶち込むのはあまりに乱暴で無理がある。
また、本編以外の付録も何か勘違いしているようで、乱歩の生涯をまとめた漫画(これも漫画というよりは文章に挿絵をつけただけのもの)、当時の東京マップ、コラム、作品紹介とあるけれども、そもそもこれらは辞典本編に入れるべき内容ではないのか。「乱歩作品ベスト3」に至っては中途半端な差し込みにすることで非常に本が読みにくくなり、しかも二十人程度のベスト3なんて今更いる?という内容。
まあ、それでも収録されている内容まで否定するつもりはなく、乱歩の名文などを紹介したいのであれば、そういう本にすればよかっただけのこと。それをわざわざ辞典という容れ物でまとめようと思ったことが一番の間違いであり、なんとも中途半端な印象になってしまった原因だ。
素直に乱歩のガイドブックやコラム集といった切り口にした方がよかったのになぁ。来月には『金田一耕助語辞典』もでるが、ううむ、そちらは大丈夫か。
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千代有三『千代有三探偵小説選 I』(論創ミステリ叢書)
久しぶりに論創ミステリ叢書を一冊消化。ものは『千代有三探偵小説選 I』。2019年6月に読んだ『金来成探偵小説選』以来だから、なんと十四ヶ月振りではないか。まあ理由ははっきりしていて、単純に本が大きくて通勤のお伴にしにくいからである。管理人の場合、自宅から会社まで片道八十分はかかるから、やはり荷物はできるだけ減らしたい。若い頃と違ってカバンの重さはけっこう堪えるしなぁ。
ただ、最近は新型コロナの影響で電車は以前ほど混んでいないので、ちょっと気合いを入れて読み進める頃合いかもしれない。
それはともかく『千代有三探偵小説選 I』である。
著者は一般的な知名度こそ低いが、古い探偵小説好きの間ではかなり知られた存在である。なんといっても有名なのは、探偵作家クラブの新年会の余興で、二年連続して犯人当てゲームで優勝したことがあり、それをきっかけにデビューしたというエピソードだろう。
本業は英文学者だが、探偵小説も純文学に劣らず好きだったようで、早稲田で教授を務めていた時代には、“ワセミス”ことワセダミステリクラブの初代会長にも就任している。千代有三として創作や翻訳をこなしたほか、本名・鈴木幸夫の名では評論もやるというマルチプレーヤーでもあり、創作だけにとどまらなかったのは、やはり文学博士という本業が大きく影響しているのかもしれない。
ひとつだけ気になるのは、まだデビュー以前の頃から探偵作家クラブの新年会に出入りしていたという事実。探偵小説関連の執筆がなかったとはいえ、文学教授にして探偵小説好きということで参加を許されていたのは理解できるが、それにしても何らかのきっかけ、というか誰かの紹介はあったはず。その辺の人間関係が解説にも説明はなく、いまだにモヤモヤしている(笑)。

「痴人の宴」
「ヴィナスの丘」
「遊園地の事件」
「肌の一夜」
「死は恋のごとく」
「ダイヤの指輪」
「エロスの悲歌」
「宝石殺人事件」
「美悪の果」
「死人の座」
「白骨塔」
収録作は以上。といっても上に書いたのは創作のみで、このほか「二十世紀英米文学と探偵小説」をはじめとした相当量のエッセイや評論が採られており、続刊の『千代有三探偵小説選 II』と合わせれば、鈴木幸夫名義も含めて、著者の探偵小説の業績が俯瞰できるという按配。毎度のセリフにはなってしまうが、本当に出してくれるだけでも十分にありがたいことである。
さて、出してくれるだけでも十分にありがたいのだけれど、一応、中身もチェックしていこう。
本書に収められたエッセイ等にも書かれているのだが、千代有三自身は探偵小説と文学を完全に別物と捉えていたようだ。文字で表現するという行為は共通だけれど、目指すところや求めるものが本質的に異なり、探偵小説はその表現形式を文学(小説)から拝借したのだという考え。極端なところでは、推理するという知的要素がなければスリラーの類であっても、それは推理小説ではないという。
ことほどさように千代有三は本格探偵小説における「論理的な解明」というところに惹かれていた。「犯人当て」のクイズ形式でデビューした著者らしい考え方であり、デビュー以後ももクイズ形式のスタイルをとった作品は多い。ただ、「論理的な解明」を第一に置くのはいいとしても、それを軒並みクイズ形式にするのは、小説としての潤いや魅力を欠いてしまい、かなりもったいない感じを受ける。
というのも、そもそも著者が文学畑の人であることも影響しているのだろうが、作品のなかに描かれている人間ドラマはけっこう濃いめの設定や味つけがされており、これがなかなかいいのである。特に痴情のもつれをテーマとする作品群は心理描写も豊かで文章も悪くない。
それだけに途中で〈解決編〉とかやられると興醒めというか、あえてクイズ形式にする理由がわからない(もちろん掲載誌の注文なんだろうけれど)。
まあ、そこまで極端ではないにしても、ストーリーの構成にも影響が出ているような場合もあって、構成を変えればより劇的に、あるいはスムーズに見せられるのになぁという印象を受ける作品がちらほら。結果的に本格探偵小説としても中途半端なところが見受けられる。
ということで、文学と推理小説を分けたがった千代有三であるが、本書を読むかぎりでは、両者の融合を感じられる作品の方が面白かったのは皮肉である。欠点もあるけれど、「肌の一夜」、「エロスの悲歌」、「美悪の果」あたりは独特の世界感もあって惹き込まれた。アンソロジーなどにも採られるデビュー作「痴人の宴」は、この三作に比べるとやはり薄味で、一枚落ちると言わざるをえない。
なお、著者と同じく文学教授の園牧雄というシリーズ探偵がいくつかの作品に登場する。キャラクター自体は内省的なところもあって興味深いのだが、こういう設定のキャラクターが度々事件に遭遇し、積極的に捜査に関わること自体に違和感があり、個人的にはむしろ別々の探偵役を起用した方が物語にあっているように思う。
ともあれ、トータルでの印象は悪くない。この印象が薄れぬうちに、なるべく早く続刊の『千代有三探偵小説選 II』にも取りかかりたいところである。
ただ、最近は新型コロナの影響で電車は以前ほど混んでいないので、ちょっと気合いを入れて読み進める頃合いかもしれない。
それはともかく『千代有三探偵小説選 I』である。
著者は一般的な知名度こそ低いが、古い探偵小説好きの間ではかなり知られた存在である。なんといっても有名なのは、探偵作家クラブの新年会の余興で、二年連続して犯人当てゲームで優勝したことがあり、それをきっかけにデビューしたというエピソードだろう。
本業は英文学者だが、探偵小説も純文学に劣らず好きだったようで、早稲田で教授を務めていた時代には、“ワセミス”ことワセダミステリクラブの初代会長にも就任している。千代有三として創作や翻訳をこなしたほか、本名・鈴木幸夫の名では評論もやるというマルチプレーヤーでもあり、創作だけにとどまらなかったのは、やはり文学博士という本業が大きく影響しているのかもしれない。
ひとつだけ気になるのは、まだデビュー以前の頃から探偵作家クラブの新年会に出入りしていたという事実。探偵小説関連の執筆がなかったとはいえ、文学教授にして探偵小説好きということで参加を許されていたのは理解できるが、それにしても何らかのきっかけ、というか誰かの紹介はあったはず。その辺の人間関係が解説にも説明はなく、いまだにモヤモヤしている(笑)。

「痴人の宴」
「ヴィナスの丘」
「遊園地の事件」
「肌の一夜」
「死は恋のごとく」
「ダイヤの指輪」
「エロスの悲歌」
「宝石殺人事件」
「美悪の果」
「死人の座」
「白骨塔」
収録作は以上。といっても上に書いたのは創作のみで、このほか「二十世紀英米文学と探偵小説」をはじめとした相当量のエッセイや評論が採られており、続刊の『千代有三探偵小説選 II』と合わせれば、鈴木幸夫名義も含めて、著者の探偵小説の業績が俯瞰できるという按配。毎度のセリフにはなってしまうが、本当に出してくれるだけでも十分にありがたいことである。
さて、出してくれるだけでも十分にありがたいのだけれど、一応、中身もチェックしていこう。
本書に収められたエッセイ等にも書かれているのだが、千代有三自身は探偵小説と文学を完全に別物と捉えていたようだ。文字で表現するという行為は共通だけれど、目指すところや求めるものが本質的に異なり、探偵小説はその表現形式を文学(小説)から拝借したのだという考え。極端なところでは、推理するという知的要素がなければスリラーの類であっても、それは推理小説ではないという。
ことほどさように千代有三は本格探偵小説における「論理的な解明」というところに惹かれていた。「犯人当て」のクイズ形式でデビューした著者らしい考え方であり、デビュー以後ももクイズ形式のスタイルをとった作品は多い。ただ、「論理的な解明」を第一に置くのはいいとしても、それを軒並みクイズ形式にするのは、小説としての潤いや魅力を欠いてしまい、かなりもったいない感じを受ける。
というのも、そもそも著者が文学畑の人であることも影響しているのだろうが、作品のなかに描かれている人間ドラマはけっこう濃いめの設定や味つけがされており、これがなかなかいいのである。特に痴情のもつれをテーマとする作品群は心理描写も豊かで文章も悪くない。
それだけに途中で〈解決編〉とかやられると興醒めというか、あえてクイズ形式にする理由がわからない(もちろん掲載誌の注文なんだろうけれど)。
まあ、そこまで極端ではないにしても、ストーリーの構成にも影響が出ているような場合もあって、構成を変えればより劇的に、あるいはスムーズに見せられるのになぁという印象を受ける作品がちらほら。結果的に本格探偵小説としても中途半端なところが見受けられる。
ということで、文学と推理小説を分けたがった千代有三であるが、本書を読むかぎりでは、両者の融合を感じられる作品の方が面白かったのは皮肉である。欠点もあるけれど、「肌の一夜」、「エロスの悲歌」、「美悪の果」あたりは独特の世界感もあって惹き込まれた。アンソロジーなどにも採られるデビュー作「痴人の宴」は、この三作に比べるとやはり薄味で、一枚落ちると言わざるをえない。
なお、著者と同じく文学教授の園牧雄というシリーズ探偵がいくつかの作品に登場する。キャラクター自体は内省的なところもあって興味深いのだが、こういう設定のキャラクターが度々事件に遭遇し、積極的に捜査に関わること自体に違和感があり、個人的にはむしろ別々の探偵役を起用した方が物語にあっているように思う。
ともあれ、トータルでの印象は悪くない。この印象が薄れぬうちに、なるべく早く続刊の『千代有三探偵小説選 II』にも取りかかりたいところである。
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ドリヤス工場『文豪春秋』(文藝春秋)
ドリヤス工場の『文豪春秋』を読む。日本近代文学における文豪たちの面白エピソードを綴ったマンガである。“ドリヤス工場”を知っている人なら話は早いのだが、ご存じない方もいるだろうから一応紹介しておくと——

これは歴としたマンガ家さんのペンネーム。『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』シリーズの作者だといえば、思いあたる人もいるだろう。
ペンネームからして人をくったような感じではあるが、もっと面白いのはその画風だ。なんと水木しげるそっくりの絵を描くのである。絵ばかりか、セリフや間、雰囲気に至るまで水木しげるを再現する。その作風を活用して人気マンガのパロディなども描いていたが、一般的に知られているのは、やはり『有名すぎる文学作品を〜』シリーズだろう。
名作のストーリーを要約したマンガはありそうでなかったジャンル。続編もいくつか出たようだからけっこう人気はあったはず。で、二匹目のドジョウを狙ったわけではないだろうが(いや十分狙っているか)、本作では作家のエピソードに焦点をあてた本になった。
しかし二匹目のドジョウといってもそこは版元が文藝春秋。舞台を同社の文芸編集部にとり、文藝春秋創設者・菊池寛の銅像が、自らの体験をもとにした文芸ゴシップ系蘊蓄を披露するという破天荒な設定になっている。また、聞き手は文芸誌の女性編集者。文学好きだが、スマホゲームにも熱心で、乙女系にはまる腐女子でもあるのは今どきっぽい設定である。
ということで作画や設定が実に独特なのだけれど、それ以上にインパクトがあるのは、やはり当時の文豪たちのエピソードというか生き様だろう。参考書などに載るような一般的なエピソードではなく、どちらかというと作家という人種のダークサイドを中心にとりあげているので、これはつまらないわけがない。知っているネタでも面白く読めるのは、やはり漫画の力だろう。普通の漫画よりは圧倒的に文字が多いのだけれど、小説好きには大した事もなく、むしろ大変読みやすいところもアドバンテージに感じた。
正直、マンガやイラストを切り口にした文芸ガイドは最近多いのだけれど、この絵柄で読めるという面白さもあり、悪くない一冊だった。
ただ、水木しげるそっくりの絵に対して拒否反応を示す人はいるだろうから、その点で好き嫌いは出るかもなぁ。
ちなみに『文豪春秋』というタイトルだが、実はすでに同趣向の内容を乙女系にアレンジしてまとめた『文豪春秋 百花繚乱の文豪秘話』が2017年に、いしいひさいちの文豪ギャグマンガ『文豪春秋』が2002年に出ている。担当編集者が知らなかったとは思えないし、セルフパロディとして使いたかった気持ちは痛いほどわかるのだが(笑)、ここは本家としてもう少しタイトルを捻ってもよかったかな。

これは歴としたマンガ家さんのペンネーム。『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』シリーズの作者だといえば、思いあたる人もいるだろう。
ペンネームからして人をくったような感じではあるが、もっと面白いのはその画風だ。なんと水木しげるそっくりの絵を描くのである。絵ばかりか、セリフや間、雰囲気に至るまで水木しげるを再現する。その作風を活用して人気マンガのパロディなども描いていたが、一般的に知られているのは、やはり『有名すぎる文学作品を〜』シリーズだろう。
名作のストーリーを要約したマンガはありそうでなかったジャンル。続編もいくつか出たようだからけっこう人気はあったはず。で、二匹目のドジョウを狙ったわけではないだろうが(いや十分狙っているか)、本作では作家のエピソードに焦点をあてた本になった。
しかし二匹目のドジョウといってもそこは版元が文藝春秋。舞台を同社の文芸編集部にとり、文藝春秋創設者・菊池寛の銅像が、自らの体験をもとにした文芸ゴシップ系蘊蓄を披露するという破天荒な設定になっている。また、聞き手は文芸誌の女性編集者。文学好きだが、スマホゲームにも熱心で、乙女系にはまる腐女子でもあるのは今どきっぽい設定である。
ということで作画や設定が実に独特なのだけれど、それ以上にインパクトがあるのは、やはり当時の文豪たちのエピソードというか生き様だろう。参考書などに載るような一般的なエピソードではなく、どちらかというと作家という人種のダークサイドを中心にとりあげているので、これはつまらないわけがない。知っているネタでも面白く読めるのは、やはり漫画の力だろう。普通の漫画よりは圧倒的に文字が多いのだけれど、小説好きには大した事もなく、むしろ大変読みやすいところもアドバンテージに感じた。
正直、マンガやイラストを切り口にした文芸ガイドは最近多いのだけれど、この絵柄で読めるという面白さもあり、悪くない一冊だった。
ただ、水木しげるそっくりの絵に対して拒否反応を示す人はいるだろうから、その点で好き嫌いは出るかもなぁ。
ちなみに『文豪春秋』というタイトルだが、実はすでに同趣向の内容を乙女系にアレンジしてまとめた『文豪春秋 百花繚乱の文豪秘話』が2017年に、いしいひさいちの文豪ギャグマンガ『文豪春秋』が2002年に出ている。担当編集者が知らなかったとは思えないし、セルフパロディとして使いたかった気持ちは痛いほどわかるのだが(笑)、ここは本家としてもう少しタイトルを捻ってもよかったかな。
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北原尚彦『シャーロック・ホームズ語辞典』(誠文堂新光社)
北原尚彦の『シャーロック・ホームズ語辞典』を読む。シャーロック・ホームズの原作に登場する主要なキャラクターを中心にまとめたホームズ辞典である。頭からガッツリと読むような本でもないので、とりあえず全体を斜め読み、気になったところを拾い読みという感じでサラッと目を通してみた。

ホームズの関連本は多く、本書のような辞典タイプのものだって珍しくはないのだが、本作ならではの特徴というと、原作以外のテレビドラマとかマンガなど対象を広くとり、しかもできるだけ最近のものまでフォローしたところだろう。あと、大量のイラストを「えのころ工房」さんが担当していて、こちらはクスッと笑えるような1コマ漫画のテイストが楽しめる。
というわけで全体の印象として浅く広く、ハードルは低め。辞典という形は一見マニアックではあるものの、その根底に流れているのはファンブックに近いものがあるだろう。原作をひと通り読んで、これからホームズ世界をもう少し深く楽しみたいという人や、あるいは最近のドラマやアニメで興味が湧き、これから原作も読んでみようかという人にオススメの一冊といえる。
実は管理人もかつてこういう本をいくつか作っていたことがあるので(ミステリではなくゲーム関係だが)よくわかるのだが、こういうタイプの本は、作っている側が一番、楽しかったりする。
逆にいうと、当人たちがどこまで楽しめるか、それが出来栄えに大きく影響するわけだ。とんとん相撲や双六など、付録もいろいろ工夫された本書は、そういう意味で十分作り手が楽しんでおり、結果、読者も楽しめる一冊になったといえるだろう。

ホームズの関連本は多く、本書のような辞典タイプのものだって珍しくはないのだが、本作ならではの特徴というと、原作以外のテレビドラマとかマンガなど対象を広くとり、しかもできるだけ最近のものまでフォローしたところだろう。あと、大量のイラストを「えのころ工房」さんが担当していて、こちらはクスッと笑えるような1コマ漫画のテイストが楽しめる。
というわけで全体の印象として浅く広く、ハードルは低め。辞典という形は一見マニアックではあるものの、その根底に流れているのはファンブックに近いものがあるだろう。原作をひと通り読んで、これからホームズ世界をもう少し深く楽しみたいという人や、あるいは最近のドラマやアニメで興味が湧き、これから原作も読んでみようかという人にオススメの一冊といえる。
実は管理人もかつてこういう本をいくつか作っていたことがあるので(ミステリではなくゲーム関係だが)よくわかるのだが、こういうタイプの本は、作っている側が一番、楽しかったりする。
逆にいうと、当人たちがどこまで楽しめるか、それが出来栄えに大きく影響するわけだ。とんとん相撲や双六など、付録もいろいろ工夫された本書は、そういう意味で十分作り手が楽しんでおり、結果、読者も楽しめる一冊になったといえるだろう。
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吾妻隼人『真澄大尉』(盛林堂ミステリアス文庫)
吾妻隼人こと山中峯太郎の『真澄大尉』を読む。吾妻隼人などと聞くと誰のことやらさっぱりわからないが、これは、あの山中峯太郎がデビュー時に使用したペンネームである。つまり本書『真澄大尉』は山中峯太郎のデビュー作というわけだ。

山中峯太郎といえば、戦前から戦後にかけ、軍事探偵の本郷義昭シリーズなどをはじめとした少年小説や冒険小説で活躍した作家である。中でも有名なのは、戦後に発表されたホームズものの翻案『名探偵ホームズ全集』だろう。近年、作品社からその集大成的な本も出ているほどで、原作を自由にアレンジした山中峯太郎版ホームズは独特の味があって(要するに峯太郎自身の書いたキャラクター本郷義昭の世界をそのまま融合させたスタイルといえばいいか)、むしろそちらのホームズにハマっているファンもいるという。
しかし、『名探偵ホームズ全集』こそ刊行当時から人気は高かったようだが、意外にもそれまでは大したヒットに恵まれず、作家としてはなかなか苦労していたらしい。そもそも作家として立つことがまず父親から大反対されたようで、デビューをめぐるエピソードは本書の解説でも紹介されていて興味深い。
それはともかく『真澄大尉』である。上でも書いたように本書は山中峯太郎のデビュー作。タイトルどおり主人公は真澄大尉という軍人だが、一般的な軍人ではなく、“密偵”=今でいう“スパイ”として中国やロシアで暗躍した軍事探偵である。その活躍はまさにスパイと呼ぶに相応しく、あるときは中国人の理容師、またあるときはハンガリー人貴族に変装し、敵の枢軸に迫っていく。いってみれば本郷義昭シリーズのご先祖的な位置づけでもある。
デビュー作ということもあって、全体の構成にはギクシャクした印象も受けるが、各場面の描写は活きいきとして惹きつけられた。凄いのは、これを書いた当時、峯太郎は弱冠二十一才、陸軍士官学校在学中だったというから恐れ入る。大阪毎日新聞で一九〇六年に連載されたのだが、それは日露戦争が終わった翌年のことで、本人はまだ学生だったから、先輩諸氏の体験、世情をできる限り取材したのだろうが、それにしても特に文章修行もしていないのに、ここまで描けるのは驚異的ではないか(まあ、編集者がかなり手を入れた可能性もあるらしい)。
なお、本書には当時の挿絵が数多く収録されているのだが、これも作品世界の理解という点では非常にありがたく、嬉しいところである。
山中峯太郎のオリジナル作品を読んだのはこれが初めてだったが(ホームズは子供の頃に体験済み)、デビュー作でこれなら、そのほかの作品もけっこう期待できそうだ。積ん読も何冊かあるので、今度は本郷ものを試してみたい。
※本書はまだ盛林堂さんに在庫があるようなので、興味がある方はこちらからどうぞ。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/501/p-r-s/

山中峯太郎といえば、戦前から戦後にかけ、軍事探偵の本郷義昭シリーズなどをはじめとした少年小説や冒険小説で活躍した作家である。中でも有名なのは、戦後に発表されたホームズものの翻案『名探偵ホームズ全集』だろう。近年、作品社からその集大成的な本も出ているほどで、原作を自由にアレンジした山中峯太郎版ホームズは独特の味があって(要するに峯太郎自身の書いたキャラクター本郷義昭の世界をそのまま融合させたスタイルといえばいいか)、むしろそちらのホームズにハマっているファンもいるという。
しかし、『名探偵ホームズ全集』こそ刊行当時から人気は高かったようだが、意外にもそれまでは大したヒットに恵まれず、作家としてはなかなか苦労していたらしい。そもそも作家として立つことがまず父親から大反対されたようで、デビューをめぐるエピソードは本書の解説でも紹介されていて興味深い。
それはともかく『真澄大尉』である。上でも書いたように本書は山中峯太郎のデビュー作。タイトルどおり主人公は真澄大尉という軍人だが、一般的な軍人ではなく、“密偵”=今でいう“スパイ”として中国やロシアで暗躍した軍事探偵である。その活躍はまさにスパイと呼ぶに相応しく、あるときは中国人の理容師、またあるときはハンガリー人貴族に変装し、敵の枢軸に迫っていく。いってみれば本郷義昭シリーズのご先祖的な位置づけでもある。
デビュー作ということもあって、全体の構成にはギクシャクした印象も受けるが、各場面の描写は活きいきとして惹きつけられた。凄いのは、これを書いた当時、峯太郎は弱冠二十一才、陸軍士官学校在学中だったというから恐れ入る。大阪毎日新聞で一九〇六年に連載されたのだが、それは日露戦争が終わった翌年のことで、本人はまだ学生だったから、先輩諸氏の体験、世情をできる限り取材したのだろうが、それにしても特に文章修行もしていないのに、ここまで描けるのは驚異的ではないか(まあ、編集者がかなり手を入れた可能性もあるらしい)。
なお、本書には当時の挿絵が数多く収録されているのだが、これも作品世界の理解という点では非常にありがたく、嬉しいところである。
山中峯太郎のオリジナル作品を読んだのはこれが初めてだったが(ホームズは子供の頃に体験済み)、デビュー作でこれなら、そのほかの作品もけっこう期待できそうだ。積ん読も何冊かあるので、今度は本郷ものを試してみたい。
※本書はまだ盛林堂さんに在庫があるようなので、興味がある方はこちらからどうぞ。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/501/p-r-s/
先日、ふと書店で見かけてびっくりした新刊がある。本日の読了本、花房観音の『京都に女王と呼ばれた作家がいた』のことで、なんと山村美紗の評伝である。その内容が興味深かったのもあるが、それ以上に驚いたのはこの本が出ることをまったく知らなかったからだ。インターネットが発達し、数々の情報サイトのみならずSNSでも山ほど新刊情報が入ってくる。中には発行部数100部ほどの同人誌すら事前に発売情報が流れてくる。おかげで予約や当日での購入が非常に便利になっているわけだが、そういう時代にあっても本書はノーマークだった。
少し調べてみると、それも納得。版元は関西にある地方密着型の中堅出版社。地元に根差したノンフィクションが専門のようで、山村美紗の本はもちろん小説も刊行していない。著者の花房観音は第1回団鬼六賞受賞者でホラーも書いているから名前は知っていたが、やはり純粋なミステリとは距離があるため、これまで著作は読んだことがなかった。ということで版元、著者ともに自分の守備範囲のギリギリ枠外にあったらしく、アンテナに引っかからなかったようだ。

まあ、それはともかく。
本書は“ミステリの女王”こと山村美紗の生涯を綴った評伝である。副題に「山村美紗とふたりの男」とあるように、山村美紗にとって非常に重要な存在だった“夫”と“西村京太郎”の二人との関係に、特に焦点が当てられている。
山村美紗と西村京太郎との関係は、山村美紗が亡くなって二十年以上経った今でも藪の中であるという。西村京太郎と山村美紗、二人のベストセラー作家が組んで「営業」することで、盤石の地位を築いていったこと、出版社や京都の大企業のトップとも親交があり、まさに女王のような生活を送っていたことぐらいは管理人も何かの本で読んで知っていたが、実際の彼女の生涯や西村京太郎との関係は一般にはほぼ知られていない。
そもそも二人の関係に迫ること自体が業界のタブーだった。二人が活躍した時期は出版の絶頂期。その中でも山村美紗と西村京太郎はドル箱中のドル箱である。この二人のご機嫌を損ねること、とりわけ山村美紗を怒らせることは厳禁であり、彼女たちのスキャンダルは絶対にあってはならなかったのだ。
しかし、山村美紗は西村京太郎を京都に呼び寄せ、旅館だった建物を改装し、隣り合わせに住んでいたほどの関係である。山村美紗はあくまで出版社との「共闘」のためとしていたが、本当にそこに男女の関係はなかったのか。
なんせ、その一方で山村美紗には歴とした“夫”がいたのである。山村巍(たかし)だ。山村美紗が好きなことに邁進できるよう夫は教師をしながら、徹底的に妻をサポートした。その存在は恐ろしいほどに黒子であり、担当編集者でも夫がいることを知らなかった者もいたという。
そんな二人の男は、互いの存在をどう思っていたのか。山村美紗は二人をどういう存在として見ていたのか。本書の肝はまさしくそこにあるべきなのだが、残念ながらその真相は明らかにされていない。著者の展開する道筋は非常に丁寧でわかりやすいものの、存命中の二人の男に対しての取材ができていないのである。ここが惜しい。
だが仕方がない面もある。先ほども書いたように、二人の関係に迫ることは業界のタブーであり、それは今も続いているらしく、取材にはどうしても限界があったようだ。また、本書もについても多くの出版社から断りを受けたとのこと。西日本出版社という文芸とはあまり縁のない版元から出たのも、そこに理由があったのである。
実は管理人が最初に書いた、発売情報がそれほど入手できなかった云々というのも、普通の本に比べて関係者が積極的に拡散していなかった部分があるのかもしれない。まあ、これはあくまで想像だけれど。
ということで、もっともメインとなるテーマがあやふやなままになっているのは残念だが、それでも山村美紗のファンやミステリ史に興味がある人には、間違いなく「買い」の一冊だと言っておこう。二人の男との関係は抜きにしても、山村美紗という作家の生き様は存分に味わうことができる。
「好きなものを書いて生活ができるだけで嬉しい」、「ミステリ作家として歴史に残る傑作を残したい」、そんなふうにいうミステリ作家は少なくないけれど、山村美紗は違う。彼女はミステリ作家として大成したいタイプだったのである。上昇志向の強さとうちに秘めたコンプレックス、それらが混然となって彼女のエネルギーとなる。そんな野心的な作家の実像に迫ったのが本書であり、非常に興味深い一冊であるといえるだろう。
少し調べてみると、それも納得。版元は関西にある地方密着型の中堅出版社。地元に根差したノンフィクションが専門のようで、山村美紗の本はもちろん小説も刊行していない。著者の花房観音は第1回団鬼六賞受賞者でホラーも書いているから名前は知っていたが、やはり純粋なミステリとは距離があるため、これまで著作は読んだことがなかった。ということで版元、著者ともに自分の守備範囲のギリギリ枠外にあったらしく、アンテナに引っかからなかったようだ。

まあ、それはともかく。
本書は“ミステリの女王”こと山村美紗の生涯を綴った評伝である。副題に「山村美紗とふたりの男」とあるように、山村美紗にとって非常に重要な存在だった“夫”と“西村京太郎”の二人との関係に、特に焦点が当てられている。
山村美紗と西村京太郎との関係は、山村美紗が亡くなって二十年以上経った今でも藪の中であるという。西村京太郎と山村美紗、二人のベストセラー作家が組んで「営業」することで、盤石の地位を築いていったこと、出版社や京都の大企業のトップとも親交があり、まさに女王のような生活を送っていたことぐらいは管理人も何かの本で読んで知っていたが、実際の彼女の生涯や西村京太郎との関係は一般にはほぼ知られていない。
そもそも二人の関係に迫ること自体が業界のタブーだった。二人が活躍した時期は出版の絶頂期。その中でも山村美紗と西村京太郎はドル箱中のドル箱である。この二人のご機嫌を損ねること、とりわけ山村美紗を怒らせることは厳禁であり、彼女たちのスキャンダルは絶対にあってはならなかったのだ。
しかし、山村美紗は西村京太郎を京都に呼び寄せ、旅館だった建物を改装し、隣り合わせに住んでいたほどの関係である。山村美紗はあくまで出版社との「共闘」のためとしていたが、本当にそこに男女の関係はなかったのか。
なんせ、その一方で山村美紗には歴とした“夫”がいたのである。山村巍(たかし)だ。山村美紗が好きなことに邁進できるよう夫は教師をしながら、徹底的に妻をサポートした。その存在は恐ろしいほどに黒子であり、担当編集者でも夫がいることを知らなかった者もいたという。
そんな二人の男は、互いの存在をどう思っていたのか。山村美紗は二人をどういう存在として見ていたのか。本書の肝はまさしくそこにあるべきなのだが、残念ながらその真相は明らかにされていない。著者の展開する道筋は非常に丁寧でわかりやすいものの、存命中の二人の男に対しての取材ができていないのである。ここが惜しい。
だが仕方がない面もある。先ほども書いたように、二人の関係に迫ることは業界のタブーであり、それは今も続いているらしく、取材にはどうしても限界があったようだ。また、本書もについても多くの出版社から断りを受けたとのこと。西日本出版社という文芸とはあまり縁のない版元から出たのも、そこに理由があったのである。
実は管理人が最初に書いた、発売情報がそれほど入手できなかった云々というのも、普通の本に比べて関係者が積極的に拡散していなかった部分があるのかもしれない。まあ、これはあくまで想像だけれど。
ということで、もっともメインとなるテーマがあやふやなままになっているのは残念だが、それでも山村美紗のファンやミステリ史に興味がある人には、間違いなく「買い」の一冊だと言っておこう。二人の男との関係は抜きにしても、山村美紗という作家の生き様は存分に味わうことができる。
「好きなものを書いて生活ができるだけで嬉しい」、「ミステリ作家として歴史に残る傑作を残したい」、そんなふうにいうミステリ作家は少なくないけれど、山村美紗は違う。彼女はミステリ作家として大成したいタイプだったのである。上昇志向の強さとうちに秘めたコンプレックス、それらが混然となって彼女のエネルギーとなる。そんな野心的な作家の実像に迫ったのが本書であり、非常に興味深い一冊であるといえるだろう。
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泡坂妻夫『ヨギ ガンジーの妖術』(新潮文庫)
泡坂妻夫読破シリーズも亜愛一郎がひと息ついて、ヨギ ガンジーものに取り掛かる。
ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の混血という出自を持つヨギ ガンジー。一応はヨーガの達人という触れ込みで全国各地を講演で巡っているが、奇術や占いにも造詣が深く、どこかしら胡散臭い雰囲気を醸し出す。しかし、それは本人も重々承知。逆にいろいろな奇跡や超常現象など、すべてはトリックであると人々に説いて回るというから面白い。

「王たちの恵み」〈心霊術〉
「隼の贄」〈遠隔殺人術〉
「心魂平の怪光」〈念力術〉
「ヨギ ガンジーの予言」〈予言術〉
「帰りた銀杏」〈枯木術〉
「釈尊と悪魔」〈読心術〉
「蘭と幽霊」〈分身術〉
収録作は以上。
クセの強い泡坂妻夫のシリーズ作品だが、本シリーズもとりわけ強烈。もちろん主人公ヨギ ガンジーの奇妙な設定だけでも十分に面白いのだが、何といっても楽しいのは扱うネタのほとんどが奇跡や超常現象のトリックである点。それこそ怪しげな新興宗教団体とかが超常現象や奇跡を披露して信者を集める、ああいった手口の種明かしをこれでもかと暴いていく。以下、各作品の簡単なコメント。
「王たちの恵み」はガンジーが講演中に盗難されてしまった募金箱の事件。あまりにも意表を突いた真相であり、泡坂作品に免疫がない人は、もうこの一作だけでトリコになってしまうのではないか。
「隼の贄」は新興宗教の開祖・参王不動丸との対決を描く。予告殺人のネタも見事だが、敵の参王不動丸がガンジーに敗北後、弟子入りするあたりは、ブラウン神父もののフラウボウを彷彿とさせて楽しい。おそらく狙ってやったものだろうな。
「心魂平の怪光」は鼠騒動とUFO騒動がどのように結びつくのかというネタ。念力対決もあったりと賑やかな作品ではあるが、今読むとネタが割れやすいのが惜しい。
「ヨギ ガンジーの予言」はタイトルどおり予言を扱った作品。予言トリックの作品は他の作家の作品でもいくつか読んだことはあるが、概ねどれも楽しく読めるのはなぜだろう。
「帰りた銀杏」は事件の様相をガラリと変えてみせる展開に驚かされる。トリックが重視されるこのシリーズで、本作は「ホワイダニット」にスポットを当てていて興味深い。この真相ははちょっと読めないよなぁ。
「釈尊と悪魔」も「帰りた銀杏」同様に、ラストで事件の構図を思い切り反転してみせる。考えると単純なネタではあるのだが、ドサまわりの劇団という世界を持ってきたことで見事に全体像をカモフラージュし、なおかつドサまわりの劇団でなければならなかった理由もまた存在する。これはプロットの勝利か。
「蘭と幽霊」はエクトプラズムを扱うが、心霊ネタの中でももっとも胡散臭いネタであり、それを最後に持ってきたところに著者の自信のほどが窺える。でもやっぱり他の作品よりは少し落ちるかな(苦笑)。
ということで久々の再読であったが、いくつかネタとして弱いものはあったけれど、基本的には全編通して楽しい一冊であった。ヨギ ガンジーものだと『しあわせの書』や『生者と死者』のインパクトが強すぎて、本書はやや影が薄いところがあるかもしれないが、ミステリとしては断然こちらが上だろう。
ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の混血という出自を持つヨギ ガンジー。一応はヨーガの達人という触れ込みで全国各地を講演で巡っているが、奇術や占いにも造詣が深く、どこかしら胡散臭い雰囲気を醸し出す。しかし、それは本人も重々承知。逆にいろいろな奇跡や超常現象など、すべてはトリックであると人々に説いて回るというから面白い。

「王たちの恵み」〈心霊術〉
「隼の贄」〈遠隔殺人術〉
「心魂平の怪光」〈念力術〉
「ヨギ ガンジーの予言」〈予言術〉
「帰りた銀杏」〈枯木術〉
「釈尊と悪魔」〈読心術〉
「蘭と幽霊」〈分身術〉
収録作は以上。
クセの強い泡坂妻夫のシリーズ作品だが、本シリーズもとりわけ強烈。もちろん主人公ヨギ ガンジーの奇妙な設定だけでも十分に面白いのだが、何といっても楽しいのは扱うネタのほとんどが奇跡や超常現象のトリックである点。それこそ怪しげな新興宗教団体とかが超常現象や奇跡を披露して信者を集める、ああいった手口の種明かしをこれでもかと暴いていく。以下、各作品の簡単なコメント。
「王たちの恵み」はガンジーが講演中に盗難されてしまった募金箱の事件。あまりにも意表を突いた真相であり、泡坂作品に免疫がない人は、もうこの一作だけでトリコになってしまうのではないか。
「隼の贄」は新興宗教の開祖・参王不動丸との対決を描く。予告殺人のネタも見事だが、敵の参王不動丸がガンジーに敗北後、弟子入りするあたりは、ブラウン神父もののフラウボウを彷彿とさせて楽しい。おそらく狙ってやったものだろうな。
「心魂平の怪光」は鼠騒動とUFO騒動がどのように結びつくのかというネタ。念力対決もあったりと賑やかな作品ではあるが、今読むとネタが割れやすいのが惜しい。
「ヨギ ガンジーの予言」はタイトルどおり予言を扱った作品。予言トリックの作品は他の作家の作品でもいくつか読んだことはあるが、概ねどれも楽しく読めるのはなぜだろう。
「帰りた銀杏」は事件の様相をガラリと変えてみせる展開に驚かされる。トリックが重視されるこのシリーズで、本作は「ホワイダニット」にスポットを当てていて興味深い。この真相ははちょっと読めないよなぁ。
「釈尊と悪魔」も「帰りた銀杏」同様に、ラストで事件の構図を思い切り反転してみせる。考えると単純なネタではあるのだが、ドサまわりの劇団という世界を持ってきたことで見事に全体像をカモフラージュし、なおかつドサまわりの劇団でなければならなかった理由もまた存在する。これはプロットの勝利か。
「蘭と幽霊」はエクトプラズムを扱うが、心霊ネタの中でももっとも胡散臭いネタであり、それを最後に持ってきたところに著者の自信のほどが窺える。でもやっぱり他の作品よりは少し落ちるかな(苦笑)。
ということで久々の再読であったが、いくつかネタとして弱いものはあったけれど、基本的には全編通して楽しい一冊であった。ヨギ ガンジーものだと『しあわせの書』や『生者と死者』のインパクトが強すぎて、本書はやや影が薄いところがあるかもしれないが、ミステリとしては断然こちらが上だろう。
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E・D・ビガーズ『鍵のない家』(論創海外ミステリ)
E・D・ビガーズの『鍵のない家』を読む。ホノルル警察に勤務するチャーリー・チャン警視ものだが、シリーズ第一作ということもあってか、まだ後のシリーズ作ほど型にハマっている感じが少なく、そういう意味では逆に楽しい作品だった。まずはストーリーから。
ボストンの名家ウィンタスリップ家の御曹司ジョン・クィンシーは、ハワイに長期滞在するミネルバ叔母を呼び戻すため、サンフランシスコ経由でハワイへ向かっていた。しかし、ジョンの到着前夜、ミネルバが身を寄せている資産家ダンの家で、ダンが何者かの手によって殺害されてしまう。ダンはウィンタスリップ家の一員で、ハワイでも有数の資産家だったが、過去の悪行によって一族はもちろんハワイでもよく思われていない人物だ。
ホノルル警察のハレット警部と部下のチャーリー・チャンはミネルバの証言や手がかりをもとに捜査を開始するが、ハワイに到着したジョンもまたミネルバの要請によって捜査を手伝わされる羽目になる……。

探偵小説に必要なものが過不足なく盛り込まれ、非常にオーソドックスな作りの探偵小説。書かれた時代を考えると、もう古典といってよいのだろう。とはいえ古さはあまり感じず、あらためてビガーズの探偵小説に対するセンスの良さを感じた。全体の構成、伏線の貼り具合、意外な結末などなど、実にまとまっていて、これが1925年に書かれたという事実。解説でも触れられていたが、それはヴァン・ダインが『ベンスン殺人事件』でデビューした一年も前のことである。
普通、アメリカの探偵小説における黄金時代の幕を開けたのはヴァン・ダインといわれているが、ビガーズの果たした役目もまた大きかったに違いない。少なくとも『鍵のない家』と『ベンスン殺人事件』が両作出揃った時点で、シンプルに探偵小説としてのクオリティはビガーズの方が勝っている。突飛なネタこそないけれども、手がかりのばら撒き方とその回収が本作の面白いところで、書かれた時代を考慮せずとも悪くない出来だ。
また、最初に触れたとおり、本作はチャーリー・チャンのシリーズ一作目ということで、その意味で見逃せない点もある。
ひとつはチャンがまだ巡査部長という地位で、上司の警部と捜査にあたっているのが見どころ。白人の上司との関係性は悪くはないのだが、チャン特有の慇懃さがいろいろと含みのあるようにも思えてしまう。
この人種の問題はさらにハワイ全体の描写にも通じる。そもそもハワイ自体が、当時のアメリカにとってまだまだ異国の地なのである。ハワイに出かけた本土のアメリカ人が、現地のアメリカ人に対して「アメリカにもぜひ遊びに来てください」とかつい言ってしまうのはお約束のネタのようだし(日本でも同じようなギャグあるよね)、当時のハワイや現地住人に対する心情が見え隠れするのが興味深い。あくまで白人目線という面はあるけれども、いや、白人目線であるからこそ、逆に空気感が伝わってくるのではないか。
もうひとつ見逃せない点としては、本作の主人公がチャーリー・チャンではなく、ボストンからやってきたジョン・クインシーであるということ。事件の探偵役としては一応チャンが担うけれども、メインストーリーを引っ張るのはジョンの役目。お金持ちのお坊ちゃんが一皮むけるための成長物語としての側面が強いうえ、恋愛要素もガッツリと加わって、娯楽小説として万人が親しめるようになっている。
思うに著者は、この時点でシリーズ化云々はほとんど考えていなかったのではないか。あくまで本作はジョンの物語であり、本書の評判の結果として、シリーズ化が決まったのではないだろうか。このあたり、すでにどこかに情報はありそうだが、とりあえずジョンの方でシリーズ化されなかったのは著者にとっても読者にとってもラッキーだった(苦笑)。
ということでビガーズの他の作品同様、本書も意外なほど楽しめる一冊だった。あとは毎回書いていることだが、『シナの鸚鵡』の復刊とか新訳が出ればねぇ。
ボストンの名家ウィンタスリップ家の御曹司ジョン・クィンシーは、ハワイに長期滞在するミネルバ叔母を呼び戻すため、サンフランシスコ経由でハワイへ向かっていた。しかし、ジョンの到着前夜、ミネルバが身を寄せている資産家ダンの家で、ダンが何者かの手によって殺害されてしまう。ダンはウィンタスリップ家の一員で、ハワイでも有数の資産家だったが、過去の悪行によって一族はもちろんハワイでもよく思われていない人物だ。
ホノルル警察のハレット警部と部下のチャーリー・チャンはミネルバの証言や手がかりをもとに捜査を開始するが、ハワイに到着したジョンもまたミネルバの要請によって捜査を手伝わされる羽目になる……。

探偵小説に必要なものが過不足なく盛り込まれ、非常にオーソドックスな作りの探偵小説。書かれた時代を考えると、もう古典といってよいのだろう。とはいえ古さはあまり感じず、あらためてビガーズの探偵小説に対するセンスの良さを感じた。全体の構成、伏線の貼り具合、意外な結末などなど、実にまとまっていて、これが1925年に書かれたという事実。解説でも触れられていたが、それはヴァン・ダインが『ベンスン殺人事件』でデビューした一年も前のことである。
普通、アメリカの探偵小説における黄金時代の幕を開けたのはヴァン・ダインといわれているが、ビガーズの果たした役目もまた大きかったに違いない。少なくとも『鍵のない家』と『ベンスン殺人事件』が両作出揃った時点で、シンプルに探偵小説としてのクオリティはビガーズの方が勝っている。突飛なネタこそないけれども、手がかりのばら撒き方とその回収が本作の面白いところで、書かれた時代を考慮せずとも悪くない出来だ。
また、最初に触れたとおり、本作はチャーリー・チャンのシリーズ一作目ということで、その意味で見逃せない点もある。
ひとつはチャンがまだ巡査部長という地位で、上司の警部と捜査にあたっているのが見どころ。白人の上司との関係性は悪くはないのだが、チャン特有の慇懃さがいろいろと含みのあるようにも思えてしまう。
この人種の問題はさらにハワイ全体の描写にも通じる。そもそもハワイ自体が、当時のアメリカにとってまだまだ異国の地なのである。ハワイに出かけた本土のアメリカ人が、現地のアメリカ人に対して「アメリカにもぜひ遊びに来てください」とかつい言ってしまうのはお約束のネタのようだし(日本でも同じようなギャグあるよね)、当時のハワイや現地住人に対する心情が見え隠れするのが興味深い。あくまで白人目線という面はあるけれども、いや、白人目線であるからこそ、逆に空気感が伝わってくるのではないか。
もうひとつ見逃せない点としては、本作の主人公がチャーリー・チャンではなく、ボストンからやってきたジョン・クインシーであるということ。事件の探偵役としては一応チャンが担うけれども、メインストーリーを引っ張るのはジョンの役目。お金持ちのお坊ちゃんが一皮むけるための成長物語としての側面が強いうえ、恋愛要素もガッツリと加わって、娯楽小説として万人が親しめるようになっている。
思うに著者は、この時点でシリーズ化云々はほとんど考えていなかったのではないか。あくまで本作はジョンの物語であり、本書の評判の結果として、シリーズ化が決まったのではないだろうか。このあたり、すでにどこかに情報はありそうだが、とりあえずジョンの方でシリーズ化されなかったのは著者にとっても読者にとってもラッキーだった(苦笑)。
ということでビガーズの他の作品同様、本書も意外なほど楽しめる一冊だった。あとは毎回書いていることだが、『シナの鸚鵡』の復刊とか新訳が出ればねぇ。
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江戸川乱歩/編『世界推理短編傑作集5』(創元推理文庫)
江戸川乱歩の選んだベスト短編をもとに編まれたアンソロジー〈世界推理短編傑作集〉をボチボチと読んできたが、ようやく最終巻までたどり着いた。本日の読了本は『世界推理短編傑作集5』である。まずは収録作。
マージェリー・アリンガム「ボーダーライン事件」
E・C・ベントリー「好打」
レスリー・チャーテリス「いかさま賭博」
ジョン・コリアー「クリスマスに帰る」
ウィリアム・アイリッシュ「爪」
Q・パトリック「ある殺人者の肖像」
ベン・ヘクト「十五人の殺人者たち」
フレドリック・ブラウン「危険な連中」
レックス・スタウト「証拠のかわりに」
カーター・ディクスン「妖魔の森の家」
デイヴィッド・C・クック「悪夢」
エラリー・クイーン「黄金の二十」(エッセイ)

最終巻となる本書は第二次世界大戦の直前から戦後の一九五〇年代あたりまでの作品を収録している。黄金期の大家から新しい世代の作家までが顔を揃え、この頃になると内容もかなり現代的でバラエティに富み、読み応えがあるものが多い。
例によって旧版との違いから見ておくと、まずは旧版の二巻にあったE・C・ベントリー「好打」、三巻にあったアリンガムの「ボーダーライン事件」が本書に入り、逆に旧版の五巻にあったベイリー「黄色いなめくじ」が四巻に移っている。
また、カーター・ディクスンはこれまでマーチ大佐ものの「見知らぬ部屋の犯罪」が採られていたが、「妖魔の森の家」に変更された。
さらにアイリッシュの「爪」は門野集による新訳に、アリンガムの『ボーダーライン事件』は猪俣美江子による新訳となった。
それでは各作品のコメント。
「ボーダーライン事件」は大傑作というわけではないが、開かれた密室を形作る心理的トリックが効果的で、黄金期ならではの妙味が光る。あくまで個人的な意見だが、こういうのは機械的トリックでは得られない快感があって好み。キャンピオン初々しさもいいなあ(苦笑)。
ベントリーの「好打」はトレントもの。トリック云々というよりもドラマ作りの巧さが好み。ベントリーの作品は同時代の中にあってもやや古さを感じさせるが、本作はその欠点が気にならない佳作。
「いかさま賭博」はカードゲームによる犯罪者同士の騙し合いを描く。義賊ものならではの設定が効いていて、メインストーリーだけでも十分面白いけれど、最後のオチがまた秀逸。
コリアーの「クリスマスに帰る」は妻殺しの完全犯罪が見事、失敗に終わる奇妙な味系の一作。これも素晴らしいのだけれど、コリアにしてはちょっとストレート。コリアだったらもっとひねくれたやつの方がいいかな。
数あるアイリッシュの傑作の中でも「爪」の味はやはりトップ・クラス。このタイプの作品はその後もいろいろ出たけれど、やはりアイリッシュの描き方は巧い。
「ある殺人者の肖像」はトリックなどはほぼないに等しいのに、ラストのサプライズがとんでもない。著者は元々、子供に対して容赦ない描き方をすることがあって、本作などはその白眉といえるだろう。読後の余韻もなんともいえないものがあり、本書中でも一、二を争う傑作。
日本ではあまり馴染みのないベン・ヘクトだが、この「十五人の殺人者たち」だけで十分、忘れられない作家である。読み始めはどちらかというと不愉快な気持ちになるのに、ラストでその気持ちが一掃されて実に気持ち良い。今読むとコントみたいな感じもあるけれど(苦笑)。
「危険な連中」もブラウンの代表作といえる傑作。こういうスタイルは今読むとそれほど珍しいわけでもないけれど、アイリッシュの「爪」と同様、いち早く作品にしたところがさすがだし、何度読んでも引き込まれる。
スタウトはウルフものの「証拠のかわりに」が採られている。もちろんミステリとしてのメインアイディアは面白いのだが、乱歩がこれを選んだのは、ホームズ役とワトスン役の新しい形が面白かったからではなかろうか。
「妖魔の森の家」はカーの定番中の定番なので今更いうこともない。これを収録すること自体が今更という意見もあるのだろうが、本アンソロジーの趣旨、そしてカーのもっとも代表的な探偵が登場することを踏まえると、本作でよかったと思う。
デイヴィッド・C・クックの「悪夢」はサスペンスを盛り上げる描写の巧さで選ばれたか。個人的にはもう少し派手な作品で締めてほしかったが、まあ、贅沢はいいますまい。
ということで、これでようやく全面リニューアルされた『世界短編傑作集』改め『世界推理短編集傑作集』をすべて読了できた。すべて再読とはいえ、内容を忘れているものもいくつかあったせいか予想以上に楽しい読書だった。
ちなみに従来の『世界短編傑作集』では諸々の事情から乱歩の意向を十全に反映したものとはいえず、このリニューアルでようやく短編ミステリを俯瞰できる形になったわけである。もちろん、これがベストというわけではないが、やはりミステリと長くお付き合いしたいという人には、ぜひとも読んでもらいたい良質のアンソロジーといえるだろう。
さあ、次は〈短編ミステリの二百年〉か。
マージェリー・アリンガム「ボーダーライン事件」
E・C・ベントリー「好打」
レスリー・チャーテリス「いかさま賭博」
ジョン・コリアー「クリスマスに帰る」
ウィリアム・アイリッシュ「爪」
Q・パトリック「ある殺人者の肖像」
ベン・ヘクト「十五人の殺人者たち」
フレドリック・ブラウン「危険な連中」
レックス・スタウト「証拠のかわりに」
カーター・ディクスン「妖魔の森の家」
デイヴィッド・C・クック「悪夢」
エラリー・クイーン「黄金の二十」(エッセイ)

最終巻となる本書は第二次世界大戦の直前から戦後の一九五〇年代あたりまでの作品を収録している。黄金期の大家から新しい世代の作家までが顔を揃え、この頃になると内容もかなり現代的でバラエティに富み、読み応えがあるものが多い。
例によって旧版との違いから見ておくと、まずは旧版の二巻にあったE・C・ベントリー「好打」、三巻にあったアリンガムの「ボーダーライン事件」が本書に入り、逆に旧版の五巻にあったベイリー「黄色いなめくじ」が四巻に移っている。
また、カーター・ディクスンはこれまでマーチ大佐ものの「見知らぬ部屋の犯罪」が採られていたが、「妖魔の森の家」に変更された。
さらにアイリッシュの「爪」は門野集による新訳に、アリンガムの『ボーダーライン事件』は猪俣美江子による新訳となった。
それでは各作品のコメント。
「ボーダーライン事件」は大傑作というわけではないが、開かれた密室を形作る心理的トリックが効果的で、黄金期ならではの妙味が光る。あくまで個人的な意見だが、こういうのは機械的トリックでは得られない快感があって好み。キャンピオン初々しさもいいなあ(苦笑)。
ベントリーの「好打」はトレントもの。トリック云々というよりもドラマ作りの巧さが好み。ベントリーの作品は同時代の中にあってもやや古さを感じさせるが、本作はその欠点が気にならない佳作。
「いかさま賭博」はカードゲームによる犯罪者同士の騙し合いを描く。義賊ものならではの設定が効いていて、メインストーリーだけでも十分面白いけれど、最後のオチがまた秀逸。
コリアーの「クリスマスに帰る」は妻殺しの完全犯罪が見事、失敗に終わる奇妙な味系の一作。これも素晴らしいのだけれど、コリアにしてはちょっとストレート。コリアだったらもっとひねくれたやつの方がいいかな。
数あるアイリッシュの傑作の中でも「爪」の味はやはりトップ・クラス。このタイプの作品はその後もいろいろ出たけれど、やはりアイリッシュの描き方は巧い。
「ある殺人者の肖像」はトリックなどはほぼないに等しいのに、ラストのサプライズがとんでもない。著者は元々、子供に対して容赦ない描き方をすることがあって、本作などはその白眉といえるだろう。読後の余韻もなんともいえないものがあり、本書中でも一、二を争う傑作。
日本ではあまり馴染みのないベン・ヘクトだが、この「十五人の殺人者たち」だけで十分、忘れられない作家である。読み始めはどちらかというと不愉快な気持ちになるのに、ラストでその気持ちが一掃されて実に気持ち良い。今読むとコントみたいな感じもあるけれど(苦笑)。
「危険な連中」もブラウンの代表作といえる傑作。こういうスタイルは今読むとそれほど珍しいわけでもないけれど、アイリッシュの「爪」と同様、いち早く作品にしたところがさすがだし、何度読んでも引き込まれる。
スタウトはウルフものの「証拠のかわりに」が採られている。もちろんミステリとしてのメインアイディアは面白いのだが、乱歩がこれを選んだのは、ホームズ役とワトスン役の新しい形が面白かったからではなかろうか。
「妖魔の森の家」はカーの定番中の定番なので今更いうこともない。これを収録すること自体が今更という意見もあるのだろうが、本アンソロジーの趣旨、そしてカーのもっとも代表的な探偵が登場することを踏まえると、本作でよかったと思う。
デイヴィッド・C・クックの「悪夢」はサスペンスを盛り上げる描写の巧さで選ばれたか。個人的にはもう少し派手な作品で締めてほしかったが、まあ、贅沢はいいますまい。
ということで、これでようやく全面リニューアルされた『世界短編傑作集』改め『世界推理短編集傑作集』をすべて読了できた。すべて再読とはいえ、内容を忘れているものもいくつかあったせいか予想以上に楽しい読書だった。
ちなみに従来の『世界短編傑作集』では諸々の事情から乱歩の意向を十全に反映したものとはいえず、このリニューアルでようやく短編ミステリを俯瞰できる形になったわけである。もちろん、これがベストというわけではないが、やはりミステリと長くお付き合いしたいという人には、ぜひとも読んでもらいたい良質のアンソロジーといえるだろう。
さあ、次は〈短編ミステリの二百年〉か。