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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 06 2016

吉屋信子『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』(ちくま文庫)

 数年にわたってボチボチと読み進めているちくま文庫の「文豪怪談傑作選」。シリーズ自体は明治・大正・昭和の各アンソロジーをまとめたところで2011年に完結したようだが、読み手のこちらははまだまだ道半ばということで、本日の読了本は『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』。

 吉屋信子は女性の友情や同性愛、あるいは女性差別問題など、広く女性に関わるテーマを描き続けた作家である。もちろん少女小説の大家としての顔が最も知られているところだろうが、それ以外に家庭小説や歴史小説なども多く、幅広いジャンルで活躍した。
 本書はそんな作品の中から、怪談、幻想小説の類を集めている。収録作は以下のとおり。

「生霊」
「生死」
「誰かが私に似ている」
「茶盌」(ちゃわん)
「宴会」
「井戸の底」
「黄梅院様」
「憑かれる」
「かくれんぼ」
「鶴」
「夏鴬」
「冬雁」
「海潮音」

以下エッセイ
「私の泉鏡花」
「梅雨」
「霊魂」
「鍾乳洞のなか」

 文豪怪談傑作選吉屋信子集生霊

 この「文豪怪談傑作選」であらためてその魅力を認識した作家も少なくないのだが、吉屋信子もその一人になりそうだ。
 ただ、その魅力はいわゆる”怪談”という括りとはちょっと外れたところにある。
 吉屋信子の作品をまとめて読むのは初めてなので、彼女の作品における怪談の位置付けなどはよく知らないのだが、本書を読んだかぎりでは、あまり怪談という感じを受けない。そもそも幽霊やら物の怪やらが出るような、ストレートな怪談や恐怖小説やはほとんどないのである。

 吉屋信子が描く怪談はほぼ日常の生活の中にある。
 怪異は日常のすぐそばに潜んでおり、それが何かのタイミングで主人公たちの眼前に現れ、交錯する。ときには主人公が怪異と交錯していることすら気がつかない場合もあるほどだ。リアリティ重視というわけでもなかろうが、この日常の中に忍ぶ異界との扉、これを何気なく見せるのが吉屋信子描くところの怪談の面白さだろう。
 もちろん何でもかんでも怪談にすればいいわけでもなく、吉屋信子の物語でもう一つ特徴的なのが、マイノリティや社会的弱者の存在である。彼らが現実社会で抱える問題は心に闇を生み、それが異界へのスイッチとなる。
 この主人公たちの抱えている闇があるからこそ、吉屋信子の怪談は”怪談 “として成立するし、独特の怖さを生むのだろう。

 以下、印象に残った作品の感想をいくつか。
 「生霊」(いきたま)は、療養のため田舎へ向かった戦地帰りの建具職人が主人公。当てにしていた農家での間借りを断られ、途方に暮れていたが、途中で見かけた別荘に忍び込んでそのまま寮生活を始めることにする。だがあるときその管理人が姿を現して……というお話。てっきり別荘に生霊が出るのかと思っていたら、様相がガラッと変わり、ハートウォーミングなゴーストストーリーに着地する。

 「生死」は戦死して霊魂となった男が主人公。読み進むうちに生死の境界について思わず考え込んでしまうという奇妙な作品。

 「誰かが私に似ている」はドッペルゲンガー・テーマということになるのだろうか。ただ、表面的には幻想小説的だが、戦争に合わせた主人公の女性の転落がより重いテーマになっていることは明らかである。この作品に限らず戦争の暗い影を落としている作品は多く、吉屋信子が怪談で繰り返し扱っている意味は大きいだろう。

 「憑かれる」はもう怪談ですらないが、犯罪心理小説として面白い。人生、いろいろな局面で魔がさすことはあるが、主人公はその魔にことごとく憑かれてしまう。特に子供の頃のエピソードが強烈。

 「かくれんぼ」はいわゆる神隠し譚。鮮やかである。

 「冬雁」は限りなく普通小説に近い。その屋の娘、つうが男に溺れ転落していく物語なのだが、倫理観の欠如や無知がいかに悲しいことか繰り返し繰り返し教えてくれる。悲壮感がないところが救いだが、実はこの悲壮感の欠如こそがまた落とし穴なのである。

 ちなみに吉屋信子には「鬼火」という傑作怪奇小説があり、そちらは過去にアンソロジーで読んだことがあるのだが、今ではすっかり内容を忘れてしまっている。今回、印象を新たにしたこともあるので、改めてそちらも読んでみたいものだ。


ヘレン・マクロイ『二人のウィリング』(ちくま文庫)

 ちくま文庫版ヘレン・マクロイの第二弾、『二人のウィリング』を読む。

 まずはストーリー。
 精神科医のベイジル・ウィリング博士が自宅近くの煙草屋に入ったときのこと。あとから店に入ってきた男が、自分はベイジル・ウィリングだと名乗り、タクシーで去っていった。
 驚いたウィリングは男の後を追い、ある屋敷で行われているパーティーに潜入する。参加しているのは主催者の精神科医ツィンマー博士をはじめ、盲目の婦人、詩人、土建業者、クラブオーナーなどのセレブたち。
 やがて偽のウィリングを見つけたウィリングは二人でパーティーを抜け出し、名前を騙った理由を問いただそうとする。だが男は突然に苦しみだし、「鳴く鳥がいなかった」という謎の言葉を残して息をひきとってしまう……。

 二人のウィリング

 相変わらず安定した出来栄え。マクロイは本当にハズレがない。本作もマクロイお得意の精神分析を取り混ぜつつ、コンパクトにまとめた佳作である。
 偽ウィリングの正体とは? なぜ彼が殺されなければならなかったのか? さらには「鳴く鳥がいなかった」というダイイングメッセージの秘密とは? 立て続けに提示される魅力的な謎と、パーティーの主催者ツィンマー博士とその招待客を襲う連続殺人というサスペンスで、やや短めの長篇を一気に引っ張っていく。

 正直、謎ひとつひとつの種明かしはさほどでもないのだ。しかし、事件そのものの構図と真相が驚くべきもので、あらためてマクロイのプロット作りの上手さ、語り&騙りの妙に酔わされる。
 とりわけ巧いなと思ったのは、終盤近くで事件関係者が再びパーティーに招待される場面である。関係者それぞれの反応を順番に描き、いかにもこの中に犯人がいるんですよと言わんばかりの演出で、確か似たような趣向は『あなたは誰?』にもあったような気がするが、ここはマクロイの自信と稚気の表れとも取れるだろう。
 傑作、とまではいかないが十分にオススメできる一作。


江戸川乱歩『明智小五郎事件簿 I 「D坂の殺人事件」「幽霊」「黒手組」「心理試験」「屋根裏の散歩者」』(集英社文庫)

 昨年は江戸川乱歩の没後五十年を記念して、テレビやアニメ、漫画、サイト、イベント等でいろいろな企画があったが、これも(一年遅れとはいえ)その一環だろう。集英社文庫からスタートした「明智小五郎事件簿」全十二巻の刊行である。
 乱歩が創出した日本で最も有名な探偵・明智小五郎が絡む全作品を、事件発生順にまとめたシリーズで、本書はその第一巻。明智登場第一作目の「D坂の殺人事件」を皮切りに、以下の五短編を収録している。

「D坂の殺人事件」
「幽霊」
「黒手組」
「心理試験」
「屋根裏の散歩者」

 明智小五郎事件簿I

 登場作品をすべて物語の発生した順番でまとめるという試みは、言うまでもなくシャーロキアンのひそみに倣ったもの。ちくま文庫『詳注版シャーロック・ホームズ全集』が、それを実践した全集として知られているが、本書はこれを明智小五郎でやってみたというわけである(ただし、あそこまで詳細な註釈はない)。

 なお、企画そのものは本邦初というわけではない。
 というのも本書で年代記を担当されている平山雄一氏は、もともとネット上で同様の記事を公開していたようだし、さらにはそれらがまとめ直されて、2009年に出た驚愕の明智研究本、住田忠久/編著『明智小五郎読本』(長崎出版)にも収録されている。
 とはいえ作品を実際に順番に読める形として出版してくれるのは、やはりありがたい。乱歩の全集はいくつか持っているので、今さら明智ものだけ集められてもなぁと最初は思ったのだが、年代学、つまりなぜこの作品がこの日付になったのかという推察が合わせて収録されているので、随時、並行して確認できるのはなかなか便利だ。
 まあ、コレを便利だと思う人が世の中に何人いるのかは置いといて(苦笑)。

 ただ、昨今はキャラクターで小説にアプローチするファンも少なくない、というか、むしろメインストリームかもしれないので、明智もののドラマやアニメ、漫画で興味を持った人が、この切り口なら小説も読んでくれる可能性は決して少なくないだろう。
  また、乱歩作品を久々に読み直すきっかけになった人もいるだろうし(管理人です)、それらの意味で、本書は出るべくして出た一冊なのかも知れない。

 あまりにメジャー作品が並ぶので今更な感じではあるが、一応は作品ごとのコメントも。
 明智デビュー作の「D坂の殺人事件」は書生風明智のキャラクター的な面白さもさることながら、二段構えの推理シーンが読みどころ。語り手の推理が真相でも、これはこれで面白かった気がする。
 「幽霊」はラストのサプライズが本書の形だと通用しないのはもったいないが、こればかりはさすがに仕方ないか。
 「黒手組」は暗号ネタだが、むしろ事件の構図に妙がある。
 「心理試験」は昔から好きな作品で、個人的には乱歩短編のベスト3に入れたい。この頃の明智の捜査や推理は人間の心理に着目することが多いが、これは何といってもその代表作。人間心理の盲点を描いた傑作で、探偵対犯人という構図がコンパクトながらガチッとはまっているところもお気に入りの理由の一つだ。
 「屋根裏の散歩者」もベスト3級。 「心理試験」と同様に、犯罪者の心理に着目した推理、探偵対犯人という構図も魅力的だが、加えて犯人役が徐々にエスカレートしていく倒叙ものとしても絶品である。

 全体的には猟奇風味を持たせつつも本格に寄っている作品が多く、初期作品の素晴らしさを手軽に堪能できる一冊といえる。


マックス・アフォード『百年祭の殺人』(論創海外ミステリ)

 オーストラリアのディクスン・カーと異名をとるマックス・アフォードの処女長編『百年祭の殺人』を読む。先ごろ、同じ論創海外ミステリから『静謐と闇』も出てしまったので、そろそろ消化どきかなということで。

 こんな話。マートン判事がアパートメントの一室で刺殺され、右耳が切り取られるという事件が起こる。
その猟奇的な犯行もさることながら、現場が密室であることもまた警察を悩ませた。捜査に当たったリード主席警視は若き数学者ジェフリー・ブラックバーンに捜査の協力を依頼するが、さらに第二の事件が発生。またしても密室殺人、またしても体の一部が切り取られているという状況に……。

 百年祭の殺人

 日本での長編初紹介は国書刊行会から〈世界探偵小説全集〉の一冊として刊行された『魔法人形』だが、ロジックを前面に押し出した作風で、オカルト趣味に彩られてはいるがカーよりははるかにスマートな印象を受けた。その分、アクも少ないというか、ミステリとしての弱さも感じたのだが、果たして本作はどうか。

 結論からいうと、これはなかなかの秀作である。著者のデビュー長編に当たるが、この時点で既に著者のスタイルはほぼ確立しており、しかもレベルが高い。
 ただ、スタイルが確立していると言っても、じつはカーと比べるのはやはりお門違いだろう。確かにホラー小説を想起させるようなプロローグ、本編での猟奇的犯罪&不可能趣味へのアプローチはなるほどカーの領域である。
 だが、それらはけっこう表面的な部分で、例えば密室を二種類も使ってはいるが、それは密室そのものの面白さではなく、フーダニットを際立たせるためのテクニックなのである。そういう密室がなぜ成立しなければいけなかったのか、それが解明される瞬間と真相が楽しいわけである。本書の解説ではそんな辺りを踏まえて、マックス・アフォードはカーよりもむしろクイーンに近いと書かれていたけれども、これには非常に同意である。

 もちろん密室だけではない。被害者の体が切断される意味、過去の事件など、いろいろキーになる要素はあるのだが、様々なロジックを積み重ね、最後にそれらすべての要素が繋がって合理的な解決が導き出されるこの快感。本作の魅力は正にその点にある。
 マックス・アフォードは本業が脚本家なので、おそらくミステリについては余技だと思うのだが、それだけに変にバランスを考えず、自分が思うミステリを真っ向から追求したからこそ生まれた作品なのではないだろうか。

 デビュー作ということもあって、少々謎解きミステリを追求しすぎ、あるいは詰め込みすぎの嫌いもないではない。それが中盤の展開のリズムの悪さ、説明不足の部分、シリーズ探偵の個性不足とかに表れているのが惜しい。
 まあ、本作の評価を貶めるようなものでもないし、今時クラシックでこのレベルの作品が楽しめるという事実が嬉しいではないか。これは『静謐と闇』も期待できそうだ。


光石介太郎『光石介太郎探偵小説選』(論創ミステリ叢書)

 論創ミステリ叢書から、本日は『光石介太郎探偵小説選』を読了。
 光石介太郎は戦前にミステリ、戦後は主に青砥一二郎名義で純文学の活動を続けた作家である。青砥一二郎名義による著書はあるようだが、光石介太郎としてミステリの著作がまとめられるのはこれが初めてだという。
 これは作品数が少ないのはもちろんだが、戦後になってミステリから純文学へ人知れず転向したため、一時期、完全に幻の作家となっていたことが大きい。
 雑誌『幻影城』で取り上げられたことがきっかけで、エッセイを寄稿するなど推理文壇に復帰する兆しもあったのだが、運悪く『幻影城』が廃刊になったことから再び姿を消してしまう。これが1970年代終わりのこと。
 そして、90年代に入り、『叢書「新青年」聞書抄』や鮎川哲也の『新・幻の探偵作家を求めて』などの取材が実り、ようやく光石介太郎の全容が明らかになったのだという。
 
 本作ではそんな光石介太郎のミステリ作品から純文学作品までを網羅している。収録作は以下のとおり。

「十八号室の殺人」
「霧の夜」
「綺譚六三四一」
「梟(ふくろ)」
「空間心中の顛末」
「皿山の異人屋敷」
「十字路へ来る男」
「魂の貞操帯」
「基督(キリスト)を盗め」
「類人鬼」
「秘めた写真」
「鳥人(リヒトホーフェン)誘拐」
「遺書綺譚」
「廃墟の山彦(エコオ)」
「ぶらんこ」
「豊作の頓死」
「大頭(だいもんじゃ)の放火」
「死体冷凍室」
「あるチャタレー事件」
「船とこうのとり」
「三番館の蒼蠅」

 光石介太郎探偵小説選

 ミステリ作家としても純文学作家としても成功したとは言えない光石介太郎だが、その作品の質は決して低くない。 
 ミステリにおいては専ら変格探偵小説寄りの作品だが、発想も悪くないし、何より文章がいい。この時代のミステリ作家にしては、という但し書きはつくけれども、適度な粘っこさや湿気があって、それが一風変わった世界観にマッチし、味わい自体は悪くない。

 惜しむらくはミステリとしてツメが甘いことが。ラストをまあまあのところでまとめてしまう妙な淡白さが気になるのである。変格とはいえ、いや逆に変格だからこそ、読者の胸に刺さるラストのインパクトも必要だと思うのだが、その点でアイディアを生かしきれていない印象である。
 実際、『新青年』でデビューした著者だが、本腰を入れた途端にボツをくらいまくったり、挙句には乱歩から純文学転向を勧められており、そういった弱点はミステリ作家としては致命的だったのではないか。

 ただ、純文学においてはオチやラストのインパクトをミステリほど求められるわけではないので、後期の純文学寄りの作品ほどバランスがよくなり、トータルでの出来は良いように感じた。
 個々の作品で幾つか好みをあげておくと、乱歩の影響をもろに受けたような「霧の夜」、「ブランコ」、「大頭(だいもんじゃ)の放火」あたりはまずまず。
 晩年に書かれたものだが、熱量の高さが気持ちよい 「三番館の蒼蠅」もおすすめ。
 「死体冷凍室」は犯罪小説が一気に猟奇的な物語へと変容する展開が見ものである。
 ううむ、全体的にグロい作品が多くなってしまったが(苦笑)、これぐらいでないと光石介太郎の良さは発揮できないのかもしれない。


松本清張『ゼロの焦点』(新潮文庫)

 松本清張の五作目の長編『ゼロの焦点』を読む。ン十年ぶりの再読となる。
 管理人は言うほど清張作品を読んできたわけではないが、そんな乏しい清張読書歴においても『ゼロの焦点』は別格。ミステリとしては『点と線』に軍配を上げたいが、単に好きな作品であれば、間違いなく『ゼロの焦点』である。
 まあ、管理人がわざわざプッシュしなくても、本作は過去、幾度も映画化やテレビ化された清張の代表作であり、清張自身もお気に入りの作品として知られている。

 さて、ストーリー。
 広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚をした板根禎子。憲一は石川県金沢市の北陸出張所に所属していたが、結婚を機に東京本社へ戻ることも決まり、仕事の引き継ぎのため、金沢へと出発した。しかし、予定を過ぎてもなぜか憲一は戻ってこない。
 やがて憲一の勤め先から、彼が北陸で行方不明になったという連絡が入る。彼女は兄夫婦や憲一の勤め先とも相談し、金沢へ向かうことにした。金沢で憲一の後任となった本多とともに、憲一の足取りを追う禎子だったが、やがてこれまで知らなかった夫の過去に直面することになる……。

 ゼロの焦点

 いやあ、上でも書いたとおり久々の再読なのだが、やはり『ゼロの焦点』はいい。
 本作の魅力は著者のメッセージ=テーマがストーリーとしてきっちり昇華されている点にある。主人公の禎子が失踪した夫の足取りを追う過程で、夫の隠された過去を知り、そこから戦後日本の抱える闇、その闇に囚われている人々の悲劇に触れていく。このストーリーラインが見事で、徐々に浮かび上がってくる真実が何とも切ない。
 犯人が分かりやすいとか、推理小説としては雑に済ませているという欠点もあるけれど(これは清張の悪い癖)、それを補って余りある豊かなドラマが素晴らしいのである。
 また、雑とは言ってもそれは本格ミステリの観点からであって、本作のスタイルはいわゆる巻き込まれ型のサスペンスに近く、そこまでケチをつけるのは野暮というもの。むしろ禎子の協力者が次々と死んでゆく展開など、読者をグイグ引っ張っていく力は大したものだ。

 主人公・禎子の設定もなかなか考えられている。
 失踪した夫を探す役どころながら、彼女にはそこまで悲劇のヒロインというイメージがない。ある程度金銭的には恵まれた生活をしているようだし、人妻ながら今なお無垢なイメージ、しかも今回の事件でも悲嘆にくれるというより、あくまで理性的、理知的に対処する様が描かれている。もちろん夫を探すヒロインの不安な心理は克明に描かれてはいるものの、事件に対しては意外なほど客観的に見つめているのが特徴的なのだ。
 これはおそらく本作の真の主人公が禎子ではないからである。
 極端なことを言えば、彼女は被害者の一人というより、ワトソンとホームズを兼ね備えた人物であり、狂言回しなのだ。真の主人公を明らかにし、際立たせるための役目として、禎子は成り立っているのである。ここに清張の巧さがある。

 なお、本作を気に入っている個人的な理由もあって、それは管理人にとってのご当地ミステリであるということ。舞台に出てくる石川県各所や東京の立川市など、ことごとく馴染みのあるところばかりで、”地元あるある”という楽しみができるのである。
 清張がしっかり取材して書いていることがうかがえ、そんなことを確認できたのも再読の収穫と言えるかもしれない。


小野純一/編著『盛林堂の謎めいた本棚』(書肆盛林堂)

 昨日の記事で少し触れたが、西荻窪の盛林堂さんで小冊子『盛林堂の謎めいた本棚』をいただいてきた。無料なのに表紙は4C、八十ページもあるという豪華版である。

 盛林堂の謎めいた本棚

刊行目録の部
寄稿エッセイの部
原画の部
掲載原画リスト
盛林堂の謎めいた本棚を振り返って

 以上が目次。「盛林堂ミステリアス文庫」の刊行目録以外に、関係者のエッセイと装丁に使われた原画を収録して、「盛林堂ミステリアス文庫」の軌跡をたどる記念冊子といった趣である。
 プロの作家まで寄稿しているところがさすがだが、実は一番驚いたのは、巻末に代表の小野純一氏が書いている今後の予定である。
 あまりにすごいのでちょっと作家名だけ羅列しておくと、倉田啓明、岩田賛、岩田準一、都筑道夫、横田順彌、松村みね子、森英俊・野村宏平、山田一夫、西条八十、加瀬義雄、平井功、岡田三郎、以上。
 内容は様々だが、どれもとてつもなく魅力的である。何とこれらがすべて既に始動中であり、しかもさらに驚いたことに、このうち半分近くが年内には出る予定だという。どんだけハイペース。これでは小さな出版社も顔負けである(苦笑)。

 ともあれ古書店「盛林堂書房」としても、出版部門「書肆盛林堂」としても期待する人は多いはず。本業に支障をきたさない程度に頑張っていただきたいものである。

ドロシイ・L・セイヤーズ『箱の中の書類』(ハヤカワミステリ)

 西荻窪の一箱古本市に会社の同僚が出店するというので冷やかしがてら出かけてみる。ちょうどチャサンポーも同日に行われており、駅前には西荻窪非公認ゆるキャラ”にしぞう”などもお出まししているなど、西荻窪なかなかの盛況である。
 肝心の一箱古本市だが、さすがにこちらが望むような掘り出し物などはなかったものの、人の古本をぶらぶらと眺めて歩くだけでも楽しく、久しぶりにゆったりした気分で古本版フリマを満喫。
 もちろんせっかく西荻窪に来たので、盛林堂や音羽館などの定番は当然のぞく。盛林堂さんではチャサンポーに合わせて小冊子『盛林堂の謎めいた本棚』を無料配布していたので、橘外男のカバ欠け本『私は前科者である』と鷲尾三郎『屍の記録』(新刊の方です、笑)を買って、そのついでにありがたくいただく。これ八十ページもあるのに、無料ってすごいね。
 ひと通り回った後は、駅前の天下寿司で昼酒&昼食して帰宅。


 さて本日の読了本は、ドロシー・L・セイヤーズの『箱の中の書類』。セイヤーズのほとんどの長編にはシリーズ探偵としてピーター・ウィムジイ卿が登場するが、本作は唯一のノンシリーズ作品である。

 まずはストーリー。電気技師のジョージ・ハリソンとその妻マーガレットが暮らす家に、二人の下宿人がやってきた。一人は若い画家のレイザム、もう一人はその友人の作家マンティングである。
 いち早く夫妻に気に入られたレイザムだが、いつしか水面下では人間関係がもつれ、あるとき家政婦がマンティングに襲われるという事件が起こる。マンティングはあえて弁解せず、下宿を離れるが、逆にそれが間違いの元であった……。

 箱の中の書類

 セイヤーズのノンシリーズ作品というだけでも珍しいが、むしろ注目したいのはほぼ全篇にわたり、書簡と供述書で構成したそのスタイルだろう。
 ただ、スタイルが珍しいからというのはあくまで表面的な話で、肝心なのはそのスタイルによって際立つ登場人物の姿である。それぞれがそれぞれの主観で語る、そのニュアンスの違い、ときには偏見が混じり、最悪、事実まで違ったりもするのだが、それが面白い。
 ハリソン夫妻と二人の下宿人はもちろんだが、前半を引っ張るハリソン家の家政婦アガサ・ミルサムの存在が特に良い。彼女の手紙が入ることで、上っ面の事実が実は迂闊に信用できないことが匂わされており、それが不穏な空気を高めて実に効果的なのである。
 後半は犯人の見当がほぼついてきて、本格ミステリとしてのサプライズにはやや欠けるところもあるが、逆に容疑者と思しき人物の描写が余計に際立ち、興味が切れることなくきっちり持続するのも見事である。

 唯一、惜しまれるのは、トリック部分がかなり専門的で、その説明も急に味気なくなっているところか。とはいえここさえ目をつぶれば本作は十分に楽しめる一作といえるだろう。実は重いテーマを描いているのに、全体的には軽い感じでまとめているのはさすがセイヤーズである。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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