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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 07 2009

廣野由美子『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』(岩波新書)

 岩波新書からミステリの評論が出るとは驚きである。廣野由美子の『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』がそれ。少し前には文庫でも久生十蘭が出たし、その前には乱歩も出ているし。いったい岩波で何が起こっている(笑)?

 ミステリーの人間学

 まあ冗談はおいといて、『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』の感想など。
 本書は、英国の古典探偵小説の系譜を辿りながら、そこでどのように人間学的なアプローチがなされてきたかを検証・考察するといった内容である。つまり探偵小説ではどんなふうに人間が描かれているのか、探偵小説ならではの人間の描き方ってあるのか、ということ。
 その前提として、あらゆる文学はミステリ的要素を内包していること、また、ミステリが小説の一形式である以上あらゆるミステリは人間を描いたものであること、以上二つの点を提示している。
 そして本編では、その検証材料として、ディケンズ、ウィルキー・コリンズ、コナン・ドイル、チェスタトン、クリスティを順に取り上げる。各作品から人間性がどのように扱われ、表現されているかを検証していくわけである。

 文章は平易で、こういうアプローチで読ませる評論はあまりないこともあり、それなりに面白く読めた。特に序章で、著者の立ち位置を明確にしている点はよいし、けっこう面倒な前提をこうしてサクッとまとめた文章はミステリ評論でもあまり見かけない。まあ逆にミステリ評論的にやると泥沼になりそうなネタではあるが(でも基本的にはその前提には大賛成である)。
 ある意味、ミステリのプロパーではない強みで、著者のフィールドへ強引に持っていっているという方が正解なのだが、それにしてもうまい。
 各論では著者が敬愛しているクリスティの考察がやはり熱い。どちらかというと紙芝居的な登場人物と揶揄されることの多いクリスティの諸作品だから、こういった擁護は重要である。

 ただ気になる点もちらほら。
 例えば、ミステリの定義をサクッとまとめるのはいいのだけれど(いや、ホントはよくないんだけれど)、著者が本書で検証に扱うのは、あくまで英国の古典探偵小説だけなのである。著者はミステリを定義する際、細かいことはいわずにミステリ=推理小説=探偵小説としている。その線でいくと、ハードボイルドやスリラー、冒険小説との絡みも当然派生してくるわけだが、残念ながらこれらにはノータッチ。
 ごくごく一部のサンプルでしか検証できていないのに、それをもって『ミステリーの人間学』というのは正直いかがなものか。専門外ということもあるのだろうが、ある意味、もっとも人間を描いていると思われるミステリのジャンルがハードボイルドだから、これを語らないのはやはり物足りない。英国の伝統的読み物の冒険小説も然り。
 できれば続刊で、もっと幅広いジャンルも交え、より深い考察を期待したい。

 最後にひとつ。本書では上で挙げた作家の作品について、ネタバレ・オンパレード。未読が多い作家の章を読む際は、ゆめゆめご注意を忘れずに。


ジェラルド・カーシュ『犯罪王カームジン』(角川書店)

 犯罪王カームジン

 本日の読了本は、ジェラルド・カーシュの『犯罪王カームジン』。
 近年、再発掘されまくった感のある異色作家短編だが、ジェラルド・カーシュはその重要な一角を占める作家だろう。特筆すべきはその豊かな想像力か。奇抜なアイディアをひねくれたユーモアで包み込む独特の世界は、カーシュならではのものだ。
 そんなカーシュの作品の中でも、とりわけユーモアを前面に押し出したのがカームジン・シリーズ。希代の詐欺師にして大泥棒のカームジンが語る武勇伝、というか抱腹絶倒のホラ話といった方が適切なんだろうが、まあ正直ミステリ的には大した仕掛けはなく、ネタも他愛ないものが多い。やはり読みどころは、馬鹿馬鹿しい犯罪の設定であったり、あるいはカームジンの伝記作家たるカーシュとのやりとりにあるだろう。
 ただし、楽しい作品集であることは間違いないのだけれど、こうしていざまとめて読むと、ひとつひとつの作品がライトすぎて、少々飽きやすいのが欠点か。本作にはボーナストラックとしてノン・シリーズの二作「埋もれた予言」と「イノシシの幸運日」も収録されているので、ほどよいタイミングで口直し的に読むのが吉かと。とりあえずイッキ読みにはご注意を。

「カームジンの銀行泥棒」
「カームジンとガスメーター」
「カームジンの偽札づくり」
「カームジンとめかし屋」
「カームジン脅迫者になる」
「カームジンの宝石泥棒」
「カームジンとあの世を信じない男」
「カームジンの殺人計画」
「カームジンと透明人間」
「カームジンと豪華なローブ」
「カームジン手数料を稼ぐ」
「カームジン彫像になる」
「カームジンと王冠」
「カームジンの出版業」
「カームジン対カーファックス」
「カームジンと重ね着した名画」
「カームジンと『ハムレット』 の台本」
「埋もれた予言」
「イノシシの幸運日」


『別冊宝島1638 松本清張の世界』(宝島社)

 最近月イチぐらいのペースで光文社文庫の松本清張短編全集を読み進めている。まあ遅れてきた清張読者というところだが、そんな人にピッタリそうな本が、こちら『別冊宝島1638 松本清張の世界』。

 別冊宝島1638松本清張の世界

 別冊宝島ではこれまでにもミステリ系のネタでいくつか本が出ているが、今回は「僕たちの好きな~」ではなく「~の世界」という括りであり、さすがに読者層を考えてか、いつものライト路線からは多少外しているようだ。サブタイトルも気張りに気張って「“清張文学”の真髄に迫る徹底考察」。どう見てもパッと見は清張初心者に向けたビジュアル系入門書だが、やはりここでもこころなしライト路線を避けているらしい(笑)。

 ま、それはともかく。
 肝心の中身はというと、昭和という時代を共通のキーワードにしつつ、さまざまな切り口で清張を解体するといった作り。つまり「徹底考察」ですな(笑)。
 こう書くとなかなか深そうには思えるが、実際のところは総花的というか、もうひとつハッキリしたテーマが見えてこないのが残念。結局のところ、人間松本清張を紹介したいのか、清張を通して時代を語りたいのか、基本的な作品ガイドにしたいのか、その辺りもぼやけてしまっている。何より一番哀しいのは、紹介されている作品が少ないことである。せめて38ページにある系統図をもとにした、さくっとした総論的な作品ガイドがほしかったところだ。

 結局のところ「別冊宝島」というシリーズで出す以上、ライトな入門書を望む人が本書の中心読者になることは避けられない。要は清張初心者である。そのような人たちが、膨大な清張の作品群を前にして、これからどう読み進んでいけばよいのか。個人的にはそういうブックガイドこそ望まれているのではないかと思った次第。


小川未明『文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船』(ちくま文庫)

 ちくま文庫の「文豪怪談傑作選」から『小川未明集 幽霊船』を読んでみる。児童文学の書き手として有名な小川未明の、怪奇小説を集めた作品集である。収録作品は以下のとおり。
 なお、本書は大きく四つのテーマに沿って収録され、プラス数編のエッセイと怪談実話という構成をとっている。ただし実際には下のように「■幼年期の幻想」といった章題みたいなものはない。これは編者の東雅夫氏の解説をもとに、管理人が便宜上、勝手につけたものなので念のため。

■幼年期の幻想
「過ぎた春の記憶」「百合の花」「稚子ヶ淵」「嵐の夜」
「越後の冬」「迷い路」「不思議な鳥」

■土俗の怪異
「黄色い晩」「櫛」「抜髪」「老婆」
「点」「凍える女」「蝋人形」

■童話
「赤い蝋燭と人魚」「黒い旗物語」「黒い人と赤い橇」
「金の輪」「白い門のある家」

■異国籍風の怪奇物語
「薔薇と巫女」「幽霊船」「暗い空」「捕われ人」
「森の暗き夜」「扉」「悪魔」「森の妖姫」
「僧」「日没の幻影」

■エッセイ
「北の冬」「面影」「夜の喜び」

■怪談実話
「貸間を探がしたとき」

小川未明集 幽霊船

 さすがに「赤い蝋燭と人魚」ぐらいは読んでいたが、小川未明の作品をこれだけまとめて読むのは、実は初めてである。そして、今さらながら、その語りの極めて美しいことに唸らされた。
 大雑把にいうと小川未明の文体は文節をひとつひとつ重ねていくようなスタイルである。「~では、~で、~して、~した。」という感じ。整った文体というのではないけれども、これが独特のリズムを持って非常に澄んだ心地よい響きをもつ。静謐さ、といってもいいだろう。
 本書には上で書いたように、四つのテーマに沿って作品が収められているのだが、この文体にぴたっとくるのは、やはり「■幼年期の幻想」といった極めて日本風のモノクロームなイメージの怪談だ。完成度の高さやカラフルさなら「■童話」「■異国籍風の怪奇物語」もいいのだけれど、「過ぎた春の記憶」「百合の花」「稚子ヶ淵」等を立て続けに読んだ日には、ワンパターンだなぁとは思いつつも、いつのまにか夕暮れが恐くなること請け合いである。
 まだ小川未明を読んだことがない、という人は、騙されたと思って冒頭の「過ぎた春の記憶」だけでも読んでみてもらいたい。おすすめ。


デヴィッド・イェーツ『ハリー・ポッターと謎のプリンス』

 デヴィッド・イェーツ監督の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を観る。
 けっこう長尺ではあるのだが、それでも小説版をもれなく再現することは無理なようで、本作でもかなりのエピソードが省略されている。残念ながら物語としての深みも減少するし、もはや本作単体としては理解できない映画になっているので、これだけ観て楽しめる人はかなり少なかろう。
 そもそも本作は小説版でもかなり”つなぎ”っぽい巻というか、あるいは最終作直前の静けさというか、派手なシーンも比較的少なく、もともと地味な話なのだ。ただ、新たな命題や謎も起こったりと、最終巻への興味を引っ張るには重要な物語である(シリーズ中最大といっていい事件も起こるしね)。
 とはいえ読者や観客にはとっては、どうしてもフラストレーションが溜まりやすい物語なのは確かで、そこが何とも惜しまれる。
 残す原作はあと一作『ハリー・ポッターと謎のプリンス死の秘宝』のみだが、これは何と小説同様に二分割で上映されるらしい。確かにこれまでのストーリーの落とし前をつけるなら、かなりの時間は必要と思えるけれど、ラス前はますます構成が難しくなるだろうから、これはまた思い切った判断だなぁ。ま、お手並み拝見というところでしょうか。


『シャーロック・ホームズ』映画化

 更新をしばらくさぼってしまったので、近況などをいくつか。


 仕事は相変わらず微妙な忙しさ。年も食ってそれなりのポジションだから、身体は楽だが、精神的にきついことが多い。だからストレス解消は非常に重要。個人的には、寝る時間を削ってでも自分の好きなことをやる時間は絶対必要なのだ。それがミステリを読んだり、こうやってブログを書いたり、ということ。


 息抜きと家族サービスを兼ねて、この連休は那須へ一泊ドライブ。本当は温泉がよかったのだけれど、今回は急に決めたこともあって狙いの宿がとれず。それでもなかなか食事の旨いホテルがとれて満足。小雨にもやや降られたけれど、なんとか傘のお世話になることもなく帰京。


 もう先週の木曜のことになるのだが、職場近くの大書店「書泉グランデ」をのぞくと、いつのまにか1階の改装が終わりリニューアルオープンした模様。おお、今風の知的でオシャレな空間に大変身である。以前のゴチャッとしたオタク臭さも好きだったんだけど、やはり通路などが広くなって歩きやすいのはいい。ただ、問題は完全に変わってしまったレイアウト。ミステリ系の書籍や文庫を探すのもひと苦労で、早く慣れるしかない。


 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を観る。感想は別の機会でお読みいただくとして、このときビックリしたのが、『シャーロック・ホームズ』という映画の予告編が上映されていたこと。もう情報自体は普通に流れていたようで、知ってる人には当たり前のことなんだろうが、いやこちらは迂闊にもまったくの初耳だったので、実に興味深く見させてもらう。
 監督はあのガイ・リッチー、ホームズ役にはロバート・ダウニー・Jr、ワトソン役にはジュード・ロウというキャスティング。ワトソンはイメージどおりだが、ホームズはワイルド感が強くかなりオリジナリティ高し(笑)。また、内容はグラナダ版ホームズのようなリアル志向ではなく、アクションやコメディ要素が強そうで、昨今のヒーローものと同じような空気を感じるが、それもそのはず聖典の映画化ではなく、聖典から作られたコミックを原作にしているとのこと。まあ、いろんな意味でとりあえず気になる映画のひとつではある。なお、公開は2010年3月。


 そんなこんなで読書がいまひとつ進まないが、実は最大の理由がドラクエIXなのは内緒。

ラリー・バインハート『図書館員(下)』(ハヤカワ文庫)

 ラリー・バインハートの『図書館員』、下巻も読了。
 合衆国大統領選に絡む陰謀、そしてそれに巻き込まれた図書館員の活躍を描いた作品だが、バインハートのこれまでの作品同様、バランスの悪さが気になる作品であった。
 上巻の読了時には、下巻でどこまで巻き返せるか、なんてことも書いたのだが、残念なことに低調なまま終了。

 図書館員(下)

 まあ、バランスの悪さ、というだけでもアレなので、いくつか例を挙げておくと。
 ひとつは主人公である図書館員の一人称と三人称を併用していること。それぞれのいいとこ取りを狙ったのだろうが、結果的には読みにくいうえにサスペンスも削がれ、まったくもってデメリットしかない。
 また、キャラクター造型がけっこう適当。特に目立つのは、劇画化が極端すぎること。元々ペーパーバックだから派手にキャラクターを作るのはわかるし、ある程度ステレオタイプなのは仕方ないとしても、現職大統領をここまでひどく書くのはどうかと思うし、国家安全保障局の局員も、汚れ仕事専門とはいえ、サイコキラー真っ青の殺人狂に仕立てたり、なんか現実離れしすぎている。
 そのくせ主人公は他の登場人物に比べるとかなり影が薄い。せっかく図書館員という職業をセレクトしたのだから、もう少し専門知識を活かした活躍をさせてもいいだろうに、これが恐ろしいくらいしょぼい役回り。
 ストーリー展開も御都合主義がひどい。要所要所で主人公を助ける人々がこぞって登場してくるし、アマチュアであるはずの主人公たちも、捜査&殺しのプロを相手に健闘しすぎ。そして本書のメインの仕掛けともいえる大統領選に隠された陰謀だが、これがまた相当に無茶なネタを披露してくれる。
 ちなみに後味も決して良いとはいえず、いやあ、翻訳物でここまでダメダメな本も久しぶりに読んだ気がする。


ラリー・バインハート『図書館員(上)』(ハヤカワ文庫)

 ああ、『ドラクエIX』買っちまったよ、読書の最大の敵だっちゅうのに……。


 図書館員(上)

 それでも頑張って(笑)、ラリー・バインハートの『図書館員』上巻を読む。
 著者のラリー・バインハートには、過去に『ただでは乗れない』『見返りは大きい』『最後に笑うのは誰だ』という邦訳があるが、これらはすべてトニー・カッセーラという私立探偵を主人公にしたハードボイルドのシリーズである。一応すべて読んでいるが、正直、どれも傑作というほどではなかった。派手な展開が多く受け狙いなのはヒシヒシ感じるのだが、いわゆるハードボイルドの味わいが薄く、バランスの悪さばかりが記憶に残っている。
 そんなわけで、本来だったら本書もスルーのはずだったのだが、これが設定そのものは実に面白そうなのだ。
 主人公は大学図書館に勤務する元詩人志望の図書館員。ある大富豪の資料整理のバイトをしたことがきっかけで、合衆国大統領選に絡む陰謀に巻き込まれ、命を狙われる羽目に……というお話。平凡な図書館員でしかない男が、どうやって追っ手から逃れるのか、そして反撃するのか、というのが見どころ。
 しかしながら上巻読了時点では、残念ながらやはりいまいち。とりあえずは下巻でどこまで巻き返せるか期待したい。


佐藤嗣麻子『K-20』

 「東京国際ブックフェア」が東京ビッグサイトで始まった。実は仕事の関係上、同時開催の「デジタル パブリッシング フェア」の方により興味があったりするのだが、まあそれはおいといて、残念ながら今年は仕事の都合に加えて体調も勝れず(肩こりと首の痛みが最近ひどくて)、行けなさそうな予感。ううむ、無念。


 先日、DVDで佐藤嗣麻子監督の『K-20』をレンタルした。乱歩が生んだ希代の怪盗、怪人二十面相を主人公にした物語だが、原作自体は北村想によるパスティーシュ『完全版 怪人二十面相・伝』である(こっちは未読)。
 映画の方はその原作をさらに捻っており、舞台はなんと第二次世界大戦が起こらず、帝都がそのまま発展した1949年の東京。華族制度の影響によって富の九割が特権階級に集中するという、極端な貧富の差が起こっている社会だ。このパラレルワールドの東京を舞台に、二十面相と間違われたサーカス出身の青年が、汚名返上のため、明智小五郎らと協力して二十面相と闘う様を描く。

 正直、微妙な出来だとは思うが(笑)、乱歩の原作、北村想の原作とは距離を置き、オリジナルの物語に仕上げているところは悪くない。設定からしてファンタジー色を強めているというか、もう最近のハリウッドのアメコミ風なんだよね。帝都の風景、メカのデザイン等々。ところが結果的にそういう演出の数々が独特の昭和ワールドを醸し出している。最近のハリウッド映画と比べちゃ可哀想だが、それでも日本の映画の中ではグラフィックも相当いい線をいっているし、ここが一番の見どころといってよい。
 個人的には、アクションがもっと激しければなぁとか、明智役の仲村トオルがどおにも若すぎて貫禄がないなぁとか、もっとミステリ的なネタが多ければなぁとか、まあいろいろあるんだけど、とりあえず予想よりは楽しめたのでよしとする。少年探偵団とか怪人二十面相とか、変に思い入れがない方が単純に楽しめるかも。


マイクル・コナリー『リンカーン弁護士(下)』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの『リンカーン弁護士』、下巻も無事読了。
 高級車リンカーンを事務所代わりに、広大なロサンジェルスを走り回って刑事弁護士稼業を続けるミッキー・ハラー。金にはうるさいが腕もよく、往々にして警察から恨まれることも多い。そんな彼に滅多にない稼ぎ話が持ち上がった。出会い系バーで知り合った女性に暴行した容疑で逮捕された男の弁護である。容疑者は金持ちの一人息子ということで張り切るハラーだったが、実はとんでもない裏があった……。

 リンカーン弁護士(下)

 文句なし。コナリーの作品は、もうどれをとってもハズレなしといってよいだろう。安定度抜群。ほんとに上手い作家になったものである。
 いつもの警察という得意分野を離れ、リーガル・サスペンスという手練れが山ほどいるジャンルに殴り込みをかけたので、若干心配ではあったのだが、まったくの杞憂である。下巻での法廷シーンや駆け引きの数々、そして周到に計算されたプロットなど、実にお見事。昔から法廷ものを書いている作家と言われても普通に信じられるレベルである。ラストの意外性も十分で、ミステリとしての期待ももちろん裏切らない。

 べた褒めついでに書いておくと、ボッシュ・シリーズとも相通ずる問題提議の部分も、本作では方法論を変えているのが面白い。
 例えばボッシュ・シリーズというのは、主人公側は常に虐げられている存在で、社会の矛盾や問題に対して、常にストレートに怒っている。もちろん感情移入もしやすいわけで、小説作法的には常套手段と言えるだろう。
 ところが本作では主人公のミッキー・ハラー自身が、怒りを受ける対象である。ハラーはボッシュと違い、報酬のためならかなりのことまでは割り切れる人間である。職業的犯罪者を弁護することもしょっちゅうで、そこには正義という絶対的価値観はない。相対的だったり、ときには法律の範囲内でいかようにも重きを変えてしまう。その結果、警察には嫌われ、ときには犯罪者にすら蔑まされることもあるが、今までの彼はそれでよしとしていた。しかし自らが事件に巻き込まれ、自身の大きなミスに気づいたことや、家族の身に危険が迫ることで、彼の内面にも変化が生まれ苦悩することになる。
 正義とは何なのか。司法制度とはそもそも何のためのものなのか。ハラーの抱える苦悩は司法制度の抱える苦悩でもある。司法制度を生かすも殺すも、すべては弁護士や検事次第。まさしく正義は変わっていくものなのである。だからこそ、だからこそ彼らの仕事には大きな意味があるのだ。

 事件は解決するが、結局、ハラー自身の問題に明確な答えが出るわけではない。しかし出ないなりに彼は再起の道を歩もうとしている。そこがいい。


マイクル・コナリー『リンカーン弁護士(上)』(講談社文庫)

 『ROM』133号が届く。前号で中島河太郎のミステリ解説について野村恒彦氏の寄稿があったのだが、けっこう反響があったようで、今号ではさらに突っこんだ記事が盛りだくさん。作家についての研究は当たり前だが、こういう評論家や研究者についての評価や考察というのは、おそらく『ROM』でなければ、できない企画だろう。特に中島河太郎氏の御子息である中嶋淑人氏のインタビューなどそうそう読めるものではない。有意義であることはもちろんだが、何より読んでいて面白い。


 リンカーン弁護士(上)

 読了本はマイクル・コナリーの『リンカーン弁護士』をとりあえず上巻まで。
 おなじみのハリー・ボッシュものではなく、ミッキー・ハラーという刑事弁護士を主人公にしたリーガル・サスペンス。
 リンカーン弁護士と呼ばれる由縁は、その仕事のこなし方にある。ちんけな犯罪者相手の刑事弁護士は、企業の顧問弁護士などと違ってとにかく割が合わない。広大なロサンジェルスに点在する裁判所を縦横無尽に駆け巡り、こまめに事件を拾わないことには稼ぎが追いつかないのだ。そのため特定の大きな事務所などは構えず、フォードの高級車リンカーン・タウンカーの後部座席を事務所代わりとして、とにかく移動を続けながら仕事をこなしていく。これぞすなわち”リンカーン弁護士”。

 上巻を読むかぎりは、ボッシュものと同様、事件や人間ドラマを通して社会や制度の矛盾を突くという根本的なところは変わりないように思える。ただ、それを見せるにあたって、主人公がその矛盾を肯定的に捉えているところが、ボッシュものとの大きな違いである。
 ボッシュは怒る。ひたすら怒る。そのために様々な軋轢が生まれ、さらなるドラマや問題提議が生まれる。一方、本作のミッキー・ハラーは、世の中がそういう仕組みであれば、それを使って生きるしかないじゃん、というスタイル。あえて不幸せになる道はとらない。語り口もボッシュものよりは軽めなので、最初はあくまでライトな作品になるのかと思っていたが……。
 いやあ、油断していた。やはりコナリーはただでは済まさない。単なる暴行と思われた事件が、予想を超えて大きなうねりを見せ、過去の殺人事件やハラー自身をも巻き込んでいく怒濤の展開は、実にお見事。語り口は若干ライトながらも、中身はいつもどおり圧倒的なパワーである。下巻で失速する可能性もないことはないが、おそらくコナリーに限ってそれはあるまい。とりあえず残りは下巻読了時に。


早川書房編集部/編『天外消失』(ハヤカワミステリ)

 天外消失

 ポケミスのアンソロジー『天外消失』を読む。
 その昔、早川書房に「世界ミステリ全集」という全集があった。従来の古典ばかりを収めたものとは異なり、新しい作品も積極的に採り入れたところが大きな魅力である。名著揃いということで、その後も文庫化されるなど、たいていの作品は読むことができたわけだが(と思っていたが改めて見るとフランス・ミステリをはじめ絶版のものもちらほら。ま、この話題はまた別の機会に)、唯一、品切れのまま文庫化もされず、いつしかマニア探求本の一冊となってしまった本がある。それが最終巻として刊行された短編アンソロジーの『37の短篇』であった。
 本日の読了本『天外消失』はその『37の短篇』から、他の本で読めるようなものはできるだけ省き、レアものを中心に14作を抜粋して復刊したものだ。収録作は以下のとおりだが、さすがに粒揃いで、しかもバラエティに富んでいる。初めて読む作品も多く、コストパフォーマンスは抜群にいい。

エドガー・ライス・バロウズ「ジャングル探偵ターザン」
ブレット・ハリディ「死刑前夜」
ジョルジュ・シムノン「殺し屋」
エリック・アンブラー「エメラルド色の空」
フレドリック・ブラウン「後ろを見るな」
クレイトン・ロースン「天外消失」
アーサー・ウイリアムズ「この手で人を殺してから」
ジョン・D・マクドナルド「懐郷病のビュイック」
イーヴリン・ウォー「ラヴデイ氏の短い休暇」
C・B・ギルフォード「探偵作家は天国へ行ける」
フランク・R・ストックトン「女か虎か」
アル・ジェイムズ「白いカーペットの上のごほうび」
ポール・アンダースン「火星のダイヤモンド」
スティーヴン・バー「最後で最高の密室」

 ベストを選ぶとすれば、さてどれになるか。
 ロースンの最高傑作といわれる表題作「天外消失」もいいのだが、個人的には「こんな人がこんなものを」という内容+αの意外性ということで、ブレット・ハリディの「死刑前夜」か。シンプルなハードボイルドだと思っていたので見事な背負い投げを喰らってしまった。
 あとは、アンブラーの本格というだけでも読んでおきたい「エメラルド色の空」。もちろん内容も鮮やか。「探偵作家は天国へ行ける」は設定が絶妙なうえに、ラストシーンがこれまたいい。
 ま、とにかく一家に一冊ぐらいのことはいっていい、ハイレベルなアンソロジー。これは読まなきゃもったいないでしょ。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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