Posted in 08 2006
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水谷準『殺人狂想曲』(春陽文庫)
ちくま文庫の短編集に続いて水谷準を読む。ものは春陽文庫の『殺人狂想曲』。
収録作は「殺人狂想曲」「闇に呼ぶ声」「瀕死の白鳥」の三作だが、ちくま文庫との恐ろしいほどの作風の違いに愕然としてしまった。犯罪心理やロマンティックな幻想小説とはほど遠く、どれもバリバリの通俗サスペンス。その場その場が面白ければそれでよしという感じで、強引なストーリー展開にはとにかく恐れ入った。あの『新青年』の名編集長として活躍した水谷準が、こういうものも書いていたのだという新鮮な感動(笑)。探偵小説好きなら、だまされたと思って一度は読んでおきたい。以下、各作品の感想。
「殺人狂想曲」はファントマものを翻案したものらしいが、これが珍品。ファントマを飜倒馬などと充てるのはまだよいとしても(いや、よくはないんだけど)、話を盛り上げるだけ盛り上げて、作者がひとまずペンをおくことにするとかいって、本当に途中で止めちゃうのである。いいのか、これで? ぜんっぜん話が終わってないんだけど。
「闇に呼ぶ声」もすごい。結婚の約束をした恋人を待たせ、主人公は東京に出稼ぎに出るのだが、途中で悪人に有り金を奪われたばかりか、頭を負傷して記憶喪失になる。世をはかなんだ主人公は、たまたま別の悪漢に助けられ、命じられるままに殺し屋として生きてゆく。果てはその悪漢に代わって組織のボスとなったり、世の中への復讐を思い立ったり……という大河ピカレスクロマンなのだが、作者は途中経過を思い切りすぎるぐらい思い切って省略し、強烈なエピソードで話をつないでゆく。しかも100ページあまりでこれをまとめてしまう力業。そしてこちらもラストは強烈。
「瀕死の白鳥」も一気呵成の怒濤の展開で、先を読むことはほぼ不可能。でも物語としては本書のなかで一番まとまっている。ただし、「殺人狂想曲」「闇に呼ぶ声」を読んだ後ではややインパクトに欠ける。
収録作は「殺人狂想曲」「闇に呼ぶ声」「瀕死の白鳥」の三作だが、ちくま文庫との恐ろしいほどの作風の違いに愕然としてしまった。犯罪心理やロマンティックな幻想小説とはほど遠く、どれもバリバリの通俗サスペンス。その場その場が面白ければそれでよしという感じで、強引なストーリー展開にはとにかく恐れ入った。あの『新青年』の名編集長として活躍した水谷準が、こういうものも書いていたのだという新鮮な感動(笑)。探偵小説好きなら、だまされたと思って一度は読んでおきたい。以下、各作品の感想。
「殺人狂想曲」はファントマものを翻案したものらしいが、これが珍品。ファントマを飜倒馬などと充てるのはまだよいとしても(いや、よくはないんだけど)、話を盛り上げるだけ盛り上げて、作者がひとまずペンをおくことにするとかいって、本当に途中で止めちゃうのである。いいのか、これで? ぜんっぜん話が終わってないんだけど。
「闇に呼ぶ声」もすごい。結婚の約束をした恋人を待たせ、主人公は東京に出稼ぎに出るのだが、途中で悪人に有り金を奪われたばかりか、頭を負傷して記憶喪失になる。世をはかなんだ主人公は、たまたま別の悪漢に助けられ、命じられるままに殺し屋として生きてゆく。果てはその悪漢に代わって組織のボスとなったり、世の中への復讐を思い立ったり……という大河ピカレスクロマンなのだが、作者は途中経過を思い切りすぎるぐらい思い切って省略し、強烈なエピソードで話をつないでゆく。しかも100ページあまりでこれをまとめてしまう力業。そしてこちらもラストは強烈。
「瀕死の白鳥」も一気呵成の怒濤の展開で、先を読むことはほぼ不可能。でも物語としては本書のなかで一番まとまっている。ただし、「殺人狂想曲」「闇に呼ぶ声」を読んだ後ではややインパクトに欠ける。
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ダーク・ファンタジー・コレクション
携帯の機種を変更する。目的はフルブラウザの搭載機なので、現在ではauが一番向いているのだが、諸々の事情でFOMAに。購入後、さっそくauを持っている知人とインターネット周りについて比べてみたが、機能やスピードではやはりauに一日の長あり。わかっちゃいたが、少しがっかり(苦笑)。だが、今までmovaを使っていたこともあり、さすがに基本性能や機能全般の充実ぶりには目を見張るものがある。普段はあまり携帯などに興味がない口なのだけれど、いやオタク心を刺激しますな。
ミステリマガジンで論創社の広告を見て息をのむ。なんと今度は「ダーク・ファンタジー・コレクション」と銘打って、短編集シリーズを刊行するらしい。また財布の紐が……という心配をしていると、一発目がリチャード・マシスンとフィリップ・K・ディックということなので、確かにファンタジー、SF系の作家。これなら河出書房新社と同様、守備範囲とは少し外れるかと一安心したのも束の間、今後の予定をみると、何とアントニー・バウチャーやヘンリー・スレッサー等の名前が見えるではないか。こらこら、その辺は論創海外ミステリに入れれば十分ではないか。なぜにこんなまとめ方をする? ああ、結局、このシリーズも全部買う羽目になるのだろうか。
ミステリマガジンで論創社の広告を見て息をのむ。なんと今度は「ダーク・ファンタジー・コレクション」と銘打って、短編集シリーズを刊行するらしい。また財布の紐が……という心配をしていると、一発目がリチャード・マシスンとフィリップ・K・ディックということなので、確かにファンタジー、SF系の作家。これなら河出書房新社と同様、守備範囲とは少し外れるかと一安心したのも束の間、今後の予定をみると、何とアントニー・バウチャーやヘンリー・スレッサー等の名前が見えるではないか。こらこら、その辺は論創海外ミステリに入れれば十分ではないか。なぜにこんなまとめ方をする? ああ、結局、このシリーズも全部買う羽目になるのだろうか。
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水谷準『怪奇探偵小説名作選3 水谷準集 お・それ・みを』(ちくま文庫)
土曜に福島~草津旅行より帰宅。途中で軽井沢によって、あの古書店をひやかすも大した出物はなし。期待していたのになあ。日曜は一日中、運転疲れでぐったり。
休み明けの月曜はまだ旅行の疲れがとれておらず、少々体も重い。だが気合いの5時起きで京都日帰り出張に出発。往きの車中では爆睡するも、帰りはなんとか水谷準の短編集を読み終える。日下三蔵編集による『怪奇探偵小説名作選3 水谷準集 お・それ・みを』である。
本書は大きく二部で構成されている。第一部は戦前の作品から採られた怪奇幻想趣味にあふれる探偵小説が中心。そして第二部は戦後の作品で、著者の興味は犯罪者や被害者の心理を描くことに移っていく。
第一部
「好敵手」
「孤児」
「蝋燭」
「崖の上」
「月光の部屋」
「恋人を喰べる話」
「街の抱擁」
「お・それ・みを」
「空で唄う男の話」
「追いかけられた男の話」
「七つの閨」
「夢男」
「蜘蛛」
「酒壜の中の手記」
「手」
「胡桃園の青白き番人」
「司馬家崩壊」
「屋根裏の亡霊」
第二部
「R夫人の横顔」
「カナカナ姫」
「金箔師」
「窓は敲かれず」
「今宵一夜を」
「東方のヴィーナス」
「ある決闘」
「悪魔の誕生」
「魔女マレーザ」
「まがまがしい心」
なるほど、戦後の作品も悪くはないが、やはり著者の本領は、幻想的でロマンティックな探偵小説にあるというのを実感。アンソロジーでの定番ともいえる「好敵手」「恋人を喰べる話」「お・それ・みを」「空で唄う男の話」などがやはり印象に残るが、「街の抱擁」もなかなかおしゃれな都市伝説風の話で気に入った。戦後の作品では「まがまがしい心」のラストがぶっとんでいて要注目である。
なお、水谷準はこのほかユーモア作家という面も併せ持っているが、そちらの作風のものはほとんど収録されていないのがちょっと残念。まあ、本書はなんせ「怪奇探偵小説名作選」であるのでこれは致し方ないところか。
休み明けの月曜はまだ旅行の疲れがとれておらず、少々体も重い。だが気合いの5時起きで京都日帰り出張に出発。往きの車中では爆睡するも、帰りはなんとか水谷準の短編集を読み終える。日下三蔵編集による『怪奇探偵小説名作選3 水谷準集 お・それ・みを』である。
本書は大きく二部で構成されている。第一部は戦前の作品から採られた怪奇幻想趣味にあふれる探偵小説が中心。そして第二部は戦後の作品で、著者の興味は犯罪者や被害者の心理を描くことに移っていく。
第一部
「好敵手」
「孤児」
「蝋燭」
「崖の上」
「月光の部屋」
「恋人を喰べる話」
「街の抱擁」
「お・それ・みを」
「空で唄う男の話」
「追いかけられた男の話」
「七つの閨」
「夢男」
「蜘蛛」
「酒壜の中の手記」
「手」
「胡桃園の青白き番人」
「司馬家崩壊」
「屋根裏の亡霊」
第二部
「R夫人の横顔」
「カナカナ姫」
「金箔師」
「窓は敲かれず」
「今宵一夜を」
「東方のヴィーナス」
「ある決闘」
「悪魔の誕生」
「魔女マレーザ」
「まがまがしい心」
なるほど、戦後の作品も悪くはないが、やはり著者の本領は、幻想的でロマンティックな探偵小説にあるというのを実感。アンソロジーでの定番ともいえる「好敵手」「恋人を喰べる話」「お・それ・みを」「空で唄う男の話」などがやはり印象に残るが、「街の抱擁」もなかなかおしゃれな都市伝説風の話で気に入った。戦後の作品では「まがまがしい心」のラストがぶっとんでいて要注目である。
なお、水谷準はこのほかユーモア作家という面も併せ持っているが、そちらの作風のものはほとんど収録されていないのがちょっと残念。まあ、本書はなんせ「怪奇探偵小説名作選」であるのでこれは致し方ないところか。
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仁木悦子『林の中の家』(講談社文庫)
本日より夏期休暇をとる。明日からは温泉に行く予定だが、本日はフリー。ということで渋谷の東急で行われている古書市最終日をのぞいてきたが……見事に欲しい本がない。やっぱり最終日じゃだめだ。
読了本は仁木悦子の『林の中の家』。仁木兄妹ものの第二長編である。
欧州旅行中の水原夫妻から屋敷の留守とサボテンの世話を頼まれた仁木雄太郎と悦子の兄妹。そんなある日のこと、彼らの家に女から奇妙な電話がかかるが、途中で女の悲鳴とともに電話は切れてしまう。「林の中の……」というわずかな情報から電話の家を突き止めた二人だが、なんとそこで女の死体を発見してしまう……。
『猫は知っていた』以上にゲーム性が強い作品である。しっかりした構成、緻密なまでに張り巡らされた伏線。それでいてマニアではなく一般読者を見据えた世界観。戦後、松本清張とともに一時代を築いたことも十分納得できる出来。
もったいないのは事件が地味すぎることか。基本的にドメスティックな設定の多い仁木悦子の作品だが、仁木兄妹ものはとりわけその傾向が強い。普通だからこそここまで成功したのも事実が、個人的にはちょっと味が薄すぎるのだ。全般的にもう少しだけ香辛料を効かせてくれると嬉しいのだが。
読了本は仁木悦子の『林の中の家』。仁木兄妹ものの第二長編である。
欧州旅行中の水原夫妻から屋敷の留守とサボテンの世話を頼まれた仁木雄太郎と悦子の兄妹。そんなある日のこと、彼らの家に女から奇妙な電話がかかるが、途中で女の悲鳴とともに電話は切れてしまう。「林の中の……」というわずかな情報から電話の家を突き止めた二人だが、なんとそこで女の死体を発見してしまう……。
『猫は知っていた』以上にゲーム性が強い作品である。しっかりした構成、緻密なまでに張り巡らされた伏線。それでいてマニアではなく一般読者を見据えた世界観。戦後、松本清張とともに一時代を築いたことも十分納得できる出来。
もったいないのは事件が地味すぎることか。基本的にドメスティックな設定の多い仁木悦子の作品だが、仁木兄妹ものはとりわけその傾向が強い。普通だからこそここまで成功したのも事実が、個人的にはちょっと味が薄すぎるのだ。全般的にもう少しだけ香辛料を効かせてくれると嬉しいのだが。
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ジム・トンプスン『取るに足りない殺人』(扶桑社)
ジム・トンプスンの『取るに足りない殺人』を読む。トンプスンも好きな作家で、再評価されて着実に翻訳が続いているのは誠に喜ばしい限り。まだ『鬼警部アイアンサイド』や『失われた男』も未読なので、大事に読まなければ。
主人公のジョー・ウィルモットはある田舎町の映画館オーナー。過去に傷を持つ身ではあったが、結婚した妻の経営していた映画館を引き継ぐや、持ち前の切れる頭を頼りにビジネスを伸ばしてきた。だが、その手口は犯罪まがいのことも多く、自然と敵も増えてきている。そんなジョーの前に、妻のエリザベスがキャロルという家政婦を連れてきた。不細工な女性ながら、なぜかジョーはキャロルと関係をもってしまい、それはたちまちエリザベスの知るところとなった。一方、巨大映画館グループが、ジョーの映画館を潰しにかかる動きを見せはじめていた。公私ともども追いつめられていくジョーが、起死回生に放った作戦とは?
犯罪者が堕ちるべくして堕ちてゆくパターンは同じだが、いつもの破天荒な感じが影を潜め、意外にしっかり物語が構成されている印象。解説によると本書はトンプスンが乱作期に入る前に発表された小説であり、心の余裕がそうさせた、という説明がなされている。
通常と逆のような気もしないではないが、トンプスンの場合は乱作によって花開いた部分が大きいので、どっちがいいとは一概にいえないのが難しいところだ。確かにキャラクターの造形はすでに高いレベルにあるし、後の作品に見られる無常観や不条理な要素もふんだんに盛り込まれているが、『内なる殺人者』や『ポップ1280』のような独特の緊張感には及ばない。人の好みも出るだろうが、どちらがトンプソンらしいかと言えば、やはり後者だろう。
ある意味、トンプスンの入門書として、本書は最適なのかもしれない。
主人公のジョー・ウィルモットはある田舎町の映画館オーナー。過去に傷を持つ身ではあったが、結婚した妻の経営していた映画館を引き継ぐや、持ち前の切れる頭を頼りにビジネスを伸ばしてきた。だが、その手口は犯罪まがいのことも多く、自然と敵も増えてきている。そんなジョーの前に、妻のエリザベスがキャロルという家政婦を連れてきた。不細工な女性ながら、なぜかジョーはキャロルと関係をもってしまい、それはたちまちエリザベスの知るところとなった。一方、巨大映画館グループが、ジョーの映画館を潰しにかかる動きを見せはじめていた。公私ともども追いつめられていくジョーが、起死回生に放った作戦とは?
犯罪者が堕ちるべくして堕ちてゆくパターンは同じだが、いつもの破天荒な感じが影を潜め、意外にしっかり物語が構成されている印象。解説によると本書はトンプスンが乱作期に入る前に発表された小説であり、心の余裕がそうさせた、という説明がなされている。
通常と逆のような気もしないではないが、トンプスンの場合は乱作によって花開いた部分が大きいので、どっちがいいとは一概にいえないのが難しいところだ。確かにキャラクターの造形はすでに高いレベルにあるし、後の作品に見られる無常観や不条理な要素もふんだんに盛り込まれているが、『内なる殺人者』や『ポップ1280』のような独特の緊張感には及ばない。人の好みも出るだろうが、どちらがトンプソンらしいかと言えば、やはり後者だろう。
ある意味、トンプスンの入門書として、本書は最適なのかもしれない。
特に予定はなかったが、あまりの好天に目的もなくドライブへ。車中で適当に考え、本日は名栗湖方面へと向かうことに決定。まあ、名栗湖なんて書いても多摩地区の人間ぐらいしか知らないだろうが、これは有間ダムでできた人造湖で周囲約5kmとほどよい大きさ。上流下流にある有間川や入間川には休憩所などがちらほらあり、バーベキューや川遊び、釣りなどに戯れるファミリーで賑わっている。まあ遠方からわざわざ訪れるほどでもないが、むちゃ混みというほどでもないので、近場の人にはいい遊び場である。穴場っちゃ穴場か。景色を愛でたり愛犬と川で遊んだあとは、山菜そばなどを食して帰宅。疲れて本は読めず。
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大下宇陀児『烙印』(国書刊行会)
大下宇陀児の傑作集『烙印』を読む。宇陀児といえば戦前戦後に渡って活躍した、江戸川乱歩、甲賀三郎と並ぶ探偵小説界の大御所。本格としてそれほどの実績は残していないが、その作品の多様さ、心理描写、語り口の巧さなどは、今読んでも十分に楽しめる。特にアイデアに応じて、さまざまな設定やプロットを使い分ける腕前はさすがである。
本書でも子供の視点から毒殺事件を描いた「毒」、犬によって事件が二転三転する「灰人」、書簡体を駆使して描かれた「偽悪病患者」(個人的には本書のベスト)、コン・ゲームを扱った「金色の獏」、ホラー・ファンタジーとでもいうべき「魔法街」など、とにかく飽きさせない。
ちなみに大下宇陀児の現役本は、本書の他に春陽文庫『金色藻』や双葉文庫の『石の下の記録』など、三、四冊というところだろう。日本の探偵小説の歴史から見ても、さらにはその著作数を考えても、もう少し大下宇陀児が読める状況があってもいいはず。残念なことだ。
「烙印」
「爪」
「毒」
「灰人」
「偽悪病患者」
「金色の獏」
「魔法街」
「不思議な母」
「蛍」
本書でも子供の視点から毒殺事件を描いた「毒」、犬によって事件が二転三転する「灰人」、書簡体を駆使して描かれた「偽悪病患者」(個人的には本書のベスト)、コン・ゲームを扱った「金色の獏」、ホラー・ファンタジーとでもいうべき「魔法街」など、とにかく飽きさせない。
ちなみに大下宇陀児の現役本は、本書の他に春陽文庫『金色藻』や双葉文庫の『石の下の記録』など、三、四冊というところだろう。日本の探偵小説の歴史から見ても、さらにはその著作数を考えても、もう少し大下宇陀児が読める状況があってもいいはず。残念なことだ。
「烙印」
「爪」
「毒」
「灰人」
「偽悪病患者」
「金色の獏」
「魔法街」
「不思議な母」
「蛍」
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ヒュー・ペンティコースト『灼熱のテロリズム』(論創海外ミステリ)
論創海外ミステリはいつのまにか当初のごった煮B級感が影を潜め、本格系クラシック一色に染まりつつある。それはそれで悪いことではないが、クラシックは他社でも十分やっているのだし、もう少し犯罪小説やハードボイルドも取り上げてほしいのだが。
本日読んだ『灼熱のテロリズム』は、そんな本格系クラシックが多勢を占めつつある中で刊行された、数少ないハードボイルド系クラシックである(『 魔王の栄光』というとっておきもあるが、それはまた後日)。
「金曜日までに金を支払わなければ、グランドセントラル駅を爆破する」
ニューヨーク市長のもとに届いた脅迫状の差出人は「ブラックパワー」。人種的平等を訴えると言えば聞こえはいいが、手段を選ばぬ過激派黒人運動団体でもある。だが問題は駅の破壊だけではなかった。この事件が黒人の仕業だとすれば、過激な愛国団体の白人たちもまた手を挙げることは必至。おそらくはアメリカ全土に人種間の抗争が勃発することは間違いない。新聞コラムニストのピーター・スタイルスは、ある黒人の殺人事件をきっかけに、この未曾有のテロ事件に関わることになったが……。
おお、なかなか良いではないか。駅爆破のタイムリミットによるサスペンス、人種間の抗争による緊張感など、とにかく全編を通して流れるピリピリした雰囲気が心地よい。
加えて主人公のピーターや検事長のマーシャル、黒人運動団体のボスなど、印象に残る人物も多い。利害立場の反する男たちが、それぞれの強い信念をもってぶつかり合う。背負っているものが大きいからこそ、自分の主義主張は譲れない。だがやがてはお互いがお互いの心に何かを残し、認め合う瞬間が生まれるのだ。映画などにしたら、さぞや映えるシーンが多かろう。
唯一気になったのは、ヒロイン役の存在。途中で唐突に登場してきて重要な役どころを振られるのだが、大した説明がないために、なぜ彼女がそんなに重要な存在なのかイマイチ納得できない。おそらくは彼女もシリーズキャラクターの一人で、作者が説明不要と判断したのだろうが……。その点が残念。
本日読んだ『灼熱のテロリズム』は、そんな本格系クラシックが多勢を占めつつある中で刊行された、数少ないハードボイルド系クラシックである(『 魔王の栄光』というとっておきもあるが、それはまた後日)。
「金曜日までに金を支払わなければ、グランドセントラル駅を爆破する」
ニューヨーク市長のもとに届いた脅迫状の差出人は「ブラックパワー」。人種的平等を訴えると言えば聞こえはいいが、手段を選ばぬ過激派黒人運動団体でもある。だが問題は駅の破壊だけではなかった。この事件が黒人の仕業だとすれば、過激な愛国団体の白人たちもまた手を挙げることは必至。おそらくはアメリカ全土に人種間の抗争が勃発することは間違いない。新聞コラムニストのピーター・スタイルスは、ある黒人の殺人事件をきっかけに、この未曾有のテロ事件に関わることになったが……。
おお、なかなか良いではないか。駅爆破のタイムリミットによるサスペンス、人種間の抗争による緊張感など、とにかく全編を通して流れるピリピリした雰囲気が心地よい。
加えて主人公のピーターや検事長のマーシャル、黒人運動団体のボスなど、印象に残る人物も多い。利害立場の反する男たちが、それぞれの強い信念をもってぶつかり合う。背負っているものが大きいからこそ、自分の主義主張は譲れない。だがやがてはお互いがお互いの心に何かを残し、認め合う瞬間が生まれるのだ。映画などにしたら、さぞや映えるシーンが多かろう。
唯一気になったのは、ヒロイン役の存在。途中で唐突に登場してきて重要な役どころを振られるのだが、大した説明がないために、なぜ彼女がそんなに重要な存在なのかイマイチ納得できない。おそらくは彼女もシリーズキャラクターの一人で、作者が説明不要と判断したのだろうが……。その点が残念。
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仁木悦子『猫は知っていた』(講談社文庫)
出版芸術社から続々と出る仁木悦子の作品集に刺激を受けて、この際仁木兄妹ものも全部順に読んでしまおうと思い立つ。ただ、長編全集はまだ買っていないので、ずいぶん昔に買った講談社文庫版を引っ張り出す。でも出版芸術社版には自筆年譜だとか自伝小説などがおまけに収録されているので、結局はそっちも買うんだろうけど。
まあ、そんなわけで、実に久々の『猫は知っていた』再読。
友人の世話で、箱崎医院に間借りすることになった仁木雄太郎と悦子の兄妹。ところが引っ越し早々に、入院患者と院長の義母が立て続けに失踪するという事件が起こる。しかも箱崎家の愛猫までが行方不明になるというおまけつき。謎が謎を呼び、そして遂に、義母が死体となって庭の防空壕から発見された……。
本書が刊行されたのは昭和32年。今呼んでもそれほど古くささを感じさせず、むしろ溌剌とした印象を受けるほどだ。その大きな要因は、著者の文体とキャラクター設定にある。シンプルで読みやすいだけなら、他にも書き手はいただろうが、親しみやすい兄妹キャラクターを主役に据えたことは、当時としては画期的(ちょと大げさ?)ではなかったか。とりわけ語り手を女子大生においたところに著者の上手さがある(ただし、個人的には、あまりに爽やかなキャラクター設定がちょっと苦手でもあるのだが)。
もちろん読みやすさやキャラクターだけが本書の売りではない。ミステリとして必要な謎と論理をしっかり押さえているからこその古典である。とはいえ、本書ではそれほど大仕掛けなトリックが使われているわけではない。しかし伏線の張り方や病院の見取り図、兄妹の推理合戦、連続殺人や謎解きの演出など、ミステリファンをにやりとさせる技法や趣向を山ほど詰め込み、あくまで本格探偵小説たらんとするその姿勢が心地よい。
本格探偵小説としてのしっかりした骨格を備えながら、語り口はあくまで爽やかに。これが仁木悦子の神髄。
まあ、そんなわけで、実に久々の『猫は知っていた』再読。
友人の世話で、箱崎医院に間借りすることになった仁木雄太郎と悦子の兄妹。ところが引っ越し早々に、入院患者と院長の義母が立て続けに失踪するという事件が起こる。しかも箱崎家の愛猫までが行方不明になるというおまけつき。謎が謎を呼び、そして遂に、義母が死体となって庭の防空壕から発見された……。
本書が刊行されたのは昭和32年。今呼んでもそれほど古くささを感じさせず、むしろ溌剌とした印象を受けるほどだ。その大きな要因は、著者の文体とキャラクター設定にある。シンプルで読みやすいだけなら、他にも書き手はいただろうが、親しみやすい兄妹キャラクターを主役に据えたことは、当時としては画期的(ちょと大げさ?)ではなかったか。とりわけ語り手を女子大生においたところに著者の上手さがある(ただし、個人的には、あまりに爽やかなキャラクター設定がちょっと苦手でもあるのだが)。
もちろん読みやすさやキャラクターだけが本書の売りではない。ミステリとして必要な謎と論理をしっかり押さえているからこその古典である。とはいえ、本書ではそれほど大仕掛けなトリックが使われているわけではない。しかし伏線の張り方や病院の見取り図、兄妹の推理合戦、連続殺人や謎解きの演出など、ミステリファンをにやりとさせる技法や趣向を山ほど詰め込み、あくまで本格探偵小説たらんとするその姿勢が心地よい。
本格探偵小説としてのしっかりした骨格を備えながら、語り口はあくまで爽やかに。これが仁木悦子の神髄。
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ROM126号とコナン・ドイル全集
ROM126号やらコナン・ドイル全集が届く。どちらも労作であり、その恩恵を受ける身としては、早々に代金や会費ぐらいは支払わないと申し訳が立たぬ。
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宇能鴻一郎『べろべろの、母ちゃんは……』(出版芸術社)
土曜から日曜にかけて『X-MEN』と『X-MEN2』を立て続けに見てみたが、さすがに食傷気味。これはアメコミの問題というよりハリウッドの特撮アクションに飽きてきたのだろうな。決してこういうのは嫌いじゃないのだが、もはやちょっとやそっとの特撮やCGでは誰も驚かないだろうし、せめてその絵をクライマックスに生かすための、巧い伏線を張ってほしい。お話自体はシンプルな人種差別テーマで、政府のミュータント対策が極端なのがまた時代錯誤というか……。
読了本は宇能鴻一郎の『べろべろの母ちゃんは……』。出版芸術社の「ふしぎ文学館」のシリーズだが、これが出たときはさすがにびっくりした。いや、確かに言われてみれば、宇能鴻一郎の一時期の作品は、非常に「ふしぎ文学館」向きの作品揃いなのだ。
今でこそ「わたし~しちゃったんです」文体のポルノ作家として有名になった宇能鴻一郎だが、もともと芥川賞を受賞した純文学作家である。そして、純文学からポルノに至る過程として、性愛のいろいろな形を作品で追求し、発表していた時期がある。その時期の作品にスポットをあて、代表作を集めたものが本書だ。
しかし、まとめて読むと、これがまた実に濃い。
端的に言うと、人はどこまで愛に生きることができるのか、その極限を描いた作品ばかりである。SMや同性愛、フェチシズム、果てはカニバリズムに至るまで、その愛の形はさまざま。だが、どれもこれも行くところまで行っているので昇華した感すらある。ただの性愛小説に終わらない作品の数々からは、「変格」や「不健全派」と呼ばれたかつての探偵小説と共通する匂いがある。読者はただただ悪夢に飲み込まれてゆけばよい。
正直、万人にお勧めできる本ではないが、宇能鴻一郎という幻想作家、猟奇作家を知るための手段としては、この上ない一冊になろう。
「地獄の愛」
「柘榴」
「花魁小桜の足」
「菜人記」
「わが初恋の阿部お定」
「狩猟小屋夜ばなし」
「美女降霊」
「べろべろの、母ちゃんは……」
「お菓子の家の魔女」
「リソペディオンの呪い」
読了本は宇能鴻一郎の『べろべろの母ちゃんは……』。出版芸術社の「ふしぎ文学館」のシリーズだが、これが出たときはさすがにびっくりした。いや、確かに言われてみれば、宇能鴻一郎の一時期の作品は、非常に「ふしぎ文学館」向きの作品揃いなのだ。
今でこそ「わたし~しちゃったんです」文体のポルノ作家として有名になった宇能鴻一郎だが、もともと芥川賞を受賞した純文学作家である。そして、純文学からポルノに至る過程として、性愛のいろいろな形を作品で追求し、発表していた時期がある。その時期の作品にスポットをあて、代表作を集めたものが本書だ。
しかし、まとめて読むと、これがまた実に濃い。
端的に言うと、人はどこまで愛に生きることができるのか、その極限を描いた作品ばかりである。SMや同性愛、フェチシズム、果てはカニバリズムに至るまで、その愛の形はさまざま。だが、どれもこれも行くところまで行っているので昇華した感すらある。ただの性愛小説に終わらない作品の数々からは、「変格」や「不健全派」と呼ばれたかつての探偵小説と共通する匂いがある。読者はただただ悪夢に飲み込まれてゆけばよい。
正直、万人にお勧めできる本ではないが、宇能鴻一郎という幻想作家、猟奇作家を知るための手段としては、この上ない一冊になろう。
「地獄の愛」
「柘榴」
「花魁小桜の足」
「菜人記」
「わが初恋の阿部お定」
「狩猟小屋夜ばなし」
「美女降霊」
「べろべろの、母ちゃんは……」
「お菓子の家の魔女」
「リソペディオンの呪い」
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横溝正史『聖女の首』(出版芸術社)
横溝正史探偵小説コレクションの掉尾を飾る『聖女の首』を読む。
「金襴護符」
「海の一族」
「ナミ子さん一家」
「剣の系図」
「竹槍」
「聖女の首」
「車井戸は何故軋る」
「悪霊」
「人面瘡」
「肖像画」
「黄金の花びら」
上から五作が戦時中のノンシリーズもの、次の五作が戦後に発表されたもので、金田一シリーズの原型になった作品。最後の一作はジュヴナイルの金田一ものという構成。戦時中の作品では、ミエミエながらも「ナミ子さん一家」が良い感じ。これって松竹新喜劇のパターンだよなぁ(笑)。
戦後のものは、金田一作品として一度は読んでいるはずなのに、あまり内容を覚えていないおかげでどれも大変楽しめる。やはり謎解きという観点で見ると、戦後作品の方が明らかに一枚上であろう。「車井戸は何故軋る」は短いながらも当時の長篇に負けないぐらいの密度があり、好きな作品である。
「金襴護符」
「海の一族」
「ナミ子さん一家」
「剣の系図」
「竹槍」
「聖女の首」
「車井戸は何故軋る」
「悪霊」
「人面瘡」
「肖像画」
「黄金の花びら」
上から五作が戦時中のノンシリーズもの、次の五作が戦後に発表されたもので、金田一シリーズの原型になった作品。最後の一作はジュヴナイルの金田一ものという構成。戦時中の作品では、ミエミエながらも「ナミ子さん一家」が良い感じ。これって松竹新喜劇のパターンだよなぁ(笑)。
戦後のものは、金田一作品として一度は読んでいるはずなのに、あまり内容を覚えていないおかげでどれも大変楽しめる。やはり謎解きという観点で見ると、戦後作品の方が明らかに一枚上であろう。「車井戸は何故軋る」は短いながらも当時の長篇に負けないぐらいの密度があり、好きな作品である。
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マイケル・ギルバート『愚者は怖れず』(論創海外ミステリ)
マイケル・ギルバートの『愚者は怖れず』読了。
とある中学校の校長、ウェザロールは大変に正義感の強い男だが、同時に好奇心の強い男でもある。要は身の回りに起こった出来事に口を出さずにはいられない性格なのだが、とうとうそれが災いし、ウェザロールはとんでもない大事件に巻き込まれる羽目になる……。
ミステリーとしてはそれほど評価できる作品ではない。主人公の推理と行動は、それほど理にかなったものでもなく、どちらかというと騎士道精神や正義感によって衝動的に行動したりするため、成り行きによるところが大きい。事件が大規模なだけに、主人公の活躍がよけいに感じられるほどだ。
もちろん作者にしてみればそんなことは百も承知なのだろう。明らかに本書の肝は、このドン・キホーテ的な主人公を通じて、正義や社会の在り方を問うことにある。だが、メッセージ性の強さと、エンターテインメントとの両立は可能なわけで、昨日読んだばかりのポール・ギャリコ『恐怖の審問』などはもっとスマートにそれを実現していたように思う。そんなわけで本書は物足りなさばかりが後に残ってしまった。残念。
とある中学校の校長、ウェザロールは大変に正義感の強い男だが、同時に好奇心の強い男でもある。要は身の回りに起こった出来事に口を出さずにはいられない性格なのだが、とうとうそれが災いし、ウェザロールはとんでもない大事件に巻き込まれる羽目になる……。
ミステリーとしてはそれほど評価できる作品ではない。主人公の推理と行動は、それほど理にかなったものでもなく、どちらかというと騎士道精神や正義感によって衝動的に行動したりするため、成り行きによるところが大きい。事件が大規模なだけに、主人公の活躍がよけいに感じられるほどだ。
もちろん作者にしてみればそんなことは百も承知なのだろう。明らかに本書の肝は、このドン・キホーテ的な主人公を通じて、正義や社会の在り方を問うことにある。だが、メッセージ性の強さと、エンターテインメントとの両立は可能なわけで、昨日読んだばかりのポール・ギャリコ『恐怖の審問』などはもっとスマートにそれを実現していたように思う。そんなわけで本書は物足りなさばかりが後に残ってしまった。残念。
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ポール・ギャリコ『恐怖の審問』(新樹社)
あれほどしつこかった梅雨がいきなり明け、ようやく夏に突入した模様。暑いのは苦手だが、湿度が低くなるのはありがたい。少しは読書もはかどるか?
読了本はポール・ギャリコの『恐怖の審問』。
無鉄砲だが、野心に燃え、正義感にあふれた凄腕のアメリカ人新聞記者。彼は「鉄のカーテン」の向こうに潜入を果たすべく、ウィーンへ渡る。目的は無実の人間に罪を自白させるという、恐るべき共産主義国家の法廷の内幕を暴くことだ。潜入はうまくいったかに見えたが……。
ジャンルとしてはスパイ小説といえるのか。形としては共産主義国家の恐ろしさ、洗脳の恐怖というものが前面に出ており、エンターテインメントとしてはまず申し分のないところだろう。だが、そこはギャリコ。単なる娯楽物語に終わらせず、強烈なヒューマニズムを打ち出すことによって、ストーリーとは異なる次元で読者に宿題を課している感じだ。このほろ苦い結末にしばし息がつまる思いである。
なお、本作と同じ年に『雪のひとひら』も発表されている。一見するとまったくテイストの異なる両作品だが、根底に流れる本質は、案外同じところにある。『雪のひとひら』系統のギャリコしか読んだことのない人には、ぜひとも本作をお勧めする次第。
読了本はポール・ギャリコの『恐怖の審問』。
無鉄砲だが、野心に燃え、正義感にあふれた凄腕のアメリカ人新聞記者。彼は「鉄のカーテン」の向こうに潜入を果たすべく、ウィーンへ渡る。目的は無実の人間に罪を自白させるという、恐るべき共産主義国家の法廷の内幕を暴くことだ。潜入はうまくいったかに見えたが……。
ジャンルとしてはスパイ小説といえるのか。形としては共産主義国家の恐ろしさ、洗脳の恐怖というものが前面に出ており、エンターテインメントとしてはまず申し分のないところだろう。だが、そこはギャリコ。単なる娯楽物語に終わらせず、強烈なヒューマニズムを打ち出すことによって、ストーリーとは異なる次元で読者に宿題を課している感じだ。このほろ苦い結末にしばし息がつまる思いである。
なお、本作と同じ年に『雪のひとひら』も発表されている。一見するとまったくテイストの異なる両作品だが、根底に流れる本質は、案外同じところにある。『雪のひとひら』系統のギャリコしか読んだことのない人には、ぜひとも本作をお勧めする次第。